ーーー≪ある英雄の嘆息≫ーーー 中編 既に夕刻といえる時間は過ぎ、辺りを暗い闇が包み始めている。 ツィナイグングとシュバルツカップを結ぶ街道の上を走る一台の馬車の中、 ロベルティーナは未だに寝息を立ており、それを見ていたゼフィールも、馬車の 心地よい振動と今日の疲れとで、うとうとし始めたころ、 「着きましたよ〜」 と、ミーシャが呼びかけた。 その声を聞いて、ゼフィールは眠気を覚ますために頭を振って馬車から降り、 大きく伸びをした。テールも続いて降りてくる。 「ん〜〜っ…っはぁ!…んで、どこに着いたんだ?」 「今日泊まる宿ですよ。さすがに馬車の中で一晩明かすわけにもいきませんから」 ゼフィールの問いにミーシャが馬車の陰から顔を出し答える。 そう言われ横を見てみると、確かにそこにはそれなりに大きいが質素な宿があった。 「こんなところにお嬢様を泊めちゃっていいのか?」 「私もそう思ったんですが…ここがこの辺りで一番大きな宿なんです…」 よっぽど心苦しいのか、ミーシャは目に見えて沈んでいく。 ゼフィールは聞いてしまったことを後悔してフォローを入れる。 「まぁ…一晩泊まるだけだし、そんな気にすることじゃないだろ。 ここしかないんなら仕方ないんだし」 「そう言ってもらえるとありがたいです」 まだ気にしているのか、力なく微笑んでそう言うミーシャ。 それ以上励ましの言葉が浮かんで来ずゼフィールが黙っていると、 テールが気付いたように声を出す。 「ロベルティーナちゃんはどうするんですか?」 「ん?」 ちゃん付けしているのが気になったが、そこには触れず馬車の中を見てみる。するとそこでは ロベルティーナが未だに眠っていた。ゼフィールが近づき体を揺すって起こそうとするが、 目覚める気配は無い。 「お〜い、起きろ〜チビすけ〜」 などと言って頬を突いたり、鼻を摘んだりしてみるが 「…う〜ん……無礼者!……すぅ…」 「(ビクッ!)…寝言かよ」 それでも起きることは無かった。 ミーシャも近づいてきて起こそうとするが同じく徒労に終わる。 「それでは私が運びますからお二方は先に宿の方へ…」 「いや、俺が運んどくよ。こいつ意外と重かったし」 「いえ、そんな…お嬢様の世話は私の仕事ですし」 「まぁ、これも依頼の内だと思えば別に。他にも仕事が有るんだろ?」 「えぇまあ、そうですけど……それじゃあ、お願いしてもいいですか?」 「おう、任せとけって」 「変なことはしないでくださいよ」 「するか!!」 ゼフィールは馬車に入り座席のロベルティーナを抱きかかえ、入り口付近まで 運び背中に背負った。前回は夢中だったため気づかなかったがロベルティーナは 外見からは想像できないほど重く、足元が若干ふらついている。 「ぐおっ…何でこいつこんなに重いんだ?」 「このドレスのせいでしょうね。いたるところに装飾品がついていますし」 「あの…大丈夫ですか?」 「だ、大丈夫だ」 一度言ってしまった手前、ゼフィールにもわずかながらもプライドというものがある。 気合をいれ宿まで一気に移動する。それを見届けたミーシャは馬車を宿の裏手に停めに行く。 宿までたどり着いたゼフィールは小走りでフロントへ行き手続きをする。 フロントの人間からは訝しげな目で見られたが、そんなことを気にする余裕も無く急いで部屋に向かう。 この宿は二階建てでゼフィール達の部屋は全て二階だった。二階に上がる階段の手前で ようやくロベルティーナが目覚めた。と言っても、まだ意識がはっきりしておらず、 ゼフィールに背負われていると言う状況にあっても何も言わなかった。 「おう、起きたか。階段上るから落ちないようにしっかりつかまってろよ」 「…うむ」 小さく返事をして手に力をこめるロベルティーナ。素直なら可愛いもんだ、などと ゼフィールが思った矢先、 ギュッ 「!! く、首絞めんじゃねぇ!」 チョークスリーパーを完璧に決められてしまっていた。 「は、離せ! このままじゃお前が落ちなくても俺がおちる!」 「…ん」 ググッ どう聞こえたのか更に手に力を込めるロベルティーナ。 「それじゃあ私は自分の部屋に行ってますね」 「お、お前この状況をスルーすんな! がはっ……」 このままでは本気でやばいと思ったゼフィールは一気に階段を駆け上がり部屋に入る。 「おいコラ、着いたぞ。早く降りろ〜!」 ロベルティーナはようやく手を離し、ベットに横になるとすぐにまた寝息を立て始めた。 ゼフィールは顔から血の気が失せていたが、何とか意識は有るようだ。 「ぜぇ、ぜぇ……今日はこんなんばっかりだな…」 酸欠のため目の前が真っ暗になっていたが、しばらくするとそれも治りゼフィールは一階に下りる。 するとちょうどミーシャが宿に入ってくるところだった。 「あっ、お嬢様は…って大丈夫ですか!? すごい顔色ですよ」 「ああ、何とか…あいつは部屋で寝てるぞ」 そう言うとゼフィールは近くにあった椅子に座り呼吸を整え始める。 ミーシャはゼフィールの様子が気になったようだが、礼を言いロベルティーナの着替えをするために 二階へ上がる。しばらくして、ゼフィールの呼吸が整ったころミーシャとテールが下りてきた。 「あの…大丈夫ですか?」 「心配しなくても大丈夫ですよ」 「何でお前が答えるんだよ…まぁ大丈夫だけどさ」 「そうですか、それじゃあ夕飯にしましょうか」 ほっとしたようにミーシャが言い、三人は食堂に移動し夕飯を取り始める。 夕飯を取り終えるとテールはすぐに自分の部屋に行ってしまった。ミーシャと二人きりになった ゼフィールは気になっていたことを聞いてみた。 「なぁ、今更なんだが…こんなことして、今頃大騒ぎとかにならないのか?」 「大丈夫ですよ。お嬢様がちゃんと置手紙を置いてこられましたから」 「そんなんで大丈夫なのか?…帰ったら誘拐犯として捕まるなんて無いよな?」 「ふふっ、そんなことありませんよ。そうなっても私が証人になってあげます。 …? どうかしましたか?」 「……ミーシャって、良い子だなぁ…」 久しぶりの普通の女の子との会話に感動するあまり、正直な感想がゼフィールの口からこぼれた。 ゼフィールに他意は無いのだが、それを聞いたミーシャは赤面して一気に捲くし立てた。 「な、何言ってるんですか!? 私なんて地味だし、どんくさいし、ダメダメですよ! それにゼフィールさんにはテールさんがいるじゃないですか!」 そのミーシャの反応に自分まで恥ずかしくなってきたゼフィールは会話を切り上げ、退散することにした。 ミーシャにその旨を伝えるとミーシャも自分の部屋に行くと言い出したので、二人そろって部屋に向かう。 部屋の前でミーシャと別れ自分の部屋に入りベッドに横になると、すぐに今日の疲れが強烈な眠気と なってゼフィールを襲い、三分と経たないうちにゼフィールは深い眠りについた。 ・ ・ ・ 朝、窓越しの日の光で目を覚ましたゼフィールは布団の中に違和感を覚えた。 違和感の正体を探ってみると、背中越しに何か暖かい物体があるせいだと分かった。 暖かい物体を確認しようと体を捻り後ろを向き、布団を捲る。そしてその物体を確認した瞬間、 ゼフィールの動きが止まった。その物体の正体は布団の中で身を丸めていたロベルティーナだった。 その服装は昨日までの豪華なドレスから寝間着に着替えられていたが、紛れも無くロベルティーナ本人 であり、布団を捲られ外気にさらされたことにより更に身を縮めている。ゼフィールは状況が飲み込めず、 布団を捲った体勢のまま固まっている。そのままどれほどの時間が過ぎただろうか、ロベルティーナの 目がゆっくりと開かれ始めた。ゼフィールがヤバイ、と思ったときには既に遅かった。 目を開けたロベルティーナと目が合う。ロベルティーナの焦点が徐々に合っていき… 「………?」 「よ、よう…」 「…?…?…?…!! きゃぁぁぁぁあああああ!!!」 シュッ ゴスン!! 叫び声と共にロベルティーナの拳が飛んでくる。その拳は見事ゼフィールの下顎を捉え、 ゼフィールの意識を再び闇の中に叩き込む。 ・・・数分後、目を覚ました時 ゼフィールはどこから持ってきたのか大きな十字架に逆さ貼り付けに された状態だった。もちろん体の自由は利かない。ゼフィールが自分の状態を確認し終えたところへ、 そのすぐ傍にいたテールがゼフィールが目を覚ましたことに気付いて声をかける。 「あら、気がつきました?」 「…これはどういうことだ?」 「それはこちらの台詞だ!」 着替えを終え、テールの後ろにいたロベルティーナが怒りを露にし詰め寄り、その更に後ろのミーシャは 悲しげに声を出す。 「貴様…この私に夜這いをかけるとはな…覚悟は出来ているんだろうな!!」 「いや、誰がするか!」 「ゼフィールさん…信じていたのに…」 「だからしてないっつ〜に!」 「変なことはしないでって言ったじゃありませんか」 「って言うか、俺の話を聞けい!」 三人の自分を無視した物言いにゼフィールは声を荒げる。 「ここは俺の部屋だっての!」 「つまり自分で部屋に連れ込んだと?」 「んな訳あるか! こいつが部屋を間違えたに決まってるだろ!」 「もう、往生際が悪いですよ」 「だ〜か〜ら〜……」 「あの…ロベルティーナ様?」 「む?…」 言い合うゼフィールとテールの横でロベルティーナは自分の記憶を辿っていた。 ゼフィールに背負われ、ベッドまで来たことはうっすらと覚えている。 そして夜中に一度、ミーシャに案内させてトイレに行ったのだが、その事も覚えている。 しかし、ゼフィールに言われて気がついたが、その後ちゃんと自分の部屋に戻ったかどうか、 そこの記憶が曖昧だった。 「…ミーシャ、私は自分の部屋に入ったか?」 「いえ…言われてみればゼフィールさんの部屋でしたかも…」 「だから俺に責任はないって言ってるだろ!」 「まったく…正直じゃない人にはお仕置きが必要ですかね」 「あの…」 「は!? お仕置きって何だよ、おい!」 「実はこの十字架、回転するように出来てるんですよ」 「おい…」 「それでは…スタート♪」 「ちょ、ちょとま…ぬわぁぁああぁああぁあ!!」 二人はそのことを伝えようとするが、テールはまったく気付かずお仕置きを始めてしまう。 お仕置きが始まってからは更に言い出し辛くなってしまい、結局、事情を説明しゼフィールが 止められたのは数分間は回った後だった。十字架から外されたゼフィールは完全にグロッキー状態 であったが、嘔吐しなかった辺りは流石である。二人はゼフィールの回復を待って謝罪する。 「本当に申し訳ありませんでした…」 「…すまなかったな、許せ」 「二人とも、早とちりはいけませんよ?」 「…お前が言うな〜」 ゼフィールが力無く言うが、テールは「何のことですか?」と言わんばかりに首をかしげている。 「…もういい。んじゃ、そろそろ行くか」 「…良いのか?」 「まぁいつものことだしな。それよりとっとと行こうぜ」 「あ、はい。馬車を準備してきますね」 「それじゃあ、私も仕度をしてきます」 二人はそう言って部屋から出て行き、ゼフィールとロベルティーナが残される。 ゼフィールも旅の支度に取り掛かるが、ロベルティーナは部屋から出て行こうとしない。 ゼフィールは一旦手を止め、話しかける。 「どうした?準備はいいのか?」 「もう済んでいる。…それより、本当にすまなかった」 「気にすんなっての…俺の方も悪かったな」 「…?」 突然ゼフィールに謝られキョトンとするロベルティーナ。 ゼフィールはその表情を見て苦笑しつつ続ける。 「昨日、散々ガキとかチビとか言ったことだよ」 「あぁ、そのことか…そんなこと今日のことに比べれば…」 「ま、お前が気にしてないんならいいんだけどな」 そう言い、作業を再開するゼフィール。 ロベルティーナはゼフィールの後ろ姿を見ながら、昨日のことを思い出していた。 昨日出会ってからは、ほとんど喧嘩腰で会話をしていた。ガキだのチビだの言われたのは頭に来たが、 あそこまで感情を露にしたのは初めてだったかもしれない。その後、眠ってしまった後の記憶は はっきりしていないが、背負われていたときの暖かさと安心感は覚えている。 そしてゼフィールのベッドの中で…と、そこまで考えてロベルティーナは赤面してしまう。 よくよく考えればとんでもないことをしてしまった、とロベルティーナは思う。 赤の他人と一夜を共にするなど、シュトックハウゼン家の者としてあってはならないこと。 しかも男となど…男と…男……そこでまたベッドの中の温もりを思い出し更に顔を赤くする。 ロベルティーナがそんなことをぐるぐると考えている間に、ゼフィールは仕度を済ませ部屋を出て行こう としたが、ぼーっとしたままのロベルティーナに気付き声をかける。 「おい、ロベルティーナ。行くぞ」 「…ん? あ、ああ……む?」 振り返ったロベルティーナだったが、ふと何かに気付いたように小首を傾げる。 「どした?」 「…お前が私の名を呼んだのは初めてではないか?」 「ああ、そういえばそうだな。今までお前≠ニかだったからな。…嫌か?」 「…ベルでよい」 「へ?」 「だからベルでよいと言った! 行くぞ!」 「…あぁ、呼び方ね…っておい、ちょっと待てって!」 顔を赤くしたままそう言って部屋から勢いよく出て行くロベルティーナと慌ててそれに続くゼフィール。 二人が階下に降りると既にテールとミーシャが待っており、ロベルティーナはそのまま馬車に乗り込む。 後を追ってきたゼフィールを二人が不思議そうに見つめる。とりあえずゼフィールが先ほどのやり取りを 話すと、二人はそれだけで何か納得したようだったが、ゼフィールにはよく分からず首を捻っていた。 そんなことを話しているうちに先に乗ったロベルティーナの急かす声がしたため、三人は急ぎ馬車に 乗り込み、シュバルツカップへ向け出発する。その足取りは、心なしか昨日よりも軽く感じられた… あとがき まさか三部構成になるとは思いも寄りませんでした。よってテールの活躍も次回に先延ばしです。 楽しみにしていた人(いるのか?)は申し訳ありません。後編はなるべく早く上げるんで、それまで お待ちください。それでは今度こそ後編で。 |