無題迷話
第弐章 伍話(上)




 商人の国、ファゴッツ。その首都であるファゴッツランドでは、文字通り手に入らない情報や物品は無いに等しい。
 もちろん、と言うべきか。その分、財布の中身が減るのも早いわけだが。
 砂漠と言うのは案外危険な場所でもある。そのため、行商人のキャラバンが奏甲や傭兵を雇うのは、最近では極自然な事となってしまっていた。
 それらを雇うのは、特に“砂巨大長虫(シュピルドーゼ・サンドワーム)”や“大蛇(バルテン・シュランゲ)”と言った砂漠に生息する巨大生物に対抗する意味合いだけでなく、英雄崩れの盗賊団への対抗手段でもある。彼らは統率こそプロの軍ほどではないが、個々の戦闘力は並の機奏英雄よりも僅かに高い場合が多かった。
 そのため数を揃えるのが常套なのだが、そのための支払金を準備できないキャラバンは泣く泣く少数の奏甲で我慢し、後は運良く襲われない事を祈りつつびくびくしながら砂漠を抜けるしかない。
 一行が雇われたのは、そうしたキャラバンの一つであった。十分すぎる報酬を払ってさえいなければ、後四、五組くらいは雇えただろうが。
 とにかくも、キャラバン護衛の配置──ソフィアは一番目が良いので先頭を、琉都は格闘に強いので中央を、アルゼは銃撃で追手を牽制できるので最後尾を──が決まるまでさして時間はかからなかった。


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 そういえばさ、とソフィアからケーブルで通信が入り、琉都は半ば眠りかけていた意識を呼び覚まされた。
ソフィア『今回の荷物って何なのかな? 見た感じ、ただの消耗品じゃなさそうだし…』
アルゼ『そうか? オレにはただの消耗品にしか思えない』
琉都「…いいじゃないか、そんな事はどうでも。 俺達はただの護衛なんだから、荷物の中身を知らされないなら知らされないままで」
 でも、と微妙にハモってアルゼとソフィアが反論しかけたのを、琉都は無理矢理に無視する事にした。
 しかし話をしなければ歩くだけで、それだけ何も無いと眠くなる。自分の足で歩いているならともかく、アーカイアに来てから始終奏甲に乗りっぱなしとも言える状態だったため、通常起動を維持するのはもはや呼吸と同等水準で行えてしまうのも、眠くなる一つの要因なのかもしれない。
 いつしか奏甲のコクピットの中で、器用にも奏甲を歩かせながら琉都は寝てしまった。



 左耳に何か生暖かい風を感じ、琉都はとびあがった。
 そしてその風の発生源が、今までずっと同じコクピット空間におさまっていたクゥリスである事に気付くまで、さらに三秒を要してしまった。
 さらに奏甲の周囲に誰もいない事に気付くのには八秒を必要とした。誰もいない、と言うのは文字通りの意味である。砂塵が舞い上がる大地で、ハイリガー・クロイツは一機だけ無心に進み続けていたらしい。
 しまった、と呟くと琉都はシート──奏甲のコクピットには普通、奏座と呼ばれるシートがあり、これが思念を汲み取る一つの媒介になっているらしい──に深く身を預けた。
 はぐれてしまった。
 砂漠ではぐれると言う事は、高確率で死を意味する。具体的には、海で遭難するよりも確率は高いが、樹海で遭難するよりは低い──飲水が無いと言う意味では。
琉都「…小一時間も寝てしまった…?」
クゥリス「そう、ですね。 …もうどのケーブルの干渉波も感じられませんよ? この周囲には私達だけです」
琉都「そう、か…。 どっちから歩いてきたか覚─」
クゥリス「覚えてたら言いました、ってば。 こうも四方八方同じ景色だと、方角を認識するのって難しいですよ」
琉都「……これぞ本当の八方手詰まり、ってか。 まぁいいさ、ずっと同じ方向に歩いてればそのうちどこかには出るだろうさ」
クゥリス「………私達の体力がもてば、の話ですけどね………」
 やれやれ、とクゥリスはおおげさにため息をつきつつ頭を横に振った。
 面目ない、と琉都は苦笑いつつ言った。


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 数時間は歩いただろうか。
 幸いにも、ハイリガーの視界に小さな緑色が映った。砂漠名物の蜃気楼に今まで何度も惑わされたので、無駄な期待をさせまいと琉都はそれが逃げない事を確かめるべく数分歩き続けた。
 その緑は逃げる事なく、その場でじっとしていた。
琉都「クゥ」
クゥリス「はい?」
琉都「とりあえず水があるみたいだぞ」
クゥリス「本当ですか!? ど、どこっ!」
 豹変ぶりに多少驚きつつ、琉都はハイリガ・クロイツの指でその緑を指し示した。熱気で空気が揺らめく向こうで、その緑はじっとしている。──オアシスでなくとも、緑色がある限りその近くに水脈はあるものだ。
 ただ、砂漠では大きな水脈は時に災いをもたらす事もある。砂が水脈に流れ込む際にできる砂の大渦が、その最たる例とも言えよう。それをこの二人が知っているはずもないのだが。
クゥリス「本当だ…。 やったーっ! 水! 水ですよ琉都さん!」
琉都「そうだな。水だけど…そんなに叫んで喉が乾かないのか?」
クゥリス「もうカラカラです。 けど目の前(?)に水があるんですから、これが叫ばずにいられますか?」
琉都「…サヨウデスカ…」
クゥリス「テンションが低いですよ! ほら、突撃ーッ!」
琉都「……おーっ……」
 琉都はハイリガーを走らせた。ヅシャヅシャと重い足音を響かせながら砂漠を通常起動で走る絶対奏甲、しかも十字架機など、滅多に見られるものではないだろう。
 しかし不幸は連鎖するものである。そのヅシャヅシャで、地中に潜んでいた存在が目を覚ました…が、まだ幾分『それ』は寝ぼけているようだ。音源に奇襲するべく平行に地中を移動し、うっかり水脈に穴を空けてしまった。
 水脈に砂が流れ込む。その砂の流れに巻き込まれ、『それ』は水脈へ流れ込んでしまった。
 砂の流れは次第に速度を増し、次第に渦巻きを形作り始めた。──その渦が右巻きか左巻きかなど、ここではそう気にする必要は無いだろう。重要なのは、それに全く気付かず一機の絶対奏甲──しかも十字架機──が走り飛び込んでしまった事だ。
クゥリス「…あれ? 琉都さん、何だか水が地平の向こう側に逃─」
琉都「水場が逃げるかッ! 俺達の方が、沈んでるんだよ」
 「シテその心は?」と少しネタを知っている者であれば問う場面だろう。首を傾げるクゥリスに、琉都はため息などつきつつ現状を報告した。
琉都「ただいま蟻地獄と呼ばれる砂の大渦に飲み込まれる途中、だ」
クゥリス「…何ノ冗談デスカ?」
琉都「この状況で冗談なんか言えるわけないだろーが…。 っと、しっかりつかまれよ」
 砂の渦の底が目の前まで迫り、何を狂ったか琉都はハイリガーをそこへ飛び込ませた。
 渦巻く砂に揉まれつ飲み込まれていく白い機体は、何かどこかが間抜けであった。そしてその間抜けな機体の中の者達は、ほどなく激しい回転によって意識が遠心分離されてしまった。


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 奏甲の全システムが落ちていたらしく、琉都は真っ暗な中で目を覚ました。何となく息苦しく感じたため二、三度大きく呼吸をするが、全く何も変わらない。
琉都(そんなに長く意識が? だとすればあまり動かない方が善策か…。 にしても、何なんだこの顔の生暖かい圧迫感は?)
 酸素が欠乏したからと言って、何かを押し付けられたような圧迫感は感じないだろう。増してやそれが、脈動したり、微妙に伸縮したりなど、絶対にするはずは無いのだ。
 そう考えて、琉都はある一つの結論に達した。これは生物だ、と言う曖昧な思考から、理論的な思考を経て、同乗者の肉体である結論に達したわけである──ちなみにこの間おおよそ数秒もかかっていない。
琉都(この状況は…俺にどうしろと? これがルィニアさんだったら、まず間違い無く歓んでたけど──まずそんな事は無いだろうしなぁ)
 そして以前クゥリスに見事な拳撃をきめられていた事を思い出し、実際には首を動かさずに気持ちだけ頭を振る。
 クゥリスはまだ気が付かないらしく、琉都の膝──と言うよりも腰──の上に向かい合って座るような格好で、眉を『八』の字に歪めたまま眠っている。もちろん、琉都が自らの胸下──身長差のせいであまりこの言葉は適切では無いかもしれないが──でそんな思考をめぐらせている事など、全く気付かない。
 何だかとんでもない格好のような気もするが、多分気のせいだろう。
琉都(とりあえず脱出が最優先か…いや、先に起こすか? でもそうすると痛い目を見せられる可能性も無し気には不有(アラズ)…)
 奏座と言う物は、そこへ座った者をある程度固定してしまう。両手と上半身はほとんど自由だが、下半身と両足は固定されたも同然の状態になるのだ。しかも起動していなければ、それを解除する事はほぼ不可能。
 仕方なく、と言うか不可抗力で、琉都は先ずクゥリスを起こす事にした。どちらにせよ早くしなければ、あまり嬉しくないだか嬉しいだかよくわからない状況で死ぬ事にもなりかねない。
 奏座の肘掛の先、掌があたるべき位置にある玉──ただの水晶のようにも見えるが、これもまた幻糸を含んでいて思念伝達媒介の一つらしい──から手を引き剥がし、琉都はそっとクゥリスの肩と思われる場所へ手を置く。
 トン、トン。
琉都「おーい、クゥ。 起きろー」
 …反応は無い。
 トン、トン。
琉都「……また揉まれたいのかー?」
 ビクゥッ!
クゥリス「嫌ァァァッ!!」
 どうやらクゥリスもその時の事は一種の精神的外傷(トラウマ)になっていたらしく、ばね仕掛けのオモチャのようにその身体をはね起こした。そして勢い余ってコクピットの正面モニターに後頭部を打ち付け、激しい痛みに頭を抱え悶絶する。
琉都「大丈夫、か?」
 痛みのせいでまだ喋れないのか、クゥリスは頭を抱えたまま黙ってうなずく。そして今自分がどのような状態にあるのか気付いたらしく、無言のままヘッドバットを琉都にくらわせた。
 二人ともが痛み分けとなり、各々頭を抱え込み悶絶する。
琉都「痛ぅ……。 暴力振るう前にまず俺から降りようとは思わなかったのか?」
クゥリス「誰のせいでこうなったと思ってるんですか?」
 右手人差し指でクゥリスの眉間を軽く突つき、
琉都「今目の前にいる、俺の宿縁の歌姫さんだろが。 走らせるからこうなったんだと思うけど?」
 と少しきつめに言い放つ。
クゥリス「………」
琉都「何だ、その目? 何か言いたい事があるならはっきり言えばいいだろ、俺は多少の言葉では怒ったりはしないしな」
 別に何もありませんよ、とクゥリスは何か苦いものを飲み下すかのような表情をしながら言い、琉都を降りて奏座の後ろ──ハイリガー・クロイツはここに人間四分の三人分のスペースがある──に収まった。


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 地下に降りてから初めに目が覚めた地点から、おおよそ数十分も歩いただろうか。
 幸いにもこの地下は壁が超硬質の粘土で、さらに水脈が近いらしく、注意して壁に穴を開ければ飲料水に困る事は無かった。そしてどこかに通風孔があるのか、時折風も吹くのである。
 そう言った条件に恵まれたため喉の渇きと酸素に困る事も無く、二人はハイリガー・クロイツに乗ったままここまで移動して来る事ができた。だがそれもここで終わりなのか、不意に白い一枚岩の壁が行く手を塞ぐ。
 その白岩にはどうにか人一人が通れるほどの穴が多く開いていたが、どうやらこの洞穴の要であるらしいと琉都は思った。
クゥリス「要…ですか?」
琉都「多分、な。 ここが壊れたりするか、衝撃をうければ、その穴が崩れる。 そう言ったポイントの事を要と言うらしい」
クゥリス「…へぇー…」
琉都「何だよ、その不審の視線は…」
クゥリス「……別に何も思ってませんよ?」
 ならいいが、と琉都は言った。
 そしておもむろにハイリガーを待機状態にし、コクピットを飛び降りると白岩へと駆け寄る。クゥリスもその後を追い、白岩の間近くでしきりに感心している琉都の方へと駆け寄った。何を思ったか、琉都は三眼を開いていたが、その能力は解放していないようだ。
 全く唐突に白岩の腰の辺りの一点、何も無いように見える場所を、琉都は指差した。
琉都「…? クゥ、ちょっとここ、調べてくれるか」
クゥリス「え? ぁ、はい」
 一体何が、と思いながらもクゥリスは、その一点に手を置いた。そして手の平に違和感を感じ、パッとそこから離れる。
琉都「何かあったか?」
クゥリス「まだ調べてないですよ」
 そう言いながら、もう一度クゥリスは岩に触れた。
琉都「触らないと調べられないのか?」
 へらへらと、某機奏英雄を彷彿とさせる笑みを浮かべながら、琉都は軽口をたたいた。
クゥリス「そんな事は無いですよ!」
 とクゥリスが力いっぱい反論し、その拍子で手の平に力がこもる。そして力の加わった白岩のその一点は、いともあっさりとその手の平の形に凹んだ。
クゥリス「…ぇ?」
琉都「ぉお! なんとクゥリスは怪力少女だったのガッべらばっ!!?」
 ガッ、と言うのは唐突に何かで後頭部を殴打されたせいで、べらばっ、と言うのはそのせいで顔面から地面にのめり込んだためだ。決してクゥリスが“鳩尾を膝で蹴り上げ→後頭部を肘で殴打”と言うちょっと高等なコンボをきめたから等ではない。
クゥリス「琉都さん、大丈……いえ、それを因果応報って言うんですよ?」
 琉都は地面に張り付いたまま動かない。さすがに某氏のように不死身とは行かないようだ。
クゥリス「…あの、琉都さん?」
 大丈夫だろうか、とクゥリスが近付く。と、両腕が両手の平を全身を支えられるように地面に押し当てた。
 地面に顔型を残しつつも、琉都はどうにか顔を上げ、それに続けて全身を起こす。派手な倒れかたをしたのに比例して、その全身には小石や泥がしっかりと付着していた。
琉都「何とか、大丈夫だ。 確かに少しおふざけが過ぎたかもな。 …何か酷い事も言った気がするし」
クゥリス「因果応報、です。 言われた分はしっかりと返ったみたいですから、もう気にしませんよ」
琉都「…すまない。 いや、それより何でクゥが『因果応報』なんて知ってるんだ? そもそもは仏教用語だったかと…」
クゥリス「え? そうだったんですか? 私はただの現世の名言だと思ってました」
 さいですか、と琉都は気の抜けたサイダーのような返事を返す。
 さいですよ、とクゥリスはそれに返事を返した。
琉都「それはそうと、どうやら大当たりだな」
 そう言い、琉都は振り向く。後頭部を強打した原因がその視線の先にはあった。
クゥリス「ですね。 それにしても…手のこんだ門じゃないですか?」
 門、と言ったのは、全く正解だった。どうやら先ほどクゥリスが押し込んだスイッチが、この門の開閉装置であったらしい。今や白岩は、奏甲が楽に通れるほどの、巨大な岩門となっていた。
琉都「それに奏甲が通れるほどの巨大な門…一体いつの時代の物なんだろうな」
クゥリス「そうですね…。 そもそも絶対奏甲は200年前の大戦時に初めて現われたはずですけど」
琉都「その頃の遺跡はほとんど残ってる?」
クゥリス「ええ。 だからそれより昔の物じゃないか、と思うんですよ」
琉都「…まるで考古学者だな」
クゥリス「こういう事は師匠に教えてもらいましたから」


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 岩門の中は、まず間違い無く『奏甲が闘う事』を念頭に置いて、丈夫な素材ばかりで造られていた。
 市街地だろうか、住宅になりそうな灰色の石が所狭しと並んでいる区画と、所々金属が露出している道路が、ほぼ等間隔に並んでいる。その風景は琉都に日本の都心部を彷彿とさせたが、それ以上に殺風景で色も形も灰色ばかりであった。
クゥリス「まるで、死んだ街、ですね…」
 ぼそり、と言ったそれは、見事にその風景を言い当てている。琉都はその言葉に別段反応はしなかったが、ハイリガーに歩みを止めさせた。
琉都「…似ている…」
クゥリス「はい?」
琉都「俺がここに来る前に居た場所に。 いや、その精神的風景、って言うのかな。 兎に角こう言う風に思えたんだ、そこは」
 そう言うと再びハイリガーを歩ませる。
 クゥリスはその話に興味を持ったのか持たなかったのか、はっきりとはわからないがそれなりに気にしているようではあった。琉都はそれを知ってか知らずしてか、それっきり黙ってしまった。
クゥリス「…琉都さんは、ここから地上に出れると思いますか?」
 間が持たなくなり、それに耐え切れなくなったのだろう。クゥリスは不意にそう訊ねた。
琉都「多分、な。 あの岩戸と言い、構造物と言い、最初から地下にあったような感じがする」
 そう言っているちょうどその時、ハイリガーの視界の右端に先ほどの門が写った。その両端から、門と同じ白い岩が平行に上へ伸びている。それ以外にも街の壁面には、ほぼ等間隔で白い岩が柱のように上へと伸びていた。
 そして視界の左端には、山のような建造物が見える。それは文字通りこの空間の天井を貫いて聳え立っているため、ある種の神々しさすら感じさせるようであった。だがこれも白い岩で構成されているので、どこかピサの斜塔を思い出させたが、ここのものは傾いていない──天井を支える支柱のようなので当たり前だが。
クゥリス「そうですね…。 あんな門、地上では意味が無いですし。 それにあの壁の支柱と言い、最初からこの街を地下に造ったっぽいですよね」
琉都「だから少なくともこの上には、出入口になる遺跡か何かが在るんじゃないか、と思うわけだ」
 しかしなら何故ここの住人達は地下に隠れたのか、何故わざわざこんな閉鎖空間に生きているのか。そんな疑問が脳裏を過ぎったが、遺跡となってしまった以上は確認できない、そのはずである。
 遺跡ならば、の話であるのだが。
 琉都は何かに気付いたのか、急にハイリガーの歩みを再び止める。そしてコクピットから飛び降りると、ハイリガーの足下の地面から何かを拾い上げた。
琉都「紅い…鞣皮の…球? 何でこんな場所に…」
 それは、琉都が言ったとおりの、紅い鞣革製の球だった。大きさとしてはソフトボールと野球ボールの中間、と言った所だろうか。掴んだり投げたりするのには、とてもいい大きさだ。
 そしてそれは、今さっき横道から飛び出して来たものでもある。もし勝手に飛び跳ねたりする歌術のかかった品ならば、普通はもっと泥や砂などで汚れているだろう。しかしそうではなく、まるで新品のように、鞣皮がてかてかと光を反射している。
 琉都はそれをコクピットに投げ入れ、そうしてから自分も奏座に戻った。
クゥリス「何ですか、このボール?」
琉都「さて? 『飛び出すな、奏甲は急に、止まれない』って交通安全標語を忘れかけてた、ただのボールじゃないか?」
クゥリス「…それを言うなら『飛び出すな、馬車も急には、止まれない』ですよ…」
 どっちもどっち。
 とにかくも、琉都はコクピットを閉め、ハイリガーを起動させた。だがこの地下空間に入ってからハイリガーの幻糸炉は起動と休止を断続的に行っていたためか、どことなく熱を持ち暴走の気配も感じさせている──琉都だけが三眼でステータスモニターを見てこの事に気付いているのだが。


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 どのくらい歩いただろうか。
 中心と思われる方向に向かってハイリガーを歩ませてはいるものの、全く辿り着けない事に琉都は苛立ちを感じ始めていた。そしてその苛立ちはどこにも向ける事ができない、否、向けようとしないためか、表情にも現れて来ているようである。
 クゥリスもそれなりに苛立っているらしく、喉が渇いたと言っては水をがぶ飲みし、そうして度々ハイリガーの歩みを止めさせさえもする。それがますます琉都を苛立たせ、その苛立ちが伝染してクゥリスも苛立つのであった。

琉都「…ここを出てからの分くらいの水、残してるんだよな?」
クゥリス「残してますよ。 非常用の葡萄酒も多少ならあるんですし、そんなに怒らないで下さいよ」
 非常用葡萄酒、と言うのは、旅人の必需品でもある。子供でも飲もうと思えば飲め、体温を上昇させる事もでき、感覚を麻痺させる麻酔に使え、水分も含んでおり、消毒もできるからだ。これをがぶ飲みさせて感覚を鈍らせ、そして加熱殺菌した道具を使って簡易手術を行うのは、これは野外でのけがの多い職にはよくある話でもあった。
 しかし琉都は酒全般が嫌いなため、これを容認するそも渋々である。それをこんな所で言われれば、怒りが最高潮に達してもおかしくはないはずでもあろうが、
琉都「……あ、そ。 俺の分の水は残してくれよ」
 とだけ言い、自分の仕事に戻る。
 これもまた、ある種の苛立ちをクゥリスに与えるのには十分であった。


 さらに数分は歩いただろうか。見覚えのある風景が、またちらほらと出現しはじめる。
琉都「…だからって、また球が飛び出すってのは、どういう了見なんだ?」
クゥリス「誰も居ないはず、なんですよね?」
琉都「今まで見た限りでは」
クゥリス「…じゃあ一回奏甲から降りましょう。 じっと同じ場所に座って考えれば、何か考えつくかもしれませんよ」
琉都「そうだな、そうしよう。 全く正論だよ、クゥ…」
 かなり苛立ちこそしていたものの、クゥリスにそれをぶつけないでいるほどの理性はまだ働いていたのか、それともただ単にそれすらする気力が残ってなかったのか、琉都は自らの意見を差し挟むと言った事すらせずに奏甲を止めた。そして適当な場所にハイリガーを座らせ、休止状態に移行させコクピットから降りる。
 コクピットから降りて近くの建物に入るまでの僅かな間に、琉都はあちこちから視線と氣を感じずにはいられなかった──視線に意識を集中させれば自然と氣もそれに倣って流れるものだ。
 夏用の、風通しの良い作りの絹でできた袍(日本平安期貴族が着ているような服を少ない布地で作り、動き易くしたものを思い浮かべればいいだろう)の袖の中で、琉都は手持ちの武具を確認した。鋭い金串が数本といつもの爪がきちんとおさまっているが、武器としては心元無いのが実状である。
琉都(…俺、情けないなぁ。 まさかここまであいつらに依存してたなんて…)
 だが実戦力としては、今は琉都しかいないも同然なのだ。
 ひたすらに襲われないよう祈るだけが、今の琉都にできる全てなのであったが。

 クゥリスはその建物の扉を開けた。と同時に、二つの閃光が走ったのを見て取る。
 一つは彼女の頭上から彼女めがけて走り、もう一つは彼女の後ろからその閃光を弾き飛ばした。
 キシィィン、と澄んだ音をたてて、何の飾り気も無い石礫がクゥリスの足下に落ちる。
琉都「大丈夫か!?」
クゥリス「え? あ、はいっ!」
 側に琉都は駆け寄ると、何があったかわからないままのクゥリスを軽々抱え上げ、そのまま建物から全力で後ろへ二、三歩跳躍して離れる。それだけで4ザイル(4メートル)ほども離れられたのは、単に三眼の力を瞬間的に解放したからかもしれない。
 そしてその三眼を見開いたまま力は解放せずに、先ほどクゥリスが開いた扉を怒った獣の形相で睨み付ける。そこには軽剣を持ったまま、同じく獣の形相で威嚇している、フードを深く被った一人の女性の姿があった。
 器用にその女性を威嚇したままクゥリスを降ろし、そうしてから琉都は闘氣をその女性にぶつけた──三眼を開いているだけでもこれくらいの技能は扱える。
???「……ッカァアッ!!」
 気合を入れるための声だったのだろうか。女性が剣を構え直しただけで、琉都は闘気を十分に感じ取る事ができた。剣に精通していなければ放てない氣だった。
琉都「ぅガァッ!!?」
 精神的にダメージを受け、思わず爪でその氣を裂いてしまった。その隙に女性は軽剣を振りかざし、人間ではありえない跳躍を見せて琉都に躍り掛かる。
クゥリス「琉都さん! 上です!」
琉都「ッ!? くオォァア゙ァ゙ァ゙!」
 クゥリスの声だけを頼りに、琉都はそのまま袍の袖を振り上げる。軽剣はそれを容易く斬り裂けるはずだったが、意外にもそのまま弾き飛ばされてしまった。
 宙を舞い、その軽剣はクゥリスの目の前に落ちる。クゥリスは小さく悲鳴をあげた。
 剣が手元から無くなった事に気付き、女性は一度間合いをとろうと着地と同時に地面を蹴る。琉都は慌ててもう片方の手の爪でそれを阻止しようとしたが、三眼の力を使っていない琉都では直撃させられなかった。フードが裂ける。
???「しまっ…!」
 女性は慌てて頭を隠そうと手で押さえた。だがそれは焼け石に水程度しか意味が無かったようだ、手で押さえ切れない大きな黒い猫耳が黒髪の上で自己主張する。
クゥリス「ええっ!!?」
琉都「獣人!?」
 思わず二人は闘氣を抜かれた。琉都に至っては袍の袖から投擲しようとしていた金串を落としてしまう始末である。
???「〜〜〜〜ッ」
 顔を昇気させ、女性は怒っているような表情をしている。
クゥリス「琉都さんはああいう人達を知ってるんですか?」
琉都「いや。 会った事はこれが初めてだし、俺が居た所では存在していたと言う話は聞かなかった」
クゥリス「じゃあ何で──」
 知っているんですか、と聞きかけたクゥリスの背後に、別の影が近付く。琉都はそれに気付きとっさに金串を投げようとしたが、それは先ほど足下に落ちたばかりであった。
 クゥ後ろだ、としらせようとするよりも早く、その影が手刀をクゥリスの首筋にくらわせる。そして倒れ込みそうになった身体をその影が支えたのを見止めた瞬間。
 とすぅっ、と言う衝撃。
 琉都の視界も、暗転した。


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 何となく目眩を感じたような気がして、琉都は上半身を起こし頭を振った。まだ頭がくらくらする上、寝足りないと言うのが、彼の本音だったが。
 そうしてから自分に何が起きたのかを思い出し、自らの実力不足をひとしきり嘆く。情けない、何であのくらいに気付けなかった、と。
琉都「…本格的に修行を積むべきか…」
 そうぼそりと呟き、篭手に覆われたままの掌を見つめる。その表情には何かを悔やむそれと、自分を嘲笑うそれが同居していた。
???「あら、三眼族のボーヤ。 お目覚め?」
 不意に声をかけられ、琉都はそちらを向いて二度驚いた。
 一つはそこに確かにネコミミを持った女性──年の頃はかなり若いが子供ではない──が椅子に座って奇麗な翠をしたビイドロ玉の目で本を読んでいた事であり、もう一つはそれが鉄の棒が一定間隔にならんだ壁の向こう側の様子であったからだ。
琉都「ッ…!? …お前ら─」
 そのまま続けようとするのを、女性は手の平を突き出して止める。そしてにっこりと笑みを浮かべた。
???「皆まで言わなくてもいいのよ。 私達みたいなのを見たことがないの、当たり前ですもの」
 しかしそれを聞き、琉都は不機嫌そうに呟く。
琉都「俺が聞きたいのはそんな事じゃない」
 と。
 女性は心外そうに小首をかしげた。
???「じゃあ、聞きたいのは何なのかしら?」
琉都「クゥリス…俺と一緒に居た女の子はどうした? と言う事とかだな」
 そう言ってから、琉都は多少苦い顔になった。
 女性はそれを聞き、琉都よりもさらに苦い顔をする。
???「あぁ、あの娘ね。 隣でぐっすり寝てるわよ」
琉都「そうか」
 そう言うと、琉都はまた横になった。毛布と敷き布団があるのは、この石造りの牢獄の中ではとてもありがたいものである。
???「…それだけ?」
 女性はまたも心外だ、と言う顔をして琉都に訊ねる。琉都はその顔をろくに見もせず、
琉都「クゥに何かあったら俺もただじゃおかない」
 とだけ言い、そのまままた目を閉じてしまった。
 女性は立ち上がると、柵に何かを引っかけて、そのまま立ち去ろうとする。そしてふと思い出したように、
???「私は琥露鬼(クロキ)よ、琥珀の琥と露と鬼。 クロとでも呼んでね。 しばらくよろしく、三眼族のボーヤ」
 と言って、そうして立ち去った。
琉都「琥露鬼、か。 …何でしばらくよろしくなんだ?」
 そう呟いてから、琉都はまた眠りについた。

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 ふかふかのベッドで、クゥリスは目を覚ました。
 普段から野外では寝袋しか使っていないため、その感触がとてつもなく心地よく感じられる。思わずため息を一つ漏らして、そうしてから左足首に何か冷たい感触を感じた。
クゥリス(何…?)
 かけ布団を跳ね除け、左足首を見る。そこには金属の輪がついており、そこから丈夫そうな鎖が続いていた。
 まず一つ目のパニックの波がクゥリスを襲う。何故こんなものが?と。
 その波をやり過ごさないうちに、こんこん、とドアを叩く音が聞こえた。その音にただ驚き恐怖し、クゥリスはその場で固まってしまう。
 ずいぶんと艶やかな声が、扉の向こうから聞こえる。
琥露鬼「…入ってもいいかしら? えぇと、クゥリスちゃん?」
クゥリス「ひゃいっ!?」
 名前を呼ばれ、思わず返事をしてしまうが、悲鳴と混じって変な声になってしまう。
琥露鬼「入るわね」
 声の主は全く音を立てずにドアを開き、部屋に入ると同じく全く音を立てずにドアを閉めた。
 その声の主に黒いネコミミがある事に気付き、クゥリスをパニックの波第二波が襲う。慌てて腰の後ろに手を回すが、そこには汎用ナイフはなかった。
クゥリス「〜〜〜!!?」
 じたばたと両手両足を使って逃げようとするクゥリスの、そのすぐ近くまで琥露鬼は近付いた。そしてにっこりと微笑む。
琥露鬼「落ち着いて。 私達は何もクゥリスちゃんを食べちゃおうなんて思ってないから」
 そう言って、琥露鬼はクゥリスが落ち着くまで静かに待っていた。クゥリスも少しずつ落ち着きを取り戻し、数分もする頃にはどうにか話が出来る程度にはなっていた。
 ひょいっ、と脇の下辺りを両手で支えて持ち上げ、琥露鬼はクゥリスをベッドに腰掛けさせた。そうしてから自分もその隣に座る。
琥露鬼「宿縁のヒトとは大違いなのね」
クゥリス「え、ええ、まぁ。 でも琉都さんの場合、ちょっと何処か変なだけかも…」
琥露鬼「そう。 あの三眼族の、琉都って言うのね…」
 しきりに納得してから、琥露鬼は不意に立ち上がった。
クゥリス「ひっ!?」
琥露鬼「ぁ、脅かしちゃったかしら。 ごめんなさいね、水をとりに行くつもりだったんだけれど」
 そう言って少し遠くの流し台を指差す。
 それは本来顔を洗ったりするためのものなのだが、隣にガラスのコップが三つ伏せてある。飲み水としても使える事を示唆しているわけだ。
 琥露鬼は二杯の水を汲むと、両手に水の入ったコップを持ち、片方をクゥリスに手渡した。小さく頭を下げ、クゥリスはそれを受け取り、ちょっとだけ飲む。
琥露鬼「……」
クゥリス「……あの…?」
琥露鬼「何?」
クゥリス「…琉都さん、どこにいるんですか?」
 おずおずと訊ねるその質問に、琥露鬼は微笑を浮かべ、
琥露鬼「隣の部屋よ。 同じ事を聞かれたわ」
 と答えた。
 そしてまたしばらく沈黙が流れる。
 ふ、とクゥリスがまた質問をする。
クゥリス「琉都さんは、これからどうなるんですか?」
 これには
琥露鬼「さぁ? “水晶万象”のお偉方の考えてる事って、よくわからないのよ」
 と言う答えが帰ってきた。
クゥリス「…そうですか…」
琥露鬼「琉都クンにも同じ事聞かれたわよ。 クゥに何かあったらたたじゃおかない、って言われただけだけど」
クゥリス「そう、ですか…」
 そう言ってクゥリスは、一気にコップの水を飲み干した。
 琥露鬼は何かに気付いたように、胸元のクリスタルのペンダントヘッドを見、そして腰を上げた。
琥露鬼「…さて。 私はもう行かないと、水晶の人達が呼んでるから」
クゥリス「水晶の、人達…?」
 しまった、と口を押さえ、後ずさりしつつ琥露鬼はドアに近付く。クゥリスは頭の上に疑問符を浮かべながらそれを見ていたが、ふとある事に気付いた。
クゥリス「あの…」
琥露鬼「な…何かしら?」
クゥリス「名前、教えてもらってもいいですか?」
琥露鬼「ぁ、えぇ。 琥露鬼よ。 クロとでも呼んでね。 それじゃクゥリスちゃん、またねっ!」
 バタン、と荒々しくドアから駆け出し、琥露鬼は長い廊下を走って行った。


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 琥露鬼がクゥリスの所から走り去ってから、数分もたたなかっただろうか。
 琉都は、何か水晶の結晶が露出している部屋に、クゥリスと琥露鬼と立っていた。そして彼らの後ろにはハイリガー・クロイツが、何か札のような物を全身に貼り付けられ鎮座させられている。
クゥリス「(…これから何が始まるんですか?)」
琥露鬼「(シッ! 静かにしてて。 多分何か言われるけど、あんまり気にしなくていいわよ)」
琉都「(誰に、何を? …ま、すぐにわかるか)」
 すぐにわかるか、と諦めた数秒後、部屋の照明が落とされる。クゥリスだけは暗くなった事に少し慌てたようだが、琉都も琥露鬼も慌てなかった──琥露鬼の両目は猫のように光を反射するらしい。
琥露鬼「(来るわ)」
 何が、とクゥリスが問い返すよりも早く、眼前の水晶が淡く光り始めた。その光は幻糸の発現の光にも似ているが、何かが違うようでもある。
??『ようこそ、失われし都へ。 地上の者達よ』
??『我々は歓迎する。 失われし機体の者達よ』
 ヴォン、と言う音の直後、水晶に映し出されたのは、二人の皺くちゃの老人の顔だった。ただし、その老人たちもまた獣の耳を持っていて、片方は狼、片方は犬だ。何となく二人とも女ではないか、と言う感じがする。
犬婆『わたしは犬婆。 水晶の判断の姿』
狼婆『わたしは狼婆。 水晶の自我の姿』
犬婆『この街に住む者を護る、決断を伝える者』
狼婆『この街に変化を与える、好奇を伝える者』
犬婆『聖の失機(ホーリィ・ロステッド)の力に呼応し、扉を開いた』
狼婆『誰が聖の失機に乗っているか、知りたかった』
 一気にここまで言うと、老婆たちは口を閉ざした。そしてしばし琉都とクゥリスを、品定めするような目でしげしげと観察する。
琉都「…犬婆、狼婆、と言ったか? 何故俺達をここに招いた」
 え?とクゥリスは琉都の方を見、続いて琥露鬼を、そして犬婆と狼婆を見る。
犬婆『失機に更なる力を与えるため』
狼婆『汝等を試すため』
 老婆たちはほぼ同時にそう言い、そして別々にある反応を示した。
 その反応とは、犬婆は満足げな笑み、狼婆は不満そうなため息。
 琉都はそのどちらにもさして反応せず、ただ老婆たちを睨み付けるように、油断せずにそこに立っていた。
狼婆『犬。 こんなのに失機の力を?』
 と、急に不満を述べる。
犬婆『もちろんじゃて、狼。 我々はヒトに仕えねばならんでの』
 と、それを軽くなだめる。
狼婆『今回こそ、本来の失機の役目を果たせる、と?』
犬婆『それは無いじゃろうて。 人間には荷が重い、と創造主も言っておったであろ』
 それにつけこんで論しようと狼婆が口を開いた。
 と、琥露鬼が琉都の肩を叩く。
琉都「(…?)」
琥露鬼「(この論議、かなり長くなるから覚悟した方がいいかもしれないわよ)」
 見れば、クゥリスはもうすでに、話を全部聞こうとはしていないようであった。
 しかし、その構えもすぐに無用のものとなってしまう。不意に狼婆が反撃を止め、何かに意思を通わせようとするかのごとく、目を閉じた。犬婆も同じく目を閉じ、何かぶつぶつと呟いている。
犬婆『領土内に侵入者2機確認。 砂嵐発生装置起動、自動防御機構起動』
狼婆『誰かを探しているのかの? 鋼糸干渉通信を使って、誰かの名前を呼んでいるようじゃな』
 そう言うと、狼婆は犬婆との間にある水晶に、その者達を投影した。
 見覚えのある絶対奏甲が二機、時々立ち止まりながら歩いている。太ってしまった青いトビウオのような絶対奏甲と、銃火機を装備しているが本来は歌術支援を目的としている絶対奏甲。
琉都「(…!)」
クゥリス「(フリューゲル・ヴァッサァと、サイレントソング…! きっと探しに戻ってくれたんですよ!)」
 そう琉都とクゥリスが言葉を交わすのを聞き取り、琥露鬼は何かに感づいたようである。犬婆と狼婆の呟きを手で制し、一礼してからこう述べた。
琥露鬼「畏れながら、よろしいでしょうか? 彼の2機、この者達の仲間のようです。 故に、この街に招き入れては…」
犬婆『ならん!』
 一蹴された。犬婆の面には、表情が一切読み取れない。
犬婆『この街の平和を望むならば、本来は失機の乗り手歌い手も入れぬが本筋じゃ! 増してや関係の無い者達など、入れるわけにはいかん!』
狼婆『それもそうよの…。 しかしの、犬の。 彼らをあの場に待たせるのは、全く問題ないじゃろ?』
 ん?と念を押すように、狼婆は犬婆の顔を覗き込んだ──水晶の中なのでふりをしただけだが。
犬婆『……仕方ないの。 砂嵐発生装置、出力低下。 自動防御機構、警戒水準上昇』
狼婆『ありがたや。 失機を持って帰ってもらえるよう、早く事を済まそうぞよ』
犬婆『そうじゃな。 ──さて、失機の機奏英雄』
琉都「何か?」
犬婆『お主の失機、結界が変色するのは知っておるかの?』
 あぁ、と琉都は頭を縦に振った。
 そうか、と犬婆は頷く。
琉都「エヴィル・クロイツと闘った時、鍔迫り合いをしたら変わった」
狼婆『お主、失機が人の精神に介入するのも知っておろうな?』
 いや、と琉都は首を振った。
琉都「覚えておく」
 狼婆は、その返答に多少は満足したようであった。

 その後も、幾つかの質問を受け、続いてクゥリスも質問をうけた。
 時間にすれば数分もかからない、非常に素早いものであった。

 全ての質問に答え終わると、ハイリガーの機体から全ての札が剥がれ落ちた。そして勝手にコクピットハッチが開く。
犬婆『お主ら、これからは失機に気をつけるんじゃぞえ』
狼婆『失機に頼りすぎては、その一部となってしまうからの』
犬婆『とりあえずはここでできるだけの調整を行った。 幾つかの能力が付与されておるが、今は使えぬのじゃよ』
琉都「…何故?」
狼婆『術式が失機に浸透するのに、時間が必要なのじゃよ。 “審判”も“移転”も、まだしばらくは使えん』
クゥリス「“審判”と“転移”…ですか?」
琉都「使えないのに言われてもな…」
 そう呟いたのも、犬婆と狼婆の耳には筒抜けだったのだろう。多少不機嫌そうに、
犬婆『“審判”はもう1日もすれば使えるはずじゃて。 しかし多少不安じゃの』
 と言った。
 多少不安じゃの、と言うのは、どうやら狼婆に同意を求めているらしい。狼婆もその言葉に頷くと、
狼婆『琥露鬼』
 と呼ぶ。
 はい、と琥露鬼は姿勢を正した。
狼婆『暫く失機に同行し、多少の補助をせぇ』
 はい、と琥露鬼は一礼すると、その部屋から出て行ってしまった。ただしクゥリスの耳元にぼそりと、先に行って待ってるわね、とだけは言い残して行ったが。
犬婆『これで大丈夫かの…。 さて、これ以上長居は無用じゃろうて。 失機ごと地上まで送ろうぞ』
 そう言うのを聞いた瞬間、琉都もクゥリスも、意識が遠のいた。そして、自分たちがハイリガーのコクピットに乗ったのをなんとか認識し、二人とも意識を手放してしまった。


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 丁度同時刻、地上。
 砂嵐の被害を避けるために、2機の絶対奏甲は、砂漠に朽ち果てた遺跡で休息をとっていた。

アルゼ「あ゙ーッ! どこもかしこも砂砂砂! 何なんだここは!」
 髪の毛を掻き毟り、誰とも無く吠える。
アメルダ「砂漠。 あたりまえじゃないの、砂ばっかりなんだから」
 そう適度になだめ、アメルダはため息をついた。
アルゼ「砂漠でも限度があるよーな気がするんだが」
アメルダ「気のせいね、それは」
 そう言い、自分だけ水筒から水を飲む。
 アルゼはそれを物欲しそうに見るだけで、何も言わない。砂が入るのを防ぐためにしていた耳栓を外し、それをポケットにしまった。
 ビュゥオォォォゥ、と風が吹き荒れる。その風が砂を含んでいるため、奏甲の表面は塗装面が全て剥がれてしまっていた。奏甲の塗装が剥がれると、まるでただの巨大な鎧のようにも見えてしまう。
 やれやれ、とため息をつきながら、ルィニアがアルゼの隣に腰をおろした。そのさらに隣にソフィアも腰をおろす。
ルィニア「これじゃあひょっとしてしまうと、帰れないかもしれないねぇ。 運良く風が止めば、どうにか整備費は塗装代だけで済むかもしれないけれども」
アルゼ「マジかよ…。 勘弁してくれぇぇ……」
 がっくり、と項垂れるアルゼ。さらにそこにソフィアの追い討ちが。
ソフィア「わたしたちは帰れるけどね〜♪」
 と。

 その時だ。
 アメルダとルィニアは(多少ルィニアの方が遅れていたものの)幻糸の乱れを感知し、キッとその方向を見つめた。
 砂嵐が一瞬止み、そしてその隙間から、一体の何かが「落ちた」。そしてすぐにまた吹き荒れるが、砂塵はそれを避けている。
アメルダ「…白い奏甲?」
ルィニア「ハイリガー・クロイツじゃないの!」
 確かにそれは、護送の途中でいなくなった、ハイリガー・クロイツであった。
 俄かには信じ難い事だったが、すぐにそれは喜びに取って代わる。
 そして、知らない方がいい事だが、
アルゼ「お前らの分は俺が貰っておいたからな〜、琉都♪」
 と言い、アメルダに殴られたアルゼが居たそうだ。



──To be continued...