「今です、レグニス!」 シュヴァルツローザの大鎌を二刀の太刀で押えつつ、桜花が叫ぶ。 その言葉を受けて、レグノスが間髪入れずにシュヴァルツローザの背後に回りこみ……… ガキィンッ! 無言で脊椎の下……人体でいうと脊椎の辺りに、コンバットナイフを突き立てる。 人体を模した奏甲はその構造上、多くの急所が人体と共通している。 人間の脊椎には脳の命令を伝える神経の束が走っているの同様、各種の伝達回路やバランサーが組み込まれている。 ましてやいかなる絶対奏甲であろうと、背面は正面装甲とは異なり、申し訳程度の薄い装甲板でしか防御されていない。 レグニスのナイフはその柄の部分まで易々と突き刺さり、シュヴァルツローザの中枢回路を断ち切った。 途端にガクンと、膝を折るシュヴァルツローザ。 次の瞬間、桜花が二刀をそれぞれの腕の関節に食い込ませる。 パキィンッ! 両肘を破壊され、前のめりに荒地の上に倒れたローザは、そのまま機能を停止した。 『…………終わったの?』 不安げなベルティーナの声が、二人の奏甲に遠慮がちに響いた。 「ええ。今の一機で、全てのシュヴァルツローザは片付きました」 『って、事は勝ったんだぁ!』 「ここでの戦闘には、な。だが、本来の目的はおそらく……まだだろうな」 『あっ………』 ベルティーナの声が、短く沈む。本来の目的……ラルカの救出は、まだで達成されていないのだ。 「ブラーマ。<ケーブル>を介して、向こうの様子は判らないのか?」 『難しいが……やってみよう』 機奏英雄と歌姫を繋ぐ<ケーブル>は、通信機器としての融通はほとんど利かない。 宿縁同士の意志をテレパシーによって繋げるこの通信技術は、『見えない糸』によって結ばれた文字通りの有線通信なのである。 よって第三者がそこに介入する事は……ましてや所在位置が不明の<ケーブル>に介入する事は……余程高位の歌姫でもない限り困難を伴う。 『あ〜〜〜。ソレ、私には無理だわ。悪いけど、パス』 「ベルティー………」 『だ、だってしょうがないじゃない! 無理なものは、無理なんだからぁ!』 『………待て。少し、静かにしれくれ………それらしき<ケーブル>を、二人の近くから感じる………』 ブラーマの声に、それぞれが静かに息を呑む。 『………クっ、ダメだ。こちらの声を届ける事は、できそうにない』 「向こうの様子は判らないのか?」 『………すまないレグ。『観る』事も不可能なようだ。ただ、声だけが聴こえる。なにか叫んで……「ホヤ」? 「ホヤ」だと? 「ホヤ」とはなんだ?』 「……知らん。桜花は知っているか?」 「はぁ。まぁ、その現世の……日本で食される、海産物の一つです。キュウリを添えて、お酢でしめると美味です」 『………今度は『ウニ』と叫んでいるが?』 「それも海産物です。お寿司のネタとして、とても美味です」 「寿司か……。俺は食った事はないが、美味いという話は聞いている」 『……は……ま…ぐ………り? はまぐり? 今度は「ハマグリ」だ』 「お吸い物や、浜焼きにして食します」 三者の間に、微妙な沈黙が流れた。 「……まぁ、どうやら助けに行かなくても大丈夫そうだな」 「な、なんとも言えませんが、どうなんでしょう?」 『ズル〜〜〜イ。自分達だけで、美味しいものを食べているんだぁ〜〜〜!』 「いずれにしても、俺の奏甲の稼働時間は、残り少ない。桜花はどうだ?」 「私も同じです。これでは何もできないでしょう」 『私も咽がカラカラ〜』 『確かに、私もさすがに咽が限界だ。後はあの二人に任せよう………』 よもやその二人が、今まさに救出するはずだったラルカの乗るシュヴァルツローザと戦っているとは、夢にも思わない彼女らであった。 病弱姫に花束を アナザー・メモリー 〜君が見る夢 詠う歌〜 第一部 最終楽章 遠き道の途中で 「くぉぉぉっっ!」 巨大な鎌が一閃、銀色の軌跡を描いてビリーンに迫る。 既に弾薬の切れたマシンガンを捨てて、優夜は両腕で構えたソードで咄嗟に防いだ。 ギィンッッッ! ビリオーンの両腕に衝撃が奔り、火花が飛び散る。 各関節が軋んだ悲鳴を上げて、逆流した容赦のない負荷が激痛となってルルカを襲った。 「くっ………ぐぅ……」 喰いしばった歯の隙間からか零れる、くぐもった悲鳴。 額に溢れた脂汗が小さな流れを作り、眉間の隙間を滑り落ちる。 ガン! ガン! ガン! 続けて容赦なく打ち付けられる、ローザのデスサイズ。 もはやそれは『斬る』ための武器ではなく、殴打用の武器と化していた。 限界に近づきつつあるビリオーンの両腕を、そのまま力攻めで破壊するつもりなのだろう。 実際、重く激しい攻撃を受ける度に、ビリオーンの関節から飛沫のようにオイルが飛び散る。 元々、『歩くだけで壊れる』とも揶揄されるのが、絶対奏甲という兵器である。 無茶に無茶を重ねた操縦の連続に、シュヴァルツローザとの戦闘。 稼動時間も限界に近く、ルルカをサポートする『エコー・システム』はとっくの昔に沈黙してしまった。 早い話しが、どうにこうにも手詰まりだった。 唯一の救いはラルカのシュヴァルツローザも弾切れを起こしている事だったが、 このままではあの世への履歴書の一部が『銃殺』から『惨殺』に書き換えられる程度の、さして明るくもない未来図だ。 「な、なんとかならないんですか、優夜さん!」 「何とか、したいのは、山々、なんだけど、ねぇ、っと」 一言一言を区切りながら、優夜もどうにか延命操作に手一杯という有様である。 取り乱したり諦めたりしないのは立派だが、さりとて妙案もないらしい。 「いつもの悪知恵はどうしたんですかっ! こういう時に、ロクでもないアイデアを思いついてこその優夜さんじゃないですか!」 「ダメだぞ、ルルカ。お世辞ってのは、本当のことを言っても、意味ないぞ、っと」 優夜の頭の中では、ロクでもないはホメ言葉に分類されているらしい。 ガァンッ! 右肩のアーマープレートが、バラバラに砕けた。 「とはいえ、このままじゃ確かに、もう長くはないな!」 「この子の稼働時間も、もう十分ともちませんよ!」 バキィン! 左膝の関節部が破滅の悲鳴を上げ、噴水のようにオイルが噴出す。 「わたし、嫌です! こんなところで、ラルカを救う事もできずに死んじゃうなんて、絶対に嫌です!」 「その意見には、オレも賛成だけどな………」 ギィィィンッッ! 衝撃波を伴う斬撃はいよいよその威力を増し、もはや鋼の棒と化したソードに無数の亀裂を迸らせる。 「コレが運命だって、諦めてみるか、ルルカ?」 「諦めるなんて嫌です! これが運命だなんて、わたしは認めません! 絶対に、認めないんですから!」 ルルカは叫んだ。 自分自身の『命』と、そしてその半身を奪おうとする、何かに対して。 現世人を根絶やしにする為だけに開発された、シュヴァルツローザ。 人の命を破壊する為だけにアーカイア人が生み出した、呪われた奏甲。 そして名前すら与えられず、ただ番号でのみ呼ばれている銀髪の少女……ラルカ。 現世人を呼んだのは、アーカイア人。 アーカイア人であるユーディーを傷つけたのは、現世人。 望む、望まないに関わらず、世界はこうして乱れてゆくのだ。 その憎しみと哀しみは、自分と優夜を殺しても尚、とどまるところを知らないだろう。 無数の罪を重ねて尚、癒える事のない傷痕を、人と大地に刻むだろう。 ルルカの叫びは、それら全てに対する……否、それら全てを超越した何かに対する、突き上げるような憤りだった。 「だから見せて下さい、優夜さん! わたし達が……『宿縁』を信じる事が、決して間違いじゃないって証を! 現世人の優夜さんと、アーカイア人のわたしの想いが、いつかこの世界の痛みや乱れを癒せるはずだって……その可能性を!」 「………そこまで言うなら……その覚悟があるのなら……ビリオーンから降りろ、ルルカ」 「優夜さん!?」 「早とちりはダメだぞ、ルルカ? 降りて、オレの言う通りにするんだ。そうすれば多分、皆で助かる」 「………はいっ!」 ※ ※ ※ 「さて、と………」 改めて優夜は、シュヴァルツローザと向き直る。 その後部座席に、ルルカの姿は既にない。 どうにかシュヴァルツローザの猛攻を一旦振り切って、ルルカを奏座から降ろす事には成功した。 後は……後は………。 「正真正銘、運頼みってところかな」 飄々とした笑みを、誰に見せるわけでもなく浮かべてみる。 ここで死ぬ事に対しての恐怖は………特にない。 まぁ、死んでしまう事は、あまり面白くない………という程度の認識は、ある。 「死んでしまったら、もう何もできなくなってしまうからなぁ〜」 だからなるべく死ぬ前に、色々と面白い事を体験してみたい。 巻き込んでいるルルカには、悪いと思わないでもないのだが、そのルルカの反応がこれまた楽しい。 ……そう。楽しいのだ。 ルルカが隣りにいる、今の時間が。 ただ、それでもやっぱり、無理矢理にでも生に執着しようとは思わない。 やりたい事をやって、それで果てるというのなら………それはもう、これ以上ないくらい贅沢な本望だ。 しかし、仮にここ死ぬとしても、一つ確かめておかなくてはならない『義務』が優夜にはあった。 「全く、滑稽な話しだよな」 優夜は口元を動かし、小さな笑みを形作った。 もう元の世界に……あの日本に戻る事はできないかもしれないというのに、『義務』は『義務』として未だに自分につきまとう。 ラルカという少女との出逢いが偶然か、それもとも必然か………見定めておく必要が、優夜にはあるのだ。 そして、場合にとっては………… ギィンッッッ! 「っと、ととと!」 優夜の思考を遮るように、シュヴァルツローザの一撃がビリオーンを襲う。 重く……なにより速い一撃だ。 これが殺し合いではなく、ただの試合や組み打ちだったなら、エライエライと褒めてやりたいくらいである。 「にしても、実際に受けてみると判るが………」 やはり、感じる。 蟲が相手だったとはいえ、ラルカの戦い方を初めて目の当たりにした時から感じていた疑念が、もはや確信に近い。 このリズム、この呼吸………一撃の軌道から、脚の運びまで、ここまで似ていれば無関係という事もないだろう。 ベキィンッッ! 「……痛っ!」 躱し損ねた一閃が、ビリオーンの左腕のヒジから先を、完全に切断した。 まるで血飛沫のようにオイルが乾いた大地の上に飛び散って、無数の部品がバラバラとこぼれ落ちる。 と、そこへ慣性の法則を無視したような勢いで、左腕を切断した刃が翻って再び迫り……… バキンッ! 右腕のソードを、柄の部分からへし折った。 「くっ〜〜〜!」 たたらを踏みながら、ビリオーンをローザの間合いから外す。 優夜は短剣よりも短くなったボロボロのソードを、その場に投げ捨てた。 これで武器といえる武器は、右腕一本。 もっともこの拳を叩き付けたところで、シュヴァルツローザの分厚い装甲の前に、拳が砕けて終わるだけだろうが………。 「いよいよをもって、絶体絶命のピンチってワケだな、こりゃ………」 トクン、トクンと高鳴る鼓動を感じながら、ジリジリと後退を続けつつ、優夜は左右に目線を配らせる。 右手には最初に撃破したキューレの残骸が、無造作に転がっている。 左手の方角では、救出したトロンメル軍の歌姫達が戦っているようだが、流石にコチラの援護をする余裕も武器もないだろう。 そして正面にはラルカのビリオーンと、その背後には崩れた崖が無残な山肌を覗かせている……。 「………なぁ。一つだけ聞かせてくれないかな?」 後退するビリオーンの足を止め、優夜は訊ねた。 今や機体が、鉛のように重い。 一歩を踏み出すだけで、途方もない披露が伴うだろう。 「なんでラルカだけ、他の連中とは動きが違うんだ? 崖の上でソイツに乗っていた歌姫と、ラルカは違うんだろ?」 『そんな事を訊いて、どうする気かしら?』 「別に……。ただ、なんとなく納得できないダケ。それよりいいだろ、それくらい教えてくれても?」 『………その生体ユニットは、私の作品じゃないわ。 わたしの研究と奏甲に興味を持ったある組織が、研究費と一緒に預けてくれたのよ』 「それじゃあ、ラルカだけが他の連中と動きが違うのは………ラルカが誰かの訓練を受けた、特別な存在だからなのか?」 『そうよ。……忌々しい事だけど、その子を訓練したのは貴様と同じ現世人よ。 ……もっとも、現世人とはいっても「女」だから、貴様よりはほんの少し、マシでしょうけど』 「女? 女だって? ソイツの名前は!?」 『おしゃべりはここまでよ。あの女もいずれ殺してあげるから、答えはその時にでも知るがいいわ』 シュヴァルツローザが大鎌を構えた。 既に優夜のビリオーンに、それを防ぐ術はない。 動かぬ奏甲など、鋼の棺桶でしかないのだから。 『やれっ! ドライツェーン!』 ゴゥッ! 土煙を上げて、加速するシュヴァルツローザ。 猛然と迫り、その巨大な鎌を振り上げ………振り下ろす! 刹那……… ズダダダッッッ! 重マシンガンの奏でる短いスタッカートが、シュヴァルツローザの背中に突き刺さった。 それは薄い背面奏甲を貫き、肩甲骨の辺りに内蔵されていた『ハウリング・システム』を破壊し……… 「………」 激しいスパークを起こし、ローザの膝がガクンと折れる。 銃撃は、ラルカのシュヴァルツローザの後方の崖から浴びせられたものだった。 崩れた土砂の中から、上半身のみを迫り出すように放置されていたシュヴァルツローザの右腕から、ユラリと硝煙が立ち昇る。 と、そのコックピットのハッチが開放され、中から転がるように金髪の少女……ルルカが姿を現した。 『優夜さん! 優夜さん! 無事ですか、優夜さん!?』 悲鳴のようなルルカの声が<ケーブル>に乗って優夜に響いた。 ラルカのシュヴァルツローザを止めたのは、ルルカのシュヴァルツローザだった。 歌姫のみでの運用が可能なシュヴァルツローザは、当然ながらルルカ一人でも起動可能な奏甲でもあるのだ。 そのローザを使って、ラルカを止める。 優夜がビリオーンをこの位置で止めたのは、決して偶然ではなかった。 「無事だぞ、ルルカ。いい腕してるじゃないの。これからはルルカが奏甲に乗るか?」 『………………』 優夜の軽口に、返事はなかった。 ただ微かな嗚咽と安堵が、重なり合う二重奏のように<ケーブル>を流れて優夜に伝わる。 「さて………。今度こそ、ラルカは止まってくれたみたいですよ? ユーディーさん?」 『………そんな……バカな……』 「や、辛いけどコレが現実。潔く受け止めて投降か自決か、逃げのびて無様な生き様を晒すか……好きな道を選ぶこった」 『貴様のような……トラベラーごときにが………現世人が……! 現世人がぁ!』 ユーディーが涙声で喚いた。 『なぜだぁ! 復讐する権利は、私にこそあるはずではないのか! それが……それが………それがぁ! 貴様は誰だ! 何者だぁ! 何の権利があって、私の復讐の邪魔をするのだ!』 「オレ? オレかい? オレの名前は天凪優夜。正義の為なら悪魔にでも魂を売る……クールでクレイバーな正義の味方だ」 『! …………ア、アマナギ……だと』 絶句するようなユーディーの声に、優夜はわすかに眉をしかめた。 『そうか………貴様もあの女の………伊織の同族かぁ!』 「………!?」 あり得ないその名前に、今度は優夜が絶句する番だった。 今、ユーディーは何と言った? あの女……伊織と………よりにもよって伊織の同族と、彼女は言ったのか!? 「ちょ、ちょっと待て! なんでアンタが、その名前を知っているんだ!」 あり得なかった。 確かに彼女が教えたのなら、ラルカの動きもつじつまが合う。 だが、それでもあり得ない。あり得ないのだ! 何故なら……彼女は………… 『殺してやるぞ! 天凪優夜ぁぁぁっっ!』 次の瞬間、猛烈な射撃がビリオーンを包んだ。 「きゃあああぁぁぁ!」 「! ルルカ!?」 その足元で、動かなくなったシュヴァルツローザの側から、ルルカの悲鳴が上がった。 「動くなルルカ! ローザの陰に隠れろ!」 「も、もう隠れてますっ!」 『あはははは! 切り札ってのは、最後の最後まで取っておくものなのよ! 残念だったわね、天凪優夜ぁ!』 優夜の前に、新しいシュヴァルツローザがその姿を現した。 誰が搭乗しているかなど、訊ねるだけ愚問というものだろう。 『死ねぇっ!』 突き出された両腕から、再び激しいマズルフラッシュが瞬いた。 優夜は咄嗟に、ラルカとルルカを庇うように機体を前に進めたが、瞬く間に装甲が砕け、それは僅かな延命行為にもならなかった。 「優夜さん!」 火花が飛び散る奏座の中で、優夜はルルカの声が聴こえたような気がした。 ……だが、もはやどうする事もできなかった。 『………大丈夫』 その声は、唐突に響いた。 優夜は顔を上げた。 次の瞬間、ユーディーのシュヴァルツローザが土煙に包まれた。 崖の上を滑るように降りてくる奏甲の銃撃を浴びせられ、優夜に対する攻撃が一瞬にして沈黙する。 「ナハト…リッタァ……?」 それは夜襲攻撃や奇襲攻撃など、隠密作戦行動に特化された最新型の特殊奏甲だった。 『邪魔をするなぁ!』 そのナハトに向かって、ユーディーが銃撃を再開する。 そして優夜はあり得ない光景を………もしくは、とても馴染み深い光景を………目の当たりにした。 唸るように殺到した銃弾は、しかしただの一発もナハトに命中する事はなかった。 ナハトが銃弾よりも早く動いたわけではない。 そんな芸当は、どんな華燭奏甲であろうと不可能だろう。 ただナハトは前進しながら、優雅な舞踊を演じただけだった。 踊るように、舞うように………殺到する銃弾の軌道・撒布範囲から、最も安全な空間に機体を滑らせながら。 あらゆる銃撃戦における弾道パターンを数理的に解明し、弾道安全圏を撃たれる前に弾き出すその術理を極めた者にとって、 どんなに殺意をこめられた銃弾であっても……どんなに高速で飛翔する銃弾であっても……真っ直ぐにしか飛ばない弾丸は、何らの脅威となり得ない。 『貴様はっ!?』 蒼白に染まった声で、ユーディーが呻く。 ユーディーも知っているのだ。 目の前に現れた奏甲が、唯一絶対の死を運ぶ天界からの死者である事を………。 ナハトのアームガンが、シュヴァルツローザのコックピットに押し当てられた。 『貴女はやりすぎました……。既にこの秘密工房はトロンメル軍の知るところとなり、討伐軍が間もなく到着するでしょう。 その前に貴女と……貴女が残した全ての研究資料を消去せよとの、あのお方からの命令です』 冷然と、既に予定された事項を、その女性は告げる。 『さようなら、ユーディー。私は貴女に、同情の念を禁じえませんでした』 『ま、待て! 待って………』 短い銃声が、ユーディーの懇願を断ち切った。 十発にも満たない銃弾が、一人のアーカイア人の……一人の女性の復讐を、狂気を、憤りを、悲しみを………。 全て瞬時に、断ち切った。 「………伊織、なのか?」 『………』 優夜は問うた。返答は、しかしない。 だが、代わりに、ナハトのハッチがくぐもった音を奏で、開放された。 艶やかな長い黒髪が、風に揺られて広がった。 白磁のように白い肌。 薄いサクラ色の唇。 優しさと悲しみを湛えた、黒水晶のような深い瞳。 記憶の扉が、ゆっくりと開く。 その奥底に押し込めていた情景が滲み出し、手の平の中に生温かい感触が蘇える。 雨の日の夜……。 唸る風……。 本殿に燈る小さな蝋燭の炎……。 そして………。 板間の上に広がった赤い水溜りと、そこに横たわる姉のような存在と………両手に握られた鋭い刃。 「……………私はまだ、生きているわよ、優夜」 「………!」 その一言が、優夜の肺腑を抉るように貫く。 「その子はもうしばらく、優夜に預けておくわ。だから、それまでは……さようなら」 伊織は再びナハトの中に身を翻し、そのまま優夜の前から姿を消した。 後に残されたのは、無残に胸部を撃ち砕かれたシュヴァルツローザと、呆然と立ち尽くす優夜だけだった。 ※ ※ ※ 「………そうか。ユーディーは死んでしまったか」 かつての同僚の冥福を祈るように、エドはそっと目を伏せた。 レグ、桜花、優夜とルルカ、そしてラルカは、一番近い町でエドと一緒にそれぞれの旅の仲間と合流した。 「ま、本人には悪いけど、死んだ方が本人の為だったんじゃないの?」 「……言ってくれるねぇ、お前さんは」 「や、だって事実だし。彼女が被害者なのは判るけど、だからって加害者になってもいい道理なんてないだろ?」 「正論だな。全く、正論だ。きっと本人以外の殆どの人間が、納得しちまうだろうな。 ただな、アイツはアイツなりに『宿縁』って存在に憬れていたんだ。今となっては、なんとなくそう思えてならねぇ。 だからそれを裏切られるような真似をされて、心底哀しかったんじゃないかって……いや、よそうか。それもこれも、終わっちまった事だ」 疲れたようなため息を、エドは吐き出す。 と、そのエドの前に、優夜がニコニコ顔で両手を差し出した。 「そういうこと。それよりも、はい」 「………なんだ、この手は? 頭を怪我して、脳ミソがいかれたか?」 「オッサン、オッサン。一応、事件を解決したし、シュヴァルツローザの秘密工房も叩き潰してやったんだから、 それなりの謝礼ってもんがあるんじゃないの」 「優夜さん、優夜さん……」 優夜の脇腹を、ルルカがヒジで突っつく。 「お前なぁ……オレのビリオーンを滅茶苦茶に壊しておいて、よくもまぁ、そんな口がきけるもんだなぁ?」 「いや〜、だってしょうがないでしょ? 元々、奏甲ってヤツは歩くだけでも壊れるって代物だし」 「歩くだけで全身が蜂の巣になるか! 左腕がもげるか! 頭部がペチャンコにひしゃげるかぁっっ! 誰がビリオーンの修理費を支払うと思ってんだぁ!」 「オッサン」 「エドさんです」 息を揃えて、優夜とルルカは言い切った。 「そうかそうか。それじゃあそんなお前らに、ステキなプレゼントを渡してやろう」 「ん? なにこれ? シャリ3の修理費請求書?」 「あ、幾らかかったんですか………って、な、なななな、なんですか、この請求額は!!!」 「当たり前だろ。お前らのシャル3はアークドライブ以外、ほとんどの部品が取替えって事になっちまったからなぁ」 「だ、だからってこんな請求額、無茶苦茶です! 支払えません!」 「それこそ知るか。まぁ、借金でもして、なんとか掻き集めることったな」 ルルカは蒼ざめた顔を、優夜に向けた。 「ど、どどどど、どうしますか、優夜さん!?」 「ん〜〜〜。どうしようか? なぁ、レグニスはお金を………って、既にいないし」 いつの間にやら、レグニスとブラーマの姿は既になかった。 「ちなみに私達も、人に貸せるほどの持ち合わせはもってませんよ?」 と、困惑した面持ちで、桜花。 「だってさ。どうする、ルルカ?」 「だから困っているんじゃないですかぁ! せっかくラルカを取り戻したっていうのに、これじゃ明日から飢え死にです!」 「心配するな、ルルカ。人間水だけでも、一ヶ月は持つもんだ」 「そういう問題じゃありません!」 スッパァァァンッッ! ルルカは力一杯、優夜の頭部に幻糸ハリセンを叩き込んだ。 なにやら包帯の内側から、ドクドクと赤いシミが広がっているような気もするが、きっと気のせいに違いない。 なぜなら優夜の血の色は、きっと緑か白っぽいに違いないのだから。 「………ごめんさない。お姉ちゃん」 「いいえ。別にラルカが悪いわけじゃないんですよ? それもこれも、全部優夜さんが悪いんですから?」 「………そうなの?」 「そうなんです。だからこれ以上、優夜さんが悪さをしないように、わたしとラルカでしっかりと見張らないといけないです!」 ………いつまでも、ずっと。 その言葉は、ルルカは咽の奥に飲み込んだ。 言ってしまえば、言葉にしてしまえば……その願いが崩れさってしまうような気がした。 本当は、訊きたい事がたくさんあった。 伊織とは誰なのか? 優夜とあの女性との間で、何があったのか? そもそも優夜は、現世で何をやっていたのか? ルルカは、しかしその答を何一つ知らない。 いずれ優夜から、話してくれるだろうか? 話してくれた時、果たして自分は今の想いを、変わらずに持ち続けていられるのだろうか? 漠然とした不安が、胸をよぎる。 だが、それでも………ついていこうと、ルルカは思う。 例え来るなと、突放されようとも、自分の意志はもう決まっているのだから。 優夜がこの先、どこに向かって歩き出すのかは判らない。 これまでと同じ道なのか、そうでないのか。 いずれにしても、その道のりはきっと険しく、遠いだろう。 辿り着けるかどうかなんて、誰にも判らないし、保障もない。 けれども歩き出さなければ、辿り着く事は決してない。 だから………。 (どこまでも着いていきますからね、優夜さん) 物語は、未だ、終わらない………。 第一部 最終楽章 遠き道の途中で (終) |