《
銀 き剣 の記憶 篇 》
第1章 「行方 不明」
夜明け前の東の空に黒々とした煙が昇っていた。
白い透明な空気を侵食してゆく黒。
それは一つだけでは無かった。
幾本という煙の柱が白み始めた空に黒筆を這わせたように美しいラインを引いているが、それは明らかに戦火だった。
ただ不可思議なことに逃げ惑う人の悲鳴や喧騒は無い。
「ちっ。つまんねぇ」
男は心底面白くなさそうにはき捨てた。
続けて自分の絶対奏甲に蹴りを1発くれてやった。
金属同士 がぶつかり、周囲に乾いた音が響く。
「足りねぇ……。足りねぇな」
たった今、手近な村を襲い、無抵抗の村人たちを虐殺した男は、その深いブラウンの瞳に暗い怒りを宿して、
ただ「足りない」と呟くばかり。
やがて東の空は白から血の様に真っ赤な朝焼けに変わるのだった。
●
早朝だというのに、酒場兼食堂として営業されている『娘々亭 』は、まるで戦場のようだ。
「おおい。こっちのパントーストはまだかぁ?」
「ちょいとすまんね。コーヒーのおかわりを頼むよ」
「ここのベーコン・エッグは最高ですね」
喧騒が喧騒を呼び、とても落ち着いた朝食は望めまい。
なのに、ここに毎日来てしまう自分には苦笑するしかない。
「今日も盛況だな」
店の端にあるカウンター席へ向かいながら、彼の歌姫フェイエンは日課のようになっている台詞を言った。
「ああ」
と、短く返すのもまた彼――イクスの日課だ。
狭い店内を苦労して席へ向かう。
「あらぁ〜。おはようございますぅ〜」
間延びした声は給仕のミズキ。
両手のトレーにコーヒーをたんまり積んで、さらにその上に皿を何枚か載せている。
よほどバランス感覚が優れているのか、実に安定した足取りでテーブル席をスルスルと進んでいった。
二人は彼女に挨拶を済ませると、席に着いた。
「おはよう。いつものでいいのかい?」
店の女主人フランチェスカが、器用にフライパンを2つも操りながらオーダーを取ってきた。
「ええ。頼みます」
「私も同じく」
フランチェスカは「はいよ」と言って、さらにフライパンを2つ火にかけた。
これで同時に操るフライパンは4つだ。
「この店は大道芸人が営業しているのですの?」
とはオルトルートの言だ。
「ところでマスター。姉 さんは?今日は見かけないけど……」
「あの子は今、帰郷中だよ。戻るのは4日ほど後になるねぇ」
「へぇ、姉 さんってこの辺の出身でなかったんですね」
熱されたフライパンに卵が落とされた。「ジュ」っという音と共においしそうな香りがあたりに漂う。
「あの子はここからずっと西へ山をいくつも越えた所にあるアルムベアクって小さい村の出身さね。何も無いけど緑がとても綺麗な村でね」
「ちょっと待った!マスター、その話はマジか!?」
イクスたちのすぐそばに座っていた男が血相を変えてフランチェスカに尋ねた。
身なりからして二人ともポザネオ守備隊の機奏英雄のようだ。
「間違いないよ」
フランチェスカの肯定に男は隣の同僚と思われる男と顔を見合わせ、やがて言いにくそうに、そして周りに聞こえないように声を潜めていった。
「俺たち、飛行隊の連中からアルムベアクは2日ほど前に正体不明の絶対奏甲の襲撃にあって壊滅したって聞いたんだ……。その……生存者は無かったとも……」
沈黙。
イクスたちの周囲だけが無言の空間となった。
その空いた空間に周囲の喧騒が流れ込んできて、より一層音が大きく聞こえた。
フライパンの上の卵から漂うおいしそうな香りさえ、申し訳なさそうに彼らの間を渡る。
沈黙は数秒後には破られていた。イクスが勢いよく立ち上がったのだ。
そしてそのまま店の出口へと早足で向かう。
「イクス!?」
あわててそれを追おうとするフェイエン。
「申し訳ない、マスター。お代はここに」
そういって、何枚かの硬貨をカウンターにおいて、すぐさま出口へとイクスを追った。
残されたのは、呆然とするフランチェスカと2人の男。
そして店内の喧騒だった。
「むりじゃよ。足の速いお前さんの奏甲でも2日は掛かる距離じゃ」
工房の機器がたてる騒音に負けないようにドクター・グラウンは大声で、しかしなだめるような口調で言った。
「それに、既に飛行隊が生存者を捜索したのじゃろう?今更お前さんが言ったところでどうにもならんよ」
「しかし!自分の目で探したんです。どうか、行かせてください!」
「ダメじゃ」
既にイクスがドクターとの交渉を始めてから二十分が経過していた。
その間にドクターが言った「ダメじゃ」は今ので通算13回になる。
「何度も言うが、いまのお前さんは他の機奏英雄と違って自由ではない。特務隊とはそういうものじゃよ」
ドクター・グラウンは辛抱強く説得を続けていた。
イクスは彼との交渉が長引くほどに、徐々に苛立ちを覚え始めていた。
それは彼に対してではない。
彼の言うことは間違ってはいないのだから。
では何にか?
それは、友人のために何も出来ない自分自身にだ。
「分かったか、イクス?」
「……ああ」
「ふむ」
大仰に頷いてからドクターは続けた。
「じゃが、わしもその件に関しては少々気になることがあってな。お前さんがわしの使いに行ってくれると言うのなら、許可しよう」
「……いいのですか!?」
「うむ。ただしじゃ、いくらか記録を撮ってきてほしい。ポイントは……」
ドクターから記録すべきポイントをいくつか説明されると、イクスはフェイエンと共に愛機へと急いだ。
「待て待て!どれに乗るつもりじゃ!?」
「どれって、“スレイプニル”に決まっているじゃないですか」
イクスは百メートルほど離れたところに格納された銀色のマリーエングランツを指差す。
「先ほども言ったろう。お前さんのマリーでは2日掛かると」
「ではどうするのですか?」
ドクターは不敵に笑ってイクス達が向かうのと正反対を指差した。
「あれに乗っていけ」
ドクターの声はうれしそうだった。
指差された方向には一機のフォイアロート・シュヴァルベが直立不動の姿勢で立っている。
イクスたちは知る由も無かったが、それはテストパイロットの東郷宗司と歌姫のシェラが奏でていた奏甲だった。
●
蒼穹の空を轟風のようなガスタービン・エンジンの咆哮が切り裂く。
その特異な推進機関は久々の全開起動に歓喜しているようだ。
今も絶対奏甲1機分を軽々と遥かな高みの空へ舞い上がらせている。
「なるほど、これは早いな。おまけに歌姫への負担も無しか」
「便利はいいかも知れんが、この音はちょっとな……」
顔をしかめてみせるフェイエンに、イクスは苦笑した。
軽量化のためか、このフォイアロート・シュヴァルベには薄い装甲しか与えられていないようだ。
お陰で直列複座の奏座には、背中で最高出力を吐き出しているエンジンからの騒音が直接響いてくるのだ。
まるで雷雲の中にいるかのような爆音が脳髄の奥までかき回してくれる。
ただ、それでもイクスは出力を落とさなかった。
「無事でいてくれ……!」
イクスはメリッサの無事を強く願った。後ろに座るフェイエンもきっと同じ思いでいるだろう。
二人の強い願いを受けて鋼鉄の翼を持つフォイアロート・シュヴァルベはさらに速度を速めた。
----------つづく----------