しろつるぎの記憶 篇 》


       第6章 「狂気と踊るもの U」


すばしっこい奴だと―――ダイスは思った。
だがそれだけだ。
後は何の感情も抱かなかった。
捕食者が獲物の気持ちなど考えはしないように……。
彼の奏でるこの恐怖の女王フルヒトモナルヒは、
キューレヘルトをベースにとして、歌姫を排除する代わりに奇声蟲、それも貴族種の脳と声帯を組み込んだものだった。
歌姫を排除するという点で後に世に現れる事になるメンシュハイト・ノイのコンセプトに似ているものの、メンシュハイト・ノイとこの機体はまったく別物だ。
それはダイスの右腕と左足を見ればよく分かる。
彼のそれらは、金属だった。
そう、安全性の面から言って、この機体はメンシュハイト・ノイなどより遥かに危険なのだ。
機体に搭載された貴族種の声帯から発せられる奇声蟲は否応無く奏座の奏者を蝕み続ける。
ダイスは自分の手足が、歪な蟲へと変わっていくさまを思い出した。
「女どものせいで、俺はこんな姿になった……!」
憎憎しげに呟く男の顔は、邪悪に染まっていた。
彼の心にあるのは自分を召喚したこの世界全体への憎悪と、激しいまでの闘争心。
「オラァ!!」
手近の衛兵種を一体蹴り飛ばす。
ギギギギ!
奇声を上げて、その奇声蟲は息絶えた。
「イライラするんだよ!テメエら!!」
続けて二体を殴り殺した。
衛兵種たちは、貴族種の脳が搭載された紅いキューレヘルトを、貴族種そのものだと理解させられているため、
反抗はまったく無い。
それをいいことに、紅のキューレヘルトは次々に手近な衛兵種を屠る。
その折―――
ピピッ。
短い電子音が奏座の中に響いた。
それは上空に待機した敵からの通信のようだった。
機体の性質上宿縁の共振、つまり≪ケーブル≫を使った通信ができないこの機体にはアーカイアでは珍しい通信機が積まれていたのだった。
「聞こえるか」
敵の機奏英雄の声がダイスの耳に入る。
「てめぇ、降りてこいや。ぶっ殺してやるからよ!」
「一つたずねる。アルムベアクを襲ったのは貴様か?」
「ああ?」
落ち着いた声に、ダイスは苛立ちを覚える。
「何の事だ?」
「小さな村を襲った事はないか?とたずねている」
「あ?……ああ、あの貧乏連中のゴミ溜めの事か。ははっ、あれは中々すっきりしたぜ」
ダイスは無線機に哄笑を吹き込んだ。
その瞬間、数百メートルの空間を越えて、凄まじい殺気がダイスの身体を襲った。
「……そうか」
無線の声はそれっきり無言になった。
「はっ!すかしてんじゃねぇぞ!降りてこいって言ってんだろうが!!」
ダイスは背中に背負っていたショットガンを構えて、有無を言わず発砲した。


          ●


「あの貧乏連中のゴミ溜めの事か。ははっ、あれは中々すっきりしたぜ」
男の哄笑がスピーカーより吐き出される。
イクスの頭の中は激しい怒りで真っ白になった。
「……そうか」
辛うじて短くそう言うと、イクスのフォイアロート・シュヴァルベは腰から短砲身のサブマシンガンを抜いた。
安全装置を解除。
「はっ!すかしてんじゃねぇぞ!降りてこいって言ってんだろうが!!」
男の叫びが聞こえるのとほぼ同時にショットガンの散弾が機体をかすめた。
イクスは、自機を自由落下させる。
地上からは、狂ったように散弾が飛翔してくるが、それすらも驚異的な運動性で回避。
背部ガスタービンエンジン全開。
凄まじいGが奏座を襲う。
気を失ったままのミリィを気遣う事は、今のイクスにはできなかった。
「許さない……」
この男だけは!!
サブマシンガンのトリガーが引かれた。
秒間19発の40mm弾が初速の上に重力加速+機体の速度を帯びて、紅いキューレヘルトに殺到した。
タタタタタタッ!
つかの間、破壊の雨がもたらされ、地面に無数の穴が穿たれた。
しかし、紅いキューレヘルトには一発として命中しなかった。
「何!?」
キューレヘルトを衛兵種たちが自らを犠牲に守ったのだ。
「はははっ!!いいぞ、クソ蟲ども!!」
そんな男の哄笑を聞き流して、イクスは再び距離をとる。
空のマガジンを交換。
再びキューレヘルトに迫る。
しかし、今度は正面からは撃たない。
迫るイクスの奏甲に反応して、再び衛兵種が壁を作り始めた。
「おぉぉぉぉっ!」
その壁に、イクスは臆せず機体をぶつけた。
奏甲の装甲板と、奇声蟲の外骨格が衝突し、凄まじい軋みとも悲鳴ともつかない音が響く。
そして、突き崩された壁の向こうに、あの紅いキューレヘルトを認め、イクスは銃口を向けた。
発砲。
フルオートで撒き散らされた40mm弾は、今度こそキューレヘルトに命中した。
「オラァ!!」
しかし銃弾を食らってもまだ、キューレヘルトには何ら支障が無かったようで、イクスに向かって手甲の付いた長い腕で殴りかかってきた。
これには体勢が崩れたフォイアロート・シュヴァルベは対応できず、凄まじい威力を誇る豪腕の洗礼を受けるのだった。
「うあぁぁぁ!!」
そして、重装甲を誇るキューレヘルトとイクスの乗る現世の航空技術を持って改装された軽量なフォイアロート・シュヴァルベでは、骨格の強度が桁違いであった。
キューレヘルトの正拳によって、イクスの機体は右腕をサブマシンガンごと失う。
「ははっ。その程度かよ、ええ!?」
再びの正拳が迫る。
しかし、それは何とか回避して、イクスは距離をおこうとガスタービンエンジンのスロットルを絞った。
が―――
「なっ!?」
既に背面には数匹の小型奇声蟲が登り、背中のアークウイングを使用不能にしていた。
「いいざまだな!!」
ガンッ!
キューレヘルトの正拳が今度は左脚を襲った。
右腕のように千切れ飛びはしなかったものの、骨格が歪にへしゃげて機能を停止した。
「くそ!!」
イクスの口から罵声が生まれる。
しかし、そんなものではこの状況はどうにもならない。
「いい……。いいぜ……」
この機に及んでも、低い男の声は通信機からもたらされる。
「これが俺の力だ!アーカイアに復讐の業火をもたらす、俺のな!!!」
ハハハハハハハ!
狂ったような男の声。
いや、本当にこの男は狂っていた。
この戦闘だけで、イクスにもそれが十分に理解できるほどに。
「はははっ!もうお前死ねよ?」
そうしてついに、哄笑をおさめた男は冷徹に言い放つのだった。
「ちっ……」
自分の無力さに、イクスは最後に舌打ちを一つ。
そして、巻き込んでしまったミリィ。
そして、目を覚まさない彼の歌姫、フェイエンに一言、
「すまない」
とだけ謝った。



       ----------つづく----------