つい先日。俺は夢を見た。

 暖かな雨の下、暖かな空気の中、俺はただただ立ち尽くす。

 誰が来るわけでもなく、何が変わるわけでもなく。

 そこがどこかも分からず、それが何を意味する行為なのかも分からず。

 俺は、ただただその場で立ち尽くすのだ。

 その夢の最後は、いつも歌で終わる。

 その歌は、俺に語りかけるかのような歌なのだ。

 いつも、いつも聞こえるその歌は、俺にこう語りかける。


「汝、運命という言葉を信じるか否か?」


 硝子瑠璃の物語は、ここより始まっていたのかもしれない。

 初めて、彼女の声を聞いたのは、紛れもなく、この夢だったのだから。









GLASS KNIGHT STORY

1SECTION「FAIRY MEET」




 朝、目覚めると、目の前に広がっている風景に見覚えがなかった。


「…………」


 さすがに悩む。

 あたり一面雪原雪原雪原白白白白白白白。

 そんな、奇怪な場所で、一人頭をかしげているのは、硝子瑠璃という青年だった。

 齢18歳。類稀な容姿を持ち、女の子にモテモテという男の敵たる存在が、この青年とも言える。

 もっとも、本人に自覚はないのだが。

 彼は、雪原で一人悩んでいる。なぜこんな場所にいるのか?なぜ自分はこんな場所で眠っていたのか?

 しかし、答えは一向に導き出されない―――当然の事なのだが。

 何せ、ここにいるのは彼の意思ではなく、他の者の意思が関わっている事柄であるし、ここは彼が知っている場所ではない。

 この世界はアーカイア。

 幻糸と呼ばれる不可思議なる糸が紡ぐ歌の世界である。

 もっとも、今は歌というよりは戦乱の世界というほうがしっくりくるかもしれない状況だが。

 青年の方に話を戻す。

 彼は、いまだ雪原の真ん中にいた。

 というか、正確には―――


「フム……凍えそうなくらいに寒いね、あっはっはっはっはっ!!!!!」


 ―――凍えそうになっていた。

 寝るときの薄い服装で、この雪原に放り出されたのだから、それは致し方が無い事とも言えなくない。

 が、凍えそうになっているという状況に対し、彼がとった行動は爆笑するというなんとも無益な行動。

 一応断っておくが阿呆ではない。


「あ〜……ここまで、状況の打破の仕様が無いと笑うしかないな!」


 という理由からである。

 考えてもらいたい。果たして、雪原のど真ん中に、知らず知らず放り出された場合、どんな方法を持ってすれば凍え死ぬという状況を打破できるのかを。

 事、この硝子瑠璃という青年が取った方法は本当に無益な行動ではある、が、絶望という暗闇に心の色を染められなかっただけでも、この青年を評価できないだろうか?

 嘲笑とも哄笑とも取れる青年の笑い声が雪原に響き渡っている。

 それ自体に大した意味も無く、その笑いに籠められた希望も無く。

 それ自体に意思は無く、その笑いはそれ故に乾いた笑いだった。


 
 いつしか、その笑い声もやむ。

 訪れる静寂。


「笑うことにも疲れたし、寝るか」


 雪原の真ん中で、瑠璃は笑顔だった。

 笑顔のまま、雪の上に横たわる。

 きっと、その体を今、雪の冷たさが襲っていることだろう―――にもかかわらず、変わることの無い、揺るがない笑顔。

 その様子を見た、誰もが思うだろう。

 彼は可哀想だと。彼は壊れてしまったのだと。

 彼を見た、誰もが思うだろう。

 近寄りたくない、精神異常者になど近寄りたくない、と。

 だが、それは間違った認識としかいえない。

 だが、それは彼のことを理解しようとしなかった者達の過ちとしか言えない。


 彼は狂っていなかった。この状況の中、絶望に彩られていない彼は、狂気に彩られているわけでもなかった。彼は、正常な思考の中で、その行為を選択したのだ。

 すべては、無駄だということを正しく理解しているが故に。すべては、どうしようもない事実だと理解したが故に。

 これは夢なんだろう、という現実逃避すら自分に許さず、彼はそこに笑顔で横たわる。

 それが、彼たる所以だった。彼は、そう行動するが故に、硝子瑠璃という存在だった。

 何に絶望するでもなく、何から逃げるでもなく。

 いつも透明な心を持ち、いつも脆く繊細な心を持ち、いつも儚く美しい心を持つ。

 それが、硝子瑠璃という存在だった。

 雪。雪が占める世界。

 いつしか、静かな寝息が聞こえ始めた。

 それは、死へと到る為の安らかな眠り。

 硝子瑠璃は、雪原の中、ただ眠りについた。





 ゆきのうえを ただあるく

 むじゃきなこころで おさないこころで

 はずむこころ よろこびをかんじる

 わたしは ただゆきのうえをあるく

はだかのこころで ありのままをかんじて

 おどるわたし えがおのわたし

 あしのうらをとおしてつたわる ゆきのつめたさ

 それにすらよろこびを それにすらしあわせを

 わたしはありのままに このせかいをかんじる

 とうめいなこころで とうめいなままに

 まるでそれは ゆめのあのひとのように

 わたしはとうめいになって このせかいをかんじる

 ただゆきのうえを かれをめざしてあるいていく

 ようやくあえる かれにあえる

 おさないこころのまま わたしはかれをめざしてあるくのだ

 おさないどうじょのように わたしはかれをめざしてあるくのだ




「起きるがいい、我が英雄よ」


 薄っすらとした意識の中、そんな声が聞こえた気がして、浅い、眠りの世界から脱出する。

 まず、覚醒した意識で感じたのは、体を痛いほどに突き刺す雪の冷たさ。

 次に感じたのは、体の節々に感じる違和感―――感覚が無い。

 視界は、寒さのためか血流が滞っているようで、まだ真っ暗暗闇のまま。

 徐々に世界が白んでいく。感覚も、どうにか復活し始めた。

 そして、俺の世界の中心に、彼女という存在が誕生した。


「あ……?」


 思わず、首を捻る。情けない、呆けた声を上げながら、彼女をじっと見つめてしまう。

 彼女は、事、自分以上にこの雪原に似合わない服装をしていた。

 まず、肌の露出が異様に大きい。まるで、踊り子が着るような服装で、彼女はそこに立っている。

 漆黒の、墨流しの長髪を風になびかせ、とてつもなく強く、この世のすべてを垣間見ているような瞳をこちらにむけ。

 彼女は、そこに立っている。俺という世界の中心。俺が知覚出来るすべての中に、彼女は立っている。

 薄く、空から雪が降り始めた。風に舞う、水分を含んでいない、軽い雪。

 やわらかく、それでいて冷たく、酷く残酷でありながらも、この雪原に相応しい優しい風が吹く。雪を纏い、雪が纏い、空から降り降りてくる、柔らかな雪を、柔らかな風がさらってゆく。

 雪は、淡い燐光を放つ。それ自体が、まるで燐光のように。それ自体は、燐光を纏う妖精の様に。

 彼女越しに見える雪は、彼女を彩るように見え、彼女を装飾する世界という名のアクセサリーにも見え。

 要するに、彼女はこの世のものとは思えないほどに、幻想的で、神秘的で、美しく、俺の世界の中心にあったのだ。


「き……君…は?」

 震える声で、俺は、その幻想に尋ねた。


「フェイトと言う、我が英雄。私は、汝の歌姫、フェイトだ」


 幻想は答えた。鋭い意思が乗せられた、堂々たる、返答。

 俺は、このときから、この"少女"に魅せられてしまったのだろう。

 俺は、歩み始める。硝子の道を。硝子の騎士となるための道を。

 彼女と共に歩む、この道を。俺は、まっすぐと見つめる事が、この時はまだできていなかったけど、予感していた。

 この道の先にあるのは、きっと、何か大切な事なのだろうと。

 予感していた。それは、変わることのない運命なのだと。

 だが、それよりも何よりも、まず指しあたっての問題があった。


「あ〜…………フェイト?」


「何だ、我が英雄」


 恐る恐る名前を読んだ俺に、強い意志とともに、返答する少女。


「…………凍え死にそうです、世間の冷たさに。さしあたって、それをどうにかしたい」


 その少女に、俺は死活問題である、この寒さを訴えかけた。


「……近くに街がある、そこまで歩けるか"瑠璃"?」


 その訴えに、あきれ半分の笑みを浮かべながら、優しく少女は返答したのだった。

 そこに在った、些細な違和感に気がつくのは、また今度になりそうだった。








次回予告

街

人々が群れを成し住み給う町

そこには、数々のぬくもりが在り

数々の出会いがあり

数々の想いがある

そこには、すべてがあり

きっと、すべてはないのだろう

今宵、町は戦場と化す

硝子の騎士は、剣を取る道を選ぶのか、それとも……

2SECTION 「SWORD」

選択は、いつも苦渋に満ちている

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