《 黒の乗り手 篇 》


      「 Inter−Mission 2 」

 「はぁ?」
 宗司はいぶかしげな視線で目の前の老人を見る。
 その目は明らかに老人の言葉に異を唱えていた。
 「じゃから、今回はユヴェール湖までの長距離フライト実験を行ってもらうと言ったのじゃ」
 「何で目的地が固定なんですか」
 「そ、それはじゃな……」
 なかなか突かれたく無いところを攻めてくるものだと老人――ドクター・グラウンは内心で舌を巻いた。
 目の前の東郷宗司という青年は、とにかく宿縁の歌姫と仲が悪い。
 とは言っても宗司の方が一方的に避けているわけなのだが……。
 “こりゃ前途多難じゃわい”
 ドクターは宗司の歌姫であるシェラに「仲を取り持ってやる」と言った手前、真剣にその方法を考えた。
 そして考え付いたのが今回の『ユヴェール湖デート作戦(ドクター命名)』だった。
 「ドクター?」
 「うむ。なぜかと問われれば、ユヴェール湖の湖畔の町には、湖の湧き水を使った
 美味い地酒があると聞いてな。今回はその酒を買ってくるのもミッションの内というわけじゃ」
 ユヴェールの地酒は高名で、宿場町であるゼンタルフェルドシュタットの名物として多くの愛飲者を持つ。
 ユヴェールの南西に幾重にも連なる連峰『トーテス・タール』に降った雪や雨は長い年月をかけて
 裾野に広がる台地へと下る。
 そのミネラルをたっぷりと含み、澄みきった湧き水がユヴェールの湖底から湧き出るのだ。
 それを使って作られる地酒の味は、ユヴェールの水と同じく何処までも澄み渡った喉越しの良さと、
 気品にあふれた深みのある味わいだという。
 ただし唯一の欠点は湧き水を使って丹念に作られるものであるため量産には向かず、
 自ずと値段も高めとなってしまうところだ。
 「…分かりました。それはいいでしょう。でも、『シェラを同行』とはどういうことですか?」
 予想通りの言葉に内心で『ニヤっ』と笑ってドクターは答えた。
 「今回は長距離フライトの実験じゃ。もし途中でエンジンが止まった場合の事を考えて
 歌姫を同行させることに何の問題があるのかな?」
 「むぅ……」
 “ほほっ。困っとる困っとる”
 宗司の性格上、きっちりとした理屈を突きつけてやれば断れないはずだった。
 目の前の青年は何より生真面目なのである。
 「……分かりました。シェラも連れて行きます」
 長い逡巡の後、宗司はやむなしとそう答えた。
 ひとまずドクターの思惑は第一段階を成功した。

          ●

 キィィィィィィィィン……。
 ガスタービン・エンジンの咆哮が空を切り裂く。
 機体の飛行は奏者の心境とは反対に落ち着いたものだった。
 宗司は離陸してから向こう20分間、むっつりと黙り込んでいる。
 後部に設けられたサブシートからはシェラが時折、おどおどと言葉をかけてくるのだが、
 「あ、あの、宗司様…?」
 「…何だ」
 「いえ、その、…何でもないです…」
 といったふうにすぐに会話は途切れてしまうのだった。
 これでは仲直りどころか、逆に宗司を怒らせてしまう。
 そう思うものの中々気の利いた会話のネタなど無く、せっかくドクターが用意してくれた
 貴重なチャンスをただ浪費していく。
 その後もシェラは躊躇いがちに会話を振るのだが、宗司は全く聞く耳持たず…
 と言うほどでもないが、一言返すだけという時間が過ぎていった。


 シェラの努力も空しくフライト行程の折り返し地点であるユヴェール湖がその美しい姿を現し始めた。
 近づくにつれ、その大きさが次第に露わになり、大きさと比例するように
 その美しさも見るものの目をひきつけてやまない。
 ユヴェール湖。
 アーカイアにおいて最大の湖であるそれは美しさにおいてもアーカイア随一と称えられる。
 たしかに眼下に広がる広大な水面は上空からでも浅瀬の方は湖底が見えるほど
 水の透明度が高く、太陽の光を受けて輝くそれは、まるで妖精たちが踊っているように
 シェラの目には映った。
 この湖には幾つかの伝説が言い伝えられている。
 湖の妖精が剣を授けたとか、カップルが結ばれるとか、その真偽は定かではないが
 シェラにとって2つ目の伝説はちょっぴり真実であって欲しいと思うものだ。
 二人の乗った機体はユヴェール湖の北西の町ゼンタルフェルドシュタットの工房へと舞い降りた。
 工房に奏甲を預け、二人は町へと繰り出す。目的はドクターの地酒だ。
 「綺麗な町ですね」
 「……」
 宗司の隣を半歩後に続くシェラは物珍しそうに周囲を見渡す。
 町の中心を南北に貫く石畳の街道は道幅も広く多くの人が行き来している。
 「旅の方も多いですね。向こうの方々はファゴッツの商人さんでしょうか?」
 「……」
 宗司は無言。シェラの言葉に相槌さえ打たない。
 そうこうしている内に目的の酒場が見えてくる。
 看板には大きく《美味しい地酒あります》と書かれていた。
 中に入る。
 元気のよい店員の声と共に昼間だというのに飲めや歌えやの連中の喧騒が耳に入ってきた。
 「すみません。地酒を1本もらえますか」
 「はい。少々お待ち下さい」
 宗司から注文を受けた店員は店の奥へと消えていった。
 手持ちぶたさになった宗司は店内に目をやる。
 落ち着いた雰囲気の店内には、入ってきたときからワイワイとやっている連中のほか、
 カウンター席にもう一人の客がいた。
 客は喧騒をおくびにもかけず、ゆっくりとグラスを傾けている。
 黒い装束を身に纏い顔の大部分を狼のような仮面で隠したその男は、宗司の視線に
 気付いたのかゆっくりと彼の方を見た。
 「飲むか?中々に深い味わいだ。よければおごろう」
 そう言って男は唇の端を僅かに吊り上げた。
 男は冷たい空気を宿していた。それは宗司にも確かに伝わってくる。
 いや、それはむしろ『冷たい』というより『哀しい』と言ったほうが正しいかもしれない。
 男は宗司の分の酒を注文すると
 「かけたまえ」
 と、促したっきり黙って酒を愉しんでいる。
 宗司は遠慮がちに隣に腰掛け酒を口に含むと一言「うまい」と言ってグラスを傾けた。
 「さて、私はこれで失礼する。お代はここに」
 男は金貨を何枚か取り出してカウンターの上に置いた。
 そのまま出口へと向かう。
 その途中で入り口の傍で宗司を待っているシェラに
 「彼を借りて申し訳ない」
 とだけ告げて酒場を後にした。
 宗司は暫く一人で酒を飲んだ後、店員から酒の小樽を受け取って
 シェラに「湖へ行こう」と言って酒場を出た。
 一瞬シェラは驚きの表情で宗司を見たが、すぐににっこりと笑って「はい」と答えた。



 ユヴェールの湖畔。そのあまりの美しさに宗司は飲まれた。
 上空からみたはずのそれは、ここにいたって初めてその本当の美しさを表したのだ。
 「わぁ〜。綺麗ですね」
 しかし宗司にはそれ以上にシェラの笑顔に惹かれた。
 湖を前にして笑う彼女の顔は、今まで見たことが無いほど美しかった。
 “今なら言える”
 意を決した宗司はシェラをまっすぐに見つめて言った。
 「シェラ」
 「はい?」
 「今まで…ごめん」
 シェラは何のことか分からない様子だった。
 「その…今まで冷たいことしかしなかったから。ごめん」
 宗司は今までのことを悔いるように語り始めた。
 まるで関を切ったダムのように、次から次へと悔恨を口にする。
 召喚されて最初はこの世界が憎かったこと。
 シェラの優しさが腹に立ったこと。
 ドクターとの出会いでその憎しみが僅かずつ薄れていったこと。
 そして、先日シェラがドクターに言った「それでも宗司さんの傍に居たいです」と言う言葉
 を盗み聞いてしまったこと……。
 「もう嫌われてると思ってた。俺が英雄で嫌だったろうなとも思った」
 宗司の瞳には涙さえ滲んでいた。声も震えている。
 もしかしたら酒の勢いもあるかもしてないが、今の宗司の言葉は本当に素直なものだった。
 ユヴェールの水のように……。
 「だから…バカな俺は『このまま嫌われている方がお互い傷つかずにすむ』なんて
 思って…だから…だからいままで君に冷たくして…」
 そこまで言って宗司は自分を包みこんだものに気がついた。
 「もういいんですよ。私も悪かったと思います。宗司さんのやご家族のこと
 考えなくて。ごめんなさい」
 シェラの抱擁はきつくも無く、軽くも無く。ただひたすらに優しかった。
 「シェラ……」
 宗司は彼女の温かさを感じた。それは何よりも強く、尊いものだと思った。
 彼女を守りたい。今まで傷つけた分、誰よりも報いなければならない。
 シェラの香りが鼻をくすぐり、宗司はそう心に決めた。
 「シェラ。俺、君を守りたい」
 その真摯な眼差しで宗司はシェラに告げた。
 シェラは微笑んでこう答えた。
 「英雄さま。私はあなたの歌姫です」


 こうして二人は本当の意味で英雄と歌姫の誓いを結ぶこととなった。
 ドクター・グラウンは帰還した二人にユヴェールの酒を振舞って祝福した。
 今回のフライトがドクターの思惑だったと知って、宗司はドクターに
 大して文句を言った。彼にしては珍しいことだった。
 ドクターは「自業自得じゃ」とそれを一蹴し、宗司は恥ずかしさを隠すようにさらに文句を言う。
 シェラは嬉しそうに2人のやり取りを眺めながら、湖の伝説が本当だったことを
 そっと心にしまいこんだ。
 彼女はあの時、宗司が心を開いてくれたのも、
 きっとユヴェールの妖精が後押ししてくれたのだろうと信じている。
 だから彼女は心から妖精に感謝を込めてグラスを掲げた。
 「乾杯」





       -------Inter−Mission 2  Fin-------

戻る