《 黒の乗り手 篇 》
 

       第5章 「工房の奇と少女の趣味」
 
 特務隊のメンバーとなったイクスたちはポザネオにあるアーカイアの工房、
 その総本山とも言うべき『黄金の工房』へとその足を運んだ。
 目的は奏甲の修理・改造のためである。
 オルトルートによるとトーナメント決勝で中破したイクスの奏甲は、既に基本的な補修を終えているという。
 「さすがに早いですわね」
 工房の奥へと案内してくれた整備士にオルトルートはあの柔和な笑顔を向けて言った。
 「当然です。ここではもたもたするような人間は不要ですから」
 オルトルートよりも背の高い整備士の女性は、そっけなく言ってさらに奥へと消えた。
 「あら、愛想がなくて」
 その態度を気にした風も無く、むしろオルトルートは愉しむように呟いた。
 それから後に続くイクスたちへとその切れ長の双眸を向けた。
 「さぁ、奏甲は修理されていますわ。後のカスタマイズはお好きなように言いつけてください」
 「『言いつける』とはまた強引な言い草じゃなオルトルート」
 その老人はオルトルートの後より現れた。
 「あら、ご存命でいらしたのですね」
 とのオルトルートの毒舌を老人は「かっかっか」と笑った。気分を害した様子も無いことから、
 この老人はオルトルートとはよく知った仲なのだろう。
 「生憎としぶとい性分でな、中々死のうにも死ねんのじゃ」
 オルトルートにそう笑ってから、彼女の後ろに立つ4人に目をやる。
 「ほう、君達があの奏甲の持ち主か」
 なにやらぶしつけな目線でイクスたちを観察する老人。
 男ということは、アーカイア人ではなく召喚された英雄ということになるが…。
 「ドクター。自己紹介をお願いしますわ」
 うむ、と頷いて老人は、年の割りに張りのある声で自己紹介を始めた。
 「ワシはグラウンというものじゃ。御察しのように召喚された英雄じゃが、この老いぼれは
 戦うことよりも機械いじりの方が性に合っておってな。ここで奏甲の建造と整備をやらせてもらっている
 というわけじゃ」
 ドクター・グラウンは禿げてしまった前頭部を「パチッ」と叩いた。
 その仕草は『英雄なのに機械いじりをして暮らしているのは滑稽じゃろう』と言いたそうだった。
 「ドクターにはあなた方の奏甲をカスタマイズしてもらいます。費用は情報部が持ちますから、
 ご自由にこのドクターに言いつけてください」
 「うむ。遠慮なく言ってくれ。現世の武器も希望ならつけてやるぞ」
 老人は高らかに笑った。
 
          ●
 
 ……で。
 「あの、ドクター…腕がドリルになっているのはどうしてですか?」
 「私のマリーが…」
 アレクとイクスはそれぞれの愛機(だった)ものを見上げて目を白黒させた。
 アレクのヘルテンツァーは破損したのは武装ラックだけだというのに右腕全体が巨大なドリルへと
 換装され、あまつさえ「ドリルテンペスト」と書かれていた。
 イクスのマリーエングランツは白を基調に赤と黄色で塗装されていた。
 もしイクスかアレクのどちらかが日本に住んでいた事があるなら、社会現象にまでなった
 某人気機動武道伝アニメで最強の師匠が駆る、某モビルホースそっくりだと感じただろう。
 「どうじゃ?幾分か男前な奏甲になったじゃろう?」
 「……」
 4人は終始無言。
 「……ダメか?」
 「ダメ!!!」×4
 「そうか…残念じゃ」
 間髪入れずに同時に即答する4人にドクターは肩をすくめた。
 

 結局、元の機体通りに戻されることで4人は安堵のため息を漏らす。
 「なかなか手強い人だな」
 イクスがため息混じりに呟く。
 現在4人は工房横の酒場にて作業が終わるのを待っている所だ。
 石造りの建物が美しい、一見酒場とは思えないような建物だった。
 客にはつなぎを着た女性が多く、工房関係者が多いようだ。
 「あれは一種の『ヲタク』だよね」
 アレクはニモ酒をぐびっと飲む。ちなみに隣のイクスはこれで3杯目だ。
 「そうだな…」
 「…ですね」
 4人それぞれにもう一度大きなため息をついた。
 えてして科学者と言うものには変わり者が多いといわれるが、技術者に変わり者が多いと
 言うのは聞いたことが無い。
 その点で言うとドクター・グラウンはかなりの変わり者と言うことになるだろうか。
 彼の話によるとたまたま日本を訪れたときに、テレビで流されていたロボットアニメの
 数々が――彼の言葉を借りるなら…
 「ソウルフルでキューティクルでナイスでグッドなのじゃっ!!」
 …だという。
 「…心配だ…」
 イクスは再び長い長いため息をついた。
 クイックイッ。
 「ん…?」
 何かに袖を引っ張られる感触に手に取ったグラスを置く。
 袖を引っ張られたイクスを初め、4人の視線がそれに集中した。
 いきなり4人の視線を浴びて少女はビクッっと体を振るわせたが、袖を握る手は離さなかった。
 「君は…たしかディオール卿の」
 少女は無言でイクスの袖を引っ張る。
 肩の辺りまで伸びたやや青みがかかったプラチナブロンドが印象的な少女だった。
 「??」
 イクスは首を傾げる。少女が何を言いたいのかがよく分からず、ただ呆然と少女を見るしかない。
 その彼に助け舟を出すかのようにディアナは席を立ち少女と目線の高さを揃え、優しく尋ねる。
 「ディオール様が呼んでるの?」
 少女は無表情にコクッと頷いて酒場の出口まで走っていってしまった。
 「あっ…」
 ディアナは呼び止めようとしたが思いのほか少女は俊足であった。
 「ディアナ。よく解ったな」
 イクスは呆然と少女の去っていった方を見つめながら言った。
 「え?イクス様はお分かりではなかったのですか?」
 「いや、さっぱり」
 苦笑交じりに笑うイクス。その笑顔にはどこか照れくさそうな要素が混じっていた。
 少女が去っていった後、イクスは立ち上がると「先に行く」と言って出口へと歩を進めていった。
 「以外にかわいいところがあるんだよな」
 アレクの呟きにフェイエンとディアナは顔を合わせて笑った。
 

 イクスが外に出ると酒場の前には少女がポツンと立ち止まっていた。
 興味を引かれた彼は少女の様子を観察することにする。
 少女の視線は一点を凝視していた。
 その視線の先には…。
 「猫…?」
 少女の視線の先、温かい陽光に照らされた樽の上には1匹の黒い猫が気だるげに
 午後のシエスタを決め込んでいるところだった。
 少女は恐る恐るといった風にその猫に近寄っていく。
 気付いているのかいないのか、猫はだるそうに尻尾をフラリフラリと振るだけで
 逃げようとはせず、とうとう傍まで近寄った少女の手がその尻尾へと伸ばされ……。
 「ニヤァッ!」
 猫は奇怪な声を上げて脱兎の如く逃げ出していた。
 少女の手が海草か葦の穂のようにふらふらと揺れる猫の尻尾を鷲づかみにしたからだ。
 「あ……」
 少女は小さく呟いてから、僅かに、ほんの僅かに肩をすくめた。
 「あれじゃあ逃げても仕方ないな」
 ビクッっと体を震わせて少女が背後を振り向くと、そこには酒場で袖を引っ張った青年が
 苦笑交じりに優しい笑顔を少女に向けていた。
 
          ●
 
 アーサーとの軽い打ち合わせが終わった後、
 イクスは自分の部屋へ戻ろうと広い廊下を歩いていた。
 この屋敷はお世辞抜きに広い。なにせアーサーの部屋から自分の部屋へ戻る道のりだけで
 大浴場、食堂、室内闘技場、医務室、アレク達の部屋と、実に多くの部屋の前を通る必要があるのだ。
 その廊下に囲まれるようにして中庭が広がっているというのだから、屋敷の大きさは推して量るべし。
 「ん?」
 廊下の左手に広がる中庭の陰にイクスはあの少女の姿を見た。
 少女はまた日中と同じように猫と相対していた。
 ただし今度は猫も正面を向いている。たしかこの屋敷には猫はいなかったはずだから、何処からか
 迷い込んでしまったのだろう。
 少女は猫とにらめっこ(といっても双方無表情の極みであるが)をしているようでしてないような
 微妙な雰囲気を漂わせている。
 その姿をみて、イクスはようやく少女のやりたいことがわかった。
 
 
 少女は猫とにらみ合ったままだ。猫も一歩も引かず、負けじと少女の瞳を凝視していた。
 「いいかい。ゆっくりと右手をあげてごらん」
 すぐ後からの声に一瞬ビクリと体を硬直させた少女だが、両の肩に乗せられた手の暖かさで
 その緊張もすぐに飛んでしまった。
 真後ろにいる男の人は昼間の人に間違いない。その人はいま自分のすぐ後ろにしゃがみこんで
 こうして肩に手を置いている。
 その安心感はおじいちゃん――アーサーと共にいる時と似ていた。
 少女は無言で右手を上に持ち上げるゆっくり、ゆっくりと…。
 「そうそう。そうしたら今度はその子の目の前まで手を出してごらん」
 言われたとおりに右手を猫の前に差し出した。
 猫は面食らったように少しの間手を見つめていたが、やがてチロチロと少女の指先を舐め始めた。
 「んっ…んっ、んんっ」
 少女は指先が舐められるたびに声を漏らす。ほんのりと顔に赤みが差している。
 「どうだい?」
 イクスが囁く。その声は自分でも驚くほどに優しかった。
 「……くすぐったい」
 少女は一言だけそう言った。
 「ほら、左手で頭を撫でて」
 少女は猫の頭に左手をかざして優しく撫で始めた。
 「…なで…なで…」
 猫は気持ちよさそうに目を細めて「ごろごろ」と喉を鳴らす。
 どれほどの時間そうしていたのか、猫は何かを思い出したかのように唐突に走り去ってしまった。
 「あ……」
 「また会えるさ。君の事気に入ったみたいだからね」
 イクスは微笑んで少女の頭を撫でてやった。
 「ん〜」
 今度は少女が目を細める番だった。くすぐったそうに声を漏らす。
 「さ、もう戻ろう。ディオール卿も心配してるだろう」
 少女を部屋に送ろうと手を伸ばしたときに少女は唐突に言った。
 「キサラ」
 「え?」
 イクスは最初彼女が何を言ったのか解らなかった。しかし彼女が自己紹介をしているのだということに
 気がついて、そこでようやく
 「私はイクス。よろしくキサラ」
 と言った。
 

 翌日。再び工房へ足を運んだイクスたちは、元通りになった愛機をみてほっと胸を撫で下ろした。
 ドクターは至極真面目な様子で「あれはちょっとしたジョークじゃ」と言い張り、
 4人に殴り倒されそうになった。
 その後で各機のカスタマイズの内容をドクターに伝え、彼と相談しながら最終的なセッティングを
 煮詰め終わったときには既に外は夜の帳がおり始めた頃だった。
 「それじゃ、帰るかフェイエン」
 「うん。そうだな」
 2人はアレクとディアナとは工房で別れてまっすぐに屋敷へと歩を進める。
 アレクたちはディアナの喉の薬を取りにいったのだ。
 「イクス。あれは…」
 フェイエンが目で示した先には、昨日のうちにすっかり馴染んでしまった青みがかったプラチナブロンドの
 少女が昨日の酒場の店先で寝転ぶ猫の頭を撫でていた。
 イクスはフッと微笑んでから再び歩み始めた。フェイエンもそれに習う。
 「イクス、気付いているか」
 「なにに?」
 「あの子を見たとき、凄く優しい目をしたぞ」
 フェイエンはまるで母のように穏やかに、隣を歩く相手に言った。
 「そうだな…。子供も悪くは無いな」
 イクスは上機嫌で歩を進める。
 心なしか歩む足取りが軽いような気がした。
 
 
 
            --------つづく--------

戻る