しろつるぎの記憶 篇 》


       第9章 「 再 起 動 」


 「ひとまずこれで大丈夫ですわ。もっとも、後できちっと医師に診察してもらわないといけませんけど」
アレクに包帯を巻いて、オルトルートが告げた。
思いのほか手馴れた手つきに、なぜか酷く感心しながらも、アレクは「ありがとう」と言った。
すると、オルトルート嬢はフッと鼻を鳴らして、のたもうた。
「さすがにゴキブリ並みの生命力ですわね」
「なっ……!!」
言うことかいて、ゴキブリかよ!?
憤慨するアレク。
それを楽しそうに眺める彼の歌姫。
「いいなぁ……」
などとポツリと呟いていたりもする。
ひとまず奇声蟲とあの紅いキューレヘルトの暴挙は阻止した。
街にはひとまずの無事を確かめ合う人々の声があった。
奇声蟲は『アーチャー』と呼ばれた男によって、そしてキューレヘルトはオルトルートによって沈められた。
「そういえば……」
アレクは疑問に思っていたことをオルトルートに尋ねる。
「その奏甲、ナニ?」
アレクはつい傍に立つ……というよりむしろ、自分達がその足にもたれかかっている奏甲を見上げた。
その奏甲は黒かった。新月の夜よりなお暗い、絶対的な闇。
―――漆黒。
アレクは数ヶ月前に戦ったオルトルートの兄、ユリウスが駆っていたフォイアロート・シュヴァルベを思い出した。
目の前のこの奏甲が、キューレヘルトとの戦闘中に透明になって消えたのをアレクは朦朧とする意識の中、確かに見たのだった。
「これは、工房の新型。……のテスト機…の内の一機ですわ。機体名はまだありませんけど」
他の奏甲より一回り小さなその奏甲は、細部のディテイルは異なるものの、
後に『ナハトリッタァ』の機体名で呼ばれるそれと酷似していた。
「じゃぁなに、今度の新型は透明化機能を持ってるの?」
その質問に、オルトルートはかぶりを振った。
「いいえ。あれはこの機体だけですわ。もともとこの機体は夜襲専用に開発されていたらしいんですの。
それを私の歌姫の特殊歌術に合わせて改修して昼夜問わずの隠密行動が可能なものになりましたの」
透明化はその特殊歌術のお陰ですわ、とオルトルート。
「へぇ〜。で、ネリーは?」
「なぜネリーの名が、ここで出てくるんですの?」
アレクはオルトルートがからかっていると思って、「またまたぁ〜」というような顔をした。
「だって、彼女があなたの歌姫なんでしょ?いつも傍にいて。甲斐がいしいなぁとか思うよ。うん」
「……何か勘違いしているようですわね」
「は?」
「ネリーはただのメイドですわよ?」
「えっ、じゃあ、オルトルートの歌姫って……?」
「私よ」
崩れた瓦礫の向こうから現れた人物に、アレクはもちろん、ディアナさえ驚きの表情を浮かべるしかなかった。
「え…えぇ―――――――――――――――――――――――――――――――――――っっっっ!!!??」


          ●


 水晶の中に、僅かづつだが落ち着きを取り戻しつつある町を見ながら、女はうっすらと笑いを浮かべた。
それはゾッとするほど妖艶で、悦びに満ち満ちていた。
「ふふふっ。もうすぐよ……もうすぐあなたが望んだものが手に入るわ。さぁ…目覚めなさい」
熱に浮かされたように、興奮もあらわに、女は呟いた。
「これ以上どうするの。あの人……」
「死んでないわ」
後ろから聞こえた弱々しい声に、女は答えた。
「彼はこれから進化するのよ。彼の望んだままに。私の望む狂犬に……」
ふふふっと哄笑を上げて、女は背後――質問した相手の方を見て言った。
「だから見ていなさい、メリッサ……」


 「お久しぶりです、ディアナお嬢様。アレク」
オルトルートの歌姫は礼儀正しく礼をした。
「エ、エレイン!?」
そう、オルトルートの歌姫は、ディアナの忠実なメイド兼護衛のエレインだったのだ。
ディアナが宿縁の英雄、つまりアレクに出会ってから奇声蟲討伐の為に屋敷を離れてから、
彼女はエタファのディアナの母の所に行っているはずだったのだが……?
「どうして、あなたが!?」
「先ほども、オルトルート様がおっしゃっていたでしょう。私はオルトルート様の歌姫だと」
アレクの質問に不機嫌そうに答える。
「は、はは……」
どうにも、なにか言いたくて仕方がないような態度だ。
「それはそうと……。オルトルート様。こちらに向かう途中で小型の奇声蟲が徘徊していましたので処理しておきました」
「ご苦労様。遠距離でしたから支援歌術が届きにくかったですわ」
「申し訳ありません。あまり近づくと大型の奇声蟲の襲撃を受けそうでしたので」
「解っていますわ。安全が最優先ですもの。それはわかっているつもりですわよ?」
「はい」
と、癖の強いオルトルートと実に理想的な協力関係が既に出来上がっている。
これもメイドとして培われた主人に対する気配りの腕前のためだろうか。
オルトルートはエレインと2、3言報告と指示をかわした後、続々と集まり始めた情報部員を指揮しにその場を離れた。
「ふぃ〜。驚いたけど、久しぶり」
アレクは親しそうに笑顔でエレインの顔を見た。
凍りつく。
凍りついたのだった。
そこにあったのは、エレインの冷たい表情だった。
「アレク……。何か言う事はないの?」
「え…っと……。い、いい天気だね」
どんよりと曇り始めた空を指差して、アレクは作り笑いを浮かべた。
今にも泣き出しそうな空。
今にも泣き出しそうなアレク。
「ご……ごめんなさいっ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
両の手のひらをあわして土下座をする姿は、およそドイツ人らしくない。
それを冷たく見下ろす、美人のメイドさん。エレイン。
彼女にはアレクも逆らえない。
だって、彼女は……。
「すみません!師匠っ!!」
アレクにチャクラムを教えたのは、他ならないこの人なのだ。
「許しません。あれほど、ディアナお嬢様を危険な目にあわせないようにと……」
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみません」
ひたすら謝りまくるアレク。
「謝って済む問題ではありません。今回は無事とはいえないものの、お命が無事だったから良かったものの、お嬢様にもしもの事があったら……」
「エレイン。もうそのくらいにしてあげて」
「しかし、お嬢様」
「お願い」
ディアナのまっすぐな目に、エレインはフゥと溜息をついた。
「……失礼しました」
昔からエレインはこの目に弱い。
ディアナは素直で淑やかな性格ではあるけれども、ちょっぴり頑固なところがあって、一度言ったら引き下がらない。
エレインはそれを良く知っているのだ。
「今回の事は、水に流す……ことはできませんが、目を9割瞑りましょう」
「あとの1割は?」
アレクは恐る恐るたずねる。
「修行してもらいます」
「……………………マジで?」
アレクが真っ白になりかけた時、突然悲鳴が聞こえた。
その悲鳴は、撃破されたキューレヘルトを調べている調査員達のものだった。
奏座を破壊され、奏者を失ったはずのキューレヘルトが再起動したのだ。
「なっ、馬鹿な!?」
その光景を呆然と見上げながら、アレクは毒づいた。
「いけない。お嬢様、早くこちらに!アレク、立てるわね!?」
「う、うん」
「早く!こっちよ!!」
「あの奏甲は!?」
アレクが指差す先には、あの漆黒の奏甲。
「オルトルート様がいないのに使えるわけないでしょう」
運悪くオルトルートはやや離れた街区へ出向いたばかりだった。
三人はとにかく急いでこの場所を離れる事にした。
「エレイン!他の人は!?」
「お嬢様、どうか今はご自分の事だけをお考えください」
有無を言わさないその態度にディアナは黙る。
「大丈夫です。周囲には情報部の奏甲部隊がいますから」
エレインはそう告げると、二人を建物の物陰に案内した。
「アレク。今度こそお嬢様をお守りするのよ。いいわね」
「それはわかってるけど、エレインはどうするの」
アレクの質問に、エレインは露骨に美人顔をしかめて、
「オルトルート様のところに戻るに決まっているでしょ?」
あの奏甲は私にしか起動できないのよ、と付け加えてから、エレインはもと来た道を走っていった。


突然の再起動に周囲の情報部員はもとより、オルトルートまでもが驚愕の表情を浮かべた。
「そんな……ありえませんわ……」
確かにあれの機奏英雄は死んだ。
死体を確認した報告も受けている。
なのになぜ……。
「ともかく、動ける奏甲を出して。それから周囲の避難を!」
オルトルートは的確に指示を飛ばすと、自らも奏甲のもとへと急ぐ。
しかし。
紅いキューレヘルトは真っ先にすぐ傍にあったオルトルートの漆黒の奏甲を破壊したのだった。
「!」
一瞬で奏甲がスクラップになる。
「オルトルート様!」
「エレイン。少し遅かったようですわ」
エレインもその瞬間を見ていたのであろう、
「そのようですね」
と苦々しく答えた。
「エレイン、『アーチャー』を呼んでください。わたくしは避難を手伝いますわ」
エレインは頷くと、すぐにその姿を消した。
トロンメル軍最精鋭部隊の隊員だった頃の身のこなしは現役だ。
とにかく、連絡は彼女に任せて自分はできることをやろうと、オルトルートは逃げ遅れた人々を手伝いに走った。
その間にも、紅いキューレヘルトはギシギシと関節を軋ませ、低い唸りを上げていた。
そして、オルトルートは自分が貫いたキューレヘルトの奏座の破壊口に、変わり果てた男の姿を見とめたのだった。
その男、ダイスは笑っていた。
しかし顔以外は例外なく歪な外骨格に侵食、いや、置き換えられ、醜く歪んでいる。
「奇声蟲化……したんですの……」
もはや男の目には理性は無かった。
先ほどまで従えていた奇声蟲達と同じ瞳の色だった。
それが歪んだ笑顔で笑っているのだ。
もはや悪い冗談にしかならない。
「こんな……許せませんわ、こんな事!」
激しい憤りを覚えるオルトルートの、その目の前に疾風の速さで一機の奏甲が現れた。
太陽の光を映し出す、美しき一振りの銀剣。
「イクスっ?」
「オルトルート。後は任せてくれ」
そう口にするイクスの声には久々に力が溢れていた。


       ----------つづく----------