しろつるぎの記憶 篇 》


       序 章 「嵐の前の静けさ」


 どんよりと曇った空の下、その場所は在った。
何も無い、とは言えず。さりとて、何か在るともいえない。
そこは戦場跡のようで、それもつい最近のもののようである。
ただし、いささか不自然な光景だった。
それはいつまでも動くことの無い空の雲や、多すぎる炭化した死体、跡形も無く吹き飛んだ建物などの事ではない。
崩れ落ちているのは奇声蟲ではなく明らかに絶対奏甲であった。
殆どが識別できないほどに破壊されていたが、辛うじて識別できる機種からみて、
その多くがシャルラッハロートTのようだ。
―― 一体何があったというのだろうか?
その光景はあまりにも凄惨としか言いようが無い。

その中で――

「―――どうして……?」

少女は儚く呟いた。
全身に純白のローブを纏ったその姿は、おおよそこの場に一番似つかわしくない。
頭を覆った白い生地からこぼれる髪の色は白に近い銀色だった。
まだ幼さの残る白皙の顔に、グレーに近い銀の瞳。
この世のものざる美しさを持つ少女は、無表情のまま周囲を見渡す。
凄惨な戦場跡と美しい少女。
それは見るものの心を激しくかき乱すような光景だった。
見ているだけで心のどこかがおかしくなりそうな、そんな情景だった。

けれども、謎めいた少女の小さな呟きは、やがて鉛色の空気に吸い込まれて……。


          ●


「退屈ですわ……」
テラスに置かれた木製のテーブルに突っ伏して、対奇声蟲討伐隊情報部長であるところのオルトルートは言った。
テーブルからこぼれた長くしなやかな金髪は、午後のやわらかい日差しの中で美しく輝いている。
整った目鼻に碧眼の双眸、柔らかそうな唇、そしてモデルのような長身とメリハリのあるプロポーション。
黙っていれば異性はもとより、同性さえ目を釘付けにされる美しさだ。
そう、黙っていれば・・・・・・
「いくら休暇中とはいえ、これでは退屈で死んでしまいますわ。
どこかでわたくしをめぐって戦争でも起きないものかしら……」
……などと、さらりと言うのだ。
これでは言い寄る男たちの末路は決まっているようなものだった。
「オルトルート様。滅相も無いことを言わないでくださいっ」
部屋の中から片づけをしているメイドの声が聞こえた。
オルトルートは気だるそうに頭を持ち上げると、そのメイドの方に目をやった。
メイドはせっせと手際よく部屋を片付け、今は窓を拭くために雑巾を絞っている。
「なら、ネリー。あなた、何か面白いことでも知りませんこと?」
「……」
しゃがみ込んで雑巾を絞りながらメイド――ネリーは小さくため息をついた。
また始まった。オルトルート様の悪い癖が。
「存じません。そんなに手持ちぶたさならご自分で探しに行かれたらどうですか?」
そうだ。付け入る隙を見せたほうが終わりなのだ。
今回こそ、絡まれる隙など与えぬように、言った。
部屋から外に出してしまえば自分の勝ちだ……!
「……今見つけましたわ」
声は以外に近くから聞こえた。
「えっ?」
驚いて立ち上がるのと、オルトルートが手を出すのとは殆ど同時だった。
「あっ……。きゃぁっ……!?」
床に押し倒されネリーが小さな悲鳴を上げる。
「うふっ。可愛らしい悲鳴ですこと」
ささやくオルトルートの声はぞくりとするほど妖艶な声だった。
オルトルートはネリーの上へ指を這わせ始める。
「すぐに気持ちよくして差し上げますわ……」
「あうっ……。んんっ……!?」
上気する肌。既にネリーの顔は真っ赤になっていた。心なしか目は潤んでいる。
「ふふふっ……」
―――コンコン。
その小さなノックの音はその場の空気を破砕するには十分な音量だった。
まるで魔法から解かれたようにネリーの意識はしっかりと周りを認識し始める。
「ちっ……」
少しも残念そうに聞こえない舌打ちを一つしてから、オルトルートはあっさりとネリーの上から退ける。
そして何事も無かったかのようにドアの向こうに返事をした。
「何方ですの?」
すると、ドアの向こうからは簡潔に答えが返ってきた。
「俺だよ」
ネリーは急ぎ、軽く乱れた衣服を正してドアの方へ急いだ。
ドアを開けると、そこには見知った銀髪の青年が柔らかく笑みを浮かべていた。
「やぁ、ネリー……って、どうした。顔が赤いぞ?」
「ええっ!?」
叫びながら両手で頬を隠すネリー。
「……さてはまたそこの性悪女にからかわれたのか?」
再び顔を真っ赤にして俯くメイドを見て、イクスは大きくため息をついた。


 ネリーがお茶を淹れに退室した後、オルトルートは気だるそうに尋ねてきた。
「……で、何のようですの?」
「あのなぁ……」
イクスは2度目の大きなため息をつくと、テーブルを挟んで目の前に座る彼女に言った。
「呼びつけたのはそっちだろう」
「ふふっ。冗談ですわ」
「……。この性悪女…」
二人の視線が交差する。どちらもお互いの言葉をあまり本気にした風も無い。
オルトルート・シュヴァイツァー。推定年齢24歳前後。モデル並みの美貌とプロポーション。
ただし唯一の欠点は、人をからかう事に命を懸けているのかといううほどの悪戯好きという点だ。
つまるところ、おてんば娘がそのまま大人になったような人物だった。
“これがあの『黒の乗り手』ユリウス・シュヴァイツァーの妹とは……。まったく信じられんな……”
イクスは心の中で苦笑する。
確かに彼女は悪戯好きで困った人物ではあるが、それだけでは無いということも彼は知っている。
彼女はあらゆる面で優秀な人物なのだ。
そうでなくては情報部の癖っ気の多い連中をまとめ上げる事など出来るはずも無い。
それはネリーや、他の仲間たちもきっと分かっているはずだ。
「ところで、あなたいつから『私』から『俺』に乗り換えたんですの?」
「いいだろ、そんなこと」
「顔が赤いですわよ。可愛いですわね」
「っ…!!」
「ふふふ……」
……分かっているはずだ。……たぶん。
「冗談はここまでにしておきましょう。本題に入りますわ」
意地悪な笑顔から急に真剣な表情になるオルトルート。
「先日の一件以来、わたくしは情報部の信頼できる部下たちに極秘に調査を命じましたの」
「例の、プロジェクト群の事か?」
「ええ」
『黒の乗り手』、オルトルートの実の兄であるユリウスが復讐のために用いた絶対奏甲。
黒いフォイアロート・シュヴァルベは人体実験により生体脳を搭載した機体だった。
そのような人道に反する実験を行い、最強の絶対奏甲を手に入れようとする者たちが、このアーカイアに存在する。
ユリウスはその真実を知り、その計画のために犠牲となった妻の生体脳が搭載された黒い奏甲で、 片っ端から叩き潰していった。
評議会から狙われることになろうとも……。
「兄の真実を知ってしまったのですもの。
そのお返しはきっちりとさせていただかなければ、わたくしの心も落ち着きませんわ」
イクスは周囲の温度が急に下がったような錯覚に陥った。
それだけオルトルートの気配は、ほの暗い殺気を湛えていた。
「兄は犠牲者ですわ。そしてユリアさんも…。わたくしは彼らの意思を継ぎたいのです」
「ああ」
イクスは頷く。
あの悲劇を二度と繰り返させてはならない。絶対に。
「とは言え、殆どが兄の手によって破壊、もしくは続行不能にされていましたわ。残された計画は1つだけ」
「まて。ひょっとして、ずっと前にトロンメル艦隊がユリウスの攻撃を受けた事件……」
「ええ、あの船では水中専用の絶対奏甲に大量殺戮兵器を搭載するという計画が行われていたようですわ」
大量殺戮兵器だって?
イクスは激しい憤りを覚えた。
そんなものが使われれば、奇声蟲どころか周囲の人間まで巻き込んでしまう。
イクスの考えを見透かしたように、オルトルートが一言付け加えた。
「ちなみにそれは対奇声蟲用ではありませんのよ?」
「……何?」
では何に使うというのか?
答えはひどく単純で。
「対人用だというのか……」
ここにきて、ようやくイクスにもひとつのヴィジョンが見えた。
すなわち――。
「…戦争、か。馬鹿げている…。馬鹿げているぞ!」
怒りを抑えきれず、叫びを上げるイクスにオルトルートは真っ直ぐに、「所詮は人ですもの」と非情にも言い放った。
イクスはただ、黙るしかなかった。
午後の太陽は既に赤色に染まり始めている。


          ●


ポザネオ島の洋上200マイル(約370km)。
見渡す限り人工物の無い波間に、一隻の船が碇を下ろしていた。
かなりの大きさを誇るプラント船だった。
全長は400メートルよりももっと大きい。
これだけ大きいと、ちょっとした島だ。
そんなとてつもなく大きい船が、突然の爆発と共にゆっくりと傾き始めた。
甲板からは我先にと海へ飛び込む人の影が見える。
その殆どが研究者風の男や女だった。
そして、爆発のあった船の中心付近で巨大な影が揺れる。
血のように赤黒い装甲を持った絶対奏甲。
キューレヘルトと呼ばれるタイプの奏甲の様だが、細部が若干異なっている。
その赤黒い奏甲は通常の物より1本多い、3本の衝角しょうかくが付いた頭部を巡らし、
愉快そうに船から飛び降りる者たちを睥睨へいげいしている。
「何てことだ……」
波間に浮かび、それを見ていた研究者の男が一人呟いた。
「我々は何という物を作ってしまったんだ……」
男は甲板を蹂躙じゅうりんする奏甲を見上げながら、
既に遅い後悔の念に打ちひしがれる。
ドォォォン!!
激しい衝撃と暴れ狂う波が船の船体に二つの大穴を穿った。
魚雷だ。
水面下では巨大な魚影が揺れた。
水中専用の奏甲だろう。魚雷はそこから放たれたに違いない。
魚影は船に近寄ると背中だけを水面に出し、赤黒いキューレヘルトを乗せた。
そしてそのままポザネオ島の方角へ高速で去っていった。
それが研究者の男が見た最後の光景となった。



       ----------つづく----------