「優夜さん! 優夜さんっ!」

 硬い荒野の上を何度も転び、身体中にすり傷を負いながら、大破したシャルラッハロート3の許へとルルカは走った。
 思うように動かない手足を叱咤しながら、懸命に、懸命に。
 無理な運動に苦痛を漏らす心臓も、休息を訴える肺の悲鳴も関係ない。
 こんな所で止まるような心臓なら、いっそ止まってしまえばいいのだ。
 ルルカは本気でそう思い、走り続ける。
 なのにもどかしいほど、シャル3との距離が縮まらない。

「死んじゃったら、嫌です………。絶対に……嫌です………」

 いずれ蟲化する災いの種でもいい。
 弱くても、いい加減で、無責任でも、なんだって構わない。

 溢れる涙に、視界が滲んだ。
 息苦しさに嗚咽が重なり、踏み出す脚が鉛のように重く、鈍く、長い時間だけが過ぎてゆく。

「……ヒック……いで……。お願いですから………死なない………ッうっ………ック」

 不意に、視界が回転した。
 もつれる脚が、小さな石に行く手を阻まれたのだ。
 突っ伏するように、硬い地面の上に叩きつけられるルルカ。
 その小さなこぶしが砂利を掴み、何かに耐えかねるように身をよじる。
 咽の奥から堰を切ったように嗚咽があふれ出し、ルルカはその細い身体を小刻みに震わせた。

「……スンッ………うっく………ゆうやぁ……さん…………」

 涙と泥で汚れた頬を、ルルカはもたげた。
 既にシュヴァルツローザはラルカを連れて闇に去り、目の前には大破したシャルラッハロート3の残骸だけがポツリと取り残されている。
 硬く閉ざされたコックピットからは、誰かが脱出したような形跡は………ない。

 ルルカは立ち上がり、煙を燻らせるシャル3に向かって再び足を動かせた。

「ずっと……一緒だって……ヒック………言ったじゃないですか………」

 倒れた拍子に痛めた足を引きずりながら、一歩、また一歩、引き裂かれてしまった距離を取り戻すように、歩みを続ける。

「なのに勝手に………勝手に遠いところへ……行っちゃう……なんて……………そんなのって……ヒドイじゃないですか………」

 ゆっくりと、その手のひらが、動かなくなった奏甲に届く。

 次々と涙が伝う頬を、その表面に押し付ける。

 引き千切られ、無数の弾痕の穿たれたシャル3は、爆発していないが奇跡のように思えるほど、ボロボロに変わり果てていた。
 否。次の瞬間、爆発しても不思議ではないだろう。
 けれどもルルカは、倒れたシャル3の胸部によじ登る。
 ハッチの上に穿たれた無数の弾痕と巨大な亀裂を瞳に写し、またしても涙が溢れ出す。
 ルルカにも判っていた。
 これでは中身が、見るまでもない事くらいは………。
 
「今、出してあげますからね?」

 ルルカは裏返りそうになる声を必死に押さえ、優しく語り掛けながら強制排出装置のコックを捻った。

 バシュン!

 と、くぐもった音と同時に、内気圧に押されたハッチが弾け飛んだ。
 
「キャッ!」

 ルルカは短い悲鳴を上げて、機体から転げ落ちた。
 背中をしたたかに打ち付け、呼吸が止まり、口の中に広がる微かな血の味………。

「……………」

 汗が浮かび、泥と一緒に前髪が張り付いた額の上を、冷たい夜風が吹きぬけてゆく。
 空には摩天の星が音もなく瞬き、ルルカを無言で見下ろしていた。

 人間一人の一生どころか、全ての刻の流れすら呑み込むような深遠の彼方に、キラキラと、キラキラと………。

 不意にジワリと、涙が滲んだ。
 このままここで、一生分の涙を使い果たしてしまうかもしれない。
 そんな予感が胸を掠めた………その時だった。

「だぁぁぁ〜〜〜〜〜〜! マジで死ぬかと思ったぁ〜〜〜〜〜!」


 どうしようもないほど場違いな声が、夜の静寂を遮った。




病弱姫に花束を   アナザー・メモリー

〜君が見る夢 詠う歌〜


第九楽章   夜明けのフーガ




「優夜…………さん?」

 まるで他人のもののような自分の声に、ルルカは瞳をパチクリさせた。

 どこからともなく乾いた風がヒュ〜と流れ、ドロで汚れた髪の毛を揺らす。

 錯覚にしては、生々しすぎる声。
 聴き間違えようがないくらい聴き慣れた、それは確かな『宿縁』の声。

 そしてハッチの淵からこれまた見慣れた、しまりのない顔がヒョコリと現れる。

「おっ、ハッチを開けてくれたのはルルカだったのか。いやぁ〜、サンキューサンキュー。
 なんか開閉機構がオシャカになっちまったみたいで、中からハッチが開かなくて難儀していたところだったんだよ」
「……………」

 アングリと開いた口を、ルルカは酸欠を起こした金魚のように何度も開閉させた。

「あ〜、ところでルルカ? そんな所でデッカイ口を開けて、何してんだ? ひょっとして、エサをねだるヒナの芸?」
「んなワケないでしょうがぁぁぁっっ!」
「うおっ!?」

 天をも揺るがすルルカの咆哮に、さすがの優夜もたじろいだ。

「な、ななななな、なんでそんなにサワヤカかつ無傷なんですかぁ!? っていうか、ぶっちゃけ有り得ません!
 あんなに至近距離からコックピットを銃撃されて、ハッチだって穴だらけだったじゃないですかぁっ!」

 震える腕で何度も優夜を指さしながら、ルルカ。
 考えようによっては、随分と失礼な物言いと態度である。

「ああ、その事ね。『アレ』のおかげで、どうにか助かった」
「あっ………」

 優夜の示した方角に、文字通りハチの巣になった一枚の装甲版が突き刺さっていた。
 もはや原型をとどめてはいないものの、それはコックピットの亀裂を塞ぐために購入した、あの追加装甲版だった。
 マシンガンの弾は追加装甲版を貫いたものの、そこから先はハッチに食い込むのが精一杯だったらしく、奏座までは貫通しなかったのだ。
 よく考えてみればハッチの亀裂も、この前の奇声蟲との戦闘で受けた損傷である。

  ルルカはへなへなと腰を崩し、その場にへたり込んだ。

 理屈としては、間違っていない。全くをもって、間違っていない。追加装甲版とは、元来こういう時の為の装備品なのだから。
 だが……だが、しかし、だ。
 何か納得できない……っていうか、認めたくない感情が、ドロドロドロ胸の奥底から湧き上がる。

「これじゃ……これじゃ……………必死に走って、転んで、アッチコッチ怪我までして………泣いてたわたしが、バカみたいじゃないですか」
「ほぉ? 泣いてたのか、ルルカ?」
「泣いてません!」

 真っ赤に腫れた目を吊り上げ、力一杯否定するルルカ。

「いや、だってさっき泣いてたって………」
「泣いてません! 石、ぶつけますよ!」
「目尻にも涙の痕が………」

 ゴツンッ!

 ルルカの投げつけた石が、鈍い音をたてて優夜の顔面に命中。
 優夜は鼻血を噴き出して、ゆっくりとハッチから落下した。


  ※  ※  ※  


「うわぁ〜〜〜。こんなの僕一人じゃあ、とても直せないよぉ〜〜〜」

 ボロボロに大破した優夜のシャル3に、シュレットは悲鳴に近い泣き声を漏らした。

「そこをなんとか、お願いします。この子が動かないと、ラルカを助けにいけないんです!」
「って、言われてもぉ〜。ここには設備もないし、千切れた腕とか粉々になっちゃった頭とか、交換しないと部品もないし………」
「………ダメ、ですか?」
「都市の大きな整備場に運べば直ると思うけど………。ごめんね、力になれそうになくって」

 申し訳なさそうなシュレットに、ルルカは慌てて首を振る。
 実際、シャル3が滅茶苦茶に壊れてしまっている事は、素人にだって判る事だ。
 千切れた腕を一つとったところで、交換するパーツがなければどうしようもない。

 ルルカは困惑した面持ちを優夜に向ける。

「どうしましょう、優夜さん……」
「う〜〜〜ん。こうなったら一刻も早くファルベに戻って、出直すしかないんじゃないの?」
「………ですよね」
「ねぇ、ひょっとして二人とも………あの黒いローザを、追い掛けようとしているのかなぁ?」

 恐々訊ねるシュレットに、

「もちろんです!」と、ルルカは力強く答え、
「ま、しょうがないんじゃないの?」と、何故か疑問系の優夜。

「む、無茶だよ! シャル3一機でアレを追いかけるなんて、自殺行為だって! 桜花やレグニスさんですら、一対一でも勝てなかった相手なのに!」
「う〜〜〜ん。まぁ、ソコはソレ。真正面から戦おうとするから苦戦するワケだろ?  大丈夫。オレの考えが上手くいったら、なんとかなるハズだ」
「そういう事です。あの奏甲を退治するのは優夜さんには絶対に無理ですけど、ラルカを助ける事くらいなら、なんとか………」
「上手くいったらって………上手くいかなかったら、どうする気なんですか!?」

 目を丸くするシュレットに、優夜はサラリと言い切った。

「その時は、その時。運が悪けりゃ死ぬだけさ。ま、人間遅かれ早かれ死ぬ時は死ぬんだから、ソレもアリだろ?」
「む、無茶苦茶だよ、この人………」

 シュレットは頭を抱えて蹲ったが、それも当然である。
 飄々と人間の生死を見限っているような優夜の思考パターンは、同調どころか追随するダケでも相当困難な作業なのだ。
 それはある意味、壊れた奏甲を修理するよりも、遙かに難解であると言っても過言ではないだろう。

「ま、どっちにしても奏甲を直してからの話しだけどな」
「……ですね。さすがに奏甲がないと、どうしようもありませんから」

 優夜の言葉にルルカが相槌を打った、その時だった。

「奏甲なら、あるぜ」

 アルジェナに付き添われたエドが、右足を引きずりながら優夜の元に歩み寄った。
 二メートルを越す筋骨隆々とした体躯を細身の女性に支えられている姿は、なんとも奇妙なものがある。
 とはいえ、額といい腕といい、身体の到るところを血の滲んだ包帯に包まれた状態では、それも致し方ないだろうが。

「おお! 誰かと思えば、なぁ〜〜〜にも活躍してないのに、しっかり怪我だけはしちまったエドのおっさんじゃないか」
「優夜さん。優夜さん」

 慌てて優夜の脇腹を肘で突付くルルカ。しかし、当然のように効果はない。

「……言ってくれるじゃなぇーか、坊主。お前だって何にも活躍してない上に、奏甲まで壊しているクセに」
「あらあら? でも、崩れた瓦礫の下敷きになって動けなかった貴方よりも、幾分かはマシというものですわ」
「ア、アルジェナ! お前、それでもオレの『宿縁』かぁ!?」
「そうは言われましても……。まぁ、この程度で死なれても、興醒めも甚だしいというもの。生きていらしたダケ、まだマシですかしら?」
「お前らなぁ………」
「そうそう。それにオレって、掠り傷一つ負ってないしぃ〜」
「優夜さん!」

 ゴキッ!

 肋骨の隙間に叩き込んだルルカのヒジが、何やら奇妙な音色を奏でた。
 途端に優夜の張り付いた笑顔から、ダラダラと大量の脂汗が流れ落ちる。

「ル、ルルカ? 今なんか、破滅の音が聞こえたような………?」
「知りません。ツバでも付けて、勝手に治して下さい。……で、エドさん。さっき、奏甲があるって言ってましたけど?」
「ああ。お前らが今すぐ必要だってんなら、オレの奏甲を貸してやろうと思ったんだが………」
「エドさんの奏甲って、ビリオーン・ブリッツをですかぁ!? で、でもアレって確かエースペア用で、普通のペアにはとても扱えない難しい機体なんじゃあ……」
「それなら大丈夫だ。オレのビリオーンは幻糸炉の戦闘出力を、誰にでも扱えるように控え目に落としてあるからな。稼働時間も長めに調整してある」
「はぁ〜? エース機なのに、ワザワザ性能落としているの? そんな勿体無い」

 何気に復活した優夜が、呆れたような声で呟く。

「な、なんだとぉ! お前にはコイツの良さが判んねぇーのか!? いくらエース機たって、兵器として戦場で役に立つのはしっかりと動く機体なんだよ!
 東部戦線でも西部戦線でも、戦場を支配したのはデカクて強ぇーティーガーでもパンターでもねぇ!
 T−34と我が合衆国の傑作凡庸戦車、シャーマン・イージー8だ! そんな事も知らねぇーで機奏英雄をやってるのか、テメェは!」
「だってよ。知ってたか、ルルカ?」
「知りません。だってわたし、歌姫ですから」
「あ、きったネェーの」
「手の平は、返すためにある。以前、優夜さんが仰っていた言葉です」

 ルルカはシレっと言い返した。



 一方、そんな優夜達のやり取りに、シュレットが困惑した面持ちを桜花に向ける。

「ねぇ、桜花。無茶苦茶だよ、あの人達………。止めた方がいいんじゃないの?」

 漆黒の奏甲の戦闘力は、エース機であるビリオーン・ブリッツすら遙かに凌駕していると、シュレットは確信していた。
 それだけに優夜の乗機がシャル3からビリオーンに変わったからといって、それほど状況が好転するとはとても思えないのだ。
 ましてやシュレットは優夜の「戦闘力」を見た事があるし、しかも敵は一機ではなく、少なくとも四機が待ち構えているのである。
 優夜は「真正面から戦わない」とは言ったが、それはあくまでも優夜の都合で、向こうには向こうの言い分があるに違いない。
 ハッキリと言えば、死にに行くようなものである。

「止める必要はありませんよ、シュレット」

 ところが桜花は、止めるどころか微笑みすら浮かべていた。

「私の住んでいた世界には、こんな言葉があります。曰く『義を見てせざるは勇なきなり』と」
「……つまり、私たちも手伝うって事なのね」

 呆れたような口調で零したのは、シュレットではなくベルティーナだった。

「もちろんです。何のつもりかは知りませんが、幼い子供を誘拐するような輩を見過ごすわけにはいきません」
「まぁ、それはそうだけどさぁ……。レグニスはどうするの?」

 不意に話題をフラれたレグニスは、しかし相変わらずの仏頂面だった。

「……オレには関係のない話しだ」

 簡潔に、誤解の余地が入り込む隙間すら与えないまま言い切る。
 一方、レグニスとは対照的に、ブラーマは申し訳なさそな面持ちをベルティーナに向けた。

「申し訳ないが、コッチはコッチでそれどころではない。奏甲の左脚部が、完全にオシャカにされてしまっては、な………。
 これをどうやって整備場まで運ぶかで……正直、頭が痛い」
「そっか………。ねぇ、シュレット。レグニスの奏甲は、直せそうにないの?」
「う〜〜〜ん。優夜さんのシャル3に比べたら軽症だけど、膝の関節部分が完全に壊れちゃっているから、
 コッチも交換部品がないと、直せそうにないよぉ」
「そぉ〜〜〜いぅ〜〜〜事なら、話しが早い!」
「うわぁ! 優夜さん」

 唐突に………そう、全くの唐突に、レグニスの背後から優夜が顔を突っ込んできた。
 刹那、レグニスの手に硬質の輝きを放つナイフが握られ、その鋭利な刃が優夜の首に小さな窪みをつくった。

「貴様……どこから現れた」

 レグニスは手の平の刃物と同様、硬質な輝きを放つ瞳を薄く引き絞った。

「こらこら、レグニスくん。戦闘ナイフは危ないから人に向けたらいけませんって、注意書にも書いてあったでしょ?」
「人に向ける以外に、戦闘ナイフの使い道など他にない」
「だったらカツオ節でも削ってなさい。それよりもさっきの奏甲の話しだけど、とぉ〜ってもステキな提案があるんだけど、どうかな?」
「………言ってみろ」

 ナイフは突きつけたまま、レグニスは促す。
 少しでも妙なマネをすれば、たちまちの内に赤い鮮血が噴水のように噴出すだろう。

 それでも優夜は平然と、冷や汗一つ流さずに、指先でナイフの刃を押しながら言った。

「オレの奏甲のパーツを使って、キミの奏甲を修理するってのは、どう?」
「………どういう意味だ?」
「だからぁ〜。オレの奏甲で使えるパーツを差し出す代わりに、レグニス君もラルカを助けるのを手伝って頂戴ってこと」
「……………」
「そんなに難しい顔をしなくてもいいだろ? 友達の頼みなワケだし」
「………なんだと?」

 レグニスはギロリと、優夜を凝視した。

「どういう意味だ、ルルカ殿?」
「さ、さぁ。あの人の思考の都合の良さは、わたしなんかには図りかねますから………」

 ブラーマに訊ねられ、ルルカも困惑気味に言葉を返す。

「オレとキミは、奏甲大会で一度は剣を交えて者同士じゃないか。オレの国ではこういう関係を『宿敵』と書いて『トモ』と呼ぶ、ステキな風習があるのだよ。
 だからオレ達は友達同士ってワケ。簡単な理屈だろ?」

 優夜を凝視するレグニスとブラーマの眼差し、微かな驚きの成分が滲み出た。
 それは両者が滅多に見せる事のない、『絶句』と呼ばれる驚きだった。

「ハァァァ〜〜〜〜」

 と、ルルカが盛大なため息を、これみよがしに吐き出した。

「どうしてでしょう。何故だか急に『都合のいい友情と遺言は、相手の迷惑を考えない』って言葉が、頭の中をよぎりました」
「ははははは。いいぞ、ルルカ。それはいい台詞だ」
「喜ばないで下さい! わたしは皮肉を言っているんですから!」


「……いいのか、レグ?」
「仕方がない。いずれにしても奏甲の修理は必要だ。それにこの程度の戦闘で命を落とすようなら、オレもその程度という事だ」
「やれやれ。お前という奴は………」


「ねぇねえ、桜花。桜花の国って、本当にそんな風習があるの?」
「ええ、まぁ、ないとは言い難いのは確かですが………少し違うような気がしないでも………」
「でも、もう決定しちゃったみたいだね。………って事は、レグニスさんの奏甲の修理とかビリオーンの調律って、全部僕が一人でするのかなぁ」
「大丈夫ですよ、シュレット。わたしも出来る事は手伝いますよ」


 こうして、レグニスの奏甲の修理と、ビリオーンの調律は夜を徹して続けられた。


「ええぇ? ほ、本当にこんな装備の、ビリオーンに搭載する気なんて正気なのぉ!?」
「もちろん正気」
「で、でも……こんなの付けても、意味なんか………」
「坊主の言う通りにしてやりな、お嬢ちゃん」
「あ、エドさん。で、でも………」
「いいから。そいつはひょっとしたら、とっておきの切り札になるかもしんねぇーんだ」


「ルルカ殿。こっちの野菜は、切り終わったが………」
「あ、はいはい。それじゃブラーマさん、こっちのスープをかき混ぜておいて下さい。底の方が焦げないように、しっかりとお願いしますね」
「わ、わかった」
「ルルカァ〜。こっちのパンも焼き終わったよぉ〜」
「ちょ、ちょっと待ってて下さい、ベルティーさん。今、行きますから!」
「早くしないと……パク……みんなお腹を空かせて……モグ……いるわよ、きっと」
「ベ、ベルティー殿!? つまみ食いなどしては………!」


「………と、いうわけです。但し、これは通常のローザリッタァの弱点ですから、あの黒いローザにどこまで通用するかは……」
「いや、充分参考になった。ただ、付け加えるとするなら、あの両腕のマシンガンは銃身が短い。
 それ故に、長距離から銃撃戦には向いていない。お前ほどの腕があるのなら、そこも付け入る隙にできるはずだ」
「なるほど………。私は銃というものは、全て長距離戦に向いている武器だとばかり思っていました」
「それはお前の戦闘スタイルが、刃物を中心とした技術に集約されているからだ。
 実際の戦闘では、状況が必ずしも自分のスタイルに合致するとは限らない。相手の武器の性能と特性も、しっかりと頭に叩き込んでおく事だ」
「負けが負けで済む内に、ですね」
「ああ。そういう事だ」


 そして、東の空が白み始めた頃………。


「よ〜し。それじゃ出発するけど、大丈夫かルルカ?」
「は、はい! 心の準備はできています!」
「まぁ、そう意気込む必要もないとは思うんだけど………」

 言いながら、優夜は後席を振り返った。

「でも本当に良かったのか? いくらコイツがツインコックピットを搭載しているからって、別にルルカまで搭乗する必要なんかないんだぜ?」

 エドのビリオーン・ブリッツは長距離移動の多いトラベラー用として、ツインコックピットを搭載している。
 が、だからといって、歌姫が後席に乗る必要は必ずしもない。
 それどころか歌姫が後席に乗せる効果は、心理的意外の要素においてはなんの長所も確認されていない。
 否。場合によっては戦場に不慣れな歌姫を戦場に連れ込む事で、パニックを起こすマイナス面すら否定できないのが現状なのだ。

 だが、ルルカは断として言い切った。

「構いません。わたしが後ろに乗っている事なんて、気にしないで下さい。わたしは優夜さんを、信用はしていませんが信頼はしていますから」

 それは偽らざる、ルルカの心情だった。
 ルルカは機奏英雄としての優夜の腕を、信用していない。けれども同時に、ルルカは優夜を誰よりも信頼しているのだ。

 そしてもう一つ………。

 優夜は時々、自分の命を平気で危険にさらすという奇妙な悪癖がある事に、ルルカは気付いていた。
 絶体絶命のピンチに陥った時にだけ、まるで生死を司る運命そのものを嘲笑するかのように、優夜は平然と無謀な行動を起こすのだ。
 生きるか死ぬかの瀬戸際を楽しんでいる、というのではない。
 むしろ避けようのない『死』を歓迎するかのように、窮地に陥れば陥るほど、優夜は冗談を口にして『何か』を待っているようにルルカには思えるのだ。

 普段は逃げるだけ一向に戦おうとしない優夜が、一体何を望んでいるのかは、しかしルルカには判らない。
 判らないが、これだけは判る。
 そんな無茶をする優夜を安全な場所で眺め続け、独りだけ置いてけぼりにされるのは、もうコリゴリだという事だけは………。

 だからルルカは、精一杯の虚勢を張って憎まれ口を叩くのだった。

「不本意ですけど、死ぬときは一緒ですからね、優夜さん」
「まぁ〜たそんな事を言って、死んでしまってから後悔したって遅いんだぜ?」
「大丈夫です。死んでから後悔できるほど、わたしは器用じゃありませんから」
「よし! よく言った! それでこそ、オレの旅の道連れだ!」

 ………せめて旅の仲間とか、連れ添いとかって言葉は使えないのだろうか?
 ルルカは小さなため息を吐き出した。




 第九楽章   夜明けのフーガ(終)

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