《 黒の乗り手 篇 》 終 章 「 神話の終わりに 」 アレクが穴より進入したとき、すさまじい轟音とともに白銀のマリーエングランツが宙を舞ったのが見えた。 「イクスっ!」 ドッ…! 鈍い音と共に装甲板のあちこちにひびが入るような甲高い音。 アレクの叫びも虚しく、白銀のマリーエングランツは活動を停止した。 「そんな…。イクス!フェイエン!」 その呼びかけに応じるものは誰もいない。 ただ、たった今、生け贄を喰らったばかりの鬼神が、その紅いセンサーアイを光らせるばかりだった。 イクスが目を覚ますと、一面が生々しい死体や、原型を留めていない奏甲が累々と横たわる場所にいた。 一体何時ここに来た? 彼は自分に自問する。 「…あぁ、そうか…。たしか蒼いのにやられて……」 ならここが天国、或いは地獄とでもいうのだろうか。 「しかし、何とも…な」 周囲を見渡し、何故かイクスは苦笑した。 地獄はもっとおどろおどろしい場所だと思っていたからだ。天国というならばこれは何とも殺風景だ。 だが、彼にはそのどちらでも無いように見える。 もっと、こう現実的なもの。そう、大きな『戦争』の一場面を切り抜いたような……。 と――。 イクスは視線を一点でピタリと止めた。 五十メートルほど先に、人が、それも子どもが座り込んでいたからだ。 その子供は何をするでもなく、周囲の惨状を凝視していた。 「うわっ!」 ドガッ! 真紅のハイリガー・トリニテートが振るう斧剣の剣風に軽量なヘルテンツァーは簡単に翻弄されてしまう。 アレクの腕をもってしても、その後に続く岩石弾の猛襲は避けきれるものではなかった。 「このっ!」 左肩に装備されたウエポンコンテナで何とか岩石弾をガードし、不安定な体勢からアレクはチャクラムを放った。 歌術による『擬似ケーブル』で遠隔操作されるそのチャクラムは、はたして蒼いハイリガー・トリニテートの 右腕を斬り落とすことに成功する。 「やったっ!ディアナ、このまま押し込もう!」 “はい!” 遠く離れたディアナが元気良く答えた。喉の調子は思いのほか良いように思える。 ゴォォォォッ!! 右腕を失って、激しく打ち震える蒼いハイリガー・トリニテート。 同じく右腕にイクスの放った槍が突き刺さったままの、真紅のハイリガー・トリニテート。 神の守護神像とはいえ、所詮は人間の造った機械人形でしかないのか……。 いや、そうでも無さそうである。 何故なら、二体の神像は不気味にそのセンサーアイをぎらつかせているからだ。 あれは手負いの獣ではない。傷ついているが、まだ何か隠している。 アレクは本能的にそう感じていた。 戦場跡に独り座り込んでいる子ども。これほど不自然な光景はなかった。 まず一点。その子の衣服はまったく汚れていなかった。 これほどの惨劇の中、泥を一片も被っていないのは奇妙だ。 二点目。その子はその場から『一度も動いた様子がなかった』。 周囲に足跡もなく、まるで最初からその場に座り込んでいたとでもいうのだろうか……? 「こんな所で何をやっている」 イクスは子どもに近づき訊ねた。 「泣いているの」 声音からして少女だろうか、その子はとても泣いているようには聞こえない声で答えた。 もっとも、少女か少年かまだ見分けがつかない歳であったから、性別に関して言えば確信は持てなかったが。 「泣いている?…そうは見えないが」 言った後でイクスは後悔した。こんな所に独りぼっちの子どもに何てことを言ったのだろうかと。 だが、その子は気にした風でもなく、淡々と答えた。 「泣いているよ。『みんな』泣いているの」 「みんな……?」 この場にまだ生き残った人がいるとでも言うのだろうか? イクスはその子の隣へ座り込んだ。 なるほど、イクスの読みたては間違ってはいないようだ。 その子どもは少女だった。微妙に胸が膨れているし、頭まで覆ったローブの端からは長い銀髪がこぼれていた。 イクスは素直に綺麗だと思った。まるで戦場を舞う天使のようだ、とも。 ただ、その少女にはおよそ感情的な要素が感じられなかった。 光の無い瞳がそれを強調していた。傍に座るイクスでさえ、その少女が死んでいるのではないかと思うほどだから、 他の人間から見ればその少女は氷付けの死体のようだろう。 「そう。みんなが泣いているの。……どうしてなの?」 少女は瞬きしない目で、イクスを見つめた。 「いや、どうしてだろう……」 言葉に窮するイクス。 少女は興味を無くしたのか、再び目の前に広がる惨状を見つめた。 「私が殺したの。みんな。言われたとおりにやったのに……。どうしてみんな泣いているの……?」 今度は惨状の場に言葉をかける少女。 今まで、何度となく少女がそうやって問いかけてきた事をイクスは知らない。 そして答えが返ってくるはずは無いということを、少女は知らない。 「君が殺した…?」 イクスは驚愕に震えた。 この少女がこの惨劇を作り出したというのだ。信じられるはずも無い。 周囲には千を超える死体と、二十を超える絶対奏甲の残骸が転がっているのだ。 生身の人間がそれらに勝つことなどできるはずも無い。 だが、同時にイクスはこの子ならばとも思った。浮世離れしたその少女が、とても嘘をつくように思えなかったからだ。 だからイクスは少女の話を信じることにした。 「誰に殺せと言われたんだ?」 なるべく尋問口調にならない様に、気をつける。 「それは……」 そこまで言って少女は急に空を見上げた。 「あっ……」 どんよりと曇った空を見上げたまま、少女はつぶやいた。 少女は再びイクスに振り向く。 「行かなくていいの?」 「何処に?」 「早く帰らないと、お兄ちゃんの大事な人たちが死んじゃうよ」 「まさか…!」 イクスの脳裏にフェイエン達の顔がよぎった。 「送ってあげる」 ローブの下から少女の細い繊手が露になる。そしてその手はイクスの胸にそっと触れた。 「まっ――」 「待って」と言おうとしたその瞬間、イクスの体は光となって次第に消え始め、やがて何事も無かったかのように、 少女だけがその場に佇んでいた。 突如として変形を始めた二機のハイリガー・トリニテートの姿にアレクは息をのむほか無かった。 胸部装甲が展開し、中から現れたのは大口径の幻糸砲だったのだ。 それぞれが一激でこの神殿を数個吹き飛ばすだけの威力を誇るその装備は、すでに予備起動を開始していた。 「さすがに覚悟を決めなくちゃダメみたいだな」 激しく乱れた呼吸をぬぐって、アレクは呟いた。 戦闘開始からすでに十分。ディアナの喉が心配になってくる時間だ。 アレクの機体はすでに兵装コンテナを失い、稼働時間の限界も近づいている。 この状況では、あの化け物達を止めるのは不可能だろう。 第一、ディアナの話を聞いた後なのだ。なおさら助かる希望も薄いように思えた。 “この状況を、私は毎晩夢で見てきたんです。でも、起きたときにはいつも覚えていなくて……” ディアナにそう言われたときはさすがに苦笑するしかなかった。 最近彼女が夜にうなされていた理由はこれだったのかと。 「で、夢の結末はどうなるの?」 “それは……” 言いよどむディアナ。つまりは、そういうことになるのだろう。 僅か数分前にかわしたそれらの会話を思い出し、アレクはため息をついた。 「ため息とは、お前らしくも無いな」 その声にアレクは耳を疑った。 「イクス!よかった、生きていたんだね」 「勝手に殺すな」 起き上がった白銀のマリーエングランツはボロボロではあるものの、まだまだ闘志を秘めているようだった。 「フェイエン。無事か?」 「ばか!心配かけさせてっ!」 上ずった声だけが『ケーブル』をつたわってきた。それでもイクスは彼女の頬を伝う雫を見た気がした。 「すまん」 「すまんでは済まさん…。ばか…」 怒っているのか、泣いているのか、わからない声に苦笑する。 「イクス。状況説明は必要?」 「いらん。要はあの木偶人形をぶっ壊せばすむんだろ?」 変形したハイリガー・トリニテートを見ても、イクスの判断は変わらなかった。 「ディアナ。紅いのに突き刺さった『俺』の槍を引き戻せるか?」 「や、やってみます」 ディアナの紡ぐ歌はあらゆる物を『擬似ケーブル』を使って自由に操れるものだ。 突き刺さった槍は歌術の力によってイクスの元に回帰した。 「よくやった、ディアナ。アレク、少しの間でいいから、やつらの攻撃をあしらってくれ」 「了解」 ヘルテンツァーは軽快に飛び出していった。 チャージ中の為か、防御攻撃しか行ってこない敵をアレクは軽々とあしらう。 先ほどからフェイエンが回復歌術を紡いでくれているおかげだ。 「槍兵の力を見せてやろう」 イクスは愛槍を構えた。目標はただ一点のみ。そしてチャンスは一度のみ。 「フェイエン、活性化させてくれ」 歌術の力を借り、槍の周りには濃密な幻糸が集まってくる。 圧縮された幻糸は視認できるほどになり、槍全体が光り輝いているようだ。 これがイクスの槍、『グングニル』の本当の姿だった。 「イクス!いまだっ!!」 アレクが叫び終わる前に、イクスは槍を放った。 「くらえっ!!」 ビュォォォォッ! 一本の光の矢と化した槍は、狙いを違わずアレクが前後に重なるように誘導した二機を貫通し、 それでも勢いを失わずに後方の巨柱を数本なぎ倒した後にようやく地面に突き刺さった。 「……」 胸を貫かれ、アークドライブを失った二体の神像は、ゆっくりとその動きを止めた。 ● トーテス・タールの戦闘より7日後。早朝。 かつての仮面の男は、静かに姿を消した。誰とも別れの言葉を交わすことはなかった。 「行ってしまったか……」 アーサーは静かに言った。彼が旅立つ事などとうの昔から知っているかのように。 「せっかく兄妹が再会したというのに。また離れ離れか……」 「ええ。ですがきっとまた帰ってきますわ」 オルトルートは薄く朝もやが掛かった窓の外を見ていた。 「血族の絆とは、私の思っている以上に強いのかもしれんな」 その折、ドアが激しく開かれた。飛び込んできたのは十歳の少女。キサラだった。 「おじいちゃん。パパは!?」 荒い息遣いのまま、掴みかからんばかりに尋ねる。 ユリウスとの一軒で心のつっかえが取れたのか、ここ数日の彼女はとても多言であった。 「行ってしまったよ」 「そんな……。やだよ…」 首を小さく横に振る少女に、オルトルートは静かに語りかけた。 「大丈夫ですわ。いい子にしていればきっとすぐに会えますわよ」 「そうなのかな…」 「ええ。きっとそうですわ」 そう語るオルトルートの目はとても優しかった。 そして、もう二組はというと……。 「いたたたたたたっ!!!」 「このぐらい我慢しろっ!男だろう!」 「アーカイア人のお前が言うな!…ったたたたた!!」 「まったく、どれだけ無茶をしたんだ。こんなに傷を負って」 ペタペタといささか手荒に傷口の消毒をするフェイエンは呆れたように呟いた。 「仕方ないだろう。あそこで無茶しなきゃ、あの時に死んで……」 イクスの言葉を遮ったのは消毒液の刺激ではなく、フェイエンの柔らかな腕だった。 「フェイエン……」 「よく帰ってきたな」 背中越しのフェイエンの声。 イクスは急に嬉しくなった。生きて帰ってきてよかったと。 「あのな…フェイエン。俺…多分お前のこと――」 バンっ! 「イクス!大変だ!…って、あ〜〜〜っ!!?」 「いっ!?」 「ひゃっ!?」 アレクの声で飛び跳ねるように離れる二人。 「君達!『らぶらぶ』じゃ無いか!」 「ち、違う!これは…違うぞ!」 「そうです!こいつとは何でも無い!」 騒々しい三人を後ろから見守るディアナ。 きっと今日も楽しい一日になるだろうと、三人を見ながらそう思った。 ------- 『黒の乗り手 篇』 了 ------- |