無題迷話
第参章 四話 下
イグゼクテンバルトと言う名を与えられたこの森は、昔からこの名前ではなかったそうだ。奇声蟲が主に残存していたために、蟲森と言う意味合いで名付けられたのだと言う。
もっとも、今は琉都もクゥリスもそんな事を考えている暇は無かった。
既に決闘は始まっており、クロイツフィールドも共振──ロートフィールド状態である。
「クソッ! ちょこまかちょこまかと…!」
ハイリガーが“裁き”を振るって攻撃するが、アストラルは木々をすり抜けて避けてしまう。弓で攻撃しても、クローで攻撃しても、結果は全く同じだ。
『だーから言っただろう、降参は認めないよ、って』
くくく、とそろそろ聞くだけで腹が立つようになってきた含み笑いをしながら、アストラルの奏者は機体肩部の40mm収束幻糸砲を発射する。
琉都は三眼を解放しもせずに、その光弾を“裁き”で叩き落とす。すでにファイターズハイになっているようだ。
「黙れッ! 一々人をおちょくりやがって!」
(琉都さん、落ち着いて下さいっ!)
クゥリスの静止も聞かず、琉都は戦闘に没頭している。
ハイリガーが“裁き”を体の横で真横一文字に構え、剣圧を発生させるために慎重に足を運ぶ。コックピットの琉都とクゥリスにまで圧力のような物が及ぶようになると同時に、ハイリガーはそれをその場でほぼ一回転するように放った。
剣圧がハイリガーを中心にリング状に広がり、その剣圧に触れた森の一部をごっそりと消滅させる。剣の朱い宝石は脈動の輝きを失い、また黒ずんだ石になってしまった。
手応えも何もわからないが、これで勝ったと琉都が内心でガッツポーズした瞬間。
『ヒョー、危ない危ない。琉都君だっけ、さっきのは人が近くにいる時は使っちゃ駄目だよ?』
「なっ!?」
声に振り向くと、真後ろにアストラルの姿があった。まるで剣圧が存在していなかったかのように無傷である。
(今の攻撃で無事!? 有り得ない事ですよね…!?)
本当に困惑したようなクゥリスに琉都は
「目の前で起きた事だ、信じるしか無いだろ!」
と一喝。心の惑いは歌にも正直に反映され、その歌はハイリガーの動きを悪くするからだ。
アストラルが軽く足首に力を入れ地面を踏むと、一瞬にしてその姿が掻き消える。
ドムッ、と言う重低音で振り向いてみれば、先ほど立っていた場所から十歩くらいは離れた場所にアストラルは立っていた。
『縮地法瞬歩…じゃあ無いよ。奏甲はそんな事ができるほど、気の流れを再現できるようにはできてないからね』
こう言って奏者はにっこりと笑ったのだろう。
琉都は憎たらしい顔の男がそうしたのを想像し、余計に怒り狂った。
「じゃあ何だってんだ!」
『幻糸式瞬動──アークゼロシフト(AZS)って言うのが正しいのかな? ほんの少し時間があれば、どこへでも一瞬で移動ができる機能さ』
なるほど、と琉都はわかってもいないくせにぎりりと奥歯を噛み締めた。そしてハイリガーにクロー以外全ての武器を棄てさせる。
「クゥ、起動調整できるか?」
(できます)
よし、と琉都は肯いた。
「なら動きをより俊敏にしてくれ…」
琉都はそう言いながら、途中でコケたりしないようルートをよく考える。
『早くしてくれないかなあ。一応は礼儀だから待ってるけど、僕だって決して暇じゃないんだからさ』
「だったら、かかって来いや」
こいこい、と琉都は人差し指でアストラルの奏者を挑発する。奏甲がそういう動きをした訳ではないので、見えているはずが無いのだが。
『じゃあ、お言葉に甘えて』
アストラルが一歩踏み出し、ハイリガーも一歩踏み出した。
と、次の瞬間には2機のクロイツは全く同時に宙に跳んだ。地面を強く蹴り、通常の奏甲ではありえない速度ですれ違い、地面に着地して爪先でUターン。
「ンなろっ!」
琉都の気合と同時に、ハイリガーが無理矢理に再び跳んだ。一瞬でアストラルにクローを2発叩き込み、さらに背後をとる。
だがさらに追い討ちをかけるより早く、アストラルはAZSで間合いを離す。
しばし硬直状態が続き、ふっ、とアストラルがサイスを下ろした。
『やめよう、奏甲で争ってもけりは付きそうに無い』
「臆したのか!」
『違うよ。これ以上、お互いの<宿縁>に迷惑はかけないでおこう、って言ってるんだ』
「……そうだな、よし」
琉都は奏座から立ち、コクピットハッチを開いた。それと同時にアストラルのコクピットハッチも開き、誰かが降りようとしているのが見える。
「琉都さん」
心配そうに身体を乗り出したクゥリスの髪を撫で、琉都はコクピットから飛び降りた。ほぼ同時に相手の方も地面に降りる。
──ズンッ
重たい地響きがしたので琉都がそちらを見れば、シャッテンナハトとネーベルレーゲンボーゲンが“鬼火”に掴まって到着した所だった。
どうにか互いの顔が視認できる距離と言った所か、どちらも技を繰り出すには些か微妙な距離だ。そう考えて互いに動けない。
プシュ、と音がして、完全機密に改造されているシャッテンナハトのコクピットハッチが開いた。ソフィアが身体を乗り出し、しげしげと相手の方の顔を見る。そして。
「あーっ! あの時のお兄さん!」
「雷鳳だよ、ソフィアちゃん。 …よくそんな遠くから見えるね」
にっこりと相手側の男──雷鳳は笑みを見せた。
「「知り合いなのか!?」」
驚いたように琉都とアルゼが同時に訊ね、ソフィアはちょっとびっくりしたように肯く。
「うん…まあ。ルィ姉に置いてけ堀にされて迷ってたら、琉都兄ぃの情報を対価に表通りまで案内してくれたよ」
なぁるほど、と琉都はやけに納得が行ったように頷き、殺気のこもった笑顔──いわゆる「殺ス笑み」をソフィアに向けた。
数分後。
ソフィアの必死ではないにしろ真面目な説得(琉都としては成立させたい交渉でもあったが)は実を結ばず、雷鳳の様々な攻撃に琉都は辛うじて耐えていた。
琉都はどうにかその掌底を紙一重で躱し、お返しにとばかりその手を掴んでブン投げた。雷鳳は逆らう事なく投げ飛ばされ、空中で回転して華麗に着地する。
かなり無理のある投げかたであったにも関わらず雷鳳が飛んだのは、ただ単に琉都が紅眼を発動させていたからではないだろう。実はもし雷鳳が飛ばされなければその腕はへし折れていた、と言う事を理解できたのはアルゼと琥露鬼だけだった。
篭手を装備している分、琉都の方が攻撃のパターンは多いはずだ。少なくとも雷鳳は今の今迄、殴る、打つ、突く、裂く、投げる、この5つの内の打つしか使ってきていない。
しかし明らかに琉都が押されていた。
攻撃のパターン云々ではなく、純粋な力量差でもなく、身体能力の差でもなく、身体能力の発揮度の違いで、だ。
琉都の方はいくら気合で気持ち的な壁を無意味にしているとは言え、せいぜい6割までしか筋力を使えない。だが雷鳳は額の蒼眼を常に使い続け、なおかつ10割以上の身体能力を発揮している。
身体的な部分でほぼ五分五分の勝率とアルゼは踏んでいたが、琉都の紅眼は1分から調子がよくても5分が限度。それを失念していた。
琉都は紅眼を使うことなく雷鳳の致命的な攻撃を紙一重で見切っているが、それでも致命的でない攻撃が命中する方が多い。逆に雷鳳は琉都の攻撃の全てを受け流している。
「この…っ! 奏甲共々のらりくらりとしやがってっっ!」
琉都は体重を乗せた拳を雷鳳の顔面めがけて繰り出すが、雷鳳はそれを軽く平手で押して軌道をずらしついでに攻撃を3発ほど繰り出す。手が幾つもあるように残像が残る速度での攻撃は、攻撃直後の隙を生んでしまった琉都には躱せない。
パパパンッ、と軽い音がして琉都は吹っ飛び、顔面から地面に激突しそうな所を、辛うじて両手を地面に突いて両足で着地した。
「弱いなあ、三願の三眼だからもっと強いかと思ってたのに」
どこか楽しそうに雷鳳は笑い、女っぽい顔立ちもあいまって琉都の神経をまともに逆撫でする。
「ンなろ…っ!」
怒りに任せてつっこみ、軽く足蹴にされる琉都。雷鳳は「けけけけっ」と笑い、琉都の体に足を乗せた。
「このままじゃあ負けだよ、琉都君。 さあ、どうするんだい?」
「く……っそぉ!」
琉都は背筋を総動員して雷鳳を弾き飛ばし、自身はバク転で僅かに距離をとる。
雷鳳は弾き飛ばされたと言うのに余裕綽々で、のんきにヤスリで爪など削っていたりする。
「弱すぎるから、次の一撃はあえてノーガードで受けてあげるよ。誓約してもいい」
ふぅっ、と爪に息をふきかけ、雷鳳は小馬鹿にした様子で琉都にそう言い放つ。
琉都はその一言で余計に怒り狂った。雷鳳の懐まで駆け込むが、当の雷鳳はニヤニヤと笑っている。
「グオォォォォォオオォォォォッッ! 開・眼ッッ!」
立ち方向を雷鳳を左に見えるようにし、琉都は額の紅眼を開く。
両足を肩幅より少し広いくらいに開いて腰を少し落とし、両の拳は腰かそれより少し低い位置で握り締め歯を食いしばり、全身に力を込めながら呼気と吸気のバランスに気を配りながら呼吸する。三眼式の気功呼吸だ。
琉都は全身の気のみならず地龍と天龍の気も集め、それを練り始めた。天地人の三つの気が練り合わされる事で、気はその効力をより大きく発揮できる。
「気功術も粗削りだね。流石は憶を喪失した者──」
お喋りを始めた雷鳳を琉都は、気が逃げないように注意しながら睨みつけた。そして左足を僅かにスッと持ち上げる。
「練気弾ッッ!!」
左足が地面を踏みしめると同時に上半身を捻り、琉都は指を軽く曲げた右手に全体重を乗せて突き出した。ズダム、と重い音がして琉都の両足の足下の腐葉土が僅かに凹む。
練気の弾と掌底は雷鳳の鳩尾に見事に吸い込まれた。琉都は両目と紅眼を見開き、さらに練気の量を増やし、雷鳳の体内の気を乱して内側から破壊する。
「ぐぁガっ………っ!?」
気絶しなかったのは丹田法──肉体の防御力と攻撃力を高める気功を使っていたのだろうが、雷鳳はどこが傷付いたのか一瞬わからなかったようだ。
そして次の瞬間、ゴボッ、と嫌な音をたてて口から血泡を吹き出す。
琉都はさらに顎とへそ直下に攻撃を加え、両目を閉じた状態で大きくバックステップして間合いをとった。
雷鳳は息だけは虫の息で、切れ切れに呟く。
「なるほどねえ、横隔膜と肺の一部ずつが傷付いたんだ。この辺のセンスは流石三願の三眼って所かな…」
血を拭き取りもせずににやりと笑むと、雷鳳はその場に倒れ伏した。
琉都は顔を雷鳳の倒れた方に向けるが、その両目は閉じている。紅眼もまだ20秒ほどしか発動していないのに、発動不能状態の色である濁黒になってしまっていた。
「クゥ」
琉都は明後日の方向を見ながら、クゥリスに訊ねる。
「雷鳳を倒せたんだろうか?」
「え、ええ、はい」
そうか、と琉都は安堵のため息をついた。
「……これで勝てなきゃ俺は負けてたからな」
「それはどう言う意味──」
クゥリスが訊ね終えるよりも早く、アストラル・クロイツ=ガイストが動き出した。琉都はそれが見えているのかいないのか、さっぱり動こうとしない。
アストラルは雷鳳を手の中に掴み上げると、そうっと自分のコクピットに滑り込ませる。
一同が呆然とその光景を見ている中、アストラルは奏者が居ないにも関わらず、アークゼロシフト(AZS)でどこかへ消えてしまった。
「アストラルが、AZSしたのか?」
琉都はその光景を見ていたにも関わらず、とんちんかんな質問をする。
「見たとおりですけど」
クゥリスは困ったように答えた。
困ったように笑いながら琉都は
「見えないから聞いてるんだが」
「見えない、って…」
「気弾を撃つと、視神経が一時的に麻痺してしまうんだ。三眼の気視力も無くなるから、全く何も見えない」
と言い放った。
ハイリガー・クロイツ=フリューゲルに戻ろうとして琉都は、これまた明後日の方向へ歩き始める。クゥリスがそれに気付いて
「琉都さん、こっちですよ!」
と叫ばなければ、そのまま目の前の切り株でコケていただろう。
「視力喪失が3時間、視力低下がさらに6時間。つまり完全回復までには9時間……ってとこが相場らしい」
琉都は持参していた布でその両目を塞いでいる。目を保護すると言う意味もやはりあるが、周囲に盲目であると報せる意味合いの方が大きい。
奏甲の視界も使えないため、琥露鬼にハイリガー・クロイツ=フリューゲルを操縦してもらい(彼女も元々はアーカイア外の住民なのでできることはできる)ながら琉都は、何時間で回復するのかと問うアルゼに返事を返した。
先ほどの場所からすでに2時間ほど歩いているので、そろそろ琉都も視力ではなく聴力に頼る事の感覚を取り戻しつつある。
「するってえと、完全回復までは元通り細部を見分けられるほどじゃねえが見える時もあるんだな?」
奏甲のコクピットハッチから身体を半分乗り出した状態で、アルゼはそう訊ね返した。琉都は一つ肯き
「まあ、そういう事。視力低下の最初の2時間は明暗しかわからんけど」
と補足説明をする。
ふと右手を少し上げて、琉都はハイリガー・クロイツ=フリューゲルの手の平で微笑んだ。その手の上に名も知れぬ小鳥が一羽とまり、琉都のためだけであるかのようにさえずっていた。
「あ……」
クゥリスはそれを見て、小さく驚きの声を上げる。
音だけの方が嬉しい事もあるんだよ、と琉都は心の中で呟いた。
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数日後。
一行は途中で蟲を退治しながらも無事にフェアトラークに辿り着き、この辺りにもなると少し珍しい温泉に入ってから、皆もう就寝してしまっていた。
既にアーカイアの双月は高い所で青く冷たい光を放っており、街は全て静寂に包まれている。
その月明かりの下、月光を篭手が反射していた。
否。篭手を着けた人間も無論一緒だ。
宿から数分の距離にある小さな公園で、琉都は黙々と縄を巻いた木の幹に拳を叩き付けていた。
その近くでは月光に碧の獣眼を光らせて琥露鬼が、猫か鳥でもなければ乗れないような梢に全体重を乗せ、爪先立ちに月を眺めていた。下ろしてある手にはバスタードソード(蛮刀)と呼ばれる、反り身の刃を持った剣が握られている。
琉都は連弾技を木に繰り出してから、ふーっ、と息をはいた。手を下ろし、少し開けた場所に移る。
「……始めるの?」
月を見上げたまま、琥露鬼はそう訊ねた。
「ああ。準備運動も十分した」
月をバックにして木の梢に爪先立ちの琥露鬼と言う一枚絵を眺めながら、琉都は強い意志を伴って肯く。
琥露鬼は梢を軽く蹴り、高さ12ザイルはあろうかと言う樹木のほぼ頂点に近い場所から飛び降りた。着地音も軽く、擬音にするなら「シュタッ」と言うのが最もあうだろう。
バスタードソードを、顔の横に眉の高さで切先を琉都に向けるようにして、構える。しかし刃は潰れており、よっぽど打ち所が悪くなければ怪我もしない。
琉都もクローを取り出し、篭手に装着した。突きも致命傷にならないほどの、本当にガラクタ同然のクローだ。
「行くぞ」
軽く膝を曲げ腰を落として前かがみ気味になり、拳の手の腹──つまりクローの刃の方を向けた構えを取って、琉都は闘気を噴出する。
「いいわよー」
先ほどからバスタードソードを構えているが、風に髪が弄ばれる以外は動きらしい動きをしていない。
琉都は鋭く呼気を吐くと、地面を強く蹴って懐に飛び込み、容赦無く刃を喉元へ向ける。だがそれを読んでいたように琥露鬼はバスタードソードを操り、軌道の直上に刃を置いて攻撃を失敗させた。
弾かれたクローを上半身ごと引くと同時に琉都はもう片手を振り下ろし、琥露鬼の頭を真っ二つ(クローの刃は3本なので正確には四等分だが)にしようとする。しかし今度は琥露鬼が一歩だけ下がった為に、髪の毛一本すら傷つけてはいなかった。
大振りな攻撃を両方躱された為に生じた隙をついて、琥露鬼はバスタードソードを琉都の喉元に滑り込ませる。
勝負ありと判断し、琉都は闘気を収めた。
琥露鬼はため息を一つつき、バスタードソードを下ろす。
「駄目ね。これじゃあ雷鳳とか言う彼に負けて、当然、だわ」
「どこが駄目なんだ? 俺にはわからないんだが…」
地面に座り込んでクローを外しながら、琉都は琥露鬼の顔を見た。何故か一瞬だけ琥露鬼がよろめいたような気もするが、絶対に気のせいだろう。
「攻撃が全部、大振りすぎるのよ。クローじゃなくて槍を使うべきね」
ネコミミをぴくぴくと動かしながら、琥露鬼は人差し指をピッと立てる。
「そもそもクローは攻撃の有効半径が狭いのよ。その癖に腕の非稼動部と同じ扱いをしなきゃだめだから、自然と振りも攻撃も大振りになるわ」
「じゃあどうしろって…」
「だから槍とかの柄武器を使うのよ。確かに琉都クンのクロー技術は、並の相手なら引けを取らないわ。でも同等以上の相手に対しては、どうしても不利な武器なの」
「……槍なんか持って無いし……」
琉都は不満そうに呟き、クローを袍の袖に仕舞い込む。
琥露鬼はどこか楽しそうに笑い、月を見上げた。
「それより琉都クンに必要なのは、相手をクローの最有効射程に確実に捉える技術ね」
そう言うと琥露鬼は何かよくわからない抜き足の方法で移動し、普通に走るよりも早い速度で木の真下に戻っていた。軽く跳ねて木の梢に戻り、腕を組んで月を見ている。
まるで忍者か何かだ、と琉都は思った。
「さっきの足運法の一つで、普通の人間が使ってもかなりの速度を得られるわ。 私は獣人(ライカンスロープ)だから瞬動を使うと殆ど瞬間移動みたいに見えるけど…」
「いや、まんま瞬間移動…」
琥露鬼が立っていた地面から木の真下までは、おおよそ15ザイルはある。琥露鬼はそこをほぼ一呼吸で走り抜けていたのだから、瞬間移動までは行かなくても高速移動ではある。
「まあ、手が他に無い訳じゃないわよ。でもクゥリスちゃんを守ろうとして会得するんなら、そろそろ移動術を手に入れてもいいんじゃないかしら?」
そうかなあ、と琉都はわかったようなわからなかったような微妙な返答を返す。
しかし琥露鬼はそれを肯定と受け取ったのか、月明かりが逆光になって琉都にはよく見えなかったが、にゃっと機嫌のいい猫のように笑った。
翌朝。
「なあ、ちょっといいか?」
琉都は朝食の席で、一行の全員に話しかけた。
ちなみに今日の朝食は、鯵の開きと白米に代表される純(準?)和食だ。外人が使い慣れない箸に悪戦苦闘すると言う光景は、琉都には微笑ましいように思えた。
「んだよ? こっちは箸とか言う棒っきれは使い慣れてねえんだぜ?」
苛立っているようにアルゼはそう言いすてて、鯵の可食部をほじくる大仕事に集中しようとする。
「いや、それは置いといて。…ちょっとここに長居してみないか?」
「骨休めなら十分にしたじゃないかい」
ルィニアはそう言って、露骨に嫌そうな顔をした。幸か不幸か彼女は働く事は苦にならないが、休む事は非常に体力も精神も消耗してしまうと言う一種の病気である。
「そうだよ。それに琉都兄ぃ、こないだ雷鳳に一応は勝ってから、ずーっと寝過ぎっぽいよ?」
確かにソフィアが指摘するとおり、琉都はいかにも眠そうな表情をしている。しかしそれを寝過ぎと言うのはちょっと無理があるのではないか、普通はこういう場合は寝不足ではないかと言うはずだが。
「私は賛成よ。そろそろ火薬の調合もゆっくりやりたかったし、今度行く街──ゼンタルフェルドシュタッドは湖畔の街でしょ? 現世の『花火』を一回やってみたいのよ」
物凄く個人的な意見で賛成されたような気もしないでは無いが、それでも賛成には違いないだろう。花火の飛ぶ夜空を思い描いているのか、アメルダの目はどこか遠くを漂っていた。
「……アメルダにゃ逆らえねえぜ、オレは……」
爆風制裁の痛い目を見たくないのか、アルゼは無条件イエスマンのような状態で、アメルダの意見を支持した。しかし本心では早く仕事を終わらせたいのだと言うのが、何か色々とあからさまなほどに表れている。
「クゥはどうする?」
「私は……琉都さんの意見に賛成です」
三対二だな、と琉都は呟いた。
琉都と琥露鬼が人数にカウントされないのは、主に彼らがここに残る事を必要としているメンバーだからである。
「じゃあ早く買い物に行きましょうか」
琥露鬼はそう言うが早いか、まるでマンガのような状態で残った魚の骨だけを皿に残し、全て平らげてしまう。本当に食べられない所しか魚を残さないのは、やはり猫だからだろうか。
琉都は落ち着いてゆっくりと、和風の朝食を和風に食べていた。
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科学技術の発展していないアーカイアでは、日が沈めば皆さっさと寝てしまう習慣がある。明け方まで起きている働き者も居ないではないが、ランプの油が安くない事もありかなり少数だ。
生憎と今日は夕方ごろから曇ってきていたので、月の明りは全く無いと言える。
その暗闇にも近い中、3つのぼんやりとした光が公園にあった。
「ホタル石だったのか…」
琉都は昼に琥露鬼が買い求めたペンダントの、蛍光するペンダントヘッドを摘み上げて呟いた。大き目の逆三角錐の形をしたペンダントヘッドで、着けていると重みが首で感じ取れる。
ホタル石とは二フッ化カルシウム(CaF2)の結晶で、蛍光する石として有名である。
しかしホタル石単体の蛍光と言うのは、案外にもかなり弱い。そのために琥露鬼は、途中で寝ちゃって大丈夫だからとクゥリスを連れてきて、灯火の歌『シュルペン・ポルカ』をホタル石にかけさせたのだ。
元々が光る性質を持った物質だからなのかは琉都にもクゥリスにもわからないが、かなり光度が制限されるはずの織歌の光は、少なくとも普通の石ころに使った時よりは明るい。
「いいでしょ?」
自慢げにそう訊ねる琥露鬼が着けているのは、ホタル石ではなく天然水晶のペンダントヘッドのついたペンダントだ。にも関わらず何故か、これ一つだけは歌術もかけていないのに、歌術付与した2つのホタル石と同等の光を放っている。
「まあそれは否定しないけど…いいのか、琥露鬼。お前の財布だったろ?」
「いいのよ。気にしないで、ちょっとおちゃめなプレゼントだと思ってちょうだい」
「……あぁ、わかった。 だがクゥにも渡した意味がわからんのだけど」
歌術を付与した疲れがもう出てきたのか、クゥリスは公園のベンチに腰掛けて船を漕いでいた。きちんと上着を羽織っているので、風邪をひくような事態にはなるまい。
琥露鬼はくすりと微笑むと
「それがおちゃめなのよ」
と意味がわからない事を言った。
琉都は首を傾げるが、それ以上は特に追求しない。おそろいのアクセサリを持っていると言うだけでクゥリスは喜んでいたので、琉都としてはそれ以上の事をあまり考えても意味が無いように思えたのだ。
「……さて、と。そろそろ始めるか」
そう言って琉都は、いつも通りのファイティングポーズをとった。琥露鬼はそこに立っているだけで、組み手をする気は全く無いらしい。
「そうね。…まずは2ザイルの距離を、足の運びに注意してやってみて」
翌朝。
全く疲れを感じさせない琥露鬼とは全く逆に、琉都はぼろぼろ同然の体でうつらうつらしながら朝食をとっていた。
時折は朝食に顔面から突っ込むんじゃなかろうかと言うような状態のため、もちろん色々と心配されたのは言うまでもない。
2日めにしてこれだは中々に心配だなあ、と琥露鬼はあくまで傍観しながら思った。