「だから、何かあったら――ちゃんと、守ってあげてくださいね」 「当然だ」 今の会話で彼が考えたのは、『どこ』までなのだろうか。 そんな事を考えても仕方ない事に気づき、ネリーはミルクティーを啜って携帯電 話を確かめる。 ソードとネリーが二人で別行動を取っているときは、場所によっては数日連絡が つかない事などざらにある。今のような『何かがある』時ならばなお更。2,3日 程度連絡がない程度で何があるわけもない。 ……その、はずだが。何故だろう。 ネリーは頭を振ってその感覚を追い払い、携帯電話をしまいこんだ。 school days of S&N vol 0.45 "Day Dream/11th" ぶすぶすと煙の立ち上る、大学構内。 ばらまかれた破壊は熱気と臭気、更には濃い煙に形を変え、爽やかな青空とのコ ントラストが陰惨な雰囲気を作り出していた。 そして死の臭いが充満するその光景の中で唯一動く、光剣を持つ人影。 『Release』 電子音が響き、人影の傍らに止まるバイク――虫を連想させるカウルに覆われた、 黒い大型バイク――のボディが一瞬青白い光を反射する。 保たれていた形が消失し、ふわりと風の流れに散っていく粒子の残光に、傷一つ 無いソードの姿が照らされた。 無言で煙草に火をつけ、ソードは気だるげな足取りで胴体から両断されたアーム スーツの残骸に歩み寄る。 「ものの見事に足止めを食らったか。奴の実験とやらが失敗する事を祈るしかない が……」 歩きながら目を閉じる。足止めはほぼ成功、恐らく別の方向でも手が講じられて いるだろう。 ――間に合わん、か。 どうした所で帰還に数日かかる上、この街そのものを放っておけない状態にされ た時点でこの場での負けは確定だ。 心配したところで情報を伝える以外、何も出来ない。戦友としてのネリーを信じ るしかない。 思考と歩みを止めて目を開く。すぐ足元に転がっているのは、アームスーツの上 半身。 高収束エネルギーの接触によって融かされた切断面は、黒く焼け焦げていたが… …それでも見間違えようもない、破壊された機械部品の中心に収まる物体。 すなわち、人体。 アームスーツは基本的に有人が前提の兵器だ。あって当然ではある、のだが。 薄く立ち上る煙草の煙が、風に吹かれるままに白い線となって流れていく。 これは以前叩き潰してきたような生物をやめたような代物でもない。 明確な戦意を持って向かってきた、『敵』でもない。 ただぼんやりとした行動のみが敵対していて、意思を感じさせる場面など皆無。 ならば、その行動――それが、『本人』の意図したものではない可能性は低くは 無い。行動を強制する手段など、進んだ科学技術にかかればいくらでも沸いてくる。 だからと言ってソードに何ができるわけでもない。実際今のソードにできたのは 被害を少なくとどめる為に『こうする事』だけだ。 その事自体には、何も感じない。感じる事はとうにやめてしまって、だから何も 感じない様になった。 何も感じないようになってしまったから、ソードは考える。かつて持っていた感 情の記録を拾い集めて並べ、パズルのように組み合わせ、それが成すであろう形を 想像して。 「…………」 ぼんやりと焦点の外れた目で一点を見つめていたソードは、やがて気がついたよ うに動き出し、身を翻した。 振り向くその口元から、長さの限界に達していた灰がぽろりと落ち。 「――――すまん」 「はふ」 カウベルの音と共に閉じた銭湯喫茶のドアの前で、ネリーはため息をついた。 クラスメートとして慣れているとは言っても、すぐ側からひたすらプレッシャー をかけられ続けては疲れもする。 手首を返して時計を確かめる。もうこんな時間だし、夕飯は外食にでもしてしま おうか。 よしじゃあ市街へと決め、ふと数十秒前に遠ざかっていった背中の消えた方向を 見る。 ――彼の帰る場所では、今頃ブラーマが青い髪を揺らして気を揉んでいるのだろ う。彼も結構な急ぎ足だったし―― 「あれはあれで、意外と『双方向』なのかも知れませんね」 ふふ、と微笑んで夜闇の向こうに焦点を合わせる。 あれはあれで、互いを思う一つの形なのかも知れない。 用事も無いのに制服のまま歩き回るには少々遅い時間帯ではあるが――何、塾や ら遊びやらで遅くまで制服姿のまま道を行く同年代ならば沢山いるご時世だ。あや しげな場所に近づかなければいいだけだろう。 もう一度顔を水平より上に向け、自分の前後に広がる商店街と更に向こうのビル 街を見やる。 月に匹敵する明かりを宙へと放ち続けるその領域は、無愛想な墓石の群れのよう だった『あの街』とは違ってやけに賑やかで暖かだった。 ……いい街である。時たま不安にかられる程に。 所詮今の時間は泡沫なのではないかと、風に混じったささやき声が問いかける。 もう、終わりなのではないか?手が届く物を選びとり、そして帰る場所を持って。 こうして穏やかな空気に身を浸して過ごしていられるなど、本来はあり得ないので はないか。 消しても消しても消えない傷痕のように、その考えはふとした時間に浮かんでく る。 ――ポケットの携帯が震え、電子で再現されたオルゴールの音色が流れ出した。 「あ」 思考に沈んでいた事に気づいてぺちりと頬に手を当てながら、ネリーは番号表示 を確認した――フィルナだ。アレを渡した時やたら楽しそうにはしていたが、まさ かこの時間まで? 「はい、シェーンベルクで……す」 癖でつい自分の姓を口にし、途中で止めることもできずに言葉を詰まらせる。 繋がった回線の向こうで含み笑いが聞こえたのは、気のせいではあるまい。 『今、大丈夫かしら?先生のほうには何度電話しても繋がらなくて――』 「あ、はい。先生今海外に行っちゃってるんです。その……『アレ』の事、ですよ ね」 『ええ。相当面白い代物ね。あんなものは初めて見るわ』 「……ふぅ」 通話中を示す電子音を垂れ流す受話器を耳から離し、ソードは軽いため息を吐い てベッドに腰掛けた。 状況は嫌になるほどに予想通り。飛行機は『原因不明』の不調が発生して総点検、 更に他の空港から降り立ってきた機までもそれに巻き込まれ、更に陸路すら事故が 相次ぐという笑えなさ。 ……そして、ネリーはタイミングよく長電話でもしているのか何度試しても電話 が繋がらない。 仕方なくフロントで受け取ったスーツケース――あらかじめこちらで手配してお いた予備弾薬――を開け、油紙で包んだ紙ケースと服の各所から次々に取り出した 武器とをサイドテーブルのみならず床にまで並べていく。 ――彼らの頭蓋なんだけど……神経に直接命令を入力できる分子サイズのチップが あったわ。要は脳の代わりね。 ナイフと拳銃に始まり、更には分解された状態ながらライフルにショットガンま で。刃物銃器鈍器ワイヤー爆発物と後から後から出てくる武器は、やがてシングル ルームの床4分の1を占拠するに至った。 ――代わり……って。じゃあ。やっ、ぱり死んでるんですか?みんな。 ソードは手を腰に当て、鼻息を吐いて床に広げた装備の大群に挑みかかる。 ――……断言しづらいわね。脳が動いていなければ死体と扱っていいのかどうかに なるけれど。あなたがどう考えるか、それと国の法律によるかしらね? きりきりかちゃかちゃと整備に没頭していたソードは、ふとゴーグル型のルーペ を押し上げて視線を天井へ上向け、更にテーブルへと向けた。 なんとはなしに立てた人差し指の先端から、ゆらりと陽炎のような薄い光の粒子 ――フォトンと呼ばれるエネルギー粒子――の流れが立ち昇る。 「我ながら、ずいぶんと得体の知れない装備ばかりになったものだな……いや、今 更か」 ライターの炎にも似たそれは暫く揺らぐと、また現れたときのように消え去った。 こんな身体なんだからな、と口の中でつぶやき――――瞬間、最初に整備を終え ていたリボルバー拳銃を掴んで扉へ視線を向ける。 一瞬のうちに無音となった室内に微かに響く靴の音。数は間違いなく1つのみ。 足音に全く気を使わず歩いてくるという事は怪しげな職業ではない……はず。 ――悪趣味、ですね。 銃を握ったままの片手をポケットに突っ込みつつに立ち上がり、扉の脇に立つ。 壁を透過して描かれるイメージの中の人影がドアの前に立ち……ノック。 「すみません、ミスター・ストライフ。ファックスをご要望されたということなの ですが……」 「ああ、ありがとう。今原稿をフロントに持っていく」 耳障り良く、またやけに若い声に答えてソードは肩の力を抜き、サイドテーブル へ歩み寄った。 床に置いた武器はそのまま放って置き、サイドテーブルの上にあるものをかき集 めて授業用プリントの原稿の枚数を確かめ、摘み上げる。 「いえ、滞在される間ご入用ということでしたのでこちらまで機械をお持ちしたの ですが。よろしければ設置をさせて頂けませんか?」 ――そうね。こんな事が今の技術で実現できるとは知らなかったわ。ところで大丈 夫?調子が悪そうよ? 「……そうか。わかった、今開ける」 そう言ってソードが鍵のつまみを捻って開けた瞬間、ドアノブが激しく回転した。 硬質かつ激しい物音と共にドアチェーンが張り詰め、その隙間に捻じ込まれた銀 光にチェーンが一瞬で断ち切られる。 ぐるりと回転して扉に背をつけたソードの中で『スイッチ』が入る。耳の奥で神 経がきゅぃん、と音を発した。 がぎんっ! 扉を回り込んで振るわれた剣閃を、待っていたかのようにゆったり差し出された リボルバーの銃身が受け止めた。 反った身と独特の形状を持つ片刃の剣……刀の主は押し合いには付き合わず、素 早く刃を引いた。 銀光が再び翻り、扉があっさり斜めに両断され、視界が開けたその中央―― 「――な、に?」 カラスの濡羽色、というのだろうか。透き通った艶のある、黒く長い髪は先端だ け軽く編まれ、今は身体全体を捻った斬撃の余韻で広がっている。 ホテルの従業員の制服の袖から覗く細い腕が握るのは、柄を初めとして所々に異 質なデザインこそあるものの、表現するならば日本刀。 ――それはいい。色も武器も、そんなものはどうでもいい。 知っているのだ。目の前の存在を。 その手も足も膝も肘も腕も脚も腰も腹も胸も肩も顎も、その顔も。 例え黒髪になっていても目が鳶色になっていても、それは他に表現しようもなく。 「ネリー…!?」 一瞬呆然としたソードの眼前に放られた物体。 粘土に簡単な電子装置を押し込んだような――端的に言って爆発物。 「ち――ネリー、そちらは任せた」 ――あ、え?っ痛っ!? ――どうしたの? ――いえ、今……? 一方向に集中した爆圧によって吹き飛んだ外壁から、煙があふれ出す。 鳴り響く火災報知機のベル。人々の悲鳴、ざわめき。 街の中心地にそびえる高層ホテルは中腹から黒煙を吐き出し、にわかな騒動の波 を広げ始めていた。 「――はぁ。任せた……、ですか」 しばし目をぱちくりさせた後、ネリーはしょうがないですね、と困ったように微 笑んで電話を続ける。 『今?どうしたの?』 「いえ、何でも。……ありがとうございます、その出所は私のほうでも探してみま すから、後でデータをお願いできますか?」 『ええ、構わないわ。じゃあ、いい夜を』 「はい、いい夜を」 ぴ、と携帯を切り、ネリーは空を見上げる。 夜空を写す水面に波紋が広がるように一度だけ揺れた瞳は、1秒と経たないうち に目蓋の奥に隠された。 声に篭るのは深い感慨。場所も時間も遠くはなれた思い出を胸のうちでもてあそ ぶように、ネリーは目を閉じたまま動きを止めた。 「……どこでも同じですね。すぐ、いなくなっちゃうんですから」 |