無題迷話

第参章 六話








 岩蛇山塊。

 ユヴェール湖のほとりにあるこの砂色の山々は、トーテス・タールをかき抱いており、確かにとぐろを巻いている岩蛇と言う名の毒蛇を連想させてくれる。そして毒蛇の名に違わず、その中央にある盆地であるトーテス・タールは毒ガスで覆われた土地だと言う。

 観光地には程遠いこの場所は、奇声蟲が住み着いていたりもするため、よほどの事で無い限りは誰も立ち入ろうとしないのが常である。

 だが一行は厳重気密処理が施された機体を駆り、この危険地域に踏み込んでいたのだった。


『ちょっと待てぇ! 1人──いや2人、置いてけ堀か!?』

 アルゼはそう叫び、ネーベル・レーゲンボーゲンの脚部に設置されているホバーユニットを起動させた。浮揚するだけの力を利用して、通常起動だと言うのに大きな跳躍を見せる。

 岩塊のごろごろする地点であったため、一応は通常機体に分類されるネーベルは、空を飛ぶ事のできるハイリガー・クロイツ=フリューゲルと隠密機に分類されるシャッテンナハトに追いつく事が難しかったのだ。

「仕方ないだろ。お前だけが対応しきれてない機体なんだから」

 琉都はハイリガーを適当な大岩の上に着地させ、またいつでも飛び立てるようにアークウィングを展開したままにして、アルゼにそう言って聞かせる。

 シャッテンナハトも通常起動の割に身軽な動きで岩の上に乗ると、まるで見下すようにネーベルの方を向いた。

『…あ、何だかちょっと悪役気分☆ “来れるものなら来て見なさい、きゃははっ”とか言ってみたり』

『…………』

 やけに似合ってしまうのは気のせいではないように思え、アルゼは奏座に座ったままで額に手を当てる。

「お、そうすると俺は“ふふふ…。どうしたね、来れないのかい?”とか言うのか」

 琉都も結構乗り気なようで、奏甲に腕を組ませてみたりしながらそう言った。これは何だかちょっと違うような気もする。

「あのぅ、琉都さん」

 以前より少し緊張している感が消えたのか、クゥリスは躊躇うような様子も無く声をかける。

「何だ?」

「何の話かよくわからないんですけど」

「………いや、わかんないならいい」

 少し勢いをそがれたのか琉都はハイリガーに腕組みをやめさせると、アークウィングの機能だけで次の大きな岩場まで機体を跳び上がらせた。

 ソフィアもその一言でやる気を失ったのか、シャッテンナハトの手と足を岩場にかける。鬼火を使って飛ぶと言うテも無いではないが、どうやら奏者と紡ぎ手の体力を大量に消耗させるらしいのだ。

『おーい、琉都ォ』

 <ケーブル>越しにアルゼの声が聞こえ、琉都は気をつけながら奏甲を振り向かせる。

「どしたー?」

『引っ掴んで飛んでくれねえのか?』

「………」

 そんな事を訊ねられた事すら嘘であるかのように、琉都は黙って機体を飛び上がらせた。そしていきなり山の頂上へ一息に飛ぶ。

 通常起動で空中静止するのは難しいため琉都は、そのまま機体を山の向こう側──トーテス・タール盆地へと降ろした。



 しばし待つ事、十分ほど。

 づしゃり、と奏甲の手が岩山の頂上を掴んだ。その次に頭があらわれ、その後は一気に全身を山の上に引きずり上げる。

『おいてけぼりなんて酷いよぅ、琉都兄ぃ』

 と怒るソフィア。多分頬をぷぅっと膨らませて、拗ねているのだろう。

 琉都は軽く笑うと、またハイリガーを飛び上がらせた。拗ねているソフィアの頭上を飛び越え、岩山にへばりついているネーベルの後ろに降り立つ。

 しばらくじっと見ていたが、本当にへばりついているだけのそれを軽く“裁き”の切先で突ついてやると、耐え切れなくなったかのようにネーベルは岩山からずるずると5ザイルほども滑り落ちた。

『あぁっっ! また修理の手間がぁっ!?』

 ルィニアが悲痛なようで実は歓喜の叫びを<ケーブル>越しに上げる。

『のぉぉっ! 後17ザイルくらいだったのにぃっ!?』

 本当に悲痛な叫びをアルゼがあげているのを、琉都はしっかりと<ケーブル>越しに聞いた。

 当の本人はその場でふらふらと機体を空中停止させたまま、けらけらと笑い声を上げる。

「いや、だってよ。あそこまで見事に必死だと、ちょっとからかいたくなるじゃないか」

『うっわ、すっげぇ本気で殺してえぜ』

 もちろん半殺し程度で止めるつもりだろうが、アルゼは奏座に座ったままで握った拳をわなわなと震わせる。

「琉都さん、それはさすがに酷いですよ」

 クゥリスに咎められてやっと自分のしでかした悪事に気付いたのか、岩壁にしがみ付いているネーベルを琉都はさらに“裁き”で軽く突っついた。滑り落ちてそれを止めるために適当に岩を引っ掴んだため、ネーベルの状態は本当に不安定かつ進退窮まっている。

『やめ、やめっ、やめろぉっ!?』

「うりうり、落ちちまえー」

 何だかいじめっ子の様相を帯びながら、琉都はにやにや笑いを浮かべたままにアルゼの乗っているネーベルをハイリガーの“裁き”で突つかせる。もちろんぷっすりと刺さるような間抜けた事は無いように、細心の注意ははらっているのだが。

 ずるり、とネーベルが少しずり落ちる。その刹那、アルゼはある事を思い出した。

『琉都、お前、あの借金者にちょっと似てきてねえか?』

「……? く……っ! それは屈辱的だな」

 へらへらとした笑いを絶やさない、思い出すだけでどこか殺意を感じるような──少なくとも琉都はそうだと言うだけだが──顔を思い出し、琉都は“裁き”の切先を下げた。

 抜身の“裁き”を片手に持ったままで、ハイリガーはネーベルにもう片方の手を差し出す。

「あんなのにはなりたくないからなぁ…」

「あんなのって。失礼ですよ、さすがに」

 一応は全員が面識を持っていたりするのだが、エヴィル・クロイツと初めて遭遇した時に共に行動していた『彼』の事を、一行の中では『借金者』と呼んでいたりする。まあ一種のあだ名なのだが、そこにはいくら貸したか忘れまいとする思いも見られない訳ではない。

 とにかくその『彼』は、いつも確信して悪事を働く悪癖があったようなのだ。アルゼはその事を思い出して、琉都を嗾けたわけである。

『あのお、琉都? 今手を放したら、オレ達、谷底に真っ逆さまなんだぜ?』

 しかし差し出された手を掴めないのでは、意味はあまり無い。ハイリガーは慎重にネーベルの手を掴むと、一気に山頂まで引っ張り上げた。




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 仙占 雷鳳は独り、毒ガス地帯の中で、待っていた。

 いや、独りと言うのは不適切な単語である。

 彼の<宿縁>である歌姫──魅鳳(ミトリ)という名前だ──も居るし、何より彼の乗機は“生きて”いる。

「雷鳳様」

 魅鳳に呼ばれ、雷鳳は振り向かずに「何かな」と答える。魅鳳は少し迷ったようにした後、覚悟を決めたように

「ハイリガー・クロイツ=フリューゲルを発見致しました」

「うん。ありがとうね、魅鳳。…戦闘起動の準備はしておいて」

 雷鳳は蒼眼と二眼に鋭いが剣呑な光を宿しながら、ハイリガーがやってくるのとは全く別の方角を睨む。

 だが安堵したようにため息を一つつくと、アストラル・クロイツ=ガイストに方向転換するよう指示を下した。アストラルは不服そうに重低音で“嘶き”ながらも、渋々と言った動きで方向転換する。

「今日は機嫌が悪い様ですね」

 と、コクピットの内壁を撫でながら魅鳳。

「わかりきっている事は言わなくてもいいよ、魅鳳」

 と、諦めたような顔で雷鳳。

──ヴルルルルル…

 馬が嘶くような声で“生きた絶対奏甲”は不機嫌さを示し、ついでに“自分の意志で”サイスを振り回した。



 それから15分ほど後。


『だからよぉ。オレはやっぱ一人乗りの空間に若い男女が収まるってのは、一種のリスクを伴うと思うぜ?』

「いや、しかしリターンもあるじゃないか」

『……ルィ姉の胸が大きすぎて窒息しそ……』

 三者三様の意見を言いながら、もちろん索敵は怠らずに3機の絶対奏甲が毒ガスを割って歩いていた。

 言わずもがな、ハイリガー・クロイツ=フリューゲル、シャッテンナハト、ネーベル・レーゲンボーゲンの3機である。

 ハイリガーのクロイツフィールドはどうやら毒ガスもある程度は防ぐらしく、球状に毒ガスが界面を形作っているためフィールド半径が視認できる。どうやらおおよそ半径7ザイル程度が有効半径のようだ。

 不意に違和感を感じて、琉都はハイリガーに歩みを止めさせた。他の2機も少し遅れて歩みを止め、ハイリガーの方を振り向いている。

「…エヴィルの時と似た違和感だ…」

 威圧感とは少し違う、ただ気配とも言うべき違和感を感じながら、琉都はぼそりと呟いた。

「アストラル?」

「…いや、わからない。索敵してみてくれ」

「はい」

 クゥリスが歌を織ると、それに呼応するようにコクピットの幻糸が淡く発光する。琉都は幻想的なその光を眺めながら、それとなく違和感に抵抗していた。

 しばらくの後に、歌が終わる。

「あっちです。幻糸の乱れは全部、空中でだけ起きてますけど」

 クゥリスが指差したのは、一行が向かっている方向だった。

「よし、ナビゲート頼むぞ…。アルゼ、ソフィア」

『ん?』

『何?』

 反応がある事を確認して、琉都はハイリガーのアークウィングを展開する。

「ちょっと先に行くけど、急いで追いかける必要は無い。ゆっくり来てくれ」

『施設は潰すんじゃねえぜ』

 アルゼの皮肉に微苦笑で答え、琉都はハイリガーを空中へと浮き上がらせた。クゥリスが指差す方向に機体を向け、アークウィングを羽ばたかせると、ハイリガーは通常起動なりに高速度で低高度を飛翔する。

 アルゼとソフィアはそれを見送り、互いにつまらなさそうに奏甲の顔を見合わせた。

『琉都兄ぃってさ。クロイツ関連は一人で抱え込んでるよね』

『正確にはクゥリスと琉都の二人でだぜ…それでもオレらは蚊帳の外。仲間じゃねえのか?』

『あ、そう言えば琥露鬼さんはどうしたのよ。アルゼ、知らない?』

『んな事知るかよ。そう言うアメルダは知らねえのか…』

『ああ、琥露鬼さんなら残るって言ってたねえ。ワタシらだけで先に行ってろ、って言ってたよ』

『わたしもそれ聞いたよー』

『オレらが蚊帳の外か。……やるせねぇな……』




 ハイリガー・クロイツ=フリューゲルは毒ガスで視界が狭い中、低空飛行するには危険なほどの速度で飛翔していた。立ち枯れた木を避けながら、琉都は巧みにアークウィングを使いこなす。

 クゥリスも時々幻糸の乱れを見失いながらも、方向転換の指示を出すタイミングはぴったり一致している。

「あっちです」

 琉都はクゥリスの指差した方向に機体を旋回させるべく、立ち枯れた木を奏甲の片手で掴んだ。べぎっ、と枯れ木は折れてしまうが、琉都はその枯れ木を軸にして上手く方向転換する。

 しばらくすると、また違和感が強くなってきた。琉都は紅眼を開いてステータスモニターを確認し、付近にクロイツが居るかどうかを確認する。

 ステータスモニターでは幾つかのアイコン(ほとんどローマ数字のアイコンだ)が点滅していたが、その中で鬼火を纏った十字架のアイコンだけは明るく点灯していた。

「クゥ、戦闘起動、行けるか?」

 戦闘への緊張感からか、琉都は幾らか固い表情でそう訊ねる。

「はいっ」

 普段通りとは行かなくても、それなりに元気な返事をクゥリスは返した。

 間もなくして狭いコクピットの中にクゥリスの歌が満ち、機体周辺の幻糸は紡がれてアークドライヴへ流入する。ハイリガーのモノアイに鋭い眼光が宿り、全身の出力上昇をステータスモニターが示した。

 ハイリガーの高度を少し上昇させ、琉都はさらに加速をかけた。




「来ました、雷鳳様」

 魅鳳は少々緊張した面持ちでそう言い、雷鳳の返事を待つ。

 雷鳳は何かを銅製の水筒から飲んでいたが、魅鳳の声に気付いたようだ。一つ頷くと

「戦闘起動。そうだね、今回は敏捷さに重点を置いてくれるかな」

「はい。承りました」

 ゆっくりと小さく歌を紡ぎ、まず生体炉と呼ばれるアストラルの自我を宥める。その次にアップテンポに歌い始め、アークドライヴに活性幻糸を送り込んだ。

 それが心地よいのか、アストラルは気持ちよさそうに嘶く。

「さあ、琉都君…。君の本気は知っているけど、今度は前みたいに行かないかもしれないよ…」

 雷鳳は一人そう呟くと、アストラルを毒ガスの薄い所まで上昇させた。




 琉都は違和感の元凶を察知し、チャージし終え宝玉輝いている“裁き”を順手に持ち直した。アークウィングの幻糸流発生方向を下方向のみにし、ハイリガーは垂直に空中を駆け上る。

 毒ガスの霧を抜ける頃、一度だけ見たシルエットが上空に見えてきた。

「…やっぱり…」

 琉都はうんざりしたように呟くと、機体をきりもみ回転させながらそれに相対する。

『やあ、久しぶりだね、琉都君』

 以前聞いた事のある、やけに優しげな声。琉都はアストラルの頭に雷鳳の女のようなマスクをダブらせながら、思いっきり皮肉に

「遭いたくなかったけどな」

 と言ってやった。

 アストラルがやれやれと肩をすくめたのが見え、琉都はハイリガーに“裁き”を握りしめさせる。

『それは酷いよ、琉都君。僕は君に会いたくてここまで来たんだから…』

「一部の人々に誤解を与えそうな言い方はヤメロ…。 それに正しくは、俺を倒したくて、だろ?」

 しばらくの間。琉都はこの隙に、アストラルの事を観察した。

 子供のような寸詰まりシルエットに、有機的なライン。絶対奏甲としての骨格は残しているものの、それでもどこかブレ○パワ○ドというアニメの“生体機械な抗体(の英訳)”を思い出させる。武器こそデスサイスだが、違う武器を持たせたら本当に“生体機械な抗体(の英訳)”で通るのではないだろうか。

『わかってるじゃないか。まあ、もっと正しく言えば、君を殺すべくしてと言おうかな。三眼族の掟では“死んだ時が真の敗北”だから──』

──ヴンッ

 羽虫が耳元で羽ばたいたような音を残し、アストラルの姿はハイリガーの視界から消えた。その刹那、琉都はハイリガーの眼前に“裁き”を突き上げる。その刃にサイスが引っかかった。

『──死んで欲しいんだ。僕が三願の三眼になるためにも』

 ハイリガーの背後にジャンプアウトしたアストラルが、サイスで喉を掻っ切ろうと狙っていたのだ。

「冗談じゃない」

 琉都は“裁き”の切先を僅かに自分側に傾け、ハイリガーの肩から先の関節を一時的に全てロックする。

『でも、今のままだと死ぬよ。 …ほら』

──シャッ!

 アストラルがサイスを引っ張った。

 僅かにアークウィングがアストラルのボディに押し付けられた瞬間、琉都は意図的にアークウィングの機能を停止させた。揚力を失ったハイリガーは、サイスの刃が“裁き”の刃を滑るように動いてしまった事で、初速自由落下以上の速度で落下する。

 毒の霧が濃くなる頃を見計らって琉都は肩から先の腕の関節のロックを外し、アークウィングの機能を無理矢理にほぼ一瞬で再起動させた。

──きぃぃぃっっ!

 車が急ブレーキを踏んだような音を立て、ハイリガーのアークウィングは大気中の幻糸をしっかりと掴み直す。

「クゥ。大丈夫か?」

 不意に大きな加速と減速を行ったがために、琉都自身にも過大な負荷がかかったにもかかわらず、まずクゥリスの心配をする。

(えぇ…ちょっと頭をぶつけましたけど、大丈夫だと思います)

 歌っている最中なので口が使えないため、クゥリスは思念を使ってそう伝えた。

 おでこの辺りを軽くさすりながらだが、軽くコブになっているので大丈夫だろう──一般に頭部損傷はコブができない場合の方が怖いと言われている。

 ハイリガーは“裁き”をもう一度しっかりと握り直すと、たった一回羽ばたくだけで元の高度に復帰する。アストラルはその場に居るままで、特に動こうとはしていない。

「殺そうと思ってるんだよな。…だったら、殺される覚悟もできてるんだろうな!」

 琉都はそう叫びつつ、ハイリガーをアストラルに向けて突進させた。“裁き”の切先は、真っ直ぐにアストラルのコクピットに向けられている。

 アストラルは一瞬だけタイムラグがあったものの、アークゼロシフト(AZS)を使いその突撃を紙一重で回避する。そしてもう一瞬のタイムラグをあけて、サイスを振りかざして襲い掛かってきた。

 ハイリガーはその攻撃を難なく“裁き”で受け止める。

『もちろんだよ! 僕ら三眼族にとっては、戦いは常に命懸けでなければいけないからね!』

 雷鳳のその叫びに呼応するように、アストラルのモノアイが光を強く宿す。

 サイスと剣の鍔迫り合いは剣の方が有利に運んでいたが、アストラルの眼光が強くなると今度はサイスが力任せに押しはじめた。

──ッギィンッ!

──ィィィィィイイイイインッ!!

 辛うじてハイリガーがサイスを押し返すとほぼ同時に、フィールドの色が赤く変わる。もう既に何度か見た変化なので、琉都は落ち着いてまた“裁き”を構えた。

『な……何なんだい、この変化は!?』

 困惑したように雷鳳が騒ぐ。琉都はため息を一つつくと、その懐に飛び込みながら

「クロイツ同士が共振したのさ。フィールドの出力上昇、ドライヴの出力上昇──クロイツ同士でしか争えないようになる、一種の制限なんじゃないかと思うが」

 と答え、素早く“裁き”を頭めがけて振り上げた。アストラルは軽く後退してその刃を躱し、返す刃はAZSで大きく間合いを広げて躱す。

『くそ…空中戦ではこちらの方が不利か! 魅鳳、アレを行くぞ!』

 はい!と雷鳳の<宿縁>の歌姫──魅鳳が返事を返した。

 アストラルは機体を地面と水平に倒し、その両手を地面に向ける。

 伸ばした両腕の間で、幻糸がちかちかと輝いた。ハイリガーはそれを見て取って大きく後退り、様子をうかがう。

 幻糸のちかちかに重なるように、神秘的な虹色の輝きが現われた。

『“Arc Extension”!』

──ドッ……!

 両腕を砲身にしたかのように、幻糸ともう一つの“何か”の輝きが地面に一直線に伸びる。それは毒の霧に突き刺さり、次の瞬間、音も光も伴わずに枯れ木と毒をその場から吹き飛ばした。

 アストラルはそれを見て取ると、さらに機体を傾けて頭から地面に向かう。

「くっ…! クゥ、しっかり掴まってろよ!」

(え?)

 ハイリガーは空中で一度膝を曲げ足の裏を軸に頭を地面に向けると、ジャンプするように足を伸ばすと同時に大砲の弾のように地面目掛けて飛翔を始めた。アークウィングに掴まりきらずに周囲の幻糸は発光しながら、ハイリガーの“落ち”た跡をまるで流星の尾のように伸びる。

 内部に居る者達にはこの“落下”も大した影響を与えた訳ではないのは、どうやら試作クロイツのコクピットには慣性緩和が働いているかららしい。何も無しであれば全身骨折しながら床──いや、天井か?──に張り付いていそうな加速度が加わっているのだ。

 アストラルは落下寸前にAZSを発動させて落下速度を0にするという曲芸を披露し、今までの流星の如き落下が嘘であったかのようにふわりと着地する。

 ハイリガーはそんな真似ができないので、仕方無しにそれなりの高度で機首を持ち上げ、アークウィングとエアブレーキを利用して速度を落とした。それでも速度を殺しきれず、着地時に地震のような衝撃を起こす。

 衝撃に踏鞴を踏みながらも、ハイリガーはどうにかその場で止まった。“裁き”を構え直すと同時に琉都はハイリガーに瞬動の足構えをさせる。

『…おや、琉都君。縮地を覚えたのかい?』

 そう訊ねながらも、アストラルはしっかりサイスを構え直している。

「いや、瞬動だ」

 琉都がそう返事をしてやると同時に、ハイリガーは大地を強く蹴った。

 刹那、アストラルの視界からハイリガーの姿は消える。

──ヴゥン!

 と、アストラルとハイリガーの間の空間が歪んだ。

 雷鳳はステータスモニターの中の逆十字のアイコンが強く点灯したのに気付き、チッ、と舌打ちして後退する。

──ズガンッ!

 実体化した何かに、高速移動中のハイリガーはショルダータックルをしてしまった。タックルをかますために走って(正確には一歩で間合いを詰めようと地面すれすれに跳躍)いた訳ではないので、ハイリガーはバンランスを崩して地面に倒れてしまう。

「……っつ……」

(りゅ、琉都さん! エ、エヴィ、エビ…)

「海老がどうした? …って、エヴィル・クロイツ=トゥルー!?」

 こんな会話があったのを知ってか知らずしてか、エヴィルが首だけをハイリガーの方に向けた。またクリムゾンかと琉都が身構えた瞬間。

『アハトーっ』

 まだ幼い──クゥリスと同い年ではあるが──感じの声が、<ケーブル>越しに聞こえてきた。

「れ、レイ!? 何でエヴィルに!?」

『んとねぇ。クシェウに貸してもらったんだよ、人格強制書換は発生しないんだって』

 何とも場に不似合いな声だな、と雷鳳も琉都も思った。

 レイはやっと気付いたのか、アストラルの方に首を戻す。体はずっとアストラルの方を向いていたのだが、どうやらレイの目には今先ほどまでアハト(つまり琉都)の乗っているハイリガーしか見えていなかったようだ。

『…わたしのアハトに何したの…?』

『わたしの、って…君は琉都君の何なんだい?』

 雷鳳に訊ねられ、レイはしばし黙った。そして

『琉都…とは、知り合い。でもアハトとは恋人同士☆』

(むぅ。やっぱりその座は譲る気が無いみたいですね…)

 やるなお主、とクゥリスが言った(?)のを聞き、琉都は頭を抱えた。曰く、面倒な事になりそうだ、と。

 しばし三竦み状態が続くが、アストラルの劣勢はほ確実である。

『やれやれ…。琉都君、今日は邪魔が入ったけど、次はちゃんと決着をつけよう』

「俺が勝つけどな。ははっ」

 そうかい、と呟くと、雷鳳はアストラルのAZS機能でどこかへ行ってしまった。




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 1時間ほどレイの相手をして足止めをくらった後、ハイリガーはネーベルらと合流した。

 だがその頃にはエヴィルもAZSで帰ってしまっており、クゥリス以外は「何故こんなに疲れた声を?」と疑問に思ったようだ。

「とにかく──」

 琉都は主にアルゼとアメルダの尋問を避けるべく、無理矢理に話題を切り替えた。

「──ここから数分の所に例の施設はあるらしい」

『おいおい…どこからそんな情報を手に入れたんだ? 胡散臭すぎだぜ?』

『あ、でも場所は正しいよ。そんなに遠くないし…。まさか琉都兄ぃ、一人で壊滅させたとかしてないよね?』

 冗談半分のソフィアの言葉に琉都は無理矢理笑い、さあ行こうと他の2機を促した。




 数分後。


「なあ」

「ん?」

「間抜けな格好じゃねえか、これ」

「そうでもないし、仕方ないだろ。確かに女性には辛いかもしれないけど──」

 そこまで言うと、やっと女子メンバーが更衣室から出てきた。

 更衣室だけは毒素浄化施設が存在しているのだが、他の場所では嫌でも防毒服を着込む必要がある。それ故に奏甲で直に乗り込める、特殊な作りになっている。

 二重扉が開いて出てきたのは、琉都とアルゼが着ているいかにも性能重視的な防毒服ではなく、もっとデザイン的に優れた防毒服を着込んだ4人の姿だった。

「──をい」

「な、間抜けじゃねえか」

 アルゼは琉都のガスマスクを軽く叩いた。着ている服そのものは外宇宙活動の宇宙服に似ているが、顔だけはオーソドックスなガスマスク──長い浄化管が口部分にあり目の部分にはガラスがはってある──を着けているのである。

 それに比べて女性用は服も肉体にフィットしており、背中の空気清浄ユニットから供給される空気をヘルメット内で使えるような、ちょっとカッコいい物であった。

 明らかな男性蔑視をされたような思いで、アルゼはアメルダに歩み寄る。

「…をいこら」

「あ、アルゼじゃないの。…何よそれ…っ…ぷぷ…」

 何が可笑しいのか、アメルダは必死に笑うのをこらえている。それも仕方ないだろうが、笑われる側としては全く心外でしかない。

 とりあえずアルゼはヘルメットを軽く叩いてから、ガスマスクをヘルメットに押し付けガラス越しにアメルダの目を睨み付ける。

「何が可笑しい」

「む、むしろ怖いわよ……」

 アメルダが一歩下がるが、アルゼは一歩前進する。結局は距離も変わっていない。

 そういう事を何回か繰り返した後、アメルダの背後に壁が立ち塞がった。アメルダは心なしかアルゼの目が血走っているように思った。

 と。

「おーい。アルゼ、アメルダ、置いてくぞー?」

「ん? おーぅ、わかった」

 琉都に呼ばれ、アルゼはあっさりとアメルダを追いつめるのを止める。そしてだぼだぼの防毒服で走っていくのを見て、アメルダはヘルメット内でため息をひとつついてからアルゼの後を追った。



〜〜トーテス・タール隠し工房、設計図保管所〜〜


アルゼ:「これは旧型か?」

ルィニア:「そうさねえ。こっちにあるのは全部そうみたいだよ」

ソフィア:「ルィ姉ぇ、これはー?」

ルィニア:「それはクロイツじゃないみたいさね。…ふうん、内部奏甲と外骨格を別々に作ってあるのかい…」

クゥリス:「これはどうですか?」

ルィニア:「それはシャルラッハロート・ツヴァイのさねえ」

アルゼ:「…こっちは奏甲用の武器みたいだぜー。幻糸砲とか、アークブレードとか、幻糸兵器のばっかだ」

ルィニア:「……なんでわかるんだい?」

アルゼ:「だって書いてあるぜェ?」

ルィニア:「………」

アメルダ:「面倒ねぇっ! もう、こんな所全部吹き飛ばしちゃえばいいのよっ! キーッ!」

アルゼ:「おい、アメルダ、ヒステリーを起こすな。 それにふっ飛ばすって言ったって、まさかお前、自前の爆薬を使うんじゃねえだろうなぁ…」

アメルダ:「当たり前でしょ」

アルゼ:「馬鹿か! ンな事すりゃあ、この辺りのガスは弱い引火性もある! オレらも吹っ飛ぶぜ!?」

琉都:「…なあ、クゥ。歌術ではどうにもならないのか?」

クゥリス:「…なりませんねえ…」

ソフィア:「あ。 ルィ姉、これー」

ルィニア:「…どれどれ? …………。 ふぅむ…」

クゥリス:「どうしたんですか?」

ルィニア:「アタリだよ。偉いねぇ、ソフィア」

ソフィア:「てへへぇ」

アルゼ:「それと同じのを探しゃいいんだな?」

ルィニア:「そうも行かないだろうけど…まあ、奏甲ドックは後で潰しゃいいんだしねえ」

琉都:「じゃさっさと次──そうだな、作業員詰所に行くとするか」



〜〜トーテス・タール隠し工房、作業員詰所〜〜


クゥリス:「あのー…すみませーん。ちょっと聞きたいんですけど、クロイツ系機体って、誰が創っていらっしゃるんですかー?」

技師A:「ん? 自分だが?」

──バンッ!

アルゼ:「じゃあ、ちょっと来てもらうぜ?(蹴り飛ばしたために蝶番の吹っ飛んだ扉の向こう側からリヴォルバーを構えて)」

技師A:「!? 機奏英雄…! まさかお前ら、敵の手の者か!」

──パリーン

琉都:「そういう事になるのかな…。 ああ、そうそう。ちょっと遠くからもう一人、機奏英雄が狙撃体勢に入ってるから、残った人はここから出ないでくれよ(割れた窓から上半身だけ部屋の中へ)」

技師A:「く…っ! 万事休すとはこの事か…無念…(がっくりと肩を落とす)」

アルゼ:「時代劇が好きなのはわかったから、とっとと歩け。今丁度外で爆弾の好きなオレの<宿縁>がダイナマイトに火をつけようとしてやがんだぜ?」

技師A:「………(真っ青)」



〜〜トーテス・タール隠し工房、奏甲ドック〜〜


アルゼ:「動くんじゃねえぜ! たった今、ここはオレ達が占領したァ!」

技師B:「な…っっ! まさか、現世騎士団の回し者?!」

アルゼ:「違わぁボケぇっ!」

──ズガンッ!

──バリンッ!

琉都:「…アルゼ、お前かなり乗り気だな…」

アルゼ:「…だってこうでもしねーと、アメルダがいつ爆弾を大量に爆破するかと思うとやってらんねえぜ?」

技師A:「皆、逃げるがいいっ! ここは自分が引きう(ゴスッ)きゅう…」

琉都:「…クゥ、お前もか…」

クゥリス:「だって怖いんですもん…色々と」

琉都:「…ひっ!?」

アメルダ:「うふふふふ…さあ、派手な花火をやっちゃいましょーか…幻糸炉に誘爆して、ガスにも引火して…うふふふふふ…」

アルゼ:「あー…アメルダの奴、完全に向こう側にイッてやがるな…」

琉都:「傍観してないで止めろっ!」

ソフィア:「ルィ姉ぇ! それ違うって! それ普通の奏甲だから!」

ルィニア:「はぁ〜ん…。 やっぱり隠し工房で造るほどの奏甲だと、装甲板の触りごこちからして段違いさねぇ…」

ソフィア:「ルィ姉ぇってばぁ!」

クゥリス:「………琉都さん、あっちは止めなくていいんですか?」

琉都:「…ほっときゃ収まるし、命の危険は無いから、別に構わないし」

アメルダ:「うふふふふふふ…」

アルゼ:「うぉい、こら、アメルダ! 戻って来ーいっ!」




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 後日談ではあるが。

 色々とあったが、一行は塔からは何も(正確には罠以外は)発見できず、隠し工房からかっぱらった奏甲用のリヤカーだけをひいてゼンタルフェルドシュタッドに戻ったとか。


「くたびれ損の骨折り儲け、たぁこの事だぜ…」

「そうだな…」

「わたし、活躍の場が無かったし…」


 夕日を眺めながら、三人の機奏英雄はとことんまで落ち込んだとか。