しろつるぎの記憶 篇 》


       第8章 「ポザネオ騒乱」


異変に最初に気がついたのは、先行したフォイアロート・シュヴァルベの機奏英雄だった。
彼の視線の遠く先にはポザネオ市が見える。
最初、彼はそのポザネオ市に朝靄がかかっているのだと思った。
だが正午も間近というこの時間になって、朝靄がかかるというのはおかしい。
そこで彼は後ろに乗る歌姫との相談の結果、本来の任務のためにそのままポザネオ市に進路をとったのだった。
いま彼が帯びている使命は、ポザネオ市のオルトルートの所に急ぎ、アルムベアクの調査報告を彼女に渡す事だった。
本来なら彼の所属するロスロフ調査隊は、今日中にはポザネオに帰還できる予定だった。
「まったく、あの若造のせいで……」
溜息を吐く彼に、後ろの歌姫が言った。
「仕方ないわよ。彼だってわざとやったわけではないのだから」
「だがな、なんで俺達がその巻き添えを食わなくちゃならねーんだよ」
彼は調査隊の足を引っ張る銀髪の青年がどうしても気に食わなかった。
帰還予定が遅れたのも、彼が紅い奏甲との戦いで壊した奏甲を輸送しているからだ。
量産機ならともかく、ワンオフのテスト機を放棄しておくわけにはいかないというのが理由だ。
なおもブツブツと文句を言う彼を歌姫がなだめながら、彼らの奏甲はポザネオ市を目指す。
「しっかし、おかしな眺めだな。なんであんなに靄が濃いんだ?」
目を凝らすと、たしかに濃密な靄がポザネオ市の端を包んでいた。
「靄があんな立ち込め方をするかしら……。普通はなだらかに、もっと広く出るじゃない」
「ううん……」
やがて、彼らの疑問はポザネオ市が間近に迫った時に解決された。
「な……!?マジかよ!」
そこには、最悪な答えが用意されていたのだった。


          ●


 危険を知らせ鳴り響く鐘の音に、町中がパニックに陥っていた。
紫月城付近にまで追いやったと思われた奇声蟲が再びポザネオ市に押し寄せたのだから、
そのショックは計り知れないものだ。
我先にと逃げる人々を見下ろして、ダイスは紅いキューレヘルトの奏座で狂ったように笑っていた。
「ははははっ!やれ!殺せ!俺をこんなにした世界を食い潰せっ!!」
吼えながらも、しかし自分で何もしないわけではなかった。
手当たり次第に建築物をなぎ払い、手近を逃げる人を容赦なく奏甲で、文字通り、踏みにじってやった・・・・・・・・・
そうしてしばらく好き放題暴れていると、ポザネオ市を守備する奏甲部隊がダイスの前に現れた。
いまや大多数の奏甲部隊は紫月城包囲戦へと出向いているため、ポザネオ市に駐留している奏甲乗りは少ない。
それも、負傷した英雄や歌姫が殆どで、あえて精鋭といえば評議会直属の近衛部隊くらいだろう。
しかし、彼らの数はさらに少ない。
「あぁ?んだよ、雑魚ばっかか」
ダイスの目の前に現れた部隊は、一目でそれとわかるほど練度が低かった。
おそらく混乱のために急遽動けるものを集めたのだろう。
その動きもぎこちなく、部隊としての統率も取れていない。
「まぁ、ヤれる数があるだけありがてぇか……。そらぁ!!!!」
ダイスは自機を高々と跳躍させ、最初の獲物に飛び掛った。


 アレクは、急いで愛機に乗り込むと、ディアナに言った。
「大分遅れたけど、外の連中は無事かな?」
アレクたちは、襲撃を受けたとき生憎オルトルートの屋敷にいたのだった。
紅い奏甲が表れたのは屋敷の正反対。つまり、広大なポザネオ市の端から端までの移動を余儀なくされる。
アレクが『遅れた』と言ったのはそのためだった。
最も実際はその半分の距離、中心部にある黄金の工房までで徒歩の距離は終わりだが。
「わかりません。ただ、奏甲部隊はもう……」
目を伏せて言うディアナには、消えていく歌姫しまい達の悲痛が感じられた。
「そっか……」
アレクは短くそう言うと、愛機―――ヘルテンツァーに歩ませ始めた。
「なら、仇はとらなくちゃ」
「……はい」
工房の重厚な扉を奏甲の腕で押し開けて外に出る際に、アレクはちらっと後方に目線を巡らせた。
その先にあるのは、主のいない白銀のマリーエングランツ。
"イクス……"
今は不在の親友の名を心で呼んで、アレクは先を急いだ。


アレクがその場所にたどり着いたとき、紅い奏甲は遅れてやってきた近衛隊の分隊を血祭りに上げた直後だった。
最新のシャルラッハロートVが4機、その凄惨な姿をさらしていた。
「酷すぎる……」
苦々しく呟くアレク。
そこに、何を血迷っているのか、その紅い奏甲は外部に向けて声を張り上げて笑ったのだった。
「はははっ!中々面白かったぜ!せいぜい地獄に落ちなっ!」
ははははははっ!
男のいやらしい笑い声が、外部スピーカによって周囲に撒き散らされる。
「なにを……何を言っているんだ!あんたはっ!?」
「あぁ?」
紅い奏甲は握り締めていたシャルラッハロートVの首を投げ捨てて、アレクのほうを振り向いた。
「なんだ、まだいたのか。おもしれぇ、かかって来いよ!はははっ!!」
すかさず跳躍するキューレヘルト。
だが、攻撃はアレクにあっさりとかわされる。
「これだけの事をやっておきながら、あんたは笑うのかっ!!?」
同じく、外部スピーカを介して、アレクが怒鳴った。
「そんなつまんねぇこと聞くんじゃねぇよ!!」
再び迫るキューレヘルト。
武装は、その異様に長い腕そのものだ。
「らぁぁぁぁぁ!!」
ブンッ!
凄まじい豪風が生まれる。
パワーが桁違いだ。
だが。
「そんな攻撃っ!」
アレクはヒラリとその攻撃をかわすのだった。
次から次に繰り出される拳のことごとくを、アレクはかわして見せた。
まるで、落ち葉を棍棒で叩き落すようなものだった。
風に舞う落ち葉は、そう簡単には叩き落せはしないように、アレクの動きは身軽だ。
そも、彼のヘルテンツァーは運動性を極限まで追及したカスタム機なのだ。
「うぜぇ!うぜぇんだよ!!」
男は最後には背中のショットガンを抜き放った。
ドン!
腹に響く重低音が周囲に響いた。
「ちっ」
これにはさすがにアレクも距離を取らざるをえなかった。
軽量奏甲でなくとも、ショットガンの至近弾だけは食らいたくない。
「こっちもやる!ディアナ」
「はいっ」
後ろで歌うディアナの旋律が変わった瞬間には、ヘルテンツァーは左肩の専用ラックから
一つの物を取り出していた。
「いけっ、チャクラムっ!」
放たれたチャクラムは空中で凄まじい光輝をその身に纏い、紅いキューレヘルトに迫った。
―――斬!
歌術による≪擬似ケーブル≫を通して英雄とリンクしたチャクラムは、寸分たがわずキューレヘルトの
左肩の装甲を切り裂いた。
装甲の繋ぎ目をねらった精密な攻撃に、キューレヘルトの左肩の重厚な装甲は脱落する。
「てめぇ!よくも!!」
「だったら避ければ?」
アレクはうそぶいた。
それは、今の彼の心を如実に表す態度だった。
キューレヘルトは確かに強力な奏甲だ。
ドクターがここに来る前にザッとそのスペックを見せてくれたが、パワーは並外れている。
突撃式絶対奏甲といわれる所以だろう。
だが、それだけだ。
パワー以外は平均的な数値であり、特に歌術運用性能はケーファ程度でしかない。
だから、アレクのヘルテンツァーはキューレヘルトの天敵ともいえる存在なのだ。
"当たらなきゃ、何てことないさ"
アレクは、楽観的にそう考えていた。
「それとも、筋力馬鹿奏甲じゃ勝てないかな?」
どうせ敵はのぼせ上っている。
せいぜい挑発して、自滅に追い込むさ。
それで仇は取れる。
「アレク様!」
しかし、そんな彼の考えは少しあまかった。
ディアナの悲鳴にアレクは己の読みの浅さを呪った。
「奇声蟲!?」
何故、紅い奏甲が奇声蟲と共に現れたのか?
それを考えるべきだったのだ。
ギギギギギギ!
頭痛さえ楽に思えるような奇声がアレクとディアナを襲った。
「あっ、頭が……!」
一番に影響を受けたのはディアナだった。
あまりの痛みに、支援歌術さえ歌えなくなる。
そして、その次に奏甲が、その影響を受け初めて。
「うあっ!」
ひときわ大きな奇声蟲――貴族種にアレクのヘルテンツァーは地面に倒された。
奇声によりアークドライブの出力が低下し、歌術支援さえ途切れた状態では、抵抗すらできない。
錐を刺す様な頭の痛みと、倒れた時の衝撃で、意識が遠のく。
「あぁぁぁっ!!」
喉の奥から吐き出すような大声で、アレクは何とか意識をつなぎとめた。
「負けるかぁぁぁ!!」
装甲を食い破る貴族種に向かって、腰に装備したショートソードを突き立てた。
ギギギギギギギッ!
内部装甲が露出するまで外部装甲を食い破られながらも、しかし、何とか立ち上がる。
ヨロヨロと起き上がったヘルテンツァーの正面には、キューレヘルトの拳があった。
「グシャ」とも「ガキン」ともつかない音がして、やがてヘルテンツァーは崩れ落ちた。
正面装甲がぐしゃりとへこみ、その奥にある奏座の有様を思うと絶望的な気分になる。
もっとも、そんな事を感じる人間はここにはいなかったのだが……。
「はははははははっ!あっはははははははっ!!」
男の狂ったような笑い声だけが周囲に響く。
「つまんぇ……つまんねぇぜ!こんなやつらに俺は!!」
言って、自らの手足をダイスは見た。
金属の質感。
本当の手足は蟲化した為に、切断された。
貴族種の生体脳と声帯を搭載した代償に、この紅いキューレヘルトは搭乗者を蝕む。
「おらぁ!!他にはいねえのか!!」
瞬間―――
「!?」
シュッ!
ダイスのキューレヘルトを射抜いた者がいた。
「どこだ!」
シュシュッ!
続けて二矢。
狙いを違わず、周囲の奇声蟲を貫いた。
ギギギギギギ。
奇声蟲達が騒ぎ始めた。
「うるせぇ!」
手近の一匹を殴り飛ばす。
「何処だ、出てきやがれ!」
「ここにいますわよ?」
声と同時に何もない空間から染み出るように、一機の奏甲が姿を現した。
それはやや小ぶりな機体ではあったが、それでも見る者に畏怖を与えてやまなかった。
黒。
いや、それよりもさらに黒く。
全ての光を飲み込むほどに暗いそれは、漆黒というに相応しかった。
「大分、好き放題にされたようですが。お覚悟はよろしくてですの?」
その声は、紛れもなくオルトルート・シュヴァイツァーその人であった。
「誰かと思えば、情報部の猿大将が直々に来るとは思わなかったぜ」
「あら、以外にわたくしったら有名人なのですわね」
そう言いながら、奏座でオルトルートは場違いなほどに柔和に微笑んでいた。
「でもですわ」
シャァァン。
オルトルートは小気味良い鞘なりと共に、その奏甲の色と対称的な輝きを放つレイピアを抜き放った。
「粗野な男はタイプではありませんわ」
「ほざけ!!」
先に動いたのは、やはりダイスのほうだった。
持っていたショットガンを数発オルトルートの方に撃った。
オルトルートはそれを建物に隠れてやり過ごすと、また例のシステムを作動させる。
彼女の奏甲は再び大気の中へと染み入るように消えた。
「消えた!?何処だ!?出て来い!!」
でたらめな方向に発砲するキューレヘルトの背後に回りこんだオルトルートは、
一撃でそのコックピットを貫いた。
それで終わりだった。
ダイスは即死。
キューレヘルトを貫通したレイピアの先端に付着した赤い血のりが、それを雄弁に語っていた。
「終わりましたわ。『アーチャー』」
「……帰還します」
「ええ。ご苦労様」
遠方から奇声蟲達を狙撃していた奏甲乗りは、短くそう言うとすぐさま撤退した。
周囲にはもはや無事な奇声蟲はいない。
全てが『アーチャー』と呼ばれた男によって、射抜かれて絶命している。
一匹に対して一矢。一撃必中・必殺の所業だ。
まさに弓兵アーチャーの呼び名に相応しい。
「さて……」
オルトルートは、おもむろに剣を引き抜くと、崩れ落ちたヘルテンツァーの方へと奏甲を歩ませた。
再び、その漆黒の装甲体が姿を現す。
「生きていますの?」
外部スピーカによって、アレクたちにも聞こえているはずだ。
生きているのなら。
反応は、無かった。
「……ょ…」
「……っ……ゃっ………ょ……」
奏甲の集音マイクが微かにそんな声を捕らえた。
ひしゃげた奏座の装甲の間から、死に体で這い出してくるのはディアナを背負ったアレクだった。
「まっ…たく…やっ…らんない…よ」
集音マイクには僅かにそう入ってくる。
「ゴキブリ並みの生命力ですわ」
あきれた口調のオルトルート。
しかし、その顔にはしっかりと安堵の表情が浮かんでいた。



       ----------つづく----------