しろつるぎの記憶 篇 》


       第2章 「調 査」


 イクスたちがアルムベアクの土地に足を踏み入れたときには既に戦火も消えていた。
おおよそ十数軒あったと思われる家は全て崩壊、あるいは燃え尽きて木片すら残っていない所もある。
「酷すぎる……」
ポツリとつぶやくフェイエンの言葉には憤怒や悲しみがないまぜになった複雑な響きがあった。
「そうだな……。だが、ここでジッとしているわけには行かない。生きている人を探そう」
絶望的な気分になったが、それでも僅かな希望を宿してイクスは隣のフェイエンに視線を移す。
彼女も同じような表情でイクスの方を見つめていた。
二人は頷き合い、周囲の探索を開始した。
フェイエンは西から、イクスは東から念入りに探っていく。
「誰か!無事な方は居られませんか!」
……。
…。
大声で呼びかけるイクスの声はむなしく辺りに響くだけで、それに答えるものはいない。
イクスは倒壊し半分焼け落ちた家に躊躇無く飛び込んだ。
「誰か、まだいませんかっ……ゴホッ」
イクスが咳き込む。
夏に大量発生した羽虫の様に多量の灰が舞っていた。
すでに火が消えて三日は経つというのに、まだ火災の熱が残っているようだ。
周囲が熱い空気に満たされている。
「イクス!ここか」
崩壊した出口にフェイエンが駆け込んできた。
「早く奏甲の所へ!森から奏甲の歩行音が聞こえる!」
「分かった。くそっ!」
熱気の篭もった廃墟から奏甲まではおおよそ二百メートル。
「急げ!」
「分かってる!なぁフェイエン、機種は判るか?」
走りながらフェイエンは首を横に振った。
「完璧には判らん。が、少なくとも2脚型。察するにシャルラッハロートシリーズのようだが……」
「それだけ判れば上出来だよ」
フェイエンの知識には驚かされるばかりだ。彼女なら目隠しで機種を言い当てられるだろう。
二人は急ぎ奏甲に乗り込むと、フェイエンの歌術で奏甲を戦闘起動した。
イクスは奏座に増設されたアクティブ・レーダーのディスプレイで、フェイエンの言うとおりに一機の奏甲が森の中をこちらへ接近してくるのを確認した。
「さぁ、何が出るか……」
奏甲の腰に搭載された短砲身のサブマシンガンに手を掛ける。
安全装置解除セイフティ オフ
構えてはいないがいつでも応戦できるようにして、相手の出方を待った。
レーダー・ディスプレイの反応が一瞬だけ相手が立ち止まった事を教えてくれた。
どうやら相手もこちらに気がついたようだ。
イクスの緊張感が高まった。
しばらくの間、こちらの様子を吟味するかのように相手はその場に停止したままだった。
「撃たないでください」
唐突に≪ケーブル≫を通じて柔らかな女性の声が聞こえてきた。
間違いなく相対した奏甲からの通信だろう。
その声が聞こえた後、レーダーが相手が再び動き出したことを知らせる。
「敵ではないようだ。戦闘起動を解除してくれ」
イクスはフェイエンに呼びかけた。
「なにを。そう簡単に信じていいものか。まずは相手が奏甲から降りるか、武器を放棄してからだ」
「心配ない」
「その根拠は?」
「俺の感だ」
フェイエンが怒鳴りを上げる前に、森より問題の奏甲が姿を現した。
果たしてそれはフェイエンの予想通り、シャルラッハロートタイプの初期型。
一般で言うところのTアインだった。
そこで再び≪ケーブル≫に声が伝わってきた。
「私たちはこの周囲を調査している調査隊の所属のものです。戦意はありません」
「俺たちも同じ用向きだ。よければ降りて話さないか?」
「はい。わかりました」
膝を地面についた相手のシャルラッハロートの胸部が解放される。
奏座より歌姫と奏者が降りてきた。
距離を開けて起動停止したのは、自らの用心のためではなく、こちらに安心してもらうためだろう。
「いやはや……」
イクスは小さな感嘆を漏らした。
シャルラッハロートの奏座より降りてきた機奏英雄は当然女性だったわけだが。
雪のように白い肌に切れ長の双眸。ほんのりと薄蒼色をした白い和服を召している。
腰まである黒髪の先端を小さなリボンで結わえたその姿は、さしずめ日本人形のごとく調和の取れた美しい姿だった。
その姿を確認するや、イクスは後ろに向き直り。
「どうだ。俺の言ったとおりだろう?」
「……イクス、何をニヤついている」
「え!?あ、いや、これはその……だな……」
フェイエンからどす黒いオーラが湧き上がった。
「ちょ、ちょっと、フェイエン……?」
「こ……この……」
フェイエンの腰からは白刃の剣がスラリと抜かれた。
何度も見るが、その抜き身の刀身は身震いがするほど美しい。
それが高々と持ち上げられ……。
「この、スケベ男ぉぉぉぉぉっ!!」
「う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」
奏甲がイクスの心をトレースし頭を庇ってアタフタとうろたえる様を、黒髪の女性は首を僅かに傾げて見つめていた。


          ●


 ようやく奏甲から降りたイクスたちを待っていたのは、シャルラッハロートより降りてきた機奏英雄の柔らかな微笑と、歌姫の好奇の視線だった。
「申し訳ない、待たせてしまって」
謝罪するイクスに対して和服の女性は丁寧に否定した。
「いいえ。こちらこそ驚かせてしまったようで申しわかりません」
流麗な動作で頭を下げるのと同時に、その美しい髪がさらりと揺れる。
「と、とんでもない!それはこちらの方ですよ」
小刻みに首を横に振り、イクス。
「そんなことはありませんよ?」
ふふっ、と微笑む女性。
年のころはいくつだろうか。
東洋人は若く見えるというので、イクスにはわからなかった。
「こまりました。これではお話がすすみませんね」
「え、ええ……」
和服の女性は、嫌味の無い動作で頬に手を当てて少し思案するようにした後で言った。
「そうですね。このことに関しては『おあいこ』にしましょう?」
「は……?あ、いえ、はい。そうしましょう」
どうにも自分の非礼に対して、きっちりとしなければ気がすまないようだ。
イクスはその懇切丁寧というか、無意味なまでの礼儀正しさに目をしばたかせるしかなかった。
「申し遅れました。私は葵和泉あおい いずみと申します」
そう言って、再び丁寧に頭を下げる。
「あたしは歌姫のエミリアだよっ。ミリィって呼んでねっ」
ぴょこんとお辞儀をする15歳くらいの歌姫はファゴッツランド様式の服を着ていた。
ただし、あまり砂漠を行き来するのには適さない服だ。
この手の服装は大商人の家の娘によく見受けられる。
隣にいる和泉が落ち着いた物腰のために、仕草からやや年齢が低く見られがちだろうか。
「俺はイクス。イクス・メルクリウス・フレイアだ、よろしく。こっちは歌姫の……」
「フェイエンだ」
つっけんどんとした口調でフェイエン。
だが、気にした風も無く和泉と名乗った女性は柔らかな微笑を湛えた。
「あっ!?いま、イクスって言ったよね?」
「?」
「ひょっとしてエリスって知ってる?」
「エリス?ああ、知ってるが……」
ミリィの顔がぱっと明るくなった。
まるでちいさな子供がクイズにでも正解したような笑顔だった。
「やっぱり!エリスはね、あたしのお姉ちゃんなのっ」
「え!?そうなのか?」
「うんっ」
満面の笑みでミリィ。
隣では和泉も「まぁ」と小さく驚いている。
言われてみれば目の前のミリィと名乗った少女は、前にイクスとフェイエンをかき回して嵐のように去っていった少女によく似ていた。
「ゴホン!!」
フェイエンの咳払いとも叫びともつかない声で、話は途切れる。
「申し訳ない、世間話をするのであれば我々はもう行きたいのだが」
「まぁ、申し訳ありません。私としたことが……」
口に手を当てて心底申し訳なさそうに謝る和泉に、イクスが
「いえ、こちらも悪いのですからお気になさらないでください」
というのを聞いて、フェイエンの顔が僅かに引きつる。
身を切るような視線からわざとに目をそらすイクス。
「で、用向きは何なのか?」
とげとげしさを隠そうともしないフェイエンの口調に和泉は平然と答えた。
「はい。先ほども申したとおり私たちもこちらの襲撃事件を調査しに参りました」
和泉の説明では、彼女たちはここを調査に訪れた飛行隊の引継ぎとして派遣されてきたのだという。
「私の所属している調査隊は奏甲4機編成で、現在はこの森を抜けた反対側にキャンプしています」
和泉は自分が森を出てきた方向を指差した。
「到着したのが昨日の午後。それから今までの時間それぞれで手分けをして生存者と襲撃者の手がかりを探しているところでした」
「今までに生存者は見つかったのですか?」
「……」
和泉は押し黙った。
「……そうですか」
「な……」
受け入れ難い事実をのナイフを胸に突き立てられ、フェイエンは眼を見開いた。
数秒間の沈黙の後、
「馬鹿な!ちゃんと探したのか!?隅々まで!!」
フェイエンの怒声は半分涙声だった。
「メリッサ姉さんが死ぬはずが無い……。あの人が……」
その後は声にならなかった。
両手で顔を押さえ小さく嗚咽を漏らす。
「フェイエン……」
イクスは彼女の肩を抱いてやった。
思いのほか華奢な肩だった。
「それで。犯人の手がかりはあるのですか?」
「……はい。犯人は奏甲に乗っていたようです。単独で村を襲った後で森に姿を消したようです。あちらの畑に奏甲の足跡がありました」
和泉は村の外れを指差した。
「見せてください」
「わかりました。行きましょう……」
フェイエンを気遣うように静かな声で和泉が告げる。
和泉が畑と言った場所は、もはや畑とは呼べないものだった。
フェイエンを庇いながらようやくたどり着いたイクスは、再び言葉を失う。
作物は既に無く、凄まじい力で掘り起こされ、切り裂かれた無残な荒野が広がっていた。
「こちらです」
和泉は不正地を取り立てて歩きにくそうにも無く、進んでいく。
履物は草履なのに、よほど慣れているのか靴と遜色ない。
五十メートルほど入ったところで先頭を行く和泉が止まった。
「これがそうです。残念ながら形が崩れかけているので、機種の特定が出来ていません」
「これがメリッサ姉さんの仇」
ゆっくりと顔を上げたフェイエンがその足跡に近寄った。
「……フェイエン、判るか?」
「これは……新型の突撃型奏甲の足跡だ。名はキューレヘルト……だったな……」
冷酷な英雄キューレヘルト……か」
この惨劇の場に最も相応しい名だと、イクスは思った。
「すごい!これだけで判るの?」
ミリィの驚嘆も当然だろう。
よほど絶対奏甲というものに知見が無ければ、たったこれだけの手がかりから機種を割り出すことなど出来はしない。
フェイエンがそれをやってのけるのは、工房長を務める母の元で育ったからだ。
それはさておき。
フェイエンの予想は正しかった。
あの赤黒い装甲を持った絶対奏甲が襲ったのは、正しくこのアルムベアクだった。
「こんなことが平気でできるのか……」
呻く様にイクス。
「許せない」
フェイエンの囁きには激しさを通り越した静けさがあった。
あまりにも多くの色を混ぜすぎて黒くなった絵の具に似ている。
「犯人は必ず見つける……。召喚されたことを後悔させてやる!!」
「フェイエン!」
吐き捨てるフェイエンをイクスは一喝した。
ビクリと体を震わせたフェイエンに、彼は諭すように呟いた。
「復讐したって姉さんは喜ばないだろ?この村の人だってそうだと思う」
「そんなこと解っている。だが、それでも私は…私は……」
「ユリウスの事を忘れたのか?」
「……」
俯くフェイエン。
イクスは和泉を見やった。
「申し訳ないが今日はそちらのキャンプにお世話になってもいいですか」
「ええ、構いませんよ。テントもありますのでご自由にお使いください」
「ありがとう。……フェイエン、今日はもう引き上げよう。調査は落ち着いてからだ」
既に日は傾きつつあった。
和泉のほうも昨日からずっと調査をしていたらしく、薄く疲労が滲んでいる。
「そうですね……。わたくしも戻りますので、一緒に参りましょう」
かくしてイクスたちはキャンプへと向かった。
「ふふ……。見つけたわ」
それを窺う人影が一つ。
怪しい哄笑を上げていた……。



       ----------つづく----------