「んん………」 苦しそうな寝返りを小さく打ち、その少女は長い睫を微かに震わせた。 白く透き通るような首筋に絡まる、銀糸のような長い髪。桜色の唇。 もう一度、少女は寝返りを打つと、深みのある琥珀色の瞳を開いた。 「………?」 ぼやけた視界を取り戻すように、視線が二、三度宙を泳ぎ、 「………っ!」 不意に顔の正面に飛び込んできた凶悪なオークの面に、幼い顔立ちを恐怖に強張らせ、 「………ふぅ」 少女は再び意識を失った。 「って、なにやってんですか、優夜さん!」 スパァァァーーーンッッ! 病弱姫に花束を アナザー・メモリー 〜君が見る夢 詠う歌〜 第二楽章 ラルカ オークのお面を付けた優夜の後頭部を、ルルカは渾身の力で引っ叩いた。 先日、エタファの行商人から買った幻糸ハリセン。 その素晴らしい手応えに、ルルカの頬がほんのちょっぴり恍惚気味に緩む。 「痛いじゃないか、ルルカ」 「痛いじゃないか、じゃありません! なんですか、そのお面は!」 「や、目を覚ましそうだったから、ちょっと驚かそうかと思って」 「驚かせてどうするんですか!」 ルルカは柳眉を逆立て、しまりのない優夜の顔を鋭利な眼差しで睨みつけた。 激しく頭が痛い。 せっかく意識を取り戻した少女をまた気絶させて、どうしようというのだろう? 「ハハハ。そんなにたぎると、また貧血を起こすぞ」 「うぅぅぅ〜〜〜」 「……………あの」 緩みっぱなしの優夜の顔と威嚇するように顔をしかめるルルカの間に挟まれて、 遠慮がちに届けられた小さな声は、どちらにも気付かれる事なく部屋の隅で掻き消えた。 「大体、いつの間にそんなお面を買ってきたんですか!?」 「昨日、町に帰った時。持って帰ったメンシュハイトを、ジャンク屋に売ったお金で」 「あ、あの、あのぅ………」 「またそんなムダ遣いして! いいですか? あのお金にはここの宿代とか、 奏甲の維持費とかも含まれているんですよ!?」 「ついでにルルカの薬代もね」 「ついでに優夜さんの飲み代のツケもです!」 「………ククク」 「………ふふふ」 激しく交差する、黒い眼差しと青い眼差し。 一歩も譲らない両者の間で、バチバチとスパークする青白い火花。 「あ、あのう〜〜〜!」 と、そこへ思い切ったように投げ掛けられた声に、二人の眼差しが真横に滑る。 「………あの……ごめんなさい……………」 二人の注視に、まだ十二歳前後のあどけない顔立ちを不安に染めて、少女は怯えるように身体を強ばらせた。 「ほら、優夜さんのせいで怯えちゃってるじゃないですか」 優夜の顔を押しのけて、ルルカは少女に向き直った。 少女の瞳から怯えの色は消えないが、それがどこか儚げな美しさをルルカに印象付ける。 漆黒の絶対奏甲……ローザリッタァの中に眠っていた、歌姫の少女。 破壊された幾つもの奏甲が転がっていたあの「戦場」で、彼女は何を目撃したのだろう。 色々な疑問が、少女を見つめていると次々とルルカの脳裏を掠めてゆく。 彼女は何者で、どうして奏甲の中で眠っていたのだろう。 そしてコックピットに見当たらなかった、彼女の『宿縁』はどこに? いや、彼女が乗っていた機体は新型の突撃型であるローザリッタァだ。 ひょっとしたら、別の歌姫のサポートを受けて、彼女があのローザを動かしていたのかもしれない。 (って、そんなワケありませんよね) こんなあどけない少女が、あんな残酷な戦い方をするわけがない。 あんなコックピットを執拗に狙った………搭乗者を確実に「殺す」ような、戦い方を。 頭を振って余計な考えを振り払い、ルルカは勤めて明るい口調で訊ねた。 「あの、具合はどうですか? 痛いところとか、ありませんか? 「…………ここは、どこ? お兄ちゃんとお姉ちゃんは、だれ? それに、わたし………」 「あ、わたしはルルカです。ルルカ・ソロ・エンフィール。一応、この人の『歌姫』をやっています」 「で、オレが天凪優夜。見ての通り、この世界に召喚された機奏英雄だ」 「きそうえいゆう……うたひめ………?」 少女はルルカと優夜さんを交互に見比べると、不思議そうに首を傾げた。 まるで「心ここに在らず」といった感じである。 まだ少し、意識がハッキリと目覚めていないのかもしれない。 「あなたの名前も、教えてくれない?」 「わたしの、名前……………わからない」 「え?」 「わからない………わたし……名前……………っ!」 不意に少女はこめかみを押さえ、薄く結んだ唇の隙間から微かな呻き声をこぼした。 「もしかして、何も思い出せないの?」 「………うん」 少女はコクリと頷いた。 「それってまさか………記憶喪失?」 ルルカは優夜と顔を見合わせた。 「みたいだな」 「みたいだなって、そんなアッサリと……!」 「いや、だって。オレに言われたって、なぁ」 「それはそうかもしれませんけど………」 「わたし……………記憶がないの?」 その呟きに重なるように、それまで無表情だった少女の面持ちが揺らぎ、 「わたし……わたし…………だれなの? どうして何も……思い…出せ………」 琥珀色の瞳に涙が盛り上がり、しゃくり上げる語尾に言葉が続かなかった。 「だ、大丈夫! 多分、一時的なものだと思うから、直ぐに思い出しますから、ね?」 「………本当に?」 「もちんろんです! ですよね、優夜さん?」 「ま、戻らない時も、あるけどね」 「優夜さんっ!」 スパァァァーーーンッッ! 本日二発目の、マイ・ハリセンが乾いた音を叩き出した。 幻糸が織り成す奇跡の力に、優夜の側頭部が鈍い音をたてて壁にメリ込む。 「と、取りあえずこの人の事は気にしなくてもいいですから、これからの事を考えましょう」 「これから………?」 「そうです。これからです。取りあえず後でちゃんと、お医者さまに看てもらうとして……。 後の事は、それから考えましょう。なんでしたら記憶が戻るまで、わたし達が一緒にいてあげます。 家とか故郷とか家族とか……それに宿縁の機奏英雄を探すのだって、手伝ってあげますから」 「いいの? 迷惑じゃないの?」 少女の瞳が、大きく開いた。 あふれる涙を手の甲で拭い、真っ直ぐな瞳でルルカを見つめる。 「全然平気です。むしろこんな人と一緒にいるわけですから………」 自然と湿り気を帯びるルルカの眼差しが、壁にめり込んだ動かない優夜を指向した。 「あなたの方が迷惑するかもしれませんけど、構わないですか?」 「………うん」 少女は俯きながらも、小さく頷いた。 「それじゃあ、仮でもいいですから名前を決めませんと」 「なまえ……?」 「そう。名前です。名前がないと、いろいろと不便でしょ? あ、ちなみにわたしの事は、ルルカって呼んでくれたらいいですから」 「ルルカお姉ちゃん?」 「!?」 瞬間、ルルカはクワッと瞳を見開いた。 (ル、ルルカお姉ちゃん。なんて……なんて甘美で、ステキな響きなんでしょう!) ルルカは三人姉妹の末っ子だったので、これまでずぅ〜〜〜っと妹が欲しかったのだ。 お姉ちゃんって呼ばれる事に、どれほど憧れ続けてきたことか。 それが……その夢が、まさかこんな所で叶ってしまうなんて! 「よし。だったらオレの事は優夜おにいちゃんでオッケーだ。なんだったらおにいちゃまでもいいし、 兄くんでも兄さまでも……いや、待てよ。それならいっそ兄ぃーやの方が………」 スパァァァーーーンッッ! ルルカは三回目のハリセンを、無言で振り下ろした。 今度は床にめり込んだが、些細な事である。 むしろ下の階に突き抜けなくて、残念なくらいだ。 「あ、あの……えっと…………」 「気にしなくても大丈夫ですよ。 この人は奇声蟲のノイズの影響で、時々お脳が狂って変な事を口走っちゃうんです。 そういう時は、こうして叩いて直すのが効果的なんです」 「オ、オレは頭は昭和四十年代の家電製品か……?」 ゴツッ! 優夜のセリフを無視するどころか、黙ってろとばかりに靴底で蹴飛ばすルルカ。 「ル、ルルカ……お前………」 「あら、優夜さん。ダメですよ? こんな所で寝ていたら、カゼをひいちゃいますよ?」 「今日は………白」 ドカッ! ガスッ! バキィ! 無言で繰り出される、ルルカの蹴り、蹴り、蹴り! 最後に椅子を振り落とし、何事もなかったかのように爽やかな笑顔で少女に振り返る。。 ………少女の瞳は、ちょっとだけ怯えていた。 「さて、そんな事よりあなたの名前を決めちゃいましょう。わたしが決めちゃっても、いいですか?」 「………う、うん」 「それじゃあ………ラルカ」」 「ラル…カ?」 「うん。わたしと一字違いの名前なんだけど、どうかな?」 「ラルカ……ラルカ………」 少女は何度も反芻するように、その名前を口の中で繰り返した。 そして……。 「………うん。………ありがとう」 ラルカはほんのちょっぴり頬を赤らめ、はにかんだ笑顔をルルカに向けた。 これがルルカに、銀色の髪の義妹が誕生した瞬間だった。 これまで誰かに護られてばかりいた少女に、初めて護るべき存在が生れた瞬間でもあった。 そして………。 この少女を巡る途方もない大事件に、関わってしまった瞬間だった。 第二楽章 ラルカ(終) 後書き 取りあえず、第二楽章です。 今回から書き方をちょっとだけ変更したのですが、気付いた方はいるでしょうか? (それ以前に、誰も読んでくれていなかったらイヤだなぁ〜) 先日のチャットで学んだ技術を、ちょっとばかり実践してみたつもりなんですが………。 さてさて。 それでは次回の更新を、楽しみしていただけたら幸いです。 ではでは。 |