荒廃の使者〜英雄編〜

4・アーカイア、現世、エティニー…



 「ゥアアァァァァァァアーーー………」

 あまりにも突然に、少年が叫びながら目覚めたので、琉人は少し ──── いや、かなり驚いた。少年の全身は、まるで水を浴びたかのようにとも言えるほど汗だくになっている。

 「大丈夫か?」

 琉人が声をかけると、少年は黙って頷いた。ひたいの包帯の赤い血の色が汗で滲んでいるため、どうも大丈夫だとは思えない。

 「・・・ここは?」

 少ししてから、少年は不思議そうに訊ねた。琉人は手に持っていた黄色いファイルを机の上に放り出すと、その隣にあったイスに腰掛ける。

 「宿だ。露天風呂がある以外は、いたって普通の」

 そう聞くと少年は一瞬戸惑ったようだったが、すぐに

 「あ、えと、ありがとうございました」

 と礼を述べた。歳相応の反応と言えるのかどうかは、こちらに来てから自分以下の年齢の者を相手をしたことが無いので、今の琉人には量りかねる。

 「何、困ったときは・・・って諺も現世にあるんだ。気にするなって」

 「・・・あ!そうだ、宿代・・・」

 そう言うと少年はポケットに手を入れ、そして

 「・・・サイフが・・・」

 見る間に青ざめていった。まぁ、仕方ないと言えば仕方ない。

 10歳でここまでしっかりしているのは珍しい事だが、それはアーカイアで生きていくのには都合がいい。

 それはともかくとして・・・

 「気にするなって。二日分くらいどって事はないさ」

 琉人はそう言うと、少しだけ微笑んだ。少年の不安に染まっていた蒼い瞳は、少しだけ安心した風になった。

 机の上の黄色いファイルを見ると、琉人は急に話題を変えようとした。

 「ああ・・・そうだ。ちょっといいか?えーと・・・」

 「・・・キオ、です」

 「僕は琉人だ。さて・・・」

 話を続けようとした瞬間、ガチャリとドアノブの開く音がした。見れば、入ってきたのはリィスであった。さきほどまで温泉にでもつかっていたのであろうか、髪が微妙に湿っている。

 「あ、目が覚めたのね。よかったわ」

 どうも、と挨拶をするキオ。互いに挨拶と紹介が終わるまで待ってから、琉人は話題を再度切り出した。

 「質問なんだが、キミの奏甲、どこの物なんだ?」

 「・・・何でそんな事を訊くの?」

 しばしの沈黙。

 琉人は先ほどの黄色いファイルを持ち上げると、最後の方からパラパラとページをめくり、そこに書かれていることを読み上げ始めた。

 「“改良型ナハトリッタァ(アークデモン)試験体No.0856”“改良点:機奏英雄単体での完全機動 自我プログラム 自動戦闘機能”“今後改良余地部分:コクピットの狭化 自動戦闘可能時間 アークウィング装備余地”・・・」

 読み上げるにつれ、明らかに普通のナハトリッタァとは違うであろう部分が次々と出てくる。こんな技術は現在のアーカイア“には”存在しないはずだ、と言うような技術が。

 「・・・“つまり機奏英雄単独でも機能する、もしくは無人で機能する偵察機体を目的とした物である。”」

 「それって・・・どう言う意味なの?」

 リィスの問いに、少しの間だけ沈黙がその場を支配した。少しだけ躊躇いがちに琉人が言葉を口にする。

 「つまり・・・歌姫の必要無い、場合によっては機奏英雄すら必要の無い機体・・・の未完成品って事さ」

 琉人はそう言ってから、再びキオの方を向く。

 「どこで手に入れたんだ?」

 「・・・わからない・・・」

 は?と思わず琉人は訊き返してしまった。あれだけの機体を手に入れた場所がわからないなど、そこを隠そうとしているか、本気ですっかり忘れたかのどちらかしかないだろう。

 しかし、隠し事をしている様子ではない。その事は、彼の目を見ればすぐにわかった。

 「何で・・・?どうして・・・!?」

 「・・・」

 琉人は彼に声をかけようと口を開くが、一言も発せ無いままに閉じてしまった。

 何も、言えない。いや、言ってはいけない。そんな考えが頭をかすめ、それが行動を中断させた。今にも泣き出しそうなキオを見ているだけで、何も出来ない。

 奏甲技術をかじった者として、それを駆る者として、是非何処で手に入れたのか聞きたかったはずなのに。

 ただ、そこに居る事しか今の琉人にはできない。記憶の糸を手繰り、失敗しては不安の色を濃くしていくキオを、ただ見るしか。過去喪失者の痛みは、同じ経験を持った者でなければ分かりはしない。

 リィスがキオに優しく話しかけた。

 「・・・無理に思い出す必要は無いわよ」

 ほとんど半泣き状態の目で、キオは彼女の方を向く。

 「少しずつ、思い出せばいいのよ」

 ね。と言ってリィスは微笑んで見せた。

 キオはまだどこか少し不安そうな表情で、頷いた。だが、

 「ま、思い出せる可能性は極めて低いだろうけどな」

 この琉人の言葉で、一瞬にしてキオは絶望のどん底まで叩き落された。

† † † † † † † † †

 街の外で日の当たらない場所が危険なように、街中もまた日が当たらない場所は危険である。だが、リスク以上に見返りが大きいのも事実ではあるのだが・・・

 この裏路地には、奏甲ジャンクパーツ店や違法歌術取扱店などがひっそりと点在しているため、この事を知っているペアの姿を時々見かける。

 琉人はこの裏路地に、一人で買出しに来ていた。正直言ってキオと居るのは気が進まないし、こう言う事はリィスに任せるのが賢明と考えたのだ。

 夕暮れ時が近いせいか、表通りとは違った裏通り独特の陰の活気で満たされ始めている。

 (・・・)

 ギィィ・・・

 琉人は酒場に入っていくと、カウンターに腰掛けた。店内は決して衛生的とは言えないし、ヤヴァい薬のニオイも微かに残っている。

 「あい らっさい。なんに すんろ?」

 微妙に舌が回らず顔色の悪い店主が琉人に気付き、これまた微妙に焦点の合わない目をこちらに向けた。

 「部品を見せてもらえるか?」

 「あい、ぶひんね。こっちれす」

 顔色の悪い店主は大げさに首を縦に振ると伝票を手に取り、危なっかしい足取りで歩き始めた。

 「ここ、ここ」

 そう言いながら店主は、壁の一箇所を節のある指で探り、小さな穴に人差し指を差し込んだ。軽く軋む音と共に、今まで壁だと思っていたものは開いた。

 「したえ どおぞ」

 隠し扉の向こうには、石造りの螺旋階段が続いていた。段を一つ下るたびに、足音が反響する。

 「どんなぶひんが ほしいんれすか?」

 長い長い螺旋階段の途中で、店主が歩きながら注文をとる。部品を全て読み上げる頃、やっと螺旋階段が終わった。人一人が通れるかどうかの小さな扉がある。

 「さ、なかえ どおぞ」

 店主は言いながら扉を開けた。

 上の店とは全く違い、この地下室はちょっとした工房と同等の広さや設備がある。工房なら一般の奏甲が駐機しているはずの固定台には、代わりに大きな部品が置かれていた。工房と大きく違うのは、人の活気が全く無いと言う点だけであろう。

 「このつつわ“ああくまいくろめえざあ”ていって、げんしを ひかりのや にへんかんするぶきれす」

 店主はまるで自分の玩具を自慢する子供の如く、舌が回らないなりに新しい武器の紹介をする。

 「いや、武器はいらないから・・・。注文したパーツは何処に?」

 苛ついているのか、琉人は僅かにノイズ混入した声で尋ねるが、店主は一向に気にしていない様子である。

 「それわ あとで いいじゃん。それより このけん、“せっしょくれんじよう ざつおんはっせいそうち ないぞうがた”だから、そおこお お あいてにするのには いいか───」

 腰に帯びている剣を手で弄んでいる琉人を見て、店主は新商品の紹介をあきらめるしかなかった。これ以上怒らせては、本気で斬られる可能性も0ではない、と直感したからだ。

 「・・・こっちれす」

 店主は先ほどまでの勢いは何処へやら。奏甲の中で重要な位置を占める部品を置いてあるスペースの一角に、落ち着いて案内する。

 「代金は商品着払いでいいよな?」

 極力、負の感情を忘れるように勤め、発した声はまだ僅かにノイズまじりであった。

† † † † † † † † †

 まいど〜、と舌の回りきらない喋り方で言うと、奏甲ジャンクパーツ店の店主は工房から出て行った。琉人はパーツを見上げ、これで、と呟いた。



 滑空翼つきのシャルTは、やはりどこに行っても珍しがられる。ここの工房でも、約一名が機体のあちこちをチェックしている。

 (・・・? あの姿、どこかで見たような・・・)

 機体の肩の位置をチェックしていた者はこちらに気付くと、そこから飛び降りてこちらに向かってきた。その背中に黒い大剣を背負い、左腕ほぼ全てをカバーするガントレットを装備したその者と、やはりどこかで会ったような気がしてならない。

 そう考えているうちに、すぐ目の前までやってきた。

 「・・・久しぶりだな」

 その者の声を聞いて、それが誰なのか琉人はやっと確信した。

 「ああ、久しぶり。クシェウ」

 「相変わらず改造の手腕は凄いな。」

 「ありがと。・・・で、なんでアーカイアにいるんだ?」

 この問いにクシェウは、一瞬迷ったような表情になった。しかしすぐに元に戻ると、

 「調査を命じられた」

 と答えた。彼の言うところによれば、アーカイアをかなり長い間断続的に調査し、干渉する事が有益であると判断された場合には、エティニーと言う世界から何らかの干渉をするらしい。

 「干渉するのが無益な場合は?」

 「・・・無視するだけだ。本来別の世界だから、どちらかから術などによって干渉しなければ、自然に干渉する事は有り得ない」

 ただ、とクシェウは続けて言う。

 「宿縁と呼ばれるそれについては、エティニーのお偉いさん方は好く思っていないようだ。干渉するのが無益な場合、この世界に限って“超高速荒廃”が使用されるかもな」

 「何故だ?」

 「・・・最高権力者の内の一人の、その息子がこっちに召喚されたらしい。見つけたら即刻取れて帰って来いと言われたが、恐らく見つからないだろうな。幻糸はエティニーの存在に、精神面で悪影響を及ぼす。記憶が消えているかもしれん」

 ここでクシェウは一度言葉を切り、この世界が悪いわけじゃなかろうに、とも言った。そして不意に顔をあげ、何も無い空間を見回しこう言った。

 「蟲が来る」

 「・・・わかるのか?」

 「ああ、幻糸と精霊力は似たような感覚で縛る事ができる。同じように、術使いなら感じ取る事もできるし、俺は一応幻術と魔導術を使える」

 クシェウは工房の外に向かい歩き始めた。

 「新種が1・・・か」

 工房の奏甲搬入口近くで立ち止まると、クシェウはこう言った。

 「奏甲で参戦するなよ?いると邪魔だ」

 「だからって・・・どう新種を生身で!?」

 軽く笑うと、俺は人間じゃないし人間の常識では計れない存在だからな、と言い、クシェウは外に出た。