《 黒の乗り手 篇 》


       第1章 「運命の邂逅」

 「おい、にぃちゃん。なかなかやるようだが、この俺様に出会ったのが運のつきだ。覚悟しろ」
自分より二周りも大きい大男にそう言われても、青年はまったく怖気づく事は無かった。
むしろ涼しい顔で口の端を少し吊り上げて、笑った。
「このやろう、馬鹿にしてんのか!ええ!?」
男が今にも掴みかからんばかりに青年に詰め寄った。
なるほど、見れば確かに普通の奴よりは少しはマシな奴のようだ。しかし……。
「何なら試してみるか?俺は別に構わんぞ」
自分にはまだ劣ると、そう思った。だからイクスはそう言ってやった。
周囲からは驚きと混乱、そしてはやし立てる声が聞こえてくる。
中には早速勝者を予測する賭けまで始めているやつもいた。
「ほぉう!?そっちがその気なら本気でやってやる。後で吼えずらかくなよ」
「ふっ……」
あくまでもすました様子のイクス。それを見て男が先に動いた。
力いっぱい『樽ジョッキ』を掴むと一気に喉に流し込む。
それを見て周囲はやんややんやと大騒ぎをし始めた。
「…っっぷはぁ!」
飲み干したジョッキを「ドン!」と置いてから口を腕で拭いながら大男は挑戦的な目つきでイクスを睨む。
イクスはその視線を軽く流して、自分の前に置かれたドデカいジョッキにゆっくりと手を伸ばす。
ジョッキと言うよりはちょっとしたバケツほどの大きさがあるそれは人々から畏敬の念を込めて
『樽(たる)ジョッキ』と呼ばれている。
その樽ジョッキを軽々と持ち上げて、まるで水でも飲むかのようにあっさりと飲み干した。
大男はそれを見ると2杯目の樽ジョッキを手にして、飲みにかかる。
「んぐ、んぐ…」
「こく、こく…」
「んぐんぐ…」
「こくこく…」
次々に樽ジョッキを開けていく二人。周囲の者達は相変わらず二人をはやし立てている。
「イクス、負けんじゃないわよ!」
これはメリッサだ。
「まったく…、呆れてものも言えん」
憮然とした態度でイクス達を遠目に見ながらフェイエンはカウンター席で呟く。
「いいじゃないかい。男なんてそういうもんさね」
皿を洗いながらフランチェスカは律儀にもフェイエンの呟きに答えを返してくれた。
「…おば様はまるで女性英雄のような事を言われるのですね」
「あっはっはっ!やだねぇフェイエン!これは年のせいさ」
フランチェスカおばさんは豪快に笑うとグラスを1つ出して、それにニモ酒を注いでクイッと飲み干した。
それをぼんやりと見ながらフェイエンも自分のグラスを傾けた。
「おおーーーーっ!!」
一際大きい歓声が上がる。
フェイエンが振り向くと机に突っ伏した巨漢が目に入る。イクスは平然とした顔で樽ジョッキを置いた。
「う、う〜ん…まいった…」
大男はそういうとゴウゴウといびきをかいて寝てしまった。
周囲の人間はイクスに喝采を浴びせると口々に賭けにかった事を感謝したり、背中をバンバンとたたいて
高笑いした後それぞれまた飲むのを再開する。
「やったぁ〜!私が見込んだだけはあるわね!」
メリッサはイクスに抱きついてよしよしと頭を撫でる。豊な胸の双丘がイクスの背中で強烈な自己主張をする。
酒によるものではない赤みがイクスの頬を射す。
「ご褒美にまた後で相手になってあげるわ」
再び耳元で妖艶にささやく。イクスはビクリと背筋を振るわせる。
物凄い殺気を感じたからだ。多分、連続殺人犯でも震え上がるほどの……。
「いや…今回は遠慮しておく」
声が震える。
「えぇ〜。私とじゃ、イヤ?」
甘えるような声でメリッサ。
「いや、そういうわけでは…」
「じゃあいいじゃない」
「いや、だから」
「イクス!私のお酒が飲めないって言うの!?」
メリッサとの飲み比べ勝負以前にこのまま彼女に密着されていては命にかかわる。
イクスには恐ろしいお目付け役がいるのだから……。
「……」
殺気が膨れ上がる。これだけの殺気が放てるのなら睨むだけで象でも殺せるよな、などと思いながらも
イクスはその後何分かをメリッサの説得に裂かなくてはならなくなってしまった。


 何事も無かったかのように店内はいつもの喧騒を取り戻していた。
イクスはカウンター席に戻り、再びニモ酒のグラスを傾けている。
「あれっぽっちじゃ、少しも酔わないな」
あれだけの量を飲み干しておきながら、そんなことを言う。
「先ほどはえらく嬉しそうだったな。姉さんに抱きつかれたときだ」
やけに冷淡な声でフェイエンが訊ねる。目を合わせようともしない。
「そ、そうか?別にそんなことは無いが…」
「では聞くが、なぜ顔が赤くなっていた?」
まるで尋問だなと思いつつも必死に説明するイクス。
「それは、姉さんが熱っぽい声で囁くから…」
「やっぱりそうか。そうなのだな」
酔いも手伝ってか、まったく聞く耳持たず。勝手に推論を展開してしまっている。
もはや打つ手が無くなり、お手上げ状態のイクスに思わぬ助け舟が出た。
「隣をよろしいかな?」
渋みのある声がして、イクスの隣に男が腰掛けた。しわの刻まれた顔に短く刈り上げた白髪と
渋みを感じさせる短く丹念に整えられた白いひげ。現世人なら真っ先に映画俳優の
ショーン・コネリーを想起させるだろう風貌。
だが生憎とイクスは召喚前の記憶を失っているためにそんなことは分からなかった。
「先ほどの勝負は見事だった。私からも祝辞を述べさせてもらう」
「いえ、たいしたことではありませんよ」
フェイエンの追及から逃れる事が出来たイクスは心中で感謝しながら初老の男に言葉を返す。
「ところで、こちらの状況はどうかね?」
「状況?」
聞き返してようやく奇声蟲退治の状況の事だと理解した。
「あぁ…。こちらは集会場奪還の後は順調に討伐されていますよ」
その後イクスは掻い摘んで現在の状況をその初老の男に説明する。
「それは良かった。討伐完了まであと少しのようだね」
「ええ、…って、貴方も機奏英雄ですか?」
初老の男は苦笑しながらも頷いた。
その後でよく考えれば当然かとイクスは思った。
男性が召喚されるのは他でもない絶対奏甲に乗って戦うために他ならないからだ。
「いえ、失礼しました」
謝るイクスに老人は顔のしわを深くして微笑んだ。誰もが安心感を抱く優しい微笑。
イクスは初めてその男と目を合わせた。その黒瞳は深い哀愁を湛えていた。
「かまわんよ。どちらにしろ私はもう老いぼれだ。その事実は変わらん」
言ってからグラスを傾ける。中身はフルーツジュースだ。
「お酒。お嫌いなのですか?」
「あぁ、どうも苦手でね。若いころはよく飲んだのだが、今ではさっぱりだめになってしまった……」
男の瞳に哀愁のk下が落ちるのをイクスは見逃さなかった。
くいっ、くいっ。
イクスと男の間から手が伸びて男の袖を引った。
「ん?キサラか。どうした、こんな所まで来たのか」
男は袖を引っ張った少女の頭を撫でながら言った。少女の年のころは10歳くらいだろうか。
「…むかえにきた」
一言だけ言うと後は黙り込んでしまった。
「そうか、わざわざありがとう。……さて、私はこれで失礼させてもらう。また会おう」
そう告げると初老の男は颯爽と出口から消えていった。
入れ替わるようにアレクとディアナが顔を出す。
イクスはアレクたちに手を振りながら心の中で男の名前を聞き忘れた事を後悔していた。

        ○

 翌日。フェイエンは二日酔いに苛まれていた。
「大丈夫か?…とりあえずこれを飲んで休んでおけ」
イクスは水の入ったグラスと小指の爪くらいの大きさの丸薬をフェイエンに差し出した。
「う…、情けない、シュピルドーゼの軍人たる私が、こ、これしきの…」
後は言葉にならない。
昨晩は彼女にしてはかなり飲んだ。昨日の記憶が無い事がそれを証明していた。
よって、イクスに対する理不尽な追及の事も当然頭に残っていない。
それも手伝ってか、顔をしかめて頭痛に耐える姿が見るに耐え無くなってイクスは早く薬を飲むように促した。
「なに言ってるんだ。軍人だろうが何だろうが二日酔いになるときはなる。…ほら、さっさと飲んで
元気になってくれ。苦しむ君の姿を見るのは辛い」
「…ありがとう」
フェイエンは微笑んだ。イクスのために無理してそうしたというのはすぐにわかる。
それから彼女はイクスから受け取った薬を水で飲むと再びベッドに横になった。
「今日はゆっくり休んでくれ。ついていてやりたいが、俺はアレク達と少し出かけなくてはならない」
「…気をつけて、な……」
フェイエンはベッドの中でそう言うと寝息を立て始めた。薬の効果が出てきたらしい。
「まったく、自分のことを心配しろ」
彼女の寝顔を見つめながらイクスは呟いた。どこか嬉しそうな表情で。

 「一体何の用だろう?いきなり議会に出頭しろなんてさ」
「さぁな」
イクス、アレク、ディアナは集会場の傍に設営された情報部に向かっていた。
アレクの言った議会とはすなわちアーカイア中の情報を収集・解析する情報部や奇声蟲討伐を
取りまとめる作戦部なども含めた、いわば広義の意味での言葉だった。
それにしても作戦部からならともかく、情報部に呼び出される理由などイクスもアレク達もまったく見当が
つかなかった。正直言ってあまり目立った戦果を上げていないし、貴族種とも交戦していないから
持っている情報など他の英雄達とそんなに変わるものでもない。
暫く歩いた後、作戦部の建物の前にたどり着いた3人は、やや緊張した雰囲気で扉を開ける。
「失礼」
イクスを先頭に3人が中に入ると、そこには誰もいなかった。石造りの建物の中は不思議な静寂に包まれている。
情報部という性質上か、窓がまったく無く蝋燭とランプの光が薄暗くその影を落としているだけだ。
「?」
一同の頭に疑問符が浮かぶ。
「あの。すみま…」
イクスは言いかけた言葉を飲み込んだ。
隅のほうで影がゆれたのだ。おそらく人。
「どうしたの?」
いぶかしげにたずねるアレクを手で制し、イクスは影の揺れた方を凝視する。
自分でも知らない間に腰に帯びた剣に手を掛けていた。何故そうしたのか。わからない。
ただ、ほんの僅か、ごく微細な殺気を感じた気がした。
周囲を見渡してみるが、既に気配は無い。
「…気のせいか……」
そう言って体の緊張を解こうとした――刹那!
「はぁっ!」
ギィィィィィィィン!
歯のうくような金属音と共に2振りの剣が交差する。
頭上から降ってきた人は顔まで覆い隠す長衣を身にまとっていた。
そのために性別はおろか、顔さえわからない。
「何のつもりだ!?」
相手の息が掛かるほどの至近距離でのつばぜり合い。
アレクはディアナを背後に庇いつつ、腰のチャクラムを抜く。
イクスは相手の出方を見る。それと同時に隙を探るが、まったく隙が見つからなかった。
暫くのつばぜり合いの後相手はふと力を緩めた。
イクスもそれに習うが、決して気は抜かない。両手で剣を正眼に構えたまま、数歩後ろへ退く。
長衣の人は小さく吐息を漏らすと、顔を覆っていた布を外した。
「よく気づきましたね。お見事ですわ」
そう言って露わになった顔は女性のものだった。しかも装飾品から現世人とわかる。すなわち機奏英雄。
「機奏英雄か?何のまねだ」
「ごめんなさいね。お噂が本当か貴方を試したのですわ」
初見の相手にいきなり斬りかかった女は柔和な微笑を浮かべて、こともなげにそう言った。
イクスは剣を収めることなく女の言葉を聞いた。
「試す?わざわざご丁寧に殺気まで放ってか」
イクスが攻撃に気づいたのは瞬間的に物凄い殺気を頭上から感じたからに過ぎなかったのだ。
もしも目の前の女が本気で自分達、いや、自分を殺そうと切りかかったなら、まず確実に気づかなかっただろう。
「ふふっ」
女はイクスの問いに答えず、再び微笑む。
「何がおかしい。いきなり切りかかっておいて詫びもなしか」
「そうですわね。まずは謝りますわ。イクス・メルクリウス・フレイアさん」
女は微笑を浮かべたまま悪びれもせずそう言ってのけた。
ムッとしないでもなかったが、とりあえずはこれ以上の攻撃は無いようだ。
イクスは構えを解いて剣を収める。
「俺達は情報部の人間に呼び出されて来たのだが、情報部部長は何処に?」
女は不思議そうな顔をしてイクスの言葉を聞く。
「ふふっ。面白い事を仰られるのですね。ここにいるではありませんか」
そう言って自らの胸に手を当てる。
「私がおよび申し上げたのです。情報部部長のオルトルート・シュヴァイツァーが」
「あなたが情報部部長…!?」
「えぇ。そうですわ」
オルトルートと名乗った女は再び柔和な微笑を浮かべて、肯定した。
まさか機奏英雄が情報部のトップだとは思わなかった。
「あなた達をお呼び申し上げたのは、ぜひ情報部から出場していただきたい大会があるからですの」
「大会…ですか?」
今まで黙っていたアレクが問い返した。既に後ろに隠れていたディアナもアレクの横に出てきている。
「ええ。ポザネオ市郊外のコロシアムで行われる絶対奏甲バトルです。優勝賞金は10000G」
10000Gといえば暫くは遊んで暮らせるほどの大金だ。
「いきなりだな……」
イクスが難色を示す。残りの二人も同じような顔だ。
「奇声蟲掃討が後1歩というところでそんな娯楽をやる理由はあるのか?」
「もちろんです。奇声蟲が掃討されたとしても、いつまた現れるかわかりません。
そうなったときに慌てるより、今から有能な人材を選出し、備える必要があると言うのが評議会の見解ですわ」
オルトルートは部屋の端に備え付けられた大きな机と椅子に歩み寄った。
「そのためのトーナメントか……」
「もし優勝する事ができれば、今の1兵士よりも数段よい生活が約束される上に、最新の奏甲や機材も無料で
提供されますの」
机の引き出しを開けて2枚の紙片を取り出すと、オルトルートはそれぞれイクスとアレクに手渡した。
「よろしければそこに書いてある期日にエタファの情報部へいらしてくださいませ。決して退屈はいたしませんわ」
そう言うとオルトルートは奥の部屋へと続くのであろう扉に手を掛けて付け足した。
「イクス様。中々の太刀筋でしたわ。今度は本当の得物で手合わせ願いたいですわね」
また微笑を浮かべて、オルトルートは部屋を辞した。
「……ばれたか」
イクスの得物は槍である。それをたった1度剣を交えただけで気づいていたのだ。
恐ろしい洞察眼と技量。イクスもまた、1度の経験からその事を知った。
イクスはわたされた紙片を眺めてみた。
「日付は明日か…」
「イクス。出るのかい?」
アレクは自分の紙片をポケットにしまいこんでイクスにたずねる。
「お前は?」
「僕?そうだね…出てもいいかな」
親友の口から意外な言葉が出たことにイクスは驚いた。
「無用な戦いはしないと言っていたはずだが?」
「これは無駄な戦いではないよ」
アレクは笑って言った。
「もし優勝できれば、今よりいい生活ができるってあの人が言っていたよね?
そうしたらディアナをよりいい環境で治療させて上げられる。…やってみる価値はあると思う」
「アレク…」
「ごめん。勝手な事を言って。でもね、僕にとってディアナの喉を治す事はアーカイアの平和と同じ…、
いや、それ以上に重要な事なんだ」
アレクの瞳には静かな決意の色が滲んでいた。
イクスは小さくため息をついてから頷いた。
「まったく。お前とだけは戦いたくないんだがな……」
「君も出るつもりなの?」
「俺が出なくてもフェイエンが『出ろ!』と言うだろうさ。なんだかんだ言ってあいつも俺を鍛えることが好きだからな」
フェイエンはシュピルドーゼの軍人である。そのせいか『修行』とか『稽古』とかいったものには目が無いのだ。
特に彼女は自分の宿縁の英雄は自分より強くあることを望んでいるために、
いつもイクスはフェイエンの修行につき合わされている。
ちなみに現在の所は剣の勝負では一応互角である。槍術に関しては圧倒的にイクスの方が上だが……。
「なるほど。いい修行になるからということか」
アレクは納得した風に頷く。
「たまったもんじゃないぞ。毎朝早くからたたき起こされて、剣術の稽古……。
今日の朝は久しぶりにゆっくり寝れたよ」
「ふふっ。イクス様、嬉しそうですね」
上品な笑い声と共にディアナが言った言葉を聞いて、イクスも苦笑した。
「まぁ、イヤじゃないんだが…。それに彼女だって俺の事を思ってやっているのだろうから、
むげに断るわけにも行かないしな」
ディアナが言うように嬉しそうにそう言うイクス。
そんな話の後、3人は情報部の建物を出て兵舎への帰途に着いたのだった。

 絶対奏甲バトル。その裏に隠された真の目的を知らないまま、彼らはいつものように今宵を過ごすのだろう。
これが最後の休息になるとも知らずに……。


                ------つづく------

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