ずず……ふぅ……

 真上を向いて重なった短針と長針が更に回転し、短針が2を指したころ。静けさ
の満ちる学園の食堂に、茶をすする音がゆるゆると流れる。
 昼の喧騒……まさに『局地戦』とも言うべき、あちらでは場所の取り合いが起き、
こちらでは空の食器で城壁が築かれ、そちらでは誰かが料理を持ったまま転ぶけた
たましい物音が響いて悲鳴が巻き起こった喧騒は、今は見る影もない。
 ぐちゃぐちゃと荒れた椅子やテーブルの配列はきちんと整えられ、誰かが引っ被
ったスープの残りは綺麗にふき取られ、床に散らばっていた割り箸だのスプーンだ
のと言った類は全て拾い上げられて、日当たりを考慮した結果か、高い壁面のほと
んど全面がガラス張りと言う学校の設備にしては異様に恵まれた環境の食堂は、白
を基調とする整然とした佇まいを取り戻していた。
 その食堂の一角。ガラス窓が作る格子状の影から天井によって作られる一面の影
へと切り替わった辺り、調理スペースと食事スペースを隔てるカウンター付近のテ
ーブルで、女性と少年が長閑に日本茶をすすっていた。ご丁寧にお茶請けのどら焼
きまで完備である。
 二人はなんと言うこともなく、ただただ寛いでいた。まさしく平和な午後の風景。
 ……だが。

「……む?悠然か?」

 突如入り口の方から響いた男性の――個性派、それも並ではないというか常識は
ずれの個性派ぞろいの特組の学級崩壊を文字通り『実力』で防いでいると言われる、
男性教師――声。
 その声を聴いた瞬間、のほほんと茶をすすっていた少年――村上悠然――は、び
くりと肩を跳ねさせた。



school days of S&N vol 0.3 "afternoon tea"



 ぷるぷると震える悠然の常ならぬおびえ方に首を傾げつつも、ソードはつかつか
と近づいてくる。

「ああ、先生かい」

 悠然の肩越しにソードに視線を向けたのはこの食堂の料理長、セレナ。いつも通
りの人当たりのよさそうな、元気の良い笑顔でソードに笑いかけた。

「暇なら先生もどうだい?」

 ええっと無意識に声を上げ、それを自覚した瞬間顔を青ざめさせて硬直した悠然
の頭にぽん、と手を置いてから――「ひぃ」などと言う声が聞こえた気もする――、
ソードは頷いた。

「では俺も……と、言いたいところだが悠然」
「ひゃい」
「何故ここにいる?特組は水泳の授業ではなかったのか?」

 そう。それこそが最大の疑問にして恐らく悠然の態度の原因。平日の午後は言う
までもなく授業中の時間帯である。
 ちなみに昼前にはべこべこのスクラップ芋虫状態になった掃除用具入れのロッカ
ーがプールに浮き、染み出した液体でプールが赤黒く染まったのだが……常に循環
しているプールの水はもう綺麗になっている、筈だ。

「その、脚が」
「脚?」
「自転車から落ちたとか言ってたっけね。先生は聞いてないのかい?」

 言われて視線を落とした先、テーブルの下には真っ白いギブスに包まれた右足。
ついでに立てかけられている松葉杖。
 ああと頷いてソードは目の焦点を遠ざけた。確かに悠然が負傷したと言う連絡は
昨日受けた。ついでにHRでも見て確認していたが……どうやら忘れていたらしい。

「自転車に乗っているときに幼女を避けたら柵にぶつかってお前が飛んだと言う奴
だな」
「はい、だから……」
「見学ではないのか」

 うっと呻いた悠然に心持ち顔を近づけ、ソードは悠然の頭の上から言葉を浴びせ
かける。セレナは楽しげに――見ようによっては意地悪に――笑みを浮かべたまま
椅子にふんぞり返って二人を眺めている。

「そもそも怪我と言うのも怪しい。日頃あれだけ飛来するコンクリート片が突き刺
さったり蹴り飛ばされたり窓から投げ捨てられたりしているくせに、少々飛んだ程
度で骨折だと?疑わしいにもほどがある」
「投げ捨ててるのは先生じゃないですか!しかもそのせいで俺色々狙われてるんで
すよ!?」

 連日窓の外をまっさかさまに落下して純真な子供の心に窓への恐怖を刻み付けた
のは悠然だが、その悠然を落下させるのは大抵ソードだ。更に原因まで遡ればそれ
は優夜が騒ぎを起こしたせいだったりもするが。

「大体俺だっていつも巻き込まれてるだけで――」
「一緒に行動しているのだから同罪だ、愚か者め」

 血を吐くような叫びを即座に斬断される悠然。弱い。

「大体にして何故あいつを止めない。いつも被っている程度の被害を覚悟すれば無
理でもなかろうに。それをしないのは貴様の中にも盗撮行為などを楽しむ心がある
からではないのか?」

 ずんずんと前進するソードに押され、悠然は既に限界までのけぞっていた。必死
にテーブルを掴み、身体を支える右手がぶるぶると震えている。
 にやりと笑ってソードは最後の一言――そして最後の一押しを突きつける。

「認めるが良い。貴様も、奴と、同類だ」
「う、うわっ、あわぁぁ……」

 とす、と指が額を押し出した。
 ソードの視界の下半分に映っていた悠然の額が過ぎ、鼻の穴が映り、顎が弧を描
いて――

 どが、ぼこんっ。

 椅子が倒れる、よく響く音と悠然の後頭部が勢いよく床に落ちる、微妙に水っぽ
い音。
 沈黙していたセレナがあーあと呟き、テーブルに置かれたままだった悠然の湯飲
みから立ち上っている湯気がゆらりと揺れた。

「……で、楽しいかい?」
「それなりに」

 平板なセレナの問いに同じく平板な声音で答え、ソードは近くの食器入れから湯
のみを出して椅子に座った。
 木製の急須の中を確認してからポットを引き寄せ、お湯を注ぐ。

「ん」
「む」

 短い声と共に突き出された湯飲みに茶を注ぎ、自分の湯飲みにも茶を注いでから
ソードはテーブルに突いた肘に掛けていた体重を抜いた。テーブルのたわみが戻り、
微かに軋む音がして湯飲みの水面が揺れる。
 一口すすってからソードは思わずため息を漏らし、セレナが笑ったのに気づいて
眉をしかめた。

「大変だねぇ、担任さんも」
「今更言うことでもない。そもそも厄介事を起こしては仕事を増やしてくれる奴ら
ばかりだからな」

 今朝も蛍光灯が損壊したばかりだったりする。

「……そんなに忙しいなら、こんなところでお茶なんて飲んでて良いのかい?」
「最低限のことはやっている。問題ない」
「最低限、ねぇ」

 実際まともに仕事をこなそうとすれば過労は決定であろう特組の現状を思い起こ
し、仕事の放棄とも取れる言動を平然と吐くソードを見て、セレナはあいまいに笑
った。
 普通のクラスならば明らかに不適格な教師だが、異常な集団には異常なものをあ
てがうのが結局は一番いいのだろう。異常な集団にまともな人物を投入したところ
で染まってしまう……コップ一杯のイカ墨に牛乳を一滴たらしたところで、白は黒
の中に飲み込まれてしまうだけだ。
 実際の例――染まってしまった例――を知っているだけに笑えるようで笑えない。

「仕事に慣れるというのは力の抜きどころを覚えると言うことだしな」
「間違ってるように聞こえるけど間違ってないね」
「ああ、そういえば……ん?」

 ふとソードは言葉を切った。視線を斜め下――先程悠然が転倒した方に向ける。
 ……悠然はぴくりとも動かず、うつ伏せに倒れ付していた。

「…………」
「…………」

 セレナとソードは無言のままに悠然を見ている。そして。

「……おおゆうぜん、しんでしまうとはなさけない」
「って、違うだろうそりゃ!?」

 ……結局特組は上から下まで騒動の種を内包している、かもしれなかった。

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