「……」 がちゃ、と扉をあける音が耳に届き、ついで薄くベーコンの匂い―入ってきた人 物にくっついてきた空気―が鼻に届く。 大十字学園に勤める英語教師、ソード・ストライフの朝は不規則だ。 「…て…ださ…」 時には空が黒から藍に変わる頃目覚めて、トレーニングを始めたり。 「起きてください、――さ…」 時には日の出と共に起き出して、牛乳を一気のみしたり。 また時にはこうやって、起こされるまで眠っていたり。 緩やかに肩をゆすられ、ソードはわずかに目を開いた。 窓から差し込む朝日を纏った細い金糸の髪の束が、視界を横切る。 『光』と言う言葉がこの上なく似合うそれを見ながら、挨拶の言葉を発するべく 息を吸い―― 「起きてください、お…お兄様」 「なんでだぁっ!?」 ――絶叫が、爽やかな朝の空に響き渡った。 school days of S&N vol 0.1 "good morning,good day" 「ひゃっ」 ソードの顔を覗きこんでいたネリー―故郷の学校で使っていた制服の上にエプロ ンをつけている―が驚いて顔を引っ込めた。 叫んだ勢いのまま起きあがったソードはネリーにびし、と指を突き付ける。 「何なんだ朝っぱらから!?」 「……えぇ、と」 ソードの剣幕に怯えつつちょっとだけ嬉しそうに、と言う器用な表情のネリーは 頬を掻いて視線を逸らした。 もとよりそんなことで誤魔化されるソードでもなく、視線に込められたプレッシ ャーにさらされてネリーはあうぅ、とうめいた。やがて観念したのか、もじもじと 胸の前で指を組みながら自白する。 「その…優夜さんが『これならあのバーサーカー教師もイチコロだ!』って」 「また優夜か…」 ちなみに正確には『これならあのロリコンバーサーカー教師もイチコロだ!』だ ったのだが、『ロリコン』と言う言葉にソードが返す反応をこの上なくよく知って いたのであえて検閲削除。 とりあえず、それを言っても言わなくても優夜がどんな目に遭うかはあまり変わ らないことも知っていたが。 そんなことを考えるネリーを余所に、座っているソードの脳裏に締まりのない顔 で笑うクラス随一のトラブルメーカーの顔が浮かんで消える。 と言うかそれの言うことを実行するネリーもネリーだ。 「…………」 ボディビルダーのような過剰なものではなく、だが尋常でない強靭さを持つ筋肉 に包まれたソードの肩がぎしり、と軋んだ。 「あー…とりあえず、メシだな」 「あ、はい。下で待ってます」 エプロンを翻し、ぱたぱたとネリーが出ていく。 脳裏で使用する『道具』の選定を行いつつ、ソードはTシャツや上着を着込んだ。 …第一候補はアイアンメイデンに決定。使うのは学校の備品だが気にしない。 襟を整えながら机に手を伸ばし、開きっぱなしのノートPCを操作する。 ネットワークから送信されたいくつかのメッセージが表示され、それらを確認し ていく。 「ふむ」 一通りの確認を終え、ソードは端末の電源を落として居間へ向かった。 「いただきます」 ネリーはテーブルに並んだ出来立ての料理を前に行儀良く手を合わせた。どう言 う理由で始めたのかは覚えていないが、今ではすっかりこの仕種が身についている。 口に運んだベーコンエッグは胡椒の量も程よく、満足の良く仕上がりだ。 向かいに座るソードも心なしか幸せそうな表情でネリーの作った料理を平らげて いる。 …爽やかな朝だった。 天窓から見える、圧倒的なまでの深さを感じさせる青空が心地よい。 なんだかんだと言って今のような生活が送れる幸運―神はあまり信用ならないか ら―に、ネリーは静かに感謝した。 「ネリー」 「あ、はい?」 半分くらいまで内面に埋没していたネリーは慌てて顔を上げる。 いつの間に食べ終えて片付けたのか、ソードの前には珈琲の入ったマグカップし かなかった。 「あ…」 「ああ、それではない」 「ぇ?」 急かされたと思い、急いで動きを早めたネリーにソードは手を振って否定の意を 表す。 プチトマトを口に入れたところで『?』と上げた視線を受けて、ソードは珈琲を 啜って言葉を続けた。 「わざわざ俺と同じ時間に出なくても構わんぞ」 「……」 生徒はもう少し時間があるだろう?と言うソードに、ネリーは内心で溜息をつい た。 相変わらずソードのネリーに対する扱いは『子供』『妹』の範疇から脱していない。 対等なパートナーとしてやれるようにしたい、という気持ちは伝え、ソードもそ れを承諾したはずなのに……気がつくと、この扱いだ。 「いいんです、一緒に行きます」 「……そうか?ならいいが」 呟くソード。言葉の裏を読もうともせず、首を傾げるその姿からは『バケモノ』 呼ばわりされるほどの傭兵―経験と直感に根ざした『読み』で罠、人間の心理や突 発的な行動すら予測して見せる―であると言う事実はどう考えても導き出せない。 「そうです!」 会話を断ち切って食事に専念。 やがて食べ終わり、食器を纏めた視界の端に見えるのは…にやりと笑った口元。 …またか。またなのか。 「っ…ソードさ――」 「……ああ、忘れていた」 口を開いた瞬間、機先を制してソードが言う。 「おはよう、ネリー」 「―〜〜」 ニヤリとした笑みを張りつけたままの口が紡いだ言葉。 一緒に生活している間、その言葉を交わすことを一日もかかせたことはないのを 意図してのことなのか。 …結局。 「……オハヨウゴザイマス、ソードさん」 その言葉を聞いたソードが更に楽しそうに笑い、そのうちつられてネリーまで笑 い出したのも、平和な朝の風景であった。 |