かりかりとシャープや鉛筆で文字を刻む音が、静まり返った教室に響く。 ほとんどの生徒が息を潜めつつ、目の前の紙切れに意識を集中していた。 大十字学園の中でもひときわ異彩を放つこのクラスは今、漢字小テストの真っ最中だった。 愛用のシャープが小さな音とともに解答欄に答えを書き記す。 『鈍感』 「……ふぅ……」 その文字にこのクラスの学級委員であるブラーマはおもわずため息をもらした。 その言葉から彼女が連想する人物はただ一人、同じ下宿先から学園に通う、少し変なクラスメート。 レグニスのみだ。 まったくあいつと言えば鈍感、鈍感といえばあいつといえるぐらいで、そのすさまじさは…… (おっといかん。余計なことを考えている場合ではない) 頭を切り替えると、ブラーマは再び目の前の小テストへと意識を向けた。 (……激励、……戦慄、……奇跡っと) 学園編 第一幕〜寄り道小道〜 「やれやれ……」 小テストも終わり、休み時間のざわつきあふれる教室の中で、ブラーマは疲れきったようなつぶや きをもらした。 無論、あの程度のテストなど彼女にとってはものの数ではない。 彼女の気疲れの原因は、いうまでもなくレグニスにあった。 あまりにも鈍感。すさまじいまでに鈍感。どのようにアピールしようとも、完膚なきまでにスルー してくる。 当然そんなことでくじけるブラーマではないのだが、押しても引いてもずらしても駄目なレグニス に、さすがの彼女もときどきへこみ気味になってしまう。 「……どうするべきかな……」 椅子にもたれかかりつつ、おもわずそんな言葉が口をついて出る。 「どうかしたんですか? 学級委員さん」 いつの間にやら、一人の女生徒が後ろに立っていた。 「む、由宇羅殿か……、いや、なんでもないんだ」 「ホントですか? 学級委員の仕事って大変みたいですし」 「心配、かたじけない。だが本当に大丈夫だ」 「気をつけてくださいよ。学級委員なんて面倒な仕事、他にやる人いないんですから」 「…………」 「あ、なんならいい薬売りますよ。格安で」 「……遠慮しておこう」 とりあえず、丁寧に断っておく。鈍感を直す薬でもあるなら、話は別だが。 「…あ。彼氏であるレグニスさんのことで悩んでたんですね」 「それは……その……」 以外に鋭い由宇羅に、ブラーマは思わず口ごもる。 もっとも、彼女の『一方通行』はクラス内でもかなり有名だから、隠す意味など無いのではあるが。 「わかりますよ、鈍い人ってほんとひどいですから。レグニスさんレベルの人はすでに犯罪です! ……ブラーマさん、よく平気ですね」 「もう慣れた。……慣れたくもなかったがな」 力ない笑みを浮かべるブラーマ。言いようのない苦労を積み重ねた笑みだ。 「そうだ、じゃあこれ……試してください」 そう言って由宇羅が差し出したのは、折り畳まれた一枚の紙切れだった。 「これは……?」 受け取りつつ、開いてみる。中には何かの名前らしきものと値段が書かれていた。 ついでに端に、『銭湯喫茶キャロル』とも書かれている。 「レグニスさんとの仲を縮める、秘策ですよ」 「すまんな、付き合ってもらって」 「別にかまわん。俺も都合があったわけではないからな」 どことなくうきうきした声に返るのは、いつもながらの事務的な口調。 放課後、『銭湯喫茶キャロル』へと向かう道を、ブラーマとレグニスは連れ立って歩いていた。 「そういえばお前、美術の版画制作が他の者より遅れていたのではなかったか?」 「次の時間内に仕上げればいい。それぐらいでお前の呼び出しを断ることもないだろう」 まさに『なんでもない』といった感じにレグニスは答えた。 鈍感で無表情なレグニスではあるが、いつもこうやってブラーマを気遣ってくれる。 それがブラーマにとってはうれしい事実ではあるのだが…… 「あまり無理をせぬようにな」 「たいした問題ではない。それよりも、なぜ版画は彫刻刀をつかわねばいかんのだ。ナイフなら半 分の時間で終わらせられるんだがな……」 「…………」 やがて二人は目的の銭湯喫茶へとたどり着いた。 「…入るんだろう」 「う、うむ」 実を言えばブラーマはここに来たのは初めてだったのだが、自分から誘った手前、自分から先に入 るのが筋と言うものだろう。 意を決すると、ブラーマは店内へと踏み込んだ。 「いらっしゃ〜い! あ、ブラー饅とレグにくだ」 この銭湯喫茶の看板娘であり、学園での知り合いでもあるキャロルが元気よく声をあげた。 「あ、ああ、キャロル殿。ちとよってみたのだが……」 「珍しいね、うちに来るなんて。はいはい、お席はこちらです〜」 キャロルの案内の元、二人は席に着く。店の奥まった部分にある席だ。 「で、ご注文は〜」 「うむ、それなんだがな……」 ブラーマは軽く咳払いすると、制服のポケットから例の紙切れを取り出した。 「えーっと、『ブレイクダウン』を一つ頼む」 「えっ……」 紙に書かれていたメニューを読み上げたそのとたん、キャロルが硬直した。 「……キャロル殿?」 「あ、うん。それでいいんだね。ブレイクダウン一つ入りましたー!」 「お待たせ〜。ブレイクダウンです〜」 「なっ……」 キャロルがお盆にのせて運んでくる物を見て、ブラーマは思わず石化した。 大きめのグラスになみなみと注がれた、青く透き通った液体。小さく泡が浮かんでるところをみる と、炭酸系のようだ。グラスのふちを小さくフルーツが飾っている。 「どうした、ブラーマ?」 問いかけるレグニスに、ブラーマは答える余裕がない。その視線は、グラスに差された『二本のス トロー』へと釘付けになっている。 「いや〜、これ頼む人見たのカイぱん達以外で始めてだよ。じゃ、ごゆっくりどうぞ〜」 テーブルの上にジュースを置くと、キャロルはさっさと離れていった。 後に残るのは無表情のレグニスと、硬直したブラーマのみ。 (ど、どうしろというのだ……) ジュースを前に、ブラーマは混乱しきった頭で考える。 確かにこんなもの、学園一の馬鹿……もといベストカップルであるカイゼルとサレナなら絵にもな るだろうし、周りもそれなりに見てくれるだろう。 だが自分とレグニスでは…… (それになにより、私がこっ恥ずかしいわ!!) 心の中で絶叫しつつ、ちらりとレグニスのほうを見る。 微妙な表情だ。困ってるわけでも、照れてるわけでもない。しいて言うとしたら……不思議がって いるようだ。 「……飲まないのか?」 「いや、その……お前はこれがどういうものかわかっているのか?」 「二人で飲むものだろう。ストローが二つついているしな」 そういうと、レグニスはあっさりとストローに口をつけた。 (……ええい、ここまできたらやるしかあるまい!) 腹をくくると、ブラーマもストローをくわえる。 本当は炭酸系は少々苦手なのだが、味なんて感じる余裕はなかった。 (こ、ここが奥の席でよかった……) 「あ、ブラーマさん?」 突如横からかけられた聞き覚えのある声に、ブラーマは思わずジュースを噴出しそうになった。 根性で飲み下すと、慌てて隣のテーブルへと目をやる。 「ネ、ネリー殿とソード先生……」 そこに座っていたのは、クラスメートであるネリーと、その保護者的英語教師のソードだった。 「学校帰りに寄り道か? ま、ほどほどにな」 「族にからまれない程度には帰還します」 ちょっとからかうようなソードの言葉にも、レグニスは真面目に応じる。 この二人、戦闘的な雰囲気が共通するせいか妙なところでウマが合う。 「ところでブラーマさん、一体何を……あ!」 何気なくブラーマたちのテーブルを覗き込んだネリーが、小さな叫びとともに赤面する。 「ご、ごめんなさい。お邪魔でしたね」 「い、いや、そんなことはないぞ。そうだ、この際ネリー殿も注文してみては……」 それは取り繕うように言った一言だったのだが…… 「はーい。ブレイクダウン一つですね〜」 「あ……」 いつの間にやら注文を取りに来ていたキャロルが、すごい勢いで厨房のほうへと走っていった。 後に残されるのは、顔を赤くした二人の少女と、なんら動じた様子のない二人の男。 「ブ、ブラーマさん……」 「な、なにかな? ネリー殿」 「こ、このことはみんなにはその……内緒に……」 「わかっている。そのかわり、こちらのことも……」 どちらともなく顔を見合わせると、二人は力強くうなずいた。 二人は失念していた。 この茶店の看板娘も、クラスメートだということを。 翌日、キャロルの悪意なき口から思いっきり言いふらされた。 第一幕 終わり |