「……………」

 薄い闇に浸された部屋の中で、レグニスは静かに佇んでいた。
 気配はもちろん、殺気も、微かな息遣いすら感じさせない、完全な穏行の術。
 閉ざされた二つの眦は、しかし同じように部屋の奥に佇む、もう一つの人影を捉え続けている。
 
 開放された窓から、微かな冷気を乗せた風が流れ込んだ。
 淡い月明かりを浴びたカーテンが、夜を統べる女王のレースのように闇に広がる。
 瞬間、薄く開いたレグニスの唇から微かな吐息が滑り、青白い光りを反射する二本のナイフが音もなく闇へ吸い込まれた。

 トスッ! トスッ!

 二本のナイフは、ほぼ同時に、人影の咽と心臓を貫いた。
 だが、奇妙な事に、その人影はまるで何事もなかったかのように呻き声すら漏らさず、微動だにもしない。
 
 風が止まった。
 膨らんでいたカーテンがしぼみ、ゆっくりと窓枠に戻る。
 雲の隙間から顔を覗かせた月の輝きが、まだ少年といっていいレグニスの横顔を煌々と照らした。

「……………で、何をやっているのだ、レグニス?」

 差し込む月明かりすら息を潜める静寂の中で、何かを押し殺すように震える声に、レグニスの瞼をゆっくりと開かせた。
 闇の中でなければ、その少女が眉間にシワを寄せて呆れている事が、誰の目にもハッキリと判っただろう。
 もっともこの程度の闇の中、レグニスに明かりなど必要ない。
 むしろレグニスに必要なのは、対人関係に関する一般常識全般である。
 だから本気で、彼は言うのだ。

「わざわざ説明の必要があるとも思えないが……。見ての通り、日常の鍛錬だ。付け加えるなら、投げナイフのな」
「……………」

 ブラーマは無言で深いため息をもらし、部屋の中の明かりを灯した。
 彼が、何時、如何なる場所でも鍛錬を欠かさないのは、ブラーマもよく知っている。
 以前、観光名所で有名な海岸に「休養」で訪れた時ですら、レグニスは全くレグニスだった。
 たまたま近くを通った温泉宿に入ったぐらいで、特別な何かが起こるなどと、期待する方が間違っているのだ。

 部屋の片隅で一ダース以上のナイフが刺さった、「標的2号」と書かれた等身大の人形を眺め、ブラーマは深くそう思った。

「桜花達との話は済んだのか」
「ああ」
「………」
「………………」

 短い問い掛けに、短く返事を返す。そして、沈黙。
 必要最低限のコミュニケーションで成り立つこの空間に、色気などが介在する余地はない。
 少なくとも「宿縁」の片側は、色気という言葉の存在を知っているのかどうかすら、疑わしい。

(やはり期待する方が、間違っていたのだ)

 ブラーマは自分が不毛な思考の砂漠に片足を踏み込んでいるような危険を悟り、唇を結んだままベッドの上に腰を掛けた。

(せっかく、ベルティーから香水を借りたのだが………)

 肌の上から微かに漂う、気品の感じられる薔薇の香り。
 しかし彼女の機奏英雄には、この香りも敵に感知されてしまう不必要な香りでしかないのだろう。
 窓の外を眺めるレグニスの横顔に、ブラーマは心の中で知る限りの呪詛の言葉を投げつけた。
 と、その思考を途中で中断する。

(いや、待て。例えレグニスが朴念仁であったとしても、気付いてもらうまで黙っている考え方が間違っているのではないのか?
 気付かないのなら、気付かせればいいのだ。……そうだ。そうに違いない!
 期待などするな。行動に移すのだ。ヤツがコチラを向かないのなら、首に縄を巻いてでも振り向かせればいいのだ!)

「(スゥ〜〜〜)レグ………」
「ブラーマ」

 呼びかけは、全くの同時だった。
 ブラーマは一瞬、心臓が飛び跳ねそうになったが、レグニスは構わず言葉を続ける。

「直ぐに支度を整えろ」
「支度……だと? 今日はここに泊まる予定ではなかったのか?」
「その支度ではない」

 レグニスは視線を、窓の外からブラーマに移した。

「戦闘の支度だ」
「! まさか、ヤツが来たのか!?」

 ブラーマは腰を浮かせた。が、そんなブラーマをレグニスは制する。

「……いや、違う。あの男なら、この距離から俺に気付かれるほど迂闊ではない。だが、どこの誰であろうと、この俺に刃を向けるというのであれば………」

 レグニスの瞳が、薄い光を放った。
 その輝きに触れる者は、誰であろうと容赦なく斬り捨てるであろう、鋭利な光りを。

「俺の……敵だ」




病弱姫に花束を   アナザー・メモリー

〜君が見る夢 詠う歌〜


第八楽章   終曲への序曲




「………と、いうわけなんです。ヒドイ話しだと思いませんか?」

 湯船の中に半身を浸し、ツンと唇を尖らせながら、ルルカは三人のトラベラーにこれまでの体験談の幾つかを語った。

「護衛の依頼を引き受けながら、逃げ回っているだけなんて………」と、桜花。
「わ、私、奇声蟲の卵だけは食べたくないわ………」と、ベルティーナ。
「そんなに頻繁に奏甲を壊されたら、僕、過労死しちゃうかも………」と、シュレット。

 三者の眼差しが音も無く移動し、少し離れた場所でのほほんと鼻歌を唄う一人の機奏英雄に向けられる。

「オレのマシンは〜♪ 幻糸の3重織り〜♪」

 旋律も音程も無茶苦茶な歌を、恥しげもなく唄い続ける優夜。
 と、三人の眼差しに気付き、ヘラヘラと締りのない笑みを浮かべて手を上げる。
 もはやルルカには、ツっ込む気力もない。
 
「アレを見ていたら、私の宿縁がまだ桜花で良かったって、本気で思えてくるわ」
「ベ、ベルティー! いくらなんでも失礼ですよ!」
「いいですよ、桜花さん。わたしの苦労が少しでも判ってもらえただけで、嬉しいんです」
「うわぁ〜、健気。ねぇ、桜花。桜花も私の苦労、少しは判ってぇ〜」

 ベルティーナは唐突に甘い声を上げると、桜花の背中に抱きついた。

「きゃぁ! い、いきなり何をするんです、ベルティー!?」
「だって……桜花ったら私の淋しさを、少しも判ってくれないんだもん」
「ふ、ふざけないで下さい、ベルティー!」

 桜花は真っ赤になってベルティーナを引き剥がそうとするが、お湯の中で暴れているせいか、思うように引き剥がせない。
 それをいい事に、ベルティーナが桜花のあちこちをまさぐる。
 と、その細い腕が胸の位置に回された瞬間、形の整ったベルティーナの眉が吊り上がった。

「って、ちょっと桜花! 何よこの胸のサイズは! 前よりまた少し大きくなってるじゃないの!?」
「そんな恥ずかしい事を大声で叫ばないで下さい! 向こうには男の方も居るんですよ!」
「そんなの知らな〜い。っていうか、私の胸じゃないし〜」
「ベルティー!」

 ザブン、ザブンと揺れる湯船。
 じゃれ合う子猫のように、絡み合うしなやかな肢体と長い黒髪が、夜空の下に浮かび上がる。
 そんな二人をルルカは眺め、「ほぅ」と小さな吐息をこぼした。
 ルルカから見れば、二人とも立派なプロポーションの持ち主だった。
 この二人に比べたら、自分なんか背も低いし手足も短く、鼻も低いし何より胸も小さい。

 つまり女性として、遙かに劣っているのである。

(そういえば、訊いた事があります。機奏英雄の方々、胸の大きな歌姫を好むって………)

 ルルカは自分の胸を見下ろし、ズ〜〜〜ンと頭の上に鉛が落ちて来るのを感じた。
 だからこそ『エステの湯』に来たのだが、目の前で抜群のスタイルを目の当たりにすると、自信も無くすというものだ。
 そんなルルカに、苦笑いを浮かべたシュレットが近づく。

「ゴメンね、ルルカちゃん。二人とも、いっつもこんな感じだから」
「あ、いいえ、そんな事ありません」

 手と首を同時に振って、恐縮するルルカ。
 どうやら向こうは向こうで、色々と大変らしい。
 もっとも苦労しているのは歌姫の方ではなく、機奏英雄の方らしいが。

 チョイ、チョイ。

「ルルカお姉ちゃん……」
「はい? どうかしましたか、ラルカちゃん」

 振り返るルルカの胸に、シュレットから隠れるようにラルカが抱きついた。
 ルルカと桜花達がずっと話し込んでいたので、声を掛けづらかったらしい。
 そんなラルカに、ルルカは優しく微笑む。

「ラルカちゃん。そろそろ身体を洗いましょうか?」
「………うん」

 コクリと頷くラルカの手を引いて、ルルカは湯船から上がった。




「それにしても、ラルカちゃんのお肌は本当に真っ白なんですね」
「………そうなの?」
「はい。ちょっと、羨ましいくらいです」
 
 言いながら、ルルカは泡だらけになったラルカの身体を、ゴシゴシと力を入れて手拭で洗う。
 白磁のような肌とは、こういう肌を言うのだろう。
 うなじから背中にかけての滑らかな曲線に、薄くサクラ色に上気した細い肩。
 触れれば文字通りスベスベで、無駄な贅肉など一欠けらも見当たらない。
 長い銀色の髪もクセがなく、今はお湯で湿っているものの、乾かせば銀糸のように指の隙間を流れ落ちるほどサラサラなのだ。
 顔立ちだって、充分に可愛い。
 後、五、六年も経てば、同性からでもため息がこぼれるような美人になる事は間違いない。

「それじゃあ、洗い流しますよ」
「うん………」

 ザァァァーーー。

 頭から桶を傾けると、白い湯気が小さなラルカを包み込む。
 やがて夜気を運ぶ小さな風が蒸気を拭い、シミひとつないラルカの肢体が浮かび上がった。

「と、首の後ろに、まだ泡が少し残ってますね」
「………?」
「ちょっと待って下さい。もう一度、洗い流します」

 言って、ルルカは長い銀髪をルルカは持ち上げ、もう一度お湯を掛け直し………。

「………!」

 瞬間、ルルカは瞳を凍りつかせた。
 ラルカの首の後ろ……豊かな銀髪の下に、奇妙なアザが浮かんでいたのだ。
 温泉に入った事で肌が温まり、浮かび上がってきたのだろう。

 それはまるで、何かの呪印のようにも見えて………。

(彼女の身体に、呪印みたいな妙なアザはできてなかったか?)

 不意に、エドの言葉が呪いのように蘇える。

(回収されたローザの乗っていた歌姫には、全身に呪印が浮かんでいたんだ。
 どうやら搭乗していた歌姫は、歌術的にもシステムに拘束されるみたいでな。
 逆流したシステムの負担が精神的、肉体的に歌姫を侵食するらしい)

「そんな、まさかこれが………」

 震える指先で、小さなアザの表面をそっとなぞる。
 首筋を撫でる夜の風が、おぞましい冷気のように鋭く寒い。
 これがエドの言う呪印かどうか、ルルカには判らない。
 だが、もし仮にコレが呪印だとすれば、その意味するところは………。

(仮にその歌術がアザになって浮かんでいるようだったら、その歌姫は長くない)

「? どうしたの? ルルカお姉ちゃん?」
「え? あ、いえ。なんでもありません! なんでも………」

 言って、笑おうとして……ルルカは笑えなかった。
 トクン、トクンと高鳴る胸騒ぎに、軽い目眩すらルルカは感じた。

 と、その時だった。

「逃げろ! お嬢ちゃん!」

 エドの叫び声に、轟音が重なった。

 バキバキバキバキッ!

 ソレは巨大な鎌で垣根を薙ぎ払うと、露天風呂へと雪崩込んだ。
 巨大な脚が、一抱えほどある岩石を小石のように蹴飛ばし、優雅な露天風呂を一瞬にして瓦解する。
 桜花達三人が、すぐさま湯船の中から飛び出した。
 優夜も慌てて、バラバラと降り注ぐ木片の雨から身を隠す。
 月明かりに浮かんだ漆黒のシルエットは、頭部から左右に伸びた特徴的な二本の角を持っていた。
 ゴツゴツとした、無骨なデザイン。
 両腕に内蔵された、禍々しい光りを放つ二門の銃口。

「シュヴァルツローザ………」

 呻くように、ルルカの咽がその名前を搾り出す。
 見間違えるハズもない。
 露天風呂に雪崩込んで来たのは、漆黒の奏甲・シュヴァルツローザだった。
 
 それも、一機だけではない。

「ルルカお姉ちゃん、アッチ……!」
「二機……違う、三機も!?」

 ラルカが示した方向に、ルルカは更に三機の奏甲を見つけ、顔色を蒼くした。
 たった一機で貴族すら圧倒できる絶対奏甲が、同時に四機も現れたのだ。
 何の為に?
 自問したルルカは、直ぐにその答えに突き当たった。
 考えるまでもない事だ。
 アレが襲ってくる理由があるとしたら、それは銀髪の少女の以外にあり得ないではないか!

「チッ。なんて非常識な奴らなんだ!」
「あ、優夜さん!」
「優夜お兄ちゃん」
「風呂に入りたいなら、奏甲ぐらい脱ぎやがれ!」
「言うと思ってました、ソレ」

 ルルカは思わず片手で顔を覆った。
 こういう状況でも優夜のボケに反応できてしまうのでは、日頃の慣れの影響なのだろう。
 全く、慣れというものは恐ろしい。
 すると優夜の声が聞こえたのか、露天風呂に乱入したシュヴァルツトーザの頭部が、ゆっくりと優夜達を指向した。

「と、彼女が言っていました」
「言ってません!」
「バカ野郎! 何を突っ立ってやがる!」

 唐突に脱衣所の方角から届いたエドの怒声が、三人の首を同時に竦めさせる。

「お嬢ちゃんはちっこいお嬢ちゃんを連れて後方に下がれ! ボウズは奏甲を起動させろ! 直ぐにだ!」
「え〜〜〜。オレ、アレと戦うの? まだ遺書も用意していないのに?」
「遺書も遺族への手紙もわたしが書きますから、とにかく優夜さんも急いで下さい!」

 ルルカの剣幕に背中を蹴飛ばされ、優夜が渋々と走り出す。
 
「わたし達も行きます、ラルカちゃん!」
「で、でも………」
「いいから早く!」

 ラルカを引っ張るように、ルルカも脱衣所へ駆け出した。
 もちろん、着替えているヒマなどない。
 取りあえず着替えだけ胸に抱えて、そのまま奏甲が置いてある棟へと急ぐ。
 脱衣所を飛び出した瞬間、脱衣所の屋根がバラバラに吹き飛んだ。
 追いかけてきたシュヴァルツローザが、鎌で天井を吹き飛ばしたのだ。
 この状況でマシンガンを使用しないのは、やはり殺戮が目的ではないからだろう。
 角の生えた頭部をゆっくりと巡らし、ラルカを見つけ、瓦礫の上にその足を踏み出す。

 カツンッ……。

 不意に背中の石畳から、場違いに澄んだ音色がひとつ、弾けた。

「あ……!」

 短い声をもらしたのは、ルルカではなくラルカだった。

「お姉ちゃんのカスタネット……!」
「ラルカちゃん!?」

 ルルカの制止を振り払って、ラルカが石畳に転がるカスタネットを拾いに走る。
 それはルルカにとって、全くの予想外の光景だった。
 あのカスタネットは自分にだけ意味がある代物なのに、よりにもよってラルカが取りに戻るなんて!

「拾った……!」

 カスタネットを手に取り、小さく破顔するラルカ。
 と、ラルカの背後で、シュヴァルツローザの踏み出す巨大な脚が、不気味な地響きを轟かせた。
 自分の背後を、呆然と見上げるラルカ。
 その怯える瞳に最後に映ったものは、自分に向かって伸びてくる、夜の闇よりも漆黒に彩られた巨大な手だった。


 ルルカよりも大きくて、優夜よりも力強い、巨大な手。
 けれども、温か味のカケラも感じられない醜い手。
 グッタリと俯くラルカの手のひらから、小さなカスタネットがこぼれ落ちる。


 それは石畳の上で弾け、短い別れのリズムを「タンッ」と刻んだ。


「ラルカーーー!」

 裏返ったルルカの悲鳴が、月の夜に虚しく弾けた。




「何をやってるお嬢ちゃん!早く逃げろ!」
「エドさん! でも、ラルカが!」
「チッ! とにかく生身じゃどうしようもねぇ! お嬢ちゃんの機奏英雄を取り返させるんだ!」
「優夜さんに!? で、でも!」
「でもじゃなねぇ! 今はソレしかねぇーだろ! と、危ねぇ!」

 ズダダダダダッ!

 突然、ルルカは轟音に包まれ、大地が揺れるほどの衝撃を感じた。
 一機のシュヴァルツローザから、マシンガンによる機銃掃射が放たれたのだ。
 対絶対奏甲用に威力調整された銃弾は、人間の身体など一発でバラバラに粉砕できる。
 ラルカという目的を回収した以上、もはやソレを行使するのに遠慮はなくなったらしい。
 堰を切ったように無数の銃弾が周囲に着弾し、レンガが弾け、土煙が舞い上がった。
 まるで鐘楼の中に閉じ込められたような、自分の悲鳴すら聞こえない騒音に、破れる寸前の鼓膜が悲鳴を上げる。

 と、不意に銃撃が止まった。

「……………?」

 恐る恐る顔を上げるルルカ。
 その眼差しの先で、一機のシャル3がシュヴァルツローザを押さえ込んでいた。
 一瞬、優夜が助けに来たのかと思ったが、それは違った。
 自分はまだ、彼の為の<織歌>を紡いでいない。

『ふん。貴様等の目的は、俺の命ではなかったようだな』
「レグニスさん!?」

 奏甲から響く聞き覚えのある声に、ルルカは眼を丸くした。

『だが、俺に刃を向けた以上、貴様等は俺の………敵だ』


  ※  ※  ※  


「これは思っていた以上に、手強い相手ですね」

 ローザリッタァのコックピットの中で、桜花は冷たい汗を背中に貼り付かせていた。
 これほどのプレッシャーを感じたのは、あの奏甲大会でレグニスと対戦した時以来だ。
 
『ちょっと、何なのよ、コイツは? 同じローザリッタァなのに、どうしてこんなにパワーもスピードも違うのよ!』

 <ケーブル>から伝わるベルティーナの声も、その異常な性能差に震えている。
 当然といえば、当然だろう。
 正面に対峙する、漆黒の同型機。
 だがその性能は、桜花の乗るソレを遙かに凌駕しているのだから。

「落ち着いて、ベルティー。冷静さを失った時点で、この戦い……負けるわ」

 桜花の呟きは、半分以上は自分自身に向けられたものだ。
 不意にあの戦いの後、レグニスに諭された言葉が脳裏を過る。

「負けが負けで済むうちに………か。今日の戦いは、負ければ次はないようですね」

 既に何度も、コチラに戦う意志がない事を伝えている。
 戦いが恐いからではない。戦う理由がないからだ。
 が、返ってきたのは無言の刃だった。
 金品だけが目当ての野盗とは思えないが、話し合う意志は全くないらしい。
 これ以上、刃に躊躇を乗せて戦えば、やられてしまうのは間違いなく桜花自身だ。

「では、私もそろそろ本気を出せていただきますよ」

 先に動いたのは、しかし漆黒のローザリッタァ。
 大地が揺れるような踏み込みと同時に、巨大な鎌を真横に払う。
 その速度は並みの操縦者なら、何が起こったのか判らないまま機体ごと両断されていただろう。

 その薙ぎを桜花は紙一重のタイミングで見切り、機体を下方へ沈ませた。
 長い角の表面を刃が掠め、青白い火花がパッと飛び散る。

 鎌の間合いは長い。
 後方に回避したところで、次々と連撃を浴びせられるだけだ。
 薙ぎを躱しつつ間合いを詰めるのなら、その方向は下方へしかあり得ない。
 ましてや銃器を装備していない桜花にとって、銃撃戦に持ち込まれたら勝負にならない。

 だが、敵奏甲の反応速度も尋常ではなかった。
 左方向に空振りした鎌を即座に切り返し、稲妻のように振り下ろす。

 その一撃を、桜花は右の一刀で弾いた。
 刹那、ガラ空きになった懐へ、左の一刀で突きを放つ!

「せいっ!」

 紅野流総合武術奥義・『木間(このま)』

 薙ぎを下方に躱し、次に来る一撃を左右いずれかの一刀で弾きつつ、刺突を繰り出す。
 相手が手錬である事を前提にした、二手先を読んだ紅野流奥義の一つだ。

 が、驚くべき事に、敵もこの一撃を予期していたのか半身を捻って刀身を躱し、逆に桜花の即頭部を鎌の柄で凪ぐ。

 ガシンッ!

 咄嗟に桜花は、驚嘆と一緒に右の一刀で鎌の柄を受け止めた。
 この一瞬、二機の動きが同時に止まった。
 チャンスとばかりに敵ローザがさらに踏み込もうとして、その脚があらぬ方向に跳ね上がった。
 桜花は相手の動きに合わせて、足払いを放っていたのだ。
 バランスを崩し、後方に傾く漆黒のローザ。
 が、桜花は踏み込まなかった。
 否、踏み込む事に、何かが警鐘を激しく鳴らしたのだ。
 桜花は本能が命じるがままに、後方へ間合いを開いた。

 ズダダダダダダッ!

 刹那、桜花が先ほどまで立っていた位置に向かって、両腕に内蔵されたマシンガンが猛然と火を噴いた。
 もし桜花が踏み込んでいたならば、トドメの刀を突き立てるより早く、機銃掃射のエジキになっていただろう。

「やはり、並みの敵ではありませんね………」

 決して軽くはない驚愕。
 再び巨大な鎌を構え直す漆黒の奏甲に、桜花は冷たい戦慄を覚えた。


  ※  ※  ※  


「クッ……。コイツ………」

 シュヴァルツローザを組み伏せようとしたレグニスのシャル3は、しかし逆に組み伏せられる寸前だった。
 各部の関節が軋んだ悲鳴を上げ、徐々に徐々に、シャル3が後方へ押されてゆく。
 これは予想外の展開だった。
 レグニスの知るローザリッタァのパワーは、ここまで圧倒的ではなかったからだ。

『レグニス! 一旦離れろ! 奏甲の関節がもう限界だ!』

 悲鳴のようなブラーマの<ケーブル>に、しかしレグニスは応える余裕もない。
 パチン、パチンと、左肘の関節から、何かが弾けるような嫌な音がレグニスの耳を叩いた。

「限界か……なら!」

 不意にレグニスは左腕から力を抜き、右脚を軸にして左足を反時計周りに移動。
 絶妙のタイミングと重心移動に追いつけず、シュヴァルツローザの身体が右に流れる。
 瞬間、レグニスは引いた左足を蹴り上げ、敵機の胴体に鋭い膝蹴りを叩き付けた。
 金属同時がぶつかり合う轟音と火花が飛び散り、シュヴァルツローザは身を折って吹き飛んだ……かに見えた。
 が、片腕を地面に突き立て、身を捻るようにして両足から着地。
 何事もなかったかのように、レグニスに向かって二本の腕を突き出す。
 赤い閃光が腕から瞬き、猛烈な破壊の雨がレグニスのシャル3を包み込んだ。

『チッ………』

 短く吐き捨て、レグニスは射線上から機体をズラし、ズラしつつ右腕のコンバットナイフを投擲!
 寸分違わず、コックピットを直撃するハズだったナイフは、しかし寸前のところで虚しく弾き返される。
 だが、腕で弾いた瞬間、機銃掃射が止まった。

 レグニスが欲しかったのは、その一瞬の隙間だった。

 一秒にも満たない時間に、レグニスは死角から間合いを詰め直す。
 そして左腕のコンバットナイフを右腕に握りなおし、敵奏甲の左肩にねじ入れる。
 分厚い奏甲の隙間に突き入れた鋼鉄の刃は、シュヴァルツローザの動力関節を確実に切り裂いた。

 が、次の瞬間、方膝を着いたのはレグニスの機体だった。
 敵装甲の左腕は確かに破壊したが、内蔵されていたマシンガンはまだ生きていたのだ。
 そこから吐き出されたマシンガンの一連射が、シャル3の左膝を破壊した。

「しまっ………」

 レグニスは自分の迂闊さを呪いつつ、突き立てたナイフを引き抜く。
 そこへ漆黒の右腕がコックピットに迫り………

『レグニス!』

 発砲!
 咄嗟に機体を傾け、コックピットの装甲とマシンガンの射線を斜めに合わせるレグニス。
 たちまちシャル3の正面装甲で、無数の銃弾が乱れ散る。
 だが、装甲を撃ち抜いた銃弾は一発もない。
 後コンマ数秒、機体を振るのが遅れていたら、レグニスはコックピットの中で挽肉同然になっていただろう。

 それは丁度、ルルカが目撃した現世騎士団やトラベラーの奏甲のように。

 射角を浅くされた無数の銃弾は四方へと兆弾し、その内の幾つかはシャル3の装甲板を削り取る。
 直撃は防いでいるものの、やがて装甲版が弾け飛ぶのは時間の問題だった。
 レグニスの表情に、珍しく焦りの色が滲み出る。

 ズダダダダ…………カチッ、カチッ!

 唐突に、銃撃が止まった。
 故障か弾切れか……しかし、いずれであろうとレグニスには関係ない。
 すかさずレグニスは片膝を付いたまま、右腕のコンバットナイフで切り掛かる。

 敵機はそれを右腕で打ち払い、機動力を喪失したレグニスのシャル3から、一旦間合いを取り直した。

「仕切りなおし………か」

 左腕を壊され、使用不能の火器しか持たないシュヴァルツローザ。
 左膝を砕かれ、満身創痍で機動力を失ったシャルラッハロート3。

 二機の奏甲は互いにピクリとも動かないまま、次の一手を決めるべく長考に突入した。


  ※  ※  ※  


「お願いです優夜さん! ラルカちゃんが………ラルカちゃんが!」

 ラルカを奪われたルルカは、どうにかシャル3に搭乗した優夜と<ケーブル>を繋いだ。

『お願いって言われてもなぁ………』
「それでも優夜さんは機奏英雄ですか!」
『それを言われると一番、ツライんだよねぇ〜』

 ぼやく優夜。
 が、そのボヤキは、彼自身の腕を考えるなら、怠慢と決め付けるのは酷というものだろう。
 飛び交う<ケーブル>から、桜花やレグニスが苦戦している声が、ルルカにも聞こえている。
 あの二人……特にレグニスですら苦戦する相手に、例え万が一にも優夜が勝てる可能性はないのかもしれない。

 だが、それでも………。

(お願いです、優夜さん! あの子を……ラルカちゃんを助けて………!)

 ルルカは祈らずにはいられなかった。

『居た! アイツがそうだな!』

 目標を視認し、マシンガンを構える優夜。

「ダ、ダメです、優夜さん! そんな武器を使ったら、ラルカちゃんにも当たっちゃいます!」
『チッ……。なら、どうすりゃ………うぉっ!』

 ガガガガガッ!

 不意にシャル3の足元の土が、弾け飛んだ。
 
「優夜さん! 七時の方向から、もう一機が接近してきます!」
『……なってこった。よりにもよって、このオレが二対一かよ』

 ズシャン!

 ぼやく優夜の目前に、機銃掃射を行った一機が、跳躍して着地する。
 と、同時に、電光のような神速の薙ぎ!

 ギィンッッッ!

 咄嗟に優夜も、ロングソードで受け止める。そして空いている腕から、マシンガンを発砲!
 だが、そこに居るべきハズの敵奏甲は、既に射線上から消えていた。
 
 ズドンッ!

『うおっ!』

 真横からの強烈な体当たりに、優夜のシャル3が宙を飛ぶ。

「優夜さん!」
『だ、大丈夫、大丈夫!』

 土煙を上げて転倒したシャル3だったが、幸いにも故障した箇所はない。
 だが、タックルを喰らった衝撃に、マシンガンをどこかへ落としてしまっていた。
 その優夜の前に、シュヴァルツローザが猛然と迫る。
 マシンガンを探しているヒマはない。優夜は唯一残された武器・ロングソードを構え直し、踏み込むと同時に突きを放つ。
 だが、優夜の突きは悠々と躱されてしまった。
 焦った優夜は、伸びきった腕を戻すより早く、真横に回った敵機に蹴りを叩き込む。
 しかし、それも空振り。
 まったくガラ空きになったシャル3の背中に、シュヴァルツローザの大鎌が無慈悲に振り降ろされる。

『うひゃぁぁぁ!』

 情けない悲鳴を上げながら、前方に向かって飛び込む優夜。
 鎌の刃は微かにシャル3の奏甲を削ったが、致命傷にはほど遠い。

『うべぇ!』

 奇妙な声を上げて、大地に突っ伏する。
 そこへシュヴァルツローザの両腕から、火を噴くような機銃掃射が襲い掛かる。

『あわわわわわ!』

 優夜は猛然と横に転がりながら、どうにか機銃掃射を躱しきり、岩陰の裏に身を隠した。
 たちまち銃弾が岩の表面に集中し、荒々しい滝のように岩石の表面に無数の穴を穿つ。
 出ればたちまち、ハチの巣にされてしまうだろう。

『ま、まるで勝てる気が全然しない』

 荒々しい息遣いの中から、ポツリとこぼれ落ちた紛れもない本音。
 圧倒的である以前に、勝負にすらなっていない。
 それが一番判るのは、<ケーブル>で繋がっているルルカ自身に他ならなかった。
 しっかりしてとは、とても言えなかった。
 優夜は優夜なりに、アレで精一杯なのだから。

 否、それどころかこれ以上の戦闘は、本当に優夜の命を奪いかねなかった。

「ゆ、優夜さん………」

 ルルカは心のどこかで、どんなにピンチでも優夜は死なないと思い込んでいた。
 いつでもヘラヘラ笑って、冗談を口にして、真剣に戦ったり命を掛けたりする事はないと、ずっと思っていた。
 それは半分、正解だった。
 優夜は分が悪くなると直ぐに逃げ出す事で、もっとも大事な自分の命だけは、辛うじて護り続けてきたのだから。
 
 けれども、今回だけは違った。
 今回だけは、相手が悪すぎた。

 ラルカを奪ったあの漆黒の奏甲は、今までの敵とは比べ物にならないくらい、優夜に死の選択を強要する相手だったのだ。

『クソ! このままじゃあ、ラルカをさらったヤツに逃げられちまう』
「! 優夜さん?」
『こうなったら、イチかバチか………』
「だ、ダメです! もう充分ですから、優夜さん逃げて!」
『うおりゃあぁぁぁっっ!』

 雄叫びを上げて、シャル3が岩陰から飛び出した。
 が、たちまち飛び出したシャル3の機体に無数の銃弾が着弾する。
 焼夷徹甲弾による死の抱擁が、シャル3の装甲をボロボロに切り裂いた。
 ガクンと、つんのめるように片足を着くシャル3。
 左腕が吹き飛び、左の脇腹で小さな爆発が連続した。
 だが、死と破壊の暴風は、なおも止まらない。
 
「………あっ、くぅっ!」

 シャル3の頭部が弾け飛び、ルルカは岩で頭部を殴られたような激痛に呻き声を漏らした。

 <ケーブル>の逆流によるダメージは、歌姫の痛覚に容赦なく牙を突き立てる。
 場合によっては、歌姫を狂い死にさせるほどに。
 
 と、次の瞬間………。

『悪い、ルルカ………』

 ………プツンッ。

 強制的に、ルルカと優夜を結ぶ<ケーブル>が切断された。

「え!? ゆ、優夜さん! 優夜さん!?」

 システムがダウンしたのではない。
 優夜が自分の意志で、システムを切ったのだ。

「優夜さん! 優夜さん!」

 ルルカは叫んだ。
 が、どんなに叫んでも、その声が優夜の元に届く事はない。
 優夜の声もまた、ルルカには届かない。

 そして<織歌>も………もう、届かない。 

「優夜さん! 優夜さん……!」

 動かなくなったシャル3。
 ダビングシステムが起動しないのだ。
 その正面に、無傷のシュヴァルツローザが悠然と回り込む。
 優夜のシャル3は……やはり、動かない。
 全く動く気配がない。
 




 気がついた時、ルルカは走り出していた。

 ぼやけ、歪む視界の意味すら気付かないまま、壊れた人形のように膝を付くシャル3の元へ。

 もどかしいほど、ゆっくりと、ゆっくりと。

 もどかしいほど縮まらない距離を、それでもルルカは必死に駆ける。

 そして漆黒の腕が、ゆっくりとコックピットへ向けられて………。




 ズダダダダダダッ!




「……………!」


 轟く銃声がルルカの鼓膜を、シャルラッハロート3のコックピットを、容赦なく撃ち貫いた。


「いや……いや……………嫌あああぁぁぁぁぁぁぁっっっ!」


 煌々と輝く月夜の荒野を、蒼白に染まったルルカの悲鳴が切り裂いた。





第八楽章   終曲への序曲(終)



後書き
え〜と、冒頭部のレグニスとブラーマの掛け合いは、天凪の完全な妄想です。
でも、何ていいますか、あんな感じじゃないかなぁ〜と、結構自信があったりすのですが………どうですか、チキンさん?
それから新見さん。勝手に奥義を一つ作っちゃいましたが、平にご容赦下さい。
やっぱ刀を使う人って、なにかこう、奥義って欲しくなるじゃないですか?
寛大な目で見逃して下さい。

にしても、やっとここまで書けました。
いよいよ物語りは佳境に入ります。っていうか、既に入ってます。
ここまでお付き合いして下さっている方、本当にありがとうございます。
このままラストまで読んでくれると嬉しかったりしますので、どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

……どうでもいいけど、桜花とレグニスの戦闘描写はそれなりに書けたのに、優夜の戦闘描写は全くダメダメ。
なんて作者泣かせな主人公なんだ、コイツは?

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