しろつるぎの記憶 篇 》


       第4章 「悲しみの連鎖」


静脈血を想わせる赤黒い装甲体は、とある施設の中でその身を休めていた。
アルムベアクで殺戮の限りを尽くしたその奏甲と、それを駆る機奏英雄は実に残酷だった。
目の前で家族や知人を屠っておきながら、自分独りだけを生かしたのだから……。
比喩ではなく奏甲に踏み潰され、握りつぶされた村人たちの、苦痛に歪んだ顔がはっきりと脳裏に浮かんでは消える。
激しい吐き気と頭痛と共に。
「うっ……」
胃からこみ上げる物を必死で堪える。
だが堪えれば堪えるほど、それは更なる吐き気となって彼女を苦しめた。
「っ……ゴボッ!」
堪らず吐しゃ物を吐き出す。
「ぅ……ゴホッゴホッ」
不快な酸味が口の中を支配した。
いまの彼女には、およそ生気が感じられない。
ただ、命を浪費しているだけ。
決して『生きて』はいなかった。
「飲め」
乱暴な手つきで水の入った器を彼女の前に置く男。
彼女は無心にその器に手を伸ばし、ゴクゴクと水を飲み干した。
「……っ。はぁはぁ……」
「ちっ……」
彼女が人心地付いたのを見て、男は不愉快そうに舌を打った。
「おい!この女、本当に生かしておくのか?」
男は怒鳴った。
それに応えたのは女の声だった。
「そうよ。何か異議があるのかしら?」
「俺はこの世界のメス共が気にくわねぇんだよ!独り残らずぶっ殺してやりたいほどにな!!」
「そう」
「特にてめぇが気にくわねえ。そのすかした態度がいけすかねぇ」
「ふふふっ。いいのよ、逆らっても?」
怒鳴る男に女は不敵な笑みを向けた。
「その代わり、あなたの腕と脚・・・を返してもらうわ」
「チッ」
「あなたは私の犬なのよ。犬は飼い主に従いなさい。忠実に」
ゾクリとさせる程の視線で女は男を見やった。
それは見下すという方がしっくりとくる視線だった。
それこそ、家畜か何かを見るような。
「いつか殺してやる」
殺気に満ちた男の目を平然と女は見やった。
「いいわ、その調子よ。従順なペットは要らない。私が欲しいのは獰猛な狩猟犬だもの」
言うと、女は哄笑を上げた。


          ●


イクスが思った以上に、フェイエンの容態は深刻であった。
第一にフェイエンは誰かに攻撃歌術を使われたらしいこと。
第二に、使用された歌術が禁忌歌術の一つらしいこと。
調査隊には幸運にも歌術の知識が豊富な老歌姫が同行していた。
その老歌姫が言うには、フェイエンは精神に直接攻撃を受けたということらしい。
老歌姫は名の通りいまだ現役の歌姫らしく、フェイエンに応急の癒し歌を歌った後、イクスに告げた。
曰く、「目を覚ますことができたなら、それは奇跡に他ならない」。
この言葉は、メリッサの身を懸案するイクスに更なる重圧と衝撃をもたらした。
以降2日間、イクスはまともに食事も睡眠も取れずにいる。
ただ眠ったままのフェイエンを見守り続けるイクス。
それは遠目に見ても、あまりに痛々しすぎた。
「イクスさん。私が代わりますから、少しお休みになってください」
和泉の言葉も空しく、イクスは無言で俯くばかりだった。


和泉がテントから出ると、そこには巌のごとき大男が立っていた。
「ロスロフさん」
「和泉、様子はどうだ」
ロスロフと呼ばれた大男は和泉に尋ねた。
彼はこの調査隊を率いる隊長という立場にある。
だから和泉も包み隠さず話した。
「かなり落ち込んでいらっしゃいます。無理もありません……」
和泉は小さくかぶりを振って続けた。
「私だってミリィがあのようになってしまったら、きっと……」
「だがそれで事態が解決するわけではなかろう」
「それはそうですけど……」
「ならば自分が今しなければならぬことをやるべきではなかろうか」
「ロスロフさん……」
「……私が話そう」
ロスロフはそう言うとおもむろにテントへと入って行った。
「……」
それを心配そうに見送る和泉にロスロフと共にやってきていた長身の男がニカッと笑って言った。
「大丈夫だって、嬢ちゃん」
「アヴェンさん……」
「体長、ああ見えてもナイーブな問題は得意だからよ」
どこかひょうひょうとした口調の中にもロスロフに対する信頼が滲んでいた。
「わかりました……」
和泉は頷くと、テントを後にした。


「失礼する」
入り口から大柄な男が入ってきたのはイクスには見えていた。
しかし、そんな事どうだっていい。
フェイエンがいなければ、こんな世界なんて意味が無い。
「イクス」
静かに呼ばれる自分の名前にも反応しない。
しかし、次の瞬間、彼を襲ったものにはさすがに反応せざるを得なかった。
ガッ!!
3メートルほど吹き飛んだ後、イクスは自分が殴られたのだとようやく理解した。
「っ……!」
思い出したように顔面に激痛が走る。
それほどに強烈な正拳だった。
「目が覚めたか」
イクスを殴ったロスロフは、むしろ穏やかに言った。
イクスは口の中に溜まった血を吐き捨てると、
「何のつもりだ!?」
「だから、目が覚めたかと聞いている」
「何?」
「女ひとり失っただけでそのざまか……情けない」
「なにを……。あなたに何がわかる!」
普段なら冷静に物事を判断できるはずなのに、今のイクスの喉をついて出てきたのはそんな怒声だった。
「知らん。知りたくも無い」
「なら、知った風な口をきくな!」
「負け犬の台詞だな」
ロスロフの言葉はあくまで冷酷だ。
その一言一言が、イクスの傷口をえぐる。
「お前にできることはそれだけか?ただ悲しみにくれるまねごと・・・・をして過ごすことしかできんのか」
「なっ……!」
「ならばそこの歌姫も報われないな」
「俺に何ができるって言うんです!?……俺は彼女を癒すための歌術の知識も、歌を織ることもできない!!」
「歌を織る?」
ロスロフは普段あまり表情を浮かべない顔の、片眉を僅かにつり上げた。
「そんな必要は無い。お前にできない事をわざわざする必要は無いだろう」
「なら一体何を―――」
「歌術は幻糸を操るものだ」
イクスの言葉はロスロフに遮られた。
「逆を言えば幻糸を操るには歌術が必要なわけだが、歌を織るには何が必要だ?」
「なにを……?」
ロスロフはそこまで言うときびすを返した。
「後は自分で考えるのだな。それすらできぬ者に、未来は無い」
そういい残すと男はテントを後にした。
取り残されたイクスは、ただ呆然とその後姿を見送った。



       ----------つづく----------