荒廃の使者〜英雄編〜
5・終の門(1)
ある日の暮れ方のことである。一人の女性が、坑道入り口で待っていた。
坑道、と言っても今は事実上廃坑である。坑道奥に奇声蟲が住み着いたらしい、と言う不確定情報がこの鉱を廃鉱にさせた原因であった。とは言え、時折奥の方から吐き気を覚えるような鳴声──ノイズが聞こえる事から、恐らく本当のことなのだろう。
そのためか坑道内には灯り一つ無く、いかにも恐ろしげな雰囲気を醸し出している。こんな場所には、誰も来たくて来る事は無いだろう。彼女もそうだった。
彼女はただの使い走りである。言い訳程度に帯剣してはいるが、蟲と出会ったら真っ先に逃げ出すだろう。だが、主人の言いつけを遂行するまでは、ここから立ち去るわけには行かない。もしそうすれば、まず間違いなく暇を出される。つまり、クビにされてしまう。
早く来てくれ、と言うような事を祈るように呟いた。何度と無く呟き、雨の音と坑道に何度と無く空しく吸い込まれていったセリフだ。
ふと顔を上げた拍子に、何かがこちらに向かって来ているのが分かった。十中八九、主人が言っていた「琉人」と言う機奏英雄の乗っている奏甲だろう。赤いゼーレンの姿を見て、彼女はそう思った。
これで、主人にいいつけられた用事も終わる。と思い、次に、酒場に行こうかな、と彼女は思った。無意識に右手で触った左手には、以前拾った指輪がはめられている。宿縁に反応する指輪らしいが、今まで一度も光った例は無い。しかし、彼女はそれを宿縁を探すための物としてではなく、お守り代わりに持っていたのである。もちろん、光るならそれはそれで嬉しいのだが。
琉人は“赤虎”と名付けられていた赤いゼーレンヴァンデルングから降りると、坑道入り口に向かった。今回の依頼は、坑道奥に住み着いた蟲退治。報酬はそれなり。リィスももちろん来ているが、今回は場所が場所なだけに迂闊に歌術を使えない。だが、それでもついてきていた。
ぽっかりと口を開いた穴の入り口付近に、質素で飾り気の少ない服を着た女性が立っていた。依頼主が言っていた使いの者と言うのは、恐らく彼女の事だろう。
コォォォォ・・・
上の方から、曇りの日に飛行機が上空を飛んでいくような音が聞こえた。ここらは飛行型奏甲の航路にもなっているらしい。それは戦場で聞きなれた音のはずなのに、今日は何か嫌な感じがする。
(何だ、この感覚は?・・・寒い?)
琉人は体をぶるっと震わせた。武者震い、ならどれだけ良い事か。
(まるで冬の湖のようだ・・・)
琉人は昔小さい頃、真冬の湖に落ちて悪性のインフルエンザを患い、死線を彷徨った事があった。その記憶が何故か、現在の状況とダブって思い出される。あの時も、こんな風に寒かった。
(友人と遊んでいて、突き落とされたんだったかな。その後・・・)
「琉人クン、大丈夫?」
リィスに訊ねられ、琉人はやっと我に返った。
「ああ。平気さ。」
なるべく平静を装いながら答えた。だが、それでいながら小さく震えているのが自分自身よく分かる。心では“不安”“恐怖”などの負の感情が高まっているらしく、声にノイズが混入していた。それが全く無害なほど僅かならよかった。だが、現実は容赦なく衛兵級のノイズを声に混入させてくれた。
ノイズは歌姫にとって、脳に直接ダメージを与える類の衝撃、と言っても過言ではない。それが例え擬似であろうと、宿縁の発した物であろうとかなりの苦痛を与えられる。リィスが頭を抱え込んでその場にしゃがみこんでしまったのも、無理は無い。
「大丈夫か?」
琉人が訊ねてみるまでもなく、大丈夫ではないのだが、リィスは無理に笑顔を作り、大丈夫、と返事をする。
「無理するな、そこの小屋で待たせてもらってろ。多分半日もすれば戻る。」
「でも・・・」
「でも、じゃないだろ、リィス。無理に我慢する事は無い。」
このセリフが、また記憶の中のセリフとダブる。
(「でも、じゃないだろう琉人。無理に我慢する事は無いよ。こんなに寒いんだから・・・」)
「・・・そう、ね。わかったわ。」
ぼんやりとした現実で、リィスが言ったセリフがまた、琉人の記憶とダブる。
(「・・・そだね。わかった、帰るよ。」)
それから今までの事は、あまり詳しく分からない。それどころか、現実か記憶の一場面かすら、よくわからない。
そんな状況が長く続いた。全ての言葉や身振り仕草どころか、場所すらもが、記憶の中の場面と見事にダブるのである。
坑道の中は、暗くひんやりと涼しい。それが彼の家の地下室を思い出させる。
(地下室がある家ってめっちゃめずらしいやん、ってよく家に来た友人に言われたっけな・・・)
そう思いながら、坑道の支柱に手をつく。木で出来たかなり古いそれは、触るだけで表面が剥がれ落ちる。だが、決してささくれ立っていたりはしていない。それが今度は大黒柱を思い出させた。
(純和風の家で、かなり広かったんだっけ。確か曾々祖父の時に建てられた・・・)
懐かしい思い出に浸りそうになった瞬間、坑道奥から自分の声に混入しているそれを純粋にしたようなものが聞こえた。一瞬にして記憶をかき乱し、琉人をはっきりとした現実に引き戻す。
「この奥に・・・いる!」
自分自身に確認するように呟き、帯剣していた白柳剣を鞘走らせた。暗い中に白い剣が、本当に僅かな光をもたらす。幻糸鋼で作られているのだから、あたりまえと言ってしまえばそれまでだが。
「そうだな、確かに何か、いる。」
「!!」
後ろから急に話しかけられた。反射的にいつも奏甲でしていた動きをとり、後ろに立っているその何者かに剣を突きつける。だが特に恐怖を感じたわけでもないのか、その何者かは闇の中で身動き一つするわけでもない。
「・・・誰だ?」
「忘れたのか?俺を?」
と、その声を聞いて思い出す。今までしつこいほど何回も会った、あいつの声。少しだけ安心して、白柳剣をおろす。
「クシェウ・・・」
「ああ。今回は俺一人じゃないが、な。」
半竜人は闇の中でくすんだ金色の瞳を光らせていた。まるで、新月の夜に獲物を狙う獣のように。その左下の方には、青い光を放つ玉が四つ浮かんでいる。
「調査だよ。今回は魔導的基本調査だけじゃなく、水質調査もするんでね。」
琉人の疑問を読み取ったかのように、クシェウが先に返事をした。その少し後、何か呟く声が聞こえ、急に周囲が白灰色の光に照らされる。暗い場所になれた目に光が痛い。光源は、と見ればクシェウの左手の上に、白い火の玉が浮かんでいた。
四つの青い光の玉の正体は、おびえるようにクシェウの後ろに立っていた、15ほどの少女の服についていた宝玉らしい。波打ち際に浮かぶ泡を布にしたような生地の、優雅さを醸し出している服で、両肩と腰の辺りにこれまた水を無理矢理そのまま固めたような大粒のサファイア(のようなもの)がくっついている。
クシェウの服装は、野良作業用の土色のジーンズのように見えるズボンと、ズボンと揃いの色の半そでシャツ、その上にいかにも旅行者と言った風の少々襤褸いマントを羽織っているだけである。ちなみに琉人の服装は、いつものカバーオールの下に上半身だけをカバーするタイプの鎧を着込んでいる以外は普段と同じだ。
「種族衣装だ。・・・民族衣装みたいなモンさ。そう気にするな。」
またも琉人が何か訊ねようとした瞬間、クシェウが先読みをして答える。いや、クシェウの口は開きすらしていなかったのだが、そうとしか言いようが無い。琉人は、はっきりと耳でクシェウの声を聞いたのである。
「口を開く必要は無い。それにヤツら、どうやら目は退化しているものの聴覚が発達しているらしい。」
(何故見えもしない蟲の事がわかる?)
「・・・スェルの能力のおかげさ。水と意識を同調し、視覚と聴覚を一定量以上水のあるところならば何処までも飛ばせる、水人特有能力“水の感覚”。」
そう言って、ぽん、と傍らの少女の頭に手をのせた。少女は、子ども扱いされるのが嫌で、抗議の目でクシェウを見る。
(そんな小さい子で、水質調査の任が勤まるのか?)
「外見は15だが、しっかりと170年の知識がある。大丈夫だろう。・・・それより、いいのか?こんなところで油売ってて。」
言われて、琉人はやっと自分が何故ここに居たのか思い出した。
「白光の炎球を持ってけ。俺らにゃ不要だからな。」
クシェウが手首で何かを投げる仕草をすると、白い光を放つ火の玉が琉人の方に飛んできた。肩ほどの高さでぴたりと止まり、視界を照らし出す。
(・・・何故?)
「暗くちゃまともに戦えないだろ?」
(そう、だな。ありがたく受け取る。)
そう思い浮かべ、琉人は坑道の奥に走って行った。それを見て、少女──スェルは不思議そうな表情を見せる。
「ね?なんであの人間、あんなに急いで行くの?」
「んー・・・。あんまり遅くなって宿縁に心配かけないため、じゃないか?コッチにそういうモノがある事は書類で知ってるだろ?」
「知ってるけど・・・。そうじゃなくて、彼はなんでわざわざ死にに行くの?ここの狂声蟲、とっても凶暴そうなんだけど。」
狂声蟲、と言うのはエティニーでの奇声蟲の呼び名である。全く関係はないが、歌姫の事は歌術士と呼ぶ。
「・・・幻妖LVで言うとどのへんだ?」
「LV・・・7〜8、かな。どの道死ぬよ、あのコ。」
幻妖LV7〜8、と言うとそうとうに危険である。一般的に知られている“スライム”等の幻妖ですらLV2に分類されるのだが、狂声蟲(奇声蟲)の衛兵種はLV4。貴族種ですらLV5で、新種でもLV6。ちなみにドラガンと呼ばれるドラゴンの凶暴亜種はLV10だ。
「水源付近に?」
「そうみたい。スェルたちが調査するためにも、倒して欲しいけど・・・」
人間じゃ無理だろうな、とクシェウは闇の中でくすんだ金の瞳を光らせながら呟いた。それは、さっき琉人が闇の中で見たそれよりも研ぎ澄まされたそれだった。