無題迷話

参章 第壱話






 ハルフェアの首都、観光温泉街ルリルラは、いつも活気にあふれている。

 それは今日と言う日も例外ではなく、街の外れに近い場所にある赤銅の姫所轄の工房もまた、他の町とは比べ物にならないほどにぎわっていた。


 そのにぎわっている工房に、既製品の絶対奏甲とはフォルムからして全く違う、純白の絶対奏甲があった。それは背中に純白の翼を持ち、肩には十字架を模した防護板を持った、強いて言うならばグラオグランツに似た奏甲だった。

 その隣には、新型奏甲と思しきワインレッドの奏甲がたたずんでいる。肩に幻糸結晶を積んでいるが、武器は白銀色のリヴォルバーとカタナのようだ。

 更にその隣には、黒い小型奏甲が在った。日本出身の機奏英雄なら「νか!」と叫びそうなファンネルを背負っている。

 それらの奏甲の番をしているのか、黒いフード付マントを目深に被った女性が、足下で時間を持て余しているように立っていた。時折碧色の瞳が触ろうとする者を威嚇するように光る以外、彼女の特徴らしい特徴は周りの者にはわからなかった。


 工房の奥、いわゆる接待室。

 過去に得た勲章の数々を飾ってあったりするため、まだ二十にも達さない歳の機奏英雄達は、何となく学校の校長室を思い出してしまう。

 そして今そこに居るのは、三人とも満二十歳未満の機奏英雄だけである。

 1人は金髪青眼の美少女。後生大切そうに狙撃銃を抱えている。

 1人は赤黒髪のキツめな顔つきの青年。腰には退魔銀のリヴォルバーを二挺吊っている。

 1人は黒髪の東洋系の少年。両腕に肘まである篭手(と言うよりも金属製の長手袋のような代物)を着けている。

 彼らの<宿縁>の歌姫は、今はこの場に入らないよう言われていた。

「しっかし、本当によくそこまで変われた物だぜ」

 と、赤黒髪の青年は、少し悪戯っぽく言った。

「そうか?」

 と素っ気無く答えたのは、黒髪の少年である。

「うん、琉都兄ぃ、とっても変わったよ」

 と青年に同意したのは、金髪の美少女。

 琉都、と呼ばれた少年は、少し自慢げに

「そうか」

 と頷いた。

「けど、アルゼだって、何か変わった気がするけどな」

 アルゼ、と呼ばれた青年は不思議そうに

「琉都、お前、何ヶ月も会ってない友人みたいな事を言うじゃねえか。可笑しいよなぁ、ソフィア?」

 と訊ねるような口調で言う。しかしそれには明らかに「よせやいそんな口先三寸は」と言っている風があった。

 ソフィア、と呼ばれた美少女は、うん、と首を縦に振った。

「でも琉都兄ぃ、嘘ついてないよ」

 優れた狙撃手であるソフィアは、風や的の動きだけでなく、人の心もある程度までなら読心術で読み取る事ができる。まあ、それでも読み取れない事の方が多いのだが。

 例えばアルゼの<宿縁>であるアメルダ。彼女の想っている事は、ソフィアには断片的にすら読み取れない。逆にソフィアの<宿縁>であるルィニアの思考は、ほぼ九割がた読み取る事ができる──絶対奏甲技師であると言う事を考えれば読心術など使う必要も無いほどだ。

「ソフィアまでグルになるなよぉ、オレって騙してて楽しいのか?」

 少しおどけて言うアルゼ。

 不意に真面目な顔になり、琉都とソフィアは同時に肯いた。

「反応が面白いんだよ、アルゼは──」




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 数日後。


 7人は3機の奏甲の相性を見ると言う目的もあって、ルリルラ郊外のかなり離れた場所まで来ていた。

 今やアーカイア全体に生息しているとされる奇声蟲の群が、何故かこんな辺ぴな場所に現われたと言うのだ。機奏英雄が召喚された当初の目的も奇声蟲退治であったため、今でも奇声蟲には適当な機奏英雄を絶対奏甲ごと雇うのが常套手段である。


『しかしよぉ、何でこんなにも安い報酬の、しかも蟲退治なんぞ選んだんだ?』

 アルゼは不満そうに、ワインレッドの奏甲──ネーベル・レーゲンボーゲンに銘刀“朔”を振るわせ下草(と言うよりも低木)を掃わせながら、ぶつくさと呟いた。が、アメルダに怒られたかネーベル・レーゲンボーゲンの動きが一瞬固まった。

 琉都はそれを横目で見つつ「たはは…」と呆れたように笑った。そして銘剣“裁き”で同じく下草を刈り、蟲の姿や痕跡を探す。

 ちなみにソフィアは黒い小型奏甲──シャッテンナハトでこの小規模な森に分け入り、機体の特徴でもある忍者顔負けの隠密性を活かして蟲を探しているはずだ。

「まぁそうぼやくなよ。もしアイツらが出てきたら、奏甲が傷ついてたら何かと不便じゃないか」

『何故かそれでもあんまり意味が無い気がするぜ…』

 むしろ足手まといだと言いたげに、アルゼは“朔”で低木を斬り払った。と、その木の陰だった場所にうずくまる、何かの影を見つけた。アメルダに頼んで、調べてもらう。

 暫くの後、思ったとおりの答えが返ってきた。

『琉都! 人間を見つけた!』

 急いで連絡する。

「マジかよ? わかった、アルゼはそいつを安全域まで連れてってやってくれ。俺は残って痕跡を探す」

 琉都はそう言うと、また低木を“裁き”で斬り払った。

 蟲の痕跡と言っても、大抵は2種類の物だけしか残されていない事が多い。ひとつは絶対奏甲の使う火器の薬莢や奏甲そのものの廃棄物。もうひとつは苗床とされたアーカイア人女性の肉体…これは生死を問わない。

 この森は今まで誰も入った事が無いと言う事だったため、前者は非常に見つけ辛いだろう。かと言って琉都は、たかが蟲退治のためだけに遺骸が出て来るのも嫌だった。

「…ったく…」

 ぼそっ、と呟いて、斧であれば半時間はかかるであろう大木を一刀のもとに斬り倒す。丁度その時。

『見つけたよ。森の中央部、大きな岩の陰に穴を掘って隠れてるみたい』

 <ケーブル>から聞こえてきた声は、ソフィアのものだった。

『わーった。琉都、一足先に行っててくれ』

「おぅ。けどアルゼが来るまで攻撃はしないつもりだからな」

 上出来、とアルゼはどこか機嫌良さそうに言う。

 <ケーブル>での通話を終えると琉都は、ふと飛んでみようと言う気になった。クゥリスの方に振り向き、ちょっとの間だけ黙って顔を見る。

「…? どうしました?」

 ちょっと小首をかしげて訊ねるクゥリス。琉都は自分はその格好をしたまま、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルに三歩ほど後退りさせる。

 腕を左右に広げると同時に、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルはその純白の翼を広げた。

「飛んでみるか? まさかぶっつけ本番ってわけには行かないだろ」

「…本番が何なのかにもよりますけど、そうですね」

 クゥリスの許可を得て、琉都は本格的に飛行の準備に入った。様々な制御系を飛行モードに移行(と言ってもちょっとした気持ちの切り替えで済むが)させ、武器が飛行中に落下しないようにしっかり保持する。

 琉都が飛行奏甲に乗るのは、フォイアロート・シュヴァルベ以来であろうか。より厳密に言えば『飛んでいなかった』だけなのだが、少なくとも飛行そのものはそれ以来である。

 二度、三度と翼を羽ばたかせると、アークウィングが揚力を発生させる際に現れる、幻糸の微発光現象が現れる。

 微発光する幻糸を下に流すようにして羽ばたくと、一瞬だけ微発光幻糸のリングを地面に残して、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは重力の鎖から解き放たれた。

「クゥ、機体の姿勢安定度は?」

 第三眼に投影されるステータスモニターで自分も各部位をチェックしながら、琉都は気を引き締めた顔で前を見据えたままで後ろにいるクゥリスに訊ねる。

 しばしいろいろ試した後、クゥリスは一つ頷いた。

「百分率で118.56、だそうです」

「オーケイ。フクロウより良い数値だ」

 過去の乗機である『フォイアロート・シュヴァルベ・オウルカスタム』を、琉都は感謝と愛情の念を込めて『フクロウ』と呼ぶ事もある。そして『フクロウ』は、たかが琉都ていどの飛行奏甲に乗り慣れない者でも、かなり高い安定性と機動性を見せてくれた。

 たった数ヶ月とは言え『フクロウ』に乗り続けていた琉都は、今や一端のプロの飛行奏甲乗りである。それでも普通、100%を超える安定性を得る事は難しい。

 流石はクロイツ、と言った所か。

 琉都は久しぶりに乗った飛行する奏甲に、かなりテンションが上がっていた。




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 こっちこっち、とソフィアの乗るシャッテンナハトが手招きするとおり、琉都はハイリガー・クロイツ=フリューゲルをそっと着地させた。

『ほら、あれ、あの岩陰の小さな印。あれが蟲を出現させ易くしてるみたいだよ』

 そう言ってソフィアは、岩の窪みになって本当に見づらい場所にある、人間の親指ほどの大きさの、円に直線を複雑に組み合わせた印を奏甲で指差した。どことなくヘキサグラム召喚陣に似ているが、ここに居る4人はそれに気付けない。

 だが琉都は、なんとなく肌がちりつくのを感じていたし、幻糸を感じ取れる歌姫2人は幻糸の乱れを感じていた。ソフィアは、訓練で身に付けた予感がそれが悪い物である事をなんとなく告げていた。



 数分後、手の平に2人乗せたネーベル・レーゲンボーゲンがようやく到着した。手の平に乗せている片方は、当然のようにそこに居るアメルダだが、もう一人は顔に見覚えが無い。

 その人は腰にカタナをさしており、粗末な軟皮鎧を着ていた。どこにでも居ると言う印象を与えると言う点では琉都と似ているようだったが、もちろん全くの赤の他人である。

「アルゼ…何でここに関係無い人が居る?」

 少し苛立った声で琉都は、わざと外部会話装置を通じて訊ねる。

『蟲退治に参加させてくれってよ』

 そう<ケーブル>で答えると、アルゼはその人を地面に降ろした。そしてやっと空いた手で“朔”を抜き放つと、木を斬り倒してアメルダが座るための切り株をこしらえる。

『彼女の名前はニナ。ハルフェアの温泉宿を経営する家族が、居た、らしい』

「…あぁ、いわゆる敵討ちってやつか」

 あんまり感心しないな、と琉都はハイリガー・クロイツ=フリューゲルの視線をニナに向けた。ニナはその視線を受け止め、少しおどおどしているもののしっかりと睨み返す。

 しまった、と琉都が思った時にはもう後の祭りである。二人ともが、ここで視線を外せば負けたような気になってしまい、後々まで悔いが残るように思えた。

『いいんじゃない? わたしはね、敵討ちを人に頼むより素直でいいと思うの』

 ソフィアはニナに荷担する側なのか、琉都の暗なる意見を丸め込むような事を言う。

 狙撃手であるソフィアは、過去に敵討ちの依頼を無数にこなしてきた。そのためもう狙撃する事に抵抗は感じないものの、敵討ちの空しさはここに居る誰より十二分に知っているはずである。

 琉都はため息をひとつつくと、奏甲の視線は外さないまま<ケーブル>でアルゼに

「わーった、印を消したら奏甲を降りて、ソフィアに見張りをしててもらおう」

 と言った。アルゼはそれで満足だったのかひとつ肯く。

 さぁて、と琉都はハイリガー・クロイツ=フリューゲルを立ち上がらせた。羽をたたみ、確かめるように“裁き”を振る。

「戦闘起動ですか?」

「あぁ。頼むよ、クゥ」

「はいっ!」

 以前より少しキレの良くなった返事を返し、クゥリスは自信を持って歌い始めた。

 聞いているだけで気力が満ち、それでいて何か温かい。琉都はそう思った。

「うぉっしゃぁ! 行くぞ!」

 琉都が一声叫ぶ。ネーベル・レーゲンボーゲンとハイリガー・クロイツ=フリューゲルは、勢い余り気味くらいで木々の茂みから飛び出した。

 シャッテンンハトが印を狙撃しようと試みて出っ張りに弾かれたのを機会に、印の周囲の幻糸が歪んで奇声蟲が2匹3匹と姿を現す。まるでアメンボのように水面を滑り、奇声蟲はすぐに2機の居る岸までやってくる。

『いやっほぅ!』

 アルゼが歓んでいるような声を上げ、“朔”であっさりと奇声蟲の1匹を斬り伏せる。それで怒ったか2匹の奇声蟲が、ネーベル・レーゲンボーゲンに飛びついた。

 しかしハイリガー・クロイツ=フリューゲルが素早く長弓でその1匹を射貫き、もう1匹には飛び蹴りをくらわせる。

 ばしゃりと水飛沫を上げて飛び蹴りをくらわされた蟲は湖に落ちるが、何事も無かったかのように水中からハイジャンプして、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルの翼に齧りついた。

 ヴォリヴォリと嫌な音を立てて羽が齧られる度、嫌悪感か痛みかわからないもののクゥリスがぴくんと小痙攣する。

 琉都は素早く翼を展開し蟲を弾き飛ばすと、展開したそれをそのまま羽ばたかせて大きくバックステップ。“裁き”を抜剣すると、印に少しだけ注意を払いながらその奇声蟲と対峙した。

『印の消去は任せとけ! 行くぜ!』

 アルゼが<ケーブル>越しに叫ぶのを聞き、琉都は少しだけ安堵した。それが奏甲の動きにも反映されたのか、僅かな隙を突いて奇声蟲が奇声(ノイズ)を発する。

──ギュウゥゥオォォウゥゥ…

「ぬぐぅっ!?」

(きゃあっ!)

『ぐっ!』

『わっ!?』

 かなり広範囲に影響を及ぼせる奇声だったのか、琉都とクゥリスだけでなくアルゼとソフィアの声も<ケーブル>を通じて聞こえた。辛うじて全員抵抗できたようだが、物理的な衝撃波も伴っていたらしく、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルの奏甲表面が僅かに削れていた。

 奇声蟲は奇声を上げ終えぬうちに、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルの足に飛びつく。とっさに身を捩って回避したものの、装甲板が僅かに削れた。

「ンなろぉ!」

 着地と同時に足の動きを制御してドラフティングターンする奇声蟲に、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは振り向きざまに矢を放つ。少しパルティアン・ショットっぽい動きだ。

 奇声蟲はその矢を頭にまともに受け、断末魔をあげる間もなく黄泉の国へと旅立った。琉都はそれを見届けると、印の方を見る。

 印を消そうとアルゼが雷炎を使って何かしているが、その雷炎の射線上に幻糸と空間の歪みが無数に発生した。

 小さい歪みから現われた小型奇声蟲は雷炎で九割がた焼け死んだが、大きな歪みから現われた中型奇声蟲と大型奇声蟲はほぼ無傷である。

『ちっ…おい、琉都、ソフィア! オレが印の抹消に専念できるよう、どうにかしてくれ!』

 アルゼがリーダー顔で命令を下し、琉都とソフィアはそれが一番効率がいいと納得して、大型奇声蟲からまず片付けに入る。

 図体が大きい割には奇声蟲は素早くしかも生命力も強いため、油黒くテカっていたならば全国の台所でお馴染の『油黒い物体G』にも負けず劣らずの手強さである。

 だが人間と中枢神経系の集まり方が似ており、ソフィアは的確にその急所を撃ち抜く技術を持っていた。

 ハイリガー・クロイツ=フリューゲルが大型奇声蟲2匹を同時に相手にし、なるべく動かないように“裁き”を使って引き付ける。

──ギィィィオォォォァアァゥアァウ…

──ギュオォォァァアアァァ…

 少し違う2種類の奇声を同時に発し始めた大型奇声蟲の、茂みから遠い方の1匹にハイリガー・クロイツ=フリューゲルは“裁き”を叩き付ける。動きが僅かに鈍っていたものの、たかが奇声蟲程度であれば剣の平でも頭を叩き潰すには十五分の役割であった。

 もう1匹にはシャッテンナハトの狙撃銃が火を吹き、頭部と胴体の繋ぎ目にある甲殻の隙間に鉛弾を叩き込む。

──ギッ、ギッ、ギチギチギチ…

──ギュウゥゥウゥ…

 2匹の奇声蟲は奇声をあげながら、ゆっくりと地面に倒れ込んだ。

 残るは中型奇声蟲が4匹。もう狙撃するのも面倒になったか、ソフィアはシャッテンナハトを茂みから出した。そしておもむろに右腕で奇声蟲のうちの1匹を指差す。

『いけっ、“鬼火”ぃっ!』

 ソフィアの声に応え、ファンネルの内のひとつが幻糸の光を炎のように纏いながら宙に浮かぶ。そしてソフィアのイメージ通り、体当りをするように奇声蟲に攻撃を仕掛けた。

 “鬼火”は奇声蟲をいとも易々と貫くと、すぐにシャッテンナハトの腰に戻った。ソフィアは荒い息をつきながら、別の相手が現れる事を警戒して、杖術のように狙撃銃を持たせた。

 ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは残りの3匹を同時に“裁き”で相手しながら、印からまた奇声蟲が現れる事を警戒する。

「アルゼ、まだか!?」

 奇声蟲が2匹同時に跳びかかってきたのを軽やかなサイドステップで躱しながら、琉都は少し焦り気味に訊ねる。

『もう、ちょっとだ! もうちょっと近付けばすぐに終わるが、後20秒はかかるぜ!』

 アルゼもまた焦っているのか、苛立たしげに言葉を返す。琉都はひとつ舌打ちすると、クゥリスの方をちらりと見て、その後すぐに戦闘に集中力を戻した。

 本当に集中している時の20秒と言うのは、エースであればアマチュアの乗った奏甲を1機片付ける事もできる、かなり長い時間とも言えるだろう。

 足を巧く運び小型奇声蟲をついでで踏み潰し、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルはじりじりと奇声蟲の間合いから離れる。しかし奇声蟲3匹は巧い連携を使い、その間合いから逃がすまいとする。

『2つ行けぇっ!“鬼火”ぃっ!!』

 ソフィアの気合と共に、ファンネルが二つ宙に浮かび、一つはハイリガー・クロイツ=フリューゲルの相手をしていた蟲を1匹片付ける。もう一つは茂みに入り、ニナとか言う人の所へ行った小型奇声蟲を片付けたらしい。

 戻ってきた“鬼火”にさらに思念を送り、ソフィアはもう1匹の小型奇声蟲を指差す。

『撃てっ、“鬼火”ぃっ!』

 中線に沿って二つに分かれている上方部を剣になっている下部にスライドさせ“鬼火”はその内蔵火器であった4連装ガトリングで小型奇声蟲を一瞬にして挽肉と化す。

 古代奏甲なのに何故、現世武器であるガトリングが内蔵されているのか。琉都はそう言った疑問を抱いたが、目の前に居る2匹の奇声蟲の相手をする事ですぐに忘れてしまった。

 “鬼火”の使用はソフィアに多大な負荷をかけるのか、シャッテンナハトはその場に座り込んでしまう。

「無茶するな、ソフィア!」

『無茶は、してないよ』

 強がりともとれるセリフを言い、ソフィアはシャッテンナハトを立ち上がらせた。そして手動で“鬼火”を一つ手に持ち、まるでダガーナイフのように構える。

 ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは飛び掛かってきた奇声蟲を“裁き”で真っ二つに斬り、時間差で飛び掛かってきたもう1匹は裏拳で鼻面──人間で言うならその辺りと言うだけだが──をへし折る。

『よし、思ったより早く解除できたぜ! 琉都!ソフィア!』

 アルゼからの合図で、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルとシャッテンナハトは残った奇声蟲の掃討に移る。

「たぁッ!」

 最後の中型奇声蟲を“裁き”で幹竹割りにし、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは隠れる道すがら小型奇声蟲を踏み潰す。ある程度は数を残す事も忘れない。

『3つ行けッ、“鬼火”ッ』

 シャッテンナハトが両手を広げると同時に“鬼火”が勢い良く射出され、1匹だけ残して全ての奇声蟲を掃討する。奇声蟲が“鬼火”相手に必死になっている隙に、ネーベル・レーゲンボーゲンとシャッテンナハトも適当な場所に隠れた。

「クゥ、戦闘起動解除だ」

 琉都は早くももうコクピットハッチを開きながら、そう言った。一瞬怪訝そうな表情をしたが、納得したのかクゥリスはすぐに歌うのを止め、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルの目から、先ほどまでの力強い光が失われて行った。

 それを確認もせず、琉都は無言でニナに残った奇声蟲を指し示す。ひとつ頷くとニナはカタナを鞘ごと握りしめて、“鬼火”相手に自棄になっている小型奇声蟲へと向かった。

 “鬼火”が戻り、奇声蟲はしばらくそれが姿を消した方へと怒りの咆哮をあげていたが、すぐに新しい得物──ニナを見つける。嫌悪感と恐怖と怒りとで、ニナの小柄な体は震えていた。

 それを琉都が認めると同時に、ソフィアが薮を突っ切って走って来る。

「どうするの? 援護する?」

 ソフィアは二人の顔を見るなりそう訊ねた。

「そうですよ、1人じゃあんまりです」

 クゥリスも同意見らしいが、琉都はあまり乗り気で無いようだ。それでもいざと言う時のために、少し前に、物好きな機奏英雄と交換して槍斧の代りに手に入れたカタナを持ったまま、緊張した面持ちでニナと奇声蟲の対峙を見守る。

「敵討ちだろ。1人でやらせてやろうじゃないか…いざとなったら援護はするけどさ」


 ニナは、温泉宿を経営する、少なくとも生活するには困らない、それなりに裕福な家に生まれた。

 母親は少し前から死ぬまでは「掛け値無しの美人女将」として、機奏英雄たちにかなり重宝がられていた。

 ニナも母親に似た顔立ちのためその手の人々に、「掛け値無しのびしょうじょ」として重宝がられていたのだが。

 ニナは今年で17になった。だが、今年の誕生日はそんな事を言う事すらできなかった。

 たまには野外に行こうと言う母親に連れられ、この森に来たのが彼女の運命を大きく狂わせる。

 目の前で異形の蟲に卵を植え付けられる母親を見捨て、ニナは必死で逃げ帰った。

 そしてしばらくしてから、復讐をしようと思い立ち、溜め込んできた小遣いでカタナと軟皮鎧を買い、今日まで訓練としてカタナを振り回してきた。

 そして今、彼女の目の前には、あの時と同じ、異形の蟲が居る。

 奇声蟲退治の依頼を受けたと言う機奏英雄の計らいで、ニナより少し小さい程度の奇声蟲を退治させてもらえるのだ。

「お前たちのせいで…!」

 ニナは自分の内にある、怒りの炎を強く燃え上がらせた。

 カタナを抜き、今まで振り回していた鞘ごとの重さより少し軽い、抜身のカタナを構える。

 妖刀“蟲限(むしきり)”。骨董歌術品店で手に入れた物である。

 古代の歌姫兼鍛冶匠が歌術を織り込みながら鍛え、古代の機奏英雄が百匹の奇声蟲と百人の人を斬ったと言う、曰く付きの立派な魔剣だ。

──ギィィィ…

 黒板を爪で引っ掻いた時のそれを、調子の悪いスピーカーで何度も増幅したような、そんな声で奇声蟲は僅かに鳴く。奇声蟲がノイズたる所以、奇声──ノイズ。

 カタナを正眼に構え、ニナは呼吸を整える。

 構えは我流ではない。ミヤモトと言う旅の機奏英雄が、下心丸見えであったにせよ、親切心から教えてくれたものだ。

「お前たちのせいで、ママは死んだんだ!」

 ニナはそう叫ぶと、軽いフェイントを繰り出した。

 奇声蟲は大きく反応し、横手に回り込もうとする。

 「フッ」と鋭い呼吸を吐いて、ニナはカタナをほぼ直角に曲げ、奇声蟲を追撃するような形で斬撃を放った。

 ガギィッ!

「きゃっ…!」

 しかし未熟な腕では、奇声蟲を甲殻ごと斬るのは無理だったようだ。尖兵とは言え、ただの素人では抵抗できないような、奇声蟲特有の甲殻を持っている。

 衝撃に耐えられずカタナを手放してしまい、ニナは一瞬だけ戸惑った。

 しかし、その一瞬が命取りだった。

──ギシャァアァッ!

 尖兵は攻撃された事もあって、より獰猛になって襲いかかる。

「キャアァァッ!?」

「危ないッ!」

「転がれッ!」

 見るに見かねたか、篭手を着けた、黒髪のぞろぞろした格好の機奏英雄が抜身のカタナを片手に奇声蟲の前に立ちはだかる。

 赤黒髪の悪人相な機奏英雄が、白銀色のリヴォルバーを蟲に向けていた。こちらの方がニナに復讐のチャンスを与えてくれた人だ、名前はアルゼ・クオンゼルンと言うらしい。

 篭手の機奏英雄はカタナの鞘を使って、遊ぶように尖兵の相手をする。ニナが立ち上がるのを横目でちらちら見ながら、だ。

 リヴォルバーの機奏英雄は、尖兵が攻撃の対象を一つに絞らないよう、威嚇と言うよりも挑発に近い発砲を何度か繰り返す。

 ニナは素早く“蟲限”の所まで転がると、立ち上がりざまに拾い上げようとして失敗し、少しカッコ悪いかなと思いつつ普通に拾い上げた。

 篭手の機奏英雄はそれを認めると、その篭手で三度ほど尖兵の複眼を強かに殴り付け、素早く草むらへ隠れてしまった。ニナの手助けまでしかするつもりは無いらしいが、それが原因で彼が<宿縁>の相手に叱られている声がニナの耳にも聞こえる。

 少しだけ感謝しつつ、ニナはまた“蟲限”を構えた。尖兵もニナが戦線復帰した事に気付いたか、その大きな顎をがちゃがちゃとぶつけ合わせて威嚇しながら構える。

「やっぱり怖い…けど、ママの敵はとるの!」

──ギシャァアァァァッッ!

 1人と1匹の視線が交錯し、激しい睨み合いになる。

 そして先に動いたのは、尖兵の方だった。何事でも能動的に解決しようと言うのが、基本的な本能のする動き方だからだ。

 ニナはその大顎の攻撃を“蟲限”で受け止め、カタナの力で牙を折ってやろうと力を込める。

 が。

 “蟲限”は澄んだ音をたて、真ん中から真っ二つに折れた。尖兵はこれを幸いとばかりに、爪を突き立てようとニナに迫る。

「い、嫌ぁぁッ!」

 再び形勢逆転され、ニナは悲鳴を上げる。と、茂みから人の拳ほどの大きさの石が飛んできて、その爪の一撃を逸らしてくれた。

 何事かと見れば、どうやら篭手の機奏英雄が石を投げたらしい。だが彼は折れたカタナを見るなり

「何を安物を買ってるんだ、死にたかったのか!?」

 と叱咤した。ニナはふるふると首を横に振り、必死に否定する。

「琉都さん、そこまで言わなくても」

 彼の<宿縁>の相手なのだろうか、黒茶色い癖っ毛の歌姫少女がなだめるようにそう言っている。篭手の機奏英雄──琉都と言うらしい──はため息を一つつくと、自分の持っていたカタナを投げて寄越した。

 ニナはそれを抜き放つと、先ほどの投石でかなりのダメージを受けたらしい奇声蟲に、止めを刺した。


 琉都は一つため息をつくと、今まで自分が持っていたカタナをニナと言う少女に投げて渡す。彼女はそれを抜き放つと、尖兵に躊躇うことなく突き立てた。

 緑色の気味悪い体液がドロリと地面に流れるのを見ながら琉都は、今度は安堵のため息をつく。

「さぁて、仕事は終わったし」

 そう言い、素っ気無く背を向けてハイリガー・クロイツ=フリューゲルに乗り込む。クゥリスもそれに従い、コクピットに収まった。

 アルゼはまだ何か言いたそうな顔をしているが、渋々と言った感じで自分の奏甲の所に戻る。アメルダはさっきからずっと切り株に腰掛けていたらしいが、やれやれと呟くとアルゼの後を追った。

 ソフィアはニナに何か言おうとしたが、ルィニアに止められた。少し後髪を引かれたようだが、結局はルィニアにずるずると引きずられながら奏甲の所に戻った。

 クゥリスが短い歌を口ずさむと、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルが眠りから目覚める。

「帰るか」

「そうですね」

 短い会話を交わし、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルがその場を後にしようとした時。

「あの! すみません!」

 ニナの声が聞こえた。琉都は少し格好つけて、奏甲の手をひらひらと振りながら歩き続けさせる。

 だが。

「帰り道がわからないんですが!」

 ニナの一言に、3機の絶対奏甲はコントのようなこけ方をした。



 後日談。

 依頼を終えた後に一行が受け取れた報酬金は、周辺住民サービス報酬として少し水増しされていた。