第4幕「二つの月、二人の姫君」
 
太陽はとうに沈み、空は漆黒の度合いを増していた。雲は殆ど無い。そのた
めか星が一つ、また一つと上天に輝き始めた。
 ティーベンの村落にはいくつかの明りが燈っていた。油を使うランプの明り
は少なく、ほとんどは薪の燃える赤い炎である。
 その薪の組まれた松明の元に、マサキは座っていた。丸太に腰掛け、目をつ
ぶってがっくりとうなだれている。松明に照らされるその表情は心労に満ちて
いた。そしてその後方には彼の青い巨人が各坐していた。
(何で・・・・なんでこんな事に・・・人死が出るなんて)
 後悔の念は消えることは無かった。もっと上手い戦法を考えていれば、無謀
な突進なんてしなければ、5匹目を見逃さなければ・・・・責めるべき点はい
くらでもある。
 不意にマサキはか細い声で自分の名が呼ばれたような気がした。重い頭を持
ち上げると、そこには細身の少年が立っていた。正確には横にいる人に肩を貸
してもらい、かろうじて姿勢を保っている程度である。
 有難うございます、とリュウヒはここまで肩を貸してくれた人に礼を言い、
マサキの隣に座り込んだ。
 しばらくの間、二人ともに黙り込んだままだった。周りでは何人かの人が行
ったり来たりしているが、誰も彼らに声をかけようとはしない。彼らの疲労を
察した村長とあの男が村人たちに命じておいたからだ。
 やがて、リュウヒがゆっくりと口を開けた。
「マサキさん」
「・・・・・なんだ?」
 お互いにうなだれたまま、小さな声しか出ない。
「お疲れ様です」
「なんだよ・・・・それ」
「僕・・・・気絶してしまって・・・おまけに漏らしてしまって・・
マサキさんの足ばかり引っ張って」
 リュウヒのズボンは湿っていた。
「仕方ねえさ・・・俺だってあと一歩で死んでたよ。生きてただけでも上出来
だ」
「死ぬ・・・・・」
ややあって、リュウヒはマサキに問うた。
「人が・・・・死んだそうですね」
「あぁ、お婆さんだ。蟲が家を押し潰して、その巻き添えだ」苦しそうな声で
答えた。
「1人だけですか?」
「・・・・1人だけでも、死人は死人だがな」マサキは吐き捨てるように言っ
た。それは自分への戒めの意味もこめて。
「・・・すみません」だんだんとリュウヒの声が哀しみを帯びる。
「いや、こっちも嫌な言い方したな・・・すまん」
「怪我した人も大勢いるんでしょう?」
 いいや、とマサキは答えた。
「怪我人も少なかったよ。でもな・・・」そこで言葉に詰まる。
少しためらった後、
「俺たちに奏甲の操縦法を教えてくれた人、いただろう。あの人が大怪我して
た」
 戦いの後、マサキが巨人をひざまずかせ、席から降りて近寄った時、その女
性たちにはまだ意識があった。そのそばには男がいた。
あのマサキたちを助けてくれた絶対奏甲の主であった。なぜ分かったかといえ
ば、
彼のすぐ後ろには彼の奏甲が立て膝をついていたからである。暗がりで、顔は
良く見えなかったが、かなり背は高かった。彼は村人たちに指示を与えていた。
大怪我をした2人の女性を何人かが担ぎ上げ、どこかへと運ぶ。
集まった群集の中に、かあさまーと泣き叫ぶ子供の声があった。
おそらくは怪我を負った女性のどちらかの子供なのだろう、マサキは思い、
ますます懺悔の念に駆られた。
「そんな・・・・大丈夫なんですか?」
「詳しいことは知らない・・・あの男の人の指示で、治療のためにどこかに運
ばれたみたいだったから」
「あの男?」リュウヒは首をかしげた。バチバチと松明は燃える。
「あぁ、知らないんだな」
 マサキはリュウヒの気絶後の自分が知る限りのことを話して聞かせた。
2人が蟲に殺されかけたこと。そこに新たな鋼の巨人が現れたこと。
それが自分たち、そしてこの村を助けてくれたこと。
「・・・・・・・そうだったんですか。てっきりマサキさんが奇声蟲を倒した
と思っていました。」
「無理だったよ。途中で剣は折れるし、あの絶叫は響くしでなぁ。」マサキは事
実、戦意を保つことすらできなかったのだ。
「あの声・・・。地獄に音楽があるなら、きっとああいう物なんでしょう。」
「それは言えてる。聞いているともう、途端に逃げ出したくなるんだ」
「あんな化け物がいる世界に・・・・どうして来てしまったんでしょうか、
僕たち・・・」
「そういや、リュウヒもこっちに飛ばされたんだよな?つい最近?」
 はい、とリュウヒは答え彼は手短に自分のいきさつについて話した。
 彼は神奈川県出身であり、塾帰りにこちらの世界に来てしまったという。
例の歌が聞こえ、目が覚めると、そこは別世界だったというくだりはマサキと
ほぼ同じ。不安からあちこち迷走しているうちに夜が来てしまい、
結局一夜明けてから、このテーベン村には朝に奇跡的に通りかかったのだ。
そこで引き合わされた村長の「そなたはこの世界の住人かえ?」という問いに
「いいえ」と答え、英雄として悪の手先と戦うべく伝説の武器を授かった、
というのだから、なんだか古き良きRPGのオープニングのようではある。
 何しろ、リュウヒも相当疲れていたのでかなりかいつまんでの話であった。
マサキもそれを察し、どこかで休むように助言した。
「まだ夜は更けてないけどな。もう今日は休めよ、俺も君もぼろぼろだ。
それじゃあ過労死しちまうぞ。こっちの世界じゃあ労災認定どころか、見舞金
だって出るかどうかも怪しい」
そう言ってマサキは苦笑した。ただ顔が疲労で引きつっただけかもしれない
が。
「見舞金をもらっても、受取人がいませんものね」
そう言って少年は立ち上がり、近くにいた人に寝床はないか聞いた。
その人がいうには、村長の家には賓客用のベッドがあるということだった。
なので、マサキたちはその人の案内に従い、村長の家へと向かった。
(リュウヒはマサキの肩を借りて何とか歩けるような状態である)
 途中ふと何気なく、マサキが空を見上げた。
 お空には当然地球の衛星、月が浮かんでいる。
月が2つ仲良く寄り添うように浮かんでいる・・・・・2つぅ!?マサキは十
分に驚いたつもりだったが、疲労のせいで感嘆の言葉を結べなかった。
ただ上を見上げ、大小2つの月、そしてその周りの星の海に見とれるうち、村
長の屋敷に着いた。
村長の年老いた女使用人に部屋まで案内されたマサキとリュウヒは、
すぐに手渡された寝間着(どう見てもそれは女性用だったが、2人には文句
を言う気力はすでになかった)に着替え、ベッドに倒れこみ3秒で眠りにつ
いた・・・・かと思われたがマサキは違った。
屋敷の窓からはやはり月が、2つ見えた。2つ。マサキはあの怪我をした2
人の女性たちのことを思い出した。腹部に穴があくというその怪我はどう考
えても尋常ではない。なぜそんな怪我をおったのか?奇声蟲の仕業なのか?
かの男(名前を聞くのを忘れた)は「何とかする」といっていたが本当に大
丈夫なのか・・・?疑問は尽きなかったが、それらは強烈な睡魔にだんだん
かき消されていった。
隣のベッドを見れば、リュウヒ少年は早々と眠りに就いていた。
よほど戦闘がこたえたのだろう。マサキも自分ももう寝ることにした。
この世界は分らない事だらけだ。しかしそれは明日になってからリュウヒか
誰かに聞けばいいだけのこと。もう疲れた・・・・


仲の良い姉妹月が大地の後ろへと姿を隠すとき、その反対側からは大きな火
の玉が顔を出した。火の玉は地平を照らしながらゆっくり上天に登り始める。
朝が来たのだ。祝福すべき1日の始まりである。
しかし彼は朝の訪れを呪った。彼が「何とかする」時が来たのだから。
薄暗い倉庫に日の光が差し込み、あぐらをかいて座り込んでいた長身の男は
頭をもたげる。その短い黒髪が朝日に照らされ、緋色の瞳が開かれる。
その顔は褐色に焼けてはいるが、その原色は薄い、
すなわち白人のそれであることが知れる。
年齢は中年と言うにはいささか恰好が良すぎる。30前後であろう。あまり
上等とは言えない茶色の皮のベストのようなものを着込んでいる。
(・・・・いよいよか)
その目はどこか虚ろであり、まぶたには薄っすらと隈。
あまり眠っていないことが知れる。それでも彼にはやらねばならない事があ
る。彼は立ち上がって、倉庫の奥へと足を進めた。
このまま永遠にそこへたどり着かなければ・・・
そんな願いからか、その男の歩みは重い。
しかし彼は倉庫の奥へとたどり着いた。たどり着いてしまった。 
その空間には石の台のようなものが2つ並べられていた。
その台は上から見れば長方形の形をしており、ちょうど朝日が入る位置に置
かれている。そしてそこには2人、女性が横たわっていた。
体に白いシーツをかけられている彼女らの顔からは血の気が失せ、
息も細い。
台座に寝かされた2人を取り囲むように、村長やその村長に話し掛けている
運び屋べークレアも含め何人かの人がその周りに立ち、彼女らに話し掛けて
いる。その言葉の中には、ほとんど嗚咽にしかならないものもあった。
その男が入ってきたとき、女が1人駆け寄った。
昨日、彼にイシュタルと呼ばれていた人である。
「大丈夫?ガヴェイン。あまり眠っていないのではないの?」
「ああ・・・だが支障はない。中途半端に躊躇したりはしない。どのみち成し
遂げるしかないのだから」男は低い声で言った。
「・・・・そう」イシュタルは目を細めて言った。
「あの2人には今は痛みもないわ。薬草で押さえ込んでいるから。さっきもか
なり飲んで貰ったから苦痛もなるべく減らせるはずよ・・・」
そうか、とつぶやき、
 彼は台座の前へと進み出た。そこに横たわる女はまだ若いように見える。
彼女はマサキたちがお世話になった人であった。
「落ち着いて・・・いますね」彼はその女性にこう言った。
「はい、昨日の晩のうちに皆と大体のことは話しましたし、お役目の引継ぎも
終わっていますから。そちらが私の後任のエーファです」声は細かったが、
明瞭な口調であった。元来の気丈さが彼女を支えているのであろうか。
彼女の横には泣きじゃくる女性がいた。
「エーファ、これからはあまり泣いてばかりでは駄目よ。私が推薦したのだか
ら、しっかりと職務を遂行なさいね」
 はい、と涙を流しながら後任の女性は答えた。
「はい、よろしい。・・・・ところで英雄様、あなたのお名前を良ければお聞か
せください」
「私ですか・・・ガヴェイン=クリッチホロウといいます。それがなにか?」
「いえ、特に意味はございません。ですが」
彼女は言った。
「私どもを救ってくださった方の名前ぐらいは知っておきたいと思いまして。
本当に感謝いたします。」
「・・・・・・・それでも、あなたは・・・・」
ガヴェインは言葉に詰まった。それ以上は言えなかった。それでも、あなた
は救われない、あなたは助からない、とは。
私はいいのですよ、と彼女は微笑んだ。何故こんな状況で笑うことができる
のだろうか、ガヴェインはこの女性の芯の強さを感じた。
「それよりも、メイリアが可哀想で・・・私には親も娘もいませんから。
けれど、娘を残していかなければならないなんて」
ガヴェインはもう一つの台座に寝かされている女性の方を見た。メイリア。
村人の1人で、彼女の母と彼女の娘、ラメリアとの3人暮しであった。
ラメリアは台座に寝かされている母と楽しそうに話をしている。メイリアは
娘に笑顔で答え、その隣にはメイリアの母がたたずんでいる。
ガヴェインは思わず眉間にしわを寄せ、目をつぶった。この後に待ち受けて
いるものを幼い娘は知らない。祖母は知っているからこそ親子の会話に口を
はさまなかった。その目には涙がこぼれ落ちそうなのを必死にこらえている。
ガヴェインは来るべき現実を感じ取った。この家族の幸福は、まもなく断絶
される。それも彼自身の手によって。
「別れの時ぞ」
つかの間の後、低い、しゃがれた声が村長の口から放たれた。その言葉を聞
き、メイリアの老母は泣き崩れた。そしてその場にいた人々が横たわる2人
に最後の言葉をかけ、退出し始めた。人々の多くは涙をこぼしていた。
ラメリアと祖母もまた、退出するよう促された。祖母はラメリアの手をひき、
さあ、かあさまにご挨拶してから向こうに行きましょうね、と涙声で孫娘に
言った。
「どうしてー?かあさまとまだ話したいよ、おばあさま」
 ラメリアはそうぐずってその場を動こうとしない。幼い子供なりに、この場
の異変を感じ取っているのかもしれない。
 メイリアは娘に優しい声で話し掛けた。
「いい、ラメリア?私はもうあなたやおばあさまたちとお別れしなくてはいけ
ないのよ。お別れの挨拶、ちゃんとしてくれるわね?」
「おわかれ・・・・?いや、いや!かあさまとおわかれしたくない!どこに行
くの!いっしょに連れてって!」
「駄目なのよ・・・私1人で行かなくちゃならないの」
「いや!いや!いや!」
ラメリアは泣き叫んだ。しかし、祖母は彼女の手を握り、悲しそうに見つめ
るだけ。
「あぁラメリア・・・分かってちょうだい・・・ずうっと、愛しているからね。
あなたもおばあさまと仲良くね」母は涙を流して娘にそう告げ、自分の母にも
別れの言葉をかけた。
 祖母は、自らも泣きながら孫娘の腕を引っ張り、外へと連れ出した。ラメリ
アの泣き声が、長く響いていた。
 後に残ったのは、村長、イシュタル、石台にのせられた2人の女、そして
、ガヴェイン。
 腰の曲がっている村長はマーシレスを見上げた。
「・・・英雄様にこのようなことをお任せするのはまことに不本意ではござい
まするが・・・」
「しかし、これは誰かがやらねばならないことでしょう。・・・・ならば昨日、
申し上げた通り、私が執行します。汚れ役は1人で良い」
「本当に、申し訳のないことですじゃ」
「そんなことはありません」
 男は淡々とした口調で言葉を紡いだ。が、その端々にはわずかに悲しみが感
じ取れた。かの男が必死に押さえ込もうとする悲しみがにじみ出ていた。
「私には・・・決して良いことではないが、私には経験があります。それは昨
夜にも言ったはずです。ですから」
私に行なわせてください。彼はそう言うと、イシュタルのそばへと行き彼女
がたずさえていた剣を受け取った。その剣はもともとは、彼が携行している
物である。特に意匠も無い、ありふれた品である。
「イシュタル、君はもう下がってくれ」彼はそう懇願したが、
「いいえ、ここにいます」
イシュタルは彼の申し出をはねのけた。
「しかし!」
「私がここにいても、支障はないでしょう?」
「あるとも!君が業を背負うことはない!」
「あなたが1人で背負い込めるほど、人の命は軽くはないわ。だからせめてあ
なたを支えられるように、私はここに残ります」
「私なら・・・大丈夫だと先ほども言ったはずだが」
「とてもそんな風には見えないわ。あなたはやさしいもの。・・・とにかく、私
は見届けます」
 ガヴェインはしばらく黙り込み、そして何も言わずにイシュタルのそばから
離れた。彼女の意思に根負けした形である。
彼はその剣を特に装飾のない鞘に収められたままたずさえている。
終局だった。ガヴェインはその最後の一歩に足をかけた。
英雄様、と呼ぶ声。石の台座に寝かされた、女性の1人、あの重役の女性が
呼んでいた。ガヴェインは彼女のそばに寄り、なんでしょうかと尋ねた。
「英雄様、私たちのことはどうかお気になさらないで下さい。蟲に襲われた時、
私どもの命はもはや失われたも同然なのです。ですから、せめて他の村人たち
には危害が及ばぬよう、早く処置を行なってください・・・・」
 そう言って彼女は隣のメイリアの方を見た。メイリアもまた、己の運命を受
け入れ、ゆっくりとうなずいて見せた。
 ガヴェインは村長の方を向いた。村長が首を縦に振り、お願いします、と無
言のままに請願した。
「最後に・・・・何か言いたいことはありませんか」
ガヴェインは静かに、そして厳かに言った。
「そう、ですね・・・メイリア、あなたはどうかしら?私は思いつかないわ」
彼女は隣の女性に訊ねた。
「私?私は・・・もっとあの子と、一緒に居たかったなぁって・・・」
「あの子ならきっといい子になるでしょう・・・優しいおばあさまもついてい
るのだから」
「そうね・・・きっとそう。・・・さあ英雄様。もう私は良いです。あの子が、
ラメリアが幸せになれるように祈りながら、逝きます」
「では、私も。もう話すべきこともございません・・・・・あぁ、鎮痛の薬草
が利いてきたようですわ・・・村長様、今までお世話になりました。英雄様・・・
どうかおねがいします。あまり痛くしないで下さると嬉しいのですが」
 2人はゆっくりと目を閉じた。
朝日が狭い天窓を通して倉庫に入ってくる。
 彼は十字を切った。カトリック式のそれである。
(神よ、私は地獄に堕ちても構いません。その代わり、ここにいる2人の御霊
だけは必ず、幸福のうちに眠らせて下さい。願わくば、この2人に神のご加護
を。安らかな眠りを)
彼は祈りを終え、そして、剣を鞘から抜いた。その時、その長剣は、彼にと
っては鉛塊よりもはるかに重い物のように思えた。

悲鳴は短い。そして、長い静寂が来るのだ。


 彼ら、つまりマサキとリュウヒは運が悪かった、と言えるだろう。何しろ訳
の分からない異世界に身一つで飛ばされ、これまた訳の分からない巨大甲殻生
物と半ば強制的に戦わされ、挙句死にかけたのだ。
 そんな彼らも(表面上は)なんとか元気を取り戻し、今は着替えを済ませて
倉庫の方へと向かっていた。2人とも、昨日自分たちが着ていた服である。
 彼らは朝早くから起きてしまったのだ。というのも、昨日の夜は、日が暮れ
てすぐ後に床に就いたためである。あまりの疲労からか、
夢さえ見ることなく気がつけば一瞬で窓に朝日が差し込んでいたという次第だ。
彼らはまだ眠りたい気持ちもあったが、昨日の事件で集落がどうなったのか、
特にあの2人の女が無事なのかを不安に思った。
そこで朝食もとらずに、村人に話を聞き、倉庫へと足を進めているのである。
その村人の悲しげな表情には2人とも気付きはしなかったが。
「なぁ、何で倉庫なんだろうな」
途中、そう言ったのは、マサキである。
「はい?」リュウヒは質問の意図を解せず、マサキの方を向いて聞き返す。
「だから、何で怪我人を倉庫に運ぶのかってことだよ。普通、診療所とかある
だろう?」
「それは・・・この村には診療所がなくて、倉庫を代用に使っているんじゃあ
ないでしょうか」
「そうか、そうだよな。たぶんそうだろう」
マサキは何度もうなずいたが、その心中では決してその答えに満足していた
わけではない。マサキの考えはもっと別の、より悪い方に位置するものだ。
しかし、それを言い出すのはあまりに不謹慎だと思った。この少年は彼女ら
の無事を信じているだろうから。しかし、自分はそうではないのだ、
倉庫は死体の安置所ということではないのかと思うのだ。声に出せばそれが
現実になってしまうかも知れないという思いから、けして口には出すまい、
と彼は思った。
「大丈夫だ。生きているよ、絶対に」
マサキは空を見上げた。昨日と同じように、蒼穹の空と、浮揚している雲の群
れがあるばかり。太陽はまだ低く、ありったけの眩しさを地上に送っている。
こんな陽気な日に、どんな不幸があると言うのか?いや、ありはしない。
ありはしないはずだ。
 やがて倉庫が見えてくると、外には村人たちが集まっているようであった。
遠目は個々の様子はよく分からないが、その雰囲気は良いものとは言えない。
「マサキさん、あれはどうしたんでしょうか?何かあったんでしょうか?」
「・・・俺には良くわからない。もしかしたらみんなで見舞いに来ていたのか
も知れないな。多分そうだよ。うんうん」
 マサキはわざとらしくうなずいた。少しでも明るいことを言おう。そうしな
ければ、どんどん絶望的な考えだけに支配されていきそうなのだから。
 しかしながら、二人はそこに近づくにつれ、無言になっていった。泣いてい
る人。何かに祈りを捧げている人。沈黙したままうなだれている人。その理由
は明らかだった。もはやマサキにもリュウヒにも、楽観的な考えは何一つ浮か
んでこない。
 倉庫の前まで来たとき、マサキには、村人たちの視線が自分たちに突き刺さ
るように感じた。村の防衛を任されておきながら、実際はほとんど役に立たな
かったことを、無言のうちに責められているような感覚にとらわれた。それは
リュウヒにも同じだっただろう。実際は村人たちにそんな気持ちがなかったと
しても、彼らの心には昨夜の、ひどく打ちのめされた感覚が舞い戻ってきてい
た。
 マサキはそこにいる人の誰かに、何があったかを聞こうとはしなかった。す
でに、そのことは自明であるように思えたのだ。結局、2人とも助からなかっ
たということなのだろう、と思い誰にも声をかけずに、リュウヒに身振りで促
し、倉庫の中に入っていった。せめて弔いを、と考えていた。
 中に入った2人が聞いたのは、紛れも無く悲鳴だった。それは短く、甲高い
女の悲鳴である。リュウヒは思わず耳を塞ぐ。
(!?)
 彼らは悲鳴のした方、倉庫の奥へと進んだ。今の悲鳴はなんだったのか、そ
れを知るためには進まなければならなかった。予想外の出来事に彼らの心の臓
は激しく鼓動を打つ。荷物や空き箱で入り組んだようになっている倉庫の奥に
進むのに、大して時間はかからなかった。そして、彼らは見た。
 赤、赤色。台から落ちる赤色の流れを。あるところは黒く濁り、あるところ
は鮮やかなその色は、人の体から留めなく湧き出ている、血の赤。
 マサキたちの視線は動かなかった。ただ一方向のみを凝視する。そこには女
の人が2人、横たわっていた。真横に切り裂かれた体からは血が滴り落ち、命
は絶えていた。凄惨な死が彼女らに最後に与えられたものだった。
「あ・・・・あ・あ」
リュウヒの口が言葉を紡ぐことは出来なかった。血の匂いがむせ返り、目を
開いているだけで倒れそうだった。
「・・・・君達は」
 そう低い声で言ったのは、マサキたちの前、石の台座の横にいる男だった。
ガヴェイン=クリッチホロウという名の白人。いまだ彼の名をマサキとリュウヒ
は知らないが。
 彼の顔、ベストやズボンに至るまでが赤く染まっているのが知れた。そして、
その腕には、刀身が床一面と同じ色の剣が握られている。彼はマサキたちのほ
うを見ているはずなのだが、その焦点は虚空をさまよっている。
「・・・・あまり、見ない方がいい・・・イシュタル、彼らを連れ出してやっ
てくれないか。これは、あまりに酷だ」
「何が酷なんですか」突然のその反論はリュウヒの声だった。
マサキは驚いて、自分の隣にいる少年のほうを向いた。ひどく怯えているよ
うにも見え、また敵意をあらわにしているようにも取れるその表情は、ガヴ
ェインに向けられている。
「自分でこんなことをしておいて、一体何が酷だって言うんですか!?人殺し
なのに!」
 リュウヒは半ば涙声で叫んだ。事実目には涙が浮かんでいて、今にもこぼれ
そうだ。しかし、その目は自分よりもはるかに長身の男を睨んだままである。
「あなたが、殺したんでしょう?」
「・・・・・・・・ああ」低く、そして小さな声だった。
「何で、何で殺したんですか。どうして!?」
あまりにも若い、2人の女の死。
ガヴェインはリュウヒから視線をそらそうともせずに向かい合っていた。そ
して、
「仕方が、無かった」一言、言った。
 リュウヒの顔がさらに高潮した。そして目の前の男をひどい、ヒドイと怒り
にかまけてののしった。
「あなたはそんなに簡単に人の命を奪えるんですか・・・そうやって涼しい顔
で何人も殺せるんですか!?」
(涼しい顔・・・?)
 マサキはガヴェインの表情を見た。異国の人間の表情を読み解くのは難しか
ったが、マサキには彼が苦しんでいるように見えた。見えただけかもしれない
が、マサキは、昨日自分たちを助けてくれた男がそんな人物だとは思いたくは
なかっただけかもしれないが。
 リュウヒの罵声はまだ続いていた。村長やイシュタルが止めようとするが聞
く様子がない。
「英雄なんて言って、村を救ったなんて言って、それで人殺しをするなんてど
ういうつもりなんですか!?」
「リュウヒ、いいかげんにちょっと落ち着け!この人の言い分もあるだ・・・」
「黙っていてください!あなたまでこの人をかばうんですか!この人が何をし
たのか、分かっているでしょう!?」
マサキがリュウヒの体を捕まえて落ち着かせようとするが、いっこうに言うこ
とを聞かない。
「離してください!」の一点張りである。・・・気が動転しているのだ。
 マサキはちらりと台座の方を見る、惨たらしい死体がそこに寝かされている。
今まで、マサキが見たどの人の死とも違う、生々しいものだ。
マサキは祖母の葬式の光景を思い出した。棺桶の中の祖母の遺体は冷たく、
その表情は安らかだったことを覚えている。あれは死、そのものではなかっ
た。少なくとも、マサキはその光景に恐怖を覚えはしなかった。棺桶の中の
祖母と、自分とはあまりにかけ離れた存在のように思えたのは、生と死が実
感できなかったからだ。葬式という儀式が、棺桶と言う隔壁が、死という忌ま
わしい末路を感じさせないようにしていた。
リュウヒもまた、そうだったのだろう。人の死など、葬式かテレビかでしか
体験したことはなく、自分にとっては宇宙より遠い概念だったろう。人の死を
哀れむことはあっても、それに直面したことはなかった。いつも何かに覆い隠
されていたそれを見ることは、彼を動転させる十分な理由だった。そして、彼
の元来の正義感や道義に結びつき、彼を怒りに駆り立てたのも、死の恐怖だっ
たのだろう。彼の憤怒はガヴェインに向けられてはいるが、その根元にあるの
は人の死に対する言い知れぬ動揺である。リュウヒにとって、ガヴェインは今
や死の象徴でしかなかった。
マサキはそんなリュウヒの混乱を何とか止めようとするものの、言葉はすで
にリュウヒの心には全く響かない。
「分かった!お前の言いたいことは良く分かったから、少し落ち着いて、とり
あえず外に出た方が良いって!」
「この人が殺したんです!ひどい、ひどい!なんでこんなこと・・・」
 同じような言葉をわめき散らすのみである。
 そんな中、ガヴェインはマサキたちに歩み寄った。思わず2人とも警戒して
後ずさりする。ガヴェインはすでに剣を壁に立てかけ、両手に何も持っていな
い。しかし、全身に塗りたくられた血糊からでる死臭が、彼の周りの空気を覆
っている。その威圧感から、リュウヒも押し黙る。
 彼は口を開いた。
「私を憎みたいのなら、幾らでもそうしてくれて構わない。私は確かに彼女ら
を殺し、その命、人生を奪ったのから。」
 だが、と彼は続けた。
「君達に彼女らの死をいたわる気持ちがあるなら、せめてこの場では静かに、
彼女らの冥福を祈ってはくれないだろうか?それが無理ならば、この場から私
と一緒に出よう。怒りの言葉ならば、外でも言えるだろう?ここに残っていて
は、君達も心を痛めるだけだと、私は思う。・・・私が言いたいのはそれだけだ
が、聞いてもらえるとありがたい」
 真摯そのものの表情で彼がそう言い終えると、彼の後ろにいた女性、イシュ
タルがマサキたちに近寄った。彼女はリュウヒの肩に手を乗せると、さあ行き
ましょう、と静かに一言言った。リュウヒは突然に気勢をそがれたのか黙りこ
くったままであり、そして、それ以上何も言わずに2人を倉庫の外へと誘導し
た。マサキはその時まで、その人の顔をよく見ていなかったが、長い栗色の髪
をした麗人(れいじん)であることに驚いた。ハリウッドの映画女優にも劣ら
ない、とは後のマサキ自身の見解である。
 マサキたちがそこから離れた後、倉庫の奥に残ったのはガヴェインと、この
村の村長の2人だけであった。
「ほんに、有難うございました。私らは英雄様にこんな苦役を押し付けてしま
いまして・・・」
「いいえ。それよりも、この方々の遺体はどうするのです?」
 ガヴェインは2人の亡骸の方を向く。
「そこまで英雄様に任せるわけには参りませぬ。後の葬儀と埋葬はわたしらど
もが行ないますに、どうかあなた様はお休みくださいませ。ずいぶん気を重く
していらっしゃる」
 ガヴェインはしばらく考えた後、村長の言うとおり、後の処置は任せること
にした。葬儀となれば、この土地の風習を知らない自分は役に立たないだろう
し、なにより先ほど出て行った少年たちが気になる、と思ったからだ。
「あぁ、英雄様」
ガヴェインがそこから離れようとしたとき、村長が何か言い忘れていたことを
言おうとした。
「何ですか?」
「英雄様、倉庫を出たところの右に井戸と厩(うまや)がございますじゃ。
そこでお体を流されませ。人を呼んでお召し物も用意させておきまする」
「あぁ、分かりました」
 ガヴェインは改めて自分の服を見た。鮮やかな動脈の血と濁った静脈の血が
染み込み、足下まで汚している。顔をなでてみるとべとついた感触が手に残る。
なるほどこれで村を歩き回るわけには行かない。まずは血の汚れを落とさなけ
ればいけないだろう。
(罪は決して落ちはしないがな・・・)
彼はそう自嘲した。


「少しは落ち着いたかしら?」
イシュタルはリュウヒに問いかけた。彼らがいるのは村長の屋敷、その中の客
間である。客間と言ってもそれほど大きくは無く、真ん中にテーブルを置き、
椅子を6〜7脚並べている程度の広さだ。内装も質素で、テーブルや棚に並ん
だ調度品もほとんどが安価な製品だが、マサキやリュウヒには全く分からない。
使用人は出払っているらしく、客間は彼らだけである。
「ええと、あの・・・・」
「まず、お茶でも入れようかしら。そちらのあなた・・・ええと、未だ2人と
も名前を聞いていなかったわね。まず名前を教えて頂戴」
イシュタルは慣れた手つきで陶器の急須(きゅうす)に、あらかじめ村人が沸
かし
てあったお湯を注ぎながら、マサキのほうに今度は声をかけた。
「あ、お、俺、いや私ですか?自分の名前は、ええと、マサキといいます」
突然の質問に驚きながらも、わざわざ「自分」なんて言葉を使う所に、男の
見
栄と下心が見え隠れしている。何しろ目の前でお茶を仕立ててくれているの
は美女、という言葉が憎い位に似合う女性である。
「ふぅん。そう、マサキね。分かったわ。・・・・あら、いい茶葉ね。ここの名
産品かしら」イシュタルは微笑を浮かべながら、ポッドにお茶の葉を加えて蒸
らす。
「それじゃあ、そっちの君は?」
「・・・僕は、リュウヒといいます・・・」
 そう言った声はえらく陰気であった。さきほどまでの怒りが、つつけば爆発
する休火山のごとくに内側でくすぶっているのである。それを察したマサキは
なるべくリュウヒ少年の方を見ないようにしている。かといって痛々しい沈黙
をするのはご免なので、テーブルの向こうの女性と当り障りの無い会話でもし
て、彼の熱が覚めるのを待ったほうがいいと判断した。
「あの、あなたの名前をまだ聞いていないんですが」
「あら?そういえばそうだったわね。昨日も彼の後に村に到着して、すぐ仮眠
を取ったから、あなたたちと話す暇がなかったのよね。私の名前はイシュタル。
ヴァッサマインのフラッカ出身の歌姫よ」
「ヴぁ、ヴぁさまいん?」
またもや固有名詞の登場である。出身といっていたからおそらくは国か地方
の名前なのだろうが・・・とりあえず彼女の名前はわかった。
「すみません、俺もこのリュウヒもこの世界に飛ばされて、から2,3日も経
っていないんです。だからこの世界の仕組みとか地名とかは全然知らなくって。
『ヴぁさまいん』とか言われても何のことだかさっぱ
り・・・」
 イシュタルがポットからカップに人数分お茶を注ぎ、椅子に座ると、部屋中
にかぐわしい芳香が漂った。確かに良質の茶葉らしい。
「あぁ、そうだったの、それは大変だったでしょう?ガヴェインも最初にこっ
ちに来た時は気が狂ったのかと思ったって、言っていたわ。あなたたちがもと
いた世界とこちらではずいぶん違うのでしょう?」
「ええ、それはもう大いに違います。なんたってあんな怪物が・・・」
そこまで言って、マサキは話題がマズイ方向に進んでいるのに気づいた。
隣のリュウヒをちらりと見たが、傍目には特に変化は見られない。かといっ
てこのまま進めれば、いずれ犠牲者の話にまで及んでしまうことは分かりき
っている。わざわざ、剥き出しになっている地雷を踏みに行くようなものだ。
(わ、話題を切り替えるか・・・!)
しかし、マサキが別の話題を切り出すよりも早く、地雷は踏まれてしまった。
「奇声蟲、ね。本当に恐ろしいものね・・・あれは。私たちがもっと早くにこ
の村に着いていれば、村の人は皆助けられたかもしれないわ・・・けれど、間
に合わなかった。もしも間に合っていれば、ガヴェインもあんなことをしなく
てすんだのに。・・・こんな事を言っても仕方のないことだけれど」
 リュウヒが口を開いた。
「ガヴェインってさっきの男の人の名前ですか」
「ええ、そうよ。・・・リュウヒ、あなた、彼を憎んでいるのね」
部屋の空気がさっと冷えた。こうなってしまったらマサキは押し黙るしかな
い。
「この世界では、殺人も無罪なんですか」
「いいえ。人を殺すことは許されざる行為よ。ましてや、何の罪もない人を殺
めることは死罪にも値するわね」
「なら、そのガヴェインさんを何で誰も止めないんですか!?あの人を捕まえ
ようともしていなかった!」
「あれは、言い方は悪いかもしれないけれど、本当に、仕方の無いことなのよ。
ああするしか他に道は無かったから、ガヴェインは彼女たちを切ったの」
「仕方が無い!?それはどういう事なんですか!あの人たちが蟲に攻撃されて
怪我をしていたのは知っています。だからって治療もせずに切り殺すなんて!」
「治療方法は無いの。今分かっている限りでは」
「だったらせめて延命ぐらい!」
「そうして蟲の仔を産み落とすまで生き延びろと言うの?」
「な・・・・・」
 リュウヒは絶句した。マサキもまたティーカップをつかもうとしていた手を
止め、テーブルの反対側にいる女を見た。イシュタルはもう笑っていなかった。
「む、蟲を生むって、どうゆうことですか・・・」
そう聞いたのはマサキである。
「まだ知らなかったのね、それならあなたたちが戸惑うのも無理は無いことな
のかもしれない・・・奇声蟲は人を捕獲して、そのお腹に自らの卵を植え付け
るのよ。あなたたちも見たと思うけれど、犠牲者たちの腹部に大きな傷があっ
たでしょう」
マサキは身の毛もよだつような思いとともに、イシュタルの言葉を黙って聞
いた。キセイチュウ、なるほど、それは二つの意味を持っていたのだ。「奇声
蟲」と「寄生虫」という。
「そうして、卵を植え付けられたまま丸1日が経つと、お腹を食い破って、蟲
の仔が這い出でくるのよ。当然、犠牲になった人はそこでおしまい。身を裂か
れる苦しみの中で死ぬことになるの。それを防ぐ手立てはただ一つしかない」
「蟲が体内にいる間に、その苗床ごと始末するっていうことか・・・」
 マサキは戦慄した。
「そうよ、マサキ」
でも、といったのはリュウヒである。
「お腹の中の蟲だけを取り出して殺すことは出来ないんですか?そうすれ
ば・・・」
「残念だけれど、それは無理なのよ。試みた例もあるのだけれど、どれも失敗
しているという話よ。蟲の卵が私たちの体の中で根を張るようにへばり付いて、
取ろうとすれば中の臓物まで傷つけてしまうの。それではとても助けられな
い・・・」
「そんな・・・・酷すぎます・・」
リュウヒは目を閉じ、うなだれていた。マサキもまた、沈んだ気持ちがその
まま表情に表れ、テーブルにひじをついたまま黙っていた。
 しばらくの沈黙の後、リュウヒがぽつりと言った。
「・・・・僕らのせいだったんですね。あの人たちが死んだのは」
 もっと上手く戦えていれば。
「そんなことはないわ。絶対奏甲があんなに傷ついても、あなたたちは良く持
ちこたえたもの。おかげでガヴェインが間に合ったのよ」
「でも、死んだ人もいます。あの人たちを助けられなかったのは事実です。そ
れを・・・それを僕は、ガヴェインさんのせいにして、本当は自分のせいなの
に、全部あの人に押し付けて、勝手に憎んで、勝手に酷いことを言って、それ
は全部僕のせいなのに!」
「君のせいじゃあないよ。元はといえば、俺が突撃なんて大馬鹿なことやら無
きゃよかったんだから・・・・そんなに自分を責めるなよ。な?」
「そう、あなたは何も悪いことはしていないわ。あなたは初めての戦いで、必
死になって村を護ろうとしたのでしょう?恐ろしい怪物を前にして、決して逃
げなかった。それだけでも十分なのよ。結果は不幸なことになってしまったけ
れど、それどもあなたたちは村を護ったの。これは誇れることではなくって?」
「でも、僕はガヴェインさんに酷いことをいってしまいました・・・」
涙声のリュウヒにマサキは言った。
「酷いと思うなら、謝ったら良いじゃねえか。その誠意があるなら謝れる
よ。・・・俺も謝りたいし、な」
「謝って、許してくれるでしょうか?」
「許す許さないより、まず謝るか謝らないか決めた方が良いと思うけどな。案
ずるより、生むが易し。昔の人は良いこと言うね」
「そういうものなんですか?」
「許されないなら、謝らなくてもいいのか?」
「そう・・・・ですね。ガヴェインさんに謝らないといけませんよね。それに・・・」
「それに?」
マサキが聞き返した。
「あの2人の女の人と、それにお婆さん。あの人たちにも・・・」
「・・・そうだな.じゃあ、今すぐ行くか」
2人がさっそくそれらを実行に移そうとしたとき、
「まぁまぁ、とりあえず私の入れたお茶を飲んでから、席を立ってくれると嬉
しいのだけど。2人とも忘れちゃっているのかしら?」
イシュタルが微笑みながらそう言うと、二人は慌ててそれを頂いた。
 すっかりぬるくなったお茶は、それでも芳香とほのかな苦味で2人の心の痛
みを和らげた。


所は変わって。
 荷台から積荷を下ろす作業はなかなか重労働である。
恰幅の良い女性二人が積荷の絨毯(じゅうたん)のロールをえいやと持ち上
げる。絨毯といってもその大きさは日本の貧弱なカーペットの比ではない。
 作業が進むその隣で、木箱を椅子代わりにして、少女が一人、足をぶらぶら
させていた。
(いるんだね)
彼女は見ている方角には岩山がある。この集落の辺りも岩肌の目立つ荒野で
ある。荒野の中に、行商人たちが中継地として使い、発展したのがこの集落な
のである。当然のごとく、通りを行き交うのは主に荷馬車で、その多くがキャ
ラバン(隊商)を組んでいる。
彼女もそんな行商人の1人らしく、砂埃(すなぼこり)を防ぐマントを着込
み、砂の入りにくい、紐で閉じる皮のブーツをはいている。
(私の、宿縁の人)
マントについたフードをかぶり、降注ぐ日光を避けながらも、彼女が見るの
はただ一点である。彼女の目は岩山を見ていたが、その網膜に映る岩肌は大
した意味を持たない。
フードの下の赤い髪、そしてまだ幼さの残る表情は確かに何かを感じ取って
いた。そして、彼女自身もそれを理解していた。
(どーんな人かな?)
少女が南東の方角を意識しだしたのは、わずか数日前のこと。
それはほんの小さな兆候だったが、彼女の感性はそれを捉え、以来こうして
その方角を眺めることが多くなった。
(こっちから会いに行ってあげようかなー?)
そんな物思いに更ける彼女の心は、ふいに水を差された。
「ジルー、今すぐ来てー!帳簿の整理するの、手伝ってちょうだい!」
後ろのテントから聞こえたそれは彼女の母の声。
「ええー!?」
 あからさまな不満を漏らしたが、母は意に介さない。
「えー、じゃないの。何してるの、ジル、早く来て!」
 しぶしぶ彼女は木箱から降り、テントへ向かった。少女は母にもその兆候の
ことを話した。彼女の母いわく、「待っていれば、あっちの方から勝手に来る」
のだそうだ。彼女はこれについて半信半疑である。しかし、母の言うことにも
いちいち逆らえはしない。
今まで彼女が見ていた方角のはるか彼方では、とある村で男が2人、ぬるい
お茶を飲んでいたのだが、彼女にはそれを知るすべは無い。
(はぁー、いるんなら早く迎えに来てよー・・・・出来れば今すぐ)
その少女、ジルファはそう懇願した。
            姫君が、1人。


所は変わって。
緑覆う牧場の一軒家。
「・・・・それで、次の十日市に買出しに行こうと思っているのよ。だからあ
なたも一緒に来て、荷物を持って欲しいわけなの」
 いいでしょう?と目の前の女性はテーブル越しに同意(ある程度強制意的な)
を求めてきた。
 それに対して、彼女はさらりと答えた。
「別に用事もありませんし、構いませんよ、おばさま」
「それは良かったわぁ。じゃあお願いね。・・・・あぁ、それから欲しいものが
あったら言って。寄ってあげるわ」
「・・・・特に、何もありません。お気持ちだけ受け取っておきます」
「本当に、何も無いの?」
はい、と、にべも無い返事をしてから席を立ち、自室へと戻っていった。
 おばさま、と呼ばれた方の女性はお茶をすすり、少しだけ苦い表情になった。
(・・・・あの子もここに来てもう1年になるっていうのに、まだ私に馴染ん
でくれないのかしらねぇ。もう少し愛想良くしてくれたっていいのに、あんな
に他人行儀で、何が不満なのかしら・・・?)
そんなおばさまの当惑をよそに、彼女は自室の木戸をばたんと閉じ、それか
らベッドに腰を下ろした。
(・・・欲しいもの、か)
 彼女には本当に欲しいものがあった。しかしそれを思うたび、彼女は眉間に
しわを寄せ、ひどく悩んだ表情になった。
(・・・そんなもの無い、そんなもの何も無い)
 そうやって思いを打ち消すたび、彼女自身もまた傷ついていたが、これは、
どうしようにも無かった。いつも何度も何度も自問し、否定することは留めよ
うが無かった。
 そんな彼女の苦悶をさえぎったのは、ほんの少しだけ暖かな感触だった。そ
れは一瞬の出来事ではあったが、今まで五感で感じたことの無い感覚であった。
次の瞬間にはもうその感覚は無かったが、彼女はふと惹き付けられるように首
を右に動かした。見えるのは自室の壁だけである。そんな残響も、すぐに消え
てしまった。
(今のは・・・・何?)
その答えはやはり無かった。
今まで彼女が見ていた方角のはるか彼方では、とある村で男が2人、ぬるい
お茶を飲んでいたのだが、彼女にはそれを知るすべは無い。
(・・・疲れているのかもしれない)
 そう結論付け、彼女はベッドに横になった。
彼女の、アルメイアの金色の髪が、静かにゆれた。
           姫君が、2人。


あれこれあとがき:お久しぶりです。この話を書くのに時間が掛かったわけで
はなく、学業(そんな崇高なものか?)に忙しかったのです。
さて、今回は暗い話です。ストーリー上、書かなければいけないとは思うので
すが、書いててかなり鬱になりました。
全体のコンセプトとして、「明るい冒険活劇にシリアス少々」
ぐらいに考えていますが、これからどうなるかは神のみぞ知る、というところ
です。
今回はこれくらいで、ではまた。

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