その6
「やばいんだよ、シャレじゃなくて実際」
そう話を切り出したのは悠然殿。どことなくここ数日でやつれたようにも……
いや、確実に憔悴しているのが見てとれた。
放課後の教室縫に「重要な話がある」と急に皆を集めるものだから、
ただ事ではなさそうとは思っていたが、正直見た目から言ってすでにやばそうである。
「大丈夫、悠然クンがやばいのはいつも当たり前の事だから!」
「……今は言い返す気力も無いぜ、優夜……」
「で、本題は何だよ。さっさと話せよ、俺はこの後生物部の後輩の女の子達と予定が……」
「予定が、なんですかカイゼル様?」
「い、いやサレナ、なんでもないって。……早く話せよ悠然」
なんとなく焦りを交えつつ、話を晒すかのように先をせかすカイゼル殿。
やはり学園一のバカ……もといベストカップルとは言えども、プレッシャーには弱いようである。
さて、肝心の悠然殿であるが、皆にせかされてようやく本題を語り始めた。
「この前さ、由宇羅が店に新しく人形を仕入れてきたんだ」
「人形?」
「ああ。アンティークっていうのかね、こう古臭くって、いかにもってカンジの人形なんだよ」
「それがどうかしたのかい、悠然クン?」
すると悠然殿は少しうつむくと、か細い声で呟くようにして言ったのだ。
「……いるんだよ」
「は?」
「店で仕事してる時とか、ふと気が付くと視界の端にいつの間にかその人形がいるんだよ!」
「それは……気のせいでしょう?」
「はっはっは、ナイス偶然」
やや顔を青くしつつも、引きつった笑いを浮かべるルルカ殿と、逆にさわやかに笑う優夜殿。
しかし悠然殿は逆にその笑みをかき消すような勢いで、
「それだけじゃねぇ! 背中向けてるとなんか視線を感じるし、しょっちゅう移動するし、
側通ると悪寒がするし、夜中足音が聞こえるんだぞ!」
「大フィーバーだな、オイ……」
「もうやってらんねぇ。このままじゃマジでやばい。だからさ……
誰か引き取ってくれ!」
悠然殿が紙袋から『それ』を取り出した途端、教室の温度が一気に下がったような気がした。
その、確かに良くできた人形なのだが、なんというか纏ってるオーラが違うのだ。
禍々しいというか……ともかくあまり直視したくない雰囲気をかもし出している人形なのだ。
現に皆も出された直後ののけぞるような格好のまま硬直している。まあ、私もだが。
しかしあのレグですら顔をしかめたのだから、これは仕方なかろう。
「金はいらん、俺が店に払っとく。引き取るだけでいいから誰か……」
「ば、婆ちゃんの遺言で人形だけには関わるなと」
「う、うちにはもうぬいぐるみがいますし」
「よし、なら俺が引き取ろう!」
むう、身の程知らず……もとい度胸があるな優夜殿。何に使うかはなんとなく察しが付くが。
「おう! 引き取ってくれるか優夜!」
「モチロン! そしてルルカ、はいプレゼント♪」
「いりません」
「そんな、お兄さんからの心のこもったプレゼントをそんな風に……泣いちゃいそう」
「こもってる心っていうのはイタズラ心でしょう! とにかくこんな怖い物いりません」
「仕方ないなぁ。ほらラルカ、お人形さんだよ」
「おにんぎょうさん……?」
「だぁぁーーっ! ラルカ駄目ですよ、知らない人から物をもらっちゃ」
「え……でもお兄ちゃん……」
「知りません。あんな迷惑を振りまく珍獣は知りません」
色々あったが結局その人形は優夜殿が引き取っていく事で決着が付いた。
だがしかしその三日後、どうやったのかはわからぬが人形は優夜殿の自宅から突如脱走、
翌日悠然殿の自宅前にて発見されたそうである。
「いやぁ、モテモテだね悠然クン」
「もてもて……」
「勘弁してくれーーっ!!」
その7
放課後の帰宅前のひとときは、たわいも無いおしゃべりで過ごすのが常である。
そしてこの取り止めの無い会話が、私は意外と好きだったりするのだ。
「もうすぐプールの授業が始まりますね」
「そうですね、もうそんな季節ですか」
「月日が経つのは早いものであるな」
心の底からそう思う。気を抜くと時間はあっという間に過ぎ去り、季節は巡っていく。
なんとなく寂しさを感じるものであるが、こればかりは嘆いても仕方ない。
どう足掻いても時は過ぎる物。ならば先のことを考えるのが良いと私は思う。
「わたしは新しく水着を買わないと。去年のはもうきつくって」
「特に腹回りがねー」
「あら? どこからかちみっこ体型の僻みが聞こえてくるわね〜」
そ知らぬ顔で菓子をぱくつくベルティ殿。その間食量で一向に太らぬのは何故であろうか?
「ま、アンタは経済的でいいわね。子供用の水着がいつまでも着れるでしょう」
「ぶー、ボクだって育ってるんだよ。そろそろ買い換えないと」
ちなみに第十字学園には学園推奨のスクール水着がある。
しかしそれはあくまで推奨であり、指定とまではなっていないのだ。
つまり、授業などで着用する水着に特にこれといった制限はないのである。
色や形状などが著しく逸脱していなければ、の話ではあるが。
「やっぱわたしにはセクシーなヤツが似合うわよね。カラフルなビキニで、
露出も派手なのとか。みんなの視線釘付けってカンジで」
「そんなことしなくても普段のドジで充分みんなから冷たい視線釘付けだよ」
「それ以前に校則の釘が刺さるであろうな」
言うまでもなく、それはアウトであろう。確かにベルティ殿には似合いそうではあるが。
スタイルのいいベルティ殿であれば、体のラインがはっきりした水着も不安無く着こなせるであろうな。
私には到底真似できない行為である。いろんな意味で。
「わたしはまだ去年のが着れると思うんですけど、ラルカのは新しく買ったほうがいいかな、と」
「私は新しく買います。ええ、買いますとも。フェティッシュ学園の陰謀には負けません」
のんびりと言うルルカ殿とは対照的に、なにやらサレナ殿には力が入ってるように見える。
そんなに学園指定の水着がイヤなのであろうか?
「ところでブラーマさんは水着どうするんですか?」
「私か? 私は去年のが着れたような気もするが……」
なにぶん昨年の事なのでイマイチ自信が無い。
多分ここ一年で成長しているであろうし、後で確かめてみる必要があるだろう。
と、いうことで私は帰宅した後、さっそく押入れの中から去年使用していた水着を引っ張り出してみた。
学園推奨のものではないが、似たような雰囲気の地味な水着だ。
とりあえず手にとって確認してみる。目に見えての損傷はないようだ。
しかし問題はサイズの方である。こればかりは着てみない事にはわかるまい。
…………むう、着れる事は着れたがやはり少し小さいようだ。
全体的に窮屈なのだが、特に胸や腰回りあたりが厳しいように感じる。
つまりこれは、あれだ。私もちゃんと成長しているということだ。断じて太ったわけではない。断じて。
だがこうなると買い換える必要が出てくるな。
水に濡れると多少は緩やかになるとはいえ、こう窮屈では無理があると思う。
仕方ない、今度ルルカ殿達が予定している買い物に同行させてもらうとしよう。
そう思いつつ、水着を脱いだその時、
「ブラーマ、さっきから呼んでいるだろう。ミノルカさんが……」
あろうことかレグが扉を開けて入ってきたのだ。
そういえば、部屋の鍵を閉めていなかったような覚えがある。
入ってきたレグはこちらを見た瞬間固まった。私もあまりの事態に硬直している。
停滞する時間と気まずいような空気。
先に動いたのはレグだった。
まるで逆回しの映像のごとく外に出つつ扉を閉じ、
「……砂糖の場所を探しているぞ。先日の買い物でお前が買ってきた後、どこにしまった?」
外から何事も無かったかのごとく会話を続けおった。
その瞬間、私の中で『何か』が切れたのを感じた。
私は手早く着替えると、扉を開けて外へと顔を出す。
いつも通りの仏頂面でレグはそこにいた。いや、すこしだけ動揺してるようにも見える。
だがそんなことは今の私にはどうでもいいことだ。
何事かを言おうと口を開いたレグより先に、私はヤツの胸倉を掴むと思いっきりがくがくとゆすった。
「お前と……お前という奴は何でいつもいつもいつもそうなんだ!」
「ま、待て。落ち着けブラーマ」
「何でそう冷静でいられる!ええ、なぜなんだ、なぜだと聞いてるんだーーっ!」
私とて乙女である。見られて恥ずかしいという感情が無い訳でない。
だがこのときはそれ以上に大きな怒りが私の心を支配していた。
普通なら両方とも赤面しかねない状況だというのに、
見た目上は方や平然、私ばかりがいつも照れたりおたおたしたりしている。
いつもいつでも、私の方だけが。
もうなんというか、無性に腹が立つ。
結局騒ぎを聞きつけたミノルカさんがやってくるまで、私は怒りに任せてレグを締め上げ続けた。
まったく、アイツと来たら……
その8
今日は皆で三駅ほど行った所にあるデパートに来ている。
用件は勿論、先日話題に出た水着の購入の為だ。
メンバーはサレナ殿にルルカ殿とラルカ殿、そして私。
しかしなぜかそこにカイゼル殿と優夜殿、さらにはレグが随伴しているのだ。
カイゼル殿が来るのは、まあわかる。
優夜殿はおそらくからかい目的であろう。だがレグが来る理由がどうもわからない。
今も水着売り場の近くにある、キャンプ用品売り場の簡易サバイバルキットを眺めている。
お前は一体何をしに来たのだ?
しかし直接聞くのはどうにも気まずい。
先日思いっきり怒ってしまったのもあるが、その前の出来事も思い返してみると……
なんというか、恥ずかしくて顔をあわせづらい。
「じゃあ、ここからはみんな別行動ということで」
「そうですね、では一時間後にそこのエスカレーター前に集合しましょう」
「いいよん。さあラルカ、お兄さんが選んであげよう」
「うん、選んで……」
「まってください、そうはさせませんよ!」
いかん、いつの間にやらみんな独自行動をはじめてしまった。私もとっとと行動せねば。
しかしこうやって実際に売り場に来てみると、当たり前だが様々なものがあるな。
この中から果たして私に合う物が見つけられるだろうか。
私としては派手な形状や色合いの物は避けたい所である。当然露出もだ、恥ずかしいしスタイルがな。
その辺りに値段などの現実的な要素を考慮に入れて……
「これなんかどうだ?」
「え……これですか、ちょっとその……面積が」
「そうか、俺は好きだけどな。サレナにも似合いそうだし」
「そ、そうですか?」
「ああ、悪くない」
む、いかん。この先は『ワールド』が展開されている。
これ以上近寄ると巻き込まれそうだ。そそくさと方向転換する。
「ラルカ、これなんてどう? ピンクでフリフリ、可愛らしいでしょう」
「いやいやラルカ、これからは速さだよ。イルカさんのごとく泳ぐにはこれを……」
「何言ってるんですか、優夜さん! まだラルカは子供なんですから。
この時期限定のヒラヒラを着せるべきです! 大きくなってから着ると犯罪ですから」
「はっはっは、君の魂胆はお見通しだよルルカくん。
君はラルカに自分より速く、上手に泳がれるのを恐れているのだね!」
「なっ……そ、そんなことないですよ〜」
「おやおや、ルルカは気が早いねぇ。すでに目がスイミングしてるよ」
あちらはあちらで楽しそうであるな。まさしく和気藹々といった感じである。
普段は色々と優夜殿に神経を尖らせているルルカ殿も、どこか楽しそうだ。
おっと、他人を気にしていないで私も探さねば。
しかししばらく探してみるも、どうにも気が乗らない。
皆が楽しそうにしているのに、私だけ一人というのはなんというか、とてもやるせない。
だがそうも言っていられん。とにかく良さそうな物を見つけなければ。
そう思っていた私は、不意に気配を感じて顔を上げる。そこにはなぜかレグの姿があった。
「なんだレグ、何か用か?」
未だ気まずさを引きずっている為か、ちと言葉遣いもぶっきらぼうになってしまう。
だがレグはそんなことをまるで意に介さずといった調子で言った。
「選んできたぞ。候補にでも留めておいてくれ」
「……何の話だ?」
「お前の水着の話だが」
「……………は?」
あまりのことに私はぽかんと口をあけたまま固まってしまった。
レグが、わざわざ選んで、持ってきた。私の、水着を。
…………ありえない。こんなこと、まずありえない。
「い、一体どういう風の吹き回しだ。お前がこんな……」
「水着など、特殊な衣装の購入にはなるべく同行し、手伝うものと聞いていたんだがな」
「誰から聞いた? 正直に言え」
「優夜だ」
私は舌打ちと共に思わず額を押さえた。そう、優夜殿の手口はこうなのだ。
レグは妙な所で認識や知識が抜けていて、そこをよく優夜殿に付け込まれたりしている。
だがいかなレグとて毎回毎回デタラメを伝授され続ければ警戒し、信用しなくなってくる。
だから優夜殿は、時折嘘とは言い切れないことをを混ぜて伝える。ちょうど今回のように。
ゆえに疑いつつも優夜殿の言葉を実行してみるレグ、といういつもの図式が出来上がるのだ。
「……なにか問題でもあったか?」
「い、いや、そんなことはないぞ」
「そうか。ならこれを。お前の考えるであろう条件は一応満たしているはずだ」
「わわ、わかった。考慮しよう」
レグから水着を受け取る。どうやら学園推奨水着の同系列で、色違いの物のようだ。
オレンジと黄色を組み合わせた、明るい色使いのわりには派手な印象の無い堅実な物だ。
「色、サイズ、値段、素材から予想される耐久性、洗濯時の手間、全てにおいて問題は無いと思うが」
「な、なるほど…………待て、色?」
なぜレグが私の色の好みを知っているのだ?
するとレグは私の頭部を指差し、
「お前が一番着用してる事が多い色、だと思ったが?」
「あ…………」
そう、普段から私の髪を結んでいるお気に入りのリボンの色は、黄色だったのだ。
結局私はレグが選んできたその水着を購入した。せっかく珍しくレグが選んでくれた物であるしな。
先日の事もまぁ、これに免じて許してやろうと思う。プールの授業もなんとなく楽しみになった。
だが帰り道、私はふと気になったことをレグに尋ねてみた。
「ところでレグ、どうして私のサイズがわかったのだ? 試着してみた所ピッタリだったが……」
「特に大した事ではない。四月の身体測定のデータは特組全員分所持してるからな」
「さらりというな。犯罪に近いぞそれは。というよりよく記憶してるな」
「仕事柄な。それに先日偶然とはいえ目視で確認したからな、誤差修正も容易だった」
「なっ……お、お前というやつは……」
「どうした、顔が赤いぞ?」
「ううう、うるさい。夕日のせいだ、夕日の!」
その9
特組の教室の蛍光灯が割れた。
いつもの面子がいつものように騒ぎを起こし、いつものように大騒ぎになった為である。
しかし流石にそれを『いつもの事』としてさらりと流すわけにはいかないようだ。
「んな訳で、用務員室から代えの蛍光灯をもらってきてくれ、学級委員」
「……こういう場合は破壊した本人、もしくは原因となった人が行くべきではないのですか?」
「それは無理だ。なぜならそいつらはこれからたっぷりお仕置きを受けるんだからな」
「なるほど、それでは仕方ありませんね」
実に納得できる理由である。私はうなずくと、そそくさと教室を後にした。
それに続くようにぞろぞろと事件に関係のない特組のメンバーが教室から脱出してくる。
さしずめ民族大移動のごとく。
「よーしレグニス、逃げられんよう出口を固めろ」
「了解しました」
「ソ、ソード先生落ち着いて。争いは何も生み出しませんよ」
「そうそう、破壊から再生ってよく言うし、今回の事もきっと必然だったと俺は思うんだよなぁ」
「御託はいい。俺は教師だから今からお前らに授業をするだけだ。
こういったバカ騒ぎが一体どういう風に自身に返ってくるかについてな」
「「「ギャーーーッ!!!」」」
教室から断末魔の叫びと思われるものが聞こえてくる。
だがこれこそまさに特組では『いつもの事』である。いちいち気にはしてられない。
続く絶叫や物音を背に、私は用務員室へと歩を進めていった。
さて、用務員室に来たはいいが肝心なことを忘れていた。今ココに人がいるかどうかだ。
まさか勝手に物品を持っていくわけにもいかんだろう。
一応ここ、第十字学園には二人の用務員がいるはずだ。
一人は風野氏。敷地内の草木手入れや中庭のベンチ修繕など、外装仕事を主にされておられる方だ。
もう一人は丹羽氏。風野氏とは逆に校舎内での仕事を担当されておられるらしい。
このどちらかでもいてくれればよいのだが……
だがいざ扉に手をかけると、意外にも鍵はかかっていなかった。
安心半分、拍子抜け半分の複雑な気持ちを抱きつつも、私は挨拶しつつ中へと入る。
「失礼します。特組のものですが蛍光灯の代えを……」
用務員室の中は混沌だった。
部屋中に乱雑に散らかったゴミやらよくわからない物体の数々。
タバコ臭い空気が部屋中に充満しており、立ち込める煙が申し訳程度に開いた窓から外に流出している。
その光景たるや、思わず入るのをためらってしまうほどだ。
そんな異空間の中心に、この部屋の主達二人の姿があった。風野氏と丹羽氏だ。
二人は部屋の真ん中で将棋盤を挟んで静かに対峙していた。どうやら対局の真っ最中のようだ。
どちらも胡座をかいて真剣な表情でじっと盤面を見据えている。
……仕事はどうしたのであろうか?
「あの、特組から来たのですが、蛍光灯を……」
傍により、一応声をかけてみるも全くの無反応。むう、これはまいった。
黙って持ち出してはいかんだろうし、第一こんなに散らかっていてはどこにあるのか見当もつかない。
途方に暮れかけたその時、私の目の前に何者かが現れた。
「コケコッコーッ!」
明らかに間違ってる鳴き声をあげる青い姿。風野氏の愛梟にして謎の生命体、トルネードだ。
普段は風野氏以外にあまり近寄ってこないのだが、今日はなぜか私の側まで羽ばたいてくる。
訝しがる私に、トルネードは器用にホバリングしつつ足に持っていたそれを突き出した。
ネコ缶だった。
「……私に開けろ、と言いたいのであられるか?」
「くるっぽーっ!」
「ではそのかわり、蛍光灯を探してきてくれぬか? 一般教室用のをだ」
「ツクツクホーシ!!」
ほとんど冗談のつもりで言ったのだが、トルネードはなぜか高らかに鳴くと私の手にネコ缶を預ける。
そして部屋の隅へ飛んでいくとゴミ山の一角を漁り始めた。
人の言葉がわかるとは聞いていたが、まさかそこまで正確に理解しているのであろうか?
なんとなく異様なものを感じつつ、私は渡されたネコ缶を開ける。
幸いワンタッチ式の缶だったため、すぐに開いた。続いて中身を空ける物を探す。
すぐそこに『戸瑠寝井戸』とかかれたネコ用の餌皿が転がっていた。おそらくこれであろう。
「カナカナカナカナ………」
皿にネコ缶の中身を空けていると、トルネードが戻ってきた。私はネコ缶を空けた皿を床に置きなおす。
トルネードも足に持っていたものを私へと渡してきた。うむ、確かに蛍光灯、しかも使用証明書つきだ。
「ありがとう、すまぬな」
「テッペンカケタカ!」
微笑みかけると、トルネードも返すように一声鳴き、餌皿へと向かっていった。
しかしあの鳴き声は一体どういった基準なのだろうか?
教室への帰り道、蛍光灯を片手に私はふとこんなことを考えた。
外装担当:風野氏 内装担当:丹羽氏 事務担当:トルネード
…………いいのだろうか、これで?
その10
時たまではあるが、ミノルカさんに急な用事が入るときがある。
そう、まさに今日のように。
「ごめんなさいね、今日一日だから」
「いえ、これも当然のことですよ。家族として」
「ありがとうブラーマちゃん。じゃあ……お願いするわね」
その場合、困ってしまうのはコニーだ。
事前に予定してある場合は保育施設に預ける事が出来るのだが、急な場合はそうはいかない。
「いくぞ、ブラーマ」
「むう、待てレグ……よし、おとなしくしてるのだぞコニー」
「あ〜〜、きゃう〜〜」
その場合の対処法は決まっている。私が背負って学園に連れて行くのだ。
朝の空気の中、いつも通りの通学路を行く私とレグ、そして背中のコニー。
今は登校の時間なので、勿論周囲には通学中の他の生徒の姿が。
うう、これではまるでさらし者だ。
これは決してコニーを連れて歩くのが嫌だという意味ではない。
確かに泣かれたり、いたずらされたりと苦労をかけられることも多いが、
穏やかな寝顔や楽しそうに笑う姿には心癒されるものがある。
それにようやく言葉を覚えてきたばかり、今後の成長もとても楽しみだ。
つまり、コニーを連れて行くことに特に異議は無いのだ。
だがこの周囲からの視線の集中はなんとかならんものだろうか。
道行く生徒の大半が足を止め、こちらを見てくるこの状況はどうにも……
ベルティ殿などとは違い、私はあまり注目を集める事に慣れていないのだ。
ええい、ココは気持ちの切り替えだ。
私は視線など集めてはいない、これは気のせいだ。そう気のせい気のせい……
……よし自己暗示完了。
「今日はなぜかしらんが、やけに見られてるな」
レグよ、正直なのはいいが何もこのタイミングで言う事はなかろうに。
しかしレグがそう洩らすほど注目を集めているのか、今の私達は。
「よっぽど赤ん坊が珍しいのだろうな」
いや、それもあながち間違いではないが、この場合はそうではなく、
『赤ん坊を連れて登校する女子生徒』が珍しいのだ。
だがレグに説明したところでほとんど意味を成さぬであろうな。
まったく、レグは変なところで常識が抜けてるから困る。
と、私が思わず頭を抱えそうになった時、突如隣で鳴ったブレーキ音が思考を遮った。
「やあレグくんにブラーマちゃん。今日も元気に夫婦二人三脚で登校かい?」
「おはようございます、ブラーマさんにレグニスさん」
「お、おはようルルカ殿、それに優夜殿」
横付けされた自転車に乗っていたのは、お馴染み学園名物の歩く迷惑、優夜殿。後ろにはルルカ殿もいる。
朝はルルカ殿と二人乗りで登校されているのは知っているが、今日はまた随分と早いな。
いつもは遅刻ギリギリの時刻のはずなのだが、まさにこんな日に限って……ということか。
そんなこちらの思惑を知ってか知らずか、優夜どのは更に続ける。
「おや、今日は愛娘のコニーちゃんもご一緒か」
「あ、本当ですね。お久しぶりコニーちゃん」
「だだだきゃうあ〜」
「ふふ、元気ですね〜」
「うんうん、親子三人でのお出かけにご機嫌急上昇だね。やっぱ寝るときも三人川の字?」
ゆ、優夜殿、他の生徒がいる前だというのにそんな大声で……
絶対にわざとであるな、この御仁。
「レグくんもしっかりしないといけないよ、色々と」
「善処しよう。よくわからんがな」
「そうそう。大丈夫、この調子なら二人目もすぐだよ。じゃオレたちはお先に」
「お先に失礼しますね、レグニスさん、ブラーマさん。それにコニーちゃんも」
「あ、ああ後で学園でな……」
引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、学園名物は走り去ってしまった。
残されたのはわたしとレグとコニー、そして先程より格段に強まった視線の集中。
「どうした、俺たちも行くぞ?」
うう、レグよ、お前のその鈍さが今はちょっとうらやましいぞ……
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