無題迷話

第参章 七話






 湖の街、ゼンタルフェルドシュタッドの工房は、今日も平和であった。

 湖から吹く風が涼しいため、普通ならば熱気のこもるはずの工房にも、涼しげな風が吹き抜けて行く。

──チリィィィン…

 風鈴が鳴り、さらに涼しさを演出してくれる。

 琉都は自分がここに風鈴を持ち込んだのかと思ったが、訊ねてみれば土産屋でも売っているのだとか。


 涼しげに鳴り響く風鈴の音を聞きながら、琉都は湖の方をボーっと見ていた。

 ふと振り返ってみれば、何時の間にかアルゼが立っていた。左腕の蟲化が進んでいるため、今やギプスのような物をしていても時々無意味に動く事がある。首筋にも小さな紋様が浮かんでいるが、もう隠しようが無いので放って置いてある。

「なあ、琉都」

 真面目腐った顔でそう声をかけ、アルゼが琉都の隣の古タイヤに腰掛けた。

「どうした?」

 湖から視線を離し、アルゼの目を見る。そしてその青含みの黒瞳が、やけに真面目で真っ直ぐな事に気付く。

 目つきが悪いために悪人面などと言われるが、真面目にしていると余計に悪人面になるのだなあ、と琉都は思った。

「オレ、白銀陣営に入ろうかと思う」

「…はぁ!?」

 思わず声が裏返ってしまう。

「何で!?」

 アルゼは、うん、と意味ありげに頷くと、遠い目で北の方を見た。そして

「まあ、オレにも色々と思う所はあって…。 普通なら黄金陣営に荷担するのが妥当な線なんだろうが、歌術は便利だ」

「まあ、否定はできないな。…それで?」

 肯定し、琉都は先を促す。

「ああ。だから歌術の力を残しつつ、奇声蟲になる事だけを排除する手段を知っていて、白銀は反乱をおこしたんじゃないかと思うぜ」

 アルゼはかなり本気で言っているようだ。嘘偽り無く本当に思っている事を言っているのか、琉都はそう言った嘘吐きに独特の『気』を全く感じ取れないでいる。

「…アルゼは、それでいいんだな?」

「ああ」

「アメルダは?」

 いや、とアルゼは首を横に振った。

「まだ言ってないぜ」

「そうか…」

 呟くと、琉都は不意に立ち上がった。そしてアルゼの首根っこを掴むと、何処かへと引きずって行こうとする。

「おい! 何しようとしてやがる!」

 アルゼはどうにかその手を打ち払って立ち上がった。

 琉都はさも当然の如く、落ち着いた様子で

「いや、んじゃ今からアメルダに聞きに行こうじゃないか、と思っただけだ」

「……冗談じゃねえぜ……」

 本当に畏れている事を言われたかのように、アルゼは半笑いかつ顔面蒼白になる。そして逃げだそうと後退りしかけた。

 刹那。

 琉都に左手を引っ掴まれ、嫌が応にも脱走と言う選択肢を奪われる。

「さー、んじゃちゃっちゃと行こうかー。一緒に行ってやるから心配すんなよ」

 そう言うが早いか、アメルダが火薬の調合をしているであろう工房の弾薬室に向かう。

 アルゼはもちろん逃げ出そうとしているが、鉄骨ブーツや仕込み武器の重さの分で琉都の方がウェイトで勝っていたらしい。逃げようと文字通り足掻くのだが、立ったままずるずると引きずられて行く。

「嫌だぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 なりふり構わず叫びながらもアルゼは琉都に引きずられ、工房の奥へと行ってしまった。




「白銀陣営に行く、ですって!?」

 アメルダは思わず液体硝酸エステル(通称ニトログリセリン)の入った試験管を取り落としそうになり、慌ててしっかりと持ち直した。その試験管を試験管立てに戻し、普段服の上に白衣を着た格好のまま、アメルダはアルゼの尋問を始める。

 何気なく片手に「トマホォォク! ブゥゥメラン!」を持っていたりもするのだが、これは普段ならばある意味で火薬を使われるよりも恐ろしい。しかし今は周囲全てが火薬と弾薬なので、引火しないようアメルダなりに注意したのだろう。

「どういう事よ、私は何も聞いてないわよ!」

「いや、その、えっとだな。…まだ何も言ってねえぜ!?」

 なにか言われる前にと言わんばかりに得物を振り上げていたアメルダに、アルゼはまるで下戸が侍にすがりつくようにして懇願する。

「何か言われる前に、さっさと片付けた方がよさそうだからよ。…で? 辞世の句は?」

 本気なのだろうか、笑顔の薄皮一枚下で吹雪いている。

 アルゼは顔面蒼白どころか顔面土色になって震え上がり、琉都の方に救いを求めるような視線を送っていた。

 琉都はあえて無視し、袍の袖内でなにかごそごそしていた。

「白銀陣営に行けばアメルダの取り柄でもある歌術を損なわずに蟲化を解除できるのでは無いかと思いありおりはべりいまそがりそうろうでござる」

 語尾がとてつもなく変になりながらも、アルゼはとりあえず言うべき事を言ってのける。

──ごしゃーん

「今、何て…」

 アメルダは思わず得物を取り落として、アルゼに詰め寄った。

「ありおりはべりいまそがりそうろうでござる」

 もう混乱しているのか、詰め寄られたアルゼは平伏しながらそう奏上する。

「そっちじゃなくて。もっと前よ…」

「白銀陣営に行けばアメルダの取り柄でもある歌術を損なわずに──」

「ストップ!」

 アメルダに止められ、アルゼはまるでテープレコーダーの一時停止のように口を止めた。

「私の取り柄が歌術だけ、ですって?」

 薄皮一枚が剥がれ、吹雪いている部分がむき出しになる。アルゼは早くもその寒気に当てられたのか、もう肌の色が生きている人間とは思えなくなってしまっていた。

 ぐわしっ、とアルゼの顎を引っ掴み、アメルダは額をつきあわせる。

「私に何があるか、暗唱してみなさい!」

「はっ、はひっ!? えー…び、美貌と、知力と、親の財産と、火力と、歌力……ハッ!」

「そうよ。私には歌以外にもあるのよ! 誰が歌術だけが取り柄、ですって…?」

 ずごごごごごご、と雪崩れているような効果音がどこからとも無く聞こえてくる。

「ご…ゴメンナサイ……」

 冷や汗だか脂汗だかよくわからない汗をたらたらと流しつつ、さらに平伏してアルゼは平謝りに謝る。

 どちらが主権を握っているのかがありありとわかる、非常にわかり易い図だ。

 しばらくはそう思って傍観していたのだが、それだけが自分の役割ではない事を思い出して、琉都はぽんとアメルダの肩に手を置いた。

「何よ」

 くるぅり、と振り向くアメルダ。その形相はまるで

「…般若…じゃなくて。 アメルダ、論点がずれてるぞ」

「…あ」

「あ、って…その程度なのか、オレ…」

 自分でも言われなければ気付かなかったにも関わらず、アルゼは思いっきり沈んでいたりする。アメルダはしばし言葉に迷っていたようだが、意味も無くアルゼを張っ倒してから意味も無い高笑い。

「おーっほっほっほっほ! …って、本当に意味無いわねぇ」

 ちょっと自分でも呆れたのか、しばし沈黙するアメルダ。

 それを見ていて琉都は凄まじい不安を感じたりもするが、今まで成り立っていたのだから問題無いだろうと割り切ってしまう。

「んで。論点を戻すと…どこだっけ?」

「どこだっけ、じゃねえぜ? オレらの未来を定める一大事じゃねえか」

 ぽむ、と手を打つ。

「なるほど。んじゃ結論を言うと、このままの状態を続けてアルゼが蟲になるか、白銀側に行って僅かな希望に賭けてみるか、黄金陣営に行って幻糸を消滅させる手伝いをするか。この三択だ」

「で、オレは白銀陣営に行きたい。本当に後々の事を考えるなら、例え男が存在できない世界でも、幻糸は子孫のために遺すべきだぜ」

 琉都とアルゼが特に有している一種の信頼関係に物を言わせ、<宿縁>で深く結ばれたペアではないかくらいの息のぴったりさで言う。

 アメルダは髪をかき上げると、わざとらしいため息を一つついた。

「仕方ないわね…。私が選んでいいのかしら?」

「いや、黄金陣営はオレ抜きで行け」

 アルゼはそうはっきり言い切った。その言葉に驚いたのか、アメルダは「黄金」と言いかけた口をそのままの形で止める。

 もうそろそろ召喚のピークも過ぎ、歌姫が余っているはずも無い。そう考えればこれはアルゼが「反対されてもケーファにしか乗れなくても戦うぜ!」と言ったのとほぼ同意義であった。

 しばし考えた後アメルダは威張ったように腰に左手を置き、その大きくこそ無いが形の良い胸に右手を軽く当てる。

「いいわ、私もアルゼについてってあげる…例え黄金の姫様に楯突く事になっても、アルゼのせいにすれば万事解決だし」

 しばしの沈黙。アルゼは驚いたようにアメルダの顔を見上げ(まだ平伏していたのだ)て、次にがばっと立ち上がりその両手を手にとる──ついでにタッチしていたのを琉都は見逃していなかったが。

「本当だな!」

 普段からは考えられないほど真剣な眼差しで、アルゼはアメルダの事をしっかりと見つめた。

「え…えぇ。ここまで言われたら、誰だって同意するしかないわよ。……おーっほっほっほっほ!」

 口ではそう言っていたが、顔も目もそんな風には見えない。

 琉都はその内にある『気』を感じ取ると

「黄金の姫に敵対するのは一アーカイア人として忍びないがアルゼに悪いように思われたくない、と。なるほどな」

 などと全くデリカシーの欠片も無い事を言ってのける。

 アメルダは一瞬だけ赤くなったが、次の瞬間に青くなり、また赤くなる。まるで信号機だな、と現世人の二人は思ったが、次の瞬間。

──どがっべきっ!

「そ、そ、そそそそ、そんな事、ある訳ないでしょっ!! 私は、私の意思で、仕方ないから行くのよっ!!」

「「……サヨウデスカー……」」

 どこからか取り出した巨大ゴムハンマーで殴り倒された二人は、地面に倒れ伏しながら全く同時に思った。曰く、アメルダには絶対に逆らわない方がいい、と。






 乾いた音をたてて、レンチが装甲板の隙間に落ちて行く。

 琉都はそれをソフィアの頭上で掴み、ぽーい、と放ってルィニアの手の中に投げ戻した。

「白銀陣営だって!?」

「声がでかいぜ!」

「お前もだ、アルゼ」

 二重にツッコミが連鎖すると言う珍事が起きたのだが、ソフィアもルィニアも今はそんな事には構っていられなかったようだ。

 琉都がキャットウォークの階段を登って装甲板を篭手で軽く引っ掻いてみたりするだけの間を空けて、それからやっと意識が現実世界に復帰する。

「…何でそんな所に…奏甲いぢりができなくなるじゃない…」

「そこかよ」

 琉都がとりあえずツッコミを入れてみたりするが、当のルィニアはガクガクブルブルと震えながら何事かぶつぶつと呟いていた。そのままキャットウォークにぺたんと座り込み、脱力したように両手を垂らした。

「アルゼ…あんた、何を考えてるんだい…」

 メガネが絶妙な反射をしているため、ルィニアの表情は真下にいるソフィアからしか見えそうに無い。事実、アルゼはルィニアがどんな表情をしているのか読み取れなかった。

「何って…んじゃあ聞くけどよ。もし黄金側が勝てば幻糸は全て消えるんだぜ? そうなりゃ奏甲技師の存在ってのは、ただのガラクタ作りに成り下がっちまう」

「…!」

 何かに気付いたのか、ルィニアはぴくりと肩を動かした。鉄板張りの階段を登ってソフィアがキャットウォークを昇り終える頃、やっと復活する。

「優れた技術は、後世に残すべき…そうさね?」

「その通りだ。オレはそのためにも、歌術と言う技術体系を遺すためにも──他にも色々ある訳だが──白銀陣営で幻糸の存在を遺させる」

 アメルダに言った事をさらに拡大解釈し、ルィニアに都合のいいようにする。ただそれだけの事だが、彼女の賛同を得るには十分だったようだ。

 ルィニアはがばっと立ち上がると、背中に背負っていた巨大スパナをアルゼの鼻面に突きつける。

「行っといで! ワタシらにできる事なら、いつでも呼んでくれて構わないさね!」

「おう!」

 ガシン、とリヴォルバーの銃身をスパナに軽くぶつける。

 ふと思い出したようにソフィアが

「ルィ姉ぇ…。ね、わたしも陣営に行くって言い出したら──」

「冗談でも言わないでおくれよ」

 ルィニアは秒かからずに即答し、ソフィアをぎゅっと抱き留めた。

「…だいじょうぶだよ。だって、わたし、ルィ姉ぇが悲しくなるような事、したくないもん」

 そう言ってソフィアもルィニアを抱きしめかえす。

 何を感動したのか琉都は(涙は流れないにしろ)目尻を篭手の人差し指で拭った。そして一言

「美しき親子愛……」

──すこぉぉぉんっ!

「「誰が親子かぁっ!」」

──からーん…

 琉都の眉間に命中しキャットウォークに落ちた物を見れば、それはただの奏甲用のナットである。琉都はその威力で気絶してキャットウォークに倒れ、素人目に見れば死んでいるような状態になってしまっていた。

 アルゼはこの事を深く胸に刻み込み、絶対にルィニアに母親だの年増だの言わないでおこう、と固く誓ったのであった。




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 夜。


 ふうん、とその少女は聞いていたのか聞いていなかったのか微妙な調子で応える。

 彼女の名は、ピアス=クロウ。クシェウの代理として話を聞いてくれるそうであるが、そんな事ができるほどの人物にどうしても見えないのが難点であった。見た目の歳が16歳程度なのも要因の一つだろう。

 薄緑のかかった金髪に、円らなブラウンの瞳。見ていてどこか小鳥を思い出させる彼女は、自分の種族は半鳥人──ハーピィだと言っていた。

「じゃあ、白銀の姫さんに接触して、アルゼさんの行く所を確保しとけばいいのね」

「ああ。…頼めるか?」

 アルゼが訊ねるとピアスはとんと胸を(彼女もまた胸部に恵まれない者の一人だったが)叩き

「任せて! ピアを誰だと思ってるの? ピアは諜報部員であると同時に連絡役、それに情報操作員だよ? 白銀の姫に接触するくらいは就寝中にできるってば」

「…この喋りよう、まるで小鳥だぜ」

 アルゼのこの評価は正しい。ピアスはとにかくお喋りで、騒がしい事が好きなようだ。

「ぴ? だって、ピアは小鳥型だもん。仕方ないじゃん」

 つい小鳥(雀か?)のように鳴いてしまう癖もあるので、さらにその印象は強くインプットされたりする。

「……本当に大丈夫なんだろーな。オレは本当に、渇望してるんだぜ」

「ぴぃ! だいじょーぶ、だいじょーぶ! ピアに、お・ま・か・せ(はーと)。巨大な泥船に乗って揺られまくった気分でいてよ!」

「うわ。すっげ沈みそうな気がするし、船酔いするかもしれねえ…」

 確かに。それ以前にそんなに巨大な泥船は造るのが難しそうだが、浸水する以前に二つに割れる方が可能性としては高そうだ。

 だが当のピアスはそんな事を気に止めていないのか、ぱたぱたと地下へ走って行った。恐らく今すぐにでも接触するつもりなのだろう。

「……うー、心配だぜ……」

 アルゼは一人で心配しながら、手元のワインを一気に呷った。




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 甚平と言うのは風呂上りに心地よい衣だ。

 琉都は腰に手を当ててコーヒー牛乳を飲みながら、そんな事を考えていた。もちろん五百ミリリットルのビン物で、蓋は紙でできているヤツである。

 以前ここゼンタルフェルドシュタッドに来た時からずっと琉都は、ほとんど必ずと言っていいほど寝間着代わりに甚平を着ていた。まず通風性が良く涼しい事が一つ、動き易く人目に触れるのにあまり問題無い事が一つ、理由として挙げられる。

 コーヒー牛乳を飲み終えた琉都は空瓶をゴミ箱に投げ入れ、さっさと宿部分の自室に戻って行った。



 自室の扉を開けた琉都は、しばらく硬直した後、間違えたかなと呟きつつ扉を閉めた。

 ナンバープレートを確認し、自分の部屋番号と照らし合わせる。…間違い無いはずである。

 だというのに何故下着同然の──と言うか下着しか着ていないクゥリスが、よりにもよってこの部屋に一つしかない寝台に腰掛けていたのか。

 琉都は真面目に悩み、ついでに妄想し──もちろん自制したが(「何考えてるんだ俺! クゥはまだ14だろがっ!」)、しかし結局は考えるのを諦めた。事実は事実認めなければならない、と。

 もう一度ゆっくりと扉を開き、琉都は無意味にこっそりと部屋に入る。

「あ、琉都さん」

「……クゥ。 その格好は何だ?」

 いささか不機嫌そうに歩み寄りながら、琉都はクゥリスの事を指差す。訊ねられたクゥリス本人はそのまだまだ発展途上的な胸部──と言うより正確には心臓の辺りに手を当て、自分の格好を見る。

「琥露鬼さんがくれたんですけど…何か駄目でしたか?」

「いや…。 クゥが間違った所は無い…多分」

 絶対にわざとやってるぞあの腹黒猫は、と琉都は心の中で毒づいた。

 いつだったかクゥリスを焚き付けて本音を引き出させた事もあったし、それ以外にもいろいろとちょっかいを出してきている。琥露鬼の行動原理が全く読めないのは、そう言った面も一役買っているのだろう。

 どこへ行ったのか皆目見当のつかない琥露鬼に呪念を送る琉都に、クゥリスはさらに

「よかったぁ。じゃ、じゃあ、一緒に寝てもいいですか?」

 と訊ねる。

 琉都は今度は動きだけでなく呪念まで停止させられるような、様々な本能的欲望と理知的葛藤の渦のど真ん中に放り込まれた。

「……それは……琥露鬼の入れ知恵か……?」

「違います。私がそうしたいなあ、って思ったからですよ」

 そうかそうか、と呟きながら琉都はだんだん自分でも何を考えているのか分からなくなってきていた。混乱した頭を抱えつつ、倒れ込むように寝台に横になる。

 丁寧にランプの灯りを消してから、クゥリスもその隣に入り込んだ。

 真っ暗な中、背中あわせである。星明かりはあるのだが、まだそこまで目が暗闇に慣れてない。


 数分も経ったろうか。

「…琉都さん…」

「……んぁ?」

 もう今にも眠りそうな状況であったにも関わらず、クゥリスに呼ばれただけであっさりと目覚めた。まあ返事が微妙に間抜けなのは愛敬と言う事で許してやって欲しい。

 ごそごそと衣擦れの音。クゥリスが琉都の背中に抱きついたのだが、琉都は特には反応していなかった──目に見える所では。

 心の内に何故か沸き上がるよくわからない衝動を抑えるべく、琉都は理性を総動員していた。

「暑いんだが」

「いいじゃないですか…ちょっとくらい」

 そう言って、クゥリスはさらにぴったりと張り付くように抱きつく。

「この方が、琉都さんを感じられますし…」

「そう言う問題でなくて」

 琉都は特に抵抗する訳でもなく、しばしの沈黙を要したが、やっと自制しつつ

「痛い目を見てさらによくわからん段階を経て歌術を使えなくなりさらに苦しい思いをしたくないなら。ちょっと離れた方が吉ではないかと思ってみたりする」

「……よくわかんないんですけど」

「俺にもわからない」

「…………」

 だがクゥリスは離れようとしなかった。

 仕方無しに琉都は全理性を以って本能を抑えこみ、万が一にも事をおこさないよう何回も自分に言い聞かせる。

 しかしそれも無駄だったのだろうか。クゥリスはいともあっさりと爆弾発言をしてしまう。

「…私は…琉都さんならいいです…」

 消え入りそうな声ではあったが、至近距離であったために琉都は聞き逃せなかった。

「ちょっと待て。まるで何をするか知っている言い方のような気がするんだが、それは琥露鬼の入れ知恵か? 琥露鬼の入れ知恵だな?」

「ええ、まあ」

「…ハァ……“釈迦の掌”状態のような気もするなあ……」

 ぼそり、と呟き琉都は怨念を琥露鬼に送る事も忘れて呆れ返った。

 ちなみに釈迦の掌とは、古典の一つ西遊記で孫悟空が釈迦の掌から数万里飛んでも釈迦の掌から出られていなかった、と言う話から来た言葉だ。そこから転じて「どう足掻いても特定の人物の思う通りになる」状態の事を言うようになったのだとか。

「あの……」

「ん?」

「私じゃ、ダメなんですか…?」

 琉都、煩悩を抑えこむべくしばし沈黙。

「ダメと言うか、良心の呵責。 そうだな…クゥが16歳だったら、多分こんな押し問答してないで、押し倒してた」

「……後2年も待てませんよぉ……」

 さらなる煩悩を抑えこむべく、琉都はまたしばし沈黙する。

「今は我慢しろ。俺も我慢してんだから」

 クゥリス、しばし沈黙。

「じゃ、じゃあ…」

「ん?」

「──、くらいだったら……」

「何くらい、だって?」

「……キス…」

 琉都、またぶり返した煩悩を抑えこむべく沈黙。

「いや、今はやめとけ」

「何でですか!?」

「今されたら、抑圧できなくなって制御不能の暴走状態になりかねないから。 いや、それ以前にそれも琥露鬼の入れ知恵だろ?」

「違いますよぅ…」

 何故かまた沈黙する琉都。

「ま、まぁ、今日はもう遅いし。本当に黙って寝ろ」

「はい…」





 翌朝。どこまで行っちゃったのかしら、としつこく訊ねる琥露鬼を、琉都はほぼ問答無用で殴り飛ばしてしまっていた。