《 黒の乗り手 篇 》


       第10章 「 音速の決闘 」

 
 トーテス・タール。その幽玄な頂のはるか頭上で、白と黒の天使達が、絡み、離れ、撃ち、斬りあっていた。
 「貴君ほどの力があれば、良い奏甲乗りになれたものを!」
 アーサーの白いフォイアロート・シュヴァルベはカービンライフルをフルオートで撃ちまくる。
 それを驚異的な反射速度でかわしながら、黒いフォイアロート・シュヴァルベがミサイルを放った。
 「私は評議会の狗になるつもりは無い!」
 ミサイルは全て撃墜されるも、はなからそれらは囮であったかのように黒い奏甲は距離を縮める。
 「貴殿は知っているのか?評議会が、黄金の工房が召喚された科学者を使って何をしているのかを!」
 ギィィィィン!
 交差する剣と剣。激しい衝撃で2機のフェイスに火花が散る。
 「知っている。だが、評議会があるからこそ、世界は安定しているのもまた事実」
 アーサーは酷然と言い放った。
 距離をとる2機。
 「なら、そのために犠牲になるものは生贄とでも言うか!」
 再び迫る黒い奏甲。
 「キサラ!」
 アーサーの声で後部奏座に座るキサラが紡ぐ歌が流れるように変わった。
 急激に奏甲の機動力が向上。黒い奏甲の攻撃をかわすと同時にその頭上で反転。
 一気に背後を取る。
 タタタタタタッ!
 至近距離での発砲。が、それすらもかわされる。
 「あまい!その程度で『私達』の裏をかいたつもりかっ!?」
 バシュ、バシュ!
 ミサイルが追いすがる。
 「くっ!」
 アーサーのフォイアロート・シュヴァルベは複雑な機動を行いながら、それをかわした。
 だが、体勢を立て直す前に、すぐさま第2波のミサイルが迫る。
 カービンライフルをフルオートで発砲。一瞬にして残弾がゼロになる。
 ミサイルは爆発し、爆煙が生じた。
 アーサーは、すぐさまマガジンを取り替えると、その煙から距離を置く。
 「煙幕の代わりか……」
 「違う」
 黒い堕天使は予想外に頭上より姿を現した。
 「ちいっ!」
 アーサーが回避動作に入る前に、黒い奏甲は剣を振り上げていた。
 「遅い!」
 ギィィィン!
 カービンライフルが斬断される。あと少しでも反応が遅れていたら、確実に腕を切り落とされていただろう。
 「『白の伯爵』がこの程度だったとは、失望したぞ」
 「ロウキ……!」
 激しい衝撃波で揺れる奏座で、アーサーが苦しげにつぶやく。
 仮面の男は唇だけで笑うと、こう言った。
 「私はロウキなどと言う名ではない。私は――」

 「私の名はユリウス・シュヴァイツァーだ」


 「…な…に……?」
 アーサーの驚愕が『ケーブル』に広がった。
 それだけではない。キサラの心にもさざ波がたった。
 今まで追ってきた目の前の男は何と言ったか?
 「ユリウス…『シュヴァイツァー』…だと?」
 『シュヴァイツァー』――その名を持つ人間はこのアーカイアで、もう一人存在する。
 長い金髪の女性。そして目の前の男を追い詰める立場にある人が……。
 ギィィィィン!
 僅かな動揺は、大きな隙へとつながった。
 ユリウスの剣戟がアーサーの奏甲の左腕を斬り飛ばす。
 そして、その衝撃は『ケーブル』を伝わって、歌姫へと流れ込んだ。
 「あぁぁぁぁぁぁっ!!」
 ショック死しかねない激痛にキサラの幼い顔が歪んだ。
 「キサラっ!」
 アーサーの叫びがこだまする。
 と――。
 オォォォォォォ……。
 キサラの叫びに反応したかのように黒い奏甲は装甲を軋ませ、動きを止めた。
 「何……!?まさか……」
 ユリウスの表情に困惑の色が浮かぶ。
 「な、何だ……?」
 対峙するアーサーから見ても、その黒い奏甲の様子は異常だった。
 あちこちの関節から白煙を上げているのだ。
 おそらくアークドライブがオーバーヒートしているのだろう。
 原因が何であれ、オーバーヒートがいいことであるはずがない。
 「ユリウス!脱出したまえ――。!?」
 “――めて”
 「これは!?」
 突如『ケーブル』を通して3人の思考に膨大な情報が流れ込んできた。
 それらは、最初は形を成さず、まるで濁流のごとく入り込んできたが、やがて1つの形――いや、声となった。
 “――やめて。みんな、お願い。戦わないで”
 その声は懇願するように、ただ『やめて』と繰り返した。
 「そんな……。ユリア…なのか……?」
 ユリウスの声は震えていた。直接、精神に語りかけてくるその声は、紛れも無く彼の死んだ妻のものだったのだ。
 「あ、ああ……」
 キサラの喉が声を絞り出す。
 遠くなりかけた意思を、死んだはずの母親の声が繋ぎとめた。
 「ま…ま……」
 “お願い。もう戦わないで、ユリウス。私はもう十分だから……”
 「何をバカな!君の無念はまだ晴らしていない!」
 二人の会話は、同調を通り越し、完全に繋がった『ケーブル』を通ってアーサーとキサラにも聞こえていた。
 “いいえ。私の望みはもう叶っているもの”
 「叶っている……?」
 “そう。叶っているのよ”
 その声は確かに満ち足りた、穏やかな声だった。
 “私の望みは復讐などではない……。私の望みは、もう一度こうやって家族3人でお話をすること”
 「!!」
 流れ込んでくる情報は、再び形を変えた。
 それは、ある3人の家族の記憶だった。
 優しいセピア色の記憶……。
 何千、何万というシーンがまるで写真かフィルムのように光の速さで流れてゆく。
 それでも3人には1つ1つが鮮明に映り、脳裏に焼きついた。
 「これは……」
 その女性の記憶を見ながら、ユリウスは自分の頬をつたわるものに気がついた。
 “ユリウス。あなたが私のために流してくれた涙を、私は全部憶えているわ。
 でも、もう泣かないで。その涙が最後にして……。私の、その思い出で……”
 心の底からあたたかくなるような波動を3人は確かに感じていた。
 それは黒い絶対奏甲に宿った、一人の女性の思いに他ならない。
 「ママ……」
 “キサラ。もうママはあなたを抱きしめてあげることはできない……。でも、これからは
 パパが一緒にいてくれるわ。あなたのそばに……”
 「やだ!ママもいっしょでないと、いや!」
 “よく聞いて、キサラ。ママはずっとあなたの傍にいるわ。あなたが会いたいときは、
 心の中でママを呼ぶのよ?そうすればきっと会えるから……”
 キサラは涙を流しながらも、それ以上は何も言わなかった。
 “いい子ね。私の大好きなキサラ”
 「ママ…大好き……」
 それ以上は言葉にならなかった。キサラは声を上げて泣いた。
 それでもその涙が、いつか笑顔になると、そう信じて女性はユリウスに、そしてアーサーに告げた。
 “ユリウス。この機体から脱出して。それから白い騎士様。私と、この機体を破壊してください”
 「……お引き受けしよう」
 静かに、アーサーが答えた。
 “ありがとう。……さぁ、早く脱出を”
 奏座のハッチを開いたユリウスは、一度だけ振り向き、言った。
 「さようなら、ユリア……」
 “さようなら、ユリウス……”
 そうして目の前に差し出された白い奏甲の手のひらに乗り移る。
 そこから大剣の間合いまで離れた。
 「よろしいか……?」
 “どうぞ”
 アーサーは大剣を振り上げ、そして、一刀の元に斬った。
 迷いは無かった。それがアーサーにできる唯一の礼儀の形だった。
 ただ、一度。
 運命に翻弄された一人の女性が、安らかに眠ってくれることを、心の底から祈った。
 崩れ、はるか下の大地へと落ちてゆく黒い天使。
 アーサーはそれを見送りながら、仮面の男へ視線を向けた。
 男はその顔を覆っていた狼の仮面をはずし、下へと投げるところだった。
 「これからどうするつもりだね?」
 静かにアーサーは尋ねた。
 落ちてゆく仮面を見つめながら、男は言う。
 「さて……。どうしたものかな……」
 その哀しい声は風に吹かれ、霧散した。


                  -------つづく-------

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