無題迷話 〜アラタナル〜

第六頁











 ツヴィッシェンの町から遠くはなれたかもしれないしそう離れていないかもしれない森の、そのど真ん中にたった一つだけ聳える奇岩(いや、奇岩山と言った方がしれないが)の上。

 ヴァイネンフェルスバルト(涙岩の森)と言うこの森の名前の由来でもある、奇岩の風洞を風が駆け抜ける際に奏でる物悲しい音をBGMに、二機の絶対奏甲が立っていた。

 片方は胸部装甲板に『嵐』と一文字書いてあるビリオーン・ブリッツで、もう片方はスナイパーライフルを構えたナハトリッタァである。

「居そうか?」

 琉都はビリオーン・ブリッツ──機体固有名(パーソナルネーム)シュツルム──のコクピットの中で、壁に背中を預けるように立ったまま、干しサツマイモのようなものを焼いて柔らか甘くした菓子を囓った。視線は反対側の壁に真っ直ぐに向けられているが、視界はさらにその向こう側を見ているようでもある。

『うーん…。またハズレかもね』

 ナハトリッタァ──機体固有名(パーソナルネーム)シャルフシュッツェ──の奏座に入って辺りを見回していたソフィアは、これ以上の索敵は無駄だと踏んだのか奏座から降りながら<ケーブル>越しにそう言ってきた。琉都は渋々頷くと、残りのサツマイモ菓子を口の中に放り込む。

「そうか…仕方が無い。この辺りの蟲が激減したにも関わらず、再三再四の奇声蟲討伐に対する高額の賞金の更なる賞金額上昇…この状況を逃す阿呆は少ないさ」

『ま、小物でも見つければケーファくらいは賄えちゃう状況だしね…どうするの?』

 ソフィアの問いに、琉都は軽く首を竦めた。もちろん見えている訳ではないので、さて、と呟きながらだ。

「クゥ、どうする?」

「私に聞かないで下さいよ」

 ちょっと困ったように顔だけで笑みを形作って見せながら、癖毛と言うよりも天パーに近い茶髪の少女はあっさりと切って捨てた。

 琉都は奏甲のコクピットから出、その少女──クゥリスの隣に立った。そして彼女の髪を何の意味も無くくしゃくしゃと撫でる。

「いや。時に俺よりいい事を言う事もあるんじゃなかったかな、と」

「えっ…? そうでしたか?」

 クゥリスは嬉しそうに微笑しながら、撫でられるがままに髪を琉都に任せる。元々ぐしゃぐしゃな上に寝癖もつけばヘアピンで留めても跳ねるような髪なので、あまり気にしていないようだ。

 わざと篭手の指関節部分に髪が挟まるようにして小イヂメた後、琉都は何の気なしに遠くへと視線をやる。

「ま、それはさておき。 ソフィアとルィニアさんはここで待機。俺とクゥは下に降りて探してみる。それが一番いい手なんでないかな」

「ちょっと待ちなよ」

 先ほどまでずっと何か複雑な機械を弄って居たため無言だったルィニアが、ここでやっと積極的に会話に加わってきた。

「そんな事しなくても、これがあるじゃないかい」

 そう言いながらルィニアが作業着の襟に手を突っ込み取り出したのは、丁度琉都の親指くらいの大きさのホイッスルであった。以前、ツェルト村と言う村の近くにあった遺跡を荒らし──もといトレジャーハンティングした際に手に入れたものである。

 クゥリスはそれを見て、軽くぽんと手を叩いた。

「蟲笛ですね!」

 ルィニアは満足げに頷くと、それを再び作業着の襟から胸元へ仕舞い込んだ。どうやら細い紐のような物で首から下げているらしい。

「それで何を?」

 自分で鑑定書類を書いてもらいに行ったにも関わらず、琉都はイマイチまだその笛の事が思い出せなかったらしい。あまりにも場にそぐわぬ質問をした。

「ただの珍笛だと思ってたんだが」

「珍笛って…微妙にアブナイ事を言わないで下さいよ。 蟲笛って言うのは、貴族種の奇声に似た音を出す歌術品で、周囲の奇声蟲を呼び集める事ができるんです」

 一緒に鑑定士の言葉を聞いていたクゥリスが丁寧に説明すると、やっと琉都もそれを思い出したようだ。あぁ、と小さく頷いた。

「奇声蟲の貴族より下しか呼び集められない欠陥品な」

──ばすっ!

 琉都の足下、それも鉄骨仕込みブーツの僅か数ミリ横の地面に鉛弾がめり込んでいた。琉都はその場で固まりつつも上を見上げ、そこにスナイパーライフルの銃口がある事を確認して小さく悲鳴を上げる。

「欠陥品ってそんな事ないよー? だって奇声蟲なんて貴族より下がほとんどだし」

「今までに無いパターンでツッコミを入れるなッ! 危ないだろッ!」

 シャルフシュッツェのコクピットから何故か地面を狙撃したソフィアを一応叱り付けてから、確かに貴族種より下がほとんどではあると納得する。

 何か調子が狂ったような気がして、琉都は軽く咳払いをした。

「ま、とにかく…。ここは足場が狭くて危険だし、使うのは下に降りてからだな」

 琉都はそう言うと、シュツルムのコクピットへと戻るため、今先ほど出したばかりの干菓子類を片付け始めた。ソフィアもコクピットから降りてきて、特に何を言うとも無く手伝う。

 それを見て少しムッとした表情を一瞬だけしたものの、クゥリスもすぐに手伝いにかかった。今度はソフィアがムッとする番だった。

 ルィニアはその様子を見ながら、困ったような楽しんでいるような笑みを浮かべていた。


 食い散らかしたと言う状況に近かった奇岩の上は、ほんの数分の後にはきれいさっぱり片付いていた。琉都は満足げに岩の上を見回してから、シュツルムのコクピットに戻る。

「クゥ。二択で聞くぞ」

「はい?」

 琉都の視線は、先ほどソフィアが乗って休止状態から通常起動状態に復帰したばかりのシャルフシュッツェに向けられていた。

「シュツルムのコクピットがいいか、シャルフシュッツェの手の平がいいか」

「じゃあ私はこっちがいいです」

 クゥリスはそう言うが早いか、さっさとシュツルムのコクピットに乗り込んできた。結果の見えた質問ではあったのだが、琉都はクゥリスに悟られないようそっと溜息をつく。

 奏甲のコクピットは元々が非常に狭く造られているため、琉都とクゥリスが乗ったシュツルムのコクピットは定員オーバー気味になってしまった。満員のエレベーターの中で押し付けられているような微妙な密着度のまま、シュツルムを休止状態から通常起動へと復帰させる。

「んじゃまあ、一丁派手に降りるとするか、ソフィア?」

『うん、そだね。じゃ先に降りるねー☆』

 恐らくシュツルム以上に定員オーバー状態だろうにも関わらず、シャルフシュッツェはいきなり奇岩の端っこから飛び降りた。二秒半ほどの空白の時間を慟哭のような風洞の音がうめた後、重いものが無事に落下──もとい着地したような音が聞こえてくる。

『大丈夫だよー』

「うーい」

 琉都はにやにやとした笑いをクゥリスには見えない側の顔に貼り付けたまま、あまり乗り気でないような声で返事をした。だがそれでもシュツルムをシャルフシュッツェが飛び降りたのとは逆の崖っ縁に向かわせる。

 何をしようとしているのか気付いたクゥリスは青くなり、次に赤くなり、そして血の気を失った。

「りゅ…琉都さん…まさか…」

「んー? さぁて、それはどうだかねー?」

 この時既に琉都は、もう楽しくて仕方が無い、と言うような笑みを顔面に貼り付けていた。だがその中に僅かではあるものの恐怖の要素が無いと言えば嘘だった。

「あ…あはは…あはははは…」

 もう笑うしかない、と言うようなふうに乾いた笑いを漏らした後、クゥリスは琉都にがばっとすがりついた。

「やめましょうよこんな事ぉぉぉぉっ」

「んじゃやめっか」

 琉都はそう言うが早いか、シュツルムの向きを180度ターンさせた。クゥリスは少し安堵したのか、ほっと胸(本人には失礼だが大戦初期から本当に僅かしか成長していない)をなでおろした。

「んでもな、クゥ。ここ登る時、戦闘起動しなきゃならなかっただろ。単純に考えて同じくらいの労力は必要なわけだから──」

「はいっ! 歌います歌いますっ! 飛び降りないなら何でもしますからっ!」

 クゥリスはそう言うと、すぐに織歌を紡ぎ始めた。

 古代幻糸炉がグォングォンと唸りを上げ、シュツルムの双眸に激しい光がやどり、機体とに力がみなぎる。琉都は自分にも力が溢れてくるような感覚から、既に戦闘起動に成功したのだと悟った。

 シュツルムが戦闘起動に入った事を確認するや否や、琉都は邪悪な笑みを満面に浮かべる。

「ソフィア、準備はいいか」

『もち、おっけーだよっ』

 よし、と頷くと琉都はシュツルムにクラウチング・スタートの『セットアップ』の状態をさせた。

「クゥ。舌噛まないよーにあんまり大口開けて歌うなよ」

『…え?』

 それはどういう意味ですか、とさらにクゥリスが続けようとするよりも早く、琉都はシュツルムに『レァディ』の体勢を取らせた。脚に力を溜める、最も辛い姿勢である。

 その僅か一秒後。

──ドゥッ!

 下でスナイパーライフルを消音機無しで撃ったらしい。大砲のような音が聞こえ、BGMが一瞬聞こえなくなった。と同時にシュツルムは短距離走手のごとく走り始める。

 しかし流石に1キロ近くも奇岩の頂上に幅がある訳ではなく、数秒ともたずに端っこから飛び出す事となってしまった。

『……跳ばないって言っだの゙に゙い゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙ぃ゙っ゙!?』

 思念にも関わらず、ほとんど半泣き状態のクゥリス。いや、実際のところ恐怖に涙を滝のように(まんがちっくな表現だ)流しながらも、ご丁寧にきちんと戦闘起動用の歌術を紡いでいる。

「いぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁっっ───」

 琉都は嫌なのかそれとも楽しいのか、傍から見ている限りでは微妙である。顔はもう笑いを通り過ぎて、別の表情に見えなくも無いような状態だ。

 そして二秒半後。

──どごがぁぁんっ!

「───っほぉぉぉぉぉうっっ!」

 どうやら琉都は、いやっほぉう、と叫びたかったらしい。非常に間が延びてしまったためあんな風になったのだろう。

 シャルフシュッツェで前もって倒しておいてくれた森の木の上に着地したシュツルムは、全く無傷であった。だが織歌が途切れたのか、通常起動に戻ってしまっている。

 どうしたのだろうかと心配になった琉都が振り返ってみれば、クゥリスは歌っている体勢のまま気絶してしまっていた。




 その一時間後。

 ようやく目を覚ましたクゥリスに説教されたのが効いたのか、それともただ単にさっきのあれはやり過ぎたと自覚していたのか、琉都は横着する事無く普通に蟲を待ち構えていた。

 つい先ほどルィニアが蟲笛を思いっきり吹き鳴らしたのだから、そろそろ集まってきていてもおかしくない頃合いである。だが、どう言う訳か蟲の「む」の字どころかノイズの「ノ」の字すら無い。

「…奇声蟲はやっぱり全部居なくなっちまったのか?」

『そうかもねー』

 案外気楽そうに言い、ソフィアは先ほど自分で倒したミステリーサークルのような森の木の円の中から出ようとした。

 琉都はフォルシェン・フォーァリヒトゥングを起動し、言い訳程度に辺りを探ってみる。だが蟲の反応は無かった。

「やっぱり居ないか。 クゥ、ご苦労さん。もう戦闘起動は解除していいぞ」

『はい』

 返事があった直後、クゥリスの織歌が切れる。シュツルムの双眸から鋭い光は去り、淡い通常起動の光が残るのみとなった。

 琉都は深く溜息をつき、完全気密のコクピットの換気も兼ねてハッチを開いてから、いつも通りクゥリスの前にシュツルムの手をおろす。クゥリスが機体の手の平に乗ったのを確認すると、ゆっくりとそれを上げた。


 もうすぐ森を出るだろうと言う頃、琉都はもう一度大きく溜息をついた。

「…しかし何でこうもハズレが多いんだろうな」

「そうですね…。 あ、ひょっとしたら、琉都さんがあんまりに蟲の間で有名に──」

 とりあえず馬鹿みたいな事をぬかしているクゥリスを軽く小突いて黙らせると、琉都は腕を組んだ。思念が途切れて手放し運転状態になってもシュツルムが真っ直ぐ歩くのを確認してから、奏甲の操縦とは関係の無い思考にふける。

 ソフィアはその事をずーっとルィニアと喋っているらしく、隣を歩いているシャルフシュッツェから聞こえてくる会話も琉都の考えにはそれなりに影響を与えたかもしれない。

 たっぷりと五分も目を閉じて考えた後、琉都はすぅっと目を開けた。いつぞやのように迷子状態になっていない事を確認するためにシャルフシュッツェが隣を歩いているか確認し、どうやら迷子になっていないと知って少しだけ安堵したように息を吐く。

「結論は二つか…」

 小さく呟いてから、琉都はその言葉に違和感を感じた。

「二つですか」

 クゥリスに訊ねられ、とりあえず違和感の事は置いておき、琉都は大きく肯く。

「ああ。 まず一つ目は、蟲が大規模な転住を行った、名付けて“奇声蟲大引っ越しフェアー説”」

「何だかちょっと変な店がやりそうな感じが…」

 まあそれは置いておいて、と琉都は何かを左から右にどかすジェスチュアをする。

「二つ目は、誰かが後先考えずに狩りまくったために奇声蟲が根絶えてしまった、名付けて“大乱獲するとレッドデータじゃなくても絶滅が危惧されるんです説”」

「……」

 琉都のネーミングセンスが無い事はそれなりに知っているつもりだったクゥリスだが、ここまで酷いとは思っていなかったようだ。思わず絶句し、天を仰ぐ。小鳥が何羽か通り過ぎて行ってから、どうにか視線を琉都の方に戻す事ができたようだ。

 クゥリスの反応を見て、そんなに変だろうか、と琉都自身ですら自信が無くなってしまった。他の説名案をぶつぶつと考えてしまったりもしたが、結局止める事にする。

「まあ、一つ目の説はまず無いと考えて問題無い。二つ目の説だと、そんな事をして得する者が居るかどうかがいささか気になるが──」

『あ、それなら』

 とソフィアが<ケーブル>越しに会話に割り込んできた。一々奏甲の機能を使いたがるあたり、ルィニアとの相性がいいのもうなずけてしまう。

『町でちょっと小耳に挿んだ程度なんだけど…ね、クゥ姉ぇ?』

「え? あ、はい、そうでした。確か紺色のリーゼ級奏甲が夜な夜な暴れまわっているとか…」

 ふうむ、と琉都はあごを親指と人差し指ではさんだ。

「紺色のリーゼ級弩級奏甲? …新型機なのか…?」

『ルィ姉ぇの話だと、そう言う新型機は公式には存在しないんだって』

 公式には。と言う事は、非公式ではあるが存在すると言う可能性を示唆している訳でもある。だがどこの工房もそんな機体を作っている余裕はあまり無いので、まず除外して考えた方が良いだろう。だがそうなると一体──?

 そんな思考が一瞬の内に琉都の脳裏を駆けて行き、次の瞬間には使い慣れた結論に達した。

「判断するには材料不足だな。ま、そのうち判るだろう、どうせこの近所で起きてる事だし」

「そんな安易な結論で良いんですか」

 クゥリスの言葉はどちらかと言うと、驚いたと言うよりももう慣れてしまったと言うようなふうが大きかった。

 琉都は軽く笑うとシュツルムの駆動輪を起動し、通常の1.5倍の速度で町へと向かった。





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 その日の夕方の事だ。

 琉都は珍しく一人になれたのでどこへ行くとも無く町を歩いていたのだが、誰かあった事のある者に呼ばれたような気がしてふと立ち止まった。

 夕方とは言え、まだ人通りは多い。紅龍眼を開く訳にも行かず、思わず開きたくなるのを自制するための僅かな時間を要してから、琉都は声のした方向を振り向く。

 人ごみの海を突っ走ってくる、ダークシルバーのロングヘアーとアメシストカラーの瞳の美女(と言っても差し支えはない程度ではある)。すぐに使えるよう服の外にガンホルスターを着けている彼女は、琉都には今まさしくあの暴走するローザリッタァと被って見えた。ただ、着ているのが半袖のワンピースふうの物でなければ、さらにそう見えただろう。

「現世じぃぃぃん!」

「いや、そう言われてもこの辺りにそう言う肩書きの人間は多いわけだし。判る俺も俺だが」

 密かにツッコミを入れるが、まだまだ遠い。到底、聞こえてはいないだろう。

 しかしもちろんリサは全く気にする事無く突進してくる。途中、ナンパするつもりの機奏英雄三人ほどに囲まれたりもしたが、そんなものはちょっとショルダータックルから掌底そして肘鉄砲と言う高速の打撃だけで撃沈した。しかもその総てが鳩尾にクリティカルヒットである。

 悶絶している機奏英雄三人に呆れたように駆け寄る歌姫三人(多分彼らの<宿縁>だろう)を見ながら、琉都は乾いた笑みを浮かべた。

「まさかそのままの勢いで突っ込んで来たりしないだろうな…」

 しかし悪い予感ほど当たる物は多いらしい。琉都の場合変にむらっ気のある強運も荷担したらしく、リサは先ほどよりさらにヒートアップした様子で突っ走ってきていた。

 目の前にある全ての障害物を跳ね飛ばしているリサを見て、琉都はやれやれと思いながら向き直りその場で両腕を開いた。

「さあ俺の胸に飛び込んでくるがビベッ!?」

「誰が貴様の胸に飛び込みたがるかぁぁぁぁっっ!」

 リサはおおよそ3ザイル(垂Rメートル)手前で踏み切ると、両足をきれいに揃えた16文キックっぽい蹴りを放つ。両足とも見事に琉都の顔面に突き刺さり、琉都はゆうに3ザイル半は吹っ飛んだ。リサ本人は上手く琉都の顔面を足場に使い、ムーンソルトの後半部分のように空中でふわりと回転して着地する。

 琉都も吹っ飛ぶ事は吹っ飛んだものの、そこで両手を地面についてバック転のような受け身を取り、何事も無かったかのようにスタッと地面に立つ。

 その場に居た誰もが、ストリートファイトの開始かと思った。

 だが。

「いや、良い蹴りだ…。修行を積んだな、リサ?」

 顔面に靴底型についた泥もそのままに、琉都はにかっと笑った。

「貴様に負けた事が、自由民としての名折れとなるとならんからな。修行などと言う甘っちょろいものではなかったさ」

 ふん、と荒い鼻息を吐いてから、リサも少しだけ微笑を見せる。その笑みに惹かれ近付いた馬鹿をとりあえず裏拳で黙らせた後、琉都の方に近付いた。

 先ほどの事もあり、琉都は思わず一歩引く。

「すまん…ちょっと話があるんだが、ここでは何だからな…」

 リサはそう言うと、両手で強引に琉都の左腕を取った。とっている側の本人が真赤になってしまっているが、ただ単に気恥ずかしいだけなのだろう。

「なるほど、そういう事か。 …こっちの方が自然だろう」

 琉都はとりあえずリサにだけ見える程度に肯き、彼女の側にぴったりとくっつく。

 こうしているのを遠くから見ると、ちょっと見た目の整った少年機奏英雄を年上のアーカイア人が逢い引きしたようにも見えなくはない。事実、背丈の差は頭一つ分くらい──リサはルィニアよりちょっと背が高いのか、と琉都は思った。

「それはそうと、今度から飛び蹴りは着てるものを考えてやれよ」

「何でだ?」

「…見えてたぞ」

「な……ッ!」

「案外子供なんだな、あんな青と白の横縞ぱムベィッ!?」

 会話の最後の言葉(しかもこれだけかなり大声)の途中で一発だけ殴られた琉都は、案外あっさりと気絶してしまった。リサはかなり怒っていたようだったが、どうあっても琉都以外には話せない事らしく、気絶した琉都をずるずると引っ張って行く。

 その後でさまざまな囁きがその場にしばらく残されたのは、もはや言うまでもないだろう。





 琉都はリサに殴られた痕に氷嚢を当てたまま、むっつりとしてはいるものの話を聞いていた。蝋燭の灯りしか光らしい光は無いが、これはリサが歌姫ではあるものの灯火の歌【シュルペン・ポルカ】を使えないのだから仕方が無い。

「それで…結局、要点は?」

 蝋燭の火をなるべく直視しないよう勤めながら、琉都はリサの顔を見た。リサもよくわかっていなかったらしく、ここが自由民の隠れ家の一つであると言う事を忘れていない程度に先ほどよりも一回り大声で同じ事を繰り返した。

「だからさっきも言っただろう。 以前、貴様達と共に発見したプリメーラ−ドリッドを覚えているな?」

「ああ」

 琉都はむっつりとした表情を変えぬまま小さく頷いた。氷嚢の中の氷が軽くぶつかるカラカラと言う音がする。

「プリメーラに、我々が独自に発掘した古代奏甲の一つである“ロィタァン・カタリュザートァ”を与えた。──ここまでもいいな?」

 琉都はまた小さく頷いた。カラカラ、と氷がぶつかる音。

「まあ、その奏甲については後で教えてくれ」

「いいだろう。 話の続きに戻ると、プリメーラの奴、ロィタァンに乗った途端に調子にも乗ってしまってな。我々が止める間も無く、おねえちゃんと一緒に姿を消してしまったのだ」

 リサはここまで言うと、少しだけ表情を曇らせた。琉都はそれを見なかった事にして、氷嚢を持つ手を替えてしばらく黙っている。

 数分もした後、リサはようやく復帰した。

「みっともない所を見せてしまったな…忘れてくれ。一回目はどうと言う事なかったのだが」

「忘れるもなにも、俺は見てないんだから。 それで、何で俺に協力を?」

 氷嚢を頬から離し、琉都は片方の篭手で傷痕に触れた。冷たさで痺れてしまったような感触しかないが、恐らくどうにかなっているような気がする。

 後で歌術治療をしてもらおう、と琉都は思った。

「何もアテが無ければ絶対に来ないと思ったんだが」

「貴様、現世人のクセになかなか考えているな。 その通り、貴様の奏甲ならばあのバケモノをどうにかできると思った」

 リサはそう言うと、テーブルの上に乗せていた両手を握りしめた。

「あの忌々しい…! 奇声蟲を狩っていい気になっているが、その足下で我等が同胞であるアーカイアの姉妹を踏み潰していようと無頓着だ。最近では全く見境無く機奏英雄をも襲い始めたらしいから、町に現われると厄介だと来たんだが…」

「なるほど。ま、アーカイアの民を殺されたら、俺だって寝覚め悪い。何しろ俺だって『アーカイアを救うため召喚された』機奏英雄……そこを忘れちゃいない」

 そうではあったんだろうな、とリサは嘲うように言った。

「それでも──」

「──それでも幻糸に触れ過ぎれば奇声蟲になる。 ああ、そのくらいは覚悟さ。蟲になる直前になったら、誰かに殺してもらうか自殺するかするが…それまでは自由にさせてくれ」

 琉都もやはりどこか自嘲するような節を含ませて言い、自由民とも協調はすると言う面を見せた。リサもこの反応は意外だったのか、とりあえず唖然としながらも肯く。

 だが琉都はその返事を得るや否や、元の口調に戻ってしまった。

「ま、それはそうと。 そのロィタァンなんたらって機体を、捕まえるのか? それとも壊すのか?」

「あぁ…そうだな。修理できる程度に壊すのは構わないが、全身粉砕のような事態は避けてくれ。後、上層部に報告書を届けたばかりでまだ返事が来ていないから、プリメーラ−ドリッドの安全は絶対条件だな」

 琉都は一つ頷いた。

「オーケイ。…ところで報酬は?」

 リサはしばらく考えるように黙り込む。

「機体と武装の整備費にさらにその三割を上乗せ、と言うのが師団長の言い分だったから。雇っていいのはせいぜい六機までだとも言っていた」

 琉都もしばらく考えるようにした後、大きく頷く。

「わかった。俺で一、ソフィアで二…。 明後日あたりまで酒場で仕事を手伝ってくれる奇特な奴を探してみる。それでいいだろ?」

「自由民の名前は出さないでくれないか? できれば事を大きくしたくないし、自由民の端くれとして、こんな事が起きたなどと知られては恥だからな」

 頼む、とリサは少しだけ頭を下げた。琉都はそれこそ恥ではないかとも思ったが、リサが特別なのだろうと思ってそうは言わない事にした。

「わかった。とりあえずアーカイア傭兵ギルド(AMG)とかなんとか何とか言って、実在しない組織からの依頼と言う事にしておこう。どーせすぐにAMGがニセモノだってバレるだろうが、その頃にはリサとリナとプリメーラが逃げ出してりゃ済む話だ」

「ありがたい…引き受けてくれるのか」

「機奏英雄を敵視しているはずの自由民からの、非公式とは言え、れっきとした依頼だ。こんな珍しい体験を捨て置けるほど俺はつまらない人生を送りたくはないからな」

 そうか、とリサは幾分明るい表情で微笑んだ。

 琉都はすっかり水袋になってしまった氷嚢をテーブルに降ろすと、椅子の背もたれに軽く体重を預けて腕を組んだ。

「それで、ロィタァンの特徴は?」

「リーゼ級の、紺色の奏甲だ。それ以外には特に何も…武装をやたらゴテゴテと装備していたしな」

 そうか、と琉都は頷いた。

 そしてその頷きの裏では、今回の事の全様を見ようと、足りないパズルのピースを一生懸命組み立てていた。









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