《
銀 き剣 の記憶 篇 》
第5章 「狂気と踊るもの T」
イクスは調査隊がキャンプしている場所から数キロ離れた森の中に降り立った。
ミリィが感じた濃密な幻糸の流れを辿ってやってきたそこは、
イクスでも感じられるほどの幻糸が未だに渦巻いていた。
「空気が重い……」
決して濃密な夜の闇が作り出す息苦しさではない。
「あっ……頭がっ!」
無理を言ってついて来てもらったミリィが頭を抱えて顔をしかめた。
「ま、間違いない……よ……ここだ……」
うっ。
苦しそうに身を縮めるミリィ。
「わかった。もういい、ミリィ。奏甲の中に入って待っててくれ」
イクスが促すと、ミリィはおぼつかない足取りでイクスのフォイアロート・シュヴァルベの奏座へと入っていった。
奏甲の奏座が幻糸を減衰させる訳ではないが、それでもこの寒い冷気のある外よりは、幾分か楽だろう。
「すまない、ミリィ。少しの間我慢してくれ」
イクスは奏座に消えたミリィに詫びると、周囲の捜索を開始した。
歌術の余波で、歌姫の身体に変調をきたすほどの濃密な幻糸は、男であるイクスにも悪影響を及ぼす可能性があったが、あえて無視した。
「フェイエンはもっと苦しいんだぞ」
イクスは自分に、言い聞かせる。
ロスロフに痛烈な一撃を見舞われたあと、彼の言葉を整理したイクスはある事を思い立った。
『幻糸を操るには歌術が必要なわけだが、歌を織るには何が必要だ?』
そんなもの、決まっている。
「歌の担い手。つまり、歌姫……!」
そうか、そういうことか!
フェイエンの様態がショックだったことがあったが、それでもどうして気づかなかったのだろうか。
「つまり、フェイエンに歌を歌った歌姫を見つけ出して、歌の効果を解けばいい……!」
そうして、その歌姫の手がかりを探して、ここまでやってきたのだった。
皮肉にも、使われたものが強力な禁忌歌術であったために、その歌=幻糸の流れは、歌姫には一目で判断が付いた。
周囲の低木を掻き分けて、イクスは不意に傍の木を見上げた。
「?」
そこには一条の何かが、闇を背に「ボウ」と輝いていた。
イクスは器用に枝葉の少ない枯れた樹をスルスルと登る。
「これは……」
イクスが手にしたものは、楽器か何かの弦のようだった。
不思議なことに、自らうっすらと発光している。
「きゃぁぁぁぁぁ!!」
ミリィらしき絶叫に、イクスは驚き振り向いた。
その視線の先―――
ちょうど奏甲の胸部に一つ、ずんぐりとした歪な影が張り付いていた。
「なっ、奇声蟲!?」
思わぬ奇襲だった。
奏座が空いているところからして、ミリィが外に出ようとしたところを襲ったらしい。
「くそ!」
中途半端に頭のいい衛兵種に悪態をついて、イクスは樹から飛び降りた。
かなりの高さだったが、落ち葉からなる腐葉土が落下の衝撃を吸収してくれた。
「ミリィ!今行く!」
言って、いつもどおりに槍を構えた―――はずだった。
「あっ!?」
イクスは思わず自分の愚かさを呪った。
槍を奏甲に置いてきたのだ。
「くそっ」
油断していた自分に悪態をつく。
手元にあるのは、腰に差した本当に緊急用としか考えていない短剣のみ。
イクスは槍以外の武器は不得意だった。
「まずい……!」
焦るイクス。
「イクス!た、たすけてっ……」
泣きそうなミリィの懇願の声が耳に届く。
「あっ!あああっ、いやっ!こっち来るなっ!」
奏座の入り口で必死に抵抗するミリィ。
衣服のどこかが引っ掛かっているのか、奏座の奥に戻れない様子だった。
「ちっ!」
イクスが疾 った。
機体の装甲を駆け上がると、腰の短剣を抜きざま奇声蟲を斬りつける。
ギギギギギギギ!
捕食か生殖か分からないが、とにかく邪魔をされた奇声蟲は怒りも露に、標的をイクスに変えた。
イクスと奇声蟲は地面に転がり落ちた。
イクスはすばやく体制を立て直す。
「さぁ、来てみろ!生憎、楽には殺してやれんがな」
不慣れな短剣を握り、イクスが咆えた。
「うおぉぉぉっ!」
ギギギギギギギ!!
自分の数倍の質量がイクスを襲う。
力任せの突進だった。
衛兵種に知恵は殆ど無い。あるのは強い攻撃衝動と、捕食・生殖衝動だけだ。
豪風のような突進を何とかかわして、左脚の1本に短剣を突き立てた。
ギギギギギギ!
耳障りな奇声を上げて、奇声蟲は喘いだ。
「ミリィ、槍を!」
奏座にいるミリィに向かって叫ぶ。
するとどうにか動けるようになったらしいミリィが、愛用の槍を投げてくれた。
タイミングを合わせてイクスが宙を舞う。
槍を空中でキャッチすると、そのまま空中で豪雨のような槍激が繰り出される。
ダダダダダダダダダダッ!
一瞬にして身体を無数に穿たれ、奇声蟲は声もなしに沈黙した。
「やれやれ……」
へたり込みそうになる身体をどうにか槍の柄で支えながら、イクスは溜息をついた。
切り裂かれた左腕を見やって、苦笑を一つ。
「どうにも……槍以外は、な……」
それは短剣で奇声蟲の脚を突き刺したときに負った傷だった。
「イクスっ」
奏座から降りてきたミリィが心配そうに駆け寄ってきた。
「大丈夫だったか?」
「私は大丈夫……って、イクス、怪我してるの!?」
「ヘマをした」
それより、奏甲の中へ。
イクスはそう言うとミリィを従えて奏座の中へと入った。
「みせて」
ミリィは有無を言わずにイクスの衣服の左袖を裂いた。
「うっ……」
傷口は深くは無いようだったが、それでもかなり出血している。
「ミリィ、血が苦手なら無理しない方がいい」
「だ、大丈夫。やらせて」
そう言いながらも顔色はすぐれない。
やめさせようとしたイクスだが、彼女の真剣な顔を見たらその気持ちは薄くなった。
「無理しない程度に頼む」
イクスは彼女の厚意に甘える事にした。
たどたどしい手つきではあったが、それでも何とか奏座にあった救急用品で消毒から包帯を巻くまでの事をやってくれた。
「ありがとう」
微笑みながらイクスは礼を言った。
「ううん。ミリィこそ、ごめんなさい。迷惑かけちゃって……」
「そんなことないさ」
さぁ、帰ろうか。
そのイクスの言葉は、奏座に響いた警告音によってかき消された。
「何だ!?」
レーダーを見やるとそこには無数の反応が自機を取り囲むように映し出されている。
「奇声蟲か……。しかし、これだけの数、何処から」
奇声蟲は異次元より空間の裂け目を通ってアーカイアに現れる。
しかし、こうも都合よくイクスたちを取り囲むように現れたそれらは、いささか不自然だった。
イクスの疑問はそのすぐ後に答えられた。
なぜなら、それら奇声蟲と同じように、突如として奏甲が現れたからだ。
その奏甲の色は、血のような紅。
「なっ!?こいつは……」
「イクス、逃げて!」
ミリィの叫び声と同時に、周囲を囲む奇声蟲たちから凄まじい奇声が発せられた。
「うっ!あぁぁぁぁぁっ!?」
激しい嘔吐感と頭痛に、イクスは思わず声を上げる。
後ろではミリィも同じように悲鳴を上げていた。
イクスたちの乗るフォイアロート・シュヴァルベのアークドライブが、奇声の影響で出力を低下させた。
"まずい!"
イクスは懇親の精神力を振り絞って、機体の背部に搭載されたガスタービンエンジンを起動させた。
そのまま一気に空へと上昇する。
力任せの急上昇に身体の骨格が軋みを上げた。
「っう!」
胃の中のものが逆流しそうな程の逆制動を終え、イクスたちのフォイアロート・シュヴァルベは奇声蟲の群れの上空に静止した。
人体への奇声の影響は何とか収まったものの、以前、奏甲のアークドライブは低い唸りのまま。
そしてもう一つも―――。
「ミリィ!」
イクスは後部の歌姫用奏座の方を振り返った。
ミリィはぐったりと身体をシートに預け、激しく喘いでいる。
「くそっ」
悪態をつく。
まさか、歌姫への奇声影響がこれほどのものとは!
イクスは、眼下に群れる奇声蟲と、あの紅い奏甲を睨みつけた。
「あれがフェイエンが言っていた奴か!」
こちらを見上げる赤い奏甲は、本来の敵―――奇声蟲の中にあって、悠々としている。
いや、むしろその紅いこそが、それらの王の様だった。
「イ…クス……」
「ミリィ」
苦しそうにイクスの名前を呼ぶミリィ。
「気をつけて……。あれ、嫌い……」
そこまで言うと、ミリィはふっつりと気を失った。
「ミリィ……!」
身を乗り出して、彼女の容態を確かめると、イクスは再び敵を目で捉え、通信機のスイッチを押した。
----------つづく----------