富と栄光の行進曲・外伝 優しい夜の歩き方 〜アルガアルカ〜 ※この話は、新見忍氏の「富と栄光の行進曲・第三」の終り直後から、スタートします。 「シィギュンさん……たしかにあんたは『綺麗なお姉さん』だけど……俺に近づくなんてことはしちゃだめだよ」 シィギュンの気配が薄くなる。 「あんたは俺にとって『壁の花』みたいなもんで、見ているだけでいいんだ。 ルルカはそうだな〜。追い払ってもついてくる子犬……いや違うな、猫って感じでもないしな〜。 まあ、とにかくそんな感じなものの方がって……あれ、シィギュンさん?」 辺りを見まわすが何処にも人影は無い。 「少し惜しかったかけど……まあいいか」 そう言って鼻歌を歌いながら一人で先を進む。 「俺のマシンはぁ〜♪ 幻糸の3重織り〜♪ 成り行き任せのぉ〜♪ 渡り鳥ぃ〜♪」 「………待って下さい」 唐突に、声がした。 「……シィギュンさん?」 優夜は振り返る。するとそこに、消えたはずのシィギュンがいた。 「なぁ〜んだ。そんな所に隠れていたんだ。てっきり怒っちゃって、どっかに行っちゃったの……かと………」 優夜は微妙に、声を引き攣らせた。 薄暗がりの中、シィギュンの手に握られていた小さなナイフが、冴え冴えとした輝きを放っている。 「え〜〜〜と。取り合えず、なんの冗談でしょうか?」 念の為に、訊いておく。ひょっとしたら、リンゴを剥く準備でもしているのかもしれない。 もっとも、能面のように表情を消したシィギュンの面持ちを見る限り、その可能性はとても低そうだ。 次の瞬間、シィギュンが身を預けるように、優夜の胸に飛び込む。 「おわぁぁぁっ!?」 慌てて跳びのく優夜。 「ちょ、ちょっとシィギュンさん!? いくらさっき拒絶したからって、これはちょっと酷ッ!?」 ヒュン! ヒュン! 尚も逃げる優夜を追いかけて、シィギュンがナイフを左右に滑らせる。 白くしなやか腕が闇を薙ぎ、銀色の軌跡が優夜の咽喉笛を掻き切ろうと鋭利に迫った。 イタズラや、冗談ではない。 シィギュンは本気で、優夜を刺殺するつもりなのだ。 「ドサクサに紛れてお尻を触った事は謝りますからぁ!」 トン、と優夜の背中に、堅い岩盤がぶつかった。 振り返るまでもない。そこから先は、既に行き止まりである。 正面からは、ジリジリと間合いを詰めるシィギュン。 優夜はゴクリと、硬い唾を飲み下した。 そして………。 滑るようにシィギュンが足を踏み出し、二人の身体が闇の中で重なった。 優夜は丸く見開かれた目で虚空を見やり……俯き加減のシィギュンを見下ろし……ナイフの突き刺さった自分の胸を眺める。 「どうして………」 薄い唇を、先に動かしたのはシィギュンだった。 「本当の言葉を……姿を……見せてはいただけませんの?」 音もなく、シィギュンが優夜から離れる。 優夜の胸を貫いた鋭利なナイフには、しかし微かな血のりすら付着していない。 「あ、あれ? シィギュンさん、オレ、刺されたんじゃなかったの?」 「空々しいですわよ、優夜さん。もうとっくに、私が偽者である事くらい気づいていらっしゃるのでしょう?」 「え、偽者? シィギュンさん、偽者だったの?」 目をパチクリさせる優夜に、自らを『偽者』と名乗ったシィギュンが小さなため息をこぼす。 「なら、この姿を見ても、あなたはシラを切り続けるのですか?」 言って、シィギュンを形作る輪郭がぼやけ、崩れる。 闇で梳いたような漆黒の髪が、ふわりと優夜の視界に広がった。 透き通るような白い肌。 黒真珠のような神秘的な輝きを放つ、丸い瞳。 その姿は、記憶の中の彼女と寸分違わず同じだった。 もし変身する光景を目の当たりにしていなければ、直に偽者と気づけたかどうかは微妙だろう。 優夜はやや乱暴に頭を掻くと、呆れたような眼差しをその女性……『伊織』を模った存在に投げかけた。 「………ったく。アンタは一体、何者なのかなぁ?」 「淋しいわね、優夜。久し振りの再会なのに、少しも驚いてくれないなんて………」 「生憎と、幻の類と判っている相手にワザワザ動揺してやるような未熟者は、オレの里だと懲罰モノなの。 そんな事、もしアンタが本物の伊織姉さんなら、誰よりも一番よく知ってるハズでしょ?」 「ええ、そうよ。だから偽者の私には判らないの。『記憶』と『心』は別物だから。 いくら『記憶』を揃えても、それは小さな『点』でしかない。都合よく切り揃えられた、パズルのピースではないわ。 ……だから、わたしという番人が必要なの。天凪優夜という『点画』を描けるのは、天凪優夜本人だけだから」 「番人……番人ね。オレがこの洞窟の宝に相応しい人物かを測る、さしずめアーカイアのスプリガンってワケだ。 って事は、アレか? どうせルルカには偽のオレか……さもなきゃ偽の忍くん辺りをぶつけているんだろ? 偽モノばっかりたくさん作って、ご苦労なことだね」 優夜の指摘に、伊織は小さく肩をすくめた。 「でも、私のナイフが偽物かどうかは、優夜には判らなかったはずよ。なのに優夜は、私に刺された。何故? 本気を出せばナイフを避ける事も……いえ、例え私が銃を持っていたとしても、問題にならないはずでしょ?」 「それは買いかぶり。今のオレには、さっきのが限界」 「今の優夜には無理でも、以前の優夜になら容易なはずでしょ?」 「まぁ、人の記憶を覗き見するようなヤツを相手に、否定するつもりはないけどね」 「そこまでして、貴方は誰の目から本当の自分を隠すのかしら? ひょっとして………」 伊織の姿が崩れ、ルルカに変わる。 「わたしに怖がられるのが、怖いからですか?」 「そういう自惚れは、お兄さん感心しないなぁ〜」 「優夜さんはとっても不思議な人です。今日は他にも不思議な人が来ていますけど、あの人と優夜さんはまた違いますよね? 今までにも沢山の用心深い人間は見てきましたけど、優夜さんほど本来の自分を隠している人は初めてです」 「一応、それはホメ言葉と受け取っておこうかな。『音もなく、臭いもなく、知名もなく、勇名もなし』ってのが、オレって存在の特技だから。 自分の能力にリセットをかけて、いかなる突発的状況においても平均以上の動きは封じる……。 ま、一種の自己暗示みたいなものだよ。でないと、何気ない仕草のひとつで、観の鋭いヤツなら気づかれちまう」 「でも、そうやって自分の動きを制限して、それで死んでしまったら元も子もないんじゃないですか?」 「普通はそうかもしれないけど、オレ達は別。命令によっちゃあ、正体がバレるくらいなら大人しく死ぬ方が奨励されるケースってのが、多々あるの。 ま、確かに今は『自由時間』だから、身の危険を護るのは『掟破り』には繋がらないだろうけど」 ルルカから、忍の姿へ………。 「……よく判りませんね。そこまで別の自分を演技して、偽って……一体どんな得が優夜さんにあるというんですか?」 「損得の問題じゃないの。己の『信念』の問題なの」 「信念、ですか? まさか優夜さんの口から、そんな言葉が出るなんて、本物の僕だって驚きますよ」 「そうかそうか。本物の方には後で折檻するとしてだ、断っておくけどオレが隠しているのは、肉体レベルの『動き』だけだよ? 思考の方はむしろ昔よりも遠慮なく、ありのままを曝け出しているくらいだ。それはもう本能っていうよりも、脊髄反射のレベルで」 「でしょうね。それで『実は遠慮している』なんて言ったら、ルルカさんが卒倒しますよ」 「だろうね。この世界でオレの事を一番判っているのは、『本物』のルルカだろうから」 「そのルルカさんにすら、昔の自分を隠し、演技を続けているわけなんですか。酷い人だ、優夜さんは」 「演技? 演技ねぇ……。皮肉なもんでね、本来のオレが自分の心を偽っていて、偽者のオレが自由に本音を曝け出しているってワケ。 この場合、演技しているオレはどっちだ?」 忍の姿を模っていたソレは、再び伊織の姿に戻った。 「私を『殺した』時も、自分の心を偽っていたの?」 「違うね。あの時のオレは本気だった。上意なんか関係ない。伊織姉さんは、やっちゃいけない事を、やってしまった。 オレ達の技術を……その力を……自分の欲望の為に使い……人を殺めた。だから……オレが殺した。他の連中なんかに、任せておけなかった」 「自分の為に自分の力を使う事が、そんなにいけない事なのかしら?」 「……ダメだ。使っちゃいけない。別に自分の幸せを求めるのが、悪いとはいわないよ。むしろ、オレだって伊織姉さんには幸せになって欲しかった。 今時『心の上に刃を置け』なんて、確かに古いしきたりだ。平成日本の価値観じゃない。だから単にあの血の枠から抜け出したいっていうのなら、 オレだって喜んで手を貸したよ。なんたって伊織姉さんは、オレが初めて………好きになった人なんだから」 強くて……厳しくて……優しくて……面倒見の良い女の人だった。 誰よりも『天凪』の姓に相応しく、誰よりも『天凪』の姓に相応しくない………。 そんな年上の女の人だった。 「……けれども、ダメだ。オレ達の一族が修めている能力は、伝えている術理は、私利私欲で使うには危険すぎる力だから。 あの家には時代錯誤のバカげた掟が山のように転がっているけど、これだけは正しい。オレも納得している、絶対の掟だ………」 「そんなにあの家のする事が正しいのなら、宗家の中で『アイジン』の子供として生れた、貴方はなんなのかしら?」 「さて、ね」 優夜は自らの存在を嘲笑するかのように、小さな笑みを象った。 「あるがあるか………」 優夜はポツリと呟き、足元の小石を拾う。 「伊織姉さんは言ってたよ。あるがあるのが、正しい摂理なのか、ってね………」 言いながら、小石を闇に放り投げる。 ほどなくして、闇の奥から乾いた音が堅い岩壁に反響した。 「投げられた石は、やがて落ちる。それは自然の摂理。放り投げた時から決まっている、絶対の『宿命』。 でも、もし石に摂理を覆す力があったなら、石はどこまで飛ぶのだろう? 人間は、けれども石じゃない。自分の意思を持った、一つの『個』……。 それでも古い血筋の家に生れたのなら、あるがままの石のように、摂理に従うのか正しい姿なのか……ってね」 「………優夜はどうなの? 古い血の『宿命』に、逆らってみたいとは思わないの?」 「逆らう、逆らわないの前に、オレはオレの『宿命』が何なのかを知りたい。ソッチの方が先だ。 愛人の子供として生まれ、あの家で育てられ、この世界に召喚された意味を……本当に『宿命』があるなら、それを知りたいだけだ」 「昔、先代だった祖父さんに『宿命』について訊ねた事があるんだよ。その時、祖父さんは真面目な顔をして言ったもんだ。 『其の身を真の自由に置いた時、宿命は自ずと現れる』ってね。あの時は禅問答でワケ判んなかったけど……今はあと少しで、判るような気がするよ」 「何度も死にそうな目に遭ったから?」 「それも、ある。勝手に生きる事も、死ぬ事も赦されなかったこのオレが、ここでは自分の生死を好きなように決められる。 コイツは正直、魅力的すぎるくらいの魅力なんでね。思わずついつい、その淵を覗きたくなってくる。 いずれにしても、これはオレのエゴだ。答えを知りたいっていう、オレのエゴ。だからこの旅の中で、オレがオレ以上の『力』を使う事は、赦されない」 ハッキリとした口調で、断言する。 「何よりオレが、赦さない。オレはオレの『命』を言い訳に、己の課した『禁』を破るつもりは毛頭ない。 例えその為に命を落とす事になったとしても、生きたい様に行き続けた末の結果なら、オレにとっては本懐ってやつだ。 ………巻き込んでしまっているルルカには、ちと悪いと思わないでもないけどな」 「そう………」 呟き、不意に伊織の輪郭が薄くなる。 今までのように姿を変えるためでなく、存在そのものが希薄になってゆく。 「最後にひとつだけ………」 「………ん?」 「………優夜は、もう使わないの? この世界の為に……貴方の伴侶の為に……その『力』は使わないの? その『力』は正しく使えば、きっとのこの世界で苦しんでいる大勢の命を救う事だってできるわよ?」 「そんな事を言われたって、なぁ。………だって今さら、恥ずかしいじゃない?」 苦笑の下に照れた面持ちを隠しながら、優夜は言った。 「………っていうか、誰が伴侶なんだ?」 取り残された闇の中で、ポツリと独白する。 と、その時だった。 「………ん?」 不意に闇の奥から、小さな足音が鼓膜に届いた。 軽い靴音と、交互に踏み出される歩幅から弾き出されるその答えに、優夜は小さな笑みを口の端に浮かべる。 いそいそと、物音一つたてずにその場に座り込み、背中を岩盤に預ける。 だらしなく足を伸ばし、俯き加減に目を閉じる。 ほどなくして………。 「あっ!」 慣れ親しんだ短い声を合図に、闇の奥からパタパタと小柄な少女が駆けて来る。 「もう! どこに行っていたんですか優夜さん!」 「よぉ。ルルカ」 顔を上げ、優夜は締りのない笑みをルルカに向けた。 「全く。いつもいつも心配ばかりかけて……って、どうしたんですか? どこか怪我でもしているんですか!?」 「や、歩くのに疲れたダケ」 「………はぁ〜」 眉間に深いシワを寄せ、ルルカは長い長いため息を吐き出した 「と、いうわけで、皆のところまで連れてってくれない?」 「ご自分の脚で歩いて下さい! 全く、どうしてこんな人がわたしの『宿縁』なんでしょうか。忍さんなんてお姫さま抱っこまでしてくれたというのに………」 「ん? 忍くんと二人っきりだったのかい?」 瞬間、ボンッとルルカの首が真っ赤に弾けた。 「おや? 怪しいなぁ〜。まさか忍くんと、何かあったんじゃあ………」 「知りません!」 スパァーーーーンッッッ! 優夜の脳天に容赦のない幻糸ハリセンを叩き込むと、ルルカはスタスタと先を歩き始めた。 ……と、不意にその脚が止まる。 ルルカはクルリと踵を返し、再び優夜の元に足を運んだ。 「いつまで寝ているんですか! 早く起きないと置いてっちゃいますよ!」 「はいはい。了〜〜〜解」 四歳年下のマジ説教に苦笑しつつ、優夜はゆっくりを起き上がる。 ついてもいない埃を叩き、闇の奥へと一歩を踏み出す。 その隣りに並ぶように、ルルカが慌てて歩調を合わす。 「……………」 優夜はもう一度、苦笑を浮かべた。 深い闇の中を、誰かと肩を並べて歩いた事は、これまでにも幾度もあった。 慣れ親しんだ闇の世界。 物心ついた頃から、当たり前のように存在しつづけてきた夜の世界。 闇の歩き方なら、夜の歩き方なら、誰よりも多分……心得ている。 だが………。 「本当にもう………。優夜さんは、もっと英雄らしく振舞う必要が、あると思います」 「………」 ルルカと歩く闇は……夜は……優夜の知っているソレとは、随分と違った。 ただその存在が隣りに並ぶだけで、まるで真昼の中のように、夜を歩ける。 「ちょっと、訊いているですか優夜さん!」 「ああ、訊いているぞ?」 だから今は、これでいい。 漠然とした確信を抱きつつ、優夜はルルカと歩き続けた。 優夜が『本物』の伊織と再会を果たすのは、これより半月後の事である。 優しい夜の歩き方 〜アルガアルカ〜 (終) あとがき 今回にお話しは新見忍氏のご好意により、氏の作品である『富と栄光の行進曲』を、そのまま使わせていただきました。 さて、これまで書いてきた作品の中で、今回のは極めつけに自己満足な作品です。 ハッキリ言って、自分以外の人が楽しめるか否かは、ほとんど二の次……。 (まぁ、自分の書きたいものを書くという、二次小説の大原則は外していませんけど) 自分の中で今まで伏せてきた優夜の設定を、その半分でも公にしておこうという意思の表れでもあります。 この設定を語らずして、「アナザー・メモリー」の第二部には移行できないからです。 でも、実は悩みに悩んだんですよねぇ〜。 自分の作品を読んで下さった方の中では、「優夜=真性のヘタレ」という図式が完成しているようでしたから。 まぁ、そうなるように書いてきたワケなんですけど、まさかココまで認識されるとは思っていませんでした。 その図式を根幹から覆す今回のお話しは、それ故に随分と勇気のいる作品なワケで……。 とはいえ、優夜が「本気」を出す時は、基本的にはありません。 各クロス作家さんにおきましては、従来どおり「優夜=真性のヘタレ」の図式でお願いします。 それでは、今回の設定使用を快く承諾して下さいました新見氏に感謝しつつ、今回はこの辺りで。 |