無題迷話
第参章 四話 上
都市だから迷子が多いのか、それとも迷子になるのは都市に限られているのか、琉都はどちらとも判断し難かった。
多分どこぞのちょいリッチな家のおてんば娘なのだろうが、先ほどから琉都の目の前でびーびー鳴いて…もとい泣いている。
「……。 この場合、俺が悪人にされんのか?」
「助けなければそうなりますね」
困ったように訊ねる琉都に、クゥリスはあっさりとそう言い切る。
「まあそりゃあ俺にぶつかって転んでその拍子に泣き出したんだから、傍からちょっと見ると俺が悪人だけどさ」
ちくちくと突き刺さるような視線を感じながら、琉都は本当に困ったように手を軽く振った。
「こういうのは俺の管轄外だ」
「言い切っちゃだめですよ。仮にも『英雄』なんですから…」
「いや、でも俺達も迷子だしさ」
「…ま、まぁ、そうですけど…」
そう。琉都とクゥリスは、見事なまでに迷子になっていた。それも仕方ないだろう。琥露鬼とルィニアくらいしかこんな複雑な裏道を把握できている人間は一行の中には居なかった。
だが琥露鬼は面倒だからと宿でものぐさしているし、ルィニアはソフィアを引きずってどこかへ恐ろしいまでの速度で突進して行ってしまっている。あの勢いでは、どこかにソフィアを落としても、ルィニアは気付くまい。
アルゼとアメルダは別行動をしていて、今頃表通りでウィンドウショッピングを楽しんでいるはずだ。
「…でも、それでも困っている人は助けないと。きっとこの子のお母さんも困ってますよ!」
何の根拠があって言うのか、クゥリスはそうはっきりと言い切った。
琉都は仕方無しにため息をつき、しゃがむようにしてその迷子と視線をあわせた。そしてなるべく優しい笑顔を繕う。
「こんにちは」
「……」
やっぱり怒気に敏感なのだろうか、その迷子は泣き止むどころか逃げ出しそうな風に琉都には見えた。
琉都は根気よくその笑顔を保ち続け、子供の方から挨拶を返してくるのを待つ。
「……おじちゃん、だれ?」
「おじ…っ!?」
まだ未成年だっての、と喉仏あたりまででかかった言葉を無理矢理に飲み込み、琉都はより一層笑顔に力を入れた。ちなみに名誉のために言っておくが、琉都は決して歳より老けて見える訳では無い。
「お兄さんは、ただの機奏英雄だよ」
逆に怖くなっていやしないかと自分でも思いつつ、迷子の子のまっすぐな視線を視線で受け止める。
「え、おじ…おにいちゃんもえーゆーなんだ?」
また「おじちゃん」と言いかけたが、琉都が一瞬だけ何故かとてつもなく怖くなったように感じ、子供は急いで言い直した。
「そ。…君は誰なのかな?」
「んと。キャナルは、キャナルだよ」
「キャナルちゃん、って言うんだ? キャナルちゃんは何でこんな所に居るのかな?」
「うんと。えと。…キャナル、わかんない…」
ふぇ、とまた泣きそうになったので、琉都は困ったようにクゥリスに視線を向けた。クゥリスも同じように困った顔をしていたので、琉都は本当に困ったようにため息を一つつく。
「やれやれ…。 キャナルちゃん、泣くといい事が逃げるよ」
「ふぇ……いいことがにげるの…?」
キョトンとした顔で、キャナルは琉都の顔を見た。
笑顔を絶やさないよう気をつけながら、琉都は真面目に肯く。
「そ。 だから、笑おうね。悪い事は泣いてる子が好きだけど、いい事は笑ってる子が好きだから」
「……ん……」
服の袖でごしごしと涙を拭き、キャナルはにへらっと笑う。
「そう。笑っていれば、悪い事なんて無いようなもんだ…キャナルちゃんの笑い顔はかわいいね」
「えへへっ」
調子に乗ってキャナルをおだてていた琉都の後頭部を、軽い衝撃がいきなり襲った。ンだよ、と振り向いてみれば、クゥリスが何か不満なように怒っている。
「……怒ってると不幸は3割増し笑えば幸運は5割増し、だぞ、クゥ」
「知りませんっ」
ぷいっ、とクゥリスはすねたように顔を背けた。
「おねえちゃん、おこってるのかなあ」
「大丈夫。あのお姉ちゃんはね、俺がキャナルちゃんの事ばっかり構うから、拗ねてるだけだよ」
「……」
ててて、とキャナルはクゥリスに近付いた。
そしていきなり頭を下げ
「えーゆーさまとっちゃってごめんね、おねえちゃん」
と謝る。
クゥリスは少し吃驚したようだったが、すぐににっこりと笑って見せた。
「キャナルちゃんが謝る事じゃないですよ。悪いのは、琉都さんなんですから…」
最後の一言で琉都に眼光を効かせるが、琉都は全く相手にしていないように振る舞う。
キャナルはその言葉を本当と受け取り、その場でくるっと回って琉都の方を向いた。
「るーとおにいちゃん、ごめんなさいしなきゃ「めっ」でしょ!」
舌足らずすぎな発音のため、どうしても「りゅう」と言う音が「るー」に聞こえる。
「……本気で怒ってるか?」
その場で立ち上がり、改めてクゥリスに訪ねてみる琉都。
「…いえ、ちょっと衝動的になっちゃっただけなので…」
もちろん子供をあやす為に言った事だとわかっているので、クゥリスはそう怒ってはいないようだった。の割には平手で頭を叩かれたような気がしないでもないが。
「いや、それでも俺もちょっと調子に乗ってたからな。一応、すまん」
「謝らなくても…」
困惑したようなクゥリスに「子供の前」とだけ囁き、琉都はそれが形だけである事を示す。
しばらく考えた後、クゥリスはにっこりと笑った。
「いいですよ。その代わり、後で何かおごってくださいね?」
「……オーケイ、わかった」
左手を軽く上げて下ろし、琉都は本気でそれを了承する。少しした後で、右手をキャナルに差し出した。
「キャナルちゃん、行こうか」
「ふぇ? どこいくの?」
篭手に戸惑いながらもキャナルは、小さな手できゅっと琉都の指を握った。
「お兄ちゃんとお姉ちゃんが、お母さんの所に連れてってあげるよ…って言いたいけど、お兄ちゃん達も迷ってるからなぁ…」
「………」
「………」
何とも無しに、重苦しい沈黙が辺りに垂れ込めたが、琉都は黙って歩き始めた。
幸運な事にその方向は、最も短い距離で表通りに出られるルートだった。
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正体不明の笑い声を上げながら、ルィニアは裏通りを走っていた。
その笑い声は楽しいようにも狂っているようにも聞こえ、裏通りの住民達は自主的にその通路を空けてくれる。
多分違法な奏甲のパーツを売っている店でもあるんじゃないかな、とソフィアはドップラー効果どころかソニックブームの爪痕をぼんやりと眺めながら思った。
もちろんソニックブームなど発生してはいないが、まるでそうであるかのように人々が薙ぎ倒されているのである。
と、曲がり角に差し掛かった時にルィニアの手が汗で滑った。
「…へ?」
ソフィアは物凄い勢いで顔面から、壁際のゴミの山に飛び込んでしまった。
悲鳴を上げる暇も無く叩き付けられ、しばらくその場で硬直する。愛用のスナイパーライフルを持ってきていなかったので、ここで使えなくなるような事は無いのが幸いか。
「あー、痛ぁ…」
やっと意識が戻ってきたのを確認すると、ソフィアはゴミの山から顔をひっこぬいた。護身用にとアルゼから借りたハンドガンを拾い上げて腰の後ろに戻す。
ルィニアはどこへ行ったのかと路地の奥に目を凝らしてみたが、スナイパーとしての視力を以ってしてもソフィアはその姿を捉えられなかった。仕方無しにもと来た道を戻ろうと見やるが、今度はどこをどう通ったかさっぱり記憶に無い。
つまり、平たく言えば、いわゆる所の…
「迷子?」
自問し、ソフィアは何とも無しに泣きたくなってしまった。
何分ほどしただろうか。
ソフィアは本当に泣きそうになりながら、薄暗い裏通りを歩いていた。もうすぐ“黒竜の酔拳亭”の見慣れた看板があるか、そうでなければ表通りに抜けられる、と自分を慰めながら歩いていたが、それももう限界に近い。
前をまともに見ずに歩いていたため、ソフィアはまた誰かにぶつかってしまった。
「あ、ごめんなさい…」
言葉で謝り、変ないちゃもんをつけられないうちにさっさとその場を立ち去ろうとする。
だがぶつかられた側は、怒っていないようだった。
「君、迷子でしょう?」
「……うん、ルィ姉ぇとはぐれちゃって、いわゆる所の迷子」
答えながらソフィアは振り向き、その男の顔を見た。そして軽い衝撃に襲われる。
濃い黒の髪に濁黒の二眼、と言う点では琉都にも似ている。服装も琉都が着ている袍の絵柄違いのようだが、より動き易いように袖は細くなっていた。年の頃ではアルゼよりも少し上か。
その男が琉都と違うのは、顔の造形がどこか女っぽく柔和な点と、額の第三眼が蒼いと言う点だ。
「……?!」
言葉が出ないが、ソフィアは「三眼族?!」と驚いているつもりだ。男の額にある蒼の三眼を指差し、ただただ仰天しているに過ぎないが。
男はしばしその指を見ていたが、すぐにふっと笑った。
「そ、僕は三眼族だよ。初めて見たのかい?」
ソフィアは慌ててぶんぶんと首を横に振り、否定の意を表わす。
「始めてみた訳じゃないけど、蒼い人も居るんだなあ、って思った」
「そっか…。 と、迷子なんでしょ? 僕が表通りまで案内するよ。その途中で話してあげるから」
「でも…」
ソフィアはその男の事を信用していいのかどうか、正直言ってかなり判断しあぐねた。親切そうな人間ほど裏がある事が多いのだが、直感はこの男が安全であると告げている。そして何よりも、誰でもいいから迷子状態から脱させて欲しかった。
そんな心の葛藤を見透かしたかのように、男は手を差し出した。
「僕の名前は仙占 雷鳳(せんせん らいほう)…見ての通り三眼族で、今はどこかへ行った連れを探してる途中なんだ。と、こんな感じでいいかな?」
「いいかな、って…勝手に自己紹介されても…」
「おや、心外。名前を知ったっていう事は、呪術的にはその命を預けたのと同じなんだよ? そして僕は呪術師みたいな物だからね…」
命を預けたのに、と雷鳳は困ったようにもう片方の手で頭をぼりぼりと掻いた。
しばし熟考した後、ソフィアは手を繋いだ。
「…わたしの名前はソフィア・エルファイム…一応は狙撃手だよ」
「そう。ソフィア…何語だったかで、愛、と言う意味だね」
こっちだよ愛ちゃん、と雷鳳はふざけて言いながらソフィアの手を引いた。
「ねえ、雷鳳。三眼族って、絶滅したんじゃ…」
「絶滅はしてないかな。ただ、中国の三願って言う村は潰されたけど、そこ以外で細々生きてた連中は生き延びた」
足下に走ってきた黒猫を避け、雷鳳はあっさりと答える。
「ああ、でも、僕らみたいな三願の外の三眼は、数がとっても少ない上に、お互いの事を知れないから…」
「ふうん」
ソフィアは納得したように言うと、足下に転がっていた素焼きのビンを蹴っ飛ばした。
「そう言えば、三願の三眼が一人、こっちに来たそうだね」
「うん。…じゃあ雷鳳は、琉都兄ぃを探してるの?」
雷鳳はその質問にしばらく押し黙り、いきなり「くくくっ」と笑い出した。
「そうかなあ。うん、そうかもね…」
「……」
何かとんでもない失敗をしたような気がして、ソフィアは心の中で琉都に謝った。
「それじゃあさ、ソフィアちゃん。その、琉都、だっけ? その三眼について、もっと話してよ」
「……えー?」
「今、僕がどんな立場かわかってるよね」
「………。 うん…わかった…」
もしここで見放されたら、ソフィアは二度と表通りに帰れないだろう。その事を本能的に算出し、ソフィアは仕方無しに肯いた。
後で正直に言えば琉都兄ぃは鬼じゃないもん、とも思った。
「紅い三眼を持ってる、クローで戦う人」
「…それだけ? 気功術は使えないのかい?」
「気弾は撃てるって言ってたけど、見せてくれなかったよ。槍とか剣とかも扱えるみたいだけど、見せてくれた事無いし」
「ま、剣と槍は村の基礎鍛練だし…体が覚えてるんだろうね」
雷鳳はそう呟くと、しばらく何事か考える。
「…ねえ、本当に琉都兄ぃに会いたいんだったら、わたしから言っても──」
「その必要は無いよ」
何か冷酷な響きを含ませ、雷鳳はあっさりと言ってのけた。そしてまた「くくくっ」と含み笑いをする。
それから少しして、表通りの明るい光がソフィアの目に入った。しかし雷鳳は手を離さず、最後に一言だけ聞いてくる。
「ソフィアちゃん。その琉都って言う三眼は、ハイリガー・クロイツに乗っているね?」
「……白い、羽の生えた、ただの奏甲に乗ってるよ…」
さすがに人が多いので、ソフィアもそうとしか言いようが無かった。
ふうん、と呟き、雷鳳はソフィアの手を離した。そして額の第三眼を閉じる。
「そっか…。 ごめんね、変な事聞いて」
「ううん。だって、友達の事を心配するのは当然だし…。 琉都兄ぃに言っとく?」
「いや、それはいいよ。…いきなり行って、びっくりさせたいんだ」
ふうん、と今度はソフィアが呟いた。
「それじゃあ、またね、ソフィアちゃん」
雷鳳はそれだけ言うと、表通りの人ごみにすっととけこんだ。お礼を言おうと慌てて人ごみに姿を探したが、ソフィアはその姿を見つけられなかった。
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奏甲の操縦には、基本的に2種類ある。
一つは同調操作と呼ばれる方式で、奏者の動こうとする精神体の働きを読み取り、肉体が動く代りに奏甲が動く方式だ。戦闘起動では大半がこの方式のため、奏者の戦闘センスなどが大きく関わる要因となっている。
もう一つ思念操作と呼ばれる方式で、こう動け、と念じれば奏甲がそれを解釈して動く方式だ。通常起動では大半がこの方式のため、奏者はうたた寝をしていても奏甲は目的地に向かって歩く。
一行は今、後者の方式で奏甲を動かしていた。
目的地はフェアトラーク。イグゼクテンバルトの近くを通らずに安全にトロンメルに入国するための、一種の宿場町と化した街だ。
「これは良い物だ…」
琉都は手の中にある片刃のダガーナイフ(刃渡りがナイフ以上ショートソード以下の刀剣類)を見ながら、その懐剣か小太刀にも近い造形と鋼の美しさをそう評した。
柄や鍔の造形がアーカイア風でなければ、思わず日本刀かと思ってしまうほどだ。
琉都は白刃を鞘に収め、それを隣の奏甲に乗ってコクピットハッチから半身を乗り出していたいたアルゼに、投げて返す。
「だろ? いやあ、苦労したんだぜ」
それほど苦労したようには聞こえない明るい口調で言い、アルゼは笑いながら投げかえされたダガーを受け止める。最近になって動きが鈍り始めた左腕の指に鞘を押し込み、すらりと白刃を陽光の元に曝した。
「シュピルドーゼの玉鋼にバナジウムを隠し味、刃渡り一尺(およそ30.3センチ)。…何でも刀鍛冶とアーカイア人の子供の子孫が鍛え、歌術を織り込んだそうだぜ」
「流石は日本人の子孫、伊達じゃないな。…バナジウムって事は、硬度が高いんだろ?」
そうだぜ、とアルゼはいきなり手近にあった装甲板に刃を軽く叩きつけた。
「見ろ。幻糸鋼に叩き付けても、刃こぼれ一つしやがらねえぜ」
満足げに観察した後、アルゼはその刃を鞘に収めた。琉都はさも当然そうに頷く。
「そりゃそうだ。何せ電車の切り替えポイントの、脆くて壊れ易い部分に使う素材だからな、バナジウム鋼は」
「……琉都さん、話がさっぱりわからないんですけど……いえ、それより何か武器に思い入れがあるみたいに見えるんですけど」
クゥリスのツッコミに、琉都は少し身を固くした。くるりとその場で振り向き、クゥリスの顔を覗き込む。
「一応は戦わなきゃならない身だから、武器に多少は聡くなきゃならんだろ」
「それにしても詳しすぎです」
「……じつは付け焼き刃の知識なんだな、これが」
「………」
「おおい、琉都よう。 これはどうすんだ? 今渡しとくか?」
アルゼに呼ばれ、琉都はまた振り向いた。
「おう。今、渡しておこうかな」
「わーった。それ、パース」
アルゼはダガーを放り投げ、良く考えれば危険なような気がして少し後悔した。しかし琉都は上手くそれを空中で掴み、半分ほど鞘走っていた白刃を戻す。
どこかに欠損が無いか確認してから、琉都はクゥリスの方を向いた。
「クゥ」
「はい?」
ダガーを目の前に差し出され、クゥリスは少しだけ面食らった。
「護身用」
一言だけそう言い、琉都は半ば無理矢理にクゥリスに押し付ける。
「護身用、って…行き過ぎた護身じゃないですか」
「いいんだよ。クゥの事だからどうせ持ってるだけなんだし、それならいっその事ロングソードを見繕ってもらおうかと思ったくらいなんだから」
何とも物騒な事をさらりと言ってのけ、琉都は視線を前に戻した。
そしてふと、立ち止まるように奏甲に思念を送る。ハイリガー・クロイツ=フリューゲルはそれに従い、その場で立ち止まった。
不意に立ち止まったので対応しきれなかったのか、2歩ほど前に進んでからネーベル・レーゲンボーゲンとシャッテンナハトも立ち止まる。
「どしたの、琉都兄ぃ?」
ソフィアにそう聞かれ、琉都は無言で空を見上げる。
そこには奏甲にしてはやや寸詰まりの、有機的なフォルムの奏甲がいた。死神の鎌のような武器を持っており、目立った飛行装置──アークウィングかスラスタユニットもしくはブースターユニットなど──が無いにも関わらず、まるで空気に立つようにして浮いている。
カメラレールに沿ってモノアイを動かしてから、その奏甲は一行の前に立ち塞がるように降り立った。やはり幻糸的な物は何も観測できないが、何らかの非物理的な方法で浮いていたようだ。
『…やあ、三願の三眼族の生き残り君』
「誰だ!」
それが目の前の奏甲からの通信だとわかり、琉都は素早く奏座に腰掛け直した。ハッチを閉じ、臨戦態勢を整える。
『君達三願の者を怨む者の代表、かな。ああ、そう固くならないでくれる?』
「無理な相談だな。俺怨まれていて、こんな風に登場されたんじゃ…」
戦いに向けて肉体を緊張させ始める琉都。
と、不意にソフィアから通信が入った。
『琉都兄ぃ、誰、誰と話してるの?』
「誰って…目の前の野郎とだ」
『聞こえないよ?』
何、と琉都は怪訝そうに訊ね返した。その言葉を聞いていたのか、目の前の奏甲の奏者が
『そりゃそうだろうね。だってクロイツ専用の<ケーブル>で話してるから』
と解説を入れてくれる。
「クロイツ専用だぁ? この機体はクロイツなんかじゃないんだけど」
すっとぼけながら、琉都は念のためにステータスモニターを起動させる。以前は逆十字が表示されていた場所に、今度は鬼火を纏った十字が表示されていた。
アストラル・クロイツか、と琉都は思った。
試作クロイツの事は、以前にクシェウが名前だけを教えてくれた。ハイリガー、エヴィル、マテリアル、アストラルの4機だけだが。
『そう、アストラル・クロイツ=ガイストさ。なかなかに気立ての良い奴だよ』
「で、何の用だ。世間話をしに来た訳じゃないだろう?」
琉都は極めて冷静な声で、淡と訊ねた。
『ああ、そうだよ。僕が今日ここに来たのは、君に決闘を申し込むためさ…』
そう言い、「くくく」と含み笑いのような笑いかたをする。
「決闘? 何故だ?」
『僕ら外の者は、君達三願の者を倒す事が唯一の悲願だからね。理由なんかそれだけだよ』
酷く剣呑にそう言い、彼はまた「くくく」と含み笑いをした。
『さ、どうするんだい? 闘わなければ、君の仲間は全員消滅する事になるよ』
「わかった、いいだろう、だから仲間には手を出すな」
琉都は即答し、街道から奏甲を出した。
しかしアストラルは動かない。その代わりに、すっと無音で空中に浮かび上がった。
『ここじゃあちょっと危ないからね。イグゼクテンバルトの中で闘ろう』
琉都もそれを受諾し、ハイリガーを飛び立たせる。
こまめに羽ばたいてホバリングするハイリガーに比べ、アストラルは何もせずとも空中に立っていた。
すいっ、とアストラルは機体を地面と水平にし、フォイアロート・シュヴァアルベも真っ青の速度で北へ向かった。ちょうど今いる街道から北へ行けば、そう時間もかからずにイグゼクテンバルトに入れる。
琉都もハイリガーに高度をとらせ、空中でバク転してから高速度で北に向かった。
取り残されたのは、5人の人間と2機の奏甲。
「…どうする?」
ぼそり、とソフィアはアルゼに訊ねた。
「どうするって…追いかけるに決まってるぜ」
パシン、と拳を手の平に打ち付けながら、アルゼは早速奏甲に歩ませ始めた。
「あの速度を追いかけて?」
「仕方ねえだろ、こっちは飛べねえんだからよ! 千里の道も一歩からって言うじゃねえか!」
「……飛べるんだけどなあ……」
「飛べるなら最初から言えよ。…で、どうやって飛ぶんだ?」
「“鬼火”に掴まって飛ぶんだよ」
「……やるっきゃねえな……」