無題迷話

第参章 八話








 何と言う鳥なのだろうか。黄緑の混じった黄色い小鳥がアルゼの肩に止まり、ぴぃ、と可愛らしい声で鳴いた。驚いた事に人を怖れないらしく、ソフィアが手を伸ばしても逃げ出そうとはしない。

 琉都は親友との別れを実感したのか少し離れた場所で瞑想していたが、その鳴き声を聞いてすっくと立ち上がった。篭手を外しているが、包帯のような布を手に巻き付けてある。

「アルゼ」

「おう」

 短く言葉を交わし、互いに1歩程度の位置まで近付いた。そしてしばらく無言で見詰め合う。

 何をしているのかと女性陣が思いはじめた頃、二人はおもむろに拳を振りかぶった。

──べぎぃっ!!

 ほぼ同時に拳が炸裂し、避けもしない互いの顔面を真正面から捉える。しかも体重を乗せた拳だったので、痛いどころで済まないかもしれない。

「「えっ……何を!?」」

 クゥリスとアメルダがほぼ同じ事を同時に言う。

「「邪魔をするな!!」」

 アルゼと琉都は同時にそう叫ぶと、鏡象のように互いの顎にアッパーを打込んだ。無論ガードなどしないので、最大ダメージが与えられる。

 小鳥は何時の間にかソフィアの頭に移動していたようで、のんきに羽繕いなどしていたりする。だがソフィアの関心は、他の三人同様にアルゼと琉都の殴り合いに集中してしまっていた。

 ふらふらと数歩後退した所で、二人は申し合わせたように元の位置に戻る。たったの二発で足下がふらついていたが、全ての拳が顔面命中の上にノーガードとあっては仕方も無いだろう。

 二人は拳に全ての思いを込め、クロスカウンターを決めた──



 クロスカウンターの一撃でダブルK.O.となったアルゼと琉都は、工房前の地面に仰向けに倒れたまま己の<宿縁>に治療をしてもらっていた。鼻血と頬の痣と顎の痣だけでずいぶんと人相が変わってしまったが、二人とも何か晴れ晴れとしたような表情をしていた。

 無言のままにどちらが先と言う事も無くがっしと手と手を繋ぎ、仰向けに倒れたままで握手をする。

「…ありゃ一体何なんだい?」

 ルィニアが小声でソフィアに訊ねると、ソフィアは苦笑しながら

「わたし達女子にはわからない領域だよ……多分」

「………まあ、乱暴で粗雑だって事はよーっくわかったけどねえ……」

 ルィニアは深いため息をついた。

 治療が終わったのか、アルゼと琉都はむっくりと立ち上がると、全く一言も交わさずにすたすたと各々の場所──アルゼはネーベル・レーゲンボーゲンのコクピット、琉都は手近にあった石の上──に戻る。

「……。 アメルダ、ピアス。もう行くぜ」

「え、ええ…」

 少々戸惑いながらも肯くアメルダの肩に、小鳥が何時の間にか止まっていた。そう言えば羽音のような物が治療中にしていたような気もしないではないが、まさに神出鬼没とでも言うべきであろう。

 アルゼは小鳥を自分の肩に移し、アメルダをネーベルの牽引するリヤカーに乗せる。

 その時ふと思い出したように、ルィニアが声をかけた。

「アルゼ。 ネーベルのホバーシステムをちょっといじってスラスタユニットにしておいたからねえ、前を向いたままでの真横へのホバー移動も可能になってるよ。後、水晶板を設置して、索敵性能も上げたさね」

「あぁ…ありがとうな」

 普段よりかなり言葉少なに頷き、アルゼは黙ってネーベルのコクピットに入り込む。アメルダが通常起動用の短い歌術を紡ぐと、ネーベルの瞳にぼや─っとした光が宿る。

 アルゼが軽く念じると、ネーベルはゆったりとした動きで歩きはじめた。

「琉都さん。何も言わないんですか?」

 クゥリスが心配そうにそう訊ねるが、琉都は黙ったまま首を横に振り

「言うべき事は全部、たった三発の拳が伝えたし、伝わってきた」

「はぁ……」

 よくわからない、と言いたげにクゥリスは曖昧な返事をする。

 琉都は黙り込んだまま、ネーベルの牽引するリヤカーの中で何故かドナドナを歌っているアメルダと、ネーベルのコクピットに居るアルゼを見送った。




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 不意の来客というのは、常に何らかの形で歓迎できない事が多い。

 そう琉都も知ってはいたが、ここまで歓迎できないのも初めてだな、と思いっきり嫌そうな顔で出迎えてしまった。一方の出迎えられた側は琥露を抱きかかえたまま、フレンドリーな笑みをその女っぽい顔に貼り付けたまま固まってしまっていた。

 琥露が腕の中で一声鳴かなければ、そのまま琉都と雷鳳は永遠に睨み合いを続けていたかもしれない。互いの<宿縁>が安堵したように胸をなで下ろしたのは、殆ど同じタイミングだった。

「…よぉ、雷鳳。出張か?」

 思いっきり皮肉たっぷりに、琉都は己の紅い第三眼で雷鳳の蒼い第三眼を睨み付ける。低密度少量の『気』がぶつかり合い、非物理的かつ非歌術的な──霊的な火花が散った。

「ま、ペットお届けサービス、って所かな。でも意外だったね、琉都君が猫を飼ってたなんて」

 先ほどのフレンドリーな笑みとは違ってにやにやと笑みながら、雷鳳は突っ返すように琥露を琉都に押し付けた。琉都はそれに関しては大人しく受け取る。

 琥露をしっかりと抱きかかえながら琉都は、悲しそうに

「いや、俺らの方が飼い慣らされたような気がしてならないんだよ、この頃」

「へえ。琉都君らしいや」

 嘲うかのように雷鳳は蒼眼で紅眼を睨み付ける。今度は『気』のぶつかり合いはなく、互いに第三眼のみで睨み合う状況となった。

 琉都は琥露をクゥリスに渡すと、袍の袖に手を突っ込む。そこには暗器──つまり隠し武器が仕込まれているのだ。雷鳳もそれに気付いたのか、背中に背負っていたショートスピアの包みに手を伸ばす。

 今にも一触即発の空気が場に流れ、その場に運悪く居合わせるよりなかったクゥリスと魅鳳は思わず各々の得物に手を伸ばしていた。クゥリスの腰にはアルゼが買い出してくれた小太刀のようなダガーがあるし、魅鳳のホルスターには黒光りする鉄の塊──拳銃が収まっている。

 琉都は懐から何かをつかみ出し、雷鳳の目の前に握ったままの手を差し出す。

「まあ、そう固くなるな」

──ぽんっ

 手を開くと、手品の要領だったのだろうか、アーカイアの名花と名高い花の花束が琉都の手に載っていた。

 突然の出来事に雷鳳は思わずきょとんとしている。

「魅鳳、だったっけ? ほら」

 そう言って琉都は、雷鳳を無視して魅鳳に花束を押し付ける。

「…え? わたくしめにでございますか?」

 もちろん魅鳳は驚いて訊ねかえしてきたが、琉都は笑って肯いた。ちょっと困ったように雷鳳の事も見るが、雷鳳もは黙って頷く。

「琉都君。連れをナンパしないでもらいたいな」

 雷鳳はおどけるような調子で、琉都に軽口を叩く。琉都は肩を竦めながら、言い訳をするように

「た・だ・の! 親善の印だ。勘違いするな」

「…互いの<宿縁>に迷惑はかけないと言う意味でなんだね? だったら僕も何か送った方がよかったかな…」

 困ったように雷鳳はぽりぽりと髪を掻く。琉都は軽く笑いながら手を振って否定した。

「ええじゃないかよいよいっ、と。 俺は誰とでも──お前とでもなるべく戦わずに済むならそうしたいんで、いっつも仕込みだけはしてあるだけだ」

「なるほど。けど前も言ったよね、僕ら──少なくとも僕の行動目的は、琉都君を殺す事…」

 ここで雷鳳は鋭い眼光を琉都に向けるが、そう相手にされていないようだ。笑ってこそいないものの、幾らか穏やかな表情を雷鳳に向けている。

 琉都はふっと笑うと、すぐ隣に立っていたクゥリスの肩に手を回した。少し驚いたような表情をしているクゥリスをそのまま抱き寄せる。

「けど俺、クゥの彼氏だし。流石に片割れ置いて死ねないな」

「……なるほどね。じゃあそうなると、殺すのは迷惑をかけてしまいそうだし…。 そうだ、試合と言う事にはできないかい?」

「それは俺が言うべきセリフだろ。俺はあくまでも狙われる側だ───けどまあ、ここなら審判も居るしな。だろ、クシェウ?」

 そう言いながら振り向くと何時の間にか、漆黒の長髪を肩の高さで留めた燻し金の竜眼の青年が、いつ声をかけようかと戸惑っているように立っていた。

 背の丈で言えば雷鳳と琉都より少し高いくらいの、誰もがどこかで会ったような錯覚を覚える好青年。それ以上でもそれ以下でもない。それがこの男、クシェウ=ヘダイトだ。

 クシェウは困ったように苦笑すると、体重を反対側の足に移した。

「審判か?」

「ああ。伊達に鶴亀してないだろ?」

 まあな、とクシェウはやはり苦笑をたたえたままで肯く。

「あの…琉都さん?」

 クゥリスに呼ばれ、琉都は視線をそちらに向けた。

「何だ?」

「鶴亀、って何ですか?」

 しばしの間沈黙が場を支配する。

 ぽん、と手を叩いたのは琉都だった。そして物知り顔で

「鶴は千年亀は万年、って言って、現世じゃあ長生きの象徴だったのさ。亀の甲より年の功、って言うことわざもあるしな」

「へぇ…そうだったんですか」

「千年万年って、失敬な。せーぜー550年ちょいしか生きてないぞ、俺はまだ」

 憤慨したようにクシェウは反論する。人間から見れば550年だって驚異的な時間なのだが、どうやらクシェウらにはそうでも無いらしい。

 話についてこれてない雷鳳と魅鳳を余所目に、琉都とクシェウは何やら漫才を始めてしまっていた。




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 と言う訳で、とクシェウの声が湖の上に響き渡った。

 “無限光(アイン・ソフ・オウル)”の驚異の技術力を以って造られた決闘場は、なんとユヴェール湖の上に浮かんでいるのだ。もちろんすぐ組み立てられる組み立て式で、片付けもたったの1時間で済んでしまうらしい。

 名目上は「工房で暇に飽かせて故人が作り上げた物を“黒竜の酔拳亭”が買い取った」事になっているが、どうやら皆それで納得してしまっているらしかった。

 その決闘場の上で、琉都は隠し武器の一切を預けるために袍を着ずに立っていた。もちろん鉄骨ブーツも預けたが、篭手は着用を許可されている。

 上半身裸の琉都に対峙しているのは雷鳳だ。こちらも最低限の防具としてレザーアーマーを着用している以外、武具らしい武具は特に持っていない。

 しかし二人とも第三眼を人目に曝さないようにと言う配慮から、額にはバンダナを巻いた上にさらにヘッドギアを着けている。これなら観客席の一番前からでも、二人が三眼族であるとバレる危険性は無かった。

『聞いていたかー? 念のためにもう一度ルールを言うが、基本は『何でもあり』。ただし相手に致命傷を与えるような攻撃、瞬時に絶命させる攻撃、中枢神経系へのダメージがある攻撃、などは禁止だ』

 何故かレフリー姿のクシェウは周囲の観衆にも聞こえるよう、奏甲のエクスレンジ・オヴ・ヴォイス(通称EOV)と呼ばれるスピーカーに接続したマイクを使って喋っている。

 既にここに登る前に嫌と言うほど説明されていたのだが、念には念を入れて入れ過ぎるほどがいいと言う事らしい。

 正八角形のリングのすぐ近くに立っているクゥリスと魅鳳は心配そうな顔をしているが、クシェウは少し困ったように笑っただけですぐにアナウンスに戻る。

『それから、客席からの妨害があったり、リングが大破したり、その他何らかの継続に大きな支障が出る事態がおきた場合。もしくは命に関わる負傷をどちらかが負った場合は、その場で試合は一時中止だからな』

 もう一度、むさ苦しい現世騎士団の男どもが歓声を上げる。やはりこう言った事態が好きなのだろう。

『ただし、互いの歌姫が歌術でサポートを行ったりするのは構わない。タオルを投げる投げないも彼女次第──あんまり心配させるような闘いかたしてっとタオル負けするかもな?』

 そう言った途端、現世騎士団のむさ男から激しいブーイング。まあ圧倒的に数が少ないので、すぐに沈静化してしまったが。

 ブーイングの陰では、現世騎士団の反対側に陣取っているアーカイア人達──恐らくクシェウが呼び付けた自由民だろう──が拍手をしていたりもする。

 ちなみにそれ以外の観客の反応はまちまちで、あまり反応らしい反応があったとは言えない。小さな拍手と小さなブーイングが少しずつで、他は解説をしているか黙り込んでいるかのどちらかだ。

「…おい、雷鳳」

「何だい、琉都君」

「見世物になるってのは、何だか嫌な気分だな」

「そうかな。僕は君との決着を着けられる事の方が大きくて、嬉しくて仕方が無いんだけど」

 それは、と琉都が反論しようとするのに被さるような形で、EOVから別の声が聞こえてくる。


『あ。後、負けた側は勝った側の命令を何でも一つ聞かなくちゃならない、ってルールを追加させてよ』


「何ぃっ!?」

 思わず実況・解説席の方を見れば、そこには見慣れた顔が座っていた。

 実況:琥露鬼。

 解説:ソフィア、ルィニア

 何とも身内ばかりから選ばれたような人選だが、承諾してくれる人が彼女らしか居なかったのだそうだ。

 反論しようとする琉都を引き止め、クシェウはマイクを実況席の琥露鬼に投げ渡す。

「さ、戻れ。でないと不戦敗扱いにするぞ」

「うわ、酷。あんな事を言われた直後じゃあ、嫌でも闘わなきゃならないじゃないか」

「それが目的だよ、琉都君。あのルールは僕が提案したんだ──死なないからって逃げられたら、勝った意味が全く無くなっちゃうからね」

 なんとも文句を言いたいが、審判に楯突いて負けて無理を言われるのも嫌なので、琉都は渋々元の位置に戻る。

 クシェウは二人の間に入り込み、押し留めるように掌を琉都と雷鳳に向けた。

「レァディっ!!」

 そう叫び、クシェウは手を降ろして一歩後に下がる。琉都と雷鳳は身構え、互いに既に隙を探りはじめた。

「ファイっ!!」

──かーんっ!

 クシェウが腕をクロスさせた直後、実況席のソフィアが何故か楽しそうに笑顔をたたえたままでゴングを鳴らす。

 琉都は雷鳳が一歩踏み出した隙に、素早く瞬動を発動させた。事態を今一つ飲み込めない雷鳳の顎に、篭手を着けている拳の一撃が加えられる。


『おぉっと、開始直後に顎へのクリーン・ヒット! これは雷鳳選手、かなりダメージを食らったかもしれないわね!』


「んがぁんのっ!!」

 雷鳳は吠えるような気合と共に、床板を踏み砕かんとする勢いで地面に両足をつける。その時に肘鉄を食らわそうとしたが、琉都はすでにバックステップで間合いをとっており、次の一撃からは『気』を練りこむつもりなのか気功呼吸を始めていた。

 少しの間だけ雷鳳も気功呼吸をするが、ほんの数呼吸で琉都の数倍もの圧力と量の『気』を練りこんで蓄えている。本当の熟達者と初心者の違いは、この場合は『気』の質と量に顕著に現れているようだ。

 琉都もそれに気付いたのか、『気』を練りこむのを中止する。そしてまたも瞬動を発動させ、雷鳳の目の前まで一瞬で間合いを詰めてしまった。

「とあっっ!!」

「破っ!!」

 だが雷鳳はそれを想定済みだったのか、僅かに余裕を持って内気功──肉体を補助するための『気』の使い方──で強化された拳を繰り出す。

 内気功の使い方を知らない琉都は、呆気ないほど簡単にクゥリスの居る近くのコーナーポストまで吹き飛ばされてしまった。

「りゅっ、琉都さんっ! しっかりして下さいっ!」


『あら? 雷鳳選手も黙っちゃいなかった、強烈なストレートが琉都選手をコーナポストまで吹っ飛ばしたぁっ!』

『あれは痛いねー。琉都兄ぃ、ポストにぶつかる時はぜんっぜん受け身できてなかったもん。 …殴られた時は咄嗟に手でガードしてたけど』

『奏甲なら関節の一つや二つ、イカれちゃったかもしれないねえ』


 クゥリスの声に励まされたと言う訳でもないが、琉都は案外けろっとした顔でロープを掴んで立ち上がる。

「…むぅ。 まさか日本に居た頃にいじめられっ子だったのが、こんな所で役に立とうとは…まさに万事塞翁が馬だな」

 雷鳳に殴られた左頬を左手でさすりながら、琉都はそんな事をぼやきつつ瞬動を仕掛ける。その後ろではクゥリスが歌を紡ぎはじめた。

 魅鳳はクゥリスの歌を聞き止め、雷鳳を支援するための歌術を紡ぎはじめる。

 その歌声を聞いた雷鳳は、先ほどよりもよっぽど自信に満ちたような表情で、瞬動を使って後ろをとった琉都に向き合った。琉都は瞬動歩法を短い歩幅に切り替え、距離よりも小回りを優先させる。


『吹き飛ばされたのにピンピンしている琉都選手! それを機にしたようにクゥリスと魅鳳が互いに歌術を紡ぎはじめて…これは歌術合戦も同時進行なのかしらっ!?』

『ここは支援歌術で動きを補助して、より早い動きをした方がいいかもね。でもそこに気付いてるかなぁ…』

『……この旋律は二人とも…、ソウル・ソング──体力増強の歌さね。真っ正面からの殴り合いをしてもいいようにする気らしいねえ』


 琉都の攻撃を軽くいなす雷鳳と、攻撃をあしらわれ続ける琉都。

 二人ともそろそろ汗がふつふつと出てくる頃、二人の歌姫が紡いだ歌が同時に効力を発揮した。淡い幻糸の輝きが、組手のようにも見える闘いを繰り広げている二人を包み込む。

 まるで内側から力が湧いてくるような感覚を覚え、琉都は拳だけでなく掌と脚も攻撃に組み込む。だがそれは雷鳳も同じだったらしく、先ほどより数段不規則になった琉都の攻撃を、雷鳳はのらりくらりと躱し続けた。

「くそっ!」

 琉都が小さく悪態をついて後退しようとした瞬間、掌を鳩尾にあてがうようにして雷鳳が追い討ちをかける。軽く吹っ飛ばされながらも、琉都はクゥリスの居るコーナーポストまでバックステップで戻った。


『琉都選手、そろそろ本格的にサポートを頼むつもりらしいわね。歌姫の所まで戻って、何かこそこそと耳打ちをしてるわよ。 一方の雷鳳選手は余裕綽々。…え? 「バナナはおやつに入りますか?」…って、すっごい余裕ねぇ…』

『これは雷鳳が一方的に有利な位置に立ってるよ。精神的にも、実力では自分が上だと思ってるから余裕があるし』

『…ところで、バナナって何さね?』


「……と言うわけで、その歌をよろしく」

「は、はいっ!」

 返事を聞くか聞かぬかの内に、琉都は瞬動を使わずに走って雷鳳に近付く。

 クゥリスがすぐに歌を紡ぎ始め、その後を追うようにして魅鳳も歌を紡ぎはじめた。しかし魅鳳が同じ歌術を歌い始めるのを確認してから、クゥリスは一度歌うのを止めてもう一度初めから仕切り直す。

 雷鳳は無駄な動きをせずにじっと待っていたが、体当り同然の攻撃を仕掛けようとした琉都の顔面に掌を当ててきた。

 鼻面を思いっきり引っ叩かれたのと同じようなダメージを受け、琉都は軽く仰け反りながらも雷鳳の懐に無理矢理滑り込む。

 雷鳳が慌てずに迎撃しようと繰り出す攻撃は、有効半径外であったために琉都には大したダメージとはなり得ていないようだ。篭手で粗方の攻撃を捌きつつ、琉都は組み付く隙を狙う。

「何を狙ってるんだい?」

「さあな」

 幾らか疲労の色を見せ始めた顔で、琉都は獰猛ににっと笑った。腹腔から吐き出すような吐息と共に、雷鳳のフェイントを敢えて身体で受け止めると同時に強烈な拳を鳩尾へと吸い込ませる。

 ボディブローと急所攻撃のどちらとも言えるような拳を受け、雷鳳はよろよろと後ろへ下がってしまった。その隙に琉都は素早く組み付き、やたら複雑な関節技を極める。

 と、その瞬間、魅鳳の歌術が紡ぎ上がった。

 しかしその織られた幻糸はクゥリスの紡ぐ幻糸の織目に吸い込まれ、クゥリスの歌に更なる力を与えてしまう。


『な…どういう事なのかしら!? 魅鳳が確かに歌術を歌い上げたのに、幻糸は奇跡を起こさないっ! 解説っ!』

『歌術は専門外なんだけどねえ…。 どうやら編み上がった幻糸が、クゥリスちゃんの歌術の編み目に組み込まれちゃったみたいさね』

『だって、あれ、白月夜フーガでしょ? フーガって元々は歌の追いかけっこだから──』

『なるほど、だから後に編み上がる歌術に制御が移っちゃったみたいだねえ』


 抵抗しようとする度に関節が悲鳴を上げる事を身を以って確かめた雷鳳は、今度は蒼眼で琉都の紅眼を介した精神攻撃を行おうとしているようだ。明らかに技を極めている側であるはずの琉都の額にふつふつと汗がうかんではバンダナに吸収される。

 ふうっ、と琉都が息吹を吐き出した瞬間、雷鳳は一瞬の隙を縫って関節から逃れる。

 刹那。

 クゥリスの『白月夜フーガ』が歌い上げられ、周囲の水が大きく鎌首を擡げた。蛇ならば口がある辺りの部分には、それぞれが一抱えほどもある大きな石が咥えられている。

 意図的にクゥリスが歌術の制御を完全に霧散させると、水と石が雨霰と降り注いだ。

 間接・直接の攻撃に使えない、と言う制限が設けられていた『白月夜フーガ』だが、歌術の影響が完全に消えればこの制限も意味を失う。

 結果、雷鳳は自分の頭より一回り大きな石が頭に強かぶつかる事となり。

 その直後にもう一度見事な間接技──今度は4の字固めだったが──を極めた琉都は、レフリーによる審判勝ちとなるのであった。




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 意識を失ってしまった雷鳳が目を覚ましたのは、翌朝の事だった。

 その事に気付いたソフィアは、その幼さの残る顔に笑顔を乗せながら、雷鳳の額に乗せられていたタオルを手桶の水に無造作につっこんだ。

「…僕は…」

 水が蒼眼に染みたのか三つの目全てを瞬かせながら、雷鳳はまだ寝ぼけの混じった調子で訊ねる。

「仲間として同行しろ、だってさ」

 何に対しての答えなのか、ソフィアはただそれだけを告げる。少しの間隙をはさみ、雷鳳はふぅっとため息をついた。

「僕が負けたんだね、それで琉都が──」

「うん。琉都兄ぃ、雷鳳兄ぃの事、ちょっと気に入ったみたい」

「そっか…」

 もういちど、雷鳳は諦めるようなため息をつく。

「魅鳳は?」

「あっちの部屋。ルィ姉が面倒見てるけど、さっき早く目が覚めたって、琉都兄ぃが言ってた」

 そう言いながら、ソフィアは手桶の水で十分に冷えたタオルを雷鳳の額に落とす。

「そうじゃなくて、僕が同行する事に関して。魅鳳は承諾してたのかな?」

「さぁ…わたしには何にも」

 そう、と雷鳳はまたため息をついた。

 と、部屋の扉が不意にノックも無しに開かれる。思わずソフィアは手元に置いておいたスナイパーライフルに手を伸ばすが、すぐにその手を引っ込めた。

「よぉ、雷鳳」

「琉都君か…。おどかさないで欲しいな」

 手厳しい指摘を受け、琉都は軽く肩を竦める。両手にそれぞれ手桶を持ったままなので、本当に肩を軽く竦めただけだったが。足で扉を蹴り開け、滑り込むようにして部屋に入り、踵で蹴って扉を閉める。

 鉄骨が木材を凹ませるような鈍い音もしていたが、雷鳳もソフィアももちろん蹴った当の本人も黙殺した。

 同じ三眼族だからなのか、琉都は部屋に入ると同時に額の紅眼を開ける。もちろん発動はさせないが、雷鳳の額にある蒼眼と同調しているのか微かに蒼い光と紅い光とをそれぞれが放っている。

「おどかしちゃいないが、吃驚はさせたかもしれないな」

「十分に吃驚したよ」

「部屋に入る時はノックしてよね、琉都兄ぃ」

「悪い悪い…。 と、ついでにもう二つ吃驚させてもいいか?」

 琉都の言葉に、雷鳳の蒼眼が一瞬だけ光を強くした。それと同時に雷鳳自身も驚いたような顔をしている。

 その反応を肯定と受け取ったのか、琉都は一つ頷いてから言葉を発した。

「一つ目、アストラルが逃げた。代替の奏甲は“無限光”が用意してくれるそうだが」

「……!?」

 二重の意味でのショックを受け、雷鳳は戸惑ったような表情になる。

 あ、百面相。ソフィアはそう思ったが、言葉にするまでもないので黙っていた。

 落ち着いたままで琉都はさらに言葉を続ける。

「二つ目、ハイリガーがエヴィルを取り込んだ。これは同じ試作クロイツに乗る者として、報せた方がいいだろと思ってな──」

 あくまでも自身は驚いた様子は無く言葉をまだ続けている琉都の後ろで、ずいぶんと控えめに扉が開いた。琉都はそれに気付いていなかったが、扉の隙間からクシェウが「しーっ」と人差し指を立てながら部屋に入ってくる。

 全く事態に気付けていない琉都の頭を、クシェウは唐突にアイアンクローの要領で鷲掴みにした。

「……っ!」

「三つめ。琉都、お前はクロイツに汚染され過ぎだっ!!」

──ぱぱしぃっ!

 一瞬、クシェウの掌から無色の雷光が走る。空気そのものを引っ叩いたような音がした直後、琉都はフッと身体の力を抜いた。

 クシェウが手を放すと、琉都は力無く椅子に腰掛ける。

「…琉都兄ぃに何したの?」

「別に。幻術でちょいとクロイツ汚染を取り除いただけ──人格を元に戻しただけだ」

 全く何でもない事のようにさらりと言ってのけるが、クシェウはもう片方の手に持っていた銀鎖分銅をポケットに押し込む。先ほどの空気そのものを引っ叩いたような音は、その分銅からも出ていたようだが。

 しばし沈黙した後、雷鳳がハッと顔を上げる。

「……クロイツ汚染、と言う事は、僕も汚染されて…?」

「いんや」

 クシェウは頭を振り

「汚染があるのはハイリガーとエヴィルそれに──いや、あれは汚染じゃなく感化か──まあ、その2機だけだ。安心しろ」

「はぁ」

 安心したのかしていないのか、雷鳳は全く持って微妙な調子で頷く。今一つ納得しきれていないのか、蒼眼の光もどこか頼りなさげだ。

 クシェウはそれを見てフッと笑い、そのまま背を向ける。

「俺ぁ、今からクゥリスにも同じ処置を施しに行く。エヴィルは機奏英雄だけ汚染するが、ハイリガーは歌姫も汚染するんでな」

「…おい、クシェウ」

 何時の間に意識が回復したのか、琉都が呼び止めた。軽く首を振りつつ

「今後、汚染は防御されるんだよな?」

「ああ。防御はされる」

「ん。ならいい」

 安心したように琉都は、先ほどまでソフィアが使っていた手桶を取り上げた。

 新しく持ってきた手桶には、片方には汲みたての冷たい井戸水が、朝食だか昼食だかよくわからない時間であるにも関わらず、もう片方には琉都が握ったのだろうか握り飯が少しばかり入っていた。




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 これが、と雷鳳と魅鳳はほぼ同時に唸るように呟いた。

 7人にまた増えた一行の目の前には、どう見てもかの量産奏甲には見えない機体だった。しかし量産奏甲らしく、同じ機体が既に売り物として数機ほど並べられている。

 余計な装飾は一切取り払われた、機能性重視の装甲板。純白では無いにしろ、幻糸鋼そのものの色に非常に近い、白い機体。幾つかの点を付加すればハイリガー・クロイツのように見えるかもしれない。

 即ち。

「グラオグランツ…。まさか、こんな所でももう存在していたんだねえ」

「ねえ、ルィ姉ぇ。グラオグランツって?」

 ソフィアに訊ねられルィニアは振り向きざま、ずり落ちかけた小丸眼鏡を中指で押し上げる。

「無色の工房の最新鋭新型量産機。多彩な装備の運用を目的としているけど、限定的になら隠密行動も可能。まあ、一言で言ってしまったら『なんでも中途半端にできる』奏甲さね」

 ちなみに、とどこから湧いて出てきたのかクシェウが言葉を引き継いだ。

「この機体──グラオグランツ・ホウカスタムの場合、高性能ホバー装置とスラスタユニットを脚部に増設、さらに幻糸ジャミング(AECS)機構を搭載して、どっちかと言うとシャッテンファルベに近い奇襲適性を持たせてある」

「鳳改造(ホウカスタム)?」

 クゥリスが不思議そうに訊ねかえす。

「雷鳳、魅鳳。二人に共通している字が『鳳(ほう)』だからだ」

 クシェウの説明に、ふうん、と琉都は何処か面白そうに、ソフィアとクゥリスは納得したように頷いた。

 ホウカスタムの武装は素人目に見た限りでは多くなく、左腕のガトリングガンと背中のチート・ショートスピア(改造で攻撃力だけ高めたショートスピア)だけだ。しかしルィニアは、その内部にノイズリダクトシステムIIと水晶板がある事に気付いていた。

 雷鳳はこの機体があまり気に入っていないのか、それともアストラル・クロイツ=ガイストに何か思い入れがあるのか、この機体に乗る事をあまり快く思っていないような顔だ。バンダナで隠された下にある蒼眼を介して、琉都は薄く開けた自分の紅眼でもその感情を感じ取れた。

 魅鳳はと言えば新しい機体を貰えた事で恐縮してしまっているのか、事ある度に「本当にありがとうございます」とクシェウにぺこぺこと頭を下げている。感謝される側は笑って謙遜して、また何時の間にか居なくなっている。

 琉都はふと雷鳳の方を振り向き

「んで、どうするんだ?」

「何をだい、琉都君?」

 何を訊ねられたのかわかってないのか、雷鳳は驚いたように訊ねかえす。琉都は思わず笑いそうになりながら、

「ついてくるのか、って聞いてるんだ。俺は何も強制したくないから」

「…負けたんだよ、僕は。自分で決めたルールには従うし、勝った君が僕に命令した事だからね。ついていくよ」

 諦めたような調子で、雷鳳は肩を竦めた。

 しかし琉都は本当に意外そうな顔で、何故か琥露鬼を睨み付けてから、雷鳳に訊ねる。

「ありゃ、聞いてないのか? 俺は『最終判断はそっち側だけど、仲間になれ』って言ったんだけど」

「初耳だよ、それは。 …ああ、だから魅鳳には訊ねたんだね?」

 どこかちょっと疎外感を感じながら、雷鳳は困ったように琉都に訊ねかえす。琉都が琥露鬼の方を睨み付けると、琥露鬼はさっさとルィニアの陰に隠れてしまった。

 やれやれと呆れつつ、琉都はため息をつく。

「俺は雷鳳にも訊ねるように言ったんだが」

「手違いで僕には聞かなかった、と」

 大体の事情を察したのか、雷鳳も琥露鬼を睨みつけた。琥露鬼はネコミミを横に倒し、上目遣いに二人の表情を窺っている。

 しばし考えた後、雷鳳は大きく頷いた。

「いいよ、楽しそうだしね。アストラルを探すんだったら、ハイリガーに頼るのが確実そうだし」

「アストラルが見つかった後はどうするんだ?」

「それは…まあ、その時に魅鳳と相談して考えるよ」

「わたくしめは雷鳳様にお仕え致しますけれど…相談して頂けるなら、光栄です」

 そうか、と琉都は頷いた。そして右腕の篭手を外し、雷鳳の方に突き出す。

 雷鳳はその手をしっかりと握ると、仮とは言え信頼できる相手でありたいと願いながら、握手を交わすのだった。