第6幕「第一印象は大事だ」 1 ―初めての言葉は落胆と侮蔑に満ちていた。 「・・・こんなのが私の英雄なのか」と― がたごとがたごとがたごとがたごとがたごとがたごとがたごとがだ ごとがたごとがたごとがたごとがたごとがたごとがたごと 木製の車輪は、それ特有の音を立てて街道を進む。 (さーてここで問題です。この上の擬音の中の『た』が一文字だけ『だ』になっているものがあります。 それは何処でしょう?正解者には工房提供、赤銅の歌姫直筆『技術者魂』の文字入り三角ペナントと提灯をプレゼント! 、な訳はない) いくつもの貨物車両と、それを牽引する大型爬虫類たち、そして紫色の巨人が一騎、 一団を成して目的地へとわりあいのんびりと進んでいた。 暗い森をはるか後方に残しながら、草原と大地は何処まで続く。 景色は単一な緑ではなく、茂る草や土の複雑で鮮やかなコントラストを示している。 (草原ってこんなにきれいなもんだったのか・・・) マサキはひじをつき、馬車の後ろから流れて行く緑の絨毯をずっと眺めている。 マサキがアーカイアに来てから、初めて落ち着いた気分でのんびりしていた。 (こんな風景テレビぐらいでしか見なかったけど、ずっと色鮮やかだな・・・) 視線を上へと移せば、雲が少々多い上天である。 のどかであった。 (そういや、この世界に来て、どのくらいだっけ?・・・ああ、5日か) マサキがいるのは、ガヴェインのヘルテンツァーが護衛する隊商の、荷馬車の中である。 隊商はティーベンの村落を、葬儀の次の日、2日前の朝早くに発ち、今は首都『シュピルティム』へと一路前進中である。 (まだ5日しかたってないんだよな・・・) 故国から離れ、別世界の異国に来てからもう長い月日が流れたような気がしたのは、 マサキが様々な経験を一度にしたからだろうか。 それこそ、普通に日本人としての人生ではまず起こり得ないようなことを。 (こんな服まで着ちゃって。なんかごわごわするんだよなぁ、これ) マサキが今着ているのは学生服でなく、この世界における旅行者が普通に着る『旅人の服(ドラ○エ調)』である。 木綿らしき素材で出来た、シンプルだが丈夫なズボンと上着、それに簡素なマント付きである。 無論リュウヒも同じような服である。じつは両方イシュタルがティーベンで買い物に行ったときのものだ。 しかし、そのときは下はズボンで無かった。 マサキとリュウヒが『この世界には女性しかいない』と言われた時の反応は、以下である。 2人とも、3秒間ほど硬直したのち、先に口を聞いたのはマサキであった。 「嘘、なんてことは無いですよね?いまさら」 「嘘を言っても仕方ない、そうだろう、イシュタル」 「そうね、私も24年間生きてきて、はじめて見た男はガヴェインだった、て言うのは本当ね」 その後はもう別の意味でパニックだ。 「そんな、そんなことってありえるんですか!?」とはリュウヒ。 「俺達の世界じゃ、まずありえんだろうが!」これはマサキ。 「ですよね!男がいないって・・・それはどういう・・・」 「まさかそれで俺たち呼ばれたのか!?」 「まあ、そういうことだ」ガヴェインの談。 「男の人じゃないと、なぜか絶対奏甲は動かないのよ」もちろんイシュタル。 「でも、男がいないってことは・・・」そこまで言ってリュウヒが顔を赤らめ、先を言うのをためらう。 しかし、 「人間が繁殖しない!」マサキはあっさり言った。そしてなお、 「まさか、この世界の人は単性生殖で増えるってこと!?アメーバとかミドリムシみたいにグニューンと2つに分裂するとか!?」 「アメーバとは酷いな・・・幾らなんでもそれは無いだろう。私も疑問に思ったがしかし、イシュタルに聞いた方が早い」 マサキとリュウヒの視線がイシュタルへと注がれる。彼女が今や、自分たちとは異なる生物であるかのような目で。 「そうねぇ・・・リュウヒ、あなた何歳?」 「え・・・じゅ、14歳ですけど」 「じゃあ、駄目ね」 ええっ、とリュウヒが困惑した声を上げる。何故駄目なのか。 イシュタル曰く、これは15に達していない人には教えられないのだと言う。 マサキだけが、秘密にすることを約束に教えられた。 黄金の歌姫がいる。彼女は世界最高位の歌い手であり、この世界の統治者ともいえるが、 一方で全てのアーカイア人の「母姫」すなわち母神であるというのだ。 マサキは黄金の歌姫が不老不死なのかと聞いたが、それは違うと言われた。 代々の後継者が一人づつ、今までこの世界を治めてきた「現人神(あらひとがみ)」である。 彼女への崇拝はこの世界の誰もがもっているという。 その理由は、この世界では自らの子を成すために、黄金の歌姫管理下の「恵みの塔」へと赴く必要があるかららしい。 しかしながら「恵みの塔」がどのようにして子を授けるのか、詳しいことはイシュタルも知らなかった。 アーカイアの女性は15歳になると親から恵みの塔についての話を聞かされ、一人前とされるということらしい。 イシュタルが子持ちの女性に聞いてみた所、その際、恵みの塔では母親が眠らされている間に子が胎内に宿るらしかった。 その神秘性、隠匿性が「母姫」への信仰を促進するのだろうとマサキは推察した。 それが良いことか悪いことか、までは判別しかねるが、少なくともこの世界の住人にとって恵みの塔は必要であり、 それを管理する黄金の歌姫が尊重されるのも当然ではある。 (さすがにスカートは履けないだろ) 場所は再び荷馬車の中、マサキは思い出し笑いをする。イシュタルがそろえてくれた服の中には最初、 スカートの類が多かったのである。女性が多いから需要もあるということだ。 (しっかしな〜) マサキはあらためて、この世界の異様さを考える。マサキにとって変わったのは世界であるが、 こちらの世界にとってはマサキのような存在の方が異端であるのは言うまでも無い。 マサキのいた世界に幻糸も、歌術も、絶対奏甲も無かったように、 こちらには男も、男物の服も、男用トイレも無いのだ(これにはかなり困った)。 女しかいない世界。アンケートに性別の欄は無く、男女雇用機会均等法も無く、 パチンコ屋やレンタルビデオ店のレディースデイも多分無い。 しかしながら、男がいなくても労働や文化や社会にはさして悪影響は無いらしい。 マサキたちの世界で男がやっていたことを、女がやれば良いだけの話である。 そうなれば、男の存在価値ってなんだ。 子供を生むことさえ、女一人で出来てしまうのだ。 いよいよ男は要らなくなって来たな、とマサキはにやりと笑った。 マサキはここ数日で、世界の大まかな在りようを知ったが、それはかなり大雑把ではある。 まあ、知識がないよりましなのだ。 世界はかくして統治される。 (以下、筆者およびマサキの主観が入っている部分もありますが、ご容赦ください) 評議会:アーカイアの国々に歌姫の管理という形で干渉する、地球で言う所の国連。ただし、各国への権限はずっと大きい。 完全中立のポザネオ島に存在。 黄金の歌姫:最高権力者、「創造」を司る。現在は召喚の儀式の反動のため眠りについている。 評議会を統治する位となっているが、おそらくは評議会の傀儡(かいらい)ではないか。 マサキの国でも、過去にそういう例はあったわけである。 なお、「黄金の」というのは階位の名称で、かの人自身の名ではないそうだ。 白銀の歌姫:黄金の歌姫に次ぐ位を持つ、「政」を司る。 古来より、ナンバー2が有能かつ本当の権力者だと言うのは定説であり不変の真理(マサキ談)。 赤銅の歌姫:金、銀と来て、やはり銅である。パールではない。 「技術」の歌姫であり、「黄金の工房」の事実上の権力者。 最強の武器である絶対奏甲を一手に生産するからには、国々への影響力も大きいと推測。デス・マーチャント(死の商人)? 闇蒼の歌姫:白銀、赤銅の歌姫と併せ「三姫」と呼ばれる。 「黄金」「白銀」「赤銅」「闇蒼」これに加えて、後いくつかの位はそれぞれ一人づつにしか与えられないと言うことであるが、 この3人と黄金の歌姫は別格らしい。闇蒼の歌姫その人は「知識」の歌姫であり、 世界一の大図書館を所有するとか。 しかし、肩書きに「闇」などと付けられて、本人は不本意ではないのだろうか。 グレたら誰が責任を取るのか。 十二賢者:評議会の議員のトップ12人をそう呼ぶ。何故12人なのかは知らない。 合議制、多数決制のどちらかで議会を運営していると思われる。無論、全員が歌姫であり、そのためか歌姫の支持は厚い。 FFTでもいたね、12賢者。 歌姫:歌術を行使する人々の総称。前述の通り、評議会により管理される。 なお、全ての歌姫には階級があり、「瑠璃」「紫苑」といった名称ごとに人数が分けられる。 「黄金」のように唯一無二の階位もある。おぼえてい〜ますか〜・・・ 続いてアーカイアの各国 ヴァッサマイン:最も北方に位置する国。寒い地域も多いが、中心には肥沃な農耕地帯がある。 古くから歌術が盛んで、歌姫の数が群を抜いて多い歌姫の国。イシュタルさんの出身地。首都はフェアマイン。 札幌時計台や網走刑務所、ビールファクトリーは無い(と思う)。 トロンメル:世界で最も大きな面積を占める大国。礼節と法治の国、と呼ばれ、 首都エタファでは軽犯罪でも、牢屋に数ヶ月のうえ多額の罰則金は覚悟しないといけないとか。 堅苦しい国柄の裏では、人型サンドバッグがストレス解消にひそかに人気だったりするのかもしれないが、 真相は不明。 ファゴッツ:北のヴァッサマインと南のトロンメルの中間に位置する国。砂漠が多く、 北と南の貿易中継地点として発展したと言える。貿易と行商のための国。 きっと彼女らの断り文句は「考えときまっさ」だろう。そして、たこ焼きとトラマークが流行るかも知れない。 シュピルドーゼ:トロンメルの東に位置する国。 軍事国家として知られ、「国民皆兵」がスローガンだが、別に好戦的なお国柄ではないらしい。 これは奇声蟲が過去、頻繁に出現した「インゼクテンバルト(蟲ヶ森)」を国内に抱えるからである。 マサキたちの現在地はこの国。ちなみに、この国の女の子たちが将来なりたい職業ナンバー1は「将軍」である。 ハルフェア:春フェアではない。シュピルドーゼ沿岸より東の、海を隔てた島国国家の名。 観光業を一大国家事業としており、美しい海岸や町並みでバカンスを盛り立てたり、 国内各所に点在する温泉には、世界中から多くの療養客が訪れるらしい。 何か書こうと思ったが、これ以上思いつかないので説明終わり。 やたら長くなったが、話を戻そう。 荷馬車は相変わらず一定の速度を保ったまま、前進を続けている。 マサキは先ほどから外の風景ばかり見ているが、別に貨物車に彼しか乗っていないということは無い。 後ろを向けば、果物入りの箱にもたれかかった少年が一人。リュウヒは気持ちよさそうに寝ていた。 眠りを邪魔するのは気が引ける。さらに前の運転手に話し掛けてもいいのだが、 前の方が荷物で埋まっているために、わざわざそれらを掻き分けて行くのも億劫である。 なので、荷馬車の後ろを遠ざかって行く風景を眺めつつ、マサキは物思いにふけるのである。 何故、自分が選ばれたのか。 本当に、母姫様に選考基準を問いただしたい、とさえ思ったが、 一介のへぼ英雄風情にアポを取り次いでくれるとは思わない。 代わりにイシュタルが答えてくれたことによれば、選ばれたのはなく引き合ったのだ、ということだった。 歌姫が自身の半身を引き寄せるのだという。 半身、英雄の半身は歌姫、歌姫の半身は英雄。 お互いは宿縁の絆によって結ばれている、という説明は何度聞いてもこっちが恥ずかしくなってくる。 こっちは男。相手は女。それがいきなりペアだというのだから尋常ではない。 自分に言い聞かせつつ、彼はまだ見ぬ運命のお相手に思いを馳せる (宿縁の歌姫さんねぇ・・・俺にとってのこの世界のパートナー、あくまでパートナーだよな) パートナーとは実に微妙な関係である。 友人でもなく恋人でもなく、ニュアンスは仲間に近い。ただ仲間と異なるのは、宿縁と言うこの世の法則で縛られていること。 仲間は変えられても、絆を編みなおすことは出来ない。つまり、宿縁の相手は変えられない。 自分の不甲斐なさを自覚しきっている彼は、思わず歌姫に同情する。 (俺と当たるなんて、気の毒な娘さん・・・って若い子だとは限らないな。おばあさんだったらどうしよ) それは困るわねぇ、と一人つぶやく。 荷車から顔を突き出して右方向を見れば、ガヴェインのヘルテンツァー(紫の絶対奏甲)が 貨物車両の一団に歩調を合わせつつ前進している。イシュタルさんはといえばどれかの貨物車に乗っているのだろう。 ヘルテンツァーは1人乗りなのである。まあ、イシュタルさん曰く無理すれば2人で乗れないことも無いらしいが。 きっと一度は2人で搭乗したに違いない。 移動、荷物の積み下ろしといったスピードが必要の無い動作ならば、絶対奏甲本体の出力で事足りる。 これを「通常稼動」というのに対し、歌姫の歌術でもって出力を大幅に上げた状態を「戦闘稼動」という。 無論、ガヴェインからの受け売りである。 上記の通り、ヘルテンツァーは今現在通常稼動で歩行している。 それをぼんやり眺める。 マサキは、英雄と歌姫、その組み合わせをいまだ一組しか見ていない。 しかし、ガヴェインとイシュタルの関係は良好そうに思える。イシュタルはガヴェインを相当な堅物だと笑っていたが、 決して侮ったりしているわけでないことは見て取れる。 イシュタルしか歌姫を見たことが無いため、彼女らの全体像は浮かんでこない。 (まあ、きっといろんな人がいるには違いない。問題は、) 自分の歌姫がどんな人かということ。 (・・・イシュタルさんみたいな人だと嬉しいかもなぁ。無論、容姿、顔含めて) 勝手な歌姫像を想像する内、知らずしらずに顔がにやける。16歳の高校生の矜持なんてこの程度である。 そんなマサキの妄想に付き合うことなく、隊商は目的地へ前進を続けていた。 理想と現実は違う。悪い意味でも、また善い意味でも。 2 その日は彼女、アルメイアにとっては大して重要な日でもなかった。 叔母の買出しの荷物持ちをするいつもの日だった。 叔母の家のある村落から市が開かれる町へはそう遠くない。歩いてでも1時間あればお釣りが来る距離である。 自分と叔母、それに荷物運搬用のラプターが一頭、叔母の「先手必勝」の方針に従い、まだ日も明け切らないうちから街道をゆく。 やがて町に着き、ラプタ―を停竜所に留め、おばに連れられて大通りの露店を物色してゆく。 物を売る商人たちと、それを買いに集まった客で通りはごった返していた。 叔母は手早く予定の品を買い揃えるため、人ごみを掻き分けて店を廻っていく。 それもただ買うのでなく、交渉、考証、哄笑の連続である。 やれこの果物には傷があるからまけなさいだの、あっちよりこっちの野菜はたくさん買えば安くなるかしらねぇだの、 おだててもこれ以上買わないわよぉだのと、買い物にヒートアップした叔母をアルメイアは半ばあきれたように見守っていた。 やがて一通りの品物を買い揃えた所で、彼女と叔母はそれらを一旦ラプターに載せ、 叔母は知人の営む雑貨屋へ、アルメイアは再び通りを闊歩していた。 「いらっさい!」 アルメイアが覗いた店には、舶来ものの耳飾や指輪が並べられていた。 「メイド・イン・ファゴッツの珍品ぞろいだよ。お嬢ちゃん、見てってよ!」 店主(無論、女性)は彼女に色々な品を薦める。 「嬢ちゃん若いんだから、色々お洒落しなきゃあ。シュピルドーゼの女の子は着飾るのが上手じゃないのよね〜 ほら、この金の腕輪なんかどう?さりげなく、それでいて高級感漂うこのデザイン!」 アルメイアには買う気が無かったが、しきりに商品を薦められて逃げ出せないでいた。 そもそもシュピルドーゼ国内では、宝石や貴金属を使った実用性の無い装飾品の類は嗜好されにくい。 質実剛健の気風、あまりじゃらじゃらとした恰好は嫌がられるというわけだ。 国内で加工された指輪や耳飾りもほとんど輸出される位である。 その事を知らないのか、あるいは商才があるのか、 自信満々に商品説明を行なう店主をよそに、彼女の視線は棚の端に置かれていた品の一つに寄せられていた。 それに店主も気付き、商売のチャンスと見込んだ。 「お嬢ちゃん。このナイフが気になるの?」 店主はそれを棚から下ろし、テーブルに置き、アルメイアを見据える。 「これはねぇ、柄と鞘はドラゴンの彫刻彫りの銀。それで刃の部分は何だと思う?」 店主は鞘を抜き、裸になったナイフの刃は日光に当たると虹色に輝いた。 「これは、幻糸鋼だ」 「そう、錆びない、折れない、かけないと三拍子揃った逸品よ。どう!?」 どう、とはすなわち買ってくれということだ。 金色の髪の少女は確かにこのナイフが気に掛かっていたが、欲しいわけでなかった。 (輝きが鈍い・・・大したことのない代物・・) 彼女は本物の逸品を知っていた。そうだ、本物はもっと眩しくて、鋭くて・・・ 『アルメイア、幻糸の鋼はとても便利なものだけれど、こういう刃物になると危険なものでもあるわ』 『危険?』 『この虹色の輝きが強ければ強いほど、切り裂く鋭さも増すの。だからうかつに触っちゃ駄目。扱いきれない道具は、 おななしの暴れ竜と一緒、分かった?』 『うん、おかあ・・・・』 「お嬢ちゃん?」 店主の声に不意に現実に引き戻され、アルメイアは思わず面食らった。 「あ、な、なんだ?」 「だからぁ、このナイフ、どうよ?今ならこれだけでご奉仕してあ、げ、る」 店主は自分の指で、価格を示した。もともと買う気なんて無い上に、提示された金額は決して安くない。 「あ、えと、残念ですが、今、持ち合わせが無いんだ」 「そんなぁ、じゃあいったい幾らなら出せる?」 「そ、それは」 もともと、こういう交渉に慣れていない彼女はしどろもどろになる。 「あ、財布を忘れてしまった・・・」 とっさについた嘘も、 「その腰についているのは何?」 すぐにばれた。 アルメイアの腰のベルトに引っ掛けられた袋を指され、ぎくりとなった。中身はもちろんお金である。ローブがめくれていたのが原因だ。 とうとう後退が利かなくなってしまった。 かといって買う気の無いものを買うことも出来ない。 どうするべきか、どうすれば、どうしたら・・・あぁ、どうにか、どうにかしてくれ・・・?一体私は誰に聞いているんだ・・・? 何かが彼女の視線を右へ向けさせた。 マサキは隣の女に尋ねた。 「ここがシュピルティムですかい?」 運送屋ことベークレア女史が首を横に振った。 「いんや、まだシュピルティムは街道の先さ。私もあの隊商もこの町で仕事があるからさ」 彼女がここにいるのは、隊商と目的地が一緒であったために、同期したからである。 彼女のラプタ―が後ろで牧草に噛り付いていた。 ラプタ―の食事を眺めるマサキに、ガヴェインが言葉を付け加える。 「今日はここで小休止というわけだ。と言っても、商売人はそうもいかないらしい」 ベークレアは口を大きく開けて笑った。 「当たり前さね!仕事は待っちゃくれないんだから。そういうわけで、行って来るよ」 麻袋に入った荷物を抱えたベークレアはたちまち人ごみに紛れ、何処かへと消えた。 それを見届け、今度はガヴェインの方を向きなおす。 「今夜はこの町の宿場に泊まるんですか?」 「そういうことになるな。ああ、宿代の方は気にしなくていい。私が支払っておこう」 「何から何まで申し訳ないこってす」 「困ったときはお互い様だ。それと、これを」 ガヴェインはマサキに袋を手渡した。掌ぐらいのそれには硬い物がいくつか入っているらしく、ずしりと重い。 「これ・・・お金ですか?」 「要り用になることも多いと思って用意しておいた。まあ、それほど多くは入っていないが、 この国の通貨が役に立つこともあるだろう」 「なんかそのセリフ、物凄く説明口調ですね」 「要らないのなら、返して貰っても構わないんだが?」 ガヴェインはずずいと片手を差し伸べる。 「いや、すみません!要ります要ります!」 平謝りするマサキ。 ガヴェインは、無駄遣いはしないようにと念を押し、にやりとこう付け加えた。 「金は出世払いで返してくれれば良い。分割でもOKだ」 市場と言うだけあって、そこは昼間から客と商売人でごった返していた。 ガヴェインとイシュタル、リュウヒにマサキの4人はそれを掻き分けて進んでいた。 とりあえずは宿を決め、それから行動、ということにしたのである。 「この布はずっと被ってなきゃいけないんですか?」 人ごみを避けながらリュウヒがイシュタルに訊ねた。 と言うのも、イシュタルを除く3人が頭から布のローブを被っているのである。 「別に取っても良いわよ、ただし、周りの視線が降注いでも良いならね。 この世界じゃ、まだ英雄は珍しいから凄く目立つわよー」 そう脅されては仕方がなかった。 とはいえ、マサキにはガヴェインのような大男にはフードで目立たなくするのはあまり効き目がないように思えた。 事実、行き交う客の中にはこちらを見て驚いたり、隣の友人とひそひそ話し合っているものもいる。 「まあ、しゃーないね、リュウヒ。俺たちは中国から日本に送られてきたパンダ。そしてここは上野動物園だ」 「パンダ?」 「珍獣扱い、ってこと」 「珍獣・・・」 リュウヒはがっくりとうなだれた。 マサキが自分たちへの視線以上に気になったのは、客の性別であった。 話通り、あっちを向いても、こっちを向いても染色体XXの遺伝子をもつ人は自分たち以外にいそうになかった。 「ほんっとに、女の人しかいないとはね・・・」 イシュタルが振り向いた。 「私にとっては、世界に女と男が半分ずついるって事の方が想像出来ないわ。 生まれたときからずっとそうだったもの。だからガヴェインに初めて出逢ったとき、 『英雄って皆こんなに背が高かったのね』って思ったのよ。まあ、間違いだったけど」 「ガヴェインさんは白人ですから。俺ら黄色人種は胴長短足」 ガヴェインは苦笑した。 「ずいぶん自虐的だな。それに、長身だと色々困ることも多い。 一番多いのはどこかに頭をぶつける事だが、あれはかなり痛い」 イシュタルがそれを聞き、 「そうそう、特に低い天井なんかで不意にぶつかるのよ、私も一回見たんだけど、 工房の入り口の金属になっている所にぶつけて凄く痛がってたわ」と、マサキたちに話した。 「それは・・・災難ですね」 リュウヒは深刻そうに、マサキはその光景を思い浮かべて笑うのを抑えながら同情した。 ガヴェインはそのときの事を反芻して苦い顔を浮かべた。 「・・・その話はしないで欲しかった」 「良いじゃない。別に不名誉なことでもないでしょ」 「人の失敗というのは、十分に不名誉な話だと思うが」 「そもそもあなたが言い出したことよ、私はそれに付けたしただけだから、元はと言えばあなたに責任があるわぁ」 イシュタルが悪戯っぽく笑い、ガヴェインがやれやれと肩を落とした。本当に仲がいいな、この2人はとマサキは思った。 繰り返すが、市場は人の波が押し寄せていた。 ひしめき合う露店、買い物客、商売人・・・マサキの記憶の中にこれと似たような光景がありはしなかったか。 確かにそれはあった。その時強烈な既視感が彼を襲った。 夢の中、雨の中で気を失った後に見た夢の通りの光景だ。 マサキは立ちすくんだ。ガヴェインたちはそれに気がつかずに人の波間に消え去った。 しかし、今は夢の中ではなかった。路上に突っ立っている彼には他の客の肩や手が当り、 迷惑そうに過ぎ去って行った。彼は慌てて通りの端へと退避した。 その視線の先に彼女はいた。 不意に、アルメイアが左を向くと、そこ灰色のフードを被った人が立っていた。 その人物の視線は彼女へと向けられ、彼女の目もまた、マサキへと向けられていた。 アルメイアは、一瞬呼吸を忘れた。痺れるような感触が彼女を突き抜け、頭の中が真っ白になった。 そして、それはマサキにも同様だったのである。金色の髪、蒼色の瞳をしたその女は、少女と女の中間くらいの歳。 マサキと同じくらいの歳かもしれない。 お互いに理解した。理解という言葉も適切ではないかもしれない。 「邂逅」ただその一言に尽きた。 マサキは彼女に声をかけた。 「あの」 アルメイアは答えない。答えたくても声が出なかった。 マサキは一歩一歩近寄った。 そして、こけた。 おおいにこけた。詳しく言えば、石畳のささいな段差(1cm弱)が、 彼の足取りを狂わせ、体の重心がずれ、バランスを保てなくなり、 アルメイアに向かって右斜め15度のずれを生じながら、 彼は前のめりに転倒したのだ! 体を打ちつけたものの、とっさに腕を突いたのでたいしたケガはしなかった。 が、そのときに出した声が情けなかった。 一番近い文字にに置き換えてみるに、 「ぐぴゃ」・・・・・・・・・・・・・・「ぐぴゃ」だ。 マサキは慌てて立ち上がって姿勢を整えた!・・・だがもう遅かった。 「あ・・・あの」 マサキが何か言おうとしたが、それも無駄だった。 アルメイアの放った初めての言葉は落胆と侮蔑に満ちていた。 「・・・こんなのが私の英雄なのか」と。 第一印象は大事だ。本当に大事だ。 「いや、その」 第一印象で大体の評価が決まるのだ。 「お前、本当に英雄だろうな?」 彼女が尋ね、マサキは答えた。 「・・・多分」 アルメイアは明らかに怒っていた。さっきのほうけたような表情はなく、 口元を固く結び、目を吊り上げ、眉間にはしわが寄っていた。 出会えた宿縁の相手はあまりに情けなく、想像よりも遥かにみっともなかった。 しかし、これが自分の英雄だと分かってしまったのだ。 理屈でも言葉でも言い表せないが、お互いの事を、「わかる」感触はもはや否定しようがなかった。 「多分って・・・何だ!?」 アルメイアは吼えた。まるで男のような口調と発声である。 「それはねぇ・・・多分は多分だよ。多分俺は君の英雄なのかなぁ、という多分ですよ」 マサキは多少平静さを取り戻し、諸手をあげて質問に答えたが、眼前の、自分の運命の相手(推定)は、 怒り心頭、といった面持ちである。むしろ転んだときより怒っている様な・・・ 「情けない・・・行動も言葉も情けない・・こんなのが、私の英雄・・・」 多くの人が、各地に英雄が召喚されている、という話を人づてに聞いた。 そしてその時、半身となる英雄を見つけられた人は、無条件に歌姫資格を授与されるということも知った。 淡い期待だった。自分でも歌姫になれるかも知れない、 しかも、果敢な英雄とともに勇ましく戦う歌姫である。 そして、アルメイアにその願いはかなった。彼女の望まない形でだが。 「英雄はもっとたくましくて、格好の良いものだ!」 アルメイアのこの発言にはマサキも参った。 「そう言われても、実際俺はこんな人間だからなぁ・・・」 「くぅ・・・・」 アルメイアは苦々しく口を塞いだ。マサキは頭を掻きながら困り果てている。 どちらも黙ったまま、しばらく痛痛しい空気が二人を包むかと思われたが、 「・・・お嬢ちゃん、良かったじゃない!」 と声を張り上げたのは、先ほどの装飾品を売る露天商のおばちゃんである。 「英雄に会えるなんて、なんて運のいい子だろう! これも母姫様の奇跡の賜物だよ。この記念に、どうだい、このナイフを買っていきなさい。 特別価格で売ってあげるからさ!」 このどさくさにまぎれて、自分の所の品物を売りつけるとは。 「ナ・・・ナイフ?」 店主とアルメイアの先ほどまでのやりとりを知らぬマサキには何を言っているのか、 さっぱりわからない。 「あ、そうだった。あんた、このこの英雄なんだろ!だったらあなたがこの子に買ってあげなさい。 そうだそうだ、それが良い。これからのお付き合いの証として、このナイフ、買うのが良いわね!」 あっけにとられるマサキは、隣の自分の半身たる歌姫(推定)の方を向き、 「このナイフ、欲しいの?」と聞いた。 「もちろんよ!さっきその子、こればかり見てたもの!」 答えたのはアルメイアでなく、またもや店主。 アルメイアは困惑と苛立ちの入り交ざった表情のままややうつむいている。 マサキは初対面の少女の意図を把握しかねた。 「欲しいなら、買っても良いんだけど・・・」 ガヴェインから少しはお金を貰っている。 これで足りるかどうかは分からないが、金額を聞いて、駄目なら謝れば良いと思っていた。 「どうする?」 マサキはアルメイアの顔を伺った。 アルメイアもマサキの顔を見た。情けない、意気地のない顔。 アルメイアは突然我慢しきれなくなった。 必要でもない品を押し売りする店主。 そこに突然現れて転んだ愚かな自分の半身。 こんな境遇に置かれている自分の不幸。 何もかも。 いやだ。 いや。 「・・・いらない」少女はぼそりと呟く。 「え?」マサキはとっさに聞き取れず、聞き返した。次の瞬間、 「そんなもの、いらないって言ってるだろう!」 アルメイアの怒りが再び炸裂した。マサキも露店の店主一瞬、あっけに取られた。 「いや、でもこのナイフ見たたんだろう?」 「見てただけだ!別に欲しいとは一言も言ってない!」 「あ、ああ。そうだったのか」 少女の剣幕に気圧されるマサキだったが、 「あんたら、もう買わないんだったらどっかに行って頂戴!英雄でも歌姫でも、冷やかしに用はないよ! けんかなら別の所でも出来るだろぉ、ほら、どいたどいた!」 もはや買う気がない客にいつまでも構っていられぬとばかり、 店主に指を指されて店の前から立ち退きを迫られた。 仕方がないので、二人揃ってその場から立ち去ろうとするが、 すでに周囲にはアルメイアの怒号に立ち止まった人達が、ひそひそと話し合っていた。 どうやらマサキが英雄だと言うのが、先ほどの会話から知られてしまったらしい。 英雄がまだ珍しい存在なのは、前述の通り。 なんとか人を避けて、場所を変えようとするマサキを野次馬根性の強い数人が阻む。 好奇心からか近づいて観察したり、マサキに質問しようとする人もいる。 しかし、マサキにとっては今はそれどころでない。 隣にいるアルメイアはいまだに苛立った表情を崩さない上、 よく考えてみれば自分はガヴェインらの一行ともはぐれているのであるから、 一刻も早く合流すべきである。 「へ〜、あんたが英雄だというのか・・・想像してたのとずいぶん違うなぁ。」 「ねぇ、何でこの国に来たの?その隣にいるのってやっぱり歌姫なんでしょ!?」 必死にどいてください、どいてくださぁいと押しのけようとしても、一向に前に進まない。 少女の腕を引いていこうかとも考えたが、初対面で気が引けた。 アルメイアはやはりだんまりのまま。マサキの命運やいかに!? 次回に続く。ちゃんちゃん♪ |