・登場人物

 「イクス・メルクリウス・フレイア」
 19歳、男。召喚国はヴァッサァマイン。
 槍術にかけては天性のものを持つ。
 召喚時のショックで名前以外の記憶を無くしている為、召喚前の経歴に関しては一切不明。
 性格的にはクソ真面目で融通が利かない。しかし裏返せば信念の強さともいえる。
 料理が得意で行く先々の陣営でや町でその腕を振るう。
 愛機は銀色のマリーエングランツ(色が異なる以外はカスタマイズ無しの標準機)

 「エリス・カサンドラ」
 15歳。「おちょこちょい」を体現したような少女。
 歌姫ではないものの(宿縁の英雄がまだいないため)歌術は結構上手いらしい(本人談)。
 ただし、料理の腕は最悪。
 



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       ケース5「イクスの受難(エリス篇)」

 私ことイクスは今、アーカイアなる世界にいる。
 そこには様々な未知が存在し、私の興味を引く。
 特に食材に関しては中々面白い発見が毎日必ずあるのだ。
 今日も久々に帰ってきたポザネオ市の市場を見て回っている。
 色とりどりの食材を手に取り、それから作れるであろう料理を連想しては購入するかを迷う。
 買い物も悪くは無いと思う。元の世界でも私はこうして市場を回っていたのだろうかとふと思った。
 私にはここに召喚される前の記憶が無い。
 いわゆる記憶喪失だ。
 だから元の世界よりもこちらの世界の方がよほど『元の世界』のようにも思える。
 ……まぁいい。今は品定めに集中しよう。
 私の帰りを待つ人たちもいるしな。

 「すみません。この籠とそっちの籠のを2個下さい」
 「はい。これと、これとこれね。4Gになります」
 小袋から硬貨を4枚取り出して売り子にわたす。
 「ありがとうございました〜」
 売り子は笑顔で頭を下げる。
 「う〜む……。中々の美人だな。あれはきっと――」
 ドンっ!!
 「ごふぇっ!!?」
 わき腹に激しい衝撃を受けたイクスは奇妙な声を上げて地面に倒れ付す。
 荷物を落さなかったのはさすがと言うべきか。
 「ご、ご、ごめんなさいっ!大丈夫ですかぁ!?」
 酷く慌てた声が聞こえてくる。
 「だ、大丈夫だ。…かなり効いたけどね…」
 「よっと」身を起こすイクス。
 「よ、よかったぁ〜。私、てっきり殺してしまったかと……」
 「おいおい…勝手に殺すなって」
 酷く物騒な事を言う目の前の人物をイクスはざっと観察した。
 無論、相手の気にならないようにだ。こういった偵察とか観察とかいったものは
 イクスの得意とするところだ。
 その人物は女の子だった。アーカイア人で年のころは14、5歳といったところか。
 服装からしてトロンメルの人ではなさそうだ。
 特徴的なのは大きなブラウンの瞳と見た目から柔らかそうな瞳と同色の髪。
 「本当にごめんなさい」
 ペコッと頭を下げる少女。
 「いや、いいよ。…それより、何か急いでいるんじゃないか?」
 その言葉に少女は「うえっ!?」と奇妙な声を上げる。
 「しまった!急がないと高級お肉激安セール終わっちゃう!!」
 「ああ…それならもうとっくに売り切れ……」
 「それじゃ、さようならっ!!」
 烈風の如く走り出す少女。
 「……きいちゃいない…」
 あっけに取られイクスは賑やかな市場の中に一人取り残された。
 

               ●

 その後、あらかたの買い物を済ませたイクスは市場の外れにある1件のコーヒー屋にいた。
 彼はコーヒーに関してはうるさい。
 その為かアーカイアにコーヒーがあることをえらく喜んでいる。
 「不思議なものだな…。向うの世界の記憶は無いというのに……」
 現世でのコーヒーの味を覚えているイクスはよく友人にそう話す。
 お気に入りの銘柄(もちろんアーカイアの品種だが)を購入し、外に出てみると……。
 「ん?あれは…」
 木陰にあるベンチに一人知った顔が腰掛けているのにイクスは気がついた。
 大きな買い物袋を抱えて近づいてみる。
 「どうした?」
 その声に気だるそうに顔を上げる少女。
 「あ……」
 「また会ったな」
 イクスは苦笑ともつかない笑顔を浮かべた。

 「それであの後急いで店にいったんだけど、もう全然……」
 当然だろう。そのセールにとどめをさしたのは他でもないイクスだからだ。
 そのイクスの後に店に行ったところでそれは既に遅いわけで……。
 「それは、その、残念だったね」
 「ううっ…楽しみにしてたのにぃ」
 もはや涙さえ滲ませている少女。
 ここまでくると流石にイクスも何となく悪い気がしてきた。
 「そうだ。君家は?」
 「へ?…キャラバンですけど」
 「なら夕食をご馳走しようか?その肉を多めに買っておいたからね」
 『お肉を多め』のあたりで少女の目つきが変わった。
 それこそウサギから肉食獣のそれに近いくらいの変化だった。
 「い、いいんですか…?」
 抑揚無く尋ねる少女にイクスはやや引き気味に「ああ」と答えた。

        ●
 「帰ったぞ〜」
 ポザネオ市の郊外にある屋敷。
 トーナメントの優勝商品の一つだ。
 もちろん屋敷自体は他人のものだが、その1室を商品として授与されたのだ。
 その屋敷の自室のドアを荷物を抱えた手で器用に開けてイクスは言った。
 「お、お帰りなさいませ。ご飯にしますか?お風呂にしますか?それともベ…ベッド……」
 やや片言の口調でそんなことを言う自分の相棒にイクスは呆然とした。
 「………は?」
 「いや、だから……そのっ…」
 あたふたと手を振りながら何とか場を取り繕おうとするフェイエン。
 「オ、オルトルート殿からこの様に出迎えると殿方は喜ぶと聞いたのだ、
 それで…その…なんだ…」
 しどろもどろになりながらフェイエンが説明する。
 彼女の一連の奇行。つまり元凶は……。
 「オルトルートのヤツ…また余計な事を…」
 イクスは怒るというよりはむしろそれを通り越して呆れたようにその元凶の名を呟く。
 「あの女、いつか泣かす」
 オルトルートとはポザネオ市に居を構える情報部の部長の事だ。
 彼女はアーカイア人ではなくれっきとした機奏英雄なのだが、よほど優秀なのか
 事もあろうに歌姫を押しのけて情報部長に就任した曰くつきの人物である。
 性格としては温和で『ほんわか』とか『ぽやん』とした人物だ。
 ……というのは表面だけで、本性は実に意地悪いというのが適切だろうか。
 「あの女狐、絶対現世ではいじめっ子だったに違いない」とはイクスの言葉。
 ちなみに、この屋敷は彼女の物件だったりする。
 「あ、あの…。イクス。そちらの世界ではこういった出迎えをするのか?」
 「は?」
 「風呂や食事はわかるが、そ、その…ベ、ベッドにするかなどと……」
 よほど恥ずかしいのかその一言で今にも火を吹かんばかりに赤面するフェイエン。
 「……あのな、フェイエン。そんなわけ無いだろ。あの女の言う事を鵜呑みにしていると
 その内、『実は水の中でも人間は呼吸できるのよ。一度海に飛び込んでみなさい』
 なんて騙されかねんぞ」
 フェイエンは愕然としていった。
 「な、なぜそのことを知っている!?」
 「まさか、君……」
 長い沈黙。それに痺れを切らしたようにイクスの後の人物が申し訳なさそうに
 「あのぉ〜。……もしもし?」
 「む…。イクス、誰だその後の御方は?」
 その声にようやく気がついたのかフェイエンはイクスの後、
 エリスを警戒するように言った。
 「ああ。紹介するよ。こっちはエリス。つい先ほど知り合ったばかりでね。
 昼食をご馳走する事になった」
 「…な……!?」
 フェイエンは再び、今度こそ最大限の衝撃を受けた。
 「エリス。彼女は私の歌姫でフェイエンだ」
 「始めまして〜♪」
 にっこりと笑うエリスに対してフェイエンは無言。
 “ま、まずい…。これは…非常によくない…”
 イクスの直感――それも生存にかかわる部分がそう告げていた。

        ●

 まな板の上で野菜を刻身ながら、自分の体を刻もうとするほどの鋭い視線を
 イクスは背中に一身に浴びていた。
 理由は分からないがとにかくフェイエンの機嫌はひどくよろしくない。
 事情を説明しようとしても、
 「なぁ、フェイエン、事情を……」
 「早く料理を作っていただけないか。…何なら私が調理して差し上げようか?」
 と言って自分の愛剣の柄に手を掛けたりするのだ。
 「料理されるのは私だったのかも……」
 そう思っただけで背筋を恐怖が駆け上がった。
 ブルブルッ。
 身震いを1つしてからメインディッシュの高級肉をフライパンの上に載せた。
 ジュッと音がしてすぐに周囲においしそうな香りが立ち込める。
 「わぁ〜♪おいしそうな香り」
 隣にやってきたエリスがフライパンを覗き込んではしゃぐ。
 それだけならいいのだが、覗き込む過程で体をイクスへと密着させてくる。
 もちろんエリスには何の考えも無くただ自然にそうなっているだけだろうが、
 イクスとしては爆発寸前の核兵器の安全装置と同じだった。
 「!!!!!」
 頭とは関係なく脊椎反射で横へ飛びのいた。
 その次の瞬間には細身の剣がまな板へと突き刺さって…
 いや、突き刺さるではなく完全に真っ二つにしていた。
 「な、何をする!?」
 口をガクガクといわせながらイクスはフェイエンに言った。
 「…私は食べやすいように肉を切っただけだが?」
 その声には抑揚は無く、覗き見るフェイエンの顔にも
 表情らしきものは無かった。
 「まな板まで真っ二つにすること無いのに…」
 よせばいいのにエリスは突っ込みを入れた。しかも突っ込む所がずれている。
 それを合図にフェイエンは再び動き出した。
 「イクス、動くなよ。足元に毒虫がいる」
 「いない!絶対いない!」
 斬!
 またしても危ういところでそれをかわす。
 エリスを抱きかかえていたせいでバランスを崩して着地してしまった。
 「きゃっ」
 「うっ、すまない」
 その着地の格好がまた、何というか…。マズかった。
 ちょうどエリスを押し倒した感じにイクスがエリスの上に倒れているのだ。
 「イクス。火を止めなくては肉が焦げてしまいます」
 そう言ってフェイエンは火で熱せられ、
 上ではジュウジュウと肉がおいしそうに焼けるフライパンを掴んだ。
 ちなみに肉をおいしく焼く温度は300度前後である。
 「エリス殿、味見をして見ますか?」
 フライパンを持ち上げるフェイエン。
 「え?ほんとう?」
 わ〜いと喜ぶエリス。それを見て微かに笑うフェイエン。
 イクスはこの後に展開される拷問、もとい地獄絵図を想像して顔を蒼白にした。
 「よせよせ!フェイエン!彼女は関係ないだろう!?」
 「ほう…。私よりその娘を庇うのですか?」
 酷薄な笑みを浮かべてフェイエンはフライパンを振りかぶる。
 ブンッ!
 熱せられたフライパンが飛来する。
 「うわっ!」
 紙一重でフライパンをかわす。…が遅れておいしそうに焼けた肉がイクスの
 顔面を襲った。
 「――――!!!!!!!!!!?」
 屋敷中にえもいわぬ悲鳴がこだましたが、その悲鳴は幸か不幸か
 誰にも聞こえなかったそうである。



           -------おわり(?)-------

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