《 黒の乗り手 篇 》
 

       第6章 「Explosion of Combination!」
 
 猫の一件以来、キサラはイクスにべったりといった状況だった。
 何処に行くにもイクスの後をついて周り、料理を作るときも何をするでもなく彼のすることを
 じっと観察していたりとそんな様子だ。
 イクスも別段子供好きというわけではないが、色々と面倒を見てやっている。
 「まるで兄妹みたいだな」
 一度フェイエンにそう言われたが、その言葉にはやきもちとかそういった要素は含まれていなかった。
 どうやら今回だけはフェイエンも了承してくれたらしい。
 “エリスのときのようになったらどうしようかと思ったが……”
 コンコンとリズム良く昼食用の野菜を刻みながらイクスは想像してみる。
 剣を振り回して自分とキサラを八つ裂きにする修羅の如きフェイエン…。
 ブルッ。
 「あまりぞっとせんな……」
 身震いを一つして呟いた。
 

 ここ数日間食事の場は賑やかなものだ。
 キサラが共に食卓を囲むようになったからだ。
 これで食事のメンバーはイクスとフェイエン、アレクとディアナ、キサラの五人になる。
 もっとも賑やかになったというが、キサラは全く喋らない。
 が、ここ数日でイクスはそんな少女の表情が実に豊だと理解していた。
 自分からは全く喋らず、話しかけられれば頷いたり首を振ったりするだけの彼女だが、
 わりと良く表情が変わるのにイクスは気づいたのだ。
 本当に注意して見なければ判らないどころか気づきもできない些細な変化。
 それが不思議とイクスには目に入ってくる。
 最初は何故だろうと思った。しかし時間が過ぎるほどにそんなことはどうでもよくなった。
 “まぁ、年の離れた妹ができたと思えばいい”
 それが彼の現在のスタンスだ。
 変わったといえば、食事の席によくアーサーが加わるようになったことも上げられる。
 今日は生憎オルトルートとの打ち合わせで出かけているのだが、彼もすっかりイクスの料理が
 気に入っている様子である。
 「ふむ…。今日も美味だな」
 あまり豪勢とはいえないものの、ご満悦といった様子で料理をつつくフェイエン。
  二人の部屋は風通しが良く、時折窓を開けた白壁の室内を涼しい風が吹き抜けてゆく。
 窓の外は快晴。
 「全て世は事も無し…か……」
 イクスは白い窓から見える抜けるような蒼い空を見つめ呟いた。
 前日の夜、アーサーに呼ばれ彼の部屋につくと、そこで黒いフォイアロート・シュヴァルベが再び現れ、
 奇声蟲討伐のためポザネオの海に集結中だったトロンメル艦隊に多大な被害をもたらしたことを告げられた。
 今アーサーたちが打ち合わせをしているのはまさにそのことに対してだった。
 「例の事?」
 魚の香草蒸を切り分けながらアレク。
 イクスは話を続けることでそれを肯定した。
 「四隻も沈められたにしては港も街も日常のままだなと思ってな」
 「まぁ、現場が近くとは言え海上の出来事だからね」
 アレクはパクパクと魚の身を頬張る。
 今回の魚は自分でも会心の出来だと思っていたので、正直そんな彼の様子が嬉しかった。
 その後も取り止めの無い話題を交わして食事を終え、後片付けをした頃には結構時間が経っていた。
 「早いな。もうこんな時間か……」
 これといってすることが無くなってしまった。
 工房に行けばドクター・グラウンと奏甲についての打ち合わせができるのだが…。
 ギギギギギギギ。
 「な……」
 イクスは一瞬話が耳を疑った。それはありえない音だったからだ。
 奇声蟲。
 耳に焼けた針金を突き刺され脳をかき回されるような不快な鳴き声。
 だが、次に聞こえた悲鳴が奇声蟲の襲来を現実だと否応無しに彼に教えた。
 「バカな!ありえんぞ!?」
 壁に立て掛けてあった槍と剣を掴み、彼は廊下へと飛び出していった。
 

 アレクは食事の後、トレーニング室に篭りきりでチャクラムの練習に励んでいた。
 実戦が重なり、最近はトンとご無沙汰だった基礎トレーニングの訳だが、
 その腕は以前に比べてもずっと上がっているように思えた。
 ただし、「可能な限り練習を行うこと」と、チャクラムを教えてくれた人に言われた手前、
 今日ばかりは念入りに基礎から反復練習を行っている。
 決して訓練が嫌というわけではなかった。どちらかと言えば好きな方だろうか。
 そう思えるのは彼に明確な目的があるからに他ならない。
 『ディアナをまもる』
 その信念のもと、今の彼は行動しているのだ。
 「はっ…はっ…」
 軽い息切れに、汗が流れる。
 「アップ完了…かな」
 汗を腕で拭い、投擲の型を解くアレク。
 と……。
 ギギギギギギギ。
 ここ数ヶ月で嫌というほど聞かされた、だが決してなれるようなものでもない奇声が耳を貫いた。
 「ぐっ!な…んで…」
 耳を塞いでなお聞こえる奇声に声が掠れる。まるで喉が一瞬にして干上がったような不快感。
 そしてその不快感を焦燥感へと一転させる悲鳴が、彼の耳を貫き、脳を灼(や)いた。
 「ディアナ!?」
 彼はチャクラムを握り直し、廊下へと駆け出した。
 

 ディアナの目の前には裕に6匹を超える衛兵種が彼女を取り囲むように展開していた。
 それらに共通するものは、『飢え』『渇望』『狂気』。
 6対の目が、6通りの視線で、1つのことを訴えていた。
 いや、訴えるというのにはあまりにも狂気だろうか。
 「や……」
 ディアナの喉が小さく鳴った。今ここで再び声を上げれば、間違いなく命は無い。
 あるのは恥辱と苦痛のみだ。
 死への恐怖が、ディアナを冷静にさせる。普通の少女、いや人間なら死に直面すれば間違いなく
 冷静さを欠くだろう。
 だが、デイアナは違った。
 自分の英雄を信じているからだ。彼は言ってくれた、「君を護る」と。
 「やぁっ!」
 裂ぱくの気合がこだまし、彼女を取り囲んでいた一体が崩れ落ちる。
 ギギギギギギ!
 残された数体が本能的にその人影に振り向いた。
 「ディアナ殿!ご無事か!?」
 「フェイエンさん!」
 フェイエンは愛剣を構え、奇声蟲に相対していた。
 「私がこいつらをひきつけておく。そのうちに安全な場所へ!」
 本来ならディアナのもとへ駆け寄りたかったのだが、2メートルを超える巨体に阻まれてそうすることはできなかった。
 ギチギチと顎を噛み鳴らし、一体がフェイエンに殺到した。
 「はぁぁぁぁっ!」
 斬!
 首を的確に狙って斬り付ける。これで戦闘不能になるはずだった。
 「なっ!?」
 その声は首を切られてもなお動く奇声蟲に対してか、それとも叩きつけられた際の衝撃のためか…。
 「フェイエンさん!…っ!?」
 後方の二体――ディアナに一番近い場所にいた二体がその声に反応する。
 ズシ、ズシ。
 ゆっくりとディアナへと歩み寄ってくる。まるでディアナを追い詰めるのを愉しむかのように…。
 「い、いや……」
 後ずさるディアナ。追い詰める奇声蟲。
 そのバランスが崩れたのは、ディアナがつまずき、転んでしまった時だった。
 「ギギギギギギ!」
 嬉々として駆け寄る奇声蟲に、彼女は悲鳴を上げた。
 「ディアナ殿!…くっ、退けっ!」
 自分を吹き飛ばした奇声蟲を再び切りつけ、今度こそ息の根を止める。
 だが、その時には既にディアナの体は奇声蟲の下にあった。
 「おのれ!」
 再び立ちふさがる別の奇声蟲に、フェイエンは焦燥感に灼(や)かれた。
 「お困りかな?」
 「な――」
 なに?…と言いかけたフェイエンの横を神速の槍激が駆け抜けた。
 その威力は凄まじく、突き刺さった奇声蟲の巨体を数メートルも吹き飛ばした。
 投槍だ。
 投擲したイクスはそのまま拓いた隙間を縫い、槍を引き抜く。
 「フェイエン。無事か?」
 「あ…。ああ。それよりディアナ殿が!」
 「それなら心配ない」
 イクスは軽く顎でディアナのいた方向を指す。
 そこにはズタズタに切り裂かれた奇声蟲の死骸が累々と積み重なっていた。
 「な……」
 フェイエンは驚愕も露わに、絶句する。
 恐らくその死骸の山を築いたのは、山の向こうでディアナをその手に抱くアレクだろう。
 「ちっ。まだ来るぞ!」
 屋敷に侵入してきた奇声蟲が、中庭へと集まってきていた。
 「イクス。例の件、覚えてる?」
 唐突なアレクの質問にもかかわらず、イクスは即答した。
 「『コンビネーション』の件だな」
 無言でそれに頷くと、アレクは片頬で笑った。
 イクスもそれに目線のみで合図を送る。
 「フェイエン。ディアナを頼むね」
 「ちょ……」
 「行くぞ!」
 「応っ!」
 飛び出す二人。しかしバラバラではない。
 統制された動きの中、イクスが先行し、アレクがそれを援護するという形だ。
 「浄化せよ!」
 槍の穂先が一匹目を捉えた。一撃の下に引導をわたす。
 ただ、明らかに数週間前とは動きが違った。
 攻撃の方法が数十倍柔軟なものに変わっていたのだ。
 突き、切り、薙ぐ。
 槍の長さと特徴・優位性を十二分に発揮した攻撃の前に、立ちふさがる奇声蟲はあっと言う間に
 切り伏せられていった。
 それを見た奇声蟲たちは、本能のなせる業か、二人を包囲し始める。
 そしてイクスの背中に三匹が殺到した。
 「イクス!」
 フェイエンの切迫した声が中庭に響いたが、その時には既に三匹は屠られていた。
 後方のアレクが倒したのだ。イクスは振り向きもしない。
 それが当然であるかのように。
 
 数分後。奇声蟲の死骸が死屍累々と積み上げられていた。
 
          ●
 
 その日の夜。情報部の人間達によって、屋敷中が調べ上げられた。
 その結果、屋敷に張られていた結界が何者かによって除去されていたことが判明する。
 あまり強力な結界ではなかったとはいえ、意図的に解かなければ決して消えることの無いものだっただけに、
 情報部の中ではオルトルート謀殺説まで囁かれた。
 もっとも当の本人はというと
 「まぁ、それは怖いですわね」
 …といった様子で、気にもかけていないのだが。
 ただ、イクスには柔和に微笑む彼女の顔がゾッとするほど恐ろしく見えた。
 “ありゃ根に持ってるな”
 喉まで出たその言葉をそっとしまいこんだ。
 「『コンビネーション』は完璧だったね」
 「ああ」
 アレクの言葉に頷く。
 ちなみに『コンビネーションの件』とは、アーサーに提案された彼らの戦闘に関する
 新戦術のことで、イクスとアレクの2機でお互いをカバーしながら戦うというものだ。
 その中には歌術のコンビネーションも含まれる。
 つまり、お互いの弱点を補いつつ、更なる強化を行う方法である。
 「それを奏甲でも実行できれば文句なしだな」
 キサラを引き連れてアーサーが歩み寄ってくる。
 「大丈夫ですよ。きっとできます」
 「それは頼もしいね」
 「キサラ。無事だったか?」
 イクスの言葉に「コクっ」と頷いて、彼に駆け寄るキサラ。
 襲撃の際に、彼女はフェイエンが即興で部屋に張った個人用の結界に守られ、事なきを得ていた。
 「よいしょっと」
 駆け寄った少女を抱き上げて、イクスは笑った。
 不幸中の幸いに誰一人として怪我は無く、屋敷の損傷も軽微であった。
 そして、この出来事がこの後の風雲急を告げる事態の発端となったのである。
 
 
 
       -------つづく-------

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