「ブラーマ」
買い物の袋を手に提げたまま、レグニスが唐突に声をかけた。
夕暮れ時の商店街を先に歩いていたブラーマが立ち止まり、振り返る。
「どうした、レグ」
「先ほどからかすかに聞こえる、あの奇妙な音楽は何だ?」
「音楽……ああ、祭囃子か」
先ほどからかすかに風に乗って聞こえる音色に、ブラーマは顔を上げる。
「近所の小山にある神社で、今日祭りがあるそうだ。それの……まあ前座のようなものだ」
「祭り……?」
「もしかして、祭りに行ったことがないのか?」
「ああ、ない」
ブラーマの問いかけに、レグニスは至極あっさりと首肯した。
その様子に多少の苦笑を浮かべつつ、ブラーマはレグニスの顔を覗き込む様にして言った。
「じゃあ、行ってみるか。祭りに?」


学園編 第4幕 〜縁日の夜〜


「では私は準備してくる。玄関で待っていてくれ」
「わかった」
玄関にレグニスを残したまま、ブラーマは自室へと戻っていく。
どことなく足取りがうきうきしている。まあ言うなれば、これも一種の『デート』だろう。
買い物の荷物を部屋に置き、財布の中身を確認する。そして玄関へと戻ろうと部屋を出た、その時
だった。
「あら、ブラーマちゃん。またお出かけ?」
にわとり荘のオーナー兼管理人のミノルカが声をかけてきたのだ。
「ミノルカさん……。はい、神社でやっている祭りを見に行こうと思いまして」
「そう……でもそれじゃ駄目ね」
「駄目……ですか?」
ミノルカの言葉にブラーマは首をかしげる。そんなブラーマをミノルカは上から下までじっくりと
眺め回しつつ、
「そう、やっぱりお祭りと言えば……」


「待たせたな、レグ」
軽い足音とともに、玄関で待つレグニスのところにブラーマがやってくる。
その姿は先ほどまでの普段着とはうって変わった、淡い色の浴衣姿だった。
「その格好は……どうした」
「ミノルカさんが着付けしてくださったのだ。祭りに行くには、やはり浴衣だといわれて……」
「そうか」
短く言うと、レグニスは靴を履き始める。浴衣姿にこれと言った感想はないようだ。
(うう……)
わかってはいた、衣装に関する感想など、あのレグニスが言うはずはないのだと。
だがそれでも……やっぱり……
そうやって気持ちが落ち込んできた、その時だった。
「どうした、行くぞ」
すでに靴を履いて立ち上がっていたレグニスが振り返り、手を差し出したのだ。
「あ、ああ……」
半分呆然としつつ、ブラーマはおずおずとその手を握る。
「では、ミノルカさん。行ってまいります」
レグニスは見送りに来ていたミノルカに小さく一礼すると、顔をすこしだけ赤くしたブラーマの手
を引いて、玄関から出て行った。
「ふふ、がんばってね……」


ほとんど日の落ちた街中に、靴音とともに下駄のからころという音が響く。
神社に向かって歩く二人。ちなみに手は握ったままだ。
ブラーマにとってこれはこれでうれしいのだが……なんとなく恥ずかしい感じもする。
まあ、この間のジュースの一件に比べればなんてことはないのだが……
そんなことを考えつつ、角を曲がる。
と、そこには優夜とルルカ、そして両者と手をつないだラルカの姿があった。
「あ、ブラーマさんとレグニスさん。こんばんは」
こちらに気付き、ルルカが挨拶する。ブラーマも笑い返すと、
「うむ。ルルカ殿に優夜殿、そしてラルカ殿か……こんばんは」
「素敵な浴衣ですね、ブラーマさん。お祭りに行くんですか?」
「うむ。ルルカ殿たちこそ……似合っておられるな」
「そうですか? ありがとうございます」
うれしそうにルルカが笑う。
優夜は普通の格好をしているが、ルルカとラルカはおそろいの浴衣姿だ。
「浴衣か……時にレグニスくん?」
「なんだ?」
「『よいではないかゴッコ』は……もう済ましたのかい?」
「…………なんだそれは?」
不審もあらわにした目つきを優夜へと向けるレグニス。
そんなレグニスに優夜は嬉々とした表情のまま歩み寄ると、
「それはだね、浴衣を前にした『漢』が必ず取らねばならぬ行動で……がふっ!」
「何も知らない人に妙なことを吹き込まないでください!」
脱いだ下駄で優夜の側頭部を殴打したルルカが絶叫した。
「ああそうか、もう済ませたんだ。『よいではないかゴッコ』 で、どうだった、ブラーマちゃん?」
それでもひるまず話を続けようとする優夜に、ブラーマは引きつったような笑みをルルカへと向け、
「ルルカ殿……、一度この男を絞殺してやりたいのだが」
「わたしが殴殺したあとでよろしかったら、どうぞ」
「おお、オレって『殺りたい男』ナンバーワン!? モテモテだなぁ〜」
「だ、れ、がほめてますか〜〜」
ルルカが下駄を握る手をわなわなと振るわせる。そのまま再度打ちつけようと振り上げたところで、
「……仲良し?」
不意に響いたラルカの声が全員の動きを止めた。
「……手、つないでる。仲良しだから?」
ラルカの視線は今だつながれたままだったブラーマとレグニスの手元へと注がれていた。
「こ、これはだな、ラルカ殿……」
純粋な質問にしどろもどろになるブラーマ。
「あれはですね、好きだからですよ。好きだから手をつなぎたいんです。ラルカもわたしと手をつ
なぐの好きでしょう?」
「うん。お姉ちゃんもお兄ちゃんも好き」
「ル、ルルカ殿!」
真っ赤な顔で叫びつつも、握った手が離せない。
「さて、邪魔しちゃいけませんから、わたしたちはそろそろいきましょう。優夜さんも」
「はいはい」
「ではブラーマさん、レグニスさん。わたしたちはお先に失礼します」
ぺこりと一礼すると、ルルカと優夜はラルカを伴い、神社へと続く道を歩いていった。
「金魚取ろう、金魚。んで近所のザリガニ池に放そう」
「……放す」
「やめてください! そういうこと!」

「俺たちも行くか」
「そ、そうだな……」
「? 顔が赤いな。病気か?」
「気、気にするな!」
顔を背けつつ叫ぶと、ブラーマが歩き始める。その様子にわずかに首を傾げつつ、レグニスも後に
続いて歩き出した。


道を照らす数々の電気提灯。そして道の両側にずらりと並ぶ出店の数々。
盛大……とまではいかなくても、それなりににぎやかな祭りの風景だ。
人の集まりも上々なようで、特組の面々も数名見かける。
「にぎやかなものだな」
「それが祭りというものだからな。終わりには花火も上がるし、もっと人が来るぞ」
「これだけの人だ。不審者には充分注意しろ」
「…………」
レグニスの言葉にブラーマは脱力したような笑みを浮かべるしかなかった。
と、視線をさまよわせていたレグニスが、ある夜店へと目をとめる。
「ブラーマ、あれはなんだ?」
「ああ、あれは……射的だな」
真っ先に目をつけたのが射的というのが、レグニスらしいというべきか……
などとと内心苦笑しつつ、ブラーマは射的の概要を説明する。
「……という遊びだ。わかったか?」
「了解した」
うなずくと、レグニスは射的の夜店へと歩み寄っていった。
「一回三百円。弾は三発だ」
「料金だ」
店のオヤジに金を渡すと、レグニスはコルク銃を構える。真剣な眼差し。
連続で打ち出された弾は…………すべて外れた。
「気を落とすな、そう当たるものではない」
「何の話だ?」
笑いながら肩を叩くブラーマに、レグニスは不思議そうな顔をして見せた。
「今のは弾道を覚えるために試射したにすぎん。店主、もう一度だ」
再び金を払うと、レグニスは弾を受け取る。
先ほどと同じ、真剣な目つき。そして無造作に引き金が引かれ……
弾丸は、ぽこんという音とともに見事に菓子箱に命中、それを倒してのけた。
「こんなものだ」
どことなく得意そうに言うレグニス。続けて引き金を引く。
またしても菓子箱に命中した。
(なんともまぁ……)
見事としか言えない腕前である。たった数回の試射で完全にコツをつかんでいる。
残る一発のコルクを銃に詰め、再びレグニスが構える。
その様子を見守りつつ、ブラーマは何気なく棚に並ぶ賞品を見回し……
(あ……)
一つの賞品に目を止めた。それはケースにしまわれた、綺麗な装飾のかんざしだった。
(頼めば……とってくれるかな?)
ふとそんなことを思う。今見せた、レグニスの腕前ならもしかして……
「レ、レグ……」
「なんだ?」
返事と同時に、レグニスは引き金を引いた。ポンという軽い音がし、なにかが倒れる音が続く。
「なにか用か」
「い、いや……なんでもないんだ」
銃を置きつつ尋ね返すレグニスに、ブラーマは小さく笑いながら首を振るしかなかった。
(言い出すのが遅かった、私が悪いのだ……)
自分にそう言い聞かせ、無理矢理納得させようとする。だが、そんなふうに簡単に割り切れるほど
想いというのは単純なものではない。
「……ハァ……」
思わずため息となってブラーマの想いは零れ落ちた。
と、その眼前に差し出されるいくつかの箱……二つの菓子箱と、あのかんざしの入ったケースだ。
「え……」
「射的で取った賞品だ。お前にやる」
「いや、レグ……この……かんざしは……」
「お前、一瞬これを見ただろう。てっきり欲しいものだと思ったが……違ったのか?」
箱を差し出した格好のまま、レグニスが首をかしげた。
「……いらないか」
「い、いる。欲しい」
かくかくとうなずくブラーマに、レグニスは射的の戦利品を手渡した。
ブラーマはケースを開け、かんざしを取り出す。そして愛用のリボンを解くとその長い髪をかんざ
しを使って結い上げた。そしてレグニスに見せるようにくるりと目の前で回ってみせる。
「どうだ?」
「……印象が変わるな」
「……お前としては上出来と見るべきか、その答え」
やれやれと苦笑しつつ、ブラーマはレグニスの腕へと自分の腕をするりと絡ませた。


それから二人は祭りをたっぷりと楽しんだ。
レグニスは初めて見る綿飴やりんご飴に不思議そうな表情を浮かべ、
ブラーマはそんなレグニスと腕を組んだまま機嫌よさそうに笑っていた。
やがて時間は過ぎていき……


大きな音とともに夜空に広がる光の花に、食べ終わったチョコバナナの棒をゴミ箱に捨てていたブ
ラーマは顔を上げた。
「しまった……もう花火の時間か……」
「見たかったんじゃないのか?」
「そうだが……始まる前に小山の頂上に登っておきたかったのだ。頂上からならよく見えるからな」
今の時間から山を登っても間に合わない。花火が終わるほうが先だろう。
少しだけ残念そうな表情を浮かべつつ、ブラーマが笑った。
「仕方ない、どこか落ち着けるところを探して……一緒に見よう、レグ」
だがレグニスはじっと夜空を眺めていた。まるでなにかを考えてるかのように。
と、おもむろにレグニスはブラーマの手を引いて歩き出した。
「レ、レグ……?」
「ついてこい」
慌てるブラーマにレグニスは短く言うと、さらに歩を進めていく。

やがて二人は人気のない雑木林の奥へと入っていった。
祭りの喧騒も遠くなり、暗がりに響くのは、時折打ちあがる花火の音のみ。
(こんな暗がりにいったい…………ま、まさか)
頭によぎるその考えに、自然とブラーマの顔が赤くなる。
話などによくあるパターンだ。祭りの夜、こういった暗がりで男女が……
(い、いや、あのレグのことだ。なにか別の考えがあるに違いない……そうに決まっている!)
そう考えるも、一度赤くなった顔は戻らず、心臓も高鳴り始める。
そんなことをしているうちに、レグニスが足を止めた。
「この辺りでいいだろう……」
周辺を見回しつつ、つぶやく。胸の鼓動が、ひときわ大きくなった。
レグニスが、ゆっくりとブラーマへと振り返る。その顔が、花火に照らされる。
「怖いのなら、目を閉じていろ」
いつも通りの、落ち着いたような静かな言い方。
(うう……まさか、本当に……)
思考が定まらない。頭が熱く煮えたぎり、高鳴る鼓動がすべてを押し流していく。
ブラーマは小さく息を呑むと軽く目を閉じた。そして少しだけ顔を突き出す。
予想していた感触は…………

なかった。

かわりに来たのは、ひょいと担ぎ上げられる感覚。彼女の体は、レグニスの脇に抱えられていた。
「……は?」
「いくぞ……」
つぶやきとともに、レグニスはそばにあった大木を猛然と登り始めた。
片手にブラーマを抱えているため、腕一本で木を登っている。しかも、ものすごい速度で。
「う、うわ、うわわあぁーー!!」
「だから目をつぶっていろといっただろう」
叫び、慌ててしがみつくブラーマを片手に、レグニスはどんどんと木を登っていった。

「これぐらいの高さか……」
ある程度登ると、レグニスはひときわ太い枝の上に立ち止まった。
「いいい、一体何を……」
どんっ!
震える声で尋ねかけたブラーマの目に、夜空に咲く花火が映し出された。
「あ……」
「ここからなら、よく見えるだろう」
「レグ、まさかこのために……」
「まあな」
ぶっきらぼうにつぶやくレグニスの顔を、再びあがった花火が照らし出す。
「……だがこの体勢はないと思うのだがな」
「ならどうしろというんだ?」
「ふふ、そうだな……」
ブラーマが体勢を変えようともぞもぞと動く。慌ててレグニスは枝の上でバランスをとりつつ、彼
女の抱え方を変えた。
「……これでいいのか?」
「そうだ。さて、ゆっくり花火でも楽しもうか?」
不思議そうに言うレグニスに、お姫様抱っこに体勢を変えたブラーマは満足げに笑いかけると、夜
空に上がる花火へとその目を向けた。花火の光以外の何かで、その頬を朱に染めながら。


第4幕 終わり

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