無題迷話

参章 第弐話






 ハルフェアの首都、ルリルラ。

 そこから80キロほど離れた場所に、ハイテ村と言う小さな村がある。

 この村には奏甲関係の施設は無いものの、ちょっと古風な自然を満喫できるリゾート地として、ルリルラに住む人々は時折訪れるそうだ。

 栄えあるハルフェア国民として訪れたいとアメルダが無理を言ったため、アルゼからも頼み倒されるような形で琉都たちはこの村に訪れる事となった。



 青い空、白い雲、砂の海岸線。

 まるでこの瞬間を予想していたように、常夏の国の海岸は素晴らしい風景を見せてくれた。真冬でも半袖一枚で居られると言うだけあって、夏も冬も海水浴客が絶えると言う事も知らないようである。

 その海岸に、アメルダは堂々と立っていた。身に纏っているのは、いつぞやの水着美女コンテストで着ていた水着と、その上に羽織ったパーカーのみである。

「青い空っ! 白い雲っ! ひいてはよせる波の音が私を呼んでいるぅっ!」

 波打ち際に立ち、腰に手を当て、いきなり叫びだす。何事かと物好きな人々が集まってきたようだが、いつになくハイテンションなアメルダには些細な事であるようだ。

「今回の主役は私よぉぉっ!」

 パーカーを脱ぎ捨て、びしぃっ、と天を指差しながら叫ぶ。

 「言ってやったぞ」と言う達成感を思う存分堪能した後、準備体操も無しに海に分け入って行った。そしていきなり深い所へと向かう。

「あ、おい。ンな風に水に入ると──」

 アルゼが止める暇も無く、アメルダの姿が不意に海中へ没する。

「──足が攣るぞ…って言おうとしたんだぜ? 俺は」

 やれやれと頭を横に振り、アルゼは気が進まないながらも準備運動を始めた。いくら救命しようと言う時でも、ミイラ取りがミイラになっては元も子も無い。

 少し離れた所に座って事を傍観していた琉都は、それを見て呆れたようにため息をついた。

「溺れる側も溺れる側なら、助けに行く側も助けに行く側だな…」

 何を思うとも無く琉都は視線を少し移動させ、クゥリスとソフィアがはしゃいでいるのを眺める。

 アルゼはやっとアメルダの救助に行ったようだったが、琉都はそれを視界の端でちらりと見ただけだった。

「泳ぎに行かないのかい?」

 すぐ隣で砂浜にシートを敷いてうつ伏せになっているルィニアは、唐突にそう琉都に訊ねる。

「泳げない訳じゃないけど、気が進まないんだ」

 琉都もそう言ってはいるものの、着ているのはいつもの袍ではなく、ハーフパンツのような水着とも下着ともいえる代物であった。浜辺にいるのに袍を着ていても暑苦しいだけ、と言うのもあるのだろうが。

「ふうん…。だったらちょっと頼んでもいいかい?」

「……何を?」

 これ、とルィニアは小さな陶器のビンを手渡す。琉都はそれを受け取ったものの、訳がわからずきょとんとしたままだ。

「……何、これ?」

「日焼け止めさね」

 しばらく琉都は沈黙する。しかし、良い意味での喧騒と心地よい潮騒がざあざあと言う音となって、音の空隙を作らせない。

 ひとしきり沈黙した後、琉都は諦めたようにため息をついた。

「背中だけでいいんだよな」

「足の方も頼めないかい? 前回──2年前に海水浴した時に足に塗りムラがあって、酷い状態になったから懲りてるさね」

 2年ぶりなのかよ、と心の中でツッコミをいれつつ、琉都は日焼け止めのビンの栓を開ける。何かの香料が入っていたのか、良いにおいが鼻腔を刺激した。

 篭手(と言うよりも金属製の長手袋に近いが)を外してから、手に日焼け止めを少しだけ出し、手の平全体に広げる。そして少し背中に触れた瞬間。

「…日焼け止め以前に、ものっそい凝ってるじゃないか」

「そりゃ夜遅くまで動いて、しかも朝早くに起きれば、誰だって凝るんじゃないのかい?」

 まぁそうだけど、と肯定し、琉都は肩甲骨の辺りから日焼け止めを塗り始めた。

「こんなに凝ってて辛く無いのか?」

 背骨に沿って少しずつ広げながら、琉都は思ったとおりに訊ねてみる。

「まぁ、毎日こんな調子だからねぇ。もう慣れちゃったのかね」

 少し沈黙した後、腕に顎を乗せたままルィニアはそう答えた。

「ふうん…」

 そんな返事を琉都が返す頃には、早くも腰の辺りまで塗り終えている。そして少し躊躇した後、ルィニアに急かされて足にも日焼け止めを塗り始めた。

 前回は日焼けしすぎて軽い火傷のような状態になったらしいので、琉都は念入りに足に日焼け止めを塗る。それこそ念入りすぎるくらいに。

「…よっし、終わり」

「ありがとね」

 これくらい、と笑顔を浮かべ、琉都は自分の腕を揉みながらルィニアの隣に腰をおろす。何とも無く、クゥリスとソフィアが遊んでいる方に視線を向けた。

 しばらくボーッと眺めていて、ふと琉都はある事に気付く。クゥリスとソフィアと、後もう1人、長い黒髪の美女(アメルダではない事は確かだ、彼女なら今はアルゼに爆弾を投げまくっている)が一緒になって遊んでいる。

 篭手を拾い上げると琉都は、足の裏が火傷しそうな砂浜を歩いて波打ち際へと向かった。

 いい加減に日焼け止めの感触が鬱陶しくなっていた事もあるが、その黒髪の美女に見覚えがあるような気がしたからでもある。

「あー、琉都兄ぃ。来たのー?」

 まず真っ先に琉都に声をかけてきたのはソフィアだった。それでやっとクゥリスと黒髪美女も気付き、思い思いのリアクションをとる。

「おう、海に来て泳がないのも馬鹿馬鹿しいと思えて来てな」

 琉都はそう言って、海水で手を洗ってから篭手を着け直した。

 篭手など着けていると泳ぎ辛いと思うかもしれないが、この篭手は不思議な事に鉄の様な金属であるにも関わらず、丈夫で軽くしかも錆びないと言うスグレモノであった。

「ところで、その人は誰なんだ?」

 一瞬、何かをたくらむような沈黙。

「さあ、誰かしら?」

 にやり、と見慣れた笑みを浮かべる。

「……琥露鬼か? いや、声はそうだけど、色々と無いような…」

「人間と全く同じ姿にくらいなれるわよ。ちょっと疲れるけど」

 そう言って自分の頭を軽く撫で、琥露鬼はいつもどおりの黒ネコミミを出して見せる。しかしすぐにまた撫で、消してしまったが。

「……もう何も言えん……」

 疲れたようにそう言うと琉都は、ざぶざぶと波をかき分けて、沖へと出て行った。

「あ、琉都さん。ちゃんと準備体操とかしないと──」

 はたと気付いたように、クゥリスは慌てて言った。が、すでに遅かった。

「のわぁぁぁぁっっ!?」

 身長以上に深い場所に出て、急に足が動かなくなり、琉都は慌てて手で水面をばしゃばしゃと叩く。本当はこういう時は力を抜いて、水面に仰向けに浮かぶのが最も良いのだが、慌ててしまえばそんな事は忘れてしまうものだ。

「──足が攣りますよ、って言おうとしたんですけど…」

「琉都兄ぃ落ち着いてぇぇっっ!?」

「ソフィアちゃんの方が落ち着きなさいっ!」

 アメルダの時とは対応が物凄く違うな、と傍観者となっていたアルゼは思った。左肩の背中側に右手をあて、物寂しそうにアルゼは事態をただ見守っていた。




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 とことん泳いでみたり、浜辺で蟹を追いかけたり、たまたま落ちていたヤシの実でビーチボールの真似事をしたり、偶然流れ着いた瀕死の蟲を追い払ったり。そんな事をしている間に、太陽は西へ傾いていた。

 そろそろ人影が少なくなって来た事もあり、何を言うとも無く一行も撤収準備にかかる。

 浜辺に広げていたシートを片付ける途中、アルゼがふと手を止めた。そして西方にある岬の先を凝視している。

「どうした?」

 何故か持って来ていたビーチパラソルをたたみつつ、琉都はアルゼにそう訊ねた。その声で他の面々もアルゼの様子に気が付いたのか、作業する手を一旦止める。

 しばらくアルゼは返事もしなかったが、突然頭をぶんぶんと横に振った。

「いや、何でもない。あの岩場の上の高台に、人が居るような気がしただけだ」

「人?」

 一行の中で最も目の良いソフィアが、アルゼの見ていた高台を見てみる。少し眩しいのか目を細めていたが、唐突に「あっ」と声をあげた。

「飛び降りたよ!」

 その声と同時に、後先を考えずに琥露鬼がかけ出して行った。高台下の岩場まではそう離れていないものの、普通の人間ならいくら急いでも5分はかかるだろう──普通の人間なら。

 琥露鬼は猫独特の敏捷さを以ってして岩場を猛スピードで駆け抜ける。

「えっと、こういう場合はどうしたら…」

 クゥリスが1人おろおろするが、琉都は深呼吸をひとつして気持ちを沈める。そして本当に一瞬だけ考えると、4人の方に振り向いた。

「アルゼとアメルダ! 救急救命できるだろ? 琥露鬼の後を追ってくれ!」

「え、ええ!」

「わかったぜ!」

 2人は肯き、砂浜を走って岩場の方へと向かう。

「ソフィアとルィニアさん! 飛び降りた場所に行って、遺品とか残してたら回収して来てくれ!」

「いいよ!」

「わかった!」

 ソフィアを肩車して、ルィニアは砂浜から少し高い所にある簡易的な防波堤に登る。そこからなら飛び降り地点までそう時間はかからない。

「クゥ! 俺達は奏甲を!」

「え? …あ、はい! わかりました!」

 すぐ近くに駐機してあるハイリガー・クロイツ=フリューゲルに向かい、2人は全速力で駆け出した。

 琉都とクゥリスは急いで奏甲を通常起動し、こういう時にイライラするようなのっそりとした足取りで浜辺を歩かせる。

 アルゼとアメルダが、琥露鬼が泳いで運んで来たアーカイア人(年の頃で言えば見た感じには琥露鬼と同年齢かもう少し若そうで、濡れ昆布のような奇麗な黒髪である)の救命を始めた少し後に、琉都はやっと奏甲をそこまで移動させた。奏甲をしゃがませ両手を地面まで降ろし、コクピットハッチから半身を乗り出す。

「手の平に! 村に運びながら処置を!」

 要するに救急車と似たような事をする訳である。もっとも、まともな設備の無い状態なので、不安要素は多々残るのだが。

「わかった!」

 アルゼは琉都がやろうとしていた事を察し、なるべくそっと奏甲の手の平にそのアーカイア人を乗せる。

「琥露鬼! 悪いけど他の奏甲の番、頼めるか?」

「合点承知のスケ!」

 人を担いで泳ぐと言う荒仕事をした後だというのに、琥露鬼は何か楽しんでいるように承知した。そして来た時ほどでは無いにしろ、急いで他の2機──ソフィアのシャッテンナハトとアルゼのネーベル・レーゲンボーゲン──の所へと向かう。

「状態は?」

「一応は生きてるって程度だ!背中と腰を酷く岩にぶっつけたらしいし、昏睡してるぜ!」

 応急処置しながらアルゼはそう叫び返した。

 琉都はコクピットハッチを開いたまま、身を引っ込めるとハイリガー・クロイツ=フリューゲルに背中の翼を広げさせた。三度ほど羽ばたかせると、今立っている地面に微発光幻糸のリングが現れる。

「飛ぶぞ!」

 琉都がそう叫ぶと同時に、ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは軽々と重力の鎖から脱した。砂浜の微発光幻糸のリングはすぐにその輝きを失うが、背中の翼は常に微発光幻糸を纏い美しさを醸し出している。

 一行が居た浜辺からハイテ村までは、普通なら一々飛ぶほどには離れていない。せいぜい2キロ程度だ。しかし今は一刻を争う状態である。

 100秒ほどの低空飛行をした後、琉都は機体を村の入口の横におろした。しかし奏甲をそこで止める事はせず、ずかずかと村に入らせる。

 何事かと悲鳴同然に質問する人々には、治療歌術で口が使えないアメルダに代わってアルゼが手短に説明する。一応の納得と許可を得る事は簡単だった。

 村で唯一の医者の家の前で奏甲を跪かせ、手の平に乗せた3人を地面に降ろす。アルゼがそのアーカイア人を背に負い、アメルダはそれと一緒に移動しながら歌術での治療を続けている。

 琉都はそれを確認すると奏甲を立ち上がらせ、最短距離で村の外へと移動した。

「大変な事になりましたね…」

 もううんざりだ、と言いたげにクゥリスはそう呟いた。しかし琉都は軽く笑った。

「本当に大変になるとすれば、この後なんじゃないか?」

「それ、どういう意味ですか?」

「文字通り。…自殺するほど辛い事があったんだ、そのケアは俺達がすべきだと思うんだがな」

 かなりシリアスな表情で、琉都は苦い思い出を思い出しているようにそう言った。




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 翌朝。


 目覚めるなり殺気とも言うべき嫌な『気』を感じて琉都が身を捩ると、今さっきまで心臓があった場所に冷たい輝きを放つナイフがあった。

 そのまま転がって寝台から降り、急いで篭手を着け自然体に構える。が、一瞬にしてその戦意は萎えた。

「昨日の…」

 寝台に突き立ったナイフを引き抜こうと奮闘しているのは、間違いなく昨日の自殺未遂のアーカイア人──確か名前はドリスと言ったか──だった。

「何で──」

「ぁん?」

 ふるふると震えながら、ドリスは絞り出すように何事か呟く。琉都は目の端で宿の1室であるこの部屋の反対側にある寝台を確認しながら、どうにかその言葉を聞きとろうとする。

「何で助けたのヨ…?」

 琉都がぐうすか寝ているアルゼの姿を目の端で視認すると同時に、ドリスは先ほどよりもう少しはっきりとそう言った。

 質問の意味がわからず琉都は一瞬だけ硬直するが、すぐに大声をあげて笑い始めた。それに対してドリスの方は困惑しているようで、ナイフから手を離してしまう。

「あっはっはっはっはっは! いや、傑作、傑作!」

「何が可笑しいってーのヨ!?」

 琉都は笑い止め、すっと真面目な顔に戻った。

「可笑しくないさ。何も、な」

 そう言ってドリスの突き立てたナイフを引っこ抜き、刃の方を手の中に握り込んだ。篭手のおかげで刃で傷付くと言う事は無い。刃の方を持って琉都はそのナイフをしばらくの間無言で玩ぶ。

 ぢゃきっ、という音を立ててナイフを手の中にしっかりと握り込む。

「特に俺を殺しに来た事がな。…もしうまく行ってたら、自分を助けた全ての人を殺る気だったんだろう?」

「う…。 そ、そうヨ!」

「冗談じゃねえぜ…」

 何時の間にか、アルゼが片手に白銀色リヴォルバーを持って、ドリスの後ろに立っていた。寝起きなので間の抜けた顔をしているし、ドリスに銃を突きつけるような事もしていないが、十分な威嚇になっているようである。

「しかも殺した後でまた自殺するんだろ? 自分勝手にも程があるぜ」

「決め付けないでヨ!」

 地団太を踏み踏み、ドリスは否定した。琉都とアルゼはそれを冷たい目で見つつ、各々の着替えを取り出す。

「まあいいけどな…。それより今から着替えるから、ちょっと壁の方を向いてくれないか?」

「むぅ…」

 渋々ながら、ドリスは壁の方を向いた。それを確認して琉都とアルゼは着替え始める。

 ところで、と琉都は袍の袖に手を通しながらドリスに声をかけた。

「何であんな事をしようと?」

 その質問を聞き、アルゼが慌てて訂正する。

「あ、そのだな。オレ達はちょっとしたカウンセリングもできるから、辛い事があるなら言ってくれ、って事だ」

 しばらく重たい空気を漂わせて沈黙した後、ドリスはようやく口を開いた。

「…あたしの英雄様が、奇声蟲に…」

──ガチャッ!

 琉都とアルゼは、ほぼ同時に武器を取り落とした。ちなみにアルゼが落としたのはマシンピストルと呼ばれる小型のマシンガンで、琉都が落としたのは愛用のクローである。

「本当か…?」

 琉都は些か青ざめた顔でそう訊ねた。願わくば嘘であってくれ、と。

「うん…嘘なんか言えないヨ…」

 ドリスは肯くといっそう重たい空気を漂わせ、ついには鳴咽をもらし始めた。

 琉都とアルゼは互いに顔を見合わせ、そしてほぼ同時にドリスの背中に視線を移す。

「…琉都」

 武器を拾い上げ、アルゼは何か決意したように呼びかけた。

「何だ?」

「一足先に行って、女どもを集めといてくれ」

 アルゼのただ事ではない真面目さに気圧されるように、琉都は首を縦に振った。そして急いでクローを袖にしまいこむと、部屋を飛び出して反対側の部屋へと飛び込んだ。




 何分待っただろうか。いや、実際には数秒だったかもしれないし、ひょっとしたら十分近く待ったかもしれない。

 そろそろ一行の女性陣と琉都の忍耐が限界を試され始めた頃、やっと部屋の扉が開き、青ざめた顔のドリスと疲れきったような顔のアルゼが入ってきた。

 後手にそうっと扉を閉め、アルゼは手近な椅子に腰掛ける。

「で。何を言おうとしてるんだ? アルゼ」

 あぐらをかいて地面に座り目を閉じていた琉都は、アルゼが座ったとほぼ同時にそう訊ねる。

「あぁ、ちょっと蟲化し始めててな」

 事も無げにアルゼはさらりと言ってのけ、ドリスは申し訳なさそうに俯いた。

 アメルダを除いたほぼ全員が驚愕の表情を浮かべ、酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を動かしている。アメルダは案外にも平然とした顔をしているが、よく見れば目は焦点が合っていない上に死んだように光を映していない。

 アルゼはいきなり上半身裸になると、その背中を見せた。背中のほぼ八分の一を気味の悪い超古代歌術紋様がびっしりと覆い、その中央部分である左肩の後ろ側は角質が異様に硬質化していた。

「ほら、ここ。 ちょっと硬化し始めてるだろ?」

 苦笑しながらも、アルゼは極めて明るく振る舞う。

「……あ、あぁ、それでか。最近ずっと長袖しか着てないのは…」

 いずれ自分もああなるのか、と琉都は少し複雑な気分であるものの軽い冗談を飛ばす。しかしすぐさまクゥリスに軽く叩かれ、「すまない」と頭を下げた。

「まあそれもあるぜ。…どうした、アメルダ?」

 ようやく自失呆然の域から回復したアメルダは、今度は肩をわなわなとふるわせていた。

 無言でアルゼに歩み寄り、右肩を掴んで振り向かせる。アルゼの左肩を中心に、腕や胸にも紋様は広がっていた。

 アメルダは歯を食いしばり、右手を大きく振りかぶる。

「お…おい? 何──」

──パシィィン!

 聞いた方も痛くなるような、見事な音が響いた。くっきりと赤い手形がアルゼの頬に残り、アルゼは信じられないと言うようにその手形に左手を当てる。

「何で今まで黙ってたのよっ!」

 ぼろぼろと涙を流したまま、アメルダは叫んだ。

 怒りと、悲しみと、そして、もう一つ。その感情の、導くまま。

「普通、こういう事はまず真っ先に<宿縁>である私に言うべきでしょっ! 何で黙ってたのよっ!」

 アルゼはどこか寂しく悲しい微笑みを浮かべたまま、左手を頬に残った手形にあてていた。

「何とか言いなさいよぉっ!」

「悲しませたくなかったんだ。けど、逆効果、だったみたいだな」

 アメルダは唇を噛み、もう一度手を上げる。

 だがそれは、振り下ろされなかった。

「何が「悲しませたくない」よ…。そう言ういらない心遣いの方が、よっぽど嫌だわ…」

 そう言ってアメルダはその場にへたりこんでしまった。

 と、琉都は唐突にぽんと肩をたたかれた。

「琉都さん」

 クゥリスが肩をたたいたその手で、琉都の腕を引っ張る。琉都は何を言いたいのか少しの間わからなかったが、アルゼに視線を投げられてようやく納得する。

「わかった」

 琉都は立ち上がると、部屋を後にした。




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「琉都さん」

 クゥリスに呼ばれ、琉都は何気なく振り向く。

「何だ?」

「あ、いえ、その。琉都さんは、何も隠してないですよね?」

 クゥリスの質問の意図が掴めず、琉都は思わず「は?」と問い返してしまった。

「だから、隠し事とかしてないといいなあ、と思って…」

「俺がクゥに何を隠せるって言うのさ。そりゃ確かに言動はそれっぽいけど、かなり正直者なんだよ、俺は」

 だから隠し事なんてできない、と琉都は顔をまた前に戻した。そして、思い出したように、一言だけ言い足しておく。

「ただ、俺が知らない事は、俺の事でも言えないからな」

 クゥリスはくすっと笑い、

「ありがとう、琉都さん」

 と言った。

 少し敬語じゃない言い方もしてくれるようになったのかな、と琉都はその言葉を聞いた時、ふと思った。




 ハルフェアの空は澄み、風は心地よかった。

 その空の下、風の中、ドリスは何時の間にか居なくなっていた。が、彼女がまたあんなことをするはずは絶対に無い、と一行は強く信じられた。