荒廃の使者〜英雄編〜

4・キオ


 森、である。

 広葉樹はあまり多くないが、広い森である。普通サイズの奏甲なら頭のてっぺんすらも見えないようくらい、高い木々が多く生えている。

 その森に、スマートな印象を与える黒い奏甲     ナハトリッタァがサーベルを大切そうに抱きながら座っていた。その足元では、10歳くらいの男の子     髪は黒ではなく、薄紅い     が焚き火をしている。

 彼は、過去を失い、未来を失った。

 彼の瞳に映るのは、何だろうか。宿縁の幻影か、それとも己の故郷の思い出か・・・

 突然、森が騒がしくなった。奏甲がひとりでに動き、音の方向を向く。

 「キオ」

 あろう事か、奏甲が喋った。

 いや、一説には全ての存在は声を発しているとも言われるので、ひょっとしたら有り得る事なのかもしれない。

 「何?」

 「近づいてくる機影を確認した。シャルラッハロートに酷似している」

 ナハトだからこそ確認できる距離。昼間でも薄暗い森で、しかも今は夕方なのに、こうも目が利くのは暗視能力のおかげだろう。

 「うん。わかったよ、お姉ちゃん」

 そう言うと キオ と呼ばれた少年は“お姉ちゃん”に乗り込んだ。


 森。

 大森林である。

 毎度お馴染み琉人とリィスは、何故か迷っていた。

 無論、方位磁針も地図も買ってはいたのだが、役には立たなかったらしい。不機嫌そうな動きで、木々をなるべく折るようにして歩いている。そのため“凱神”の通った後は、ちょっとした道のようになってしまった。

 もう何も言うまい求むまい、という感じでリィスは特に何も喋らない。琉人は真面目に道を探しているため、時折呪いの言葉のように聞き取れる呟きをもらす以外は何も喋らない。至って静かであった。

 と、琉人は“凱神”の歩みを突然止めた。そして巨盾のマシンガンの砲門を開く。

 「・・・どうしたの、琉人クン」

 規則正しい振動が止んだのに気付いたリィスが訊くと、琉人はただ

 「戦闘機動の準備をしてくれ」

 とだけ答えた。


 夕闇が闇に転じるころ、森から一機のナハトリッタァが現れた。一応手にはサーベルらしきものを持っているが、攻撃するつもりは無いらしい。鞘に収めたままである。

 何にせよ、万が一戦闘に発展したとしても、今ならナハトの方が断然有利である。何しろここは元々薄暗い森林地帯で、さらにもう夜なのだから。隠密行動で木々の間に隠れれば、琉人からであってもそれなりに逃げやすいはず。

 ホゥ、と梟が鳴いた。

 二度。三度。

 梟の声が四度聞こえたとき、ナハトリッタァの英雄の方から話しかけてきた。

 「武器をおさめて。こっちには攻撃するつもりはないから」

 「・・・子供か」

 確かに琉人の言うとおり、聞こえてきた声は子供のものであった。まだ声変わりもしていない、幼い声。喋っているセリフも、誰かに教えてもらって言っているような感じだ。

 武器を捨てろと言うのなら即刻撃っていただろうが、おさめろと言うのであれば逆らう必要は無い。砲門を閉じ、左腕にスライドさせる。

 「一体何の用だ?」

 「それはこっちの言いたい事だよ。こんな所に依頼で来るはずがないし」

 しばらく沈黙が続く。

 「道に迷っただけだ。一番近い道まで案内してくれれば、この森をすぐに出て行くさ」

 「そう・・・じゃあ、ついて来て」

 そう言ってナハトが方向転換した瞬間。

 「琉人クン。蟲が来たみたいよ」

 リィスが幻糸の乱れに気がついた。琉人がナハトリッタァはと見れば、あちらは何も気付いていない様子である。一応武器を構え、臨戦態勢をとる。

 「おい、そこのナハト。さっさと武器を構えろって」

 「え?何で?」

 「奇声蟲だとさ。死にたいのか?」

 少々キツい言い方であるが、事実だろう。ナハトリッタァもサーベルを構え、不安げに辺りを見回している。

 「来た!」

 幸いにも来襲したのは衛兵が十数匹だけのようである。貴族種がいれば危険度は大幅に上昇しただろう、これは幸運と言うべきか。

 リィスが歌い始め、“凱神”のアークドライヴが唸りをあげる。

 それとほぼ同時に、一匹の衛兵が突進してきた。
 胴体狙いのその突撃を体をひねってかわし、すれ違いざまに盾で叩き落す。地面にひっくり返っているそれを踏みつけると同時に、巨刀を抜き放った。
 ギィギィと耳障りな怒りの声を発する蜘蛛を叩き潰すように斬り、大きく後ろに跳躍する。片手を地面について跳んだ時の勢いを殺すと、低い姿勢のまま斬りかかった。
 あっと言う間に三匹片付けたが、いつもより遅いペースだ。

 少し離れたところでは、なぜか通常機動のままでナハトが一匹の衛兵と死闘している。
 のっそりとした動きで戦える英雄もすごいが、歌姫もすごい。
 戦闘機動させないのか出来ないのか知らないが、なぜあんな状態で戦わせるのだろうか?

 “凱神”をアポジモータ噴射で補助し大きく跳躍させ、上空からシールド・マシンガンで掃射する。
 木の梢に足を引っ掛けないよう注意しながら、奇声蟲の上に着地。

 蟲がほぼ一斉に、琉人には何ら影響の無い奇声−−ノイズを発した。“凱神”は本当に一瞬だけ傾ぐものの、すぐに元通りになる。
 荒ぶる鬼神の如き戦い方で巨刀を振るう“凱神”の隣では、いつの間にか完全に逃げに徹そうとしているナハトリッタァ。時々サーベルを振るって威嚇しながら、だんだん遠ざかって行く。
 「逃げるなっ!」
 シールド・マシンガンで逃げるモノを追う蟲を撃ち抜く。

 「(まだ来るわ!)」
 「マジ!?」

 幻糸を揺らがせ、巨大な蟲が衛兵を三匹程度引き連れて現れた。

 「貴族種・・・マジかよ、だ」

 貴族種は二機の奏甲を見比べるようにしているようだ。首が左右に小さく振れている。

 半ば戦意喪失しているナハトと改造されたシャルT一機ずつで、貴族種を相手に出来るのだろうか?琉人の脳裏をそんな不安が掠めて行った。その不安はケーブルを介してリィスにも伝わったらしく、歌が微かに不安の色を帯びる。

 もちろん、今まで一度も貴族種を相手にしていなかったわけではない。ただそのほとんどが、相手が手負いだったり、協戦者がいただけである。

 後で何かがぶつかる音が聞こえた。恐らく、ナハトリッタァに何かあったのだろう。後を見てみると、ナハトのコクピットハッチの辺りに大きな凹みと亀裂が入っていた。あれでは中の機奏英雄も無事では有るまい。

 巨刀を構えなおし、シールド・マシンガンのカートリッジを交換する。『ウィング』を回収するのは後で良い、と思えなかったため危険を覚悟で少しずつ後ろにさがり回収に向かう。

 その瞬間、何かが“凱神”の真横をすり抜けて物凄い速さで貴族種に突進して行った。木々の間からまばらに見えていた星が人型に切り抜かれたように見え、それが一瞬後には貴族種を仕留めた。

 すっぱりと斬りおとされた貴族種の首は、まるで未だ生きているようであった。人であれば、今まさに殺しを愉しもうとしていた殺人鬼のような表情だったろう。
 次々と同じように衛兵の首も飛ぶ。こちらはさしずめ、驚きと怒りにまみれた表情、だろうか。

 蟲の胴体は急に脳からの指令が無くなり、しばらく痙攣した後で地響きを立てて倒れた。

 普通の奏甲なら八機で貴族種と対等に戦闘が行え、それ以上でやっと退治できるめどが立つらしい。そう言う話を琉人は思い出した。

 「…それって、あのナハトリッタァが凄いって事よね」

 リィスが歌術による戦闘機動支援を打ち切った。つまり、もう敵が来る気配は無いと言う事だろう。琉人は“凱神”の巨刀を鞘に収め、肉体の緊張をほぐす。

 よくよく考えてみれば、何故こんな何も無いところに蟲が現れたのか。それに、あのナハトリッタァの機奏英雄の宿縁は無事なのか。些細な事ではあれど、気になることが散らばっていた。

 と、急にナハトリッタァが糸が切れたように後ろに倒れこんだ。ズズン、と地響きと粉塵をおこし倒れこんだのである。

 人の安否が気になるのは、人の性。琉人は“凱神”をナハトに(通常機動で)駆け寄らせた。

†††††††††††

 キオは夢を見た。

 黒炎に包まれた、黒い金属のウロコを持った竜の夢を。

 全身が黒金属光沢のウロコに包まれている中で、瞳だけが唯一くすんだ金色をしていた。

 彼にはそれが誰だか知っている     いや、正確には『知っていた』。今やその記憶は消え去り、彼の者に出会う前の事は何一つ思い出せない。

 黒竜が燃え盛る炎を吹き、その炎にキオは包まれた。


 (ここは…どこ?)

 さっき炎に包まれたはずなのに、今は城の中に立っている。

 (誰か、いないの…?)

 声にしようとした言葉は、彼の中で虚ろに反響して消えるだけであった。

 泣きそうになる。

 いくらキオが機奏英雄とは言え、所詮は10歳の子供。こんな状況では泣かずにはいられない。

 だが、彼の意思とは別の力によって泣く事は禁じられていた。その力に体を引っ張られ、壁をすりぬけてそのまま階下へ飛ばされる。

 そこには、漆黒の髪の男(後髪は長く、何か髪飾りのような物でくくっている)と、薄桃色の長髪の女(先のとがった耳が少しだけ見えている)が立っていた。

 彼らは、広い通路の先の空間を凝視している。獲物を狩る直前の肉食獣のように、肉体は静かだが心は沸き立っている。意思には黒い焔が宿っていた。

 彼は、この先の展開を知っていた。いや、この夢の主人公はあくまでもキオであるのだが。

 (…何か…思い出す…?)

 ズズン、と、夢とは思えないリアルサウンドで奏甲の歩く音が近づいて来る。

 ズズン…。ズズン…。

 (え!?)

 現れた奏甲は、紛れも無く見慣れた彼のナハトリッタァ。いくつか今とは違う点があるが、見間違うはずが無い。

 『…フン』

 男は鼻を鳴らすと、左腕の掌を奏甲に向けた。金属でできているらしく、キシリ、カチャ、と音がした。

 『何でボクらを呼び出したの?』

 (…)

 『さて、な』

 そう言うと男は、何か怪しげな言葉を呟き始めた。キオはその言葉の意味を、理解させられた。

 『大次元に普遍の存在たる、大いなる精霊に申し上げる…』

 『…何言ってるの?』

 (あ…)

 『今、我が前に在りし不遜なる存在を、魂としてわが手元に集めよ!』

 『!?』

 (に、逃げて!!)

 『…虚脱の魂魄!!』

 男の掌から、闇を光らせているような色をした光弾が放たれた。それはそれる事無く、奏甲の手の上に乗っていた女性−−≪声帯≫を装備している事から、歌姫と判る−−を貫いた。

 彼女は音も無く静かに、奏甲の手のひらから地面に落ちた。その肉体から、魂魄体が剥離して男の掌に飛ぶ。

 (ゥアアァァァァァァア!!!)

 キオの声無き叫びが、幻影の城に響き渡った。