町を見下ろす小高い丘の上に、その白い絶対奏甲は静かに佇んでいた。

『アレはあそこに運ばれたのか……?』
『ええ。間違いないわ』

 奏甲の内側で、野太い男の声と艶やかな女の声が交差する。

『これからどうするのかしら?』
『さぁて、どうするかな。相手の素性も戦力も判ってねぇーし』
『あら? 珍しく消極的』
『バカ野郎。慎重って言って貰いたいもんだぜ』

 心外だと言わんばかりに、男の声が呟く。

『ふふふ。でも、早く見てみたいわ。新たなる破滅の力。混沌の源。
 アレが情報通りの奏甲なら、あなた方機奏英雄はこの世界から残らず狩り尽くされるのでしょうね』
『嬉しそうに言いやがって……。
 その時はお前ら歌姫も、一緒になって火刑場に引きずり出されるかも知れないんだぜ?』

 鈴が転がるような艶やかな女の声に、男は苦虫を噛み潰したような声で言った。

『まぁ! ゾクゾクする光景ですわ。この身が炎に包まれる姿は……あぁ、本当に!』
『ケッ! 付き合ってられるかよ』

 男は短く吐き捨てると、不意にその眼差しを町から遠く離れた丘の方向に滑らせる。
 特別な兆候があったわけではない。
 強いて上げるなら「そこに気配が蠢いていた」といったところだろうか。

『ったく。次から次へと……。こいつはどうも、ややこしそうな事になりやそうだなぁ』

 無数に蠢く小さな影の中に、一際巨大な小山のような存在を確認し、男は眉をひそめた。

『あらあらまぁまぁ。動く災厄が行進していますわぁ』
『嬉しそうに言うんじゃねぇ』
『だって、また大勢、人が死にそうなんですもの』
『……ったく、なんでこんな女が俺の『宿縁』なんだか』



病弱姫に花束を   アナザー・メモリー

〜君が見る夢 詠う歌〜


第三楽章   宿縁




「これが絶対奏甲……?」

 整備場に格納された漆黒の奏甲を見上げ、ラルカは不思議そうな面持ちでルルカに訊ねた。

「これにラルカが乗っていたの?」
「ええ、そうですよ」

 ラルカの銀髪に手を置きながら、ルルカも漆黒の奏甲を見上げた。
 内側から滲み出るような、禍々しい黒光りを放つ薔薇の騎士・『ローザリッタァ』。
 間近で見れば、ますますこの奏甲とラルカがつり合わないように思えてならない。

「何か思い出せそうですか? 自分の事とか、これに乗っていた機奏英雄の事ですとか」
「思い出せたら、お兄ちゃんがイイところに連れていってあげよう」
「………っ!」

 するとラルカは怯えたように、ルルカの後ろに隠れてしまった。

「優夜さん、茶化さないで下さい! ラルカが怯えてしまったじゃないですか!」
「……今のって、オレが悪いの?」
「悪いです。で、どうでしょうか、ラルカちゃん」
「………ごめんなさい。ルルカお姉ちゃん」
「謝る必要なんてありませんよ。ラルカちゃんが悪いわけじゃないんですから」

 俯くラルカをいたわるように、そっと胸の中に包み込むルルカ。

「あっ……」

 すると驚いたような小さな声が、ラルカの唇から声がこぼれ落ちた。
 そして遠慮がちに、ほんのりと首を朱色に染めながら、ラルカがルルカの胸に身を寄せる。
 ルルカにはそれが嬉しくもあり、温かくもあり……ほんの少し、昔の出来事を思い出した。

 それは自分が優夜と出逢う遙か以前の、よく熱を出して寝込んでいた頃の事だ。
 病弱で、迷惑ばかり掛かる自分を、どうして姉達は構ってくれるのだろうと不思議に思った事がある。
 が、それはこういう事だったのかも知れない。

 可哀想だからではなく、仕方ないからでもなく………ただそうしたいから、抱き締める。

 きっと、ただそれだけの事だったのだ。

「しっかし、見れば見るほどローザリッタァにソックリの奏甲だよなぁ」
「そうですね……両腕に内蔵されたマシンガンとか、大きな鎌とか………。
 細かい部分は、色々と変更されているみたいですけど」

 隣りに並んだ優夜の言葉に、ルルカも神妙な面持ちで相槌を打つ。

「う〜〜〜ん」

 すると優夜が、珍しく真剣な面持ちで唸り声を絞った。
 普段が普段な人間なだけに、たまにこういう横顔をされても、やはりというか全然似合わない。
 ここまでシリアスが似合わない「英雄」も、多分、相当珍しいだろう。
 少なくともルルカには、他に心当たりがない。

 例えば以前に何度か逢った事がある機奏英雄のバッドラックは、いかにも冒険者といった感じの現世人だった。
 新見忍は、柔和な人柄の中にも、芯の強さを感じた。
 何より真っ直ぐな、それでいてどこか憂いを秘めた、神秘的な瞳の持ち主だった。
 ビックリするほど綺麗な現世人であり、とある街で女装した姿を見かけた時は、思わず見とれてしまったほどだ。

 それに比べて、この人は………。

「………」

 これ以上、考えるのはよそう。
 ルルカは自分が危険な思考の沼地に片足を突っ込んでいる事を自覚し、頭を振って自分に言い聞かせた。
 こういうものは考えれば考えるほど、現実が哀しくなってくるものなのだ。
 それにこんな人でも、結構いいところはあるのだ。
 例えば……そう、例えば………例えば……………。

「なぁ、ルルカ? この奏甲、売ったら幾らくらいになると思う?」

 と、不意に優夜が大真面目な面持ちで訊ねてきた。

(って、この人はぁぁぁ〜〜〜!)

 人が必死になって、妥協点を探そうとしている、その時に!

「優夜さんっ!」

 と、思わず声を張り上げてしまった、その時だった。

「た、大変よ!」

 整備場の中に、若い女の人が血相を変えながら駆け込んできた。

「ま、町の外に奇声蟲の群れが! コッチに向かって来るわ! 物凄い数なの! 
 それに『貴族』も見たって! とにかく大変なのよ!」




 その声に、優夜とルルカはお互いの顔を見合わせた。

「なぁ、ルルカ」

 硬い声色で、優夜。

「はい?」
「昨日の依頼って、確か「奇声蟲退治に出掛けたまま戻らない、機奏英雄の捜索」だったよな?」
「はい。確かにそうでした」
「その英雄ってのは、現世騎士団と仲良く全滅していた連中だったワケだよなぁ?」
「………」

 固まったまま動かないルルカの頬の上を、冷たい汗が滑り落ちた。
 ……そうだった。
 確かに昨日の依頼は、「奇声蟲退治に出掛けたまま戻らない、機奏英雄の捜索」だったのだ。
 しかし、彼らは全滅していた。
 それはつまり、誰も「奇声蟲退治」をやっていなかったという事で………。

「ど、どどどど、どうしましょう、優夜さん!」
「まずは落ち着け。落ち着いてメシ食って風呂に入って、明日になったらゆっくり考えよう」
「ソレ、落ち着きすぎです! だってこの町には、たった二機の奏甲しかないんですよぉ!?」

 一機は優夜のシャル3。
 もう一機は、機奏英雄が不在のラルカの黒いローザリッタァ。
 数学的には一機+一機でも、戦力的にはほとんどゼロ……。

「だから慌てるなって。心配しなくても、このオレに任せな」
「つまり、打つ手なしって事ですか……」
「ルルカお姉ちゃん。ラルカたち、どうなっちゃうの?」
「ごめんね、ラルカちゃん。こんな事になっちゃって………」
「訊けよ、お前ら。オレの話しを」
「……じゃ訊きますけど、その自信の根拠はどこからくるんですか?」

 ちなみに優夜は以前、プルパァ・ケーファでたった一匹の衛兵に撃破されたという、輝かしい実績を持っている。
 シャル3に搭乗してからは、どうにか衛兵に負ける事はなくなったが、それでも同時に戦えるのは三匹が限界である。
 ましてや貴族が相手となれば、勝てる確率など円周率が割り切れる可能性よりもさら低い。

「確かに、昨日までのオレならそうだったかもしれないさ。
 しかし! 今日からのオレは一味違う! 具体的にはシャル3の新装備が咆哮すれば、貴族だろうが3秒で即死!」
「念の為に訊いておきますけど、新装備ってアレの事を言ってるんですか?」

 シャル3の左肩に無理矢理搭載した、メンシュハイト・ノイの部品を、ルルカは湿った眼差しで指さした。

「さすがだな、ルルカ。その通りだ。あのノイズ発生器を群れの中心で咆哮させれば、連中は大混乱。
 その隙に貴族を討ち取れば、オレは町を救った英雄さまってワケ。判る?」
「奇声蟲にノイズは効きませよ?」
「………はい?」

 一瞬の空白。

「はい、じゃなくって、奇声蟲にノイズ発生器は効かないって言ってるんです!」
「………ウソ?」

 愕然とする優夜に、ルルカは重度の頭痛に眉をしかめた。
 バカだバカだとは思っていたが、まさかココまでだったとは………!

「……フッ。思えば短い人生だったな」
「って、諦めるの早ッ!」
「と、冗談はさておき」

 ポスッ。

「わっ……」

 いきなり頭の上に置かれた優夜の手に、ルルカは首をすくめた。

「危なくなったら、ラルカを連れて本気で逃げろよ」
「優夜さん………?」

 驚き、弾かれたように顔を上げるルルカ。
 と、その髪を、優夜がクシャクシャに撫で回す。

「ま、その時はオレも逃げ出してるだろうけどな」

 優夜は自分の奏甲に向かって歩き始めた。
 いつもより少し、頼もしく見える背中をルルカに向けながら。。

 だが……しかし…………。

「オレのマシンは〜♪ 幻糸の3重織り〜♪」

 お願いだから、いい加減にその歌だけは止めて欲しかった。




 クイ、クイ……。
 にわかに慌しくなった整備場の中、立ち尽くすルルカの袖をラルカが引っ張る。

「早く逃げようよ。ルルカお姉ちゃん」

 怯えと不安を交わせた幼い眼差しに、ルルカは困ったような面持ちを浮かべた。
 出来る事なら、そうしたい。
 この子の腕を引っ張って、安全な場所まで一緒に連れていってあげたい。
 けれども………。

「………」

 ルルカはシャル3に乗り込む優夜を一瞥した。
 整備士と何やら話をしているが、直ぐにでも出撃するつもりのようだ。
 そしてそんな優夜に、幾人もの人々がすがるような眼差しを向けている。
 ルルカはギュッと拳を結ぶと、ラルカの正面にしゃがみ込み、琥珀色の瞳と真っ直ぐに向き合った。

「ごめんね、ラルカちゃん。お姉ちゃんはね、逃げられないの」
「どうして?」
「それはわたしが歌姫で、あの人が機奏英雄だから……かな」
「歌姫だから……歌姫だったら、機奏英雄と一緒にいなくちゃいけないの?」

 それは疑問というよりも、詰るような口調だった。

「ラルカには、判らない……。『宿縁』って、そんなに大事なものなの?」
「ラルカちゃん?」
「それにあの人達が居るから世界は乱れるんだって、お姉ちゃん…………っ!」
「ラ、ラルカちゃん!? 大丈夫!?」

 突然、頭を抱えて蹲ったラルカに、ルルカは慌てた。

「うん……ちょっと、頭が痛くなっただけ……それよりも早く逃げよう、お姉ちゃん」

 目尻に涙を滲ませたラルカの言葉に、しかしルルカは静かに頭を振った。

 歌姫は常に機奏英雄に従わなければならないし、『宿縁』は何よりも優先される。
 そんな事は、もちろんルルカだって思ってはいない。
 『宿縁』はお互いの合意ではなく、運命によって定められたものである。
 だから中にはソレを望まない人や、無理矢理押し付けられたと感じている人間も大勢居るのだ。
 中でも『自由民』のように、機奏英雄こそが災いの元凶として、その存在を根本から否定する集団すらある。
 実際、あの奇声蟲の正体は、蟲化してしまった過去の機奏英雄……現世人達なのだ。

(でも……わたしは………優夜さんに対する、わたしの想いは…………)

 髪の毛の上に残った、手のひらの感触……。
 その温もりを反芻するように、そっと肺の空気を吐き出す。

 ……自分の事を、大切に扱ってくれた人は、これまでにも沢山いた。
 もちろんルルカは、その人達に心から感謝している。
 けれども、こんな自分をからかってくれる人は、優夜しかいなかった。
 何より、彼を支える事が出来る歌姫もまた、自分しかいないのだ。
 胸の中で疼く、この不思議な感覚。
 誰かを支えて……支えられて……支えてみたいと願って………支えられたいと感じて………。
 これが『宿縁』の意味だというのなら、ルルカはこの運命を受け入れてみたかった。
 例えその先に待ち受けるのが、確かな破局だとしても……。

「ごめんね、ラルカちゃん。少なくともわたしにとって、この『宿縁』はそんなに悪いものじゃないみたい。
 だから一緒に逃げる事は、できないの」
「ルルカお姉ちゃん………」
「わたしは大丈夫。優夜さんと一緒だから、ね」

 実はそれが一番、安全の反対側だったりするのだが、こういう時こそ「女は度胸」だ。
 逃げるよりもまず、飛び込んでしまえ!
 ルルカは立ち上がり、踵を返した。
 自分が向かうべき、その元へ。

「ルルカおねえちゃん!」

 呼び止める声に、一度だけ振り返る。

「ラルカちゃんも記憶が戻って、ちゃんと『宿縁』の人と再会できたら、その人の事を大切にしてあげるんですよ!」

 泣き出しそうなラルカの瞳に、トゲのような痛みを感じながら……。

 ルルカは優夜の元へ、走った。



第三楽章   宿縁(終)


後書き
どうにかこうにか、第三楽章アップです。
この章は、かなり苦労しています。
原文のままだとオニのように長い文章で、半分近くは削っています。
つまり、それだけ無駄な文章が多いという事で………。
ひょっとしたら、まだ多いかも。
こういうのを「駄文」っていうんだろうなぁ〜、とか考えたり。
でも、この章は単なる「繋ぎ」ではなく、大きな意味があるんです。
それ故にタイトルが『宿縁』だったのですが………。

全ては終わった時に、評価が下される事でしょう。



登場人物・設定


天凪優夜   致命的にヤル気の少ない、19歳の機奏英雄。
       のほほんと、徒然なるままにアーカイアを探索中。
       一見、お人好しのようだが、本当にお人好しかどうかは意見が分かれるところ。
       困っている人を見ると、もっと困らせたくなるトラブルメーカー。
       現世に帰る事には、あまり執着心がない様子。


ルルカ    ヤル気はあっても致命的に体力の少ない病弱の歌姫。15歳。
       温かな家庭と家族に大切に育てられてきたが、いつも誰かの負担になっている事に、
       若干の心苦しさを感じていた。が、優夜の歌姫になった事で、状況は一変。
       誰かの負担になっていた日々から、全ての負担をその身に背負い、
       自分がしっかりしないとその日の宿さえままならない生活に突入する。
       毎日に張り合いが出来たのはいいが、果たしてそれが幸せなのか不幸なのかは微妙。
       最近、生来の病弱に加えて、頭痛・胃痛も絶えないらしい。


ラルカ    漆黒のローザリッタァの中で気を失っていた、記憶喪失の歌姫。
       銀色の長い髪と琥珀色の瞳を持った、推定年齢は十二歳前後の少女。
       記憶を失っているせいか、感情の起伏に乏しく、万事控え目気味。
       助けてくれたルルカを「お姉ちゃん」と慕う一方、優夜は若干苦手気味(?)




シャルラッハロート3  優夜の愛機。
            見た目は普通のシャル3だが、実は中身の普通のシャル3。
            幻糸炉もノーマル。
            右腕・ロンゴソード  左腕・マシンガン
            右肩・グレネード   左肩・???
            攻撃力偏重な上に重量オーバーな装備は、単なる優夜の趣味。
            戦術的には機動力の低下を招いているだけで、意味はない。

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