《 黒の乗り手 篇 》


      「 Inter−Mission 1 」

 蒼穹の空は真綿をちぎって投げたような雲に彩られていた。
 地上から見上げるそれはとても高く、ひたすらに広いものだと思っていた。
 だが、今は違った。無限に続く空は、彼にとっては庭のように端から端まで飛んでいけるような
 そんな思いを起こさせる。
 「空を飛びたい」
 その思いは彼が幼い頃に思い描いた夢でもあった。
 訳も分らずいきなり異世界へと召喚されたが、『空を飛べた』という、この1点だけは彼も満足している。
 その翼をくれた『黄金の工房』と『ドクター』にも感謝していた。
 キィィィィィィィィン……。
 ガスタービンエンジン――正確にはターボファンエンジンに近いのだが――の咆哮が蒼穹に響き渡る。
 彼は機体の周囲に生まれる気流をまるで自分の肌で感じるように知覚していた。
 ――まだいける。
 そう思った彼はさらに機体の速度を上げた。
 彼の奏でる奏甲は一気に増速し、垂直上昇に入った。
 エンジンの能力を限界まで使用する垂直上昇にも彼の奏甲は難なく耐えた。
 「どうかな、調子は?」
 老人の声が通信機を介して奏座に響く。
 「悪くないね。この前よりずっと力強いよ」
 答えてから彼はエンジンの出力をカットした。推力をなくした期待は急激に速度を落とし、
 やがて自由落下――フリーフォール――を始める。
 一時的に無重力状態になった奏座で彼はふと目を閉じた。
 ――気持ちいい……。
 そう思ったのもつかの間。今度は機体の後に装備された『 翼 』を展開。
 広げられた翼は見事に空気を切り裂き、整え、掴み取る。
 彼には風の粒子一つ一つが『見える』のだ。
 そうして、速度を落とした奏甲はゆっくりと地面へ降りていった。

 「気に入ってくれたかな?」
 機体を工房の格納庫へと運び入れた後、ドクター・グラウンは彼に自慢するように言った。
 「全体的にはいい仕上がりです。ただ、アークウイング展開のレスポンスが悪い」
 50以上も年の離れたドクター・グラウンに彼は悪びれもせずにはっきりと言った。
 「しかしなぁ・・・お前さんの基準が厳しすぎるだけだわい。『風の粒子が見える』のは何処の世界を
 探してもお前さんぐらいのモンじゃぞ。ああ?宗司」
 こちらも怒るわけでもなく、むしろ呆れた風な口調でドクター・グラウン。
 「まぁ…カタログスペックは超えてはいますけど…」
 彼――東郷宗司(とうごう そうじ)は、つい先ほどまで乗っていた奏甲を見上げた。
 全高10メートル。ややグレーがかった白い装甲板をもったその奏甲には他には無い3つの特徴があった。
 まず1つ目は、その装甲の形状だ。
 流線型と直線が入り混じった複雑な装甲はある種の芸術品かと思わせるほどの美しささえ持っていた。
 それとて、実用性を極限まで追及した結果ではあったが……。
 2つ目。背中に装備された翼。
 ただの翼ならこの奏甲の原型であるフォイアロート・シュヴァルベにも装備されているが、
 この機体の翼はそれとは全く異質な存在だった。
 後になって日の目を浴びる事になる『アークウイング』という装備がある。
 この機体に装備された翼は、その『アークウイング』のプロトタイプの1つだった。
 ただ、他のプロトタイプとは明らかにアプローチの方法が違っていた。
 原型機のフォイアロート・シュヴァルベのそれは有機的な外見を持ち、動きも有機的だが、
 この機体の翼は放熱板を束ねて羽根にしたような、そんな無機的な翼だった。
 そう、ちょうど現世から召喚された技術者が羽根を作ったらちょうどこんな感じになるだろう。
 そして3つ目の特徴はその2枚の翼の根元、背中の真ん中に備え付けられた2機の小型ガスタービンエンジンだ。
 ガスタービンとは高温高圧の排気ガスを膨張させて高速で噴出させタービンを回し、動力または推進力を得るもので、
 この奏甲に搭載されているものは厳密に言えばガスタービンエンジンそのものではなく、
 ガスタービンエンジンとその1種であるターボジェットエンジンの中間に位置する存在で
 現世には同じ動作サイクルで動くものは発明されていない(ターボファンエンジンとも異なる)。
 そんな理由から開発者であるドクター・グラウンは単にガスタービンエンジンと呼んでいる。
 ここまで説明すればもうお分かりかとは思うが、この奏甲は召喚された技術者『ドクター・グラウン』が
 現世の技術を用いて徹底的にカスタマイズした機体、それが今宗司が見上げている機体であった。
 「それから宗司、ワシのかわいいエンジンに負担をかけるなとあれほど言ったろう。垂直上昇などしおって」
 「負担をかけなきゃテストにならないじゃないですか」
 「限度があるだろ限度が。昨日調整し終わったばかりなのに、いきなり限界まで使うバカが何処にいるんじゃ」
 「ここにいますね」
 楽しそうに笑う新しい声に二人はその声の方を振り向く。
 「シェラか…。悪かったなバカで」
 不機嫌そうに宗司が呟く。
 「お疲れ様です宗司さん。ドクターも少し休んでください」
 そう言ってシェラは手に持っていた紅茶セットのトレーを軽く持ち上げた。

 「どうぞ」
 「…どうも……」
 差し出されたティーカップをぶっきらぼうに受け取って宗司はむっつりと黙り込んだ。
 「う〜む…さすがはシェラじゃ。いい腕前だのう」
 「ありがとうございます」
 トレーを抱きしめてシェラはにっこりと笑って頭を下げた。
 肩よりもやや長い金髪がさらりと揺れる。
 その美しさに心を奪われる機奏英雄も多いだろうことは宗司にも理解はできたが、
 どうしても彼はシェラを好きにはなれなかった。
 理由は簡単だった。
 召喚といいながら異世界へと連れて来られて戦えと言われれば、混乱する人間は多いだろう。
 今の宗司がその好例だ。
 そして望んでいない世界で最初に出会った人間がシェラだったのだ。
 彼にとってシェラはこの事態の元凶の象徴であった。
 もちろんそれが自分勝手な被害妄想であることぐらい宗司にも分っていたが、どうしても素直になれなかった。
 「あの・・・宗司さん…お口に合いませんか……?」
 口をつけられていないカップを見て、シェラは不安そうに宗司の顔を窺うが、宗司はその視線から
 逃れるように顔をそらして手元のカップを一口飲んだ。
 「……」
 「その…どうですか……?」
 「…どうせ俺はバカだから紅茶の味なんてわかんないよ」
 「あっ……」
 宗司は険を隠そうともせず刺々しい言葉を口にしていた。
 シェラの表情が一気に曇る。
 「……ごめんなさい」
 「こら、宗司。何てことを言うんだお前は」
 さすがにドクター・グラウンも口を挟んだ。
 「俺、奏座の調整してきます」
 宗司は立ち上がって逃げるようにその場を立ち去った。
 後にはシェラとドクター・グラウンの2人が残された。
 「……」
 「シェラ、すまんなぁ。どうもあいつは素直じゃなくて。あれに比べればわしのエンジンの方がよっぽど
 素直じゃわい。ハッハッハ」
 冗談めかして陽気に笑ってみせるドクター・グラウン。
 「……」
 取り付く島もなしとはこのことを言うのだろうなと思いながらもドクター・グラウンは気を取り直して言った。
 「……ゴホン。シェラ、座りなさい」
 ドクター・グラウンに素直に従うシェラ。
  「シェラよ。今の宗司は戸惑っておる。ワシの様に追い先短い独り身のジジイなら召喚されても何とも
 思わんじゃろうが、アヤツには家族がおってな……心配なのじゃよ。置いてきた家族が」
 「そうですよね……私達の勝手な理由で連れてこられて…大切な家族とも離れ離れになって…
 誰でも怒りますよね……」
 シェラの表情は泣き笑いに近かった。
 「シェラ……」
 「私、宗司さんに嫌われても、…それでも傍に居たいです。…わがままですね、私……」
 今やシェラの瞳からは涙があふれていた。
 ドクター・グラウンは大きく被りを振ってからシェラに言った。
 「わがままなものか」
 それからドクター・グラウンはしばらくの間黙考して、シェラに言った。
 「何ならワシがお前さんたちをくっつけてやるわい」
 「え?」
 「ワシがお前さんの手伝いをしてやると言うたのじゃ」
 そう言うとドクター・グラウンは「にかっ」と笑った。
 その日よりシェラと宗司の仲直り作戦がスタートする。



             -----つづく-----

戻る