無題迷話
弐章 第七話 中





 死屍累々。
 そう形容したとしても、何の違和感も無い光景が、大浴場から戻った琉都の目の前には広がっていた。
 ルィニアやアメルダだけなら兎に角、いくら得物を持っていなかったとは言え、アルゼやソフィアまでが全く抵抗せずに倒されたとも思えない。
 そして何より、クゥリスの姿が無い。
 壁には誰のものともわからない血痕があり、何があったか聞かずともわかるような状態だった。
 篭手をはめていない事も忘れて、琉都は急いでルィニアを抱き起こした。
 一番情報を得られそうな上、戻った時点でもうめいていたので、どうにか意識を保っていただろうと思ったからである。
琉都   「おい! ルィニアさん!」
 ぺちぺちと軽く頬を叩く。
 しかしそのたたいた所から、生気が抜けていくのが肉眼でもわかった。恐らく、琉都が三眼を開いていれば、極大量の気が自らの手に向かって流れているのが見えた事だろう。
琉都「チッ…」
 意識が今にも失われそうな事を察すると、琉都はそうっと地面に寝かせ、急いで篭手を探した。
 昨日置いておいた場所から移動されていなければ、荷物の上にあるはずである。
 うっかりすると手が滑りそうになる事に苛立ちつつも、急いで篭手をはめる。と、何かが篭手の中に置いてあった。
 逆さにしてトントンと叩き、落とす。落ちてきた紙もすぐには読まず、篭手をはめてから手に取った。
 “琉都クンへ/クゥリスちゃんは預かったから、返して欲しかったら下記の場所まで、急いで来てね(ハート)/裏通り 『黒竜の酔拳亭』/他の人達は最低でも丸一日は動けないはずだから、一人で来るのが仲間思いの証拠だと思うわよん/麗盗“琥珀”より/追記──”
琉都   「…ッ、ふざけやがってェ!!」
 勢いに任せ、追記がある事にも気付かずに、琉都は手紙を破り捨てた。
 そして戦闘をする時の荷物と財布を引っ掴むと、全く周囲に気を配る事もせずに部屋を出る。
 そして他の部屋で何かごそごそやってから、階下へと降りて行った。

 宿のカウンターでけが人の介抱を頼み、そのために必要になるだろう経費を多めに渡すと、スナイパーライフルを背負い腰にリボルヴァーを吊った琉都はそのまま宿を出て行った。


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 裏通りとひと括り言われても、少し大きな町であれば2つ3つは裏通りがある。
 そこで必要な情報を得ようと思えば、幾つか手段がある。脅し、買収、などと言った類の方法だ。
 今の琉都には鬼気が宿っているのか、誰もカモろうとはせず、それどころか畏怖の念を持って接しているようであった。

 『黒竜の酔拳亭』は、最も小さな裏通りの隅っこにひっそりとあった。
 しかし意外にも客は案外表通りの人間が多く、表通りの店とも思えるような良い気が充満している。
 会話の内容は裏通りに相応しいそれもあったが、場所が場所だけにそう目立ちはしない。
 それでも流石に今の琉都の重武装っぷりは目立つらしく、琉都は店内に入ってしばらくは絡みつき纏わりつく視線を疎ましく感じているようだった。
 何も考えずにカウンターの隅に席を取り、やけに女らしい顔立ちをした(だが服装は男のそれだ)バーテンに冷たい水を頼む。
 水が運ばれて来るまでの間に、琉都は店内を見回す。
 まず、真後ろの席には一組の男女、これは恐らく宿縁同士なのだろう。
 その隣のテーブルには、一人でチェス・パズル(チェスでやる詰め将棋のようなもの)に熱中する、漆黒の髪を長く伸ばしそれを肩の辺りで留めた男。卓に1.5ザイルはあるだろう、抜き身の玄い大剣を立てかけている。
 そしてその向こう側には、燃えているような青い髪の男。煙草を吹かしているが、どこか眠たげである。右目は見えないのか、アイパッチをしていた。
 他は全てアーカイア人で、特筆すべき人物は特に居なさそうであった。
琉都   「麗盗、なんて言うからには女なんだろうが…。」
 しかし麗しいと言うには、何か一つ欠けているように思える女性ばかりである。
 琉都は運ばれてきた水を少し飲み、待ち人が来るまで仕込み武器の確認をする事にした。
 苦無(クナイ)が一束、鉄串が数本、鉄爪一対。これが標準武装であるが、今回は更に炸裂催涙弾を数発と閃光弾を数発、それに発破爆竹を数本持ってきていた。
 クナイは言わずもがな、鍔の無い諸刃のナイフのような物で、投擲武具・白兵武具・潜入道具・その他もろもろに使用できる。忍者の必需品とも言われるのは、これさえあれば大抵の場所でサバイバルできるからである。
 鉄串は文字通り鋭い鉄の棒である。
 鉄爪一対は琉都が普段浸かっている爪で、これも使い方によっては潜入ツールとしても使える。
 炸裂催涙弾は、主に防犯グッズとして販売されている物で、投げつけると爆竹のような音がして煙が発生する。この煙には唐辛子成分が含まれており、目に入ると激しい催涙効果を発揮するのだ。
 閃光弾は文字通りの物で、スタングレネードとも呼ばれる。
 発破爆竹は呼んで時の如く、対人武器として使用する。破壊力ではハンドグレネードや手榴弾に遥かに劣るが、非殺負傷力では数十段上である。
 これらは全て、琉都の袍の袖に格納されている。それ以外にも仕込む事はできるのだが、鎌や鎖武器は琉都があまり得意ではない事もあり、仕込んでない。
 爪以外の全ての武装は、琉都がここに来るまでに買いあさった物だ。
 ちなみに全く関係無いが現世に居た時には、武器では無く筆記用具やメモを仕込んでいた。
 今でも懐には、筆記具とメモ帳がある。まあ、使われる事は滅多に無いが。
 琉都が冷水を飲み終わるか終わらないかと言う頃になって、後ろに何人かの気配を感じた。
 仕込み武器がばれていない事を祈りつつ、琉都はゆっくりと後ろを振り向く。
琉都   「……」
???? 「あー。そんなに気をピリピリさせなくても、俺達には危害を加える気はさらさら無いから。」
 何処かで聞いた事があるような声だな、と琉都は思った。
 しかしどこでも聞いた事が無い声のような気もする。
???? 「ク…いえ、“闇夜”兄貴ィ。そんなに丁重に扱う必要ってあるんですかァ?」
???? 「…お前はそんなんだから、何事も失敗してしまうんだろうが。“焔狼”。」
 すぱーん、とやけにいい音のハリセンで“焔狼”の頭を叩く“闇夜”。
 叩かれた“焔狼”は何故か頬が緩んでいる。
琉都   「…お前らが、麗盗“琥珀”か?」
 何の前振りも無く、そう訊ねる琉都。
 “闇夜”と“焔狼”は一瞬顔を見合わせたが、すぐに首を横に振った。
???? 「違う。 俺達が“琥珀”じゃあ無いが、会わせてやる事はできる。」
 そう“闇夜”は言い切った。
 迷いと言うものが全く無いように、琉都の目を真っ直ぐに見つめて。
 色は燻し金だけど瞳孔の形は琥露鬼に似てる目だな、と琉都は頭の片隅で思った。
???? 「兄貴ィ!?」
 “焔狼”はかなり動揺しているらしく、思わず叫んでいた。
 そしてその白熱色の鏡のような瞳で、琉都を頭の先からつま先まで余す所無く観察する。
???? 「ま、俺は案内役だな。 バーテン、ルート045を。」
 ルート045と言われたバーテンは肯き、酒壜の配置をせっせと入れ替え始めた。そして全部の瓶が同じ色と隣り合わなくなるまで入れ替えた後、壜棚をガコンと押し込む。
 すると琉都が座っている席の足下に、人一人分が這って入れるくらいの大きさの横穴が現われた。先はよく見えないが勾配がついているらしく、顔を下から上へと吹き出す風が撫で上げる。
???? 「行くか。 アァ、あの子、クゥリスとか言ったっけか?この先に居るから。」
琉都   「…! 何故わかる!?」
???? 「“琥珀”とは良く知った知り合いなのさ。だからいろんな『戦利品』の管理を頼まれる。」
 そう言うと“闇夜”は横穴に脚から飛び込んだ。滑り台のような調子に滑り落ちる事ができるらしく、ひゃーっほぉ、と歓声が聞こえてきた。
???? 「ま、兄貴の言う事が信じられないなら、来なくてもいいんだぜェ?」
 “焔狼”も“闇夜”の後に続いて横穴に飛び込む。
琉都   「…真意が読めないが…まぁこの程度なら這って登れないでもないか。」
 そう言うと、琉都も死地たりうる場所へと飛び込んだ。

 落ちる。

 落ちる。

 果てしなく曲がりくねって、方向すらわからなくなるまで滑る。

 最終的には、目を回してしまった。


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 “闇夜”は琉都がついて来た事に少し安堵した。
 そして、石の寝台に寝かされているクゥリスのそばにいる自分を見る。
???? 「まぁ、幻影にしては良く出来た方だから、消すのは惜しいな…。」
 そう、クゥリスの近くに居る方の“闇夜”は呟いた。懐から小指の先ほどの大きさの壜を取り出し、たった今滑り落ちてきた“闇夜”にその口を向ける。
 滑り落ちてきた“闇夜”は、煙となって壜に吸い込まれた。
 そしてまた別の壜から、何やら汚い緑っぽい茶色をした、ドロドロの液体を寝ているクゥリスに無理矢理飲ませる。
???? 「これで、解毒できるはず…。“琥珀”が偽ってなければいいんだがなぁ。」
 壜を握り潰そうとして“闇夜”は、今クゥリスが今一糸纏わずタオルか何かで局部を隠されているだけの状態で在る事を思い出し、やめた。
 仮死状態から立ち直った時の事を考え、身包みは全て枕元──枕はないので正確には頭の横──に置いてあるが、目覚めたとしても恐らくゾンビのような状態になる事だろう。
 ゾンビ、と言うよりもマリオネット──操り人形になる、と言った方が正しいか。
???? 「兄貴ィ?」
 “焔狼”が声をかける。
???? 「ん?」
???? 「“蒼龍”がもうすぐ来るそうですぜィ。」
 そうか、と“闇夜”は生返事を返した。
 と言うのも、クゥリスがマリオネット状態になった時の処遇を考えるのに、とても一生懸命だったからだ。
 表の宿に入れれば、命が危険に晒される可能性がある。かと言って裏の宿に入れても、それはそれで別の意味の危険がある──マリオネット状態では与えられた命令に背く事を考えないのである。
 彼自身、マリオネットと化して同族を殺した経験があるため、この事態にはこと臆病になる。その時の記憶は、今でも彼の脳にはしっかりと残っていた。
???? 「“焔狼”。」
???? 「何ですかィ、兄貴ィ?」
???? 「この娘がマリオネットになったら、お前の部屋で匿え。ただし手をだしたりすれば、お前をもう一度斬り殺すからな。」
 そう言うと“闇夜”は、軽々と玄大剣を背負った。
???? 「しかし兄貴ィ。もしこの娘っ子がマリオネットにならなければどうすればいいんでェ?」
 そうなると信じているかのように、“焔狼”は真面目に訊ねた。
???? 「ま、その場合もお前が保護しろ。ただしここの部屋を一つ使うように。」
???? 「手出しはァ?」
???? 「無論駄目だ。 もっとも、お前如きに手出しされるようなタマじゃない事は、セイントが選んだ事で既に立証されてるが。」
 “闇夜”はそう言いながら、琉都を抱き上げた。そしてどこか別の部屋へと運ぶ。“焔狼”もその後に続き、部屋の灯りを点すと手近な椅子に腰掛けた。
 琉都を椅子におろし、“闇夜”は自分の椅子を用意する。だがすぐにはそれに座らずに、まず琉都に喝を入れた。
 自分の椅子に腰掛け、“闇夜”は腕組みをして黙って待っていた。

 ここはどこだろうか。
 先ず初めにそんな思考が琉都の頭で生じ、そして次の瞬間には消去された。
 力が入り辛い気がして琉都は、大地と己の気を結び付けた。己の気を足の裏に集めアースのように大地に伸ばすと、強大な気の流れと結びつくのを感じる。
 半瞬後には、肉体の疲労は残るものの、琉都の頭ははっきりしていた。
???? 「やっと目覚めたか?」
 琉都の目の前に、“闇夜”の顔があった。端整と言えばそうだが、美麗かと言うとそうでもない、だが何処かで見た気がする顔だった。
琉都   「…ここは…?」
???? 「地下ウン百ザイルの、言わば非難壕(シェルター)だな。俺達が昔掘ってずっと放置していた場所でもあり、今は俺達の隠れ家でもある。」
 何処から取り出したのか“闇夜”は、琉都の前に温かい烏龍茶を出した。正しい手順に則って煎れたのか、匂いはあまりないが色は薄くない。
琉都   「クゥは…」
???? 「まぁそう慌てるな。俺達だってアイツがこんな手を使うとは思わなかったが、返すべき物は返すべき時に返すべき者に渡すくらい知っている。」
琉都   「今すぐだ。」
 琉都は凄んだ。袍の袖の中では爪に手をかけ、いつでも襲い掛かれる準備をする。
 しかし“闇夜”は全く動じない。
???? 「今はちょっと、な。 ゾンビパウダーって知ってるか?」
琉都   「…あぁ、死体をゾンビにする、伝説上の薬だろ。」
???? 「伝説ほど強力じゃないけど、生きてる人間を操り人形にする薬はある。それがゾンビパウダーだ。」
 そう言って“闇夜”は、透明な壜に入った粉末を見せた。
 それと同時に、別の壜も取り出す。こちらには緑がかった茶色い、どろりとした液体が入っていた。
琉都   「で、それが?」
 苛立っているのか、琉都は不満そうな声を隠そうともしない。
???? 「早い話だ。コイツの効用は仮死及びその後自我麻痺、つまり一度殺して操り人形にする薬だな。」
 と、ここで“闇夜”は酷く精巧にクゥリスを模した操り人形を取り出す。これも何処から出てきたのか、琉都にすら見当がつかなかった。
???? 「これを飲ませれば、非常に従順な下僕を製造できる。 何を考えたか“琥珀”がこれを飲ませたらしくてな…」
琉都   「何だって!?」
???? 「…誠に申し訳ない、と謝らせてくれ。解毒剤も調合してあるから、後数分もすれば仮死から目覚めて、操り人形だ。そしてその後数時間で、後遺症も無く元に戻る。」
琉都   「……。」
 疑いの眼差しで、琉都は“闇夜”を睨みつけた。
 いきなり会った者にそんな事を延々説明されても、信用しろと言う方が難しいものだ。
???? 「それはそうと。 まぁ俺達だって正義の味方じゃないから、タダでやってやるわけにも行かない。少なくとも、治療を先に施したのは、俺の温情だ。」
 と、ここで“闇夜”は背中の玄大剣を抜き放った。それに呼応するように、今まで気配すら感じさせないほどだった“焔狼”も、激しく燃え上がる炎を模しているかのようなフランベルジェを手にした。
琉都   「………。 もし、だ。」
???? 「ん?」
 話しながらも琉都は、袖の中で爪を着装していた。
琉都   「もし、クゥリスに後遺症が残ったら、事後処置は俺の義務か?」
???? 「…いや、“琥珀”の義務だ。治療薬ぐらいなら、調合できるだろうし。」
琉都   「そうか。」
???? 「あー、あんまり言いたくないけどな。俺ら二人を相手にしようと思ったら、奏甲2個大隊連れてこなくちゃだめだ。」
???? 「オレと兄貴の連携をゥ、なめてもらっちゃ困るぜィ?」
 確かに動きに隙が無い。
 全く、完全に、無いのだ。
 如何に三眼を解放したとしても、3分そこらで片がつくとは思えない。
 琉都は己の生存を最優先にし、篭手から爪を外して腕を組んだ。
???? 「いいね。相手の強さを推し量れる事も、生き残る上で最も大切な実力だ。」
 “闇夜”も構えを解き、椅子に腰掛ける。しかしその右手には、玄大剣が握られたままだ。
 琉都は微妙に冷めかけてぬるくなった烏龍茶を一口飲み、黙って待つ。
???? 「でだ。俺達が何を言いたいか、と言うと、非常に身勝手で悪いんだが…」
琉都   「世の中は全部、個人の身勝手で動く物だ。」
 まあそうだ、と“闇夜”は肯く。
???? 「手っ取り早い話が、ある機関に潜入して欲しい。俺達ではどうしても目だって仕方が無いからな。」
琉都   「…んで、機関の情報は?」
 こう訊ねたのは、機関の規模や警戒態勢によっては難しい、と素人なりに考えた結果である。
???? 「んー…。 まぁ、アーカイア全土に勢力を及ぼしてはいるんだが、表沙汰になる事は全くしていない。最終目的はアーカイアを移民地化する事らしいんだが。」
 プランテーションやモノカルチャー経済を押し付けたり?と訊ねようかと琉都は思ったが、移民地化と言う言葉にその意味が含まれているとも限らないので、黙って聞いていた。
???? 「警戒態勢は施設外なら極薄、施設内ならまぁ普通程度だな。通気功やダストシュートも多いから、潜入そのものは比較的楽だろう。」
 と、“闇夜”は、篭手でもはめているのか、金属で覆われた左手の指でテーブルを三度叩いた。ブゥン、と言う音がして、碧色の光が何かの見取り図を映し出す。
琉都   「これは…?」
???? 「見ての通り、見取り図だ。お前さんに今から潜入してもらうのは、その機関のノルデハフェンシュタット近郊──幻糸鉱山にある出張所だな。」
琉都   「すると、幻糸結晶を売ったりして利益を?」
 それもあるが、と“闇夜”はもう一度テーブルを叩いた。画像が切り替わり、今度は絶対奏甲と思しき物の、全身写真が映し出される。
???? 「ハイリガー、エヴィル、マテリアル、アストラル。この四機のクロイツに、一機で渡り合える絶対奏甲冑を、現在建造中らしい。」
???? 「事実オレらもそれのプロトタイプと闘ったんだが、確かに600機の量産絶対奏甲と渡り合うくらいのスペックはあったんだよゥ。」
 もしそれが事実だとすれば、一機で世界を征服するのか。
 そう考えもしたが有り得なさそうなので、琉都はその考えをすぐに頭から追い払う。
琉都   「所で、今さっき『絶対奏甲冑』って──」
???? 「あぁ。絶対奏甲のように思念操作ではなくて、肉体と直接動きをリンクさせる、機動幻糸炉兵器の総称だ。人間型に限らないのが特徴だな。」
琉都   「無色の工房がそんな物を?」
???? 「や、あいつらの固有技術だ。俺達と同じ世界から来た者達なんだが、元の世界の技術を濫用してくれる。 それも含めて、俺の『アーカイアの歴史(さだめ)を護る』動きと相反するんで。あまりに技術が進みすぎた全ての組織には、この世界のお偉いさん経由で牽制球を投げてるんだが。 最近は俺達だけじゃあ制御しきれないし、正常存在である“正式オーパーツ”もある。」
琉都   「はあ…。」
???? 「だから最近は、技術を埋もれさせる方が大変で、俺達の側からの“侵略”には気を配ってなかったんだが…。」
???? 「オレ達がうっかりしてる間に、全世界規模に組織を展開しやがったのさァ。あいつらはなァ。」
 琉都は喋る速度に追いつかないなりに処理していたが、“闇夜”も“焔狼”もその事に気付かないかのようにまくし立てた。
 そしてやっと、少しズレがありながらも、質問をする琉都。
琉都   「何でハイリガーの事を?」
???? 「…あぁ、それか。俺達が設計した炉とシステムを搭載してるからな。 にしても、ちょっと喋るのが早すぎたか?」
琉都   「ちょっと、と言うよりも、かなり。 …炉とシステムを設計、って200年近く昔の事だろ!?」
???? 「違う世界の時間ってのはなァ、必ずしも同じ時間軸上には存在しないんだよォ。」
 それをしっかり考える間、3人は黙っていた。“闇夜”が茶をすする音だけが、音らしい音だった。
琉都   「正式オーパーツ、とは?」
 次の質問点に来たのか、そう訊ねる。
???? 「ああ、文字通りの意味さ。正式な、オーパーツ──場にそぐわない人工物──だな。」
琉都   「じゃあ非正式、とは?」
???? 「…難しいな。 まぁ、ここの例で言えば、ハイリガー、エヴィル、マテリアル、アストラル。この四機のシステムがそうか? 後はレーザー兵器だったり、チェンジ・アーマー・システム(CAS)搭載した奏甲だったり、パーツ化された奏甲だったりな。」
琉都   「それのどこが“非正式”なんだ?既に存在してるじゃないか。」
???? 「もっと厳密に言えば、この世界の、まぁ、“理”や“運命”もしくは“既定歴史”か?とにかく“決まっていた世界の流れ”を、一部もしくは完全に変えてしまう可能性のある物の事だ。」
 そんな物は信じない、と琉都は呟いた。
 そして、もしそれが存在するなら自由意志は存在しないのか、とも考える。
???? 「既定歴史つってもなァ、おおまかな流れしか決まってないんだよォ。だから特異因子や特殊な存在と言うようなイレギュラーが存在できるのさァ。」
???? 「俺達は既定歴史に“取り込まれ”ないよう、細心の注意と術的な防御を施しているから、その流れに乗せられる可能性は無いがな。」
 そう言って“闇夜”は茶をすする。
 “焔狼”も何か飲み物が欲しくなったのか、部屋を出て行った。
???? 「俺達が何かしても規模が大きくならないのは、そう言う理由だ。だから、琉都。お前に依頼する事も、極秘裏に遂行される必要がある。」
琉都   「…依頼? 脅迫じゃなくてか?」
???? 「物は言いようだ。 別に請けなくても、別の人員を探して遂行させるが、お前以外なら死ぬのがオチだろうな。」
 脅すように一度笑むと、“闇夜”は腕を組み椅子に深く腰掛けた。
???? 「過去に現世騎士団の分署に潜入して、13人の歌術師──歌姫を逃がした。そうだろう?」
琉都   「偶然だ。」
 二回もできるわけがない、と琉都は困ったように言う。そして烏龍茶を口にし、喉を潤した。
???? 「世の中には、“全体の運命”と“個々の努力”が存在する。」
 何を考えたか、“闇夜”はいきなり語り始めた。
???? 「“個々の努力”は、“全体の運命”に逆らわない限りは、実を結ぶ。そして“全体の運命”は、どう足掻こうと通常の手段では変わらない。そうなる事が決まっている事を、誰も知らないから“運命+努力=確実な現実”をする。」
琉都   「“全体の運命”によればこの戦争の行方は?」
???? 「…教えてはいけないんだが、ヒントなら既にあるだろうさ。奴等も流れに乗らないから、変える事ができるのだがな。」
 “闇夜”は大きくため息をつき、天上を仰ぎ見た。
???? 「その流れを変えないためには、絶対奏甲冑を使えなくする必要がある。幻糸結晶の採掘は、卸先がベーゼン商会だから問題無いが。」
 確かに600機の絶対奏甲と戦える機体は、ミリタリーバランスを崩すだろう。
 例えクロイツ・シリーズの13機を揃えたとしても、乗り手によっては勝てるかどうか…。
???? 「奴等がやるのは、アーカイア人の根絶と、機奏英雄の送還。そしてテラフォーミング。 これは確実だろうな。」
琉都   「テラフォーミング?」
???? 「惑星規模での環境調整、と言う意味だ。俺がここで言うのは、環境を変えるのではなく、法則を変えると言う意味だけどな。」
 法則を変える、と言う意味を説明するためか、“闇夜”は何か複雑な数式を画面に呼び出した。
???? 「これは1+1の証明だ。やたらめったらに面倒な証明だが、お前さんの所でもやった者は居る。」
 へぇ、と琉都は呟いた。
 ここまで面倒な言葉と数式で1+1を証明して一体何になるのだろう、と思ったのである。
???? 「だが法則を改竄すると、1+1=3にできる。」
琉都   「はぁ?」
 “闇夜”が画面を突っつくと、文字が震えながら変わった。そして何個所か突つくと、上に出ていた“1+1=2”が“1+1=3”に変わる。
???? 「これと同じような事を、物理法則に行うのさ。そうなれば、万有引力の法則によれば物は引き合う、のではなく、全世界共通の“下”に向かって落ちる。」
琉都   「中世ヨーロッパの盆型世界図みたいに?」
 そうだ、と“闇夜”は肯いた。
 琉都は考えると恐ろしくなった。もし自分たちが居る場所が“上”の方だったら、どこまで落ちなければならないのだろう?
???? 「だからそうならないよう、俺は阻止すると決心したのさ。 …何を話してるんだ、俺は?たかが機奏英雄にここまで。」
 “闇夜”は芝居がかった風に呟き、頭を二、三度横に振る。
???? 「さて。本題だが──」
???  「待ったー?」
 と、部屋の扉が勢い良く開いた。
 そしてまず琉都の目に見えたのは、どう見ても“彼女”だった。
琉都   「琥露鬼!?」
琥露鬼  「あら、琉都クン。来てたの?」
???? 「来てたの、じゃないだろう。誰が種を仕込んだんだ?」
 “闇夜”に叱られたにも関わらず、琥露鬼は全く動じていない。そう言った“闇夜”も怒ったのではないらしく、顔は笑っていた。
 しかし一人だけ、怒っていた。
琉都   「琥露鬼…どういう事だ!?」
 ダンッ、とテーブルに拳を叩き付け(テーブルは拳型に凹んだ)、勢い良く立ち上がりながら吠える。
琥露鬼  「…あら、手段が気にくわなかったかしら。ごめんね?」
琉都   「『ごめんね?』で済むか!!」
 今にも殴り掛かりそうな琉都を、“闇夜”は玄大剣を使って制御する。
 だが。
琥露鬼  「いいのよ、クシェウ。」
 クシェウ、と呼ばれた“闇夜”は、一瞬だけ玄大剣を下ろす事を躊躇したが、琥露鬼の目を見てすぐに下げた。
 そして琉都は制御が解除されたため、今にも殴り掛かりそうである。
琥露鬼  「私がした事が、キミに許されるとも思えないもの。 さあ、琉都クン、殴って頂戴。」
琉都   「…っあぁぁぁぁっぁぁあぁああぁぁっっ!!」

べきゃあっ!

 立ったままだった琥露鬼は、2メートルほど遠くにあった壁の際まで、全くの無抵抗で吹き飛ばされた。
 そして肩から地面に落ちる。
 その直後。
クシェウ 「とぅらぁッ!」

バキィッ!

 琉都も琥露鬼と同じ距離だけ吹き飛んだ。
 何が起きたのかと朦朧とした意識で見上げれば、琉都の視界には“闇夜”──クシェウの顔があった。
 琉都は大分フラフラとしながらも起き上がり、やっとの事で椅子に座る。
 クシェウは何も着けていない右手で殴ったらしく、篭手の着けられた左手で右手をさすっていた。
琉都   「な…何をする…」
クシェウ 「痛ぅ…。 この馬鹿、殴れと言われても殴る時は素手でやれ!」
 そう叱り付け、クシェウは湿布を3枚とりに部屋を出て行った。
 琉都は叱られた意味もわからず、朦朧とした意識をしっかり保つ事に専念する。
 しばらくして、クシェウはきちんと人数分の湿布薬を持ってきた。そして黙々と治療をする。
琥露鬼  「…何で琉都クンを殴ったのよ、クシェウ。」
 だがクシェウは答えない。ただ辛そうに、ふっと笑った。
 琉都の治療をする間、クシェウは打ち所が悪かったのか赤く腫れ上がる自分の右手を酷使した。
 余計に悪くなるのを知っていてそうしたのだ。
クシェウ 「人を殴って痛くないのは、兵器だけで十分だ…。」
琥露鬼  「だからって琉都クンを殴らなくても──」
クシェウ 「全く同じ痛み、だぞ、“琥珀”。 お前の大切な者を、ゾンビパウダーでさらわれたらどう思う?」
 そう問うて、クシェウは腕を組んだ。自分の大切な者をさらわれる事を想像したのか、眉間に皺が寄る。
琥露鬼  「殺してやるわ。」
 さらり、と言ってのける琥露鬼。
 流石は猫。所有欲は並大抵ではないらしい。
クシェウ 「つまり、琉都もそれくらいは名も知らぬ“麗盗 琥珀”を怨んでいた。」
琉都   「ああ。だからこんな銃器なんか持っているわけだし。」
クシェウ 「痛みは相互に理解し、その上で与えたり受けたりする。それが大切なんだ。」
琥露鬼  「…そんな事をしない方は?」
 できればの話だな、とクシェウは笑った。
クシェウ 「現実はそんなに甘くない。だから、痛みを無理に与えない必要は無いと言うんだが。 与える者は同じ痛みを受けるべきだ。」
 さて。とクシェウは再三仕切り直した。
 これ以上時間を無駄にしたくないのか、単刀直入に言う、と前振りをつける。
クシェウ 「琉都。お前は俺からの依頼を請け、クゥリスを治療してもらうか?」
琉都   「もちろん。」
 全く考えもせず、琉都は二つ返事をした。
 それを聞いてクシェウは、自分がここまで無駄に話した事を後悔すると同時に、深く反省した。


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 ミッション内容。
 潜入、情報入手、可能ならば破壊工作。関与していた証拠は残さず、隠密行動厳守で行動。銃火機は支給のサイレンサー付き麻酔銃のみで、それ以外は現地調達の事。
 ちなみに琉都がクシェウ──コードネーム“闇夜”から与えられたコードネームは、アハトだった。

 借り物のヘッドギア(のような物)から琥露鬼──コードネーム“琥珀”の声が聞こえた。
琥露鬼  『見張りはどう?』
 周囲に気付かれないよう注意しつつ、琉都はヘッドギアのマイクに向かって返事をする。
琉都   「2人。男と女がペアになってるから、多分機奏英雄と歌姫だろうと思うけど…」
琥露鬼  『難しいわね。もしそうなら、そこは幻糸鉱山よ。違う入口まで移動しなくちゃ。』
 どうすればわかるか、と琉都は考えた。
 歌姫ならば《声帯》をしているはずだが、琉都が今いる草むらからでは遠すぎて見えない。望遠鏡でもあれば話は別かもしれないが…。
 と、ヘッドギアから今度はクシェウの声が聞こえた。
クシェウ 『そのヘッドギアがマルチセンサー兼連絡装置だって事は話しただろう?』
琉都   「あ、あぁ。 ガラス板が左目の視界を邪魔してて、ちょっと慣れるのに時間がいるだろうな。」
クシェウ 『その左目のガラス板が、センサー類の表示画面だ。 そのヘッドギアは思念感応ができる。』
 オーパーツじゃないか、と琉都は笑った。
 そうだな、と返事をしてクシェウは言葉を続ける。
クシェウ 『その非正規オーパーツのマルチセンサには望遠、赤外線暗視、生体レーダー、術力値計測。この四つの機能があるから、必要な機能を念じればいい。』
 遠くが見たい、と琉都は念じてみた。
 と、左目の目の前にあったガラス板に、その板に映る風景の中心部が拡大して表示された。
 位置をあわせるのに多少苦労したが、琉都は程なく女の首元を見る事ができた。
琉都   「《声帯》か…ハズレだな。」
琥露鬼  『ニセモノかもね。術力値計測してみたら? もし歌術師なら、感応値の方が影響値より高いはずよ。』
琉都   「…もし歌姫でなければ、逆?」
 そうね、と琥露鬼は言った。
 琉都は術力値測定機能を立ち上げるのにかなり苦労した。だが立ち上げれば目標を測定リングに収めるのは、望遠機能よりは楽だった。
琉都   「…歌姫じゃない、と思う。感応値27.04、影響値63.58。」
琥露鬼  『何術師かしらね。歌術師じゃないのは確かだけれど…。』
 その呟きを聞きながら、琉都は匍匐前進でどうにか近くの物陰まで移動した。
 術師じゃないといいな、と思いつつ物陰伝いに見張りの方へ近付く。
 少し待って影から飛び出し、男の首筋に手刀をくらわせた。男はグウの音も無く気絶する。
 女はそれに気付き、警報を発そうとしたようだった。だがそれより早く首を締め上げられ、あっけなく気を失う。
琉都   「さて、これからどうしますか。」
 誰にとも無く呟く。
琥露鬼  『ヘッドギアの表示画面に見取り図を転送するわ。それを頼りに、なるべく地下深くまで行ってる通気口を探して、その中を移動して。』
 琉都は誰にとも無くのつもりだったが、つもりでも聞こえれば話しかけた事になる。
 すぐに、見やすい倍率で、建築物の見取り図が表示された。
 一番近い通気口までは、歩けば数分もかからない位置にあった。だが見張りの数によっては、先ほどのように奇襲は意味が無いだろう。
 服も今は袍だが、これでは目立つ。クシェウは軍服を貸出そうかと言ってくれたのだが、袍の方が武器を隠し持ち易いのだ。
 結局の所琉都は、借り物のケーファにちょっと無理をしてもらう事にした。

 プルパァ・ケーファで幻糸鉱山の坑道に乗り込む馬鹿がいれば、それを絶対奏甲で追いかける馬鹿もいる。
 琉都は必死になって、後ろから追いかけて来る正体不明機(シャル2辺りに似ていなくも無いが、実際にはもっと様々な機種のパーツが混ざっている)を振り切ろうとしていた。
クシェウ 『…。アハト、そのまま機体から飛び降りろ。』
琉都   「無茶苦茶な!」
クシェウ 『もっと無茶な事をしようとしてるんだろうが。今死ねば、どうなる? そんな事よりも、自動走行プログラムを実行しろ!』
 くそったれ、と琉都は呟いた。そして手元のキィボードを鮮やかに叩き、ケーファを自動走行モードに切り替える。
 勝手に障害物を避けて走るケーファから、琉都は借り物の隠密クロークを体に巻き付けて、飛び降りた。
 隠密クロークが飛び降りるのと同時に変色し、周囲から琉都の姿を少しだけ隠す。
 だが着地の際、そのクロークが足を引っ張った。琉都は少し転がって何とか移動エネルギーを受け流すが、それでも身体の節々にダメージがあったのか、苦痛の表情を僅かに浮かべていた。
クシェウ 『すぐにどこかの物陰か、通気口に隠れるんだアハト。隠密クロークだって、少し探せばすぐに発見される。』
琉都   「了解、“闇夜”。」
 僅かにならいいが、ありありと刺々しく琉都は返事を返す。気を悪くしたでもないだろうが、クシェウとの通信が一時途絶えた。
琥露鬼  『3メートル先に、通気口があるはずよ。』
 琉都は3メートル先を見やる。確かに金網があるが、その目の前には木箱の山が積まれており、琥露鬼のように猫か何かになれなければ到底入れそうになかった。
琉都   「他の通気口は?」
琥露鬼  『17メートル先にももう一つ、そこからさらに20メートル間隔で一つずつね。』
 画面に白で表示されていた見取り図に、緑で通気口配管図が被る。確かに一番近い通気口は、3メートル先か。
 仕方ない、と琉都はその通気口に向かう。
 その途中で、ある事を思い出した。
琉都   「ケーファはどうするんだ?」
琥露鬼  『問題無いわ。そこで使ってるのと同じ型番、同じパーツ、同じシステムを用いているから、既存機の暴走と言う事になるわよ。』
琉都   「そうじゃなくて、回収は──」
琥露鬼  『不要よ。ケーファからキューレヘルト程度の値段なら、私達にとっては使い捨てですもの。』
 つまり超国家レベルの財政力が在るという事か。
 一体どれだけの資金があるのかと考えると、琉都は軽い目眩に襲われた。軽く見積もっても兆の単位だろうからだ。
 そんな事を考えつつも、通気口へと体を滑り込ませ、隠密クロークを袍の袖にしまいこむ。
 ヘッドギアの赤外線暗視機能を起動すると、視界の左半分が赤と黒で表示される。金属であっても些少の熱を持つのか、壁もうっすらと赤がかかっていた。
琥露鬼  『最下層まで行くには、エレベータか階段のどちらかを使うのだけど、階段はお薦めできないわね。』
 いきなりそう言われ、一瞬だけ琉都は戸惑った。
琉都   「まだ先だろう?」
 見取り図でも、最下層までの階段は数少ない。エレベータはタワー状に存在するコア・ブロックにしか無いのだし。
 だが。
琥露鬼  『目の前の下部金属板を、思いっきり叩いてみて。』
 音でばれやしないかと不安になったが、外では暴走するケーファの足音が重厚に鳴り響いている。
 よっぽど通気口を警戒されない限りは、十分に大丈夫そうだった。

 潜入には成功した。
 だが予想外だったのは、通気口が窓側にあった事だろう。琉都が顔を出す所を、誰かに見られてしまった。
 その直後、エレベータ孔に赤いランプが点灯する。
琉都   「!!?」
琥露鬼  『…ッ。 見つかったわね。』
 落ち着き払った琥露鬼の声に、琉都はさらにパニックした。
 不思議な事だが人間というのは、状況にそぐわない感情に遭遇すると、さらに状況に合った感情が加速されるのだ。
琉都   「“琥珀”、どうすればいい!?」
 ほぼ叫ぶように訊ねる琉都。
琥露鬼  『…そのまま進んで頂戴。』
 ガガッピッ、とノイズが入る。
 そしていきなりクシェウから通信が入った。
クシェウ 『仕方ない…。 殺戮許可を下すが、なるべく見つかるな。50カウントすれば警戒は解かれるはずだが、まずはそこを移動するんだ。』
 レーダーが強制起動され、周囲の生物が何処にいるかを光点で示す。
 琉都の方向は緑色の△で表示されているようだった。
 見取り図と重ねて表示する事で、琉都は今自分がおかれている状況をかなり正確に把握できた。
クシェウ 『アハト、一番近くの部屋に隠れろ。ロッカーでもいい。』
琉都   「見つからないか?」
クシェウ 『その辺は隠密クロークを巧く使え。』
 琉都は通気口を後退すると、周囲に人が居ない場所を選んで金網を蹴り破る。縁に手をかけて、足音をたてないよう注意しながら着地。
 目の前の部屋に飛び込み扉を閉めると、誰かが入って来る事を警戒して琉都は麻酔銃を構えた。
 事前にクシェウが言っていた事には、この麻酔銃は軍用で、象ですら一瞬で安眠するらしい。
 もちろん害は無く、残留性も無い。潜入作戦には持ってこいの武器と言う訳だ。
 50カウントをとり、警戒態勢が解かれるのを待つ。
 ヘッドギアの無線には傍受機構があり、事前に合わせておいた波長を傍受する。と同時に対傍受機構もあるので、傍受される危険は皆無なのだとか。
 隠密クロークで周囲の風景に溶け込みながら、琉都は扉を狙いながら待った。
 そうやって数分が経過しただろうか。
“異常無し。”
“了解。警戒態勢を解除、周囲に注意しつつ見張りを継続。”
“了解。”
 この通信を待っていた、と琉都は呟いた。
 だが、それが迂闊だったのか。出て行こうかと立ち上がった瞬間に、扉が開いた。
??   「!!?」
琉都   「…ッ!」
 咄嗟に麻酔銃をポイントし、レーザーサイトを額に照準する。
 いくら麻酔銃とは言え、額では危険性が生じる。ニセモノではない事を悟ってか、部屋の主は大人しく両手を上げた。
琉都   「両手を頭の後ろで組め。そのまま扉を閉じ、部屋の奥へ。」
 なるべくドスを効かせて、怖く見えるように言う。
 部屋の主は指示通りに動いた。
 よく見れば女兵士らしい、胸部に膨らみが確認できる。琉都もすぐにそれに気付く。
琉都   「…なんだ、女か。」
 思わずそう呟く。
 潜入では、変装は有効な手段だからだ。
??   「女じゃ不満?」
 そう言った女兵士は、かなり怒っているようだった。
琉都   「不満じゃあ無いが…変装できないからな。」
??   「あぁ、そう。 幻術師じゃあ無いんだ。」
 女兵士は安堵したようにそう言い、部屋の奥にある長椅子に腰を下ろした。
 琉都は警戒を解かず、頭をポイントしたままである。
??   「セフィロトの樹の、“無限光(アイン・ソフ・オウル)”。そのエージェントなの?」
 いきなり、女兵士──いや、少女兵士はそう訊ねた。
琉都   「“無限光(アイン・ソフ・オウル)”?」
 首を傾げる琉都。
 琉都は知らないがセフィロトの樹とは、カバラ密教と言う呪術の奥義図のようなものである。
 10個の球体(セフィラ)が管で繋がれており、さらに3つの軸が存在する図。
 その軸は“無(アイン)”“無限(アイン・ソフ)”“無限光(アイン・ソフ・オウル)”を意味すると言う。
 “無”は人間にも辛うじて理解できるが、“無限”“無限光”は神のみが理解できると言われている。
琥露鬼  『私達の組織コードネームね。そこまで割れていたなんて…』
 そう呟くように言うのを、琉都はしっかりと聞き取った。
琉都   「…そうらしい。」
 自信なさげに言う琉都に、少女兵士は疑いの眼差しを向けた。
??   「おかしいわね。現地登用は御法度だったんじゃ?」
琉都   「そうなのか?“琥珀”。」
 ポイントした腕が痛くなってきていたが、琉都は警戒し続ける。
 じりじりと横に回り込み、少女兵士の後頭部に銃口を突きつけようとしながら。
琥露鬼  『そうよ。 “闇夜”は裁きと罰を甘んじて受けるつもりだって言ってたわ。』
 そう言う人間なのか、と琉都は思った。
??   「警戒しないでよ。 わたしはこんな所、逃げ出したいだけだから。」
 少女兵士はすっかり警戒心を解いたのか、暑いとぼやきながら上着のボタンを3つ外した。
 それなりに成熟した胸部が、V字型に露わになる。だが色々な部位の様子から行くと、クゥリスと大して変わらないように琉都には思えた。
琉都   「警戒もするさ。俺だって一応は敵地に居る身だからな。」
??   「そう…。 ね、名前何て言うの?」
 いきなり訪ねられると、思わず本名を名乗りそうになる。誰でもそういう物だ。
 だが琉都は黙っていた。
琥露鬼  『真名を言ってしまえば、呪で操られるわよ。』
 そう囁かれ、うまくブレーキがかかったのだ。
??   「わたしはレイって言うんだ。レイ=ミナヅキ。 生まれてこのかた、この組織──“賢者の石(エリクシリール)”の建物以外は知らないんだ。」
 そう少女兵士は名乗る。
 琉都は少女兵士──レイがそう語っている間に、上手くレイの後ろに回り込み、後頭部に銃口をつきつける。
琉都   「まぁ、アハトとでも名乗ろうか。」
レイ   「変わった名前だね…。あ、コードネーム?」
 まあ、な。と琉都は一応、肯定した。
琥露鬼  『アハト!?』
 悲鳴にも似た声が聞こえたが、敢えて無視する。
琉都   「レイ=ミナヅキ、だったか? “賢者の石”が何をしようとしているか、知っているか?」
レイ   「うん。」
 クゥリス以上に子供っぽく肯くレイ。
レイ   「今あるこのアーカイアを改竄するんだよね。で、有害な原住生物を絶滅させる。」
琉都   「“無限光”の人の言うのとは随分違うな…。」
 呆れたように言う琉都。
 組織にとって都合の良い言い回しをする事を、多少は覚悟していた。
 だがここまで激しいと、流石に呆れるしかない。
レイ   「ね、アハト。アーカイアのいろんな所に連れてって。」
琉都   「…は?」
レイ   「もちろんタダとは言わないよ。欲しい情報をあげるし、……ね?」
 ね、と言うレイの視線はやけに艶めかしかった。
 本当に14そこらなのだろうか、と思うくらいに。
 琉都はその時、ある事に気付いた。それは、レイの目についてだ。
琉都   「黒と白銀のオッドアイ…?」
 わざと呟く。
琥露鬼  『…珍しいわねぇ。私達の情報網には、そんな子の事はひっかからなかったわ。』
クシェウ 『黒と白銀のオッドアイ、だって?』
 割り込むように通信が入る。
 いきなりの事だったので、琉都は多少ならず驚いた。
 抗議するよりも早く、クシェウがまくし立てる。
クシェウ 『俺の記憶が正しければ、そいつは人間だ。それも、とてつもない。 絶対に泣かせたり、怒らせたりするな。』
琉都   「泣かせたり、怒らせると何かヤバいのか?」
 この問には、レイが答えた。
レイ   「うん。感情が負の方向へ昂ぶると、無意識に反物質を生成しちゃうんだって。」
 反物質を生成。
 つまり空気のある場所であれば物質対消滅を引き起こし、質量を完全にエネルギーへと変換する。
 生きた反陽子爆弾、と言う訳だ。
 琉都は下手に刺激しないよう、麻酔銃を下ろす。
琉都   「…わかった。ここから連れ出す手伝いはするよ、レイ。」
 やれやれ、とお手上げポーズをする琉都。麻酔銃は一瞬のうちに、袍の袖に仕込み直したようだ。
レイ   「やったっ! ありがと、アハト!」
 嬉しさのあまり飛びつくレイ。
 そして琉都の右頬に軽くキスをする。
琉都   「#$%&@+*¥!?」
 慣れない事をされた琉都は、顔どころか耳まで真赤になっていた。
琥露鬼  『…見ちゃった。 後でクゥリスちゃんに言っちゃおうかしら?』
 そう呟いたのすら聞こえないほど、琉都は混乱していた。

 こっち、とレイが案内する。
 琉都はレイが借りてきた兵士服を着、アサルトライフルを持って一般兵になりすましていた。
 着替えてから言われた事だが、レイは少尉だったらしい。借り物の服が二等兵の物だったため、一時的とは言え琉都はレイに従うふりをしている。
琉都   「少尉。」
レイ   「何?」
 カッ、と踵を鳴らして振り返るレイ。琉都から見てその向こう側には、尉位以上でなければ普通は乗れないエレベータのドアがある。
 すでに▽ボタンが押されていた。
琉都   「絶対奏甲冑を、二等兵如きが見ていいのか?」
 一応は二等兵なので、声をおとして訊ねる。
レイ   「アハトは特別。それにわたしだって、見れるのは絶対奏甲冑の片方だけ。」
琉都   「片方?」
 うん、と肯くレイ。その後ろで、チン、と軽快なベル音が鳴り、エレベータが止まる。
 幸運にもエレベータは誰も乗っていなかった。
 二人は誰のお咎めも無く、堂々と乗り込む。
レイ   「絶対奏甲冑の開発は、マルチジョブなの。2機ある奏甲冑の開発名は、イザナギとイザナミ。」
琉都   「日本神話の創世神か。」
レイ   「うん。 どっちも対消滅炉をメイン動力、幻糸炉2基をサブ動力に使って、全く対当のスペックを持ってる。」
琉都   「両方が600機の絶対奏甲とやりあえる、と。」
 そう、とレイが肯く。
レイ   「でも本当に強いのは、2機が揃った時。イザナギは“矛”を持ってて攻撃を担当、イザナミは“鏡”を持ってて防御を担当するの。」
 そこまで言うとレイは、少しだけ黙った。そしてエレベータの天井の一角を、意味ありげに見つめる。
 琉都もその視線を追う。と、何かが光ったような気がして、琉都は迷わずに鉄串を投擲した。
 ガッ、と鈍い音。監視カメラだったな、と琉都は思った。
 それを合図にしたようにレイは言葉を続ける。
レイ   「わたしはイザナミの奏者として、ずーっと訓練を受けてきた。だからイザナミは動かせる。」
琉都   「対消滅炉の燃料も簡単に補給できるから?」
レイ   「うん…。 で、イザナギは建造がかなり遅れてるみたいだけど、イザナミはもう完成はしてる。後はプログラムのダウンロードだけ。」
 そう言うのとほぼ同時に、エレベータが最下層に到達した。
 薄暗い通路は何故か重力が働いておらず、不思議な浮遊感に襲われながらも琉都はレイの後を追う。
 レイは慣れた手つきでバイオメトリックス認証を済ませると、琉都を先に行かせてそれから扉に入った。
レイ   「…でも実際の所、OSはインストール済みだから、後はサブウェポンのドライバだけなんだよね。」
 そう言いながら、慣れた手つきで衣服を脱ぐ。
 目の前に異性が居るというのに、照れた様子は琉都には読み取れなかった。
レイ   「だから、逃げるのには十分なんだ。 っと、アハトもそれ着て。」
 それ、と指差した先には何やら全身タイツのような物があった。
 全身タイツよりも抵抗が無いよう下着型の金属パーツがあるが、それでも正常な精神では着る事もできないだろう。
 ちなみにレイも女性用のそれを着ている。
琉都   「サイズが合わないんじゃ?」
レイ   「大丈夫。赤ん坊のSSサイズから大人のLXサイズまで対応してるよ。」
 ああそうですか、と呟くと琉都は自暴自棄気味に服を脱ぎ捨てた。そして恥ずかしいと言う感情を全力で抑えつつ、そのパイロットスーツに着替える。
 着替えるついでに、隠し持っていた荷物からヘッドギアを取り出し、装着した。
 着替え終わり、扉が開く直前。
レイ   「そのスーツ──“タクト”には、搭乗者と機体の接続率を上昇させる効果もあるんだよ。」
 そう言い放つレイ。
 じゃあ俺に着させるな、と琉都は思いっきり心の中で毒づく。
 そんな事を気にしていないように、レイは何かはしゃいでいた。
琉都   「少尉…何が面白いデスカ?」
 袍を持っている手前、下手に動くわけにもいかず、言葉を使う。
レイ   「だってアハトとおそろいだもーんっ♪」
 くるりと振り向き(無重力なので慣性で通路の奥へと進み続けている)、レイは破顔して言う。
琥露鬼  『あら、よっぽど気に入られたわね。 「アハトとおそろいだもん」ですって?』
琉都   「煩い。通信切ってほしいか?」
琥露鬼  『ま、せいぜい浮気を楽しみなさいな。 うふふふ…』
 ブツリ、と琥露鬼との通信が切れる。クシェウはまだモニタだけしているのか、兆微弱ノイズ音は消えなかったが。
 が、先ほどの通信は聞こえていたようだ。レイは悲しげな顔をして言った。
レイ   「そう、だよね。アハトは機奏英雄だから、宿縁さんがいるんだよね。」
琉都   「…だから?」
レイ   「わたしなんかに本気にはなってくれない。 …うん、わかってるよ。」
 わかってるよ、と呟くとレイは、最終ロックを外しにかかる。もう一度、わかってるよ、と弱々しく呟き、レイは壁に肘と額をつけて顔を隠してしまった。
 泣いているのだろうか。琉都はそう思った。
クシェウ 『アハト。しつこいようだが、泣かせるなよ。』
 まるで待ち構えていたかのように、クシェウから一方的な通信が入る。
 丁度、琉都の中の迷いを打ち切らんとするような、そんなタイミングだ。
 狙い通りと言うべきか。その場で、琉都は決断を下した。篭手を外し、適当に浮かべておく。
琉都   「レイ。」
 後ろからぎゅうっと抱きついた。そっと頬に左人差し指を這わせると、確かに泣いていたようだった。
レイ   「…っ。 は、放してよぅ…」
 いきなりの事に、一応は抵抗を見せるレイ。だが本気ではなかったらしく、抱擁から逃れる事は試みる方が無駄であった。
琉都   「一つ、約束していいか?」
レイ   「…勝手に…すればいいじゃない…」
 さらに涙するレイ。
 琉都は抱擁を解除すると、今度はレイを自分の方へ向けた。そして目を見て、なるべく一語一句にまで気を使って言う。
琉都   「アハトには、レイ、君しか大切な人は居ない。だから、俺がアハトである間は、一緒に居るよ。」
 もちろんこんなセリフを、琉都が自身で考えたのではない。
 以前にアルゼが口説きの手段としてキメ台詞を幾つか伝授してくれたものから、なるべく差し障りが無い物を選んだのだ。
 言い換えれば、後で言い訳ができる抜け穴を、わざと作っておいた訳だが。
クシェウ 『またえらく古典的な手を…。』
 こんな呟きはもちろん無視する。
 何を思ったか、レイはいきなり抱きつく。今度は琉都が驚く番だった。
レイ   「本当に…?」
 ずっと涙を流しっぱなしのレイ。琉都、いや、バイパーは驚きながらも、レイを抱きしめ返した。
琉都   「あぁ。本当だ。」
レイ   「アハト…」
 本当に14歳かそこらか、クゥリスと大違いだぞ。
 琉都は不謹慎にも、そう思ってしまった。もちろん比較したのは、単純な肉体成熟度である。
 確かに精神面では、クゥリスの方が落ち着いていたかもしれない。それともレイが急ぎすぎなのか。
 だが両者には共通点があった。これは琉都が恋愛と言う感情のボルテックスに疎いために発覚した、面白い共通点である。
 クシェウはそれに気付いた。
 クゥリスの行動履歴は琥露鬼から受け取っていたが、色恋沙汰にも幾分か理知的に行動している、と分析している。
 だがレイは、当たり前の事だが、クゥリスとはまるで違うタイプに分類できる。少なくともクシェウは、そう分析した。
 クゥリスは精神が大人で肉体が未熟だが、レイは正反対に肉体が大人で精神が未熟である。
クシェウ 『お二人さん。そんな所で抱き合ってないで、さっさとすべき事をしなされ。』
琉都   「…了・解。 さ、少尉どの。」
 うん、とレイは幾分落ち着いた表情で肯き、認証を再開した。
 その間、琉都はクシェウと交信していた。
琉都   「どうしよう、“闇夜”。これじゃあレイも連れて行く事になりかねない。」
クシェウ 『落ち着け、アハト。お前は古典的な、しかし有効な手段を使った。』
琉都   「俺が言いたいのはそっちじゃない。“無限光”に連れ帰るまでなら、容認できるさ。」
クシェウ 『…依頼終了後も、レイを連れて行かなきゃならないのが、嫌だと。』
琉都   「ああ。もうこれ以上道連れを増やせば、今度は面倒が増えそうだから。」
クシェウ 『ま、気にするな。善後策はこっちで準備しておくから、安心して情報を持ち帰ってくれ。』
琉都   「機体は?」
クシェウ 『とりあえず、見つからないようにできるなら持ち帰れ。解体なり複製なりは、こっちでするからな。』