『お〜〜〜。見えてきた、見えてきた』

 茜が射す荒野を、軋んだ音をたてながら歩くシャル3から、弾んだ優夜の声が響いた。
 いつものように奏甲の左肩にちょこんと座るルルカも、視線を巡らしソレを見つける。
 このまま辿り着けなかったら、今日は野宿かと心配していたのだが、どうやら杞憂で済んだようだ。

「あ、アレですね」

 むき出しになった山肌の麓に佇む、小さな建物。
 その周囲から、薄い白煙が途切れる事なく立ち昇っている。
 いい雰囲気だった。まさに秘湯といった風情がある。
 無骨な岩肌も、鬱蒼と繁った深い森も、全てはこの雰囲気を盛り上げる為の舞台装置のようではないか。

『ルルカは沸々と込み上げてくる期待感に、その小さな胸を大きく含ませるのだった』
「ですから! 人聞きの悪いモノローグを勝手に口にしないで下さい!」


  ………『温泉』………


 この世界、アーカイアを語る上で『歌術』と『幻糸』と並び、決して外せないキーワードの一つである。
 中でもハルフェアでは王女自らが温泉の運営に力を注ぐほどの温泉好きで、その首都ルリルラは温泉街としても有名だ。
 ルルカももちろん、温泉が好きだった。
 広々とした露天風呂に身を浸し、白煙の彼方に霞む星々の輝きを眺めるのは、最高の贅沢なのだ。
 ましてやここの温泉は……その効能は………!

「お姉ちゃん。白い煙がいっぱい出ているけど、大丈夫なの……?」

 隣りに座るラルカが、不安げな面持ちでルルカの袖をギュッと引っ張る。

「大丈夫ですよ。あの煙は別に、危険なものじゃありませんから」
『そうそう。アレはむしろ、浪漫をかき立てる神秘の象徴だ』
「浪漫……神秘……?」
「ラルカちゃん。相手したらダメですからね。サラリと無視しちゃって下さい」
「?」

 ニコリとルルカに諭されて、ラルカは不思議そうに小首を傾げた。

『うわ〜、ヒドイ事をいうお姉さんだねぇ〜。お兄さん、泣いちゃうよ』
「ご勝手にどうぞ。ワンとでもニャ〜とでもモケケピロピロとでも、お好きなように鳴いて下さい」
『……ひょっとして、まだ怒ってる?』
「当たり前です! いつもいつもい〜〜〜っつも、無駄遣いはしないで下さいって言ってるじゃないですか!
 なのに何なんですか、これは!」

 バンバンと、肩に装備された増加装甲版を叩くルルカ。
 他にもコックピットの前面や、腰の周辺、足の脛などにも、平らな装甲版が貼り付いている。
 ルルカが温泉に想いを馳せているその隙に、優夜が勝手にシャル3の改造を整備場に依頼していたのだ。

『いや〜、試作の装甲版を、限定で切り売り販売してたもんだから、つい。
 こういうのも現世人の性っていうのかなぁ。オレって『限定』とか『初回特典』って言葉に弱いのよ。 
 それにコックピットに入った亀裂も、これで防げるかなぁ〜って』

 ヒクヒクと、ルルカのこめかみか小刻みに震える。
 まぁ、確かにコックピット部分の亀裂を塞ぐためというのは、判らないでもない。
 けれども肩やら腰やら脚部の脛にまで装着する必要が、一体どこにあったのだろう。
 見た目もスマートだったシャル3が、まるで牛乳パックで造ったハリボテ人形のようだ。
 いや、実際にハリボテだった。
 もう少しマシな表現を選んだとしても、せいぜい「ミノムシ」と言ったところだろうか。
 見っともない上に、しかも歩くたびにガチャガチャと装甲版がぶつかるので、やかましい事この上もない。

「素直にファルベに戻って、ちゃんとした整備場で直してもらおうとは考えなかったんですか?」
『ん〜〜〜。まぁ、それも考えたけど、なんか面倒臭いし』
「面倒臭いじゃありません!
 大体、こんなモノを買うお金なんて、どこから手に入れてきたんですか!」
『エドのオッサンに売りつけた、シュヴァルツローザの代金』

 サラリと返す優夜に、ルルカの青い瞳がまん丸に見開く。

「う、売りつけたって、タダで渡したんじゃなかったんですか!?」
『だって、勿体無いだろ? 折角、手に入れたモノを、タダで渡すなんて』
「……………ふぅ」
「わ、ルルカお姉ちゃん!?」
 
 不意に意識が遠のいた。
 優夜の厚顔ぶりは今日に始まった事ではないが、だからといって慣れるものでもない。

「お姉ちゃん、しっかりして………」
「ラルカちゃん……。間違っても、こんな大人になっちゃダメですからね」

 ラルカの手を握るルルカの目尻から、光る雫がハラリと流れた。



病弱姫に花束を   アナザー・メモリー

〜君が見る夢 詠う歌〜


第七楽章   白煙の彼方へ




 そもそもの発端は、昨日の出来事だった。

「温泉、ですか?」
「そう。温泉」
「………?」

 優夜の握る温泉宿のタダ券に、ルルカはいぶかしさな眼差しを向けた。

「どこで拾ってきたんですか、それ?」
「失敬な。これは町を救った英雄様へと住人の方々から戴いた、真心のこもったありがた〜〜〜い券だぞ?」
「町を救った英雄様……ですか」

 ルルカはラルカの頭を撫でながら、小さな吐息をついた。
 まぁ、たった一機で奇声蟲の大群に立ち向かった優夜は、少なくとも表面的にはそう見えなくもない。
 もっとも、衛兵の大半を倒し、貴族に深手を負わせたのはラルカであり、貴族にトドメを刺したのはエドだ。
 優夜が倒したのは、せいぜい衛兵が五〜六匹といったところである。
 それでも普段の優夜から考えれば、獅子奮迅の大活躍といえなくもないが、「町を救った」は過大評価も甚だしい。

「で、どうよ? ルルカも好きだろ、温泉?」
「それは、まぁ、好きですけど………」

 ルルカは渋い表情を作り、ツツっと視線をラルカの上に滑らせた。

「今はこの子の事もありますし、そんなにのんびりとしていて、いいのでしょうか?」
「こういう時だから、ゆっくりできる時はゆっくりするんだよ。人生、ほどほどに息抜きが必要だぞ」
「息抜きの合間に、ほどほどの人生を送っている人に言われても、有り難味のないお言葉ですけど………」
「みんなで温泉に浸かって、先日の激戦の疲れを癒す。美味しいものを食べる。親睦を深める。
 しかもタダ! この申し出を断る正当な理由なんて、このアーカイアのどこを探したって見つからないと思うけどなぁ」
「優夜さんは単に、遊びたい口実が欲しいだけなんじゃあ………」
「ラルカも行きたいよな? 温泉?」

 不意に話題をふられたラルカは、不思議そうな眼差しをルルカに向けた。

「お姉ちゃん?」
「はい。どうかしましたか、ラルカちゃん」
「オンセンって……何?」
「え!?」

 ルルカは目を丸くした。

「ラルカちゃん、もしかして温泉に行った事がないんですか?」
「………うん」
「なら、決まりだな。可愛いラルカに、初めての温泉を体験させてあげようじゃないか!」
「で、ですけど……!」
「え〜と、なになに……? ここの温泉の効能は……へぇ〜、リウマチ、高血圧、貧血か………」
「って、わたしの話しを訊いてますか、優夜さん!」

 もちろん、訊いてない。
 なおも渋るルルカの声を無視して、温泉を紹介するチラシの内容を読み上げる。

「血行を良くし、お肌をスベスベ、痛んだ髪もサラサラに潤します」
「そ、その程度の効能なんて、珍しくもなんとも……」
「尚、当温泉の最大の特徴は、お湯に含まれた幻糸による身体の活性化にあり、無駄な脂肪を燃焼させてスタイルを整えます」
「ありま……せ…………」
「同時に、歌術によって調整された成分が女性ホルモンを刺激し、胸の大きさに自信の持てないお方にもオススメ……」
 
 バッ!

 次の瞬間、ルルカは優夜の手からチラシをひったくった。
 観光客からオヤツを奪うサルですら、今の彼女の動きには感嘆を禁じえなかっただろう。そんな動きだ。
 ルルカは血走った眼を忙しく左右に走らせ、残りの文章を読み上げた。

「……当温泉を訪れたお客様の内、実に九割を越えるお客さまから感謝の声が届いております。
 最近、腰の周りの脂肪が気になる貴女。女性としての自分に、自信が持てない貴女。
 当温泉は、そんな貴女を心より歓迎いたします。
 引き締まったウェストとヒップ、女性としての魅力を整えたい方は是非、当温泉をご利用下さい……」

 ルルカは震える声で読み上げ、穴が開くような視線でチラシに印刷された写真を凝視した。
 この温泉を訪れた、胸の小さな女性の三ヶ月前の写真、二ヶ月前の写真、一ヶ月前の写真を………。

「………」

 ルルカは無言で、自分の胸に視線を落とした。
 控え目かつ前向きに表現するなら、『発展途上』なその胸に。
 そしてもう一度、温泉案内のチラシに視線を戻す。

「女を磨く秘湯中の秘湯。別名『エステの湯』……ですか………ふふ……ふふふふ」
「お、お姉ちゃん?」
「あ〜〜〜ラルカくん。少しそっとして置いてあげたまえ。特定の悩みを持つ女の子には、こうなる時期が必ずあるんだよ」
「?」

 と、優夜は一旦言葉を区切り、ルルカよりも更に控え目なラルカの胸に視線を落とし、慈愛に満ちた眼差しで言った。

「キミもあと数年経てば、判るようになる」

 首を傾げるラルカの背後で、ルルカの暗い含み笑いがいつまでもこぼれ続けた。


 こうしてルルカ、優夜、ラルカに、さらにエドとアルジェナも加えて、一拍二日の温泉旅行が決定した。


  ※  ※  ※  


 宿に到着し、荷物を置き、少し一服すると外はいつの間にか暗くなっていた。

「さて………」

 ルルカは静かに腰掛けていたベッドから立ち上がった。

「参りますか………エステの湯に!」

 握った拳から炎を巻き上げ、ルルカは高らかに宣言した。

「あら? さっそく入りますの?」

 と、こちらは悠然とあくびを噛み締めながら、背筋を伸ばすアルジェナ。
 ほんの少し背中を反らすだけで、ゆったりとした服の上からでもソレと判る、見事なプロポーションが浮き上がった。

「わたくしは、少し遠慮した方がよろしいのでしょうか。これ以上、大きくなったところで、邪魔なダケですし」

 瞬間、ルルカはキッと、殺人的な眼光をアルジェナに飛ばした。
 もちろん、その程度の眼光で、アルジェナの余裕は崩れない。
 薄く塗られたファンデーションは、紫外線と一緒に小娘の嫉妬を弾き返す効果があるのだろう。

「行きますよ、ラルカちゃん! 手遅れになる前に、わたし達の未来を勝ち取らないといけません!」
「……手遅れ? 未来???」
「いざっ!」

 ルルカはラルカの手を引いて、部屋から飛び出した。
 客室のある棟を抜けて、外に出る。
 すっかり暗くなった外の空気は少し肌寒かったが、これから向かう先を考えれば問題ない。丁度いいくらいだ。
 途中、すれ違う人影もなく、脱衣所に到着する。
 脱衣所にも人影はなかったが、代わりに何着かの衣服が置いてある。既に先客がいるらしい。

「………ふ、ふふふ。なんだか心臓が、ドキドキしてきました」
「お姉ちゃん、昨日からちょっと……変」
「変? 変ですって?」
 
 ルルカはうろんげな眼差しを、ラルカに向けた。
 怯えるラルカ。が、その表情を無視して、視線は首から下に移動し、胸の辺りで固定される。

「いいですか、ラルカ。特定の悩みを持つ女の子には、こうなる時期が必ず来るのです。そしてそれは近い将来、アナタにも!」
「それ、昨日お兄ちゃんも言っていた」
「そうですか。……ですが、ここに来た以上、明日からはそんな言葉は言わせません! ええ、言わせませんとも!」
「………お姉ちゃん、やっぱり恐い」
「怯える必要なんてありません。ちゃんと優夜さんには、覗いたら殺しますからねって、クギを刺してきましたから」

 ラルカが怯えているのは覗きではなく、ルルカのテンションなのだが……もちろん本人は気付いていない。

「優夜さんもそんな事はしない、する必要もないって………必要ないって、よく考えたらどういう意味なんですか、あの人は!?
 それってわたしには、覗く価値もないって事でありますでございますでかぁ!?」

 瞬間、ゴウゥとドス黒いオーラがルルカの全身から吹き上がった………ように見えた。
 今の彼女なら、奇声蟲だって逃げ出すだろう。

「………とにかく、まずはお風呂に入りましょう。さぁ、早く脱いで脱いで」

 ラルカを急かし、ルルカも自分の着衣に指を掛ける。
 ギラギラと輝く瞳は、露天風呂に入る女の子というよりも、復讐に狂った鬼女の眼差しに似ていた。
 と、ルルカの服から平べったい物がポケットから滑り落ち、甲高い音色が脱衣所に弾けた。

「あっ、大変………」
 
 ルルカは慌ててソレを……カスタネットを拾い上げた。

「お姉ちゃん、ソレは?」
「これは以前、エタファの街で優夜さんが買ってくれた楽器です。
 ……初めて買ってくれたプレゼントなんですから、どうせならもっと気の利いたものにして欲しかったんですけどね」

 言って、ルルカは苦い笑みをこぼした。
 まぁ、優夜にしてみれば、初めてのプレゼントなどという意識は、コレっぽっちも無かったのだろう。
 むしろあの時の状況を考えると、プレゼントというより嫌がらせに近いノリだったのだから(※キャラバン救出伝説編参照)。

「それでも、まぁ、プレゼントには変わりありませんけど」
「………お姉ちゃん、嬉しそう」

 呟き、ラルカの面持ちにあどけない笑顔がこぼれた。

「はい?」
「ルルカお姉ちゃん、嬉しそう。お兄ちゃんにプレゼントを買って貰えて、嬉しそう」
「え、えええっと、それは、まぁ、一応は………」
「お姉ちゃんが嬉しそうだと、ラルカも嬉しくなる………。
 だから……お姉ちゃんの嬉しい顔を見たいから、お兄ちゃんはプレゼントを買ってくれたの?」
「そ、そうかもしれませんね」

 ルルカは乾いた笑みを、引きつった面持ちの上に被せた。
 実際には、微妙〜に違うような気がしないでもないのだが、この笑顔を前にしては、あえて説明する必要もないことだろう。
 それにこういうものは、気持ちの問題なのだ、気持ちの。
 金銭的な価値や贈り物の使用目的は、このさい問題ではない。
 何より一番大切なのは、これが優夜が買ってくれた最初のプレゼントであるという、その事実に他ならない。

 ………だからこそ、まぁ、同じ歌術を高めるアイテムなら、指輪とか首飾りの方が嬉しかったりしたのだが。

「それでは、さっそく入りましょう」
「………うん」

 身体にタオルをグルリと捲いて、ルルカとラルカは露天風呂に足を踏み入れた。

 露天風呂は、ルルカの予想以上に立派な造りだった。
 十人以上が一度に入ってもゆったりできるスペースを持った、楕円形の浴場。
 風が吹き込むと白い湯気が途切れ、隙間から島のように浮かぶ巨大な岩が所々に確認できる。
 周囲は高い茂みに覆われていて、それが目隠しの代わりに利用されているのだろう。
 もちろん、屋根などついていない。
 見上げれば白煙の彼方に、二つの月が煌々と夜空を照らしている。
 まさに天然の露天風呂の醍醐味だ。

 ただ、問題があるとすれば………。

「よぉ。遅かったじゃないか、ルルカ」

 さも当然といった顔でお湯に浸かっている優夜と、

「コイツはいい湯だぞ、お嬢ちゃん」

 やはり同じように巨大な身体をお湯に沈めた、エドの姿だった。

 ルルカの額に、ピキピキと青い血管が浮かんだ。
 なるほど。確かにこれは覗きではない。覗きではないが……。
 ルルカは無言で、フロ桶を二つ掴んだ。
 と、振り返りざまに、二人の顔面に交互に投げつける。

 パッコーーーンッ! ×2

 湯煙に包まれた満天の星空に、木材の奏でる澄んだ音色が吸い込まれ、優夜とエドは派手な水飛沫を上げて転倒した。

「なんで優夜さんとエドさんがいるんですか!」
「………なんで、たってお嬢ちゃん」
「ルルカ。ここの風呂は混浴だぞ」

 赤くなった額と鼻を押さえ、二人は恨めしがまそうな眼差しをルルカに見せる。

「へ? 混浴……?」

 キョトンとした顔で、ルルカ。

「さてはお前、効能ばかりに目がいって、チラシをよく読んでなかっただろ。ちゃんと書いてあったぞ」
「え? え? え?」
「それからな、コイツは俺からの忠告なんだかな、お嬢ちゃん」
「は、はい?」
「………タオル、ずれてるぞ」
「へ?」

 ルルカは自分の胸元に視線を落とした。
 隠すタオルもなく、控え目に自己主張する双つのふくらみが、惜しげもなく晒されていた。
 童顔同様、幼さを残したその造型と、桜色に染まった双丘のいただき。
 ある種の趣向を持つ方々にとっては、その理想的なバランス感に滝のような涙を流す事だろう。
 なおも視線を落せば、なだらかなウェストの辺りもタオルの庇護から外れていた。
 なにせ彼女を包んでいたハズのタオルといえば、今やは僅かに腰の辺りに引っ掛かっている程度だったのだから

 と、その最後の引っ掛かりが滑り落ちようとして、

「…………!」

 ルルカは声にならない悲鳴を上げて、ペタンとその場にしり餅をついた。
 誰が悪いワケではない。
 強いて責任を追求するなら、迂闊な過ちを犯した自分自身が悪いのだ。
 そう言い聞かせようとルルカであったが……何故だろう。
 腹の底から螺旋となって吹き上げてくる、ドロドロとした不条理感は?

 そして、優夜はにこやかに告げた。

「いや〜。前からそうじゃないかと思っていたけど、やっぱルルカの胸は小さいな」


     バキィッッッ!


 瞬間、優夜の顔面で、木製のフロ桶が木っ端微塵に砕け散った。
 フロ桶にどれほどの運動エネルギーを与えれば、そんな芸当が可能なのだろう。
 優夜は一瞬、硬直し、まるで沈み行く豪華客船のように反り返ると、そのまま湯船の底に轟沈した。
 
「おい。お前ら………」

 と、そこへ湯船の奥から先客と思われる、まだ少年といっていいくらいの若い男の声が届いた。

「フロぐらい静かに入れないのか。騒々しいぞ」
「す、すみません!」

 ルルカは謝罪し、タオルを直すとラルカの手を引いて湯船の中に退避した。
 混浴である以上、優夜やエド以外の『男性』いても不思議ではない。
 幸い先客の少年は岩陰の裏に居たらしく、何も見ていない様子だった。
 そう考えると、ルルカの鼓動も少しだけ落ち着きを取り戻した。

「ブラーマ。俺はもう上がるぞ」
「なに!? もう上がるのか、レグ!? も、もう少し入らないか? ここのお湯は……その……身体にいいのだぞ?」

 ブラーマと呼ばれた少女の、心持ち上ずったがルルカの耳に聞こえた。おそらく少年の『宿縁』の歌姫なのだろう。

「もう充分に浸かった。そんなにこの湯が気に入ったなら、お前はここに残ればいい。俺は部屋に戻る」
「そ、そうか。わたしはもう少し女を磨き………いや、なんでもない」

 どこか残念そうな声で、ブラーマ。

 そしてレグと呼ばれた少年がルルカの前に姿を現し、ルルカは胸の辺りを慌てて隠した。
 レグはそんなルルカを、まるで道端に転がっている石コロていどの注意も向けずに通り過ぎる。
 気を使っている……と、いった感じではない。まるで興味がないといった横顔だ。
 この状況で、異性にここまで無関心に振舞われ、ルルカはちょっぴり暗い顔をした。
 ただ、少し驚いたのは、少年の身体には無数の傷跡が刻まれていた事だ。

 と、湯船の中で、レグの脚が止まった。
 その猛禽類にも似た鋭い眼差しが、警戒するように脱衣所の方向に向けられる。

「こ、混浴だなんて、私は訊いていませんよ、ベルティ!?」
「別にいいじゃない、桜花。そんな些細な事は。
 それにひょっとしたら、すっごくカッコいい機奏英雄に逢えるかもしれないし。ねぇー、シュレット」
「ハァ〜。どうしてそういう話題を、僕にふるかなぁ」

 どうやら新たに三人の客が、脱衣所から現れたらしい。

「…………この声は」

 レグの表情が微かに動き、両肩にまとっていた警戒心が徐々に薄れてゆく。

「奇遇だな、桜花。貴様等もここに来ていたとは」
「! レ、レグニス!? どうしてあなたがココに!?」
「え、レグニス!? キャァー! 本当だぁ! やっぱ私とレグニスって『宿縁』で結ばれているのよ!」
「バカな事を言うなぁ! レグの宿縁は、このわたしだ!」
「あ、ブラーマさん。お久し振りです」

「???」

 その光景に、ルルカは首を捻った。
 どうやら三人と二人は、知り合い同士だったらしい。それは判る。
 が、「レグニス」と「ブラーマ」という名前に、どこか心当たりがあるような気がしたのだ。

「……って、あああっ!」

 突然、ルルカは素っ頓狂な声を上げた。
 何事かと、五組の眼差しがルルカに集る。

「レグニスさんって、ひょっとして以前、奏甲バトルで優勝された、あの「レグニス」さんですか?」
「………確かに以前に一度、大会で優勝した事があるが」(※新見忍氏著 「姫達に送る前奏曲」参照)
「実はわたしと…………」

 優夜さんは、その大会でアナタと戦った相手なんです。
 と、言いかけたところで、ルルカは冷たい汗を頬に流して凍りついた。

 アレは……あの戦いは……なんというか、奇声蟲と一緒に『幻糸の門』の向こう側に封印したくなるような記憶だったのだ。
 正体を明かしたら、絶対に軽蔑される!
 ルルカは視線をナナメにずらし、この場をどう取り繕うかを必死に思案しはじめた。

「いやぁ〜〜〜。奇遇だね、レグニスくん。覚えている? 君とあの大会で戦った、機奏英雄の天凪優夜だ」
「って、人がせっかく誤魔化そうと思っていたのに、どうしてバラしちゃうんですかぁ!」

 いつの間やら湯船の底から復活して、レグニスの肩を馴れ馴れしそうに叩く優夜。
 レグニスは気付かない内に背後を取られていた事に軽く眉を動かしつつ、記憶の棚からその固有名詞を検査する。
 ほどなくして、検索結果が出たらしい。

「天凪……優夜だと………? 貴様、あの時の道化か」
「わたしも思い出したぞ。決勝戦で戦った、あのロクに剣も交えようとしなかった、腰抜けの機奏英雄だな」

 露骨な嫌悪感を眼差しに乗せて、吐き捨てるような口調で、レグニスとブラーマ。

「嫌だなぁ〜、レグニスくん。あれは戦術。ああやってキミの頭を沸騰させて、隙を誘う作戦だったの」
「………ウソばっかり。優夜さんはあの時、本っっっ気で逃げ回っていたじゃないですか。<ケーブル>でそれが良く判りましたよ」
「その表現には語弊があるぞ、ルルカ。刹那の見切りで躱していたと、言ってもらいたいものだね」
「見切れてなかったじゃないですか!」
「それはルルカが途中で貧血を起こして、ダビングシステムが立ち上がる前にの隙を突かれたからだ」
「わ、わたしが悪いっていうんですか! あの決勝戦って、歌姫は特別ステージの上に立って歌っていたんですよ!?
 あ、あの時にわたしに向けられた好奇と野次と嘲笑の眼差し………死ぬほど恥しかったんですから!」


「ねぇ、桜花。この人たちって、誰?」
「記憶にありません。あの大会の決勝戦は、見逃してしまいましたから。そういうベルティーは、見ていなかったのですか?」
「あははは〜。あの時、私は別の機奏英雄を物色中だったから」
「ハァ〜。あなたという人は………」
「あ、僕は見てたよ。なんていうか……物凄く変な決勝戦だったから、強烈に記憶に残ってる。
 あの天凪優夜って人、本当に全然、戦う気がなくって、闘技場の中を物凄いスピードで逃げ回るんだもん。
 僕、シャル3があんなスピードを出せるなんて、知らなかったよ。駆動系に、何か特別なチューンでもしているのかなぁ」
「闘技場の中を逃げ回るだなんて………」
「なんなのよ、ソレは………」
「でね、レグニスさんも追い掛けるんだけど、全然攻撃が当たらなかったんだぁ。
 あのレグニスさんのフェイントや連撃を、本当に紙一重で切っ先を躱してたの。泣き叫びながら。反撃は、全然しなかったけど」
「それは……凄いと思うべきなのか、呆れるべきなのか、判断に迷いますね……」
「私は多分、呆れる方だと思うけどなぁ〜。だってあの顔、全然締りがないし」
「ベルティーの基準って、結局はソコなんだよねぇ」


「もういい。とにかく俺は上がるぞ、ブラーマ」
「あ、ああ、判った。わたしは……もう少し残る。桜花たちとも、久し振りに話しがしたい」
「好きにしろ。だが、あまり長湯をしすぎると……そこの道化がうつるぞ」
「判っている。わたしも腰抜けは、御免だ」


「ったく、失礼な連中だねぇ〜」
「そうでしょうか。わたしは全く反論できないと思いますけど」
「うつるうつるって、オレは保菌者じゃないっつーの。保菌者はむしろ、ルルカなのになぁ?」

 ゴスッ!

 ルルカは無言で優夜の後頭部に、フロ桶の角を叩き込んだ。



病弱姫に花束を   アナザー・メモリー

〜君が見る夢 詠う歌〜


第七楽章   白煙の彼方へ(終)



後書き
……まずは謝罪から。
新見さん、チキンさん。お二人のキャラを使わせていただきましたが、怒ってませんよね?
口調とか性格とか、変なところはなかったでしょうか?
優夜と桜花・レグニスの二人は、新見さんのクロスの中で奇妙な縁で繋がっていたので、
ソレを利用させていただきました。
次回から、この二人の戦闘力が必要となってくる………展開のハズです。多分。
なので、生暖か〜〜〜い視線で眺めてくれると、嬉しかったり。

それでは次回をお楽しみに。
ではでは。



登場人物・設定


天凪優夜   致命的にヤル気の少ない、19歳の機奏英雄。
       のほほんと、徒然なるままにアーカイアを探索中。
       一見、お人好しのようだが、本当にお人好しかどうかは意見が分かれるところ。
       困っている人を見ると、もっと困らせたくなるトラブルメーカー。
       機奏英雄としての戦闘力は、平均値を遙かに下回る。
       現世に帰る事には、あまり執着心がない様子。
       実は美人には弱いらしい……?


ルルカ    ヤル気はあっても致命的に体力の少ない病弱の歌姫。15歳。
       温かな家庭と家族に大切に育てられてきたが、いつも誰かの負担になっている事に、
       若干の心苦しさを感じていた。が、優夜の歌姫になった事で、状況は一変。
       誰かの負担になっていた日々から、全ての負担をその身に背負い、
       自分がしっかりしないとその日の宿さえままならない生活に突入する。
       毎日に張り合いが出来たのはいいが、果たしてそれが幸せなのか不幸なのかは微妙。
       最近、生来の病弱に加えて、頭痛・胃痛も絶えないらしい。


ラルカ    漆黒のローザリッタァの中で気を失っていた、記憶喪失の歌姫。
       銀色の長い髪と琥珀色の瞳を持った、推定年齢は十二歳前後の少女。
       記憶を失っているせいか、感情の起伏に乏しく、万事控え目気味。
       助けてくれたルルカを「お姉ちゃん」と慕う一方、優夜は若干苦手気味(?)


エド     身長二メートルを越える筋骨隆々の機奏英雄。49歳。
       元の世界では長年、軍で航空機の整備部隊に勤務し、将校にまで昇進した。
       機械いじりが好きだが、本当はパイロットになりたかったらしい。
       アーカイアに召喚されてしばらくは、機械いじりの腕を見込まれ『黄金の工房』で
       新型奏甲の開発・研究に携わっていた。
       『黄金の工房』が『無色の工房』に独立した後、トラベラーになる。


アルジェナ  エドの歌姫。23歳。
       他人の『死』を見ることに異常な興味を示す、変わり者の歌姫。
       様々な『死』を研究して、自分自身の理想的な『死』を実践するつもりらしいが……。
       黙っていればそれなりの美人なのだが、口を開くと誰もが引く。
       最近は『宿縁』であるエドの、その溢れんばかりの生命力に興味をそそられている。
       この巨漢の男がどんな死に様を見せるのか、興味津々であるらしい。


シャルラッハロート3  優夜の愛機。
            見た目は普通のシャル3だが、実は中身も普通のシャル3。
            幻糸炉もノーマル。
            右腕・ロンゴソード  左腕・マシンガン
            右肩・なし      左肩・???
            肩のグレネードを外して増加装甲を貼り付けた結果、防御力が若干向上している。
            が、相変わらず重量オーバーの為、機動力の低下は否めない。


シュヴァルツローザ   ラルカが乗っていた漆黒のローザリッタァの正式名称。
            その開発理念は、「歌姫のみで稼動し」「評議会の新型奏甲を撃破できる優位性を獲得した」
            「量産が可能な対奏甲戦用突撃型絶対奏甲」。
            基本フレーム・幻糸炉を含む七割以上のパーツは、通常型のローザリッタァと共通化されているので、
            幻糸精度・転嫁率・装甲値は通常型と変わらない。
            「ハウリング・システム」を搭載する事により、常に『ザ・トッカータ』が掛かっている状態で稼動する。
            主兵装は両腕に内蔵されたマシンガンと、両手用の巨大な鎌。
            システム上、ノイズに弱いという弱点を持つ。


ビリオーン・ブリッツ  エドの絶対装甲。
            長旅続きでソロ活動の多い、トラベラー用の機体として改良された機体。
            幻糸炉の戦闘出力を20%低下させ、稼働時間の向上が計られている。
            また出力低下による機体への負担が低減している事から、稼働率・整備性・操縦性も改善されている。
            反面、純粋な戦闘性能は低下しており、エース機としての優位性は失われてしまった。
            「だったら何の為のエース機か?」という疑問も生まれるのだが、
            複雑な高性能機をマイナーチェンジさせて扱い易くするのは、元整備兵としての性。
            主な兵装は、両手持ちの『トゥーハンドブロードソード』。
            両肩に『アーマープレート』。
            『ツインコックピット』も搭載している。

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