無題迷話
第参章 十話
ソシテ、アラタナル、ヘト…
“黒竜の酔拳亭”ゼンタルフェルドシュタッド支店は、その日、ただならぬ雰囲気に包まれていた。
「第弐班、索敵状況はッ!」
「幻糸反応度プラス0.80! 感度良好コンディション最高ッス!」
「第壱班、フィールドジェネレータはッ!」
「収束速度マイナス0.04、強度プラス0.01! 発生までのタイムラグがプラス0.12セコンドです!」
「収束装置とラジエータ調整急げ! 第参班、補助用無人奏甲はッ!」
「AIの調子が悪い物もありますが、出撃には問題ありません! 1300までには最高のコンディションにできそうですぜ!」
「第四、第伍班! トラクティングビーム準備まだかっ! 作戦のキモだぞッ!」
「申し訳ございませんッ! 思ったより幻糸乱が激しく、照準がバカになっております!」
「調整を急げ、1302までにだ! シャッテンンナハト、ホウカスタム、レイカスタム、出撃準備はッ!」
『準備は完了! 後はクロイツェンブレイカー・ヌルが罠にかかるのを待つだけだよっ!』
「第六班! ハイリガー! クロイツパルス増幅装置の調子はッ!」
『ハイリガー・クロイツ=フリューゲルの歌姫が断続的に織歌を紡いで発生したクロイツパルスを50倍増幅発振しております。試算では1305にはCBが気付くはずです』
「よし! …今は1259か… 琉都、クゥリス、調子はどうだ?」
『いつも通り、って訳じゃないけど、それなりに。クゥの歌はいつもよりキレが増してるけどな』
「よし、現状を維持しとけ。1分後に無人奏甲を展開、その後5分もすればCBをフィールド内に引きずり込める。一発でも攻撃を叩き込んでくれ」
『オーケイ、やってみよう』
「第七班、素粒子因子分解封印術式の状態はッ!」
「感応良好、魔力チャージ75%。現在“無限光(アイン・ソフ・オウル)”の保有する幻糸結晶を使えば一瞬で100%チャージでき、チャージできれば発動までのタイムラグは0.01以内。 ハイリガー・クロイツ=ケイオスを封印の錠前に使うので、封印強度はランクAAA」
「よしッ!」
「クシェウ司令! アンチクロイツ兵器反応を確認! これで一般人への被害は207件めです!」
「処理部隊を2小隊回せ、回収した残骸と弾丸は因子分解封印庫へ! これ以上被害を増やさせるな!」
「無人奏甲部隊、調整完了! 作戦区域に展開しました!」
「フィールドジェネレータ、幻糸収束装置とラジエータの微調整終わりました!」
「クロイツドライヴ25から30号機、出力上昇開始! クロイツフィールド準戦闘レベルにて作戦区域上空に展開します!」
「トラクティングビーム、命中精度0.5半径円へ0.99まで照準回復! いつでも捕縛できます!」
「よしッ! これよりオペレーション・アマテラスノイワトは最終段階へ入る! 各員所定の位置でBCを待機せよッ! 俺は戦場へ出るため全指揮権はスェル=クオルフへ移行するが、作戦が綿密すぎて指示を仰ぐ必要が無いだろう?」
「(一同、爆笑)」
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ハイリガー・クロイツ=ケイオス(全ての試作クロイツを取り込んだため名前が変わった)のコクピットの中で、琉都は大きくため息をついた。
「…どうしたんですか、琉都さん?」
ため息に気付いたのか、クゥリスが不安そうに琉都の顔を逆さまに覗き込んでくる。
気付いたらそれこそ鼻がひっつくような至近距離にクゥリスの顔があったので、琉都は思わず驚いて後ろに下がろうとしてしまった。しかし奏座にしっかりと保護されているので、後ろに下がれないのは当たり前だったが。
「?」
「あ、あぁ、いや、何でもない。何でもないんだ」
誤魔化すようにそう言いつつ、琉都はクゥリスをタンデムコクピットの後ろの席に押し戻した。クゥリスは少し寂しそうに、だが大人しくコクピットの後席に戻る。
しばらくして、琉都は激しい嘔吐感と目眩に襲われた。思わずコクピットの内壁に手を付いて吐き戻しそうになるが、後々の事も考えてどうにか我慢する。
紅龍眼を見開いてみれば、ステータスモニターは背景が真赤に染まっており、さらにはあちこちで訳のわからないステータスが超高速で開かれたり閉じられたりしていた。
「何だ…これは…」
訳のわからないまま、しばし状態を見る。クゥリスは奇しくも丁度織歌を紡いでおり、琉都の状態には気付かなかったようだ。
何かが自分の中から吸い上げられるような感触に、何度も嘔吐物が喉元まで来るのを琉都は意志の力で押え込んだ。
と、不意にモニターが正常に戻る。モニターの中央には、“Arc Zero Shift Get Ready”の文字。
「アーク、ゼロ、シフト…アークゼロシフト(AZS)!?」
(AZSですか!?)
『おぉ、この土壇場で回復したか。なかなかの強運だな、琉都』
何とも呑気なクシェウの声が、先ほどまでよりはっきりと聞こえた。どうやら<ケーブル>の性能も、本来の全ての機能を取り返した事でよりクリアーになったらしい。
『琉都、お前のいろんな技術──例えば瞬動とか──を糧に、ハイリガーは全ての機能を解禁した。これで封印はより強固になるだろう』
「そりゃどーも…吐きそうなくらい気持ち悪いんだが」
うぷっ、と手で口を押さえて、また吐き戻しそうになってしまったのを我慢する。が、嘔吐感はそれっきりだった。
嘔吐感が消えた直後、琉都はとてつもない圧力のようなものを感じた。
いや、琉都にはそれを圧力と呼ぶ事すら正しいとは思えなかった。
強いて言うならば、畏怖。それに敵愾心。
『零時方向からクロイツェンブレイカー・ヌル──作戦対象が接近中だ。戦闘起動しろ!』
奏座の緩衝システムが作動し、琉都とクゥリスを幻糸素材で包み込む。
「クゥ!」
「はいっ!」
琉都の合図を受け、クゥリスはすでに枯れかけた喉で力強く戦いの歌を紡ぎ始めた。
安全装置が解除され、リミッタも全て解除され、本当の意味でハイリガー・クロイツ=ケイオスがすべてのポテンシャルを発揮する。
装甲板は周囲の幻糸を取り込み肥大化して空力学的なシルエットとなり、背面の翼は白い翼形アークウィングと皮膜型アークウィングが生え、モノアイにははっきりとした自我の光が宿る。
その機体からは、太陽の如き輝きがまるでオーラのように立ち上っていた。
はっきり言って今、ハイリガーは奏甲からかけ離れた見た目と成り果ててしまっている。有機機械とでも言うのだろうか、背中の翼は確かに生物的すぎるのだが装甲板は空力を突き詰めていた。それ故に、ケイオス。
だが不思議な事に、琉都もクゥリスも、対クロイツ用クロイツに負けると言う気はしない。それどころか勝ってしまう気ですら居た。
「行くぞっ!」
琉都のかけ声と共に、2対のアークウィングが協調して作動する。1対の時よりも格段に早く、ハイリガーは大空を疾走した。
対クロイツ用クロイツ、クロイツェンブレイカー・ヌル。
その機が有するのは、有機的なフォルム、無機的なバックパックランドセル、明らかに高度な自我を持った生きし物の目。たった一人で戦闘を行い、殺戮した者の生き血をすする、本物の悪魔。
毒々しいとも言える青に染まったクロイツェンブレイカー、通称CBは、自分の判断が誤った物である事を瞬時に悟れた。何故ならば『彼女』が飛来した直後、湖をドーム状に幻糸流障壁──クロイツフィールドが覆ったからである。
クロイツの全ての機能を停止させるAC装備が通じない事から、『彼女』はそれがただのフィールドでは無い事を察した。
AC装備で破壊できないフィールド、時空の裂け目、すなわち歪時空──ディストーション。
そして『彼女』のデータバンクにある限りでは、これだけ大規模のディストーションを発生させ安定させる事ができるのは、たった三つの世界の技術のみ。しかし内二つは既に技術が失われてしまっていた。
《見世物か》
苛立たしげに呟くと、CBはACサイスを構え直した。振り向くと同時に飛来したハイリガー・クロイツ=ケイオスに一撃与えようとするが、ハイリガーは瞬時に回避行動をとって懐に入ろうとする。
琉都はAC兵器の攻撃を避けられた事を感謝しつつ、CBを誘うように湖面へと向かってハイリガーを飛翔させた。
「鬼さんこちら、っとととっっ!?」
と、その羽根の先をサイスが掠める。再生機能を完全に破壊された第二翼──黒い翼は、紅龍眼に映し出されるステータスモニターから姿を消す。
琉都は軽く舌打ちしたが、飛翔速度は落とさない。
《悪質な鬼ごっこにつきあうつもりは毛頭無い》
確かにCBがそう言ったのを聞いたが、予めクシェウに言われていた事なので、全く驚きもせずにさらに加速をかける。
「クゥ! AZS、試すぞ!」
(へっ? はっ、はいっ!)
琉都はクゥリスの返事を聞くや否や、唯一物理的な操作媒介であるホロキィボードの実行キーを叩いた。
周囲の風景が後ろに引き伸ばされ、次の瞬間には重低音と共に再実体化する。
CBの視界には、まるでハイリガーが消えて直後に湖上に現われたように見えただろう。
《本気で鬼ごっこか。面白い》
機械的な、感情の欠片も感じさせない声で、CBはそう言い放つ。直後、機体はハイリガーの目の前に現れていた。
琉都はそれを確認するや否や、すぐさままたAZSを起動。航続距離を短くし、ジグザグに湖上に出現しては姿を消しする。
CBは腕のガトリングガンを掃射しつつ、背中のブースターを使いハイリガーを追う。
「作戦通りだな」
黒竜の姿となって上空で待機していたクシェウは、その様子を見て思わずそう呟いた。
「このままなら、過去の借金を全部精算できそうだ」
踊るような動きでハイリガーは攻撃を尽く躱し、時折距離を詰めて攻撃方法を特定させずに、だが確実に一点へと導いて行く。
ハイリガーは、こう言った使い方を設計中に最終的に付け加えられた機体だ。敵を一撃で仕留めるか、一撃離脱。
CBはそれを知ってか知らずしてか、ヒット・アンド・アウェイを繰り返しているハイリガーを律義に追いかけていた。
「クゥ、辛くはないな?」
(楽しいくらいですっ♪)
本当にそう思っているのか、琉都もクゥリスも楽しそうに笑っていた。
ハイリガーはますます踊りをヒートアップさせ、テンポも足取りもより高度な物へと次々切り替えて行く。だが、今回の作戦は、それが勝法では無い。
《小賢しい…! っ!?》
苛立ったのか、CBは四連装ACミサイルを発射した直後、ふと何かに気付いたように追撃を止めた。
「気付かれたか…?」
つぅっ、と琉都の額を冷や汗のような物が伝い落ちる。
だが、CBは結局何も気付けなかったようだ。すぐにまたサイスを振るった。
安堵のため息をひとつつき、琉都はまたハイリガーに武踏を舞わせる。
《苛立たしい…ハイパー・ドライヴ・モード、スタンバイ》
『琉都! ハイパー・ドライヴされると、いくら全ポテンシャルを解放したハイリガーでも、絶体絶命だ! 逃げろ!』
クシェウに言われ、琉都は素早くAZSで湖の対岸まで下がる。
《ハイパー・ドライヴ!》
──ずごぉあぁっ!
何だかよくわからない波動を発し、CBは先ほどまでの機動性能とは桁違いの速度でハイリガーに接近、近接した。
鋭さも段違いのサイスを躱しながら、琉都は再びAZSを起動させる。しかしCBはそれに反応したように、だが迂闊にも、作戦上最も重要な位置へと自ら飛び込んだ。
AZSで目と鼻の先に出現したハイリガーに一瞬戸惑い、CBは攻撃するのを躊躇ってしまった。
もちろん琉都はそれを見逃さず、“裁き”を振り上げる。
「隙ありッ、貰ったあっ!」
あえてその攻撃を受け止めるCB。
《ふ…愚かな、クロイツ兵器ではクロイツェンブレイカーに傷を付けられぬ───》
──……ぃぃ……
──……ぃぃぃぃ…
──…キィィィィ…
──キィィィィンッ!
クロイツフィールドが一瞬にして同調し、ロート・クロイツフィールドへと移行した。それを元から知っていたのか、CBは落ち着いた様子でサイスを振り上げ──
『そこっ!』と雷鳳
『行けっ!』とソフィア
『やぁっ!』とレイ
三機の奏甲が放ったトラクティングビームに捕えられ、CBは身動き一つ取れなくなる。三つのビーム素子は反発しあい、少しずつCBの機体を上空へと持ち上げて行った。
「第七班、封印開始!」
「封印、開始!」
スェルのかけ声を復唱し、オペレーション・アマテラスノイワトの第七班が幻糸結晶を魔法陣の中に放り込んだ。と、幻糸結晶は粒子となって魔法陣に吸収され、陣は目を覆っても透過するような強い光を放った。
《な…まさか! やめろ、クロイツを壊さねば戦争は終わらぬ! それができるのはクロイツェンブレイカーだけだ! やめろぉぉぉぉぉぉぉ!!!》
クロイツェンブレイカーの叫びは虚しく、誰もが耳を貸さなかった。いや、クシェウはそれを聞いていたが、聞いていないようなふりをする。
《やめろ、ヤメロ、ヤメロ、ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロオオオオオオッッ!!》
自我機能が壊れたのか、CBが機体を大きく暴れさせた。と、トラクティングビームの内の二つが外れる。
外れたビームはまるでゴムのように収縮すると、発射した絶対奏甲へと襲いかかった。
『い、嫌! アハトと別れたくな───』
『何だって僕がこんな目に遭───』
攻撃力を得たトラクティングビームは、いともあっさりとホウカスタムとレイカスタムを素粒子レベルで消滅させる。最終決戦仕様と言う事でツインコクピットにされていたはずなので、無血の作戦のはずが3人もの犠牲者が出てしまった。
思わずその事から目が離せなくなる琉都。
「れ、レイっ! 雷鳳っ! 魅鳳っ! 返事をしてくれ……!」
『無駄だ。素粒子レベルでの消滅を確認した…クソッ!』
何かを殴り付けるようなクシェウの思念。
一瞬、琉都はこの駄指揮官を責めようかとも思ったが、その思念から際限無いかなしみと怒りを感じ取る。
仕方無しに、全ての怒りをCBに向ける事にした。
《グゾオオォォォォ! ヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロオオオオオオオッッッッッ!!》
「うるせえぇぇぇぇっっ!!」
琉都の怒号と共に、ハイリガーの拳がアッパーカット気味にCBの顎に突き刺さり、いともあっさりとそれを砕いてしまった。しかしCBは自我も炉も喪っていない。
さらに暴れ始めたCBをハイリガーで押え込み、琉都はクゥリスの方を向いた。
「……済まない、クゥ」
(いいんです、琉都さんがいないくらいなら、この方が…)
でも、と思念が続きかけたが、断念したようにクゥリスは黙ってしまった。琉都も黙りこくってクロイツェンブレイカーを睨み付ける。
クシェウは上空から急下降し、これから起きる事態に備えた。
刹那。
今まで赤かったクロイツフィールドが、さらに金に輝き始めた。
と同時に琉都とクゥリスは意識がズレるような感触に襲われ、次の瞬間、落下する浮遊感に襲われる。あまりに一瞬の出来事だったが、次の瞬間には激しい頭痛に襲われ、意識を手放さざるをえなかった。
「ハイリガーごと封印しろッ! コンダクターとメイデンは回収した!」
クシェウは二人にかけた気絶幻術が安定している事を確認しつつ、落下する肉体を右手で優しくキャッチした。
次の瞬間。
ディストーション内の全てが、太陽の如き輝きに包まれた。
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ディストーションの解除された後、白竜と黒竜が夕暮れのユヴェール湖の上を飛んでいた。
ハイリガーの残骸とクロイツェンブレイカーの封印形態である“プレート”を回収したバルドは、白竜の姿に似合わぬ満面の笑みを浮かべていた。
「これで、200年前の禍根は粗方処理できまたようでありますな」
「ああ」
クシェウは大事そうに琉都とクゥリスを抱きかかえたまま、やはり黒竜の姿に似合わぬ満面の笑みを浮かべた。
「これで、俺ももう、良心の呵責に寝不足になる事もなさそうだ」
「それにはまだ早いと思われますよ」
そう言って、バルドはクシェウの右手の二人を指差す。
「あぁ、そうだったな。幻術で記憶操作をしておかないと…全世界規模でやった方がいいな。 管制室! 幻術増幅管『御石』を作動させろ、使用する幻術のコードは「十字架に頼らざる」だ!」
『了解しました』
耳栓の形をした通信機からの返事を聞き、クシェウは無色の工房の前に二人をそっと降ろす。器用に指を使い袍の袖に手紙を入れると、後髪を(後鬣を?)引かれるような思いでか、しきりに振り返りながら空へと飛び立った。
その日、全世界的に「試作クロイツ」についての記憶が、幻術によって消された。歌術で抵抗しようとした者もいたが、増幅発振された幻術の前では無力だったようだ。
後日談だが、クロイツの試作品があると思うかとクシェウが街頭アンケートをしてみた所、全ての知性が「NO」と答えていたそうだ。
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紅龍眼の瞼に冷たい物が乗っている感触で、琉都は目を覚ました。上体を起こすと、毛布の上に濡れタオルがずり落ちる。
「…んぐー…あぁ、よく寝た…」
昨日も蟲退治してたはずだよな、と琉都は改竄された記憶を本物として認識する。
ふと隣を見れば、クゥリスが静かに寝息を立てていた。ほんの悪戯心から、琉都はその顔を覗き込む。
(………)
しかしつい最近クゥリスに「好き」だと言われた事を思い出し、自分でも耳まで赤くなったのがわかった。
そう思うと気恥ずかしくなって思わず後ろに飛び退き、丁度開こうとしていた扉に後頭部を強くぶつける。
「あ、琉都兄ぃ。起きたんだ」
痛みにうずくまる琉都を見下ろすようにしながら、ソフィアがいつも通りそう言った。琉都は頭のぶつけた所を押さえてぷるぷると震えながらも、もう片方の手を上げて返事をする。
ソフィアはその返事に満足したのか、琉都の後ろを通って部屋に入ってきた。
「今、話せる?」
「……おぅ」
痛みを我慢しつつ、琉都は短くそう答える。
ソフィアは先ほどまで琉都が寝ていた寝台に腰掛けると、何かを企んでいるような顔で笑った。琉都はそんな笑みをソフィアでは無い誰かがしていたような気がしたが、誰がしていたのか思い出せなかった。
「琉都兄ぃ、奏甲どーするの?」
「…そこか。ったく、肉体的にも経済的にも痛い所をピンポイントで」
「だって狙撃手だもん♪」
何故かやけに楽しそうに答えるソフィア。思案するために腕を組み、琉都は袍の袖に違和感を覚える。
仕込み武器は綺麗さっぱり無くなっていたが、袍の広い袖は未だ健在だ。鉄骨ブーツを履き、腰の後ろには刃が外を向くようにクローを一対装備してある。
それを琉都は当たり前と認識していた。
だから、袍の袖に何かが入っている事に違和感を覚えたのだ。袖から違和感の元を取り出す。
「何だこりゃ…手紙? 差出人も無けりゃ、届け先も無い」
「開けてみたら?」
言われなくてもそうするつもりだったのか、琉都は一瞬だけ躊躇った後に便箋を開く。
出てきたのは、数枚の紙きれだった。
「…何だこりゃ? あー…奏甲引き替え券、武装引き替え券!?」
「わぁ、すっごいラッキーだね! ねえねえ、何と何だったの?」
ちょっと待て、と手で制しながら琉都は引き替え券の表面を読む──先ほど見ていたのは裏面だ。
「ビリオーン・ブリッツ、ナハトリッタァ、80mm連装幻糸砲…」
ふうん、としばし思案した後、ソフィアは琉都の袍の袖を引っ張った。
思わずバランスを崩し、琉都はソフィアに覆い被さってしまうような形でベッドに倒れ込む。
「な、な、なっ…!?」
困惑し、赤面する琉都。
「とーったっ! ナハトリッタァはわたしが乗っていいよね?」
「あ、ああ、うん。まあ、いいだろ」
しどろもどろになりながら琉都が答えた、その刹那。
いきなり琉都の頭に軽い衝撃が走った。
「痛っ!? ……あ、クゥ…」
衝撃の正体は、何時の間にか目覚めていたクゥリスの鉄拳だった。怒りの形相を湛え、琉都を睨み付けるクゥリス。
「あ、じゃありませんっ! 何してるんですか!」
「琉都兄ぃを押し倒しただけだよう」
ぷうっ、とふくれるソフィア。
琉都はどうしてよいのかわからず、ただ顔を右往左往させるばかりである。
「お、押しっ、押し倒して…っ!?」
わなわなと奮えるクゥリスの細腕。これで結構筋力もあるのだから、やはり人間見た目では無いようだ。
「お、落ち着けクゥ。誤解だ、ゴカイって言っても虫じゃない、間違った認識だっ」
「知りませんっ!! 琉都さんのばかぁぁぁっ!」
──ぱしぃぃぃんっ!
そのままパタパタと部屋を出て行くクゥリス。
見事な平手打ちをくらった琉都は、頬に掌の痕を残したまま、本当にぴくぴくと痙攣していた。
「琉都兄ぃ、大丈夫…?」
だが返事は無い。ただの屍のようだ。
琉都は動けずに居たが、その表情は晴れ晴れとしていた。
(でもまあ、これも日常なんだよな…)
頭の片隅で、そんな事を考えながら。
旧キ因縁、終ル。
ソシテ、アラタナル──