《 黒の乗り手 篇 》


       第2章 「絶対奏甲バトル 〜前編〜」

 人間ははるか古代より生きるために戦ってきた。
しかし、いつからか生きるためではなく、己を試すために戦う者達が現れ始める。
栄光の境地を極めた古代ローマにおいては、その為の大掛かりな施設が建設された。
――コロッセオ。夢と野望、生と死の集いし聖なる戦場。
人々はその場所にある種の希望を抱く。
それは異なる世界、アーカイアでも同じであった。
今、その聖戦場を駆ける1機の奏甲があった。
白銀に輝く鏡面装甲。2対の脚と1対の腕はさながらギリシャ神話のケンタウロスを髣髴とさせる。
時に『完璧なる者』として例えられるその半獣人の如く、
その装甲――マリーエングランツは完璧な動きで相手を翻弄していた。
電光石火……。
その一言がその奏甲を表すにはもっとも適切であろう。
相手の装甲はずんぐりとしたやや背の低い突撃型の奏甲だった。
大型の斧を両手に構え、白銀のマリーエングランツを叩き切らんとするも、マリーエングランツは
それを上回る速度でその鈍く輝く切っ先をかわす。
そして距離をとり、再び一気に距離を詰めた。
その手には突撃槍――ランスが地を這うように構えられている。
まるで中世の騎士のようだった。
「終わりだ」
イクスはそう呟いた。
次の瞬間、相手の奏甲は右の腕を失い、倒れた。
歓声が巻き起こる。
古代ローマのそれのような円形の闘技場は観客で埋めつくされていた。
イクスは愛機の右腕に持ったランスを高々と持ち上げて、その歓声にこたえた。
「これで準決勝だな、イクス」
もう一人の相棒、歌姫のフェイエンの声が『ケーブル』を通して聞こえる。
「あぁ。そうだな。しかし……」
次の相手の事を考えると手放しで喜ぶ気にはなれなかった。
「これも運命だ。受け入れるしかなかろう。私とて気まずいが、手を抜くのは無礼だろうからな」
「アレクか…」
イクスは次の対戦相手であり、一番の親友の名を呟いた。
結局、情報部から帰ったイクスは元気になったフェイエンに、このトーナメントの事を話した。
すると返ってきた答えは予想どうりのものだった。
すなわち、「良い鍛錬になるな。イクス」。
イクスは苦笑した。フェイエンの楽しそうな笑顔が嬉しかった。
そしてそのトーナメントも順調に勝ちあがり、いよいよ準決勝というところま来ている。
準決勝の相手はイクスの呟きどうり、アレク・ヴェルヌ・ニーベルンゲン。
優しい男だが、決して侮れない相手だ。イクスの知る中で最も厄介な相手だ。
言い方を変えるなら、これ程仲間として頼れるやつはいないだろう。
その上にディアナのサポートが入るとなると、その戦闘能力は計り知れない。
未だにイクスはアレクたちの真の実力を見たことが無かった。それはお互いにいえることではあるが…。
「イクス」
不意に『ケーブル』にアレクの意思が流れ込んできた。
「アレク、次はお前とだな」
「うん、そうみたいだね。お互いに全力で戦おう」
そう言うと一方的にケーブルの同調は切れた。
イクスは今日何度目かのため息をついて、目をつむる。
これから展開される戦いをどう運ぶかを考える。
イクスとアレク。実力拮抗の二人が戦うとなると、それはとても難しい戦いになるだろうことは容易に想像できた。
イクスにとってできるなら戦いたくないと思う唯一の人間がアレクに他ならない。
「フェイエン。サポートは頼む」
目をつむったままフェイエンに呼びかける。
「任せておけ。きっちりと援護してやるから、お前は相手の事だけを見て戦え」
力強い返答にアレクは口の端を僅かに吊り上げて笑った。

 ファンファーレが鳴り響き、観客達は大いに盛り上がりを見せていた。
数十メートルの間隔を置き、正対する2機の奏甲。
白銀に輝くイクスのマリーエングランツ。そして腕に追加武装ラックと装甲を装備したアレクのヘルテンツァー。
2機の周囲には不思議な冷たさが漂っていた。
ゴクリ……。
アレクは喉を鳴らした。かといって飲み込むような唾は既に無い。
かつてこれ程緊張した事があっただろうか?父に反発して家を飛び出した時でさえこれ程の不安を味わった事は無かった。
「アレク様」
「なんだい?」
ディアナの呼びかけにこたえるアレクだが、やはりその声にも緊張が混じっていた。
「無茶は…しないでくださいね」
アレクはニコリと笑った。ディアナの表情が見て取れるようだったからだ。
「大丈夫。僕達は勝てるよ。たとえ相手がイクスとフェイエンだとしてもね」
ディアナを安心させるようにアレク。
「信じています…アレク様…」
「うん」
アレクがそう言うのと同時に試合開始の合図をだす奏甲が入場してきた。
「それでは両者、よろしいか?……では。始めっ!!」
鋭い声と共にジャッジの機体が開始の合図を放つ。
「はぁっ!」
先に動いたのはイクスのマリーエングランツだった。
間合いを一気に詰める。武器はランスからスピアへと変更していた。
アレクのヘルテンツァーの左腕部関節をピンポイントで狙う。
「ふっ」
イクスは軽く笑った。攻撃が予想どうり避けられたからだ。最初から当たるとは思っていない。
アレクのヘルテンツァーはまるで曲芸師のようにアクロバティックな動きでイクスの攻撃を次から次へと避ける。
「さすがだな!ならこれはどうだ!」
イクスは左腕に――利き腕にスピアを持ち替えた。
「持ち替えた!」
アレクはイクスの予想どうりの動きに余裕を持って対応する。
「…でもまだ本気ではないね、イクス!」
着かず離れずの距離で攻めるイクスと守るアレク。戦いの趨勢は誰が見ても明らかだ。
アレクは攻撃できないのか。それともしていないだけなのか。
「アレクの奴、もったいぶりやがって」
「イクス!くるぞ!」
ヘルテンツァーが突如として跳躍した。スペックを超える跳躍力であっと言う間に間合いを取り、
専用ラックのチャクラムを取り出して放った。
チャクラムは燐光を放ちながらマリーエングランツに迫る。
このチャクラムは歌術によって作られる仮想のケーブルを通してアレクの意思のままに操られのだ。
「フェイエン!頼む!」
イクスの声と共にフェイエンは歌唱曲を変える。
『狂える夢たちの行進曲』だ。
「なっ!?」
ヘルテンツァーの幻糸炉の出力が瞬間的に低下する。それと同時に僅かながらチャクラム誘導の『仮想ケーブル』が
揺らいだ。
チャクラムの軌道が単純化されたところをイクスは叩き落した。
続いてフェイエンは『姫と英雄による二重奏』を紡ぐ。
ただでさえ早いマリーエングランツがさらに増速し、ヘルテンツァーをその射程に捉えた。
「負けません!フェイエンさん!」
珍しくディアナが叫んだ。もちろん歌を歌い続けながらだから実際に叫んだわけではない。
いわば心の叫びか…。
ディアナは『ザ・トッカータ』を織る。
ヘルテンツァーは再びスペックを大幅に超えた機動を見せる。
歌唱技能ではディアナの方がフェイエンの上を行く。奇跡の歌声と名高い彼女のサポートを受けた
アレクの奏甲は無類の強さを周囲に見せ付けてきた。
しかし……。
「ディアナ殿……」
ディアナの本気を悟ったフェイエンは、負けじと歌を紡ぐ。
たとえ歌姫として能力が劣っていようとも……!
いつの間にか観客から歓声が消えていた。誰もが2機の戦いに目を、いや、心を奪われている。
ただ無心に2機の華麗なる円舞を見つめていた。
「いかがですか?彼らの腕は」
コロシアムの最外縁、つまり一番高い所に特別席が設けられている。
通常は貴賓席として使われるそこには、現在4つの人影があった。現在は明かりが消されていて、
そこにいる人物の顔はわからない。
「面白い子供達だ。正直ここまでできるとは思っていなかったよ」
影の1つ。どうやら男のようだ。その男は顔のしわを深めて笑った。
「それはよかったですわ。私達の仕事が無駄にならずにすんだのですもの」
「礼を言うよオルトルート」
男がそう言う。その言葉に含みはなく、純粋に感謝の念しかなかった。
そしてその男が言うには、影の2つ目はどうやらイクスたちをここに招待したオルトルートだという。
「ふふっ。これで『おあいこ』ですわ」
オルトルートは静かに笑った。

「おおおおっ!」
「はぁぁぁぁっ!」
お互いの渾身の攻撃が錯綜する。前後左右だけではなく、時には上下と、
休む間のない攻防は既に数時間は戦闘しているような錯覚を引き起こす。
実際にはまだ10分と経過していない。
両者とも集中力の限界を超えての戦いに疲弊してきている。たとえそれが10分だとしても、
神経には多大なストレスが加わるからだ。
「!?」
急にアレクのヘルテンツァーの動きが鈍った。それがディアナの歌が途切れた為だと彼は経験的に悟った。
「しまっ…!」
「もらったっ!」
ガキィィィン!
イクスの放った槍撃は見事にアレクの機体の武装ラックを破壊した。
これでチャクラムは使えない。彼のヘルテンツァーには、まだ予備のショートソードが残されているが、
所詮は副武装に過ぎず、それを用いてイクスに打ち勝つ事は不可能に近い。
一瞬、会場の時が止まった。2機は決着の時の体勢で凍りついたように微動だにしなかった。
やがて……。
「勝者、イクス・メルクリウス・フレイア!」
ジャッジの声が高らかに上がると、今までの沈黙が跡形もなく粉砕されるほどの大歓声が巻き起こった。
ゆっくりと矛先をおろすマリーエングランツ。
深いため息をついた後アレクは言った。
「…負けたよ」
イクスは何も答えない。
二人の間はそれだけで十分だった。
時に何も語らないことが、何よりも多くを語ることがある。
「ディアナ。大丈夫?」
「ごめんなさい。アレク様…。私…私…」
嗚咽混じりのディアナの声が『ケーブル』を伝わってくる。
アレクは優しく微笑んだ後に一言だけ言った。
「悔しいね……」
暫くの間、二人の『ケーブル』は柔らかな涙で満たされた。



             ------つづく------

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