第5幕「世の理(よのことわり)」

 血糊で汚れた体を洗い流し、用意された服に着替え終えるのに
は大して時間は掛からなかった。
 厩の横の井戸を借りて、長身の白人、ガヴェインは着替えを済ませた。血の付いた服も洗い、
水を絞ってある。なお、着替えたのはもともと彼が荷馬車に積み込んでいたもので、
外見はほとんど変わっていない。
「着替えました」
 彼がそう言うと、厩の陰から女中らしい女が出てきた。
「そうでございますか。あと、そちらの服の方は干しておいた方がよろしゅう
ございますか?」
彼女は、彼が持っている血が付いていた服をかるく指差した。
「あぁ、出来ればお願いします」
「わかりました。それにしても、水浴びの方もお手伝いさせて頂きましたの
に・・・」
「いや、そこまでして貰わなくとも結構です」
彼はあらかじめ誠意をもって断っていた。もっとも、断った理由は他に
もあるのだが・・・・。
 ところで、とガヴェインは切り出した。
「奇声蟲の犠牲になった人たちの、葬儀は行なわないのですか?」
「あぁ、それならばもう始まっております。向こうを見てください」
彼女の指した方向には、たしかに人々が集まってきている。
特に変わった服装のものは見られないことから、
儀礼服という物がないのだろう。ただ、それらの表情ということになると、
彼がもといた世界の葬儀同様、一様に沈んでいた。
「私も葬列に加えさせてもらってもよろしいですか?」
 ガヴェインがその女中に問うと、もちろんです、という特に感情のない答えが返ってきた。
なので、彼も集まっている人々の下へと足を進めた。
「ガヴェイン、着替えは終わったのね」
 聞きなれた声が後ろから彼の耳へと届いた。振り返れば奴がいる・・・
もとい、振り返れば当然イシュタルがいた。それに、彼女の横には少年が2人。無論、マサキとリュウヒである。
「あぁ、すっきりさせてもらった」
「それで、気分の方は?」
「・・・さすがにそこまでは。まだ手の感触が抜け切らない。いずれにせよ、これは一生付いて回るだろうな。」
「そんなに気負いしないで。ところで、剣は?」
「・・・あれは倉庫に置いてきた。処分しようと思ったが、どうだろうか?」
その方が良いかも知れないわね、とイシュタルは言い、振り返って後ろの2人のほうを向いた。
「そういえば貴方たち、何かガヴェインに言うことが、あったんじゃなかったかしら?」
とそそのかす。
「私に言いたいこと?」
ガヴェインはマサキたちに近寄り、視線を落とした。というのも、
彼、ガヴェインの身長がマサキよりも頭1つ分以上大きいのである。
マサキたちは斜め上から見下ろされ、思わず後ずさりそうになった。マサキはその時ふと、
長身の親友のことを思い出した。彼は一体どうしたろうか?それは今は分かりそうも無い。
 それよりも今は目の前の男に謝るのが先だった。しかし、いざこうして対面してみると、
この男に威圧感を感じてしまうのだった。リュウヒも同様で、表情まで固まっている。
その理由は、背の高さもあったが、その赤い瞳や高い鼻といった、異国人らしい特徴が挙げられる。
日本人の性なのか、目つきの悪い(あくまで主観)ガイジンさんには身構えてしまうのである。
倉庫では暗い上にあんな惨状であったためにそれにあまり注意が行かなかったのである。
 しかし、言い出しっぺはマサキである。
「あ・・・あの〜」
「何か?」
 ガヴェインの態度はあくまで柔和だったが、マサキはまだ怖い。
「・・・さっきはすみませんでした」
「さっき、と言うと?」
「あれですよ、俺とこのリュウヒ、あぁ、俺の名前はマサキって言うんですけど」
「そうか、マサキ君。私の名前はガヴェインという。もうイシュタルから聞いているかも知れないが」
 彼がイシュタルの方を向くと、彼女は「もう話したわ」という感じで小さく頷いた。
「それで、話を戻してもらえるかい?『さっき』の話の続きを」
「俺とリュウヒが倉庫に入っていったでしょう。その時の事です。
俺もリュウヒも取り乱しちゃって、何も知らないでガヴェインさんの事を散散責めたでしょう」
 隣にいたリュウヒが、違いますとがぶりを振った。
「あの時、マサキさんは僕を止めようとしていたじゃないですか。
奇声蟲を止められなかったのは僕ら。あの人たちを救えなかったのも僕ら。
それにも構わず1人でパニクっていたのは僕だけです。・・・本当にすみませんでした!」
「リュウヒ・・・」
「僕は弱かったんです。蟲の叫び声にも怯えて、まともに戦えもしなかった。
それの責任を全部あなたに押し付けて、逃げていただけだったんです」
ガヴェインはしばらく押し黙った。前に立っている2人は、何を言われるかと思うと戦々恐々であった。
しばらくの後、彼はふと口を開いて、
「自分をあまり責めてはいけない」そう言った。
「え・・・?」
 意外な言葉に、思わず聞き返すリュウヒ。それに対し、長身の男は諭すように言葉を紡ぐ。
「私は、君に罵られたことには全く腹を立ててはいない。あの状況では、
君のような優しそうな少年ならばそれが正常な反応だろう。人道を失わないこと、
それはとても大事なことだ。そして、私が君に自分を責めないようにと言ったのは、
君が自分自身を憎むことになるからだ」
「自分自身を憎み続けると、やがてそれが足枷になる。その枷は確実に君を傷つけ、君の歩調を崩すだろう。
君はこの世界に呼び出され、そしてあの蟲どもと戦わなければならなくなった。
その時になって、君自身が自分の大きすぎる負荷に引きずられていては、まず生き延びられない。
後悔を止めろというのではないよ。後悔から学ぶこともきっとあるだろう。
しかし、後悔だけでは、君自分はおろか他の人も巻き添えにして死ぬだけだ」
「割り切れって言うんですか?」
「そうではない。ただ、君、そしてマサキ君は良くやったということを自覚してもいいと、私は思う。
結果はけっして最高ではなかったが、それでも、君らがあの場にいなければ、それ以上の惨劇がもたらされたはずだ。
村は壊滅し、多くの人が・・・いや、これ以上は言わなくてもいいだろう。
とにかく、犠牲になった人がいる一方で、救われた人がいるということも確かな結果だ。
だから君らには、物事を悪い方にばかり見ないで欲しい。それが、私の願いだ」
 最後まで語勢を荒げることなく喋り終え、ふう、とガヴェインは一息ついた。
「・・・ガヴェインさんの言ったことは良く分かりました。
本当に、なんと言えばいいのか分からないんですが」
 そう言ったリュウヒの声も和らいでいた。
マサキのほうもこのガヴェインという男の人となりが少し分かった気がして安堵した。
「話は歩きながらでしよう。そろそろ、葬儀が始まるようだ。
我々も呼ばれているようだし、向こうへ急いだ方が良いな」
そうして、彼らは村人の集まる広場の方へと足を進め、
途中ガヴェインは隣のイシュタルの方を向き返った。
「今のは少々説教じみていたな」
「そうね。私がさっき彼らに言ったことも混ざっていたしね・・・
もしかして盗み聞きしていたの?」
「それは無い。私は先ほどまで体を拭いていたからな。
しかし、自分で言い切ったこととはいえ、
この少年たちを戦いに巻き込むのは気が進まない」
「もうとっくに巻き込まれてますよ」
右にいるマサキが横槍を突っ込んだ。
「やっぱり、どうしてもあの怪物と戦わなければいけないんでしょうか?
あれで最後、ということは無いんですか?」
「残念ながら。奇声蟲はまだ出現するということだ。それも大量にな」
 それを聞き、マサキとリュウヒはまた暗い顔になった。せっかく開けた展望が、再び閉じた。
「それも問題なんですけど、俺たちにとってはほかにも色々疑問があるんです。
ホント、この世界の理(ことわり)を全く理解して無くて」
「それはそうだろう。まあ、それは私とイシュタルが説明しよう
・・・いや、そろそろ我々も黙った方が良いな。
説明はまた後ほどということにしてくれ」


 広場の真ん中に近づくにつれ、人は多くなっていった。
しかし、それに反して活気は次第に薄れていくようだった。
人々は嘆きの中に包まれ、すすり泣く声や祈りの言葉を唱える声が大半だった。
太陽はこんなにも輝いているのに、その広場にだけ何かの影が落ちているようにも感じられた。
 葬儀そのものは質素なものだった。
広場に置かれた、遺体が眠る木の棺桶を幾人かが担ぎ、
参列者とともに静かに運んでゆく。その先の丘には、村の共同墓所があった。
この村で眠る多くの先達たちとともに、彼女らそこに埋葬された。
大きな木が一本生えるその丘に、その日、3本の新しい架が立った。
 マサキたちは花を手向けた。
この地方にはそんな風習は無かったが、村長が特別に許可してくれたのだ。
 母親を無くし、泣いている子がいた。
その子は何故母がもう目を開かないのか分からずに、ただただ祖母にすがり泣いていた。
 これが結果だった。生存も、後悔も、良い事も、悪い事もすべて結果でしかないのだ。
ならば頑張るしかあるまい。
マサキとリュウヒは自覚こそすれ、まだ覚悟は出来ていない。
あるいはその覚悟はこれから育ってゆくのかもしれない。
 葬儀から戻り、マサキがまわりを見渡すと、さっきまで隣にいたはずのリュウヒやイシュタルがいない。
「あの、ガヴェインさん。リュウヒやイシュタルさんはどこに行ったか知ってます?お2人の姿が見えないんですが」
「イシュタルならば、先ほどリュウヒ君をつれていった。色々と片付けなければならん用事があるらしい」
「何でリュウヒを連れて行ったんです?」
「彼のほうが君より小さくて扱いやすそうだから、ということだ」
「な〜るほど・・・でもそれならあなたと一緒に言ったら良かったんでは?」
「私と一緒はつまらんそうだ・・・・彼女、あぁ見えていいたいことはちゃんと言う女性だ。
あと、私のことは略称で呼んでくれていい。もともと私たちがいた世界、
つまり地球では仲間内ではガフとがガーブとか呼ばれていたからな」
マサキはくすりと笑った。しかし、ガヴェインが不思議そうに顔をみたので、すぐに止めた。
「何かおかしかったのかい?」
「いえ、なんでもないです。でもやっぱり、ガヴェインさんと呼ばせていただきます」
「・・・結構。私もこれから行かなければならない所があるんだが、君はどうする?」
マサキは少し考えてから、聞きたいこともあるし、一緒に行きますと答えた。
 2人はガヴェインが示す方向へと歩き出した。
「ところでどこに行くんです?」
「私が警護していた、隊商の荷馬車の所だよ」
「警護していたんですか?あの巨大ロボットで?」
「巨大ロボットか、あれはヘルテンツァーと呼称されるものだ。
君らが乗っていたシャルラッハロートとは違う機種だ」
「なるほど、俺らが使ってたのとは動きが断然違いますもんね」
「動きか、確かに歌姫がいるのといないのとでは大違いだ」
「歌姫?」
 マサキはまただ、と思った。この世界は固有名詞が多すぎる。
「何でロボットの操縦に歌歌いが必要なんですか?魔法の歌でロボットをサポート!とか言うんじゃないしょうね」
「ある意味、正解だ」
対するガヴェインは大真面目だった。
「これを説明するには、まずこの世界の根幹を知らなければならない」
ガヴェインは長い説明をはじめた。
まず、この世界の名は「アーカイア」であるという。
アーカイアは5つの統治国家から成る。北方から言えば、
ヴァッサマイン
トロンメル
ファゴッツ
シュピルドーゼ
ハルフェア
となる。ちなみにマサキたちがいるのはシュピルドーゼである。(これはべークレアさんも言っていた)
それに加え、世界の中心という名目の事実上の中立地帯、ポザネオ島が存在する。
これらの地域の詳しい説明は、やはりこちらの世界の住人であるイシュタルから聞いた方が良いとガヴェインが言ったため、
マサキもそれ以上のことは聞かなかった。
世界の名の由来にして、この世界の文明を支えるもの、それを「幻糸」(アーク)と呼ぶ。
普段ならば目に映ることなく、大気の中に窒素や酸素のように溶け込んでいるそれは莫大なエネルギーを生むという。
もしくは大地に定着し長い年月を経た幻糸はまた、鉱石となって鉱床から掘り出された後、「幻糸鋼」(アークメタル)に加工される。
 そして、大気中の幻糸を取り込んで運動エネルギーとする炉と、
全身の駆動部を覆う幻糸鋼の鎧を兼ね備える兵器、それが絶対奏甲である。
「ここまでは分かったかい?」とガヴェイン。
「一応は。・・まるで御伽噺(おとぎばなし)ですねぇ」とマサキ。
 話は続く。
 本来なら、絶対奏甲の存在は、この世界においてイレギュラーなのである。
なぜならば、幻糸を一般に活用するだけならば、奏甲は要らないのだから。
それを行なうことが出来うる存在が、「歌姫」と呼ばれる女性たちだ。
 アーカイアにおける歌姫という言葉の定義は、マサキたちの世界とは異なる。
彼女らの声が紡ぐのは、単なる歌詞、単語の羅列ではない。彼女らはその生まれながらの才能と、
特殊な詠法、そして首につけられた呪具(チョーカー)を用い多くの奇跡を起こす魔法使いと言って良い。
(といっても、魔法、という言葉はこの世界には無いが)
 幻糸の中で暮らし、それの力を引き出すことは彼女らだからこそ習得する業(わざ)なのである。
 幻糸という無尽蔵のエネルギーを用いる歌術の中には極めて強力で危険、あるいは禁忌とされるものも存在するらしい。
そのため才能があるからといって、誰も彼もが歌姫になるというのは問題である。
すべての歌姫は、ポザネオに存在する「評議会」と呼ばれる機関によって、
審査、統括されるという構造が存在するのはこのためだ。
 評議会の統括のもと、認可された歌姫が各国でその職務を全うするのである。
 先ほどもガヴェインが述べたように、幻糸の力を平時に役立てるだけなら絶対奏甲、
ひいてはマサキたち英雄も必要でないのは明白である。
「しかしだ、この世界にとって予期しない出来事が起きた」
「蟲の出現、ですか?」
「そうだ」
 それはおよそ200年前だという。マサキたちが目にしたように、異空間から突如として蟲が湧き出したのである。
それも半端な頭数ではなく、まさに雲霞のごとく奇声蟲が大地を這いまわり、世界を蹂躙した。
 この世界の住人はそれに対抗する術を持たなかった。何百何千という大群を前に、
歌術の威力は焼け石に水であった。武器の類もせいぜい大弓(バリスタ)や投石器といったものが有効な程度で、
犠牲は拡大する一方だった。世界は破滅しかけたのである。
 しかし、破滅は回避された。
 歌姫の頂点、最高位「黄金」の歌姫の力であった。彼女は禁忌の歌術を行使し、この世界にあらざるもの、
すなわち英雄たちを召喚したのである。同時期に、黄金の名を冠する工廠(こうしょう)によって、
英雄たちが振るうべき剣にして、まとうべき鎧、絶対奏甲の技術も編み出された。
「そして、英雄と絶対奏甲、この2つの要素に歌姫が加わる」
黄金の歌姫の召喚は、単に英雄をあちらの世界からこちらに招集するだけのものでなかった。
いくつもの複雑な詠唱を行ない、英雄たちをこちら側、すなわちアーカイアにより適合させた状態で呼び出すことを可能とした。
その一つが「宿縁の絆」である。
「宿縁?」
「我々英雄には、この世界のどこかに、必ず1人、対になる歌姫が存在すると言う事だ。
それがどの段階で決まるかまでは、私は知らない」
「はあ・・・」
「いまいち、実感が湧かない、といったところだろう?」
「ええ」
  マサキはガヴェインの言葉の意味を解することは出来た。しかし、それが現実問題であるという事になると、
どうしても首をかしげざるを得なかった。まるで、ある日親からいきなり
『実はあなたには産まれた時からの許嫁がいるのよ』と言われるのと同じくらい普通ではない。
「俺らの感覚で言えば、この世界はよっぽど変ですね」
「だが仕方ない。我々が地球の重力を無に出来ないのと同じように、この世界の理を傾けることも不可能だ。
我々はただ受け入れるしかない。話を戻そう。さっきも言ったとおり、英雄と歌姫は運命の絆で結ばれている、と思っていい」
「運命の絆・・・いまどきメロドラマでもめったに聞かない様なセリフですねぇ」
「私もそう思ったさ。しかしこれは実際に存在する。私とイシュタルがそうだ」
「あ・・・・」
マサキは思わず口をぽかんと開けた。
「そういう関係だったんですか」
「いったいどんな関係だと思っていたんだ」
 ガヴェインは口元に笑みを浮かべながらマサキにやんわりと訊ねた。
「さしずめ親しい友人か、あるいは恋人だとでも思っていたんだろう」
「その通りです、はい」
 実は愛人じゃないのか思っていたことはガヴェインには内緒である。
「その運命の絆があると、どういう感じなんです?」
 マサキの問いに、ガヴェインはふむと考え込む。
「はじめにそれと分かるのは、彼女と出逢った時だったろうな。あの感覚を説明するのは非常に難しい。
どんな感触ともそれは異なっているから。だが、それ以降の日常には特に影響は無い」
 最も歌姫の存在を感じるのは、奏甲に乗っているときであるという。
「私は『歌姫がいるのといないのとでは大違いだ』と言ったが、それは歌姫が英雄とその絶対奏甲に対して、
歌術によって支援を行なうことを指す。歌姫の詠唱は英雄を通じ、絶対奏甲の炉の出力を増大させ、各部の反応力を高める。
このときに宿縁が重要になってくる。宿縁の歌姫であれば、自身の英雄の位置さえ知っていれば、
かなり離れた距離からでもその歌を届けることが出来うるらしい。
現に昨日、イシュタルの歌は数キロメートル程度離れていた私の耳に届いていた。
そして、彼女の思考も私に伝わるし、私が操縦席で言ったことも彼女には聞こえている」
「『ケーブル』と似たようなものですか?」
「うーん、これも少し違うんだが、やはり説明はしづらい」
「どういう原理で動いてんでしょうね」
「原理は分からないが、人間の体に似ている、と私は思ったよ」
「人間に?」
「そう。つまり、指令を出す脳が英雄、その情報を全身に高速で伝える神経が歌姫、
そして末端の手足が絶対奏甲というわけだ。少々難しかったかな」
「いえいえ。なるほど、俺とリュウヒは神経伝達無しで戦っていたんですね」
「そういうことになるな。つらい戦いだったろう」
 マサキは苦笑した。
「本当に死にかけたのは初めてですから」
「まあ、そうだろう。また話が逸れたな。私はどこまで話した?」
「英雄と歌姫についてまでです。あと、200年前の戦い。それはどうなったんです?」
「ああ、そうだったな・・・」
 英雄、歌姫、絶対奏甲。これらの戦力を投じ、激戦の末ようやく蟲を駆逐するに至ったというのが、
世に言う「幻糸大戦」である。
 この戦いの後、英雄たちは元の世界へと還っていったと言う。そして、アーカイアに再び長い平和が戻ったというわけである。
それから200年、戦争ははるか過去のものとなり、英雄は半ば伝説と化していたこの時代に、再び災いの兆候が現れ始めた。

蟲の再出現である。
「今の所、まだ蟲は一度にはそれほど大勢で出現するわけではない。多くとも10かそれくらいだ」
「十分に大勢だと思いま〜す」
「いやいや、我々はひょっとすると、その百、あるいは千倍の群れに対峙する羽目になる」
うげっ、とマサキが苦い顔をする。
「ところで、あなたがさっき言っていた召喚された英雄っていうのは、まさか俺たち3人だけってことはないですよね?
物語の文脈からして、そんなはずは無いでしょう?」
「当然だとも、数千か数万の蟲相手に3人で挑むとは、勇敢と言うより無謀だ。聞けば召喚位置、時間は個人差があるらしい。
そのため、まだ集結している英雄はそれほど多くない。が、着実に増えつつある。君やリュウヒ君のようにね」
 そうなんですか、とマサキは息を吐き、それからまた質問した。
「あの〜、あなたは日本人・・・じゃあないですよねぇ?」
「そのとおり、私は見ての通りの白人だ。ゲルマン系、といって分かるだろうか?」
「教科書で読む位は。確か昔ヨーロッパを東に大移動した民族、だったと思いますが」
「確かに正しい知識だ。私はゲルマン系アイルランド人。それが何か?」
「・・・俺の言葉、伝わってますよね、こっちの世界の人もそうなんですけど。まさか皆日本語も喋れるヴァイリンガル!
なんてことは無いですよね?」
 それを聞き、ガヴェインは口をほころばせた。
「なるほど、それは言っていなかったな。すまない。これも黄金の歌姫の召喚術の一環だよ。
君の言葉は私には英語に、私の言葉は君にジャパニーズになって聞こえているというわけだ。
しかし、仕組みは聞かないでくれ、分からないからな」
「じゃあ、こっちの世界、アーカイア語も翻訳済みなんですね」
 マサキの疑問はどんどん氷解していった。しかし、完全に溶け終えるのは何時になるやら。
 二人が熱心に話しこんでいると、いつのまにか足の方は村のはずれ、ガヴェインが警護した隊商のところまで来ていた。
荷馬車がいくつも並べられ、辺りでは隊商の商人たちがラプター(騎竜)の手入れや荷物の積み下ろしにと奮戦していた。
 そして、その後方には人が着るには大きすぎる、巨人の鎧が膝を折り、たたずんでいた。
その色は濃い紫を中心としたいささか派手なものであるが、その体躯はやはり細い。特に足先や腕は華奢とさえ言える。
これならスピードが出るはずだ、とマサキは思った。昨日の動きを反芻し、改めてその凄さを想帰した。
 ガヴェインとマサキが紫の奏甲に近寄り、マサキは上を見上げた。
「なんて言うか、シャルラッハロートとは違う、って感じが全身に表れてますね」
マサキの視線は巨人の肩に向いた。全身のボリュームからすると、明らかに大きすぎるその部位が気になった。
肩の後ろに太いパイプもついている。動力管というよりは、楽器のバグパイプのようにさえ見える。
「そうか。シャルラッハロートは私も乗ったことがあるが、あれも悪くは無かったが。
その後、工房の示唆でこれの運用を頼まれてな」
「工房?」
「そうよ、工房側もこれを使って欲しかったって言うこと」
 聞きなれない声が隣から聞こえたのでマサキが振り向くと、そこには女性が一人、石に座っていた。
「あなた、誰ですか?」
「私はね、このヘルテンツァーの調査員で、名前はエンケよ。」
「はあ、そうですか」
気の抜けた返事はマサキ。
「彼女はさっき言った、『黄金の工房』の職員だ。この奏甲の運用時の情報を集めている」
「運用時って事は、まだあんまり実戦で使われてないんですか?」
 それに答えたのは、エンケである。
「あんまりどころか、ほとんど皆無ね、この子。新品ぴかぴかなのよ。英雄が実際に乗って試験はしたんだけど、
実戦は勝手が違うって言うことで、長期間動かしてみてさらに調節をする予定なの」
 この子、といったのはヘルテンツァーのことだ。
 ガヴェインは横目で彼女をにやりと見る。
「私はその実験用のネズミと言うわけだ」
「や〜ね、だからもう試験は済んでますって!後は長時間稼動させて大丈夫か確かめるだけ!
そのために私が同行してるんだから!」
 ガヴェインは苦笑する。
「全く、戦闘の最中に突然動かなくなるようなことが無いことを祈るばかりだ」
「絶対にありえません!全く、疑い深いったらないわね。・・・あ、そういえば」
 工房の調査員はマサキのほうを向く。そしてあっさり言った。
「あなたたちの乗ってたあれ、要はシャルラッハロートのことだけど、もう使えないわ」
「使えないって、蟲に攻撃されたからですか?」
「それもあるけど・・・詳しく言うとね、あなたが乗ってたのは胴体が蟲に食いつかれた方?違う?
そう、じゃああなたの奏甲は今回の戦闘ではそれほど致命的な損害はこうむっていないの。
ただ、全身の老朽化が激しくって、ほら、あれ200年も前の骨董品だから。
多分村では何の整備もしないで放置したままだったのよね。
おかげで関節はほとんど錆びてるし、骨格はひん曲がってるし、炉は完全にもうお釈迦だし。
ほんとにあれ動いたの?」
マサキは昨日のことを思い出した。戦闘の始まる前から、嫌な金属音は響いていた。あれがそうだったのか。
「ひょっとして、動きがものすご〜く緩慢だったのも、老朽化のせいだったってことか」
「そうそう、あんなおんぼろじゃ、歩かせるのも一苦労だったと思うけど」
 なるほどと納得した後、ところで、とマサキは言った。
「そのシャルラッハロートはどこへ持って行ったんですか?」
「ん、すぐそこよ、ヘルテンツァーの後ろ」
 マサキたちが紫の巨人の背中側にくると、そこには傷だらけで(リュウヒ騎のほうは足が取れている)
横たわった蒼の巨人が2つ。マサキがヘルテンツァーと、それらを見比べると、確かにその古さが知れた。
エンケがマサキの横に立つ。
「見ての通り、これじゃあもう実戦に使うのも無理。本当にただのデク人形になっちゃったのよ」
「俺たちにはもう新しい絶対奏甲は無いんですか?」
「もちろん、あるに決まっているわ!今、工房の技術員は対奇声蟲戦のために総力をあげて働いているのよ!」
 誇らしげである。
「工房って200年間も経営し続けているってことなんですか?」
「正確にはもっと長いと思うけど、今まで歴代の赤銅の歌姫様が管理してきているわね。
絶対奏甲の技術は門外不出ということになっているから」
「赤銅の歌姫って言うと、黄金の歌姫と同じ人?」
「違う違う、赤銅の歌姫様は黄金、白銀に継ぐ3番目に栄誉ある階位『赤銅』をお持ちになる方。
工房の技術全般を管理なされるのよ」
「でも、工房の名前には黄金と付いてるけど・・・」
「それは、あくまで最高指揮権は黄金の歌姫様にある、という名目上の名前ね。
実際の実務のほとんどは赤銅の歌姫様が取り仕切ってるわけ」
「じゃあ、白銀の位を持っている人っていうのは?何するんです?」
 これにも彼女はすぱすぱと答える。
「白銀の歌姫様はねえ、世界の政(まつりごと)を司るの。評議会と同じかそれ以上の執政権をお持ちになる方ね」
「評議会って、さっきガヴェインさんが説明してくれた歌姫の選定機関ですか?」
 ガヴェインを見ると、そうだ、といって頷く。
「評議会は歌姫を選び、統治する。この世界においては、
高位の歌姫が各国で政治、王制を取り仕切るのが慣わし、だそうだ」
 でも、とマサキは言う。
「エンケさんが言うに、白銀の歌姫が評議会から独立しているふうに聞こえませんか?」
「それはねぇ、実際、白銀の歌姫様は独自に子飼いの官僚をお持ちだし、評議会にもかなり発言権がおありになるのよ・・・
ってちょっと喋りすぎだわね。私まだまだ仕事があるから、また今度ね!」
「あ、ちょっと!」
 多くの疑問をマサキに残したまま、エンケはすたすたとどこかへと消えてしまった。
「ますます複雑になったろう?」
ガヴェインはマサキの心中を察する。マサキは彼に気の抜けた返事を返した。
「ホント、世界の仕組みが違うとこうも厄介だとは〜」
「おいおい分かるさ。嫌でもな」
「そうっすね」
 


ガヴェイーンと、誰かが呼ぶ声がした。
「あぁ、どうやらイシュタルだな。用事が終わったらしい」
「行きましょうか」
 彼らが再びヘルテンツァーの前へと移動すると、案の定イシュタルとリュウヒがこちらを見つけて向かってきた。
2人とも両手に色々抱えている。
「マサキさん、ガヴェインさんとここで何していたんですか?」
そう聞いたリュウヒにマサキは答える。
「いやあ、ガヴェインさんに色々この世界のことを聞いていた所。これが難しいんだわ。そっちは?」
「僕ですか?イシュタルさんの買い物を手伝っていたんです。長旅に必要なものを買い揃えるんだそうです」
「長旅?」
「あぁ、すまない、言っていなかったな」
そう切り出したガヴェインはこう続けた。
「我々、つまり私とイシュタルはあの紫の奏甲の運用試験と平行して、この隊商の護衛を請け負っている。
行き先はこの国の首都、シュピルティムだ。それはいい。問題は、」
「俺とリュウヒはどうするか、ですよね?」
「そうだ、見ての通り、君たちは絶対奏甲を失った。それに宿縁の歌姫もまだ見つけてはいない」
「宿縁?」
 リュウヒはまだそれについて知らないのだった。とりあえず、あとで説明するといってガヴェインは2人に提案を持ちかけた。
「君たちが2人、もしくは単独で行動することを、私は勧めない。
奇声蟲もそうだが、この世界とて良識ある人ばかり、というわけではない。
右も左も分からずに飛び出していくのは得策で無いと思う。そこでだ、私は君たちが我々と一緒に来てくれることを期待している。
つまりは我々の仲間としてともに行動すると言うわけだ」
「結構あくどい人もいるわよー」
そう脅すのはイシュタルである。
ついていく気はあるんですが、とマサキはにやりとした。
「もしガヴェインさんとイシュタルさんが、その『あくどい人』だったら俺たちゃどうなるんです?」
 長身の英雄と、その歌姫は互いに顔を見合わせた。
「それは、異国の商人に高値で売り飛ばすか、身包み剥いで野原に放り出すかだな」
「もしくは小間使いとして食事もろくに与えず、死ぬまで重労働、とかかしら?」
 マサキと同じくにやりと笑う。
「それは困るなぁ」
マサキは宙を見上げながらそう言う。
「冗談はともかく、こればっかりは我々を信用してくれるほか、どうしようにも無いな」
「分かりました・・・リュウヒはどうする?」
 マサキは彼らの提案を受けることにした。もとより状況を知りたいマサキにとっては願っても無い話である。
リュウヒは少し考えた後、あの、とガヴェインに話し掛けた。
「どうやっても、僕らが元の世界には戻れないんでしょうか?」
「それは、おそらくは無理なのだろう」
「もう2度と、帰れないんですか?」
 ガヴェインは黙ってしまった。マサキはリュウヒの言葉を聞いて、なるほど自分たちはもう帰れないのかと思った。
そして、それに今になって気がついた自分にも驚いた。あんまりにいろんなことが一度に起きて、
それを考える時間が無かったことを差し引いても、マサキは今の今まで故郷の、家族のことを失念していたのだ。
 もう帰れない。リュウヒの不安は大きかっただろう。それを気づかうガヴェインは口を開いた。
「帰れるかどうか、それは私も尋ねたことがある。現に200年前の英雄はどうなったかも聞いた」
「どうなったんですか?・・・まさか皆死んだんじゃ」
 いっそう青ざめるリュウヒにガヴェインは否定の意を表す。
「奇声蟲を討伐した後、彼らは元の世界に帰っていったそうだ。200年前の例でいえば、
我々にも帰還する機会はあると言う解釈になるな」
「・・・やっぱり戦うのは避けられないんですね。戦わないと帰してくれないなんて。何で僕みたいな弱虫がこんな所に?」
 そう腐るなよ、と言ったのはマサキ。
「あんまり後ろ向きになっても仕方ないね、リュウヒ君」
「どうして、そうあっけらかんとしていられるんですか」
「それは、俺が馬鹿だから〜」
 マサキはあっさりと言い、こうも言った。
「こっちの世界に呼ばれちまったものは仕様が無い。やらなきゃならない事をやるまで帰してはくれんのだろうさ。
一種の丁稚奉公だと思えばいいんだよ」
「デッチボウコウ、て何です?」
「それはどうでもいい、それより、俺たちがここに呼ばれた理由なんて、
どうせ健康そうだからとかそんなあいまいな基準でしかないと思うよ。
弱虫とか強蟲とかはどうでもいいんだよ。そういう意味では、一種の人さらいですらある」
 イシュタルが少し苦い顔をする。
「人さらいなんて、あんまりな例えね」
「こっちの事情も感知しないで引っ張り込むのは、紛う事なき誘拐だとは思いますけど、
まあ、この例えは悪かったですね。反省します」
「それで、マサキさんは何が言いたかったんですか?」
「ああ、それはだなあ、緊急時には逆らってもどうしようにも無いことや自己批判とかはひとまず置いといて、
目先の問題を解決していく方が大事だってこと」
「目先の問題・・・今の問題はなんです?」
「ガヴェインさんたちについて行くかどうか」
 そう言われ、リュウヒはガヴェインとイシュタルの方を向く。
 ややあってから、
「いっしょに、連れて行ってもらえますか?」
 2人の返事は「もちろん」だった。
 良かった良かったとマサキは頷いた。リュウヒがマサキに感謝の言葉を言い、それから、
「それにしても、ここの村には女の人が多いんですね。
イシュタルさんの用事を済ませるのについて行ったとき、女の人ばかり見かけましたよ」
「あ、それは俺も思った。村長さんもおばあさんだし
・・・・そういや、ここで男の人を見かけてないような」
 言ってマサキは記憶をたどってみた。最初にこの世界であったのはベークレア、女の行商人である。
その後ティーベン村に来て、倉庫で奏甲を見て、ここでも作業しているのは女の人で、
次の日、さっきのお葬式のときも参列者は・・・・
 ガヴェインが二人の肩を叩く。
「・・・君たち、このことも知らなかったんだな」
「まさか」と言ったのはマサキ。
「何です?」と言ったのはリュウヒ。


「アーカイアには女性しかいない」



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