カタカタと音を立てながら、街中を進む電車。
その動きと共に、窓の外の風景も流れるように過ぎ去っていく。

「久しぶりだなぁ、この街も」

電車に揺られつつ男はのんびりとつぶやいた。
流れ行く街並を眺めるその目には、懐かしさをたたえた光が宿っている。

「かわいい娘と妻の下にようやくの里帰り……か」

車内アナウンスが鳴り響き、駅が近いことを告げた。

「ついでに確認しておくかな。できの悪いあの子と……その彼女を」

男が座席から立ち上がる。電車がゆっくりと減速を始めた。



学園編 幕間〜白衣の男〜



「レグ、このまま商店街に寄っていくぞ」

授業終了直後の教室。部活に帰宅にと思い思いの行動をとる生徒達の喧騒で満たされた空間。
その中で、ブラーマは傍らにたたずむレグニスに向けて言った。

「今日は頼まれた物が多いからな。お前にはしっかりと荷物持ちをしてもらわねば」
「わかっている」

鞄に用具を詰め込みつつ、レグニスがうなずく。そのまま手早く片付けを終えると、
レグニスは自分の席から立ち上がった。

「よし、いいぞ」
「うむ、では行こうか」
「あれ、お二人してどこかお出かけですか?」

教室の出口に向かおうとしたその時、横から声がかけられる。
二人が振り向くと、そこには帰り支度を終えたルルカの姿があった。

「ルルカ殿か。ああ、今日はミノルカさんに買い物を頼まれていてな」
「お買い物ですか」
「うむ。なんでも今日、単身赴任中だったミノルカさんの旦那さんが一時帰宅なさるそうなのだ。
 その歓迎のために……ということらしい」
「そうですか……よかったですね、ミノルカさん」

ルルカの言葉にブラーマも今朝の様子を思い出し、苦笑で返す。

「たしかに大喜びされておられたよ……では、我らはこれで」
「はい、わたしもこれから部活ですし……」

微笑みながら見送ろうとするルルカ。と、その背後から突如現れた優夜が、

「よ〜しルルカ、部活行くぞー!!」

彼女の肩をがっしと掴むと引きずり始めた。

「え、優夜さん? ま、待ってください、わたしは調理部に……」
「ダメダメ、今日一日のルルカの行動及びこうむる被害はすべてオレが予定立てといたから。
 勝手な行動されると、お兄さん困っちゃう♪」
「いえ、そんな不吉な予定はいりません……っていうか、わたしの立てた予定は!?」
「はっはっは、そんなの無視」

絶叫するルルカを引きずりつつ、優夜が教室を後にする。
見慣れてると言っては失礼かもしれないが、あまりにいつも通りの光景だ。

「……俺達も行くぞ」
「あ、ああ……そうだな、レグ」



「只今帰りました」
「同じく、帰還しました」

二人がにわとり荘の玄関をくぐる。すでに日は傾き、空は夕焼けの色を映して赤く輝いている。
買い物はかなりの量で、思ったよりも時間がかかってしまった。

「……む、これは」

玄関先で靴を脱ごうとしたブラーマだったが、見慣れない靴が置かれているのが目に入った。

「どうやら、旦那さんはもう到着されたようだな……」
「ああ。とにかく、この荷物をミノルカさんに届けなければ」

レグニスが両手に持つ荷物を軽く動かして見せた。顔色一つ変えず持ってみせているものの、
その量はハンパではない。
レグニスの力を知っているとはいえ、少し異様な光景である。

「わかっている。とりあえず、台所に行こう」

レグニスを引きつれ、ブラーマはにわとり荘の台所へと向かった。
と、台所のほうからなにやら話し声が聞こえる。どうやらミノルカさんとその旦那さんも台所にいるようだ。

「失礼します。ミノルカさん、只今戻りました」

ブラーマは軽くノックをすると、ガラガラと引き戸を開けて台所へと入っていった。

「あら、お帰り〜。ブラーマちゃん、レグニス君」

なにやら話し込んでいたミノルカさんが入ってきた二人に気付き、笑いかける。
久しぶりに夫と会えたのがよほどうれしいのか、きらきらと輝かんばかりの笑顔をしていた。

「へぇ……キミ達がここに下宿してる生徒さん達かい?」

その場にいたもう一人、白衣を纏った男が振り返る。まだ若い、二十代後半のようだ。
細面に眼鏡をかけたその姿は、どこか飄々とした印象をブラーマに覚えさせた。

「はじめまして、二人とも。ボクの名前はラクノ、ミノルカの夫です。どうぞよろしく」

笑みを浮かべつつ軽く一礼する。慌ててブラーマをお辞儀を返した。

「あ……こちらこそ。私はブラーマ、そしてこっちが……」

言いかけたその言葉が止まる。
レグニスは微動だにせず、ただじっとラクノの姿を見つめていた。

「……レグ?」
「…………………」

思わず呼びかけるも返事は無い。その様子は、どこかいつもと違っていた。


その日の夕食は、ミノルカさんの腕によりをかけたご馳走だった。

「科学者……ですか?」
「うん、まあね。海外のとある研究グループの、しがない研究員の一人さ。おかげで海外出張や単身赴任が多くてね、
 ……ミノルカには本当に苦労をかけるよ」
「大丈夫よ。あなたの苦労にくらべたら、これぐらい」

夕食の席を囲みながら、談笑が続く。

「でも、これからは国内勤務になったからね。どうやら今までみたいな寂しい思いはさせなくてすみそうだよ」
「ありがとうあなた、でも平気よ。レグニス君やブラーマちゃんもいてくれることだし」
「そうだね、二人とも頼りにしているよ」
「そんな……私など……」

おどおどしつつブラーマは隣の席のレグニスへと目をやり、眉をひそめた。
レグニスは無言のまま、一向に会話に加わろうとしていなかった。それどころか、料理にすらほとんど手をつけてもいないのだ。
普段からレグニスが無口ぎみであることは知っていたが、どうも今日は様子がおかしい。

「レグ………」

呼びかけようとしたその時、レグニスは急に椅子を引いて立ち上がると、

「……すいません。少し、外します」

それだけを言い残し、食卓を後にした。

「……お料理、口に合わなかったのかしら?」
「そんなことないさ。ミノルカの料理はいつだって最高さ」
「でも…………」
「まあ、あの時期のオトコノコはいろいろあるからね。……どれ、僕が説得してこよう」

ラクノも立ち上がると、レグニスの後を追うようにして食卓より去っていった。



「こんなところにいたのかい」

追いかけてきたラクノが苦笑じみた言葉をかける。にわとり荘の一角、食堂から遠く離れた通路にレグニスは立っていた。

「さあ、戻ろう。せっかくのご馳走が冷めちゃうぞ」
「……おかしいとは思っていた」

差し出しかけたラクノの手を、その言葉が押しとどめる。

「俺を学園に入れた、それは緊急的な部分もあったのだろう。だがそれにしては監視が全くついていない……
 以前からずっとおかしいと思っていた。ミノルカ氏や、まさかブラーマが監視とは思えなかったしな」
「……思えない、じゃなくて思いたくなかった、だろう?」

そう言われて、珍しくレグニスがそれとわかるほど苦い顔をした。

「だがまさか……こういうことだとはな。監視がいらんわけだ」
「久しぶり、だね。レグニス」
「ここへの下宿をセッティングしたのが貴様だという時点で……気付いておくべきだった」
「おいおい、久方ぶりに自分の担当研究者に再会したってのに、言う事はそれだけかい?」
「……別に懐かしむこともないだろう」
「相変わらず淡白だね……」

相変わらずのんびりとした口調のまま、ラクノはのんきに頭を掻いた。

「それで今更何の用だ。研究所をクビにでもなったか?」
「いや、さっきも言ったとおりこれからは国内勤務になってね。移籍がてら残してきたかわいい妻と子の顔を見に来ただけさ」
「……俺の確認も含めて、だろう」
「その通り。元気にやってるみたいじゃないか。研究所にいた頃とは少々印象が変わったけどさ」
「………………」
「やっぱり、『彼女』の影響かな?」

黙するレグニスを前に、どこか満足そうな笑みをなげかける。

「そんな彼女に心配かけないためにも、戻るとしようじゃないか?」
「……わかった」
「おや、思ったよりも素直だねぇ。これまたあの娘の……」
「黙れ」

レグニスは短く一蹴すると、食堂へと踵を返す。
その後に、わずかに苦笑しつつ続くラクノは、やはりどこか満足げな表情をしていた。



「ふう〜〜」

居間のソファーにもたれかかりながら、ラクノはのんびりとした息を吐き出した。
夕食後のゆったりとした雰囲気。コニーはすでに寝つき、ミノルカは夕食の片付け。
ブラーマは入浴中で、レグニスはラクノを見張るかのように部屋の隅でじっとしている。
そんなレグニスから発せられる、疑いの眼差しをその身に受けながら、ラクノは内心苦笑した。
やはりというべきか、信用はされてないようである。多分にしょうがない事ではあるが。

「さて、と……」

ラクノはソファーより立ち上がると、近くに置いてあった外套代わりの白衣を掴んだ。

「あらあなた、お出かけ?」
「まあね、缶コーヒーでも買ってこようと思ってね。そのついでにあたりを見てこようかと思ってね」
「夜も遅いし……気をつけてね」
「大丈夫さ、一応は地元なんだから」



夜の闇に包まれた町を、ラクノは一人歩いていく。
見知ったはずの町並みだが、一年近く離れているとなかなかに新鮮な感じがする。

「長かったからね……あそこにいたのは」

それに一年前にここで暮らしていたと言っても、それはほんのわずかな間……新婚時代の三、四ヶ月ぐらいでしかない。
結局自分が一番長くいたのは、あの場所しかないのだ。

「どう言おうと、やっぱりボクもあのグループの一員……か。そりゃ信用されないよな」

自嘲気味に笑うラクノ。事実あの研究所が彼らに強いてきた道は、あまりも過酷なものだった。
それこそ誰かを憎む事で精神の平定を保っても、何ら不思議が無いぐらいに。
幾日も続けられた訓練。繰り返された肉体改造。自分達の行ってきたそれは、恨みを買うのに充分すぎる内容だ。
そして自分もまた、それを強いた研究員の一人である。

レグニスからは一応の信頼はされている。それは自覚していた。
だがそれはあくまで『一応』であり、本当の意味での信頼は……
彼があの娘に向けるような、心からの信頼は決して自分は得る事が出来ない。それも充分すぎるほどにわかっていた……
と、思考に沈んでいたラクノの目に、角の店の前に自販機が立っているのが見えた。
そこでようやく自分がコーヒーを買おうとして家を出てきたことを思い出す。
財布を取り出しつつ、自販機に歩み寄ったその時、角の向こう側から誰かがやってくるのが目にはいった。

「こらこら、君は寮生だろう。こんな時間に出歩いてちゃダメじゃないか」

声をかけると、その人物は少しはなれたところで足を止め、

「……同室の友人がレポート作成に追われてましてね。そのための買出しですよ」
「そうかい……大変だねぇ、学生は」
「ところで、なんで僕が寮生だとわかったんですか?」
「わかるよ。特組の生徒のことなら大抵はね。……特に君に対しては興味が尽きないよ、新見忍君」

初対面にもかかわらず、名前を呼ばれたことに少しも動じることなく少年……忍は笑い返した。

「それはどうも。ラクノ=イーチュリーさん?」
「おや、君がボクのことを知っているなんて……意外だなぁ」
「知ってますとも。あなたがその若さにもかかわらず世界有数の人体学者であることも……
 そして『カクテル』のメンバーであることも、です」
「……皆には内緒にしてくれるかな、特に後半部分」

今度はラクノが苦笑する番だった。まさか研究組織……『カクテル』の事までたどり着いてるとは思わなかったのだ。

「それにしても……よくわかったね、『カクテル』のこと」
「以前にレグニスさんを内緒で調査したことがありましてね。そのときに知ったんですよ。
 ……あの人が『カクテル』の作り出した作品だったと言う事には驚きましたが」
「やれやれ、情報部もだらしないなぁ……とはいえ君相手じゃ仕方ないことかな」

ラクノはさらにため息混じえつつ、忍の横を通り過ぎて自販機の前へと歩いていく。
その背に向けて、忍が言った。

「あなた方は一体何を考えてるんです? 特組設立には『カクテル』のメンバーも一枚噛んでるそうじゃないですか。
 もしかして特組は、レグニスさんを入れておくために……」
「まさか。いくらボクらもそこまではできないよ。それにそんなことしたら組織そのものが目立つしね」

ラクノは自販機の前に立つと、その光を背に受けながら忍へと振り返った。

「君も知っての通り、特組はいろんなところの都合や思想、利用価値が混ざり合ってうまれたものさ。
 そりゃ確かにボクらの組織も絡んでるけど……それだけじゃないことを一番よく知ってるのは君だと思ったけどね」
「…………」
「あのクラスの持つ多様性、特異性はあらゆる点で興味深いってことさ。レグニスがそこにいるのは……
 まあ、『木を隠すなら森の中』という訳で」

言いつつラクノは肩をすくめる。そう、あそこならレグニスの異常性も多少は薄れようというものだ。
それは自分達にとっても、また彼にとっても今は都合がいいことである。
ラクノは財布から硬貨を取り出し、自販機へと投入するとボタンを押した。
ごとり、と言う音と共に出てきた飲み物を拾い上げ、

「……あ、ブラックだった。ボクは加糖派なんだけどな。飲むかい?」
「あいにくと僕も甘党でしてね」
「そうかい。残念だなぁ」
「それよりも、僕とこんなところで立ち話している場合ではないのでは?」
「どういうことかな?」

缶コーヒーを片手に、ラクノがわずかに首をかしげる。

「話をするべき相手は僕じゃない……『彼女』こそ知るべき権利のある人だと思うんですがね」
「その点については心配は要らないよ、彼女には今頃レグニスが警告を与えてるはずさ。……ボクや研究所についてね。
 第一そのために家を空けてきたんだから」
「あなた自身から伝えようとは思わなかったんですか?」
「そういった重要な告白は、好きなオトコノコから言われた方がより信じられるって物さ」

それにレグニスは随分と彼女に気を許しているようだ。お気に入り、といってもいいだろう。
その彼女に下手に刺激を加えるような真似はなるべく避けたいところである。
レグニスの気難しさは誰よりも自分が良く知っている。担当官として、誰よりも長く彼に接してきたからだ。
そんな彼の機嫌をいたずらに損ねる必要など、今のところは無い。

「ま、そんなに心配は要らないんじゃないかな? ああいったタイプの女の子はこっちが思っている以上にやり手なことが多いしね」
「それは……わかります」

外灯と自販機の光の中、忍が苦笑する。つられるようにラクノも笑みを返し、

「さて、じゃあボクはこの辺で。遅くなると妻に心配かけちゃうからね
 くれぐれも、体に気をつけて」

片手を上げると、ラクノは忍に背を向けて歩き出した。
だが、その途中でわずかに振り返ると、

「あのクラス、『特組』は君たちの居場所さ。堂々とあそこにいればいいよ、気兼ねすることなくね」
「…………」

無言のままこちらを見つめる忍の視線を背に感じつつ、ラクノは歩いていく。
それと共に手に持っていた缶コーヒーを開けると、一口だけ口に含んだ。

「……苦いねぇ、なんとも」



翌朝。
涼やかな朝の空気の中、にわとり荘の前には三人の人物が立っていた。
そのうちの一人、ラクノが残る二人に手を振ると、

「じゃあボクは行くね。二人とも仲良くするんだよ。なにかあったら名刺のところに連絡してくれえたまえ。
 必ず力になるから……それじゃ」

どこまでも飄々とした調子のまま、手を振りつつラクノは道の向こうへと去っていった。

「……あれがお前の『担当研究員』だと言うのか」
「ああ、そうだ」

ラクノの姿が見えなくなったところで、つぶやくように言ったブラーマにレグニスがうなずく。

「正直、何を考えているのか俺にもよくわからん奴だ。ただ……」
「ただ?」
「ある程度まで信用は出来る奴だ。あいつが俺に嘘をついた事はないからな」
「嘘を……か?」
「ああ。あいつ曰く『嘘をつかなくても相手を欺く事はいくらでも出来る』とのことだ」

何か思うところでもあるのか、目を細めてラクノの去った先を見つめるレグニス。
その横顔に向けて、ブラーマはあることを口に出した。

「……なあ、レグ。一つだけ……聞いていいか?」

それは前々から思っていた事。ずっと聞きたかったが……怖くて切り出せなかった話。
それを今、思い切って口にする。

「私がこのにわとり荘にいるのは……その、もしかして……」

朴念仁のレグニスにしては珍しく、それだけでブラーマの言いたいことを理解したのだろう。
彼は静かに首を振ると、

「いや。完全に書類のミスだそうだ。ここに下宿するのは本来俺だけのはずだったらしい。
 だがその作業がわずかにもたついた間にお前の編入が受理されてしまったそうだ」
「そう、なのか……」
「お前が意図的にここに入れられたという事実はない。……俺が知る限りな」
「それもまた、鵜呑みにはできんのだろう?」
「当然だ」
「当然、か……」

キッパリと言い切るレグニス。それを見たブラーマの顔には苦笑すら浮かんでいた。
あまりにも素直で、不器用なその姿に。

「まあ、別にいいとしておこう。それが意図的であれ、偶然であれ……」

ブラーマは小さくつぶやいた。
そう、きっかけがたとえどうであれ、自分の中にあるこの『想い』は本物である。
それは自分が一番良くわかっているのだ。

「……どうした?」
「いや、なんでもない。それよりもそろそろ学園に行かねばな。遅刻してしまうぞ」

ブラーマは軽く笑いかけると、学園へと向かう道を歩き始めた。


終わり

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